たくらみと恋
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2017/02/18 (土) ~ 2017/02/19 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/02/19 (日)
座席3階A列11番
価格4,000円
これを観られたのは、至福の幸運。
シラーの戯曲なんて日本ではまずやらないだろうから、記念に観ておくかくらいの気持ちでチケットを買った。もちろん、レフ・ドージンもマールイ・ドラマ劇場のことも知らない。外国語の演劇は字幕がついていても、映画と違って同じ画面の中に納まっていないので、やたら首を振らなければならないので、そのしんどさもあって乗り気の観劇ではない。ロシア語なので単語聞いても、全く判らないだろうし。
この戯曲は、シラーの中でも有名な作品らしい。それも悲恋もののようだ。古典主義の悲恋物は、ガチガチの硬さ(几帳面さ)と形式主義のイメージ。退屈かな、疲れるな、と席についても悲観的な観測。そう、あくまで記念だよ、記念、と私の心の奥底がつぶやいている。
しかし、開幕10分で杞憂は裏切られる。この舞台は、ひたすらラストの悲劇に邁進するのだが、それが時間を感じさせないくらいにぐいぐいこちらの心を鷲掴みにしていく。そのポイントは、軽快な音楽を使い、ところどころで軽妙(セリフ回しや女性陣のテーブル上のダンス?など)に、笑いさえも挟み、本来は重いトーンで貫かれている戯曲に弛緩と緊張を交互に与え、けして観客を飽きさせない。
もちろん、タイトルの通り、権力による「たくらみ」は陰湿で執拗で、本来なら見ていて強い嫌悪感をいだかせそうなストーリーである。そこに純真な恋愛感情が翻弄されるわけだが、物語に通底するテーマを削ぐことなく、けして私たちに不快感を与えることはない。(ネタバレに続く)
この舞台が、わずか4000円で観られた幸運に感謝したい。
追伸:三軒茶屋駅を降りると、とにかくロシア人、ロシア人。もちろん目当てはこの芝 居。うらやましい、言葉が判って観られたのは。
追伸2:フェルディナンド役の男性、よほどキスがうまいのだろうなあ。女性陣が演技 離れてうっとりしているように見えた。
「蝉の詩」
劇団桟敷童子
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2017/04/25 (火) ~ 2017/05/07 (日)公演終了
満足度★★★★★
私は月1回、母親と演劇を観に行きます。歌舞伎(たまにオぺラ)ということもありますが、新劇が多い傾向にあります。母は戦前の生まれ、あまり突飛なものにならないことや、割とゆったり観れること、そしてできれば彼女の生きた時代と重ねられることなどを思うことからそうした傾向になっているのだと思います。
ですから、小劇場などはまず想定していなかったのですが、桟敷童子とチョコレートケーキには、母親にも観るべき何かがあるという気がしておりました。
そこで求められるのは、昭和の風景です(必ずしも明るく快いものばかりではありません)。しかし、俳優座でも民藝でも文学座でも、昭和という時代を見せてくれくれる舞台には出会えません。苦しさは個人の感情に還元されてしまい、明るさもお茶の間的なほのぼのさとしてしか表現されないのです。
そして、「蝉の詩」。初めての小劇場でしたが、見せてよかった。それは私もうろ覚えながら知っている昭和であり、感じてきた昭和がありました。生きることへの執着のある時代。これほど見事な世界を作り出すとは。
この舞台の高い悲劇性・悲惨さも、人間のリビドーが作り出す笑いでうまく中和されています。それが素直な観客の涙につながるのでしょう。けして悲劇への感情移入が涙を流させるのではなく、ひたすら湧き上がる高揚感が涙を流させるのです。桟敷童子の力量の高さです。母に見せて正解でした。
『あぁ、自殺生活。』4月~6月/365
劇団夢現舎
新高円寺アトラクターズ・スタヂオ(東京都)
2016/12/31 (土) ~ 2017/05/29 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/05/15 (月) 19:30
まず、導入が怖いです。主人公たる2人が薄明りの中、こちらに歩いてきます。何かそのままとびかかってくるのかという緊張感。最前列の私はひたすら怖い。そうでなくても、会場の雰囲気が、開演前からどうも尋常じゃないのですから。
