最新の観てきた!クチコミ一覧

5441-5460件 / 191565件中
いつかの日の

いつかの日の

こわっぱちゃん家

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

前半の公務員ならではの悩みから後半の急転が凄かったです。
今後無いとはいえない結末で考えさせられました。

音響劇『ドグラ・マグラ』

音響劇『ドグラ・マグラ』

半畳の宇宙

本妙院(東京都)

2025/05/03 (土) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「狂気」と背中合せの原作に、中川佐織女史の一人芝居は見合っており、「一人で演じる」という形態と「巡って自分に帰って来る」原作の構図もフィットしていた。その点で見ると今回はその要素が「薄まった」とは言える。
ただ今回の「音響劇」の趣向への挑戦は、買える。本坊院の本堂らしき空間で、金色の装飾品が天井から吊され、正面(内側)に豪奢な物々が積まれた奥に僧侶の像(これが玩具っぽい)が鎮座。
音と映像(水に墨を落した水面を背景に映す)を担う人は、僧侶の像の逆側のステージ側(正面扉を閉めた面)の脇に控え、俳優は女性五名と男性二名。二方客席に挟まれた8畳程度の床と、脚立で高低を用いるステージ側の狭いエリアを頻繁に行き来し、動き、物々しい声を発して一章から五章までを語り演じて行く。
趣向の構成は、恐らくは原作通り、各章が描く世界を最終的につなぎ合せ、記憶喪失の主人公が見た夢として振り返り、その中の人物がじつは自分自身であったとの認識に至る顛末(だったと思う・・以前映画で見た時の記憶と若干ズレる気がするが)、これを順序立てて語り上げるという、堅実な構成であった。

なべげん太宰まつり『逃げろセリヌンティウス』

なべげん太宰まつり『逃げろセリヌンティウス』

渡辺源四郎商店

ザ・スズナリ(東京都)

2025/05/03 (土) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ナベ源劇団員の顔をやはり拝むべし。と本作を観劇。(高校生による「駈込み訴え」の一日公演もかなり気になっており、予定を賢く組み替えれば観られたと悔いたが気を取り直し..。)

さてこちらは「走れメロス」の翻案らしいとは想像されたが、実に巧い・・と観ながら感じ入っていた(「走れメロス」を骨抜きにせず生かしながらも大胆な翻案になっている)。
パロディ要素がある故、自然笑いもそこここに入って来るが、個人的には胸熱である。ナベ源特有の簡素な、高校演劇仕込みの機能性重視の舞台で「感情移入」へのハードルが元々ある所、原作の精神が畑澤氏の走らすペンに乗り移ったかのような饒舌振り。青森と言えば「太宰」、だから太宰まつり、と前説で紹介されて気づいた事であったが、何という事もないその企画背景に妙に心くすぐられている自分がいた。
お薦め、と敢えて書いておく。

オールライト

オールライト

ポッキリくれよんズ

上野ストアハウス(東京都)

2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

初見でしたが、お見事です。その時代の話、映画を造る人たち、演劇部の生徒、映画やテレビドラマなどの映像では当たり前に出来る事なのですが、一つの舞台でこれをやりきるとは。演技も台詞回しも素晴らしい。こんな劇団があったなんて知らなかったな~。観終わった後DVDの予約とパンフレットを買ってしまった。まだ五月初めですが、自分の中では今年No.1の舞台でした。これからはこの団体さんを追いかけてみよう。

いつかの日の

いつかの日の

こわっぱちゃん家

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初観劇続きである。「ちゃん」の付く他の団体とごっちゃであったがこの度明確に識別した。好感度は高い。小劇場(狭い空間)ならではの工夫のある演出と、ビジネスライクな関係での相手を刺す(懐に入る)台詞が何気に巧い。家族や友人と異なる「仕事」上の人間関係はある固有な距離感を持つが、この要素を対立でなく融合のベクトルでドラマに組み込むてえのは、リアリズムにおいては難度が高いと思う所、そこを雄弁に書いている(中津留氏などとも少し違うテイスト)。若い俳優達も良い仕事をしている。

