雁次と吾雲
護送撃団方式
萬劇場(東京都)
2016/07/14 (木) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★
何かすごいもの観た感はあるものの…
主宰の關根さん(ふりがなつけませんか)を何度か観たことがあって、ちょっといいなと思ってたので、今回初めて本家の作品を観てみました。
結論から言うと僕はあんまりピンとこなかったというか、疲れました。
想像で補完しなければいけない情報が多すぎるためでしょうか。
そもそも護送撃団方式のwebサイトから引用すると
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観劇中、作品のメッセージを『伝える』のではなく、『渡す』。
つまり。
「お客様に作品の核心を一方的に見せず、様々な解釈の自由を持ってもらう」
「作品のメッセージを答えとして見せるのではなく、そのチラリズムを美学とする」
これらをコンセプトとした作品です。
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ということなので、やや観る人を選ぶのかもしれません。
僕は観劇において「察しがいい」方ではないので…。
熱いとか重いとかじゃない、何か「圧が高い」感じは確実にありましたが。
ミザンスや何か含め古式騒然とした演劇らしい演劇を作ろうとしすぎ?
もうちょっとエンターテイメント性が盛り込んである方が好みです。
ダンサーチーム4人の使い方はおもしろかっこいいですね。
ごく個人的には儚くも美しいヒロイン本間理紗が何パターンも見られてよかったです。袴とブーツ。昔かっ。
よかったこと
・全席自由
・3,800円のつもりで行ったら金曜だけ3,500円だった
・アンケート記入しやすいようにバインダーが用意されてる
よくわからなかったこと
・空調の温度設定22℃
もうちょっとがんばって
・SEのタイミング
・劇場のイスが固い
ネタバレBOX
まず冒頭から世界の描写があまり丁寧でなく、重要な要素であるはずの統治体制がよくわかりません。
フライヤー(デザインはともかく読みにくい)のあらすじによれば
「-大正-
それを思わせるような、かつての日本らしき虚実混濁の世界」
ということですが、舞台上、少なくとも視覚的には確実に日本の大正デモクラシー前後を思わせます。
その世界で、国を統べていると思しき大臣?がどういった背景でその地位につき、またどんな手続きを経て(一見簡単に)交代するのか、我々が受けた教育で知っている日本の状況とは明らかに異なる。(没落貴族や「新しい法律が制定される」過程など)
これは終始キーワードとなる「自由」に大きく影響してきます。
その自由なるものが民主主義の発展あるいは「公権力が私人に干渉しない」という、時代背景を踏まえた上での社会的な意味なのか、吾雲が持ち合わせていた「魂のありよう」(これがすべての災禍の源のように思えます)なんだかよくわからない。
そしてその自由という概念の取り扱いを何かごまかされたような気分のまま物語は終盤へ。
自由は生と死の両極端にしか存在しえないのでしょうか。
吾雲は本当に自由だったのでしょうか。
雁次は、白乃は自由になれたのでしょうか。
…とは思っても、
現代に生きる我々は自由なのでしょうか。
結局のところ自由とは何なのでしょうか。
とまでは思わない、ぐらいの「メッセージを渡された」具合でした。
ヘヤノゾキ
アフリカ座
TACCS1179(東京都)
2016/07/15 (金) ~ 2016/07/19 (火)公演終了
満足度★★★★★
AV女優だ舞台女優だってのは・・・
VIVID COLOR、初めて観た。正直、AV女優だ舞台女優、だってのはどうでもよくなった。結城リナが、わかみほが、早瀬ありすが・・・全員書ききれないけど、みんなAV女優ってのを言い訳にせず、それぞれが魅せるプロの演技をしていたと思う。
これは脚本と演出の成せる技なのかもしれない。そしてキャスティング。例えばモチャさんの役はモチャさんしかできないだろうし。「人の不幸は密の味」と言った時の顔は目に焼きついて離れません(^^ゞ・・・などなど。
とにかく100分間笑って飽きさせませんでした。そして最後は・・・
またノゾキます。
自分のものでもないくせに
松本奈三希 河野里咲子 卒業研究
桜美林大学・町田キャンパス 徳望館小劇場(東京都)
2016/07/15 (金) ~ 2016/07/17 (日)公演終了
