マリンバの観てきた!クチコミ一覧

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ローザス「ツァイトゥング Zeitung」

ローザス「ツァイトゥング Zeitung」

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2009/11/27 (金) ~ 2009/11/29 (日)公演終了

満足度★★★★

アフタートークは聞かなかった
映像も含めて、これまでに見たローザスの作品の中ではかなり好きなほう。
上演時間は2時間弱。開演前はずいぶん長いと思ったが、始まってからはあまり気にならなかった。



ネタバレBOX

出演者は9人。国籍が多彩で、その点では今年亡くなったピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団を連想させる。ただし、ヴッパタール舞踊団のメンバーよりもこちらのほうがずっと踊れる人が揃っている感じ。
出演者の中では古株といっていい池田扶美代が唯一の日本人ダンサー。一人だけハイヒールの赤い靴を履いていて(他のダンサーは素足)、動きの面では若いダンサーとの競合をはなから避けているようだった。ダンサーが群れ集う場面では、素足の中にハイヒールが混じっているのでヒヤヒヤした。踊る凶器というか、彼女はローザスの秘密兵器だった。顔立ちがニブロールの矢内原美邦に似ていると感じるのは私だけだろうか。ついでにいうと、ローザスの韓国人ダンサーであるスーヨン・ヨウンは、ヴッパタール舞踊団の日本人ダンサー、瀬山亜津咲になんとなく似ている気がする。

舞台の下手奥にはピアノが一台。立て看板ふうの舞台装置がいくつか後ろ向きのまま三方の壁際に間隔をあけて並んでいる。座った席が最前列だったので、見上げると高い天井に組まれている照明器具設置用の骨組みが複雑に入り組んでいるのが見える。そして舞台の両端に置かれたいくつかの椅子。全体としてはダンスの稽古場のような雰囲気が感じられた。音楽はアラン・フランコという人がピアノを演奏したほか、録音も使っていた。バッハは何曲か聞いたことがあるが、シェーンベルクは名前だけ、ウェーベルンは名前も知らなかった。聞いていてわかったのは、クラシックと現代音楽がともに使われていて、ダンスといっしょに聞くぶんにはまったく抵抗がないということ。

ダンス作品で使われる音楽は、踊りの伴奏だったり、作品の雰囲気を盛り上げるBGMだったりすることが多いと思うが、一部の振付家は音楽をもっと積極的に聞き込んでいて、ダンスの振付と音楽の関係もより密接なものになっている。いってみれば、聴覚的な刺激である音楽をダンスによって視覚化していると感じられる。ジョージ・バランシンやナチョ・ドゥアトの振付がそうだと思うし、ローザスの振付家であるアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの作品にも同じことがいえるのではないだろうか。
ダンスを通して音楽を見ている感じ。それさえあれば、ドラマ的なものを別に想像しなくても最後まで退屈せずに見ていられる。

劇場でもらったプログラムを見ると、即興も行われているらしいが、まったく気づかなかった。ただ、コンタクトがほとんどないなかで、ロシア出身の男女が終盤で猛烈に絡み合っていたところがコンタクト・インプロビゼーションぽいかなと感じたくらい。最前列の座席だとソロダンスの場合はともかく、複数のダンサーが踊るときには見づらくなったりするものだが、各ダンサーのソロも用意されていたので充分に満足だった。

序盤で色付きの紐を使って距離を測るみたいな動きがあったり、大勢が舞台上をわらわらとあちこちへ移動するだけという場面もあったが、そのどちらもちゃんと音楽と連携しているのがわかった。





VACUUM ZONE

VACUUM ZONE

Dance Company BABY-Q

シアタートラム(東京都)

2010/03/05 (金) ~ 2010/03/07 (日)公演終了

満足度★★★★

リヴェンジな再演
公演中に怪我をして、中断された因縁のある作品の再演。私は幸い初日に出かけたので前回も見ることができたし、忘れていた部分も含めて、今回は初演以上に面白かった。

孤天 第二回「ボクダンス」

孤天 第二回「ボクダンス」

コマツ企画

APOCシアター(東京都)

2009/12/03 (木) ~ 2009/12/07 (月)公演終了

満足度★★★★

孤独天国
コマツ企画の役者である川島潤哉による自作自演の一人芝居。その第2回公演だが、見るのはこれが初めて。
劇団の役者として活動してきた人が、ふいに自分でも脚本を書いて一人芝居を始めるというのはかなり珍しいケースではないだろうか。
脚本の書き手としてはまったくの未知数だし、あくまでも役者としての魅力に引かれて見に行ったのだけど、フタをあけてみると芝居の内容が予想外に面白かったのでちょっとビックリした。







ネタバレBOX

寝言で「ドストエフスキー!」と叫ぶ人はいるかもしれないが、くしゃみでそう言ったのはこの芝居のキャラクターがたぶん初めてだろう。
て

ハイバイ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2009/09/25 (金) ~ 2009/10/12 (月)公演終了

満足度★★★★

孫の手ではなく、祖母の手だった
再演を初見。これは面白かった。祖母の死を軸にして、集まった家族の肖像が描かれる。作者の岩井秀人があちこちで語っているところから判断して、内容は彼の家族のことを描いた実話がベースの作品だろう。少なくとも、こちらはそういうつもりで見た。

ネタバレBOX

父親の暴君ぶりが家族全体に暗い影を落としている。ドメスティック・ヴァイオレンスの一例といっていいのではないだろうか。妻と4人の子供。子供は男女二人ずつ。作者に相当する人物は次男だろう。90歳を過ぎてだいぶボケの症状が出てきた祖母。彼女の見舞いを兼ねて久しぶりに家族全員で集まろうといいだしたのは長女らしい。両親の家と祖母の住む家が分かれていて、家族は祖母の家に集合。カラオケ大会になる。子供のころにずいぶん父親から暴力を振るわれた子供たちも今は成人している。同等に父親の暴力をこうむったようでも、その程度や受け止め方には個人差がある。わきあいあいと宴が進むはずもなく、軋轢が生じるたびに、家族の関係が観客の前に提示されていく。その夜、祖母が息を引き取る。そしてキリスト教の神父だか牧師による葬儀が行われる。

