トミサカの観てきた!クチコミ一覧

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マイホームマイホテルマイパートナーハネムーン/久保らの歩く道

マイホームマイホテルマイパートナーハネムーン/久保らの歩く道

コーヒーカップオーケストラ

OFF OFFシアター(東京都)

2013/10/02 (水) ~ 2013/10/09 (水)公演終了

『久保らの歩く道』これが劇団だ
もう「クッソ面白かった!」の一言に集約される。
単純に笑えるのは勿論、劇団としてのドラマが見えて感動。終盤の「泣きながらパンツ下ろしてるんじゃないよ!」って台詞こそがコーヒーカップオーケストラだし、その後のモリサキミキ含めて四人で踊る新しいシーンで号泣。
今年一番ってくらい面白かった。

ネタバレBOX

野島が死んでからの年一の集まりとダンスの連続。これが再演で加わってるのが劇団員モリサキミキ加入の物語としてグッとくるのは勿論、「これがコーヒーカップオーケストラだ」という宣言にも見えて心底カッコいい。
そして「劇団っていいな」と強く思わされる。

今回だけと言わず、折に触れ再演して欲しい。
全然若くなくなってもやって欲しい。
送別会

送別会

バイヲチックリサス

ギャラリーLE DECO(東京都)

2012/10/03 (水) ~ 2012/10/07 (日)公演終了

満足度★★

何の話だったんだろう
割引を使わせて頂きました。

観ていて思ったのは、総じて「何がやりたい作品なのか」ということだった。

バイト先の描写のスケッチ、いわゆる「あるある」をやりたいにしては、会話や仕草・コミュニケーション全般が大雑把に感じられた。ルデコの距離も鑑みると特に。そういう微妙なやりとりでイヤーな雰囲気を感じさせる狙いにも見えないし、それで笑わせる狙いにも見えないし。

面と向かっているときには調子を合わせているのに陰では悪口を言っている、という展開が何度か見受けられたが、それを使って「二面性」とかを描くわけでもなさそうだし…(それにしては全然痛くない)。

ネタバレBOX

かといって、「瓜生が送別会を開催する目的がねずみ講だった」というので予想を裏切るつもりでもなさそうだし…(だとしたら別に驚かない)。

何を課題に「自らの送別会を企画する奴と、誘われてる奴ら」を設定したのか。熱意の向かう先やモチベーションの出どころが、わからないままだった。

作者は何を描くのが目的だったのか。
平田オリザ氏は何をもって「問題はあるが面白い」と言ったのか。

自分にはそれを見出すことが出来なかった。
いつも心だけが追いつかない(終演御礼。ご感想お待ちしています。ワンダーランド・10月期クロスレービュー対象公演なのでぜひご投稿を)

いつも心だけが追いつかない(終演御礼。ご感想お待ちしています。ワンダーランド・10月期クロスレービュー対象公演なのでぜひご投稿を)

MU

BAR COREDO(東京都)

2012/10/01 (月) ~ 2012/10/08 (月)公演終了

ロマンチック
MUの中では『無い光』と同じ方向性の、ロマンチックな路線。といっても随所に挟まれる会話はキチンとゲスだったり厳しかったりするのだけど。
当たり前だけど主役二人の好演が光る。小園茉奈は、女子高生らしくないこともひっくるめて、“「自分、他の女子高生とは違うのよ」型女子高生”らしかった。

主演の先生と生徒二人の時間、特にコーヒーを飲みながら話す時間が印象に残る。
それに比べて、他の先生達の言動の動機・ロジックがいまいち腑に落ちなかった。「学校に問題が起きてちゃまずい」と言われれば頭ではなんとなくわかるのだけど、何故か腑に落ちなかった。
そういう意味でも、主演二人の関係性や時間をこそ、もっともっと見たかった気もする。

ともあれ、ハセガワアユム氏の、言っちゃいけないことなどをガシガシ言ったあとに見せる優しさ、ロマンチックさは、にくい。そんな作品。

ネタバレBOX

「自分自身の評価」と「自分の表現の評価」という意味だと、『無い光』にも共通するテーマにも感じられる。

『無い光』は「自分の表現で、自分の好きな人を救えたら…」という、甘いけれど切実な願いを訴えて終わる。
劇中ではそれを訴えて終わるが、もしそれで相手が救われたら、それは自分の功績なのだろうか。はたまた自分の表現の功績なのだろうか。
言ってしまえば、『無い光』では自分と評価と表現の評価は未分化のままだった(だけど超ロマンチックでアツいから最高なんだけど)。

