かずの観てきた!クチコミ一覧

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ラクガキ

ラクガキ

アンフィニの会

「劇」小劇場(東京都)

2022/04/19 (火) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/04/20 (水) 14:00

座席1階

この舞台を行ったアンフィニの会とは、演劇集団円の演出家・大間知靖子氏と同劇団の俳優二人が2010年に結成した。大きな集団でなく、小劇場での可能性を追求しているという。コロナ禍があったため今回は久しぶりの上演といい、フランスの劇作家ジェラルド・シブレラスの作品「ラクガキ」の本邦初演に取り組んだ。

マンションのエレベーターに何かで刻まれたような「バカ」の落書き。落書きでバカと名指しされた男性は妻と引っ越してきたばかりで、マンションの住人たちの部屋を訪ね回って心当たりがないかと聞いていくところから始まる。
そんな落書き、消してしまえば終わりなのにと誰もが思うが、男性が「書いたものが消すべきだ」とこだわり、それに対応する住人たちとの会話劇は予想外の方向に展開していく。隣人たちとの付き合いを大切にする穏やかな老夫婦たちだと思っていたら、舞台が進むにつれてその本性が出てくるというか、実は差別的な姿勢も見せたりする保守的な人たちだと分かる。一方の男性は理詰めでこだわりのある性格で、住民の老夫婦同様攻撃的な発言をしたりする。まあ、どっちもどっちなのだが、これが近所付き合いの妙とでも言うか、随所に笑えるところが満載の軽妙な会話劇なのである。

笑えるところがあり、客席は実際に笑うのだが、実はその笑いが自分に突き刺さってくるようなところがある。この会話劇、舞台を日本に変えてつくってみてはどうだろうか。一見、仲の良い隣人関係が実は冷徹なところがあって、隣人をこういう人だと決め付けて付き合いの輪からはずしてみたりということは、当たり前にあると思う。そういう意味で、一つの落書きから始まるこの物語は結構強烈なのである。

1時間45分の比較的コンパクトな芝居だが、濃密な会話劇に目も耳もくぎ付けになる。シンプルな演出も好感が持てる。

貧乏物語

貧乏物語

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2022/04/05 (火) ~ 2022/04/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/04/08 (金) 14:00

座席1階

河上肇の「貧乏物語」は社会福祉の教科書にも登場する、日本で本格的に貧困を取り上げた歴史的名著だ。社会福祉の教科書に出るのは、今も格差社会が広がっており、社会福祉に携わる者はこれが100年も前から日本に横たわる大きな課題であると知っておく必要があるからだ。こまつ座が24年も前にこれを舞台にしていたとは知らなかった。四半世紀を経ての再演を、新鮮な気持ちで見た。

今作「貧乏物語」の舞台では、筆者の河上肇は逮捕されていて家にいない。登場するのは河上の妻、二女を始め全員が女性だ。特高警察が河上を転向させようとあの手この手で圧力をかけてくる中で、河上の家で働く女中や、同様に当局からにらまれている新劇の女優などそれぞれ強い個性がある女性たちが織りなす多彩な会話劇が、この舞台の核心である。

今回、登場人物そのものではないかという配役の妙を称賛したい。特に、出戻ってくる女中で剛毅な性格の女性を演じた枝元萌と、当局の横やりで上演をつぶされ、初舞台が何度もフイになっている舞台俳優を演じた那須凛が見事である。青年座の那須は自分がイチオシの「横浜短編ホテル」にも出ていた(とパンフレットに書いてあった)。同じ青年座の松熊つる松も切れ味鋭い演技で客席の視線をくぎ付けにした。

タイトルを「貧乏物語」としている戯曲だが、牛鍋やウナギ飯なども登場して面白い。舞台はテンポよく進み、2時間の上演時間は客席の集中力の点からもちょうどいい。
そして何よりもロシアや中国での言論統制のニュースが席巻する今、言論や思想の自由を守り抜くことが、格差社会ではあるが自由な生活をとりあえず維持できる日本社会に不可欠であることを、今作は教えてくれる。

いつかのっとかむ

いつかのっとかむ

パンデミック・デザイン

元映画館(東京都)

2022/04/07 (木) ~ 2022/04/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/04/07 (木) 14:00