満足度★★★★★
-
演劇・ダンスコラボで、どちらかといとダンスの要素が強い。劇場の中がさらに緑のフェンスで囲われた空間があり、その中に舞台を囲む配席。四人の出演者がセリフを交えながら踊る。展開のテンポや空間の使い方がちょうどよく心地よかった。客席が少なめで増設もできないので予約するのが無難。
大風呂敷
髭亀鶴
インディペンデントシアターOji(東京都)
2016/07/13 (水) ~ 2016/07/17 (日)公演終了
満足度★★★★★
今後も楽しみ
出演者のレベルも高いが、作・演出がいいとやはり違うことを再認識させられた公演であった。旗揚げ準備公演ということであるが、今後が楽しみな劇団である。ただ遅刻ギリギリや遅刻の客がとても多い。これは今後の対応の課題である。
羅馬から来た、サムライ 東京公演
THE REDFACE
スクエア荏原・ひらつかホール(東京都)
2016/07/13 (水) ~ 2016/07/15 (金)公演終了
満足度★★★★
声楽家がもったいない
しっかりした話で感動しましたが、声楽家のお二人(新宮由里さんと横山慎吾さん)の出番が何となく唐突で、ミュージカルというわけでもないのに突然朗々たる歌が出てくるのにちょっと違和感がありました。もっと芝居のなかで歌への前振りをしてうまく繋げばお二人の歌も引き立つのに、なにかもったいない感じがしました。
八月の森へ行こう
colorchild
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2016/07/13 (水) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★★
感動しました!
小道具を使ってないのに情景がイメージできて、
役者の方々の演技力に感動しました。
ストーリーも最初から最後まで飽きることなく
ワクワクしました。また見たいと思いました。
「贋・四谷怪談」
椿組
花園神社(東京都)
2016/07/13 (水) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★★
上演2日目観劇。
移動中にゲリラ豪雨に遭遇し、傘は差してても無意味だったw。全ての手荷物、衣類に靴と全身びしょ濡れ状態で神社に到着し、拭いても乾ききれない状態で荷物を預かってもらう事もままならず、テンションダダ下がりの中、観劇する事に。
再演という事だが、初見。
一幕辺りまで雷雨など雨音が効果音にされたような観劇だったが、よく感電しないもんだな。書き下ろし?の劇中歌が岩の伊右衛門への愛と悲哀を際立たせる。
色悪ピカレスクな伊右衛門の華麗な殺陣からの自業自得な七転八倒ぶり。お岩様登場したあたりから次第に弱まる雨音、この手の演目につきもの歌舞伎調のセリフまわしというのか、独特の言い回しになりやすいが、松本お岩さんは緩急のついた女性特有の一声二眼な言い回し、怨霊姿の緊迫場面からは、歌舞伎座だったら「高麗屋!」と大向こうかけられているかもしれない。
話の改変は特にないので、四谷怪談をざっくりとしか知らない人には初怪談狂言としてもってこいの演目。半径10km圏内で暮らしているんではないかと思うよな登場人物たち、知り合いに高確率で出会う話(違う)。
演出上、火攻めは規制が厳しくなっちゃたのか最近はあまり見られないが、他の公演と比べるわけではないが、この水攻めもなかなかの迫力。夏の芝居祭り、面白かった。
約2時間45分、休憩約10分あり。
ネタバレBOX
怨霊化した後に、着付けが左前の姿になっていたのが徹底しててわかりやすかった。
観劇した日は生憎の梅雨空炸裂で、雨音にセリフが掻き消され聞き取りづらい箇所はあり、また幾人かは台詞の抑揚と聞きやすさにバラツキを感じたが、それは舞台経験としての差なのかな。
2列程の桟敷席に指定席、2階には幕見風席、花道もあって今回の設営も目を見張るが平場続きの舞台設計の為、桟敷席の臨場感は体験出来ても芝居を見るには座席の方が良いかも。
前方席は水攻めの演出効果によりタオル置いてあったが、ビニールシートを常備してた方が良い気がする。スカート姿は観劇不向き。荷物預かりがあったのかは不明。
また、個人的な意見。
毎回思うが、一般客としては終演後の乾杯云々の連絡より、上演時間や座席設定の状況を予め告知してほしいのだが。
野外で飲むビールは美味いが、日によっては寒暖の差がでる日もあると思う、個人嗜好で常温飲料を希望する客もいると思うのだが、そこらへんのニーズはわがままなのかな。