本作では、自身の評価と表現の評価を切り分けようとしている。切り分けることで、「人間としての自分」と「絵描きとしての自分」のどちらを取るか選ぼうとしている。
その上で、全く悪びれず「絵描きとしての先生」を勧める高校生の真っ直ぐさが、優しい反面、残酷。でもそれが高校生のピュアさなのかもしれない。

個人的には、「女装癖」「目の前の女子生徒の体操着」という要素が、それぞれの自分の何かを象徴してたり、「着る」「脱ぐ」という行動が絡んでたりすると、もっとグッときたかもしれない。
あ、上記の解釈が見当違いじゃなければだけど。
チャンス夫妻の確認

チャンス夫妻の確認

コーヒーカップオーケストラ

王子小劇場(東京都)

2012/05/17 (木) ~ 2012/05/21 (月)公演終了

演劇っぽい!ギャグ劇団っぽい!
初日観劇。

言っちゃうと夫婦仲の話しかしてないのに、ここまで馬鹿馬鹿しい話(いや、これはお話なのか…?)を展開するのが気持ちいい。

手作りっぽさやチープさを、残念なクオリティに見せず、それでいて絶対に最近流行りの「お洒落シンプル」にしないところが、この劇団の信用できるところ。

TV的な笑いという意見も目にしたが、自分はそうは思わなかった。むしろ「舞台っぽい」とすら思った。中でも、90年代00年代の下北沢とかでやってるギャグ劇団を思い起こさせる。
とか言いつつ自分はまだそのころは小劇場演劇を見ていなかったので、あとから雑誌やWEBで見た、あんな劇団やこんな劇団の舞台写真や評判を思い起こしたに過ぎないのだけれど。

ギャグ劇団、いいじゃない。何も残らないコメディ、いいじゃない。
尖った設定とか、伏線の回収とか、実は切なく見えるとか、いろいろ仕掛ける劇団はあれど、それがコメディのなんなのさ!…と主に自省しつつ楽しみました。
っつーかTVに出てるお笑い芸人は、あんな不思議なネタやんないよ!

出演者は、劇団員の後藤慧さん演じるチャンス嫁が可愛いのと、前田さんの挙動がかっこいいのと、宮本さんの演じてるんだかそのまま出てきちゃったのかわからない演技が好きすぎるのと。
客演だと皮墓村さんの瞬発力とパッと見の「面白い人」感、そして竹田りささんのお母さん感が抜群。

ただ、終盤のもたつきが残念ではある。
クライマックスが途切れ途切れになっていると感じた。
節操無くハチャメチャやるのは楽しいので、それをもっとサクサク畳み掛けてくれるともっと全てがどうでもよく(いい意味で)なれたのでは。

ネタバレBOX

意図してかどうかわからないけど、チャンス夫がチャンス嫁のメールを待つシーンの演出にグッと来てしまった。

携帯電話を擬人化して、「新着メールはありません」のくだりが、馬鹿っぽいのに見事に寂しさを際立たせていたと思う。
今までに見た色々な作品の「連絡来ない描写」のなかでも群を抜いて良かった。

声に出して読むと非常に良い台詞だなぁと思ったし、それこそスタイリッシュにやったら超切ないと思う。彼らは絶対そんな風にやらないし、そこが信用できるところだけど。
俺以上の無駄はない

俺以上の無駄はない

MCR

駅前劇場(東京都)

2012/04/12 (木) ~ 2012/04/17 (火)公演終了

これが観たかった!
千秋楽を観劇。演劇うめー。超おもしれー。
『シド・アンドウ・ナンシー』とか『リフラブレイン』とかの評判を聞いて妄想を膨らませて以来の、自分の見たかったMCRがそこにあった。

脚本上で北島が担ってる部分が不明というかハマってない気がしたり、主人公の「どうでもいい」を巡るロジックがすんなり理解出来なかったり、とかはあったけど、そんなのそれこそ「どうでもいい」!
そしてこの口調は櫻井節に影響受けてるよバカヤロウ…!

「こと演劇で、すぐ目の前で人間が演じてるんなら、笑えて泣けりゃあ大抵のことはオッケーになるな!」
ってのと、
「既存の演劇を揺さぶる演出だなんだより、面白い“お話”の方が自分は断然好きだな!」
ってのを痛感しました。

DUST CHUTE UTOPIA

DUST CHUTE UTOPIA

PLAT-formance

タイニイアリス(東京都)

2011/05/19 (木) ~ 2011/05/23 (月)公演終了

二人
社会風刺や各話のリンクを、気負わずにサラッとやるのは素敵。おそらくこれらは狙いすました必殺技じゃなくて、作家オカヨウヘイが自然とやっちゃう類のものなんだろう。