座席1階

東京・三河島(荒川区)で約30年前に閉館した街の映画館がイベントスペースとして復活した、その名も「元映画館」。銀幕も映写室も客席の分厚い扉も当時のまま残されていて、改装ではこうした「遺産」を大切に生かしている。「いつかのっとかむ」はこの「元映画館」を最大限活用した、演劇と映画のハイブリット舞台だ。

観客はチケットを手に入れて開演前に並ぶのは他の公演と変わらない。ただ、開演時間が迫っても観客はなかなか中へ入れない。客席の扉の向こうから「ちょっとトラブルが起きまして」と説明がある。実は、この公演はこの場面から既に、始まっているのだ。

観客は、自主制作映画を見に来た観客として振る舞うことになる。振る舞う、と書いたのは観客として舞台に参加する形になるからだ。物語は、自主制作映画の上映会で、主催の女性「いつか」さんが現れないといってスタッフが慌てているところからスタート。この「いつか」という女性と友人たちの、小学校時代からのつながりや思い出の場面などを織り交ぜながら、「今を生きる瞬間」を味わい、思索する舞台となっている。

銀幕は上映会の映画が途中で止まってしまうところまで「映画館」として使われる。役者たちは客席の周りで動き、まさに「舞台」は目と鼻の先。小劇場は客席と舞台の距離が近いが、本作では舞台と客席の境目がないのだから、観客に間近で見つめられる役者側の緊張感が手に取るように分かる。

日野祥太によると、客席と舞台の境目をなくして演劇が「隣にある」空間を作るのがスタイルとのことで、これまでもカフェなどを会場に上演してきたという。「街は劇場だ」と言った演劇人はこれまでもいたと思うが、映画をテーマに元映画館という会場で演劇を上演するというアイデアはなかなかのものだ。このハイブリッド舞台の世界観に、客席は魅せられていく。

会場に張られた映画のポスターなど、「芸が細かい!」と感心するほどのアイテムが散りばめられている。そういう仕掛けを確認していくのも、この舞台の面白さだろう。また、別のチケットを買うことで、本作で途中で止まってしまって見られなくなった映画を最後まで鑑賞することができる。

風がつなげた物語

風がつなげた物語

グッドディスタンス

新宿シアタートップス(東京都)

2022/03/31 (木) ~ 2022/04/06 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/04/01 (金) 14:00

座席1階

今日は「月と座る」を観た。舞台中央にバス停。「珠子」と同じバス停だが、この舞台ではバス停が主役だ。バス停に次々と現れる女性たちはいずれも人生に問題を抱えている。舞台が進むと、その全貌が明らかになってくる。

このバス停は東京・幡ケ谷に実際にある。住む家を失った女性が未明、終バスが出てから始発が通るまでの間、小さなベンチで体を休めていた。ところが、近所の男に邪魔者扱いされ、撲殺される。この事件は注目を集めた。生まれ育った広島では劇団員として舞台に立っていた女性だ。亡くなる前はスーパーの試食販売の仕事をしていたというが、このコロナ禍で仕事を失っていた可能性が高いという。一つ間違えば簡単に路上に放り出される現実。「彼女は私だ」とプラカードを掲げての追悼デモも行われた。

舞台でも、この亡くなった女性について語られるところがある。彼女は行き場がなくてこのバス停に来ていたのではなく、この場所を見つけて「生きようとした」のだ、と。このせりふが「月と座る」を貫く重要なひと言である。未明にバス停に訪れた女性たちも、けして人生をあきらめているのではなく、もがきながらも生きようとしているのだ、と。

この舞台を観て、この登場人物たちの来歴や人生を考え出した劇作家の豊かな創造力に脱帽する。ラストシーンに近づいて明かされる、ある意味で衝撃的な展開が秀逸だ。「珠子」でも語られたが、家族の介護を当然のように女性に担わせるという世間的な空気に、この両舞台は異議申し立てをしている。

この二作は観る価値がある。

風がつなげた物語

風がつなげた物語

グッドディスタンス

新宿シアタートップス(東京都)

2022/03/31 (木) ~ 2022/04/06 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/03/31 (木) 14:00

座席1階

「珠子がいなくなった」をまず、鑑賞した。
女三人姉妹の家族。父(モロ師岡)も含め喪服姿で、葬儀を終えて疲れた顔をしているところから始まる。2番目の珠子は結婚していて、その夫の姿も。珠子は母の遺骨をずっと抱えている。「何か食べた方がいいね」と財布をバッグから出そうとするのだが、抱えた遺骨を離さないため、財布を出すのに苦労している。この場面が、劇作の縦糸として最後まで物語を決定づける。