ネタバレBOX

本作のテーマは台詞に頻出する言葉を借りれば「いつもの(日々)」。舞台は場面によって交錯するが主に「市役所」の市民課窓口のエリア。現在進行形の日本社会という下敷の上に、成長や競争の局面にも言及しながら形作られる「いつもの日々」が、ささやかに、またそれなりに波乱を帯びて描かれ、一つの極点を示すのだが、これが大転換を経た情勢に置き換えられるとは想像もせず。
ただし様相を変えて浮き足立つ「いつもの日常」が着地のしどころを求めてドラマが足掻きながら歩を進めた末、前半から貫かれるテーマがやはり浮かび上がる。
近未来場面では「設定の緻密さ」がハードルとなる所、説明を尽せない部分は残ったとは言え、観客の想像が補うに足るテキストになっていたのではないか。
人間の志を高く引き揚げ得る人物の描写が、私には素朴に響いて来た。「まあ、あの市長は、何と言うか・・人格者だよね」と雑談交じりに女性職員が会話をする、その当人が登場すれば、饒舌にその所以を示す台詞を吐かせる。

しかしこの自分の受け止め方は一般的なものだろうか・・とふと思う自分がいる。世の中それなりにちゃんと回ってるんであって、目くじらを立ててる人は「何に文句を言ってるんだろう」(日本の治安は何と言っても諸外国に比べれば格段に高いし、貧困率は高いと言っても皆がスマホを持てる経済状況だったりするわけでしょ)・・そんな風に現状を飲んでいる人がこういうドラマを見たらどう見えるだろう、と。不要な「熱さ」が舞台に横溢していると見えたりするものか・・。
会場にはやはり若く、かつ素朴な風情を感じさせる人達が多く居て、雰囲気は上々であったが。
オールライト

オールライト

ポッキリくれよんズ

上野ストアハウス(東京都)

2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

セリフまわしも圧巻でした!役者さんがた皆さんとても上手いです。
3つの時代の交差、お見事でした!

あるアルル

あるアルル

やみ・あがりシアター

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2025/04/30 (水) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/05/04 (日) 13:00

座席1階5列

価格3,500円

とにかく緻密に計算されつくしていて、綻びが見当たらない。感想を書こうと分析をかければかけるほど、我々をあざ笑うかのようだ。なんだかすごいモノを観たと感じた。日本有数の英才が戯曲を書くとこうなるのか、というのが正直な心境だ。
強い主題やメッセージ性があるわけではない。わけのなからなさもない。いうなれば単純だ。だからこそその深淵に驚いてしまう。こんなに美しい円環があんなにコンパクトにまとまるなんて、本当にすごいことだ。
ところで、配役全てが重要な役割を担っており、主演と助演が曖昧。こんなに役者全員が輝いている舞台もなかなかない。これで再演をほとんどしないというのだから、よほど今後の作品に自信があるのだろう。作品が次々生まれるというのなら、再演をしている暇などないからだ。

ネタバレBOX

これは他の方の分析で判明したことだが、「あるある仙人」の住所は劇場の住所と同一であることは劇中ですぐわかる。が、舞台の場面の日時を追っていくと16年前→10年後→6年後と実はこの戯曲は今年を舞台にした話であることが分かり、なんと夜、昼、夕方、という場面はこの舞台の上演時間と日付に完全に一致することが判明した。
すなわち観客もまたこの舞台(=「あるアルル」)に導かれている、というメッセージになっている。
この戯曲は上演台本が無料で公開されたことで話題になったが(特に演劇関係者内で)、上記のことは上演台本を読み込むことで判明する事実である(例えば10年後であることは劇中で明示されていない)。
作者もまた「あるアルル」に導かれてつくったに過ぎず、だから見せているんだよ、と言っているかのようだ。
本当にすごいモノを観た。
ラクリマ、涙 ~オートクチュールの燦めき~

ラクリマ、涙 ~オートクチュールの燦めき~

SPAC・静岡県舞台芸術センター

静岡芸術劇場(静岡県)