葬儀を軸にした家庭劇というのはそれほど珍しいものではないが、描き方の点で面白いのは、まず作者である次男の視点で一連の出来事を描いたあと、たぶんだいぶ経ってから作者が家族にあれこれと取材したのだと思う、当時の家族の行動を追加して、葬儀前後の出来事を再構築していることだ。したがって同じ場面が別の角度から再び描かれたりする。映画で今思いつくのは、ガイ・リチー監督の「ロック・ストック&ツゥー・スモーキング・バレルズ」あたり。実話だという強みに加えて、この独特の構成が作品を非常に面白くしている。ただ、やはりいちばん興味を引き付けるのは家族そのもののユニークさ。

家族に与えた影響の深刻さがまるで理解できていないように思える父親の頑迷なまでの厚顔さ。祖母と過ごす時間の長かった長男が長女との口論の中でにじませる祖母への思い。母親が娘に語る忍従の理由と、夫へ離婚を切り出すときの呪詛にも似た決別の言葉。どれも印象深い。

脚本というよりも演出面だと思うが、母親役を男優が演じたり、90過ぎの祖母を若い女優が演じたりしている。笑いを取ろうとか、深刻さを和らげようとか、そういう意図でやっているのかもしれないが、個人的にはまったく不必要だと感じた。いったんこの家族の深刻な関係に興味を覚えてしまうと、笑いなどは全然必要なくて、とにかくこの家庭劇の顛末が知りたくてしかたがなくなるのだ。母親を演じる男優がときどき男っぽい地を出した演技をしたときに客席から笑い声が起こっていたが、そういうときでも私はまったく笑う気がしなかった。思うに、母親役だけを男優が演じているというのは、何か特別な演劇的効果をねらったとかそういうのではなくて、単に母親への思い入れが強すぎることからくる、作者の一種の照れ隠しではないかと思う。もしこの作品が映画化されるとしたら、おそらく普通に歳相応の配役がなされるだろう。そう考えると、これはあくまでも舞台劇ならではの演出ということになる。

役者はおおむね好演だったが、特に父親の猪俣俊明、長男の吉田亮、長女の青山麻紀子がよかった。
スリープ・インサイダー(ありがとうございました!またいつか!)

スリープ・インサイダー(ありがとうございました!またいつか!)

boku-makuhari

アトリエヘリコプター(東京都)

2010/03/26 (金) ~ 2010/03/31 (水)公演終了

満足度★★★★

化ける
観劇後、1週間が経ってしまった。どうも感想の書きにくい作品。
2部構成、どちらも上演時間は1時間強。役者は4人。奥田洋平、青山麻紀子、高屋七海、佐藤幾優。

役者がしゃべる台詞のやりとりを聞いていても芝居の状況や人物の設定が最後まではっきりわからないという意味では難解な作品だった。たとえば阿佐ヶ谷スパイダースの「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」なんかは、難解さが見る側にとってかなりストレスだったけれど、この作品のわかりにくさはそれほど苦痛ではない。

プログラムに載っている作者のあいさつ文によると、ストーリー(物語)を得ようとすると転覆するおそれのある作品らしい。音楽やダンスや絵画のように、全体を眺めてそこから浮かんでくる個人的な感覚や思いに浸ってほしいと作者はいっている。

青年団に在籍していた頃から、岩崎裕司の作品には青年団的なリアルさには収まらない、内省的な要素が強く感じられたので、舞台装置も抽象的な、あるいは簡素なものがいいと思っていたのだが、青年団を辞めてから4年ぶりとなる今回の作品では、こちらが期待した以上に抽象度が高まっていて、興業的、商業的にそれがプラスになるかどうかはわからないけれど、個人的にはものすごく魅力的な作品に仕上がっていた。特に前半の二人芝居は奥田洋平と青山麻紀子のベスト・アクトといってもいいのではないだろうか。

絵画にたとえれば、それまでずっと写実的な絵を描いてきた人が、ある日突然、抽象画を発表したような変身ぶりといえる。なにはともあれ、次回作が楽しみで仕方がない。


ジェネラルテープレコーダー

ジェネラルテープレコーダー

あひるなんちゃら

「劇」小劇場(東京都)

2009/11/18 (水) ~ 2009/11/23 (月)公演終了

満足度★★★

B面のみ
「劇」小劇場へは数えるほどしか来たことがないが、ずいぶん奥行きがない舞台だと初めて気づいた。学校の教室の教壇をちょっと広くした感じ。セットも上手に机があって、あとは椅子が三つほど。演劇よりも演芸向きな感じの舞台で、あひるなんちゃらの芝居もトリオによるコントの趣がある。
設定は、人里離れた山小屋かどこかで、3人組が魔法のテープレコーダー作戦だったか計画だったかの犯行準備をしているというもの。具体的に何をやっているかといえば、カセットのテープを引っ張り出して、「テープ伸ばし」と称する意味不明の作業にいそしんでいる。そしてまったく作業に集中せずに勝手なことばかりやっている一人(高橋優子)と、それを咎めるかに見えて実は同調しなおかつ悪乗りしてしまう一人(北村耕治)と、3人の中では比較的まじめで主に注意というかツッコミを担当する一人(異犠田夏葉)が、ナンセンス調のコミカルなやりとりを繰りひろげる。
劇場でもらったプログラムによると、この作品はテアトルプラトーというネットの演劇番組で配信されるそうなので、興味のある方はそちらをどうぞ。

ネタバレBOX

てっきり3人芝居だと思っていたら、終盤でA面の出演者である黒岩三佳が峰不二子ふうの役で登場した。山小屋で外の気配に怯えていた3人のように、私には黒岩の登場がA面からやってきた幽霊ないし妖怪に思えた。たぶんA面を見なかった後ろめたさがそうさせたのだろう、どうしてこちらへ来なかったのだと咎められているような気がしたのだ。素直にA面を見ておけばよかった。
遠ざかるネバーランド

遠ざかるネバーランド

空想組曲

ザ・ポケット(東京都)