リローデッド・ゲート【当日券あります!】
ZERO Frontier
ワーサルシアター(東京都)
2016/07/13 (水) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★
アクションがいいね
個人的には斬新さは見当たらなかったが、最後までテンポ良く役者も良かった。
ネタバレBOX
まず第一印象で損している-
アクションの見せ場が多い為、その分舞台装置がシンプルになるのは仕方ないのだが、やはりチープな作りに見えてしまうので役者は皆熱演なだけに全体としては勿体ない。
紙屋町さくらホテル
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2016/07/05 (火) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
満足度★★★
初見
再再演らしいが、今回が初見。
井上氏とこまつ座を当時から支えてきた思われる年代の観客が多く見受けられた。
実在した櫻隊に絡め、歌を交え芝居を作るが、次第に戦争の責任や功罪などが浮かび上がってくる。ホテル関係者とその利用者がみな善人、というか真っ当な人々の中にあって、唯一ヒールな役割である針生がその中で馴染む過程も面白い。
割と単調な一幕より、二幕めからの某歌劇団の例えに笑って見ていられるも多少ドタバタ感が強めに出ていたような。
尻切れになってしまう合唱場面に、戦争と人にまつわる惨状は訴えるより伝えていくのが生きる者の務めなのではないかなと思ったり。
八月の森へ行こう
colorchild
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2016/07/13 (水) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★★
楽しかったです!
みんなキラキラしてました!
無邪気だった子供の頃を思い出しました!
また観たいです!
月・こうこう, 風・そうそう
新国立劇場
新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)
2016/07/13 (水) ~ 2016/07/31 (日)公演終了
満足度★★★★
風
竹林の中を通り抜ける風。そして月の光。粛々と…静かに…輪廻転生…。人生を、生を感じながら、この世とは決められた枠の中をめぐるものなのかもしれないと改めて感じました。
八月の森へ行こう
colorchild
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2016/07/13 (水) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★
【[ビートル]バージョン】観劇
痛い。どこをターゲットにしているのか。
ネタバレBOX
30くらいになった作家がこれまでの自伝を書くに当たり中学生時代が曖昧で書けずに悩んでいたところ、同級生が現れ励まされながら考えていくうちに、当時仲の良かった女子中学生が鉄砲水で死んだこと、そしてその原因がダム開発決定前に土建業者が森林を伐採したことにあったことを鮮明に思い出し、これまで封鎖していた心の闇を認識し、改めて前向きに生きていこうと決意する話。
素舞台を強調、全員が白っぽい服を着て、樹木なども役者が演じる手法でした。前説で、カーテンコールの合唱のときには手を振るよう観客は要請されました。
15周年記念で、2000年の作品の再演とのことでしたが、樹木が後ろに去っていく様などは子供っぽく、若手劇団なら微笑ましくて良いのかもしれませんが実際に中年役者がやっているのを見ると見ていて辛く、題材も子供向けのような感じで、15年程経っての再演となると、このような演出ではどこをターゲットにしているのか中途半端に思えました。
素舞台等に拘るのではなく、主人公のように新たな段階に進展していってほしいと思いました。
第16回公演『大人』
劇団天然ポリエステル
中野スタジオあくとれ(東京都)
2016/06/30 (木) ~ 2016/07/03 (日)公演終了
満足度★★★★★
精神貴族
大人という単語には、本来人間として大きく、尊敬でき、人生の難事にも悠揚迫らす対応できるような大人物という意味も込められている。
ネタバレBOX