出演者はみんな上手いんだけど、人を笑わせる際の足腰の強さというか、地力みたいなのの差が顕著にあらわれた公演だった。台詞レベルの明確な可笑しさではないさりげない遣り取りにおいて、「自分」で笑いをとれる人・とれない人がパッキリわかれた印象。
その意味でメンバーの二人と加藤諒は圧巻。

プロデュース公演として客演の魅力を引き出す中で、逆にメンバーの強さ・自由さが目立った公演だった。
やっぱり二人の公演が観たい。

そうなると加藤諒はなんだったんだろう。単純にすごい人なのか。

ネタバレBOX

個人的には、「Useful-Needless」での『生なめくじサワー』が吉田能の想像を超えていて(ですよね?あのくだりが台本にあったら参る)一発OKになったところと、「From BOX」でTVとビデオデッキが出てきた際のコードを使ったネタが段取りにならずにサクっと決まったのに感動。あと「なげー!」に。

「Girly×Girly×Girly」は、色々なところが笑いに繋がらず、ただのガールズトークになってしまったのが残念。「From BOX」にリンクする前日譚としての機能はあるけれど、見ている最中は箸休めみたいになってしまっていると感じた。
新宿カルト9

新宿カルト9

劇団東京ペンギン

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2011/05/13 (金) ~ 2011/05/15 (日)公演終了

タブーのようで
劇団紹介にもあるように、“ゆとり世代生まれであることをいいことに「やってはいけないことを分からないフリしてやってしまう」”のが作風で、今回などもろにそれを狙ってやったのだと思われる。
しかし、本作を拝見した限り、「言っちゃいけないことを言っちゃう」つもりでいて実質何も言っていない、と感じた。

各宗教とそれを紹介(代表)するキャラクターが、宗教を象徴しておらず、特徴を捉えていない。なので宗教の要素を使って笑いを取っているが、風刺になっていない。
総じて「宗教キモーイ」のまま終わってしまっているように感じて残念だった。

この作家・この劇団、というかこの座組の共通見解として、何を宗教と捉え何をカルトと認識しているのか、何を許容し何を批判するのか、その線引きが見たかったし、それがハッキリしていればギャグがおのずと風刺に近づくのではないだろうか。

ともあれ、劇団のカラーを積極的に打ち出しているところや、色々な面白い試みに取り組むところなど、意志や意欲の面で共感や好感を覚えた。

ネタバレBOX

特徴を捉えていない、という部分で言えば、最後の創価学会のところが顕著。
実質、名前がそのままなだけで、他の宗教/カルトに置き換えても成立してしまう内容なので、危なそうでいて全然危なくない。

当事者が見たとしても、あれでは痛くも痒くも無いのではないか。
むしろ「やっぱり外の人はわかってくれないよねー偏見もつよねー」という、一般論的な被害者意識を抱くだけで終わってしまい、その宗教の持つ課題や、社会との立ち位置などに考えを巡らすことが無いように思う。

また、逆に信仰を抱かない人間にとっても「やっぱ宗教ヨクナイ!」とぼんやりしたイメージで忌避する日本の現状(だと思ってます)のまま終わってしまい、建設的な批判にならないと思う。

今作で「宗教は最高のエンターテイメント!」と掲げてタブーに挑戦する劇団東京ペンギンが一番戦うべきは、創価学会単体でもなければもちろん宗教全般でもなく、「宗教=タブーっぽくね」と安直に考える類の信仰のない人々と、自分の宗教に批評的な視線を抱かないタイプの信者なのではないだろうか。
無い光/変な穴(御来場ありがとうございました・御感想お待ちしています)

無い光/変な穴(御来場ありがとうございました・御感想お待ちしています)

MU

OFF OFFシアター(東京都)

2011/03/24 (木) ~ 2011/04/03 (日)公演終了

『無い光』初日観劇
『無い光』の長編Ver.観劇。
個人的には初演の方がギュッとしてて好きだったけど、それでもやっぱりこの作品の結論が、主人公の最後の主張が、甘くて恥ずかしいながらグッと来てしまう。
これがまさにロマンチックということだと思う。

ネタバレBOX

死ぬ間際に見える「光」にすがってしまう友人(以上だけど)を、自分の仕事「記事」で思いとどまらせようとするライターの言葉で幕を閉じる。

恥ずかしいこと言うけど、自分の大切な人を救うのが自分の信じた表現だったなら、なんて素敵なことだろう。
現実には救いは日常の些末な出来事だったり、もっと言うと救うのが自分じゃなかったりするんだけど。でもそれってやっぱり希望。

