黒塚 公演情報 木ノ下歌舞伎「黒塚」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    怪優の誕生、物語の可能性
    驚きの快作。

    これまでの木ノ下歌舞伎の実績からして期待値は高かったけども、十六夜吉田町スタジオという小さな空間で、こんな派手なエンターテインメントが観られるとは想像していなかったこともあり。なんといっても、鬼婆を演じた武谷公雄の演技があまりにもダントツに群を抜きすぎていた。今、これを観ないでどうする?、という気持ちになり、初日に観たにも関わらず、次の日もまた当日券で観てしまった。さらにその後もまた当日券に並んでみたのだが、あまりにも人が満杯なので、キャンセル待ちの券を他の人に譲って(多くの人に観てほしかったから)泣く泣く諦める……という始末。

    『黒塚』はどこかで耳にしたことのあるようなシンプルな物語である。この、いわゆる「現在性=アクチュアリティ」がほとんどないはずの作品に、いったいどうしてそこまで惹きつけられたのか? しばらく考えていた(それだけ舞台のイメージが残留する力も強かった)。

    ひとつは、ジャン=フランソワ・リオタールによって「大きな物語の喪失」と言われて以後の、日本の若者たちの「物語れなさ」という深刻な問題……要するに、自分たちの「今ここ」の閉塞感を何らかの形で訴えるより他に方法がない、という問題があったとわたしは思うのだが、それに対して、近年の文脈(労働問題、震災と原発……etc.)をあえて無視して、古(いにしえ)に眠っているシンプルな物語を力強く持ってくる、という方法を採っていたこと。『黒塚』は単にかつての黒塚伝説を掘り起こしただけではなく、さらに他の「眠れる無数の物語」の力を現代に亡霊のように蘇らせ、それによって観る人たちの心を揺さぶることに成功していたと思う。それは歌舞伎版の「黒塚」をただなぞるのではなく、元の黒塚伝説の様々な異説を主宰の木ノ下裕一が調べ、それをもとに演出の杉原邦生がエピソードを付け加え、全体を再構成した、というところに拠るところが大きい。彼らが挿入したエピソードに、日本にかぎらず、ギリシャ悲劇などにも見られるような普遍的といっていいようなモチーフがあったことで、物語一般(様々な物語)を感じさせたのだろう。

    だがそれは一歩間違うと陳腐な「よくある話」になるという際どい試みでもあったはずだ。それを救ったのは、やはり老女=鬼婆を演じた武谷公雄の存在だろう。かつての「特権的肉体論」に比べてひ弱であると(たぶん)されてきた現代の俳優の中から、圧倒的な技量を持った存在がついに現れたという感じがした。武谷はモノマネの名手でもあるのだが、そのモノマネの技によって、かつての名優の幻影を突破したのではないかとも思う。(詳しくは、6月末発売の「ele-king(vol.10)」という音楽雑誌に書きました。宣伝みたいで恐れいります。)

    杉原と木ノ下のコンビは、アフタートークでも夫婦漫才並みに息の合ったところを見せており、この完成度の高いトークもまたこの作品の魅力のひとつと見なしていいと思う。ただやっぱり作品そのものの感動だけで退出したかったかも……と感じた人もきっといたはずなので、作品が終わってからトーク開始まで、もう少し時間を設けてもいいのでは?、と感じた。

    彼らの試みは、歌舞伎を単純に破壊的に現代に移し替えるということではなくて、かなり丁寧に原作を読み込んでいるし、伝統芸能へのリスペクトを感じさせる心憎い目配せも随所に散りばめられている。稽古でまず歌舞伎版の完コピをした、という手法も活きていたと思う。

    音響(星野大輔)、照明(中山奈美)、衣装(藤谷香子)、といったスタッフワークも素晴らしかった。特に音響は、繊細さと、邦生演出ならではの爆音との両方を見事に実践し、豊かな音の空間を実現していたと思う。

    ネタバレBOX

    完成度は相当高いけれども、さらなる高みを望んであえて難を挙げるならば、武谷公雄の突出ぶりに比べてしまうとあとの4人が少し弱かった、というところ。老婆を際立たせるためだけに僧たちがいる、ということではない「黒塚」をやりたかったはずなので、だとしたら、他の俳優たちとその演出に対してはさらなる奮起を促したい。鬼婆と対決する僧役の夏目慎也はさすがの安定感を見せていたけれども、彼の実力からすればこれは当然いけるだろうという範囲にも思えるので(高望みでしょうか)、さらなる迫力を導くような演出が欲しかった。ダンサーの北尾亘はファニーで印象に残る動きを披露してくれたけれども、できれば、どうしても彼じゃなくてはならないと感じさせるほどのものを観たかった。大柿友哉と福原冠にしても(それぞれに魅力を持った人たちだと思うが)、引き出しはまだまだあるはず。

    劇中で、老婆の難解な言葉を翻訳してあげたり、エピソードを挿入したりと、わかりやすさを担保する親切設計になっていた。それ自体は全然悪いことではないけど、ちょっと説明過剰じゃないの?、と感じる部分もあり。観客が想像して行間を埋めていくような余地がもっとあれば、黒塚の寂寞とした感じはさらにひろがったかもしれない。

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    2013/06/19 01:51

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