だが、単に年齢だけで大人、子供を分けるのみならず、こんな植民地で奴隷であることすら認識できぬ大人なんぞになって堪るか! そういうことは、下司と阿呆と「真面目」で再生産することしかできぬ人々に任せておけば良いのだ。人生の意味は己の生きる意味を認識することにある。孔子も言っているではないか。朝に道を聴けば夕べに死すとも可也、と。どんな個人も他者に成り代わることはできないのであるから。己の生きる意味は己の力で解き明かさねばならない。例え親の愛がどれだけ深く純粋なものであっても、アメリカやイスラエルの空爆を受けて脳漿の飛び散った3歳の女児の命に代えて親が被害を代替することはできない。断腸の思いで親は耐える他ないのだ。これが残忍な現実である。紛争地に関わってきた人はこのような事例をたくさん知っているし、当事者の幾人かの嘆きを直接聞き及んでいよう。イスラエルの閣僚に自分が嫌味を言った時には、中東諸国の外交官が、頗る適切なサポートをしてくれた。件のイスラエル官僚は、自分を恫喝して引き上げていったが。自分は未だ殺されていない。ざまあ見やがれ! 道理の通らないことに、このような反骨を示すことも大人の責任である。と同時に鹿詰らしい顔をして屁理屈と嘘で固めた文言を垂れ流しながら無責任極まりない政策を実行してゆく、安倍晋三や石破茂のような下司をキチンとからかうことも大人の責任である。選挙の公約などは破ることが前提の連中である。選挙運動での発言を信じろと言う方が無理というものである。
更に、梁塵秘抄の中で最も有名な一行“遊びをせむとや生まれけむ”という理想を実現すべく努力することも大人の責任である。これが実現できていないなら、或いはこのような理想を自ら望むことができないような精神状態で、そのことを揶揄されたら、詭弁でなくキチンと負うべきものを負い、全身全霊を傾けて実現に努力すべきである。
今作、一見、アナーキーなテイストに見せながら一本筋を通し、人間の優しさと優しさの持つ強さ、人としての嗜みを持った者たち同士の深く強い信頼関係を描いて心地よい。座付き作家役の若やんが悪戯っ気たっぷりだが、作家の集中する時は集中する姿勢と拡散している時に雰囲気迄吸収するキャラを描いている点もグー。
羅馬から来た、サムライ 東京公演
THE REDFACE
スクエア荏原・ひらつかホール(東京都)
2016/07/13 (水) ~ 2016/07/15 (金)公演終了
満足度★★★★
骨太なシナリオ
だが、若干かむシーンが多かったのは残念。
ネタバレBOX
寛文8年(1668)、屋久島に奇妙な侍姿の大男が漂着した。男の名は、ジョバンニ・バチスタ・シドッチ、高位の宣教師であった。島原の乱以降増々キリスト教弾圧を強めた鎖国中の日本へ来て堂々と自らの身分を明らかにした彼は捉えられ、翌年から江戸にあった切支丹屋敷に幽閉される身となった。彼はローマ法王から直々のミッションを与えられていた。そのミッションとは失われたアーク探しであったと言われる。何れにせよ、幕府としても疎かにはできない問題であり、吟味役として賢者の誉れ高い新井 白石が任じられた。
シドッチの高い知性に感じた白石は、数十年ぶりに日本を訪れた宣教師から世界の新たな情報を得ようとの考えもあってイタリア語の理解にも勤しんだ。高い教養を身に着けたシドッチにも白石の知能の高さは自ずと伝わり二人の間には互いを尊敬しあう関係が生まれていった。一方、シドッチの日常生活の世話を命じられた長介・はる夫婦が身に着けていた十字架を見たシドッチは、復活祭に当たって彼らに洗礼を授けてしまう。信仰は大切だとしながら、法では禁じられた受洗を受けたことで長介ははると共に自首し、囚われの身となってしまった。白石は彼らの助命の為に動こうとするが、事実が発覚した時、それは既に白石の力の及ばぬ所で進行していた。白石は、学ある者の勤めとして本を書く。書名は「西洋紀聞」優れた書物は、時を越え、所を超えて生き残ることを知っていたからである。座敷牢で亡くなった3人の人間に対する白石のノブレスオブリージュとレクイエムは、2014年4月4日切支丹屋敷跡から発見された3体の遺骨のニュースとなり、今作上演にも繋がった。
PASSION ∞ヘレンケラー「光の中へ」∞
アブラクサス
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/14 (木) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★★
やはり素晴らしい!