2010/02/10 (水) ~ 2010/02/14 (日)公演終了

満足度★★★

青少年の自殺防止委員会制作(嘘)
ここでの評判がよさそうなのでふらっと観劇。劇団の名前は聞いたことがあるが、芝居を見るのはこれが初めて。

ネタバレBOX

ピーターパンの話を読み替えたような内容。大王こと後藤ひろひとの作品とも通じるものがある。
「本当は残酷なグリム童話」とか、裏サザエさんとか、かわいい物語のダークサイドを描いたともいえる。
ピーターパン・シンドロームにシンデレラ・コンプレックス。メルヘンと社会心理学は結びつきやすいのかもしれない。
空を飛びたがらない、すなわち子供のままでいたがらない者たちを、ピーターパンが次々と抹殺していくところがちょっとこわい。
ストーリー自体がそれほど好みではないので、脚本の印象は面白さよりも巧みさが上回るけれど、どのキャラクターも魅力的に描かれているし、演じられている。
舞台版の「ピーターパン」は見たことがないが、西洋ふうミュージカルのノリのいい演技を役者たちは達者にこなしている。出演者は13人。知っている顔はクロムモリブデンの奥田ワレタだけ。
それにしても役者たちのキャラクターがどれも光っていた。あえて男女一人ずつを挙げるとすれば、フック船長の中田顕史郎、タイガーリリーの小玉久仁子かな。
終盤で、話全体が、ピーターパンへの憧れと自殺願望の入り混じった悩める女子高生の心象風景だということが明らかになる。
裂躯(ザックリ)

裂躯(ザックリ)

乞局

笹塚ファクトリー(東京都)

2010/06/16 (水) ~ 2010/06/21 (月)公演終了

満足度★★★

親を恨む若者同盟
ここ何作かちょっと物足りなくて、作者の身辺の変化(結婚したり、子供ができたり)と関係があるのかなんて余計なことまで心配したが、今回はなかなか面白かったのでひと安心。
もともと暗く歪んだ世界観が作品の特徴だったが、今回は妙に明るくはじけたところもある。
作品世界が独特なので、以前は公演チラシにあらかじめ状況設定を詳しく書いたりもしていた。今回は劇団のホームページに、短い小説形式でいわば物語の前日談が掲載されている。

ネタバレBOX

親に恨みを持つ青年男女の同盟とでもいうか、そんな集団が古い民家を根城にして共同生活をしている。メンバーの一人が両親に猛省を促すべく、彼らをアジトへ拉致してきたのがことの発端。

客席を二つに分ける和風の舞台装置が一種独特。渡り廊下のようでもあり、縁側のようでもある。障子戸に人影が映ったかと思えば、障子戸の紙の部分を取り外すと、今度は木の枠組みが座敷牢にも見えてくる。

最初は拉致された両親、特に父親の反応を見て、ドメスティック・ヴァイオレンスの家庭かと思ったが、実はそうではないらしい。共同生活をする男女の行動を見ていると、むしろ自立できない若者たちがその原因を親に求めて、逆恨みしているようにも思えてくる。

若者たちの共同生活ぶりにはちょっとカルト集団の匂いも感じるが、しかし教祖的な存在がいるわけではない。自分たちをブラピとかMJとか外国ふうのあだ名で呼び合っている。場面によってあちこちの方言をしゃべっていたのはどういうことなのかよくわからないが、集団の異様さを示す効果はあったようだ。

人間関係がうまく築けない彼らは当然ながら異性と付き合ったこともない、童貞と処女ばかり。両親を拉致してきた娘はそんな中ではむしろ行動力があるといわなければならない。母親の不倫相手を見つけ出し、彼と関係を持ち、結婚話にまでこぎつける。動機は親への復讐だったのかもしれないが、怒りを行動に変えることで自立の方向が見えてきたようにも思える。不倫相手を仲間に紹介する場面では、まるで彼のライブステージのようなすっとぼけた演出で、周りからは囃したてたり励ましたりの声が飛ぶ。そういえばミラーボールも天井から降りてきた。ふつうなら深刻なストーリーが展開するところを、ちょっとシュールでコミカルな描き方になっているところが、これまでにない作風の変化ではないだろうか。

結局、拉致された両親が解放されるわけでも殺されるわけでもない。作者が描きたいのはそういうストーリーではなく、特殊な状況を設けることで、親や家族について感じるあれこれを顕在化できればそれでいい、ということだろう。

テーマ的なものとは別に、役者陣の演技も見所だった。両親(井上裕朗、石村みか)と娘(中島佳子)、青年男女(石田潤一郎、三橋良平、河西裕介、岩本えり、加古みなみ、笹野鈴々音、墨井鯨子)、不倫相手(下西啓正)、その妻(西田麻耶)、偶然巻き込まれた建築事務所の男(佐野陽一)。
ミツバチか、ワニ

ミツバチか、ワニ

あひるなんちゃら

駅前劇場(東京都)

2010/03/04 (木) ~ 2010/03/08 (月)公演終了

満足度★★★

クジラもいたか!
動物臭の濃厚な今回の公演だとは思ったが、まさか墨井鯨子という4文字のなかにも動物が隠れているとは思わなかった。ところで彼女の名前は「くじらこ」という読みでいいのだろうか?

ネタバレBOX

観劇した人の評価がいつになく高かったので、期待と不安が半々の状態で見に行ったが、個人的な評価としては、いつも通りかそれよりもちょっと下くらいの内容だった。

黒岩三佳、異儀田夏葉、篠本美帆、墨井、これに劇団クロムモリブデンの女優を加えた顔ぶれは、以前にやった「フェブリー」を思い出させる。(前回クロムから出たのは金沢涼恵で、今回は渡邉とかげ〉。あのときの女優陣は劇団史上最強といってもいいくらい全員がツボにはまっていたが、今回は同じような顔ぶれながらも「フェブリー」ほどの面白さが感じられなかったのは、たぶん脚本のせいだろう。

舞台の左右にそれぞれテーブルと椅子が置いてあり、下手は占いの館の一室で、上手は客としてやって来た青年(根津茂尚〉の住まいという設定。照明を交互に当てて場面転換をしていた。
途中、墨井の演じる占い師が、時空を越えて一気に隣の場面に移動しようとするのを、共演者が制止するというちょっとメタなギャグがあった。また、青年のガールフレンドの兄という役柄で作演出の関村俊介が登場したときに、異儀田演じるキャラクターを役名ではなく、いきなり役者の本名で呼んでビールを要求したのも、これまでの「あひる」にはないメタなギャグだった。