2025/05/04 (日) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

静岡駅でゼロコ見てから、東静岡へ。

観てきました。

凄い、めちゃくちゃ面白い。

今まで美術館に行っても漫然ときれいだな、としか思わなかったものが、血と涙に見えてくる(苦笑

もちろん芸術作品や美しい作品群のそれぞれに血と涙が込められているのは、自分も大好きな板谷波山とかのエピソードとかもよく知っているのでもちろん全く知らないわけではなかったが、演劇で見て今まではそんなに身近に感じていたわけではなかったことに気づいた。

ここまでではないけれど、自分も美しいものに触れていたいという気持ちが強くて、花を育てているので、舞台に出てくる人たちの美への執着にわかるところが多い。今までこの世になかった美が目の前で触れながら立ち上がり形になる時間を一緒に過ごすことの興奮というのか。

美の殿堂、ビクトリアンアルバート美術館にしまい込まれるまで、いったいどれだけの職人の血と涙をこの布は吸い込んできたのだろう…。

それはもちろん布だけではないのだけど。

とにかく面白い。戯曲も買って読んでいるのだけど、面白いだけでなくて美しい。そして完成度が高く複雑であるのに、本当に面白い。現代の戯曲というのはこれほどのものなのか…。

この物語を観に来る、ということは、観客はだいたいたぶん美しいものに関心があるということだと思う。普通の観客たちと違ってそういった観客たちは、この舞台をみている間に、そうした自分が美しいと思うものたちと自分の関わりを思い浮かべているのではなかったのかと思う。それは刺繍とか絵画とか、明らかに手を使ったいわゆる『アート』といったものとは限らず、猫とか花とか、そういった自然が人類にもたらしてくれたものでも。もちろん僕もそうだった。

家で花や植物の手入れをしていると、よく近所のおじいちゃんおばあちゃんから綺麗だねって話しかけられるけれど、花にも品種を作ってきたガーデナーさんたちの苦労があり、土を混ぜる僕たちの、そして土のなかで僕たちや花を助けてくれる微生物たちの働きもあって、それで一瞬の美しさが生まれるのだと思うと素敵だなぁ、と思うことがある。

道の花の美しさは足腰が弱い人にも、お金がなくて散歩してるだけの人にも、仕事で目の前を通っただけのひとにも、等しく美しさに触れさせてくれて、世界の美を目のなかに届けてくれるから、素敵だと思う。

今まで人生を過ごしてきて、世間の人たちがちょっとお金を貰っただけで簡単に嘘をつく人たちばかりで、本当に心の中が醜い人たちで溢れかえっているのかということを身にしみて実感してくると、動植物や芸術作品の嘘のない美しさが本当に素晴らしいと思うようになってきた。

今回の物語もそれに似ている。

指先で美に触れるというのはそれだけ素敵な事なのだ。

他の人たちが自然の力を借りて産み出しこの世に送り出した品種を、やはり自然の微生物さんたちの力を借り、ご近所の高齢のお散歩さんたちの目を喜ばせるだけでこれだけ嬉しいのだから、ましてやこの世界に今まで存在しないか消えかかっていた美を、新たに付け加える喜びはまたより一層だと思う。

ラクリマで、涙によって形づくられた美しいものによって飾られるのは大英帝国の花嫁だった。観ていて僕も気づいたのだが、そういえば僕が花を育てるきっかけもよく考えたら少し似ているな、と思ったのだ。ぼくの母親は、綺麗な服で着飾ったりしないで、何十年も前の色あせた安いものばかり着ているのだが、僕はこの人は誰に見せても恥ずかしくないくらい優しくて嘘のない素晴らしいお婆ちゃんだと思うので、地味な格好をして目立たないのは勿体ないと思って、そのお袋の家の周りで僕が薔薇を育てているうちに、いつしか自分の家の周りも花の咲く植物ばかりなってしまった(でも花が咲きそうになるとお袋の家に置く、僕の周りを花で飾る必要はないので)。…でもそういったものだと思う。自分を飾るためにこしらえた美しいものは本当の美しいものではないのだ。残念ながら。

ネタバレBOX

当たり前の話なのだけれど、美しいもので、お金と権力のある自分を飾ろうとするのではなくて、他人の謙虚さ、誠実さや優しさを美しさで讃えて飾ろうとするから、アートは美術として存在するのではないかと思う。