母の遺骨を抱えた珠子と夫は自宅に帰るためにバス停に寄る。バスはなかなか来ず、夫はタクシーを探しに行く。その間に、遺骨とともに珠子は消えてしまった。どこへ行ったのか。ネタバレになるので書かないが、ここから物語はどんどん展開を始める。このバス停というのが、同時上演の「月と座る」で劇作のモチーフになっているバス停だ。舞台の構造は2段になっていて、手前が父が住むこたつのある家、奥がバス停で、舞台は両方で切れ目なく進行する。なかなかの演出だ。

珠子の言動がとても興味を引く。設定では「小学生の時に牛乳瓶を職員室に投げつけるなど、奇行癖がある」とされるが、奇行ではなく、単に正直に行動しているだけではないかと思われる。その謎を解くヒントが、珠子が持って離さない遺骨にある。きょうだいたちもそのヒントを知らない。だから、「珠子は昔から変わっているから」で片づけられ、父や姉妹は珠子がいなくなっても特段探そうともしない。

こんな家族、ないだろうと思われるかもしれないが、自分にはすぐ隣にいるような人間関係だとも思える。少しだけ書くが、父親がぼけ始めたとか、ぼけた父親を介護するのは誰なのか、とか。片方の老親を見送った子どもたちの間に、よくある話だ。
また、父親は「子供には迷惑を掛けない」と言って施設にでも入ると考えているが、「それではお父さん、かわいそうすぎる」と介護を拒否する姉を妹が非難する。そうしたよくある話を体現する会話劇に、客席は自分の身近な物語としてどんどん引き込まれていく。

居なくなった先の珠子の行動に、共感できる部分がある。遺骨をわきに置いての行動は奇行ではない。珠子と亡き母親の会話劇というように感じる。

秀作だ。見ないと損するかも。明日の「月に座る」の観劇ががぜん、楽しみになった。

ネタバレBOX

「母親は家を出て行って孤独死した」という設定。一人で死んだ母親がかわいそうだったとみるか、夫から逃れて自由に生きて死んで幸せな一生だったとみるか。姉妹の見方は異なるし、おそらく客席の見方も異なるだろう。
ネタバレボックスと言っても書くときっとしかられる。それくらい、この舞台は生で見て楽しむ価値がある戯曲である。
彼女たちの断片

彼女たちの断片

東京演劇アンサンブル

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2022/03/23 (水) ~ 2022/03/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/25 (金) 14:00

座席1階

妊娠・中絶を真正面から取り上げた異色の作品。アンサンブルらしいメッセージ性の強い舞台となっている。

登場人物はすべて女性。石原燃の書き下ろしで、演出家も女性である。中絶は後ろ暗いもので、いけないことだというステレオタイプは、舞台でも何度も指摘されるように男性優位の家父長制の残滓が男性だけでなく女性にも残っているからだ。妊娠とはめでたいこと(おめでた)であり、授かった赤ちゃんをあきらめるのは駄目なことで、しかも中絶の精神的・肉体的負荷は全部女性が背負わざるを得ないという現状に、強烈な異議申し立てをしている。

物語は女子大学生が望まない妊娠をし、ネットで海外の中絶薬を検索するところから始まる。登場する女性はその母親世代、祖母世代とバランスが取れている。途中、ミュージカル仕立てになっていたり、奥行きのある広い舞台を縦横に使ったメリハリのある演出で、客席にメッセージを投げかけていく。

この舞台はこれで洗練され、完成していると思うのだが、やはり妊娠は男性が無関係ではない。もちろん、中絶に至る決断に男性が知らんぷりをしていていいはずはない。
中絶には相手方の同意書がいる(本来は必要ないのだが)というくだりで非協力的な男性の姿が示唆されるが、同じ「彼女たちの断片」を描くために男性も入れた方がよかったのではないか。

自分だけかもしれないが、男性として客席に座っていてとても居心地が悪かった。一方的に責められていると受け取った男性客もいたのではないか(拍手の大きさからいって、ほとんどいなかったかもしれないが)

いずれにしてもリプロダクティブヘルス/ライツでは諸外国に周回遅れの現状である日本。性教育を論じると保守系政治家から攻撃されるという情けない現状にあるということを知るだけでも、見る価値はある舞台だ。