ヘレン・ケラーの生涯を凝縮して描いた公演...多くの劇団で公演しており、言葉を認識するまでの少女期、それ以降の社会福祉・反人種差別の活動に尽力したトピックを織り込み描いている。
ただ、自分の好みとしては、アン・サリバンとの関わりとその後の人生の観せ方に違いがあり、芝居としての一貫性がほしいと感じたが...。
舞台(美術)は素舞台に近い。あるのはテーブルと椅子が数脚。周りは暗幕で囲い、脚本・演出・演技で魅せる力作。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
「奇跡の人」(本作はヘレン・ケラーの物語で、アン・サリバンに関する部分は大幅に割愛)というタイトルで上演されることが多いが、それはヘレン・ケラーとアン・ーサリバンとの出会い、結びつきが中心に描かれる。その意味ではヘレン・ケラーの人生に大きな影響を与えた人間としての関わり、言葉の認識というプロセスが中心であり、その見せ場として井戸での水汲みシーンが有名である。本公演でもその描き方は他の劇団公演と変わらない。
前半・後半という括りをするとすれば、後半はヘレン・ケラーの社会、反人種差別に対する運動のトピックが紹介される。労働条件改善の訴え、南部黒人集会での演説や講演である。そしてライフワークになる社会福祉活動。自身の経験を踏まえた公演は、世界中へ。
この前半・後半を幽体離脱体験という形を挟むことで物語展開させたところも巧い。前回公演は、この場面がくどいようで違和感を覚えたが、今回は繋ぎに絞ったようだ。
前半はヘレン・ケラー(羽杏サン)とアン・サリバン(森下知香サン)との出会いと成長、後半はポリー・トンプソン(Azukiサン)を伴った活動に登場人物も含め軸が変わる。そこに時の経過が感じられる。もちろん役者陣の老齢していく容姿・演技もしっかり観える。
ヘレン・ケラーという女性の半生を過不足なく描いているという点では観応えがある。それを体現する役者、特にヘレン・ケラー、アン・サリバン、ポリー・トンプソンを演じた女優3人は素晴らしかった。
さて、自分の好みであるが、後半部分はヘレン・ケラーの人格形成を成し、その自覚に基づいた活動・運動を展開している。そこには出来上がった人物像があり、その人格を形成するまでのプロセスが観えない。前半の過程に対する感動が、後半では文献でも知れるような展開にしていたが...。上級学校に進学しての考え方、物の見方など成長する”過程”を力のある女優陣で観たい。また活動・運動を通して成長や人的交流があったと思う。彼女に限ったことではないが、人の成長…ヘレン・ケラーらしい違った感動がありそう。もっともポリー・トンプソンとの出会いは人格が形成され運動している時期であるから、物語の構成は相当工夫する必要があるが。
前回公演を凌ぐような力作。そこにヘレン・ケラーの年を追った人生経過(順々?)ではなく、芝居的な観せ方があったら、他団体・公演と一味違ったヘレン・ケラーの物語が観られそう。
次回公演を楽しみにしております。
PASSION ∞ヘレンケラー「光の中へ」∞
アブラクサス
調布市せんがわ劇場(東京都)
2016/07/14 (木) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★★
真実の持つ重み
構成の良いシナリオ、事実をベースに真実を表現した演出、役者陣の頑張り、何れもバランスよく物語を本質をキチンと観客席に伝える秀作。
ネタバレBOX