客席の人数とか、ご時世とか、色々あるのかもしれないけど、MU特有の「笑っちゃいけないこと」を笑っちゃうことでどんどん物語的にもドライブできるところが初演に比べて薄く、尖ったギャグとグッと来る物語が乖離している気がしたのが残念。沸いてる客席で観たかった。

とはいえ、何かを作って発表している人なら、一度は憧れてしまう上記の思想(a.k.a.妄想)を、嫌味なく見せてくれるのが素敵。あのシーンが観たくて観に行く芝居。
恋する、プライオリティシート

恋する、プライオリティシート

コメディユニット磯川家

王子小劇場(東京都)

2011/02/05 (土) ~ 2011/02/14 (月)公演終了

「良いお話」ではない。
コメディユニット磯川家は団体としてとても好きなので、こんなこと書くのは気が重いのだが、この作品は果たして「良いお話」なのだろうか。自分は決してそう思えなかった。
障害をテーマにコメディをつくっているのに、障害やそれに伴う差別に対する視点に配慮が欠けているのではないだろうか。

公開されているあらすじや作品の冒頭を観るに、「障害を持ったことにより我侭で、意地を張っている主人公が、恋を出来るのか」または「恋によってどうかわるのか」が主題になっているのは明白だ。
しかし、主人公の女性と王子様である男性との恋が本筋にない。

また、最後に主人公の決心を変える展開が論理的にも「それ解決になってないじゃん」と納得がいかなかったと同時に、倫理的にも「それこそが差別の構造じゃん」と思い、乗れなかった。
そもそもこの作品、「下半身不随」と、他のマイノリティとで、描かれ方に差別が存在していなかっただろうか。車椅子のお姫様だけが最後まで「お姫様」として甘やかされていなかっただろうか。
そしてそれを「良い話」として多幸感っぽく描いて、勢いと豪華さと出演者の魅力によってこんなに皆が「良い話でした!」と評価している様に問題を感じざるを得ない。

自分は磯川家「ティーチャー!!」の、コメディをただコメディとしてやりきる姿勢に感動したし、一切切実なことを語らないことによって「笑わせる」「盛り上げる」という“コメディであること”に切実な様が格好良いと思っている。
ピアノ生演奏の「What's a wonderfull world」の美しい旋律より、「ティーチャー!!」の爆音の「学園天国」の中出てきたカーテンコールのほうが、自分には美しくうつった。

(表現の平易さとして“害”の字で表記しています、あしからず)

ネタバレBOX

理香が終盤に決断したTV出演という「自分の身を晒して、金を稼ぐ」という行為は100%悪しき、哀しき行為なのだろうか。

確かに、それは哀しい側面があるけれど、「自分の障害のせいで他人に迷惑をかけたくない」という理香にとって、「自分で稼いで生きていく」ことこそ、矜持を保つ上で必要だったのではないだろうか。
それを、一方的な「甘えていい」という説によって、理香の決意を聞く間もなくドッキリ的な展開で、大人数で、仕組んだ作戦によって有無を言わせず頷かせる様を「良い話」だとは思えない。

また、それの最後に明かされた、「歌手が実は男でゲイ」という展開。車椅子の女性が晒し者になるのは無理やりにでも止める展開で、ゲイで女装の歌手が晒し者になるのは万歳、というのはいかがなものか。
また、EDで子供の出来ない男が「インポ」とネタにされ続ける点。ネタにするのがいけないわけではない。しかし足の不自由な理香は笑いのタネになって
いない。「インポ」や「ゲイ」は物語内で見せ物になってもネタとして扱われても良くて、足が不自由な主人公は晒し者になってはいけない、というふうにとれてしまう。

そもそも、理香の序盤の男遊びに象徴される「障害によって調子乗っている我侭さ」と、障害によって迷惑かけたくないと「気を使って意地を張っている」という二点は、同じく障害によって確立された性格ではあるが、別の話なはず
だ。
しかし、序盤では「障害により我侭」という悪しき面が明かされるが、中盤以降は「障害により気を使っている」という良き面のみしか語られなくなっていないだろうか。
そして「気を使っている」という点だけが取り上げられて周りの「甘えていいんだよ」という意見で解決したっぽくなる。

「甘えていいんだよ」もなにも、最初っから最後まで、理香は甘えていないだろうか。
ずっと気を張って一人で生きてきた人間に、「甘えることで社会とつながっていい」を提示しているのではなく、甘えて生きてきた人間が、自分を削って自活しようとするのを一方的な善意でとめてるのではないだろうか。
それでは「障害者は、自活しようと思うな、ずっと甘やかされていろ」というメッセージになってしまう。