泣くな研修医

泣くな研修医

劇団銅鑼

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2022/03/18 (金) ~ 2022/03/23 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/23 (水) 14:00

座席1階

自分が見たのは千秋楽。満員の客席から拍手が鳴りやまぬカーテンコールにこたえた研修医役の山形敏之のすがすがしい、充実感漂う笑顔が印象的だった。

研修医が経験するただ働き同然の劣悪な職場環境など現実的な話は出てこない。国家試験に合格して現場で経験を積む若い研修医のひたむきさや、自分が医師になろうと決めた幼いころのできごとなどを交えながら、一人前の医師に向かって成長していく物語。ハッピーエンドになっているところも素直なつくりである。銅鑼らしい優しい舞台だ。

終末期の患者に対する治療方針をめぐって先輩医師にぶつかっていったり、気管挿管は「数日延命させるだけ」とクールに(あるいは現実的に)言い放つ同僚に「やれることはまだあるはずだ」と食ってかかったり。この研修医のピュアなところが強調して描かれる。途中で挟む淡い恋愛シーンも、もどかしさ満載で微笑ましい。若くしてがんに侵され亡くなる患者と悲嘆にくれる家族の場面では、すすり泣きも漏れた。

社会派劇にあって厳しい局面を真正面から描くシライケイタの脚本とあって、医療の矛盾、残酷さや病院内部の軋轢などが研修医の目を通して描かれるのではないかと想像して劇場に足を運んだが、まったく違っていた。温かく包み込むようなムードを漂わせながら進む物語に、何だか拍子抜けした感じを受けてしまった。そう感じてしまったが最後、何となくだが「医療ファンタジー」というイメージになってきた。これが、自分の場合、登場人物への感情移入を妨げた。

そもそも、タイトルから分かるように、研修医への応援メッセージなのだ。医師の多くがこのようなピュアな部分を失わずにいてくれたら患者本位の医療に近づくのだろうに、と思ったが、どこかこの舞台が現実離れしているような印象がぬぐえず、やはり、心から楽しめなかった。見立てを間違えた自分のせいなのだが。

舞台転換が頻繁に行われる。これも気持ちが途切れる一因になった気がする。

ピローマン The Pillow Man

ピローマン The Pillow Man

演劇集団円

俳優座劇場(東京都)

2022/03/17 (木) ~ 2022/03/21 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/18 (金) 13:00

座席1階

マーティン・マクドナーの作品は、2016年にホリプロ版の「イニシュマン島のビリー」を見たことがある。孤児で足が悪いビリーと、その幼なじみのヘレン。ヘレンを演じた鈴木杏が生卵を頭でかち割るなどの暴力的なシーンを鮮明に覚えている。今作「ピローマン」もすさまじいほどの暴力、拷問、虐待の場面が続く。個人的な見方だが、両作で共通しているのは、理不尽な状況に置かれている障害を持つ登場人物の、何か真っすぐに光を求めているような心なのだ。それを感じるから余計に、暴力的シーンが際立った「理不尽」として浮かび上がる。

知的障害の兄と作家を目指す弟。弟は多くの作品を仕上げているのだが、それは子どもが凄惨な虐待を受ける物語で、兄はその筋書き通りに子どもを殺害したと警察に自供し、弟も取り調べを受ける。拷問が当たり前のように行われ、警察が罪を断罪して処刑することもあるような強権国家が舞台だ。そういう「設定」なのだが、なんだが現代社会にも共通する空気に満ちているような感じがして、見ている客席の胸を突き刺す。「イニシュマン島のビリー」でもそんな空気の存在がうまく描かれていたと思う。

ラストシーンに至るまで息の抜けない場面が連続し、胸が苦しくなる。逆に言えば、客席にそう感じさせている役者たちが見事だということだろう。主役の作家(弟)を演じた渡辺穣も膨大なせりふをこなす力業を披露しているし、官僚的、暴力的という対照的な二人の取調官を演じた俳優も徹底してその役回りをこなしていた。客席に異様なまでの緊張感が生まれていたのは、やはりこの演劇集団の力量によるものだ、と思う。

一枚のハガキ

一枚のハガキ

劇団昴

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2022/03/16 (水) ~ 2022/03/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/16 (水) 19:00