かなり怪しい舞台だな、と思っており、会話劇ということは理解していましたが、何やかやと細かい所作が連綿と続きます。その1つが、体に巻き付いたラップをはがしていくところ。この行為に何を見るかで、演劇の印象はかなり変わると思います。
自殺する生活、それはひたすら自身を殺し続ける(精神的な意味で)生活を意味するのかなと思っていましたが、違ったようです。絶え間ない生への執着を持つがゆえ、自殺してやろうという意思に自身の生の喜びを見つける所作。自身を頬をつねりながら、その痛みで生の実感を得るようなものでしょうか。
舞台の上では、ひたすら狂気が漂い、言葉の暴走が起き、そしてしょーもないダジャレが飛び交います。これはすごく不安な空間でもあり、またどこに連れて行かれるかわからない心地よい空間でもあります。
自殺志願の男の鬱屈した目と、彼を諫める男の焦点の定まらない目、舞台が終わると、お2人とも、至極まっとうな方々で、安心しました。リピーター割があるので、少ししてからまた観に行きたいなあ。今度は芝居好きの子供を連れて。
歌舞伎ミュージカル「不知火譚」
劇団鳥獣戯画
本多劇場(東京都)
2017/05/10 (水) ~ 2017/05/14 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/05/11 (木) 19:30
座席1階E列
奇しくも今年正月に、国立劇場で上演された歌舞伎「しらぬい譚」と同じ原作の歌舞伎ミュージカル。「奇しくも」というのは、この演目自体が「復活通し狂言」と銘打たれるくらいに滅多に上演されないので、ジャンルとしては異なりますが、このスパンで上演されること自体が奇蹟に近いのです。
歌舞伎では、天草四郎などのお家転覆のファクターはなく、あくまで鳥山親子VS若菜姫、化猫(別に連合軍ではない)の図式で進んでいきます。
鳥獣戯画は3部作で、この大長編戯作を、できるだけ原作に近づけて(といっても、十分に歌舞伎以上に傾いてくれるのですが)演りとげる所存のようです。
まずは第一段。けして派手ではないですが、舞台転換をさくさくと進めながらテンポよく話は進んでいきます。仕掛けは凝っており、若菜姫が蜘蛛の精に連れ去られた後の空中演舞、後の天草四郎が亡き父の亡霊と会うときの演出、殺される悪女とその色との首ダンス、ラストの大掛かりな〇〇登場と蜘蛛の巣のセット。
いやあ、お世辞抜きで、笑いあり、活劇あり(殺陣もしっかりしているんですよね)、ダンスありの舞台はまさにエンターティメントの粋をいっております。適度に歌舞伎の所作・ルールを意識しているところなど心憎い。
石丸さんの悪女ぶりがいいですね。小股が切れ上がった痛快な悪、でも、今回で死んでしまい残念。(次回からはナレーターやるのだそうな)
出演人数も多く華やかで、ラスト出演者全員でのレビューは圧巻です。舐めるなよ伝統芸能!!!とい喝采を上げたくなりますね。
「シン・浅草ロミオ&ジュリエッタ」
劇団ドガドガプラス
浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)
2017/02/18 (土) ~ 2017/02/27 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/02/20 (月)
座席1階3列
「ロミオとジュリエット」の翻案ではありません。歌舞伎ですね。「ロミオとジュリェット」のハイブリッドでキッチュでハイパーな「傾奇」。もしかしたら、タイトルにある「ロミオとジュリエッタ」は、個人名と恋愛悲劇との掛詞に過ぎないのかもしれない。それくらい、本来の話との共通性はない。
世話物でありながら、まさに荒事。歌う躍る、殺陣あり艶事あり、駈けづり回る飛び跳ねる、修羅場もあれば見得も切る。目に焼き付くのは、胸の谷間と網タイツ、粋な漢の着崩し姿。セリフのケレン味は抜群。
舞台で起きるあらゆることが、向島の戯作者(登場人物の1人)の作った戯作のメタ芝居のようにも思えてきます。つまり、舞台で起きることが、彼に芝居を書かせているのだけれど、実は彼自身も戯作に登場する1役に過ぎない、というような、胡蝶の夢みたいな芝居です。
浅草を根城とする同劇団、この演目を東洋館でやることの意義を深く感じます。
すぐ手の先にある吉原と隅田川。そして勝手知ったる劇場を隅々まで使いこなす巧緻性。土地柄なのか、贔屓筋(ファンではない、親族や友達でもない)も多そうですし。
飲食禁止ではないこともよいです(芝居の邪魔にならない範囲ですよ)。大衆娯楽で飲食禁止はないよ。
樹里恵の服装はナコルルですよね、赤バージョンの。
客席通路に立つ樹里恵こと古野あきほさん、横で観ていて凛としてカッコよかったな。