そんな結論が前述の「ED」や「ゲイ」に対する視点とともに示されることによって、「そういう差別じゃん」と思われて仕方なかった。

個人的には、良くも(障害によって周りに気を使う)悪くも(調子乗ってる、我侭)障害によって自己を確立して・特別視して・自己完結している女性に「お前特別じゃねーから」と突きつけることによって、対等な社会の一員となってほしかった。
それを叶えるのが、「恋」という圧倒的なエネルギーであってほしかった。
レストランじゃないっ!!!【終了いたしました。ご来場ありがとうございました!!!】

レストランじゃないっ!!!【終了いたしました。ご来場ありがとうございました!!!】

コメディユニット磯川家

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2010/09/23 (木) ~ 2010/09/26 (日)公演終了

ベタで独自なレストランもの
レストランの一週間モノなのに、全く“お話”に落ち着いていないところに好感。
さりげなく散りばめられた伏線が、これ見よがしに回収されていくような、頭良さげな“モテ伏線”にならず、笑いにしかなっていないところが誠実。
一週間の話ということで幕を割り、時間の経過をうまく使ったネタが多く、いつもに増して気楽に見られる。
ただキャラクター寄りで破綻したネタが多いからこそ、暗転でリセットさせずに「訳わからないけど笑ってしまう」「どーでもよくなる」「箸が転げても笑う」状態になりたかった。そういう意味で一幕一場のファルスの方が似合う向きも。

ネタバレBOX

「潰れかけの飲食店の一週間を描くコメディ」という時点で小林賢太郎プロデュースの『Sweet7』を想起し(ほぼコピーのオリジナル作品をいくつか小劇場演劇で観たことがある)一抹の不安がよぎったが、全くの杞憂だった。
また、レストランを舞台にしながらも、全く“料理”“客”の要素が無く、「売り上げを上げないと潰れる」という設定で始まりながらも、全く『頑張れベアーズ』的なダメ人間のサクセスストーリーにならない点が珍しい。そういう意味で三谷幸喜の『王様のレストラン』にも似ていない。
そもそも、本作はレストランものの何の作品にも似ていない。
最初、当日パンフレットの配役を見たときに、登場人物が苗字で紹介してあるのに対し「登場人物の人間性を見せる芝居じゃないんだから、役名を役職とかにしちゃえばいいのに」と思った。しかし、本編を見ると、むしろ役職こそどうでもよく、ハッキリ言ってこのメンバーがいれば何屋でも良いものだった。そう考えるとこの表記にも納得。

「ベタな設定をあえてやる」「オリジナリティは無いけどクオリティは高い」などと評されることもあるコメディユニット磯川家だが、そもそも設定などオマケに過ぎず、彼等がはしゃぐだけで作品が成立する時点で、彼等の公演はどこからの借り物でもなく、コメディユニット磯川家固有の表現といえるのかもしれない。
視点 vol.1 Re:TRANS(MU×ミナモザ×鵺的) 満員御礼、審査発表をblogにて公開しました!

視点 vol.1 Re:TRANS(MU×ミナモザ×鵺的) 満員御礼、審査発表をblogにて公開しました!

視点

ギャラリーLE DECO(東京都)

2010/09/21 (火) ~ 2010/09/26 (日)公演終了

新しい合同公演。中身は傑作揃い。
最初はタイトルと副題と団体名の多さから正確に理解していなかったが、「視点」というコンペティションシリーズの、「Re:TRANS」がテーマの興行とのこと。
合同公演といっても、劇作をする1ユニットが主催者になり、投票も行い賞を設けるコンペティション形式、ということでどういうものになるのか気になっていた。もしや新しい公演形態の走りになるのではないか、という期待も含めて。
公演の形態としての是非は、結果発表を含めてなので追いながら見守り、勉強させてもらおうと思うが、こと内容に関しては初日から紛れもなく傑作揃いだった。

狙ってなのか偶然なのか不明だが、共通で扱われるモチーフである「心の傷」だけでなく、ミナモザ→鵺的→MUという順番含めて、非常に統一感のあるイベントで、見る際のテンションにも合っていて心地よかった。

ネタバレBOX

ミナモザ『スプリー』は、翻弄される主人公(男)はもとより、愛しすぎるがゆえに屈折した表現をしてしまう女医の狂気が良い感じにデフォルメされていて、軽妙なやり取りが一つのコメディとしてすごく面白かった。
だが、前半が一気にコント寄りのコミュニケーションに振り切れた結果、終盤の男が「罪」と「赦し」の語りに入る瞬間の違和感・段差のようなものが気になってしまった。一瞬そういうギャグなのか?と疑ってしまう感もあった。
余談だが、昨年上演された際にチラシで衝撃を受けたものの観られず気になっていた『エモーショナルレイバー』の再演の仮チラシを見て「エモーショナルレイバー」の意味を知り、俄然興味が沸いた。このテーマを、この設定で、この会話で見せてくれるなら、と期待が高まる。