座席1階

本物の戦争が続いている中での戦争がテーマの舞台。役者にも客席にもある種の緊張感が流れていた。

戦地からの手紙は当然、検閲される。書いても無駄だろうと出さない兵士。どうせ死ぬのだからと出さない兵士。それぞれに待っている妻がいる。この舞台は、そんな二組の夫婦が戦争に引き裂かれる中で、一枚の葉書が大きく人生を変えていくという物語だ。

キャパが大きい本格的な劇場での上演。バックの幕に場の風景を映し出すなどの演出もあったが、せっかくの大きな舞台を生かしきれていない感じ。さらに言えば、舞台転換が頻繁で、細切れ感が強かったのは緊張感か途切れて残念だった。途中15分の休憩もいれる必要はないのでは。客席は明らかに戸惑っていた。

物語は印象深いし、演じる役者たちも熱演だったが、舞台セットや演出が残念だったと思う。だが、戦争のリアルが頻繁にニュース映像で流れている今だからこそ観る価値のある舞台であることには変わりはない。

サンシャイン・ボーイズ

サンシャイン・ボーイズ

加藤健一事務所

本多劇場(東京都)

2022/03/03 (木) ~ 2022/03/14 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/11 (金) 14:00

座席1階

数年前からカトケンワールドを拝見させていただいているファンの一人として、事務所創立40周年おめでとうございます。役者人生としては50周年ということで、今作でも背の高いイケメン俳優の息子さんと何度目かの共演。パンフレットの文章ではお孫さんもいるみたいな感じで。政治家と違って役者に世襲は似合わないかもしれないけど、事務所が末永く続くことを。息子さんには新たなカトケンワールド(息子は健一ではないからカトケンではないが)を切り開いてほしい。

さて、今回はニール・サイモンの名作とのことで、さすがに熟練、相方の佐藤B作との呼吸はぴったりだ。コメディー界の名コンビと言われながらも内実は犬猿の仲でちょっとしたことで大喧嘩になるという間柄。そのケンカのネタで笑わせるのが主体なのだが、個人的には「大笑い」というところまでいかなかった。
それはきっと、コンビの二人が結構、年を重ねているということと、加藤健一が演じたウィリーが病に臥せってしまうというリアリティー感がある物語であることがきっと影響している。病の床にある人のトークを笑っていいものなのだろうかという、気を回しすぎなのかも。でも何だか、高齢の二人のギャグを見ていて、心から笑えないというか、笑うのだがどこかブレーキがかかってしまうというか、そんな思いで2時間半の舞台を見た。

かつての演目で、レイ・クーニ―の「Out of Order~イカれてるぜ!~」があった。これは本当に大笑いをした。ニール・サイモンとは笑いの質というか、空気が違うのだろうか。
でも、周囲のお客さんは(高齢の人が圧倒的に多いが)結構声を出して笑っていらっしゃった。思い切り笑えないようなもやもや感があったのは、自分だけなのかもしれない。



横濱短篇ホテル

横濱短篇ホテル

劇団青年座

紀伊國屋ホール(東京都)

2022/03/09 (水) ~ 2022/03/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/03/10 (木) 14:00

座席1階

劇作家マキノノゾミと演出家宮田慶子のコンビを「MMコンビ」と言うのだそうだ。紀伊国屋ホール総支配人だった故金子和一郎氏の言葉とのこと。「MMコンビの芝居は間違いなくおもしろい」とおっしゃっていた、とパンフレットにあった。
自分もこの芝居を観るのは二回目だ。「間違いなく面白い」と当然、事前に分かっていて紀伊国屋ホールに足を運んだ。もう一度、初めて見た時の感動というか「ああ、来てよかった」という気持ちを味わいたい、味わえるのだと確信してみる芝居には、特別な味がある。

物語は港にほど近い横浜の老舗ホテルを舞台に、7つの短編から構成される。もちろん、7話はそれぞれ関連している。時を追って登場人物たちの人生を描いているのであり、ホテルという不特定多数が行きかう場を舞台にしているが7つのストーリーは深くつながりあっている。
また、1970年から2000年代まで、その時々の時代のトピックや風俗なども織り込まれ、ああ、そういう時代だったなと50代以上のお客さんは自分の人生に重ね合わせて楽しむことができる。