「狼眼男」こと毛利小平太の丸山 正吾の客席を駆け抜ける横の速さと、舞台に飛び乗る時の縦の軽快さにも目を見張った。
また拝見に伺うと思います。そのせつも宜しくお願い致します。
TERROR テロ
パルコ+兵庫県立芸術文化センター
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2018/01/16 (火) ~ 2018/01/28 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/01/20 (土) 14:00
座席1階18列16番
観劇後に、同行した方と、今観た舞台について意見を交わすことはよくあることです。1人観劇でない限り、少しお酒を入れての反省会(アフターファンクション)は、観劇の楽しみの一部であり、よほどのことがない限り外せないものです。
その時に時間が取れなくとも、別の観劇の意見なども交えながら、後日、飲み会の席で交わす演劇論議は、「あ、それ観たかったな」とか「○○はちょっと苦手なんだよな」なんて、たわいのない会話は、観劇人にとっての日常でもあります。
しかし、今回は。
私は無罪、同行者は有罪。酒が進むほどに、議論は白熱し、声のトーンも上がっていたのではないでしょうか。議論の中心は、憲法違反を許すべきか(加えて、軍人として命令違反は許されるべきか。生命の軽重を図ってはいけないにしても、7万+164名の命を葬るのと、164名の命を葬るのとどちらを選ぶのか、という問題をどうとらえるのか。
私の回は、208対200で有罪でした。
ちょっと、興奮した2人が、場を和めるために出した結論は、、、、
まつろわぬ民2017
風煉ダンス
座・高円寺1(東京都)
2017/05/26 (金) ~ 2017/06/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/05/28 (日) 14:00
座席1階1列
いやあ、素晴らしい。白崎映美さんの女っぷりのよさに拍手拍手!!!!鬼、東北、ゴミ屋敷、行政、1000年。言わずもがなですが3.11が舞台の背景にあります。しかし、けしてそれを引き摺るではなく、そこを原点として前に進もうという意思であふれています。いやあ、歌とユーモアとダンスの奔流は2時間半を、物凄い強度で圧縮し、けして淀みを見せません。とにかく観てください。私の言葉などでは何も表現できません。
舞台を初めて観る方に、なぜ「絶対観るべし」がないのだろう、とちょっと意固地になります。
Die arabische Nacht|アラビアの夜
shelf
The 8th Gallery (CLASKA 8F)(東京都)
2017/06/02 (金) ~ 2017/06/05 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/06/02 (金) 19:00
ローラント・シンメルプフェニヒの「語りの演劇(Narratives Theater)」とはそういうことだったのか。本来、演劇とは「語るな、演じろ」ということが基軸だと思っていたし、説得力を感じていた。しかし、壁も扉も階段もない空間で、床に示されている位置や状況のみを説明する文言。登場人物は舞台装置の変換ではなく、自身の発する言葉で、今の自分の状況を示し心情を吐露する。始めは何とも違和感を感じたけれど、進行するうちに、その最小限とも言える身体表現が言葉で膨れ上がり、何よりも大きな説得力を持ってくるのである。なるほどね。
ドグラ・マグラ
演劇企画集団THE・ガジラ
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2017/06/04 (日) ~ 2017/06/12 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/06/07 (水) 19:00
「生きていたのか呉青洲!」という、まんまの舞台でした。そこが凄いですよね。「ドグラマグラ」は一旦、読み手の解釈を加えたとたんに破綻してしまうような作品です。一生、直には見られない自分の顔のような、掴むことのできない雲のような、逃げられない影のような作品。作品との距離を付かず離れず、微妙なバランスで保ちながら演出するのは大変だったろうなと思います。忠実に忠実に、そのためには削除も厭わず、「ドグラマグラ」の神髄を抜き取り見せるような舞台でした。
(えっ?何を言っているか判らないですって。私はまだ胎児ですので許してください)