MU『無い光』は、いろいろな物を実名出してディスるし、平気でシャブ吸うし、終盤はスピリチュアルなものを否定して切って捨てる結論に至りながらも、やはり最終的に作品を貫くのはハセガワアユム氏のヒューマニズムであり優しさ。
「『光』なんて無い」と言い切る後藤(ライター)のスタンスや、その姿から描かれる「人と人の関係性こそが希望である」という結論が嬉しいし安心できる。
また、後藤が、自分の作品(記事)でもって愛しい人物の個人的な問題を救おうとする姿勢は、あまりに甘く・恥ずかしく・臭いながらも、創作者なら誰もが夢見る希望だったりするので、そこを惜しげもなく出してくるところが心憎い。
以前、MUに対する劇評で「やはり僕はMUの演技スタイルは、描こうとしているものの実直さに対してコミカル過ぎると言うか、親切過ぎる印象を抱いている」(DULL-COLORED POPの谷賢一氏)というものを見て、自分も「うん、たしかにそれはそうかも」と思っていたが、今回は切実なテーマとコミカルなやり取りが「甘いけど憧れちゃう優しい結論」によって結実しているように見えて、MUのスタイルの意味がハッキリと伝わった。こういうことだったんですね。
なので、もちろんMUの全作品を見ているわけではないが、自分の観たMU作品では最も好きだった。
確かに3作品のトリに位置しているし、休憩も挟むし、前2作品を受けて~のような脚本ではあるものの、それを差っ引いても一つの短編作品として素敵だった。自分は1位に(なるっぽく)投票した。
そして、非常に僭越で勝手ながらも「パンクな姿勢」と「人への優しさ」という両面こそ、劇場でお話させて頂いても文章を読んでも感じる、まさにハセガワアユム氏の姿そのものじゃないか、とも思ってしまった。

投票の仕方について少し言わせてもらうと、劇団ごとに投票する欄で、各劇団に三項目の中で一つずつ丸をつけるというのが選びづらかった。三部門についてそれぞれ劇団名を書かせるスタイルの方が選び易いし勝負っぽくなるのでは、と思った。
サーフィンUSB

サーフィンUSB

ヨーロッパ企画

本多劇場(東京都)

2010/08/04 (水) ~ 2010/08/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

なまくら刀で鋭く切るSF
この劇団の代表作「サマータイムマシン・ブルース」(も素晴らしいが)より、よっぽどSFしている。
世界を切り取る・記述するSF作品であることと、ヨーロッパ企画らしい日常会話のコメディであることが奇跡的に一致している傑作。
むしろ、笑いであり一般に“ユルさ”といわれる雰囲気を崩さないままに世界を語り、ディストピアを見せ、それに回答を示す様が秀逸。
「SFの世界観でコメディやっちゃいました」ではなく、「コメディにSFのガジェット使っちゃいました」でもなく、SFの世界観と人間の関係性こそがコメディであり、コメディであることによりSFとしての切れ味が増している、これぞ本当のSFコメディなのでは。
生身の、日常の、一般人の身体を引きずって、世界を切り取る、一つのモデルケース。

ネタバレBOX

自然への回帰運動であるサーフィンが、科学文明の象徴バーチャルシステムの「サーフィンUSB」に取り込まれてしまう瞬間が、とてもくだらないノリなのに恐ろしい。

また、決して尖らず、熱くもならず、徹底してくだらない動機と弛緩した空気のまま「自分達がサーフィンUSBでウケなかったから諦める・拗ねる」というしょうもない理由でもってバーチャルやサーフィンUSBなどの“ディストピアな世界”に背を向けさせている。ここが秀逸。

あとハンバーガーのくだりはまさに話芸の域。
ザ・ベストマンションシリーズVol.3F

ザ・ベストマンションシリーズVol.3F

コメディユニット磯川家

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2010/07/14 (水) ~ 2010/07/18 (日)公演終了

『BOYS BE...』演劇という蛮勇
まさに「やりやがった…!」という印象のコメディユニット磯川家『スウィートガールズと僕』。
舞台上でBOYS BE...的世界観を実現させるという豪胆さ。
そしてそれを可能にするのは、コメディの文法…というより、役者個人のいわゆる“面白さ”。
舞台上であの甘ったるすぎる世界観を実現する暴挙に苦笑し、そしてときおり役者のコメディ力に素直に爆笑するうちに、本気でその激甘空間に萌え、いや悶えていくという不思議な体験。
下手なファンタジーや下手な不条理ものより、よっぽど異世界を見せてくれる演劇体験でした。