それはこの戯曲が芸術作品として美しいことでもよくわかる。他者への優しさの視点がなく、ただの自己顕示欲しかなく権力や欲に塗れただけの美しさは、携わる人たちの悲しさを含む。

札束でビンタして金銀で飾ったものは、見た目が華やかなだけで美しくないのだ。

この物語を見ると、悲しいことにその大英帝国の花嫁はクレイジーな要求で自分の権威を見せつけるクレーマーでしかない。

この物語では、権力がなく(権力者たちに比べれば)貧しくとも、美に携わった人たちは決して権力の奴隷ではなかった。彼ら彼女らは美に魅せられた旅人で、そうした美の職人たちへの尊敬なしに、美しいものは決して生み出されない、そういう当たり前のメッセージを僕はこの物語で受け取った。メッセージ性のある演劇と言うと今では流行らないかもしれないが、それでもそんなことも抜きにしても面白い物語だった。普段は接点のない世界の物語だからだろうか…。

ただ同時にこの物語が美しさに携わる職人の人たちにもたらす教訓としては、美しいものを生み出す喜びに盲目的にしがみつくと、なんか気づくと家族が犠牲になってるということだと思う…(苦笑

僕たちは美術館に入る前に、美を産み遺してくれた先人たちと、その美を守り育ててくれた、なんかよくわからないけど、大名とか商人とか町人とか、そして何より職人たちに感謝しなければならないのかもな、とか思った。
Two Be or Not Two Be

Two Be or Not Two Be

祭文庫

小劇場 楽園(東京都)

2025/05/04 (日) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

良かったです。

叙情詩劇【失楽園】第一部「ゲットー」

叙情詩劇【失楽園】第一部「ゲットー」

エンギ シャB

テルプシコール(TERPSICHORE)(東京都)

2025/05/04 (日) ~ 2025/05/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

入場無料投げ銭制。
この公演は、叙情詩劇【失楽園】として第一部「ゲットー」第二部「mother」第三部「天国の朴」の三部作を3か月連続で上演し、8月には三部作の通し公演を予定しているという。謳い文句は「命を冒涜する生き方へ問いかける」と言ったところ。

物語は、時代や場所を錯綜させ 人間と社会の関わりを重層的に描き出す。人間の無知や傲慢等といった愚かしさ、その結果 社会は混乱・混沌とし世界は滅んでいく、そんな警鐘を鳴らす。一見、アングラ演劇のような 反体制運動や反商業主義が根底にあるような錯覚に陥る。何もない空間に 壮大にして独特な世界観を創り上げている。それは絵空事ごとではなく過去の悲惨な出来事を出発点にしている。

全体として 描き伝えたいことは解かる。場面と場面の繋がりは断続し、しかも入れ子のようであり劇中劇といった観せ方で、脈略を捉える(追う)ことが難しい。しかし逆に言えば、物語の混沌とした世界観は、舞台ならではの面白さとして感じることが出来る。少しネタバレするが、素舞台(丸椅子3つ)で役者4人(女優3人、男優1人)がその演技力で幾つもの世界を築いていく。しかも女優のうち1人は、交代で舞台技術(音響や照明)を担当する。世界(物語)の違いを表すために舞台上で瞬時に着替え、違和感なく次の場面へ、そして新たな人物像を立ち上げていく。その演技力は見事!
(上演時間2時間 休憩なし) 

ネタバレBOX

無政府状態に等しい混沌とした風景を切り取り、或る社会の裏面史を生活者の目線から見た批判・感覚劇。場景を断続しながら紡ぎ、不思議な構図 その階層を築いていくようだ。

時は近未来。ランとスーは「motherの後継者」として無限の次元を冒険している。今の次元は2人で演劇活動を行っている。生と死を消費している世界において、市民1人ひとりの人生は社会に適応出来なければ隠遁しろと迫る。現実を見れば、mee too運動やコロナ禍 騒動など、全体正義の同調圧力に苛まれている。スキャンダルやハラスメントの告発は、それ自体深刻な問題であるが、それがSNSやメディアにかかれば正義というエンターテイメントによって陳腐なものになる。ハラスメントの告発は正しくても、セカンドハラスメントは卑猥で好奇に晒される。