夜光
グループK+直也の会
シアターX(東京都)
2017/06/14 (水) ~ 2017/06/18 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/06/15 (木) 19:00
座席1階A列3番
出演者総勢47名という大掛かりな芝居。活劇あり、エロスあり、サスペンスあり、情話あり、2時間30分という長丁場だが、緩急がしっかりしているのでけして飽きさせないし、疲れさせない。途中休憩を入れなかったのもよし。入れていればせっかくのテンポが途切れてしまい、あれほど感動のする舞台はできなかったと思う。役名のない役も含めて、人数の多さにもかかわらず登場人物それぞれ人物像を掘り下げていることに配慮している点も見事。オープニングの絢爛さとクライマックスの盛り上がりは、これが舞台かというほどの作り込みで、場面転換の手際もよい。ダレないのだ。
空を飛んだ後のライト兄妹
東京パイクリート
小劇場B1(東京都)
2017/01/25 (水) ~ 2017/01/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/01/26 (木)
座席1階1列
まずはお詫びをいたします。所詮、飛行機とかのセットはないんだろうな、と少し侮っておりましたが、何と素晴らしいセット(飛行機!)を作ったことか。確かに、空を飛ぶことはないのですが、そのセットとたまに出てくるエンジン音だけで、”ライト兄弟(妹)”のドラマであることを強く強く印象付けます。
そして、各役者さんたちのキャラがエッジ立ちまくりでキレキレ、服装・仕草・小道具・言葉使いに工夫がなされていて、彼らの交錯する芝居は多彩なパステル画を見るようで一切飽きさせません。特に内藤羊吉、用松亮のライト兄弟の強烈な個性は仲がよいのに全く異なる(それでも高い共感性を保っている)2人をうまく描き分け、前半は弟中心に、後半は兄中心に進む構成もメリハリが効いていてとても心地よいもでした。そして、ともすれば濃くなりすぎそうな芝居全体を、妹キャサリン役の内海詩野さんがうまく中和してくれます。
とてもよいものを見せていただきました。
幻の国
劇団昴
Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)
2017/09/12 (火) ~ 2017/09/24 (日)公演終了
満足度★★★★★
劇団昴ザ・サード・ステージ公演の舞台であるにもかかわらず、脚本・演出が古川健
日澤雄介のコンビということで、劇団チョコレートケーキの色濃い骨太な舞台。このコンビは、時代を切り取らせると本当にうまい。宿命に流されず、運命に偏らず、それでいて時代の中でもがく人間描写がいつも胸を打つ。
ドイツを扱った舞台ということで、青年座の「旗を高く掲げよ」をすぐ思い出したけれど、あちらも脚本は古川健氏だったよなあ。そうして観るとこれは後日譚と言えなくもない。
金華玉条のように奉ったナチズムから社会主義に、嬉々として思想的な転換を図ったあの夫婦。彼らが観たその40年後のドイツがここにある。「幻の国」の夫婦の健気さと贖罪意識を、「旗を高く掲げよ」の夫婦は遂に持つことはできたのだろうか。
この2作の関連性を、一度古川氏から聞いてみたいものだ。
-平成緊縛官能奇譚-『血花血縄』
吉野翼企画
こまばアゴラ劇場(東京都)
2017/06/22 (木) ~ 2017/06/24 (土)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/06/22 (木)
座席1階1列
柴奏花、高畑亜実といった月蝕歌劇団でおなじみの女優さんが出ていたので、緊縛入りの官能痛快娯楽活劇的な舞台を予想していたのですが、かなりシリアスなお芝居です。
「官能」「緊縛」という言葉に期待して観に行くと、ちょっと肩透かしをくらいます。もちろん、北條華生さんの艶やかな肢体に縄が食い込み、鞭が舞いますし、セリフや小道具はかなりエロなことは認めますが、実はこの2つの言葉、この舞台を語る上では、かなり重要なキーワードになっています。
説明書きの「―あたしはあの女が大嫌い。・・・・」の文章、何のこっちゃと思われて、読み飛ばしておりましたが、舞台を観るとよく解ります。
独唱、演奏、コーラスを交え、ろうそくやマッチ、提灯のほのぐらい灯りとピンポイントのライティングの絶妙なバランスが、効果的に舞台を演出します。この点では、エンタメとしても高得点です。
そして、皆さん演技に淀みがありません。拍手!