前半部を主にアンの教師としての資質の高さとその証明に費やしたとすれば、後半部では、アンの献身的な努力と超人的な粘り強さが、花開かせたヘレンの活動を中心に据え、寄る年波に徐々に弱っていくアンに対し偉大な個人として成長したヘレンを見せると同時に彼女の転換点となった幽体離脱体験を挟んで自然な物語展開にしている。と同時にヘレンの周りで常に彼女の将来を案じていた総ての人が望んだ寄る年波のアンのミッションを受け継ぐ理想的伴走者、ポリーとの出会いと経緯が、南部黒人集会での演説や反戦運動で講演の機会を失い出版機会も奪われ困窮する生活の中に描かれる。同時に、編集者、ピーターが、実は黒人の血を継いでいながら、肌の色が白人と変わらなかった為、白人として生きる為に自らを社会主義者と偽り、ヘレンの反差別主義を邪魔立てするようなデータをメディアに流し、彼の勤める出版社以外では彼女の本を出せないよう画策していた張本人であったという衝撃的事実が明るみに出る。この事実は衝撃的である。何故ならこの複合意識は現在のアメリカでも解決されていないからである。一例を上げておけば、数々の大ヒットを飛ばし大スターであったマイケル・ジャクソンが執拗に整形手術を繰り返したことと同根の問題だからだと指摘しておく。
ヘレン・ケラーとその名教師アン・サリバン、後にヘレンを支えることになったポリー・トンプソン。そしてヘレンの本を初めて出した編集者、ピーター・フェイガンらの人間関係を中心に当時のアメリカの世相、障害を持つ者に対する差別とその背景にあったWASPへの過剰な誇り及びWASPの建国事実に対する誤認識などをヘレンの両親との関係を通して描き出した秀作。聾唖者としてのヘレンに文字を教えるのに、指文字を用いたアンの卓抜な手法とその真摯な取り組みの背景には彼女自身の凄惨な体験があったという事実は、アンの想像力にヘレンの蒙っている現実の不自由、苛立たしさを推量させる契機があったということだろう。こういった想像力は、例えば公共施設にスロープを設ける、バスや電車の乗降口と電車のホーム、或いは地面との高低差、距離などをなるべく小さくする、駅にエレベーター・エスカレーターを設置するなど弱者への慮りが、ずっと蔑にされてきた日本でも、障碍者の権利獲得へのムーブメントやそれを支えた心優しい左派の想像力があったことと無縁ではない。またヘレンの将来を心配した父、アーサーがヘレンをボードビルショー(寄席)に出演させて自立を計ろうとしたこととも無縁ではない。(差別を肯定し見世物として人間性を否定することが、障碍者の生き残る唯一の方法だと考える悪しきリアリズム。この考え方には人間の尊厳の問題が無視されている。今作中ポリーを加えた3人がボードビルショーに出演して生活費を稼ぐが、彼女たちは人間の尊厳を守る為のパースペクティブを持ってそうしたのであり、アーサーのように差別を是認していた訳であいことは明らかである。)この辺りの事情は、映画、エレファントマンのモデルになったジョゼフ・エリックが長年見世物小屋を盥回しにされていた事実と合わせて考えてみる必要があろう。現代にも続く障碍者への差別を更に軽減し続ける為にも、健常者が用いるべき最大の知恵が他者の傷みに関わる想像力であることは今も変わらない。そしてこのような想像力を得る為に必要なことは、徹底的にバイアスを排し、事実を見る目を養い、事実を通してみた結果を合理的に検証して応用する力が最低限必要だという認識である。即ち優しさを実現するリアリストの目も必要だということだ。例えば福島第一原発人災後、多くの子供が鼻血を出した事実を否定するようなアホな言説に対してキチンと正しい情報を評価し擁護する態度が個々人になければならないのは当然のことなのだ。間違った情報を意図的に垂れ流す国際原子力マフィアに立ち向かわねばヒトの将来のみならず、全地球上の生命が壊滅的打撃を蒙るのは必定。心して掛かるべきなのである。このような応用こそ、この3人の偉大な女性たちが現代に生きる我らに託したものの内実であろう。
荒川、神キラーチューン
ロ字ック
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2016/06/29 (水) ~ 2016/07/03 (日)公演終了
初ロ字ックさん、拝見させてただきました♪
「2014グランプリ受賞作品が再演」との事、これは観なければ!