占いの館には3人の占い師(墨井、黒岩、渡邉〉と従業員(日栄洋祐〉と無能な社長(登米裕一〉がいる。いっぽう青年の部屋には友人やその知り合い(三瓶大介、中野加奈、澤唯、関村〉、そしてほとんど無関係な二人組(異儀田、篠本)が登場する。
異儀田と篠本の扱いは、「フェブリー」で演じた幽霊コンビに近く、漫才めいた二人の掛け合いは放し飼いでもOKなくらいの絶妙さ。実際、芝居が進むにつれて二人はだんだん動物化していった。
青年の知り合いがペットショップの店員で、逃げ出した(実際には店員のガールフレンドが逃がしてしまうのだが〉ペットの行方を占いで当ててもらおうとする。
逃げ出したペットのうち、一部は人間に化けて小劇場の劇団に紛れ込んだというのが、今回の公演のメタな解釈として妥当ではないだろうか。
リフラブレイン

リフラブレイン

MCR

駅前劇場(東京都)

2009/10/29 (木) ~ 2009/11/03 (火)公演終了

満足度★★★

あねおとうと
ここでの評判がよさそうなので、ふらっと観劇。MCRの作品は前に一度だけ、新宿村という空き地のそばの会場で見たことがある。あのときはたしか小椋あずきと劇団あひるなんちゃらの黒岩三佳が出ていた。今回も印象としてはあのときとそれほど変わらない。
作・演出・出演をこなす主宰の櫻井智也の才気が突出している。その意味では、劇団FICTIONの山下澄人に似ている。どちらも主宰が役者としても目立っていて、ワンマン色の濃い劇団だと思う。

ネタバレBOX

客席を二手に分けて、その中間が舞台になっていたが、こういう形を駅前劇場で見たのはたぶん初めてだ。
ただ、演技スペースはかなり細長くなっているので、役者は横向きで演じることが多く、客席を向くことは比較的少なかったように思う。
場内の壁に貼ってある座席の列の表示がA、C、D、Eとなっていて、B列が抜けていたのが謎だった。

話の内容は両親に見捨てられた姉と弟の貧乏物語。ちょっと前に話題になった田村裕の「ホームレス中学生」を彷彿とさせる設定だった。あちらの主人公には姉と兄がいたが、こちらにはたくましい姉が登場する。演じる石澤美和は弟役の櫻井に引けを取らない堂々たる演技だった。

人情劇というドラマの部分に対して、笑いの部分はかなりコントっぽかった。中川智明の演じる借金取りがやたらと人生哲学めいた台詞を吐くところでは、作者のナマの声が聞こえてくるようで、キャラクター的にはあまりリアリティが感じられなかった。

この間、あひるなんちゃらの芝居に出ていた江見昭嘉は、ヨーロッパ企画の土佐和成に似た飄々とした雰囲気がある。


寛容のオルギア Orgy of Tolerance

寛容のオルギア Orgy of Tolerance

彩の国さいたま芸術劇場

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール(埼玉県)

2009/06/26 (金) ~ 2009/06/28 (日)公演終了

満足度★★★

挑発的な悪趣味
刺激的なパフォーマンスを繰りひろげるベルギーの作家ヤン・ファーブル。さいたま芸術劇場で見るのはこれが4回目。
楽しいことや面白いことよりも、頭に来ることや苛立たしいことを表現するときに活気付くという意味で、今回はパンクなスピリットが漲っている。
(なぜかしら関西弁でいうと)
ファーブルのおっちゃん、今回は相当怒ってまっせ。ほいで何に怒ってるかっちゅうたら、ほれはもう世界の現状に対してやね。

ネタバレBOX

下着姿の4人がいきなりオナニーを始めるという衝撃の出だし。ゲリラというか見た目はパルチザンと呼びたくなる別な4人が、付き添うようにそれを見守る。長々と続くオナニーシーンのあと、終わった4人が啜り泣きを始めるところで、彼らがどうやらゲリラあるいはテロリストの人質で、オナニーを無理強いされたらしいことがわかる。
性と暴力。消費と物欲。それらをモチーフにして、いろんなものが槍玉に上がる。タバコをふかし、飲み物をこぼし、イエス・キリストをおちょくり、股を開き、服を脱ぐ。人種も国民も、日本も埼玉も、観客も批評家も、作者も作品も、あらゆるものに噛み付いていく。
ダンス作品だと思って見たら大間違い。終盤でそれなりの動きがあるとはいえ、これまでに見たヤン・ファーブルの作品のなかではいちばん演劇的。そしてこの過激さはかなり賛否両論というか、否定的な意見を生みそうな気配。
農業少女

農業少女

東京芸術劇場

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2010/03/01 (月) ~ 2010/03/31 (水)公演終了

満足度★★★

初日に
10年前の初演はチケットがとれずにあきらめたのを覚えている。海外の役者で上演したこともあったようだがそれは見ておらず、今回がやっとこさ初見。

ネタバレBOX

九州の田舎の農家から、東京に憧れて、農業を嫌って、上京する娘を演じるのが多部未華子。最近はほとんどテレビを見なくなったので、彼女がNHKの朝のテレビ小説で主演した人だということも知らなかった。役の設定ではたしか15歳。本人の見た目から判断して、ぜったいに10代だろうと思ったが、あとで調べたらもう21歳なんだね。骨太で健康的な感じが農業少女というキャラにはぴったりだった。農業少女というのが、秋田小町なんかと同じように、お米の銘柄だというのは意外だった。田舎を嫌って、家出同然に東京へやってきた娘がやがて都会の色というか毒に染まっていく。その辺の展開にふと既視感を覚えたので、あれこれ考えているうちに浮かんだのは、つかこうへいの「熱海殺人事件」で容疑者の青年に殺される同郷の娘のこと。登場人物の男女比率は違うけれど、どちらも4人芝居だしね。田舎と都会というモチーフもなんとなく似ている。
ただ、つか作品では田舎から上京してきた青年の純情がメインになっていたのに対して、野田作品では都会への憧れとか農業に対する負のイメージという、社会全体を包む価値観、あるいは気分といったものがテーマになっているようだ。