とてつもなく長い年月を経た、学校を休んでしまった女子学生の一晩の物語。
かなり、「女性」という存在を(作品が作られた時代的な縛りはあれ)真摯に問うた舞台です。
The Dark
オフィスコットーネ
吉祥寺シアター(東京都)
2017/03/03 (金) ~ 2017/03/12 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/03/06 (月) 19:30
座席1階C列12番
予定調和にしないこと、間隙を作り観客に読み込ませる部分を設けること。単に意外性を追求するのではなく、本来現実にありうる偏りや欠落を示し、バランスボードにうまく人物を配置しないこと。この舞台のそうした配慮に感心しきり。
同じ間取りの3軒の家に3つの家族が位している。間取りが同じなのだから、3軒は同じセットの中を縦横に行き来するのだけれど、こうした舞台設定はそんなに珍しいものでないようです。(この日はアフタートークがあり、中山祐一朗さんがそうおっしゃていた)
同じ間取りを使うとなれば、それぞれの家族のシンメトリーを映し出すことが物語進行の肝になりそうなものです。確かに3つの家族は異なります。
15歳の引きこもりの息子がいる倦怠期の夫婦、新しい赤ん坊(娘)を授かりながら、過去に幼い子供を亡くしたトラウマからいがみ合う若夫婦、大きな息子(彼がある性癖がある)を持ち夫をなくした老母。確かに家族の像はバラバラです。
この3家族は、全く異なるシチュェーションで、同じセリフをシンクロさせながら笑いをとったりしますが、常にどこかが仲間外れです。一家惨殺の事件に関心を寄せる2家族、流れのままに不倫をする2家族、停電で灯りを持っている2家族、子供たちが意思疎通する2家族、食事をする2家族、シャワーを使う2家族、バーナーのある2家族というように。
それぞれの家族は当たり前といえば当たり前のように、横並びではありません。停電の闇で、登場人物の心の闇が動き出す、確かにそうした舞台なのですが、微妙な仲間はずれが、闇の濃淡・深浅を紡ぎだします。
「緑のオウム亭ー1幕のグロテスク劇ー」
雷ストレンジャーズ
小劇場B1(東京都)
2017/03/01 (水) ~ 2017/03/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/03/03 (金) 19:00
座席貴族番
かなり前に配られたチラシ(今のチラシと仕様が違い、裏面が白紙、内容も全く分らない)で「一幕のグロテスク劇」というタイトルを見かけてから、これは絶対見ようと心に決めていました。あの毒々しいオウムの絵に魅入られたともいえます。
フランス革命ーバスティーユ襲撃時の興奮が、劇の進行と共に居酒屋の中でも高まっていきます。劇中劇は、虚構なのか現実なのか。それらが混沌としてきたときに、居酒屋内の人々の判断は断絶し、狭い空間で各々の言動は暴発を始めます。
そして、劇中劇と現実との狭間を取り払い、大きく引き金を引いてしまうのが、あの人とは、、、
舞台衣装もよく調達したな、という感じで、特に浮浪者の衣装は、動くたびに本当にほこりが立つんですよねえ。
上演時間は80分。時間が残り少なくなった時、どのようなエンディングを迎えるのかと思いましたが、彼らは夢中の混乱から現実の混乱へと舞台を移動して行くのでした。
多くの笑いもあったけれど、物語の節々でエッジを利かせながら話の散逸を防ぎ、シニカルなセリフと時折起こる極度の緊張は心地よい。入りの静けさからスピード・ボルテージがどんどん高まっていき、最後の唐突に見えるエンディングは、まるでラベルのボレロみたい。
辻しのぶさんは確かにきれいです。適度な熟れ具合がまた。胸の谷間をまじかで観られたのは眼福。(あれ、最近こんなことばかり書いているなあ)
「クラゲ図鑑」
えにし
「劇」小劇場(東京都)
2017/07/06 (木) ~ 2017/07/09 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/07/09 (日) 17:00