東京出張の夜、新幹線の終電がぎりぎりでしたが、劇団さんに「途中で退席するかも…」とお伝えしたら、親切にも出口近い席を用意してい頂きました。
ありがとうございます。
結局、想定通り途中で…、非常に残念でしたがラスト5分前に劇場を後にし、JRに飛び乗りました!
無事、新幹線の終電に乗れましたが、ラストが観られず非常に残念!
その後、ネタバレなどを拝見し「こう言うラストだったのか!」と納得しましたが…、やはり残念!
ラストを生で拝見していないので、今回、★を付けるのは控えます。
が、ラスト5分を除いた観劇の印象ですが(終電が気になっていたためが、又はグランプリ受賞作品への期待が大きかったからか…)、★4つぐらいの印象。
ただ、ラストが凄いそうなので、返す返す途中退席が残念です。
銀河のくそ野郎どもⅡ
バカダミアン
甘棠館show劇場(福岡県)
2016/07/08 (金) ~ 2016/07/10 (日)公演終了
満足度★★★
むむっ。
いろいろ、てんこ盛りの回。最初の話、病気の取り扱いがリアルに、笑いを入れながらも、ぶれない設定と演出でありました。
ただしヤクザを除く
笑の内閣
こまばアゴラ劇場(東京都)
2016/07/13 (水) ~ 2016/07/18 (月)公演終了
満足度★★★★
ヤクザの人権
ドタバタに笑っていると、結構マジな法律の話になって
「ほう!」「へえ、そーなのか」と感心してしまった。
「人権」に関する解釈など目からうろこの説得力。
底の浅い自己満足の人助けなど何の解決にもならないことを教えてくれる。
社会や政治家の矛盾、そして大衆の感覚にも疑問を呈する
その視点が素晴らしい。
ネタバレBOX
ピザマッチョの広島地区エリアマネージャーの住吉は
呉中央署の巡査部長稲川に呼び出され、
「今後ヤクザにピザを売らないように」と指導を受ける。
だが呉店に行ってみると、既に常連のヤクザから注文が入っており
今日は自分で取りにくるという。
正面からヤクザに話してみることにしたマネージャーだったが、
ヤクザにはヤクザの哀しい事情があった…。
B級のつくりとキャラで展開するのだが、
「ヤクザの人権を守ることが、全ての人の人権を守ることにつながる」
という視点が素晴らしく効いていて、そこがキモ。
誰からも好かれる人の人権は自然に守られるが、
「嫌われ者の人権は法律で守らなければ誰も守ってくれない」というのは
本当にそうだと思う。
容疑者への人権侵害、容疑者の身内への人権侵害、
不倫したタレントへの人権侵害…等々
社会は“好き嫌い”で人権を尊重したりないがしろにしたりする。
民主主義の未熟な社会においては、やはり法律で守る必要があるのだ、
という理論は説得力大。
ラスト、「ヤクザなんか辞めて普通の仕事をすればいいのよ」という皆の説得に
ヤクザが返す究極の一言で芝居は終わる。
「じゃ、元ヤクザを雇ってくれますか!?」
誰も答えられない、誰も解決できない、この問いがすべてという気がした。
アフタートークで高間氏が
「ヤクザという言葉を“演劇”に置き換えても通用するように書いた」
と発言していたのが可笑しかった。
紙屋町さくらホテル
こまつ座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2016/07/05 (火) ~ 2016/07/24 (日)公演終了
ちゃんと台本読めっ!