この7つの物語が人々の心をつかむのは、理屈では割り切れない人間の思い、行動をある時はオブラートに包みながら、ある時はストレートに描き出しているからだろう。いつの時代も変わらぬ、老舗ホテルという味わいのある場所が醸し出す空気の中で、少なからずの偶然が招く運命のいたずらに感謝しながら、人間交差点と言うべき暖かな物語に仕上がっている。

今や青年座の屋台骨であり、ほかの劇団への客演も多数ある野々村のんの絶妙な演技を筆頭に、この舞台の初演の時にはまだ役者をやっていなかった、今回が初舞台の若手の生きのいい姿。バランスのいい俳優たちも安定感を保って今回の再演に彩りを添えている。だから、2回目の鑑賞である自分にも、初めて見るときと同じようなドキドキ・ワクワクの気持ちがあふれてくる。

前回、☆5つをつけたのは間違っていなかった。今回も減ずるところなし。芝居で幸せな気分になりたい人は、見て絶対に損しない舞台である。

 命、ギガ長スW

命、ギガ長スW

東京成人演劇部

ザ・スズナリ(東京都)

2022/03/04 (金) ~ 2022/04/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/03/06 (日) 19:00

座席1階

80代の親に50代の子どもがパラサイトする8050問題を題材に、松尾スズキが手作り感満載のコメディー舞台に仕上げた。今回はクドカンと安藤玉恵、三宅弘城とともさかりえのコンビで味わいの違うステージに挑んだ。

クドカン×安藤玉恵の舞台を拝見。クドカンはアル中の50代息子と大学教授、安藤玉恵は80代の認知症気味のおばあちゃんと女子大生を変わり身で演じるのだが、やはり何といってもおばあちゃんと女子大生という落差のある役を演じたあんたまである。声色から雰囲気までキレのある演技で、途中にダンスシーンもある。最近のテレビドラマではメイクでごまかして、若いころも年老いた時もしゃべり方や雰囲気が同じという情けない俳優さんも散見されるが、ここはあんたまの実力というか、レベルが違うというか、プロ意識を感じた。

笑いのポイントは随所にあるが、あんたまの役どころが8050問題でドキュメンタリー映画を撮影しようとする女子大生。現実の8050問題はかなり深刻なのだが、その典型的な親子を「福祉関係者から紹介されて」撮影に入る、という設定だ。ドキュメンタリー取材ではよくある入り口なのだが、冒頭の二人の様子から、これがかなり怪しい。実はこの親子には撮影される理由というのがあって、こうした物語が松尾スズキの台本のおもしろいところだ。

初演と同様に、吹越満が効果音担当で活躍する。効果音といっても全部口でしゃべるというなかなか高度な技が必要と思える役割だ。役者の方は、エア、つまりパントマイムで対応する。こちらもなかなか困難なようで、客席はこれに見入るだけでもおもしろい。

ある意味、夫婦漫才のような流れで舞台が進行するが、そのオチはかなり笑える。ともさかの方の舞台は見ていないが、この舞台、あんたまにははまり役かもしれない。逆に言うと、安藤玉恵ならではの舞台なんだと思う。もう一つ思ったのは、クドカンって俳優なんだな、という妙な納得感だ。

見どころ満載の舞台。人気の大人計画だけに、スズナリは超満員であった。

ネタバレBOX

「やらせはだめよ」というセリフが最初の方にあるが、実はこの8050親子はドキュメンタリーの注文に合わせて見せ場を作る「プロ」の疑いがある、というのがこの戯曲の妙だ。問題の深刻さをことさら強調するような作りのドキュメンタリーがないとは言えない。映像メディアへの痛烈な一撃なんじゃないか、と笑えなくなるのだ。
裸の町

裸の町

秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場付属養成所

青年劇場スタジオ結(YUI) (東京都)

2022/03/04 (金) ~ 2022/03/15 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/03/04 (金) 19:00

座席1階

「小劇場企画」と銘打っているが、休憩を挟んで2時間の本格的な会話劇だ。

時は戦前、お人好しの男性が金貸しに大金をかすめ取られ路頭に迷うという筋書き。舞台からは当時の庶民の生活、夫婦の力関係などが「こういう感じだったんだな」と思われる。パンフレットによると、作者の真船豊は「意識的に『人間』だけを描いた」というが、舞台から受けた印象は人間の本質というよりも「庶民の生活」や当時の空気だった。