脚本の西村太佑さんも納得の回り舞台(グワィニャオン好きにはたまらない)。このセットが場面転換をスムーズにし、時間軸の転換に違和感を持たせない。少年時代の主人公から青年時代への主人公への主観の移行も、この回り舞台のせいかさっくりと納得させられる。
旗を高く掲げよ
劇団青年座
青年座劇場(東京都)
2017/07/28 (金) ~ 2017/08/06 (日)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/07/28 (金) 19:00
座席1階A列6番
今、日本人が新たにナチスドイツ下の庶民の生活を描くことには、時代の要請があるのだと思う。彼らのような悔恨を抱かないために。
脚本家・演出家の時代に対する矜持を感じさせる力作。
ルート64
ハツビロコウ
【閉館】SPACE 梟門(東京都)
2017/08/05 (土) ~ 2017/08/11 (金)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/08/08 (火) 19:00
座席1階1列
自身の欲望と権力欲を美辞麗句で巧妙に弱者に滑り込ませ、「教祖」となる。
批判する者・逆らう者亡き者とすることを、「浄化」という。
弱者の洗脳と忠誠を誓わせることを、「修行」という。
しかし、この実態を見破らせないように、実像をぼやかす意図でそれぞれを「グル」「ポア」「ワーク」という。
2時間がっつりでした。姿を見せない声だけ出演のグルと、教団の体質を示す逸話に出てくる並木で計6名の登場人物と4人の役者さんたち。
不測の事態、杜撰な計画、決定意思なきままの散漫な責任所在によって実行された、行き当たりばったりの弁護士殺しのその後と「なぜ?」を描いた作品。
このドラマは、1晩の話なのか、それとも数日の話か。どうも時間軸が定まらず、それでも悠久の時間が流れているようで、わずかな時間でもあるようにも思わせる。ひたすら夜明けを怖れ、相互の軋轢を増し続ける登場人物たち。海は近くにあるのか?グルの言う眩い光は一瞬でも見えたのか?
死体役の人の皆さん、どう考えても千秋楽まで持ちませんよ。あんなに乱暴されちゃ笑。
『巨獣の定理』
かはづ書屋
【閉館】SPACE 梟門(東京都)
2017/09/06 (水) ~ 2017/09/11 (月)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2017/09/06 (水) 19:30
座席1階1列
「巨獣の定理」何とも興味を引くタイトルである。「巨獣」はその世界、この場合秋川家を支配する者という意味でもあり、「ビヒモス」は悪魔の意味でもでも使われるというから、秋川家に棲まう悪魔という意味でもあろうか。「定理」とは真なる命題だから、推測するに「支配する者あるいは悪魔によって導き出された真なる解答」とでも意味するのか。
原作となった「殺人鬼」に比べると、かなり凝ったタイトルだけれど、やはり、観劇欲をそそるという意味では、秀逸なタイトルだと思う。
初日のせいか、役者の皆さま少し噛むことが多かったようで気になりました。論争劇なので、どうしてもマイナスです。でも逆にそれがなければ、かなりテンポのよい、観客を引き付けるよい芝居だと思いました。
女中部屋を舞台にし、本来の主人公である人物をほぼも出さない(確か「Dの再審」もそうでしたよね、到着しない明智小五郎とか)趣向も、舞台に現れない惨劇や混乱を、観客に想像させるということで、逆にこの連続殺人事件のスケールの大きさを感じさせるという点で成功していたと思います。
役者さんとしては、何といっても森尾繁弘、島田雅之、遊佐邦博の御3人が、舞台の柱として、役の心理の機微を演じながらも、うまくペースを作っていました。
さて、本作は原作(読んでいない)と犯人が違うのかしら、推理劇なのでネタバレになるので、詳しいことはネタバレということで。
ちょっとした不満を2つ。
1.最前列の席は地獄。足元が狭くて、足が拘束具で締め付けられるように苦しい。Mの世界。何、こ れは体験型ミステリー?