吹越満が演じるのは、気まぐれな社会の気分を体現して、AVからエコへ、さらには政治へと無節操な転身を計る怪しげな男。多部の演じる田舎少女の誘惑者でもある。

毛皮族の芝居をしばらく見ていなかったので、久しぶりに見るエモジュンこと江本純子はだいぶ歳をとったように見えた。短髪で金色に染めているせいだろうか、中村メイコにちょっと似ていると思ったのはきっと私の気の迷いだろう。もっぱら吹越が演じるキャラクターの子分的な存在だった。

山崎一は毒草を調べるのが趣味のオタク的な中年男で、利用されているとも知らずに上京したての少女の面倒をみる。歳の離れた娘に翻弄されるその姿は、映画「嘆きの天使」で、若い女に惚れて身を滅ぼす大学教授を彷彿とさせる。

野田秀樹が演出したものを見ていないので、今回、松尾スズキが演出したといっても、どの辺までが野田脚本で、どの辺までが松尾演出なのかがよくわからない。美術面でいくらか違いがあるとすれば、雑然とした状態が最初にあって、装置や道具をとっかえひっかえしているのが今回だとすれば、野田演出の場合は、少なくとも私がこれまでに見た範囲では、最初は意外と簡素な舞台装置で、芝居が進むにつれていろんな趣向が現れるという形だったように思う。
空耳タワー

空耳タワー

クロムモリブデン

赤坂RED/THEATER(東京都)

2009/06/16 (火) ~ 2009/06/21 (日)公演終了

満足度★★★

いつものクロムなモリブデン
「次回は静かな演劇をやる」と聞こえたのはどうやら私の空耳で、本当は「次回も長台詞がいっぱいの、終盤でわっと来て一気呵成にカタルシスを迎える、役者の個性でぐいぐい押していく、いつも通りのクロムの芝居をやる」と言っていたのを私が聞きまちがえたらしい。

ネタバレBOX

演劇についての演劇といえば、過去に「なかよしSHOW」という作品で劇団を取り上げたことがある。今回は殺人事件や被疑者のアリバイ証明に絡めながら、JR神田駅の裏手で芝居を上演する小劇場の劇団が出てくる。
地上デジタル放送の開始が迫る昨今、演劇界の、そのなかでもとりわけ演技力の未来について、考えようとしているのかいないのかどうなのか。

いつものように楽しく見たので、とりたてて感想というのもないのだが、劇中に出てきた「オシビー」という小道具について、ふと浮かんだことをどうしても書いておきたい。

オシビーとは実はO・C・B(オー・シー・ビー)が転化したもので、正確には

Ossorosiku (おっそろしく)
Chinkena (チンケな)
Buttai (物体)

の、頭文字を並べたものだ。

というのはもちろん冗談です。(芝居を見た人にしかわかりません)
みなさんも詐欺にはどうかご用心ください。
合唱舞踊劇「ヨハネ受難曲」

合唱舞踊劇「ヨハネ受難曲」

O.F.C.

すみだトリフォニーホール(東京都)

2009/07/04 (土) ~ 2009/07/05 (日)公演終了

満足度★★★

たまにはクラシック
バレエと合唱と管弦楽の合体をめざす、O.F.C.という団体の公演。バレエの振付は今年77歳になる超ベテラン、佐多達枝が以前からずっと担当している。
彼女の振付作品を見るのは3年前の「庭園」以来これが5回目。作品の内容も、カーテンコールで見かけるその姿も、実年齢よりはずいぶん若々しい。先日のさいたまゴールドシアターだけじゃないね、元気なお年寄りは。
バッハの「ヨハネ受難曲」は演奏時間が2時間ほどの大作。佐多とコンビを組んでいる河内連太という人が台本を書いたらしいので、バッハの曲をそのまま演奏したのではないようだが、それでも上演時間は2時間くらいあった。
このホールはクラシックのコンサート専用で、普段はダンスや芝居はやらないのだが、今回はステージの手前側にオーケストラ・ピットを設け、残りのステージの後方に合唱団が並び、オケピとコーラスに挟まれた中央部分が踊り場になっていた。かなり狭い上、手前に傾斜のある八百屋舞台なのでダンサーたちは大変だったと思うが、大したトラブルもなく無事に終わった。
以前、「ヨハネ受難曲」をコンサートで聞いたときは歌詞の意味が字幕で映写された。コーラスとソロからなるこの曲はオペラに近い形式だし、歌詞の内容も聖書に基づいたドラマチックなものなので、その意味がわからないと面白さが半減する。しかし今回の公演では、演奏のほかにダンスが加わるので、これに字幕を付けるとそちらに気をとられて肝心のダンスが目に入らなくなる。だから字幕はつかなかった。
見ている途中では字幕があればと思う瞬間もあったが、それでも歌詞の内容をダンサーの動きがある程度補足してくれたので、字幕も踊りもなしで聞くよりはだいぶましだった。
バレエと演奏、どちらに重点を置くかは客の興味次第だろう。私自身はダンスが主、演奏が従で、基本的にはコンサートを聞きに行ったというよりもバレエ公演を見に行ったという印象が強い。
ダンサーはキリスト役と13人の弟子がメイン。コーラス隊の一部が群集として振りをこなす場面もあった。20列目という座席ではダンサーの顔はオペラグラスなしではなかなかわからないし、私はメガネが邪魔なので基本的にオペラグラスは使わない。余談だけど、オペラグラスを使いたいがためにメガネからコンタクトレンズに替えたという人を私は知っている。
それでもいちばんの目当てだった井上バレエ団の島田衣子は、目を凝らして捜すまでもなく、動きのよさで自然と目にとまった。
あとで調べたら、ヨハネ受難曲よりもさらに長い、同じくバッハ作曲の「マタイ受難曲」もすでにバレエ化されているという。しかし、生きている間に見る機会はたぶんないだろうなあ。

熱帯樹

熱帯樹

シアターオルト Theatre Ort

atelier SENTIO(東京都)

2010/05/05 (水) ~ 2010/05/09 (日)公演終了

満足度★★★

2通りに味わう
「熱帯樹」という作品は1960年に文学座によって初演されたそうだ。三島由起夫の新作戯曲が文学座で上演されていたなんて、今から考えるとずいぶん贅沢な気もするが、その時代に生きていればそれほどありがたみは感じなかったのかもしれない。