金貸しを信頼して大金を預けるという、かいしょのない亭主に付き従ってきた妻。冒頭、この妻が凛として正座をしている姿が印象的だ。身ぐるみはがされて路上に出るしかない状況を招いたことに、妻は怒り心頭で夫に罵詈雑言を浴びせる。しかし、その激しい罵りもどこか最後は「また付き従うのではないか」という、何だか優しさのようなものが感じらる。こんな情けない男とは、今ならとっくに三行半で離婚というところだが、簡単にそうならないところに、もどかしさすら感じた。
この「凛としている」という表現がぴったりの女性が「もう実家に帰ります」という場面で、なぜかずっと沈黙をしてしまうというところに、昭和初期の夫婦の生活感というか、男と女のつながりのようなものを感じる。「今ならとっくに逃げられている」という状況でも、時代が夫婦の最後の糸をつないでいる、というふうに思われるのだ。

この妻を演じた八代名菜子の演技がすばらしい。当時の「日本の妻」の姿を十分に表現できているのではないか。さらに言えば、今回の舞台はこうした演技を十分に発揮できるこの女優のためにあるような筋書きだ。そういう視点で見ると、この長い会話劇も別の風景が開けて楽しめるのだと思う。

Speak low, No tail (tale).

Speak low, No tail (tale).

燐光群

新宿シアタートップス(東京都)

2022/02/18 (金) ~ 2022/02/27 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2022/02/24 (木) 14:00

 詩人の小沼純一氏の作品を坂手流の戯曲に仕上げた、不思議な感覚を得られる舞台。ジャズバーの時間が重なり、小さな歴史となって世の中とシンクロしていく。
 ジャズのうんちくを語って盛り上がっている客の姿から始まる。その場面場面で暗転し舞台が転換していくので時の流れとか、登場人物の人生などをすんなり受け止められるのだが、何だがこま切れの会話劇という感じでもある。ただ、音楽などそっちのけで会社の上司への不満をぶつけあう女性客など多彩なお客さんの姿を無理せず楽しめる。ジャズバーで居酒屋のような会話? でも、自分もやっていると思うし、そういう時代なんだろうね。
もう一つ、並行して進むのが、お向かいの家に出入りする猫たちや猫に声をかける人たちの風景だ。こちらは時の流れはあまり感じられず、あくまでも「風景」といった感じで呈示される。年老いたお母さんとその娘の会話がベースになっているが、この二人、時間が止まったようにずっと同じ姿で登場する。話が進展するということもないので、ちょっと退屈かもしれない。

燐光群が鋭く切り込む政治的、社会的な問題はほとんど登場しない。それもそのはず、声高に議論する場所ではなく、あくまでも店の名の通り「speak low」なのだ。

女歌舞伎 さんせう太夫~母恋い地獄めぐり~

女歌舞伎 さんせう太夫~母恋い地獄めぐり~

Project Nyx

ザ・スズナリ(東京都)

2022/02/06 (日) ~ 2022/02/13 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/02/12 (土) 14:00

「女歌舞伎」と冠したこの作品は、プロジェクト・ニクスのこれまでの集大成と言える。前回の「新雪之丞変化」より数段パワーアップして、音楽、舞台回し、美術と迫力ある舞台に仕上げた。

題材は、有名な安寿と厨子王。冒頭の津軽三味線から震える。この三味線は単なるライブの音楽というだけでなく、奏者の駒田早代が立ち回り、声量豊かな歌声を響かせる。舞台の重要な構成要素となっている。

千秋楽前だけに、出演者全員のせりふが板についていて、迫力と妖艶さが増している。スズナリという器もプロジェクトニクスに合っている。狭い舞台と袖を縦横無尽に使って演じる女優たちからは、何かここがホームゲームだというすごみさえ感じた。誰もが知っている物語だけにやりにくかった面もあっただろうが、ラストシーンでは思わずもらい泣きするような場面もあった。安寿は舞台の早い段階で命を失っているのだが、百鬼ゆめひなの操る人形に乗り移ったかのように最後まで存在感を示す。輪廻転生という壮大な空間は、感動的だった。

今回、主宰の水嶋カンナは、寺山修司の句の朗読など舞台の進行に彩を添える役回りで若手のパワーを引き出している。スズナリは、コロナ禍以前と同じような満席。期待通りの価値ある舞台だった。

私の心にそっと触れて

私の心にそっと触れて

メメントC

新宿スターフィールド(東京都)