ネタバレBOX

ただ、だからこそ、中盤から終盤での進路や自己実現の葛藤はもっと抑え目でもよかったかもしれない。感情移入する余地が無い方が、閉じた・完成された世界だったかも。
ともかく、あの世界観や登場人物を信じきってやりきったことに拍手。

同時上演のサスペンス作品『ソラド』はもっと説明を省いてもスッキリ・サクッと見せてくれたほうが良かったと思う。
『HELP』は舞台装置が主役の作品で、あの物体は反則。最初の登場シーンはバカすぎて誰もが笑ってしまうズルさ。ドリフの世界。
BOOKEND

BOOKEND

INUTOKUSHI

早稲田大学大隈講堂裏劇研アトリエ(東京都)

2009/11/26 (木) ~ 2009/12/01 (火)公演終了

笑いで笑いを語る
当日パンフに自叙伝とあるが、自分にはむしろこれからの創作への宣言に見えた。「下手な感動は排し、シュールで不謹慎でポップな笑いばっかりつくる」という宣言。
この、「笑い」という題材を「笑い」という表現方法で描くのが英断というかリスキーすぎてビビった。だって、テーマが結実するクライマックスのネタで笑えなかったら、それまでの物語で語ってきた「笑い」論が無に帰してしまうから。
あと、役者の器用さ・パワーやスタッフワークはさすが早稲田の劇研だった。

ネタバレBOX

そういう意味では、最後の時間を巻き戻して「くだらなくやり直す」というシーンが最大のネタになっていなかったのが唯一にして最大の弱点。
「同じ状況が目線次第でこんなにバカバカしく!」っていう上手さ、巧みさで舌を巻かせるか、もしくは「辻褄とかどうでもいい!ネタはそこまでじゃないけど笑っちゃう」っていう多幸感(?)どうにでもなれ感(?)までいくか、どちらかに突き抜けなければいけなかったのではないか。
「笑い」を「笑い」で語る以上、あそこが一番ウケる必要があったのに、直前のゴスペラーズの方がウケていたのが残念。

ラストが突き抜けた状態をもう一度みたい。そしたら最高だ。
ティーチャー!!

ティーチャー!!

コメディユニット磯川家

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2009/10/02 (金) ~ 2009/10/04 (日)公演終了

軟弱じゃないシチュエーションコメディ
徹頭徹尾、コメディ。ちゃんと、コメディ。
はっきり言って感情の線を追えない人物達の、笑わせるための演技、笑わせるための脚本になっているが、それが確実に結果を出していて潔い。正しすぎる。
現代口語演劇やそれに触発された周辺のリアリティの芝居に対するアンチであり、一つのアンサーとも言えるんじゃないか。
なんてことを考えるまでもなく楽しんで見られる芝居。笑った!

ネタバレBOX

開演前のアナウンスで、舞台上手・下手の先にどんな空間が続いてるかを説明(笑)しちゃう件からして、「そんなところを細かい芝居で伝えてる暇はねぇ」という、ド頭から笑わせる気概が見えた気がして、その姿勢に恐れ入った。
呪われたバブルの塔 -ビフォーサイド- 【舞台写真掲載!】

呪われたバブルの塔 -ビフォーサイド- 【舞台写真掲載!】

北京蝶々

OFF OFFシアター(東京都)

2009/10/01 (木) ~ 2009/10/12 (月)公演終了

お手本なビフォー
面白かった。「バブルとは」を語る、テーマを打ち抜くところと、ホラーとして楽しませるところのさじ加減がとても好みだった。
一作品としてみたら軽めの素敵な小品って感じだけど、多分両方見るとガッチリお腹一杯になるんでしょうと期待。
なにより、ビフォーとアフターによって物事を語る手法、そういった思考法に共感でリスペクト。

ネタバレBOX

バブルと幽霊を重ねた視点が面白い。
個人的に北京蝶々の作品ではそういったモチーフを重ねたりテーマを強く打ち出している公演が好み。
また、観ていると中心となる夫婦の両方とも愛せるのに、その二人がすれちがい不幸になる様に納得してしまう。巧み。
片想い撲滅倶楽部(公演終了・ありがとうございました・御感想お待ちしています)

片想い撲滅倶楽部(公演終了・ありがとうございました・御感想お待ちしています)

MU

新宿シアターモリエール(東京都)

2009/09/10 (木) ~ 2009/09/13 (日)公演終了

小説→漫画
劇場でやるMUを見たのが初めてだったんですが、前見たときに思っていた「台詞や芝居のポップさと演出の差異」がなくなっていて、というか照明や音響ドカドカ使うスタイルがハマっていて、一気に敷居が低くなった感じ。と書くと良くも悪くも聞こえるんでしょうが、自分は良いほうだな、と。
ルデコで見たときに小説に思えた作品が、漫画に見えた。遠かったからなのか、派手だったからなのか、それとも脚本によるものなのか。
あと小島真由美の曲を探したくなった。

マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人

マリー・ド・ブランヴィリエ侯爵夫人

DULL-COLORED POP

新宿シアターモリエール(東京都)

2009/08/14 (金) ~ 2009/08/17 (月)公演終了

美しい・怪獣映画
興行として、20代の小劇場系劇団なのにオリジナル新作で赤毛モノ、貴婦人なのに毒殺魔、などなど、ギャップの振れ幅や思い切りのいい「ぶっこみ加減」が見ていて素敵に思える。

テーマの射抜き方、とか伏線、とかの「構造」じゃなく(もちろんシンプルながら巧みな構成なんだけど)、共感とか憧れとかの「感情移入」でもなく、台詞や姿の美しさって大事よね、ということを再確認させられた。

ネタバレBOX

マリーとテレーズの食卓での対決は、最早怪獣映画かと思った。あの瞬間は、目の前の人間が豪華なドレスを着た現代人女性とは到底思えない。

少年少女

少年少女

範宙遊泳

神楽坂die pratze(ディ・プラッツ)(東京都)

2009/08/06 (木) ~ 2009/08/09 (日)公演終了

一貫する何か
ご招待ありがとうございます。
正直に言うと自分は、理で、物語で作品を楽しみたいので、好みとかは異なるんですが、それでも面白かった。
劇団員の大橋一輝氏はじめ、こんな飛びぬけていてこんなに真摯でこんなに真面目な人が淵野辺で蠢いていると思うと恐ろしい。

ネタバレBOX

当日パンフレットで、脚本演出の山本卓氏の“一貫したくない”というコメントがあった。
お客さんの解釈(幅)や劇団の方向性(今後)などは一貫しないのだろうし、したくないのだろうけど、公演の隅々まで演出家の意向が染み渡っていて、そこは“一貫”している、一貫していて良い、と思った。
ばべるの塔の僕とガイジン【ご来場ありがとうございました】

ばべるの塔の僕とガイジン【ご来場ありがとうございました】

ザ・プレイボーイズ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2009/08/01 (土) ~ 2009/08/05 (水)公演終了


チケットプレゼントで招待されてるのであんまりアレなことを書くべきじゃないのかもしれないけど、そこで胸にしまっておくのも正しくない気がして書きます。 ご招待ありがとうございます。


自分は「どちらかというと白人」チームの回を見たが、シンイチ役の松居大悟氏が出色の好演だった。彼が自劇団のゴジゲンでよく描く、ダメでバカでナイーブな大学生、という役がピッタリはまっていた。

ガイジンの扱い方、描き方こそ疑問が残るが、二人の交流はベタならではの面白さ、素敵さで愛らしくなる。ザ・プレイボーイズの前作に比べて言うと、ダメ男達のはしゃぎ合いではなく人数を絞ったのは正解。

ただ、意地悪でパワフルなおじさんに全く好感が持てない。え、あれ意識的に敵対心を煽ってた訳じゃないよね?

ネタバレBOX

そして最後、ガイジンが内戦中の自国に戻ってからの、世界平和論が頂けない。いきなり熱く語る主人公とおじさんのバックボーンが見えず、とってつけたような台詞と、70年代的「ぶつかってこい」演出の暑苦しさには赤面すらしてしまう。

また、「人より上に行きたい」という思想が争いの元、というまさにバベルの塔の逸話が主人公から語られるが、これが主張かと思いきや最後に主人公が「いつか平和になったらデカい塔を建てて、最上階でまた一緒に暮らしたい」と叫ぶ。
え?バベルの塔、建てるの?認めるの?それとももしや「それでも塔を建てたがる人間の業」ってこと?

そしてとんでもないオチがやってくる。
「実はドッキリで、ガイジンの国は内戦してないしガイジンも帰国してなかった」というもの。
これは直前の熱さの照れ隠しなのかしらないけど、このドッキリによって、バベルの塔の逸話をなぞりたいのか、そうでないのか、世界平和論を唐突に語り出した意味があるのか、「迷う」のではなく「意味不明」にされる。どういう意図なのか(知ってる人いたら教えてください)。

あと、今回行った理由でもある「1985年生まれの劇団主宰」は、結局自己紹介以外何も語られていなくて残念。企画がパクりでも何でもよいが、パクったスタイルで何を語るかだと思う。司会や進行がアレだったけど、それ以上にそこの中身を考えてほしかった。

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