3日前に谷賢一の演出でこの戯曲のリーディング公演を見た。今回は音響や衣装がちゃんとしている本格的な上演。一つの劇団がリーディングをやってから本公演をやるというのはときどき見るが、同じ戯曲のリーディングと本公演が別の団体によって連続で上演されるというのはきわめて珍しい。リーディングを白黒映像とすれば、本公演はカラー作品だね。

戯曲は、人物の設定がとにかくドラマチック。財産家の夫、20歳も年下の妻。夫が妻に求めるのはいつまでもかわいい女であること。美しさを保つためなら出費を惜しまない。周りの人間はどんな悩みを抱えていようとそんなものは見たくもない。妻も子供も自分の前ではひたすら微笑を浮かべていてほしい。夫のそんな歪んだ人間観・人生観が家族に影響を与えないはずがない。妻は夫に対して女であろうとするあまり、自分の子供に対して母親としての十分な愛情を育むことができなかったようだし、夫に対してもいつしか財産だけを求めるようになる。子供は兄と妹の二人。男と女であろうとして親になりきれなかった夫婦によって育てられた子供たちは、親に対する不信感と敵意、もういっぽうでは近親相姦のタブーを越えた自分たちの関係を深めていく。
病いに冒された妹は兄に母親殺しをそそのかすが、したたかな母親によってそのたくらみは頓挫する。すると今度はかねてからの予定通り、兄妹で心中を計る。
救いのない家族の破滅劇。夫のいとこで、未亡人の家政婦が半ば傍観者としてその悲劇を見守る。

劇団Ort-d.dの芝居は美術的にも、演技の面でもけっこうデフォルメが入っているので、リーディングのときとはかなり違う印象を受ける。特に脇の登場人物はキャラクターまですっかり変わっていた。
夫のいとこで未亡人の家政婦は、リーディング公演では人生に諦観を抱いた無気力な人物として描かれていたが、Ort-d.dの公演では、もっと下世話な、「家政婦は見ていた」的な好奇心旺盛なキャラクターとして描かれている。髪型もまるで「サザエさん」みたいだし。

上演時間は2時間半。1時間半ほど経ったところで10分の休憩が入るのはリーディングのときもそうだったからたぶん戯曲のなかで指定されているのだろう。
舞台の上手奥には金子由菜という音響担当の女性が陣取っていて、いろんな道具を使って効果音を出していた。後半に入って兄妹が心中を図るところでは、太鼓によるリズミカルな効果音がどうも場面にそぐわない気がした。近親相姦の果てに心中という背徳感よりも、パーカッションの元気のよさは青春の暴走とか若気の至りみたいな印象を与える。演奏にあおられる形で役者二人の演技も後半はちょっとテンションが高すぎた。

アヌーク・ファン・ダイク「STAU」

アヌーク・ファン・ダイク「STAU」

ダンストリエンナーレトーキョー

青山円形劇場(東京都)

2009/10/08 (木) ~ 2009/10/08 (木)公演終了

満足度★★★

トリエンナーレ・フィナーレ
ダンストリエンナーレの最後はオランダの女性振付家アヌーク・ファン・ダイクの作品。フェスティバルの後半は天気もぐずつき、疲労もたまってきたが、どうにか通し券を無駄にせずに済んだ。最終公演にふさわしく、面白い趣向を凝らしている。

この作品だけはこのあと金沢でも上演されるので、これから見る人はネタバレBOXを開けないほうがいいと思う。

ネタバレBOX

劇場に着くと、カバンと靴を受付に預けてから入場するという。絨毯が敷いてあるとはいえ、それまで靴を履いて歩いていた場所をいきなり靴を脱いで歩くというのはちょっと抵抗があった。日本に初めて来た外国人が日本の家に靴のまま上がろうとして注意されるのならわかるが、来日した外国カンパニーの公演会場で日本人が靴を脱がなきゃいかんというのはヘンな話だ。しかし逆らうわけにもいかず、おとなしく従う。
開演時間になってようやく入場。いつもの円形劇場とはちがって、フロア全体が丸く平たい床になっていて、その中央部分に座席が設けられていた。真ん中に四角い舞台スペースを残して、3列の椅子が四角を描くかたちで並んでいる。舞台を客席が2方向から挟んだり、あるいは4方向から囲むというのは演劇の公演ではちょくちょく見るが、ダンス公演では珍しい。最近ではイデビアン・クルーの公演で2方向の座席というのがあった。
観客が入場する間も、ダンサーたちはフロアに佇んでいた。やがて客入れが終わるとまず、舞台監督みたいな人が、今回来日できなかったアヌーク・ファン・ダイクに替わって、開演前の挨拶や諸注意やダンサーの紹介などをした。それが終わっていよいよパフォーマンスが始まったのは予定の開演時間を20分ほど過ぎたころ。
前半は男女二人のダンサーが登場。ノイズ系の音楽が流れるなか、ときどきマイクロフォンを爪ではじくようなヴォッという音に合わせて、身震いみたいな痙攣的な動きを差し挟みながら踊る。体を近づけつつも触れない距離で、鼻をクンクンさせたり、びくっと痙攣したりと性的なニュアンスの漂う出だしから、徐々に離れて今度は観客に絡み始める。その場合も、近づくけれど触れることはほとんどしない。いじられるのはもっぱら最前列の客。客の座っている椅子の下にもぐりこんでそのまま向こう側まで通り抜けたり、暗転を挟んでほんのつかのま、男性ダンサーが全裸になったりした。
ダンスの振付うんぬんよりも、パフォーマーと観客の距離を縮めるというのが作り手のねらいらしい。いちばん遠くても3列目だから、いやでもダンサーの体が身近に感じられる。
後半は観客全員を立たせてから、設置されていた椅子をすべて撤去する。ここからはオール・スタンディング。女性ダンサー2人が加わる。部分照明があらかじめ決められているらしく、あちこちで踊るダンサーを照明が順繰りに照らしていく。ダンサーの移動に合わせて観客もぞろぞろと動く。ときたま4人のダンサーが観客一人を取り囲むこともあったが、観客をダンスに巻き込むのはいちばん最後の場面だけで、それもほんの数名だったので正直なところホッとした。後半でも男性ダンサーは全裸になって二階でスポットライトを浴びていた。
正味1時間。座席が4方向からステージを囲む前半も、観客がオールスタンディングになる後半も、個人的には過去に見た演劇作品で体験済みなので、それほどビックリするということはなかった。ただ、このフェスティバルを通じて、いい場所を占める関係者席の多さが気になっていた者からすると、パフォーマーと観客だけでなく、一般客と関係者の垣根をも取っ払ったこの作品は、フェスティバルのラストを飾るにふさわしいといえるかもしれない。