2021/12/16 (木) ~ 2021/12/22 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/12/20 (月) 14:00

座席1階

認知症は専門である脳神経内科の元教授が認知症を患う。うすうすわかってはいるのだが「自分がそんなはずはない」と介護を拒否。必死になって寄り添う妻も疲れ果て、夫に手を上げるような状況に追い込まれていく。だが、この舞台は認知症介護の厳しさだけを伝えているのではない。認知症が進行し、既に自分だけの世界を生きるようになった人が「自分の心に何か、温かいもの」が触れてきらめく一瞬を舞台で見せるために、2時間余りの物語が展開する。

主人公は医師、娘は弁護士。鎌倉の庭付きの家に住む裕福な家庭である。だが、病気の進行はいやがおうにもその家庭をむしばむ。さらに患者の胸の内や、こだわり、葛藤など本来は外に出ないものを周囲にさらけ出し、ぶつけていく。この点、特に、主人公が誇りをもって勤め上げてきた医師という職場へのこだわりがすごい。かつて診療した患者だったピアニストの女性を登場させ、妻が浮気を疑うという筋立てなどはかなりリアリティがある。この役を妖艶に演じた駒塚由衣という女優はとても迫力があった。

脚本を輝かせたのは言うまでもない俳優たちだ。主人公を演じた元文学座の外山誠二、妻を演じた民藝の白石珠江。この二人の演技は出色である。特に外山は、経験したこともない認知症患者という難しい役を、強烈な迫力とリアリティーをもって演じぬいた。客席が息をのむ迫真の場面が何度も訪れ、終幕時には感涙を誘った。また、壊れていく夫を理解しようと懸命に努力するがどうしても現実を受け入れられない介護者の妻を演じた白石は、せりふだけでなく微妙な表情の暗転までクリアに演じ、胸の内が舞台からあふれてくるような芝居だった。

認知症ケアについては、舞台で描かれたような激しい周辺症状(BPSD)をどうしたら少なくできるかという点など、大きく進んでいる。薬では治らない病気であるが、周囲が理解できなくなってもその人の魂や本質はそこにこれまでと同じようにあり続ける。今回の舞台は、本当にいろんなことを教えてくれた。

秀作だ!

美談殺人

美談殺人

タカハ劇団

駅前劇場(東京都)

2021/12/16 (木) ~ 2021/12/20 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/12/18 (土) 14:00

座席1階

人は自分が生きてきた人生に意味を求める。どんな人生でも、それが自分にとって、あるいは世の中にとって意味のあるものであったか。これは劇中のせりふでもあるように、人間の根源的なものであろう。舞台は、このように世間一般的に考えられている「生きる意味」を逆手に取るようにして、生きる意味とは本当は何なのだろうかと問いかける。異色の傑作である。

舞台は平均寿命が50歳にまで低下した近未来の日本。超高齢化の今では想像しにくい社会だが、物語では日本人が短命化することで人口が減少し、格差が増大するという世の中だ。ゴミだらけでホームレスがあふれる新宿・歌舞伎町。「貧困化が進み女を買う男が消え、風俗店が壊滅した後にホームレスが住み着き、そのうちの一人が今回の主人公となる。一方、格差の対極にいる著名人の大金持ちたちは、短命化日本で自分の生きた意味を残そうと、死ぬときに「美しい価値ある人生の物語」をニュースで読み上げてもらうために「美談作家」に大金を支払っている、という組み立てだ。ホームレスの一人が美談作家に成り上がり、その行く末と破滅を描いていく。

設定は荒唐無稽に見えるが、実にリアリティーがある。また、歴史の針を逆回転させていくような象徴的な人物が登場するのもおもしろいし、自分には「歴史の教訓を学べよ!」と現代日本に鋭い視線を浴びせてきているようにも感じた。人が自分の人生に意味を持たせることを突き詰めていった結果、何が起きるのか。ここに劇作家高羽彩の強烈なメッセージが込められる。

舞台回しというか、主人公の妹で声を失った女性の役で、舞台手話通訳が見事な演技を見せる。単なる手話通訳ではなく、登場人物の一人として立ち回る。今回、脚本の妙で、それが非常に自然な形でステージに溶け込んでいるのがいい。聴覚障碍者もそうでない人も「通訳」でなく「役者」を見るという形になっていて、障害の有無にかかわらず同時に舞台を楽しめる。ただ、