一方、富士山の裾野に広がる青木ヶ原の樹海では、政府の人間再生施設「ゲットー」が開発され、人々は 社会で生きるか、死のどちらかを選択する「再生プログラム」を受けていた。そこに居るMとラン、スーとの出会いを通して生とは何かを考える。究極の選択は、ある意味 戦時中であり倫理感の欠けた自己中心的な考えであり行為。生きる者は強者であり 死を選ぶ者は弱者、まさに資本主義社会の構図に近い。ここでは反転した世界を描こうとしているようだ。争いの果てにある「核」は全てを滅ぼすといった警鐘を鳴らす。

物語が展開するとメタメッセージのような。場景を交錯というか入れ子のように描くため、何を訴えているかを考えながら筋を追うことになる。いや 逆に筋を追いながら考えている。鮮やかに区切られていく時間と情景ー今の次元 2人の演劇活動では、劇中劇のような様相の中で 社会の問題を点描している。ハラスメント・me too運動そして倫理感の欠如などの連鎖と拡散、その先の見えない不気味さ 怖さ。その言い表し方が難しい世界観、それを役者4人が熱演していた。
次回公演も楽しみにしております。
~喜楽に落語~ ハルカス寄席

~喜楽に落語~ ハルカス寄席

近鉄アート館

SPACE9(大阪府)

2025/05/01 (木) ~ 2025/05/29 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ナオユキさんの漫談も良い味出してますね♪

第12回本公演「嫌いな上司のプレゼントを買わなくちゃ」

第12回本公演「嫌いな上司のプレゼントを買わなくちゃ」

劇団マカリスター

駅前劇場(東京都)

2025/05/03 (土) ~ 2025/05/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度

鑑賞日2025/05/04 (日) 18:00

価格5,500円

ifストーリーが繰り返される形式。特に前半は間延びするシーンが多く退屈。後半の展開はスピーディで良かったが、どのキャラクターもパーソナリティがはっきりせず、行動の理由を理解できない。言い合いになるシーンも心に刺さるセリフはなく、日常会話を見ているにすぎない。3000円以下なら納得だが、5500円出して見るのは苦痛。

いつかの日の

いつかの日の

こわっぱちゃん家

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2025/05/01 (木) 19:00

初日拝見しました。本当に良かった!前半から後半への切り替えがすごかった。良いお話で演者さん全員の魅力が引き出されてて笑えるシーンも沢山あったけど沢山泣きました。
観れて良かったです。
千穐楽も観に行きます。

『ドン・キホーテ・・・狂気を演じ続けて・・・』

『ドン・キホーテ・・・狂気を演じ続けて・・・』

劇団クセックACT

愛知県芸術劇場 小ホール(愛知県)

2025/05/02 (金) ~ 2025/05/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★

鑑賞日2025/05/03 (土) 18:00

普通の舞台とは違うから、私的にはちょっとむずかった。

ワトソンとスィートホームズ/皆目見当がつかない

ワトソンとスィートホームズ/皆目見当がつかない

かーんず企画

シアター711(東京都)

2025/05/02 (金) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「皆目見当がつかない」を観劇しました。
リアル感のある内容で、テンポ良い展開で、あっという間の時間でした。
人は誰もが何かしら嘘を付いていて、良い嘘も悪い嘘もあるという事を再認識しました。
役者さん達の元気の良い演技も良かったです。
面白かったです。

あるアルル

あるアルル

やみ・あがりシアター

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2025/04/30 (水) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

2回目。
全体像と筋書きが判っているので、それ以外に気を配って観ることが出来た。個人的に世話になった人が最近亡くなったこともあり、大槻ケンヂ的感傷で今作を眺める。死んだ人間の存在の喪失感を埋めることなど果たして出来るのか?