せいぜい30分くらいのスタンディングだったが、それでも途中で床に座り込んでいる若い観客がいた。パフォーマーの動きがしばらく止まっていたからそうしたのだろうし、パフォーマーが移動したらまた立ち上がったとは思うが、それにしても足腰弱すぎ。

ラフカット2009

ラフカット2009

プラチナ・ペーパーズ

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2009/11/04 (水) ~ 2009/11/08 (日)公演終了

満足度★★★

知らない役者ばかり41名
久しぶりに見るラフカット。プラチナ・ペーパーズのホームページで過去公演の記録をちょっと覗いてみた。私が見たのは1995、1996、2000、2003年の4回。出演者の中には当時は全然知らなかったが、今なら知っているという名前がそこそこある。ハイバイの岩井秀人とヨーロッパ企画の土佐和成がG2の作品で共演していたり、ケラの作品に親族代表の竹井亮介が出ていたりする。もっとも竹井の場合は今も親族代表の公演でケラに脚本を書いてもらっている。私が見ていない回でも、あひるなんちゃらの黒岩三佳とかグリングの青木豪が役者で出ていたり。
どういうわけか私の場合、ラフカットの舞台で見た役者のことがほとんど記憶に残っていない。とくにスペースゼロのような大きな会場で座席が後方だったりすると、単純に役者の顔がよく見えないのだ。その意味では、東京芸術劇場の小ホールでやった1995年の第1回目は、舞台が近かったこともあり、印象に残った役者が二人いる。ラッパ屋の鈴木聡作品に出ていた佐藤奈美と堤泰之の一人芝居に出演したかないまりこ。残念ながら二人とも最近は消息を聞かない。

最初のころはケラやじんのひろあきも脚本を提供していて、当然ながら無名の役者よりは脚本家を目当てに出かけていた。
今回もひさしぶりに見る気になったのは、4本立てのうちの1本が青年団演出部の工藤千夏の作演出だったから。

ネタバレBOX

感想を上演順に。4本とも時間は30分ほど。

「職員会議」は作:G2、演出:堤泰之。
生徒の代表を交えて行う職員会議で、女子生徒が弁護士を連れて現われ、一人の男性教師をセクハラ容疑で追及しはじめる。教師が生徒によって追い詰められる話といえば、デビッド・マメットの「オレアナ」やリリアン・ヘルマンの「子供の時間」があるが、生徒の年齢はちょうど両者の中間あたり。時間が短いなりに話は楽しめた。男子生徒がやたらドモってしゃべるのが、緊張を表現する演技なのか、それとも本当にドモリの役なのかがわかりにくかった。私が子供のころはドモリというのはそれほど珍しくなかったが、最近はドモリというものにまったくお目にかからない。今は学校にドモリの子供がいたら、いじめにあうんじゃないだろうか。催眠術とかで簡単に治療ができるのだろうか。最近のドモリ事情というものがちょっと気になる。
芝居とは関係のない話になってしまった。

「真夜中の太陽」は原案・音楽:谷川浩子、作・演出:工藤千夏。
登場人物は82歳になる老女と、太平洋戦争時、女学校の生徒だった11名と女教師、それに同じく女学校で英語を教えていたアメリカ人の男性教師。この3組は同じ舞台に現われて会話も交わすのだが、実はそれぞれが生きている時間は異なっている。アメリカ人教師は戦争が始まった後、国外へ強制退去させられている。女学校の生徒と女教師は空襲で防空壕に避難した際、爆弾が運悪く防空壕に落ちて全員が死亡している。そして老女は同じ女学校の生徒だったが、一人逃げ遅れたために命拾いをして、戦後も60年あまり生きて平成21年のいま現在82歳になっている。

空襲のあった日、彼女らは歌の稽古をしていた。モンペ姿の若い女性に混じって、老女も同じように席についている。老女のとまどいをよそに、娘たちは彼女を自分達の一員として親しげに話しかけてくる。このあたりから劇中の虚実が揺らぎ始める。そこへアメリカ人教師も顔を出す。空襲の場面では、女学生たちが後方へ下がると、赤い照明がともって防空壕に爆弾が落ちる。必死に止めようとする老女、過去は変えられないと諭す男性教師。そのとき老女とアメリカ人教師のいる場所は、もはや戦時下の学校ではない。アメリカ人教師は国外退去のあと、老女が82歳を迎えた平成21年にはすでに故人になっている。現在も生きている老女が死者達と出会う場所、それは彼女の回想の世界なのだ。

彼女には自分だけが生き残ったことに対する後ろめたさがあった。しかしその回想とも幻想ともつかぬ場所に現われた昔の仲間たちは、彼女が長生きしたことをうらむどころかむしろ喜んでくれる。そして途中で何度か唄いかけて中断した歌がようやく最後まで唄われる。芝居は、いつものお気に入りの椅子に座って眠るように息を引き取った老女を孫が発見するところで終わる。

ファンタジーの名手が送る感動作品。ひねくれた中年のオッサンの心にもぐっと来る。「ビルマの竪琴」や「二十四の瞳」のように、音楽も効果的に使われている。ただ、若手の力試しというラフカットの主旨からすると、女学生たちは一まとめの集団という感じもあって、それぞれが個性豊かに、というところまではいっていなかったのはないか、とも思う。

「アンデスの混乱」は作:鴻上尚史、演出:堤泰之
飛行機の墜落事故現場を舞台にした生存者達のドラマ。「アンデスの奇蹟」と呼ばれた実話がモチーフになっているらしい。この日はちょっと疲れ気味で、そのピークがこの3本目に襲ってきたので、実はあまり内容を覚えていない。墜落事故から3日目、7日目というふうに、時間を飛ばしながら場面を区切って描いていたが、せいぜい30分ほどの芝居なのだからそんなに細かく分けなくてもいいじゃないかと思った。