2.次回の公演は来年9月。これは仕方ないとしても、「Dの再審」再演とは残念。もち
ろん、再演でブラッシュアップしたものも観たいけれど。せっかくなのだから、この
路線の新作で、しばらくは行って欲しかったなあ。(まだ、来年に新作をやらないと
決まったわけではないかもしれないけれど)版権の切れたミステリーを舞台化するな
んて、興味深いですよ。「ドグラマグラ」や江戸川乱歩除くと、そんな舞台そうそう
ないですから。小栗虫太郎、海野十三、大阪圭吉等々、素材に事欠かないのに。
JUKEBOX 2018
劇団天動虫
梅ヶ丘BOX(東京都)
2018/03/21 (水) ~ 2018/03/21 (水)公演終了
満足度★★★★★
鑑賞日2018/03/21 (水) 18:00
座席1階1列
今回は短編劇数編による構成。
タイトル的にどうしても「ファム・ファタル」が観たかったので、消去法で3月21日にお伺いすることになりました。全4話で、途中、天動虫の最新ショートコントユニット(漫才ではないよね)「ゴルゴンゾーラ」のコントと、たけヒーローさんのミニライブが、入るというてんこ盛りの舞台。
ゴルゴンゾーラには、また会えるのかな。なかなかツボを押さえた笑いでした。キング・オブ・コントも3回戦くらいまでいけるのと違うかな。
ライブでは「Salvation」の曲って、こんなに良かったんだっけ、と再確認。劇中歌とかどうしても舞台の一部になってしまうので、あまり意識していなかったのだけれど、やまざきまさよし氏に通ずる切なさい歌詞とメロディーがよい。舞台も走馬燈のように思い出せたものなあ。でもね、せっかくの物販の機会を逃してはいけない。絶対、CD数枚売れたって。私買っていたと思うし。忘れてくるとはなあ。
外はやたらと寒かったのに(雪降るし)、舞台周辺春らしく花満開な雰囲気。帆足さんいわく、確かに一杯やりたくなる雰囲気です。
さて、舞台。
「喧嘩仲裁屋」は、もはやジョニーさん熟練の技ですね。適度なアドリブが心地よい。前回観たのは、レストランの狭い空間だったのだけれど、少し空間が広がっただけで、かなり軽快だし、喧嘩相手の距離感を感じられ、ちょっとした仕草が躍動感を生んでいます。やはり空間って重要だね。ここは鉄板で文句なし。
「ワンス・アポン・ア・タイム」
親友3人組、どうしても言いたいのだけれどけして言ってはいけない禁断の一言に悩む少女1人。2人の親友は、悩み込んでいる彼女を見かねて、悩みを聞いてあげようとなるのだけれど、それにはまた秘密があって、、、、という、捻りに捻ったマトリューシュカ状態の話。実はよく考えると、秘密警察が跋扈するような全体主義国家での話のようでかなりブラックにも理解できるのだけれど、それでも、女の子の友情は壊れない、という明るくチャーミングな話に仕上がっている。
なんで~、という脱力感を、ひたすら感じる、ある種の不条理劇(かな?)
一見としては、面白い作品。
「ファム・ファタル」
解説を読んだままの作品。ある芸術家が女性の塑像を作成していると、その塑像が生命を持って、、、という幻想譚。確か井上さんが演じることになっていたのだけれど、芸術家役をジョニーさんが演じた。この話をメルヘンとして観るか、芸術家の人生(精神性)に思いを馳せて奇譚として観るかで、かなり印象が異なる。その境界線上を、微妙に揺れ動いているような舞台である。
4つの作品の中では、一番見応えがあった。ジョニーさんが「飛び火」から「Salvation」を通過して、極々シンプルな演者として、この域にまっで達していたのだと思うと、ちょっとした武震いを覚えた。視線の強弱、指先の神経、体のしなり、セリフの切なさ、どれをとっても素晴らしい。
「俺達には明日がある」
これは(も?)新作ですよね。
正直、この作品が一番つらかった。10年目を迎えて売れずに解散を考えている漫才コンビが、有名プロヂューサーが見に来ている舞台に上がる前の楽屋の話。これだけで30分は長い。ほとんど、ジョニーさんの力量だけで、引っ張っていた感じがする。結局、どうしたら受けるだろうか、受けなかったら解散をするのかに思いを巡らし、回想をちょこちょこと挟み込むだけしか、話の展開がない。
千晶さんが、コメディリリーフとして、セクシー漫談の芸人として絡むのだけれど、こうした登場人物をたくさん絡ませて、主人公2人を周囲の反応や会話から、掘り下げていくようにしたらいかがかな。だって、せっかく楽屋という設定があるのだから。(千晶さんのセクシー漫談聞きたかったな(笑)、ゴルゴンゾーラで表現したような芸能力あるのだから)
総括:ジョニーさんは発展途上とはいえ、ある種完成形でもあるので、新たなステージが必要だと思う。バリバリの悪女でも、妖艶な幽霊でも、やってみる価値あり。(「上を向いて歩こう」の霊媒師なんかには、そうした片りんがありました)
今回のフライヤーは躍動感あってよかったです。
HPの扉もしかり。また、観に行きます。(次回の予定聞いたのに、もう日程忘れています。これだから年寄りは、、トホホ)
天動虫がんばれよな!てな感じで、次回も期待しています。