いずれ人は死ぬ。遅かれ早かれ消えて無くなる。足掻いても悔やんでも嘆いても人は死ぬ。筋肉少女帯の『リルカの葬列』に挿入された中原中也の詩、『春日狂想』。

「愛するものが死んだ時には、
 自殺しなけあなりません。

 愛するものが死んだ時には、
 それより他に、方法がない。

 けれどもそれでも、業ごふ(?)が深くて、
 なほもながらふことともなつたら、

 奉仕の気持に、なることなんです。
 奉仕の気持に、なることなんです。」

梶川七海さんは正しくヒロイン。
脳外科医・渋木耀太(ようた)氏の水商売の女を徹底的に見下したスタンスが大受け。

作家の細やかな優しさが会場中を覆っている。スタッフの高潔な人間性に感銘を受けた。優しい空間。

多分、三ノ輪駅近くの薬局だったと思う。ずっと前、お母さんが「ひまわり、ひまわり」と幼い娘を呼んでいた。凄い名前だな、と当時思ったものだ。

ネタバレBOX

一番、美しいシーンはスナック「リュミエール」に戻って来た梶川七海さん。自分がママ(川田希さん)から愛されてきたのは亡くなった娘に似ていたのが理由だったことにショックを受けている。言い合いになり、涙を零す川田希さん。
「ママ、泣かないで。」と涙ぐむ梶川七海さん。それを強く抱きしめる川田希さん。

前回、何で今作がイマイチに感じたかの理由が分かった。あるある仙人のお告げを出せるのが一日一回だからだ。その為、話の展開に時間が掛かる。もっとテンポよく進む筈の話が無理に時間を引き延ばすこととなる。(笑いも勘違いのズレばかりで弱い)。

斎藤ヒロシは予知能力者だった。一日一回、正午の時だけ、この世の全てを見通せる。彼女だった山本わかばを捨て、すぐ乗り換え結婚した相手は美大卒の渡辺ひまわり。だが、ひまわりは6年前に自殺してしまう。彼女は闇バイトでアーティストの遺体を扱った裏仕事をしていたが、取り返しのつかない失敗を犯してしまい自殺。南フランスのアルルに組織の本部があり、彼女の遺体遺品は全てそこに送られた。その詳細を何も知らされていない斎藤ヒロシは自室で廃人となった。理由も分からず自殺した妻の『あるある』を日夜探し続ける狂人。どれだけ彼女のことを考え続ければ解放されるのか?救われるのか?許されるのか?

amazarashi『小市民イーア』

絶望込めるシリンダー 汗して暮らす小市民だ
たった一つでいいんだ 冴えたやり方をしてイーア
守る為に切り捨てたんだ その結果に胸は痛むか?
次はきっと僕等の番だ 絞首台で笑って待つか?

暗い時代には明るい歌が流行するんだって
それは遠い星での話 音楽がそれじゃ耐え難い
恋焦がれて夢を見たんだ 救ってくれたのはロックスター
胡散臭い成功者が作る日陰は焼け野原

※この曲のリフは勿論、ブルーハーツ『未来は僕等の手の中』、更にその元ネタのリフはシャム69の『Rip Off』。ちなみに『チェインギャング』の元ネタはクラッシュの『いかさまカード師』。
いつかの日の

いつかの日の

こわっぱちゃん家

アトリエファンファーレ東新宿(東京都)

2025/05/01 (木) ~ 2025/05/05 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

おっと、こんな展開になるとは驚き。丁寧なストーリーとセリフにのめり込んでいましたが、ガツンときましたね。下手に書くとネタバレになりそうですが、とにかくおススメです。

女子と算数

女子と算数

NICE STALKER

ザ・スズナリ(東京都)

2024/12/25 (水) ~ 2024/12/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/12/29 (日) 14:00

12月29日〈日〉14時公演を鑑賞。
受付の際にいきなり一部返金があって「なに?」と思ったのですが、
劇が始まってようやく分かりました。
主役の方が体調不良で降板されて、代わりに等身大の段ボールが登場、
声を女性のキャスト(代役)が務めるということでした。

でもそういった変更を忘れてしまうほど、劇に吸い込まれました。
「自動計算機」をめぐるテーマと、「初恋」の成就というテーマから
ストーリーが展開しました。
数学大嫌い!の私としては、数学女子が輝いて見えました。
楽しかったです。
一緒に行った中学生の娘も満足していました。