「父を叩く」は作・演出ともに堤泰之。
これも感動を誘う作品といえるかもしれないが、公演を控えた役者の主人公が重病の父親を見舞うという設定は、ちょっとずるいというか反則ワザに近い気もする。ラフカットではたいがい堤泰之の脚本が一つ上演されるが、ささやかなエロを入れるのも特徴的だ。役者では長身でスタイルのいい安藤彩華が気になった。
いつだっておかしいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校

いつだっておかしいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校

ロロ

新宿眼科画廊(東京都)

2009/07/18 (土) ~ 2009/07/22 (水)公演終了

満足度★★★

前売り/当日¥1500
ネットでの口コミ評価につられての初観劇。新宿眼科画廊というヘンな名前の場所にも惹かれたし、上演時間が約60分というのもふらっと立ち寄るには手頃だった。
若手の劇団で、内容はシュールというかナンセンス系のコメディだった。

終演後の挨拶で、今回は宣伝が遅れて客の入りがよくないので、気に入った方はコリッチやブログで宣伝してくださいと言っていたので、宣伝します。

けっこう面白いですよ、他愛のない内容だけど。

ネタバレBOX

卒業を控えた小学生たちの物語。一人だけテンションの高い女教師と、体から8×4(エイトフォー)を噴霧する謎のペットも登場する。
ギター好きの主人公を演じた役者は亀島一徳だろうか。配役表がないのではっきりしないが、窮地に立たされて焦るまくるというキャラは、ちょっぴり三浦俊輔に似た演技だった。主役だけあっていちばん上手い。
衣裳担当の藤谷香子が快快のスタッフだからというわけではないが、場面転換に踊りを入れたり、照明を極端に変化させたり、衣裳に台詞めいた文字を漫画の吹き出しっぽくあしらってあるところなどがちょっと快快っぽいかなと思ったりもした。
悪趣味

悪趣味

柿喰う客

シアタートラム(東京都)

2009/09/04 (金) ~ 2009/09/13 (日)公演終了

満足度★★★

いちばん怖いのは場内アナウンスかも
9月5日の本編と、9月7日のスクランブルキャスト(配役総入れ替え)を見てきた。

本編ではどういうわけかいつもの魅力がいまひとつ感じられず、どうしてだろうとあれこれ考えたが結論は出なかった。続いて配役総入れ替えの公演を見たのだが、これが予想外に面白くて、どうやら本編での不満は配役によるところが大きかったようだ。

大部分の役者が入替によって本編よりも良くなっていると感じた。入替はちょっとどうかと思ったのは高見靖二のメイド役ぐらい(笑)。片桐はずきはどちらの役でも光っていた。中屋敷法仁の家庭教師役がなくなっていたのも正解かも。本編ではかなり滑舌が悪かったから。

ただし、本編を見たのは公演開始の2日目だし、スクランブルキャストの公演でもすでに内容の一部が修正されていたので、公演が進むにつれて本編もどんどん良くなっていく可能性がある。

ネタバレBOX

参考までに両方の配役を書いておきます。
本編(役)スクランブルキャストの順で、

永島敬三(大学教授)須貝英
七味まゆ味(女子大生)片桐はずき
村上誠基(自殺未遂女)渡邊安理

コロ(綾町家・母)深谷由梨香
深谷由梨香(綾町家・長女)玉置玲央
本郷剛史(綾町家・長男)國重直也
國重直也(綾町家・次男)本郷剛史

梨澤慧以子(メイド)高見靖二
須貝英(河童)永島敬三
片桐はずき(子供・キュリー夫人)高木エルム
中屋敷法仁(家庭教師) ・・・・

齊藤陽介(不良・金属バット)コロ
佐野功(不良・猟銃 ほか)浅見臣樹
瀬尾卓也(不良・斧 ほか)出来本泰史
佐賀モトキ(不良・鎌 ほか)熊谷有芳

高見靖二(霜田村青年団長)齊藤陽介
野元準也(青年団員)柳沢尚美

渡邊安理(車椅子ババア)梨澤慧以子
高木エルム(ゾンビ村長)七味まゆ味

伊藤淳二(警部)野元準也
浅見臣樹(巡査)伊藤淳二

川口聡(不良・鎌の母 ほか)佐賀モトキ
柳沢尚美(看護婦 ほか)佐野功
熊谷有芳(駄犬 ほか)川口聡
出来本泰史(マスクの男)瀬尾卓也

玉置玲央(町医者)村上誠基
熱海殺人事件

熱海殺人事件

一徳会/鎌ヶ谷アルトギルド

atelier SENTIO(東京都)

2009/06/11 (木) ~ 2009/06/14 (日)公演終了

満足度★★★

殺人を解剖する
ここでの評判につられてノコノコと。前日まではその存在さえ知らなかった劇団を、口コミに頼って見に行くのもたまにはいい。
千葉県がベースで、視覚面で飛躍した演出をする・・・といえば三条会が思い浮かぶが、この劇団も同系列といっていい。

ネタバレBOX

脚本はつかこうへいの有名な作品。装置や衣裳は話の内容から相当かけはなれている。こういう飛躍が苦手な人には向かない芝居だし、こういう飛躍が好きな人からすれば、どれくらい驚かせてくれるかが面白いかどうかの別れ目になる。
「熱海殺人事件」はたしか4人芝居だったと記憶しているが、ここでは5人。場所は取調室だったはずだがここではちょっと様子がちがう。中央の机には水が張ってあり、ときどき溢れて下に落ちる。魚かなにかを解体する作業台のようにも見える。男たちは白いビニールの防水を羽織っている。上手にサンドバッグが吊るしてあるのも意味不明。
女性二人は婦人警官と被害者。婦警は途中で被害者にもなる。二人とも裾の短い薄水色の薄手のワンピース。水に濡れると変に色っぽかったりもする。
ストーリーは原作通り。脚本はさまざまなバージョンがあるなかでいちばん古いものを使用した、とチラシで演出家が解説している。

感想としてはおおむね面白かった。役者の演技も悪くなかったが、ただ若手刑事の役だけはちょっと演技が深刻すぎた。声のボリュームもアンサンブルが壊れるくらいときどき飛びぬけて大きい。まあ、不満があるとすればそれくらい。

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