★…無星
初演は、新国立劇場の杮落とし公演として、故・井上ひさしの書き下ろし。
キャストは、神宮淳子が森光子、長谷川清が大滝秀治であった。
その後、神宮淳子を宮本信子にして再演。
アタシは、どちらの公演も観ている。
台本も買って愛蔵するほど大好きで、初めに購入したのは二つに割れて、現在は2冊目を愛読している。
今回の公演は、最低の出来。
ま、今回が初見だったり、作品を活字で読んでない方にとっては、それなりに楽しめる???のかもね……(謎)
あのねー、この程度の公演しか提供できないなら、いっそ再演なんかしないで欲しい。
あと、この程度の公演しか提供できないなら、こまつ座自体も先が見えてると思う。
だって、作品に対する真剣味や敬意や愛着が全く感じられないだもん!
「台本が良いから誰に演らせても、客は喜ぶっしょ!」くらいのノリで作ってないか?
作品を理解して、登場人物の性質や役割も理解して、これを演じられるだけの表現力のある俳優を連れて来るのがキャスティングなわけでさ。この俳優に、この役が出来るかどうかの篩がまったく機能しててないんだよ!昔のこまつ座は、この篩にかけてキャスティングしてたんだよね。
昨年末にNHKでやった「きらめく星座」にも言えるけど、冗談交じりの笑える科白を大真面目に言ったり、逆に大真面目に言って笑いを獲る科白を完全に殺しちゃったりと、台本分析の甘さからくる空振りが目立つ。
しがらみを優先してキャスティングを疎かにしたり、クオリティーを下げるなら、間違いなく観客に見離されると思う。
井上ひさしが描くのは、不器用でどこか憎めない。一生懸命やればやるほどなんか笑えちゃうみたいな愛すべき日本人の姿だと思う。
こういう登場人物を演じるには、ユーモアの解る俳優じゃなきゃダメでしょ!
最近のこまつ座は、この点を理解していないんだなぁ〜。
ひとつの科白を書いちゃ消し書いちゃ消しで、いつまでたっても台本が上がって来ない。練りに練った名作でならし、「遅筆」でなかせた井上ひさしも、これじゃあ泉下で泣いてるよ!
ネタバレBOX
まず、
始まりの長谷川と針生のシーン。
2人の視線が、一度も交わらないのが不自然。
長谷川は、自分は戦争犯罪人だ!って押しかけてるわけでさ。自分の要求を相手に呑ませようとする時、相手の顔なり眼なりを見据えるでしょ。視線を外して、斜め下を見ながら要求して、誰が聞くのかね!
「閣下は浮かれておいででした」以下の流れ。
2人に通い合うものは無いのかね?
ココって、2人の距離が一気に縮む所だと思うんだけど…。観ていて、何の変化も無い!
あと、もぉ〜科白回しがクサくてクサくて……。
まるで洋画のアテレコですよ(呆れ)
針生武夫が、なぜかニヒルなキャラクターになっている!?
不必要にカッコつけた科白回しとニヒルなキャラクターだから、ボソボソ言っててるだけで盛り上がらない。
このニヒルなキャラクター設定のおかげで、どれだけの笑いや山場が失われたことか……。
どうして針生がニヒルなキャラクター設定になるのかが、そもそも謎?
あのキャラなら、敗戦した時点で割腹すると思う(笑)