明日、泣けない女/昨日、甘えた男

明日、泣けない女/昨日、甘えた男

株式会社テッコウショ

シアターサンモール(東京都)

2025/05/03 (土) ~ 2025/05/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度

ネタバレ

ネタバレBOX

北海道の漁師町での様々な問題を描くが、全く回収せずに終わらせている。
どうしたらこのような戯曲が書けるのだろうか?
何を演出したいのだろう?
これじゃ、熱演する俳優陣が可哀想だ。
散らかした話を回収せずに、面白く展開出来るのは長塚圭史のみだ
そんな中で、関幸治という役者の上手さはピカイチだ。
Two Be or Not Two Be

Two Be or Not Two Be

祭文庫

小劇場 楽園(東京都)

2025/05/04 (日) ~ 2025/05/06 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

言葉は平易で 難しいと言う訳ではないが、自分には なかなか手強いといった印象の物語。内容は「ここは獄 囚われの宗教家の男と、獄吏の女 2人が織りなす会話劇。2人は出会い、響き合い、そして何処に行くのか」の通りだが、その会話が哲学的というか観念的で、「人間は何故生きるのでしょうか?」と問い掛けてくる。場所は、獄舎という逃れられない小さな空間、それを皮肉にも”楽園”という劇場に見立て緊密に紡いでいく。たびたび出てくる言葉「価値観を変える」は、人の心そのものを意味し、それまでの生き方を見直すということ。

手強いと感じるのは、この世界観である。過去なのか未来なのか判然としない、その足元が定まらない不安さが心をざわざわと落ち着かせない。立場や生き方が違う2人、相容れない会話がヒリヒリとした痛みとなって伝わる。綴られたその終点の見えない旅は、観る者の胸に深い爪痕を残し…そして「その先」を想像させるような。獄や刃物というリアルな場所や小道具にも関わらず、抒情的とも思える演出が特徴的だ。観客を選ぶ公演かもしれない。
(上演時間1時間10分 休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、舞台と客席の間に蠟燭を均等に置き火をつける。水が入った樽桶、奥に古書らしきものが数冊。登場人物は宗教家と獄吏の2人。ただ、上演前に体躯のよい男が舞台上で寝転び、古書を水の入った樽桶へ捨てようとするが 躊躇している。物語が始まり 蝋燭は消される。

宗教家は既に獄舎に収監されており、獄吏によって処刑されるのを待つばかり。何の咎で捕まったのか明らかでなく、重要視していない。むしろ「人間は何故生きるのか」といった生き様の問答に主眼がある。前任の獄吏は、宗教家との問答で精神を病んだが、今の獄吏は処刑することを苦にしていない。その強靭な精神力が宗教家の歓心(関心)を買う。

宗教家と獄史の生き様は対照的で、赦しの有無そのもの。だからこそ獄史は躊躇なく処刑してきた。その手は血に染まり 臭いは消えない。樽桶の水で手を洗うが、しみ込んだ血臭は獄史の体臭のようなもの。その得体の知れない不気味さ、それがジワジワと獄史の精神を蝕んでいく。一方、宗教家は母との辛い思い出、そのトラウマに苦悩している。言われるままに処刑してきた獄史、そこに何ら迷いはなかったが、宗教家の無条件の赦しに心が揺らぐ。

獄史は宗教家にナイフを突きつけるが、処刑することが出来ない。宗教家は獄史の手を取り自らナイフで刺す。生きるとは 怒り傷つけ、そして癒し赦しといった感情の繰り返しであろうか。ハムレットの有名な台詞を思わせるようなタイトル、そこに込めた思い願いは何か。普遍的とも思えるような物語は、現代において どのようなことを訴え伝えようとしているのだろうか。その曖昧とした問が、自分の中で消化できていない。分かることは<救いを求められ、ゆえに救いの道へ>、それが獄史の旅立ちのよう。

舞台技術は、獄舎という狭く薄暗い空間、その重苦しい中で宗教曲のような音楽が流れる。ラスト、獄史はフードを被り スモークが立ち込める中、劇場(楽園)の重い中扉を開け、その先から光が差す といった効果と余韻付けは好かった。

このページのQRコードです。

拡大