ラクリマ、涙 ~オートクチュールの燦めき~ 公演情報 SPAC・静岡県舞台芸術センター「ラクリマ、涙 ~オートクチュールの燦めき~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    静岡駅でゼロコ見てから、東静岡へ。

    観てきました。

    凄い、めちゃくちゃ面白い。

    今まで美術館に行っても漫然ときれいだな、としか思わなかったものが、血と涙に見えてくる(苦笑

    もちろん芸術作品や美しい作品群のそれぞれに血と涙が込められているのは、自分も大好きな板谷波山とかのエピソードとかもよく知っているのでもちろん全く知らないわけではなかったが、演劇で見て今まではそんなに身近に感じていたわけではなかったことに気づいた。

    ここまでではないけれど、自分も美しいものに触れていたいという気持ちが強くて、花を育てているので、舞台に出てくる人たちの美への執着にわかるところが多い。今までこの世になかった美が目の前で触れながら立ち上がり形になる時間を一緒に過ごすことの興奮というのか。

    美の殿堂、ビクトリアンアルバート美術館にしまい込まれるまで、いったいどれだけの職人の血と涙をこの布は吸い込んできたのだろう…。

    それはもちろん布だけではないのだけど。

    とにかく面白い。戯曲も買って読んでいるのだけど、面白いだけでなくて美しい。そして完成度が高く複雑であるのに、本当に面白い。現代の戯曲というのはこれほどのものなのか…。

    この物語を観に来る、ということは、観客はだいたいたぶん美しいものに関心があるということだと思う。普通の観客たちと違ってそういった観客たちは、この舞台をみている間に、そうした自分が美しいと思うものたちと自分の関わりを思い浮かべているのではなかったのかと思う。それは刺繍とか絵画とか、明らかに手を使ったいわゆる『アート』といったものとは限らず、猫とか花とか、そういった自然が人類にもたらしてくれたものでも。もちろん僕もそうだった。

    家で花や植物の手入れをしていると、よく近所のおじいちゃんおばあちゃんから綺麗だねって話しかけられるけれど、花にも品種を作ってきたガーデナーさんたちの苦労があり、土を混ぜる僕たちの、そして土のなかで僕たちや花を助けてくれる微生物たちの働きもあって、それで一瞬の美しさが生まれるのだと思うと素敵だなぁ、と思うことがある。

    道の花の美しさは足腰が弱い人にも、お金がなくて散歩してるだけの人にも、仕事で目の前を通っただけのひとにも、等しく美しさに触れさせてくれて、世界の美を目のなかに届けてくれるから、素敵だと思う。

    今まで人生を過ごしてきて、世間の人たちがちょっとお金を貰っただけで簡単に嘘をつく人たちばかりで、本当に心の中が醜い人たちで溢れかえっているのかということを身にしみて実感してくると、動植物や芸術作品の嘘のない美しさが本当に素晴らしいと思うようになってきた。

    今回の物語もそれに似ている。

    指先で美に触れるというのはそれだけ素敵な事なのだ。

    他の人たちが自然の力を借りて産み出しこの世に送り出した品種を、やはり自然の微生物さんたちの力を借り、ご近所の高齢のお散歩さんたちの目を喜ばせるだけでこれだけ嬉しいのだから、ましてやこの世界に今まで存在しないか消えかかっていた美を、新たに付け加える喜びはまたより一層だと思う。

    ラクリマで、涙によって形づくられた美しいものによって飾られるのは大英帝国の花嫁だった。観ていて僕も気づいたのだが、そういえば僕が花を育てるきっかけもよく考えたら少し似ているな、と思ったのだ。ぼくの母親は、綺麗な服で着飾ったりしないで、何十年も前の色あせた安いものばかり着ているのだが、僕はこの人は誰に見せても恥ずかしくないくらい優しくて嘘のない素晴らしいお婆ちゃんだと思うので、地味な格好をして目立たないのは勿体ないと思って、そのお袋の家の周りで僕が薔薇を育てているうちに、いつしか自分の家の周りも花の咲く植物ばかりなってしまった(でも花が咲きそうになるとお袋の家に置く、僕の周りを花で飾る必要はないので)。…でもそういったものだと思う。自分を飾るためにこしらえた美しいものは本当の美しいものではないのだ。残念ながら。

    ネタバレBOX

    当たり前の話なのだけれど、美しいもので、お金と権力のある自分を飾ろうとするのではなくて、他人の謙虚さ、誠実さや優しさを美しさで讃えて飾ろうとするから、アートは美術として存在するのではないかと思う。

    それはこの戯曲が芸術作品として美しいことでもよくわかる。他者への優しさの視点がなく、ただの自己顕示欲しかなく権力や欲に塗れただけの美しさは、携わる人たちの悲しさを含む。

    札束でビンタして金銀で飾ったものは、見た目が華やかなだけで美しくないのだ。

    この物語を見ると、悲しいことにその大英帝国の花嫁はクレイジーな要求で自分の権威を見せつけるクレーマーでしかない。

    この物語では、権力がなく(権力者たちに比べれば)貧しくとも、美に携わった人たちは決して権力の奴隷ではなかった。彼ら彼女らは美に魅せられた旅人で、そうした美の職人たちへの尊敬なしに、美しいものは決して生み出されない、そういう当たり前のメッセージを僕はこの物語で受け取った。メッセージ性のある演劇と言うと今では流行らないかもしれないが、それでもそんなことも抜きにしても面白い物語だった。普段は接点のない世界の物語だからだろうか…。

    ただ同時にこの物語が美しさに携わる職人の人たちにもたらす教訓としては、美しいものを生み出す喜びに盲目的にしがみつくと、なんか気づくと家族が犠牲になってるということだと思う…(苦笑

    僕たちは美術館に入る前に、美を産み遺してくれた先人たちと、その美を守り育ててくれた、なんかよくわからないけど、大名とか商人とか町人とか、そして何より職人たちに感謝しなければならないのかもな、とか思った。

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    2025/05/04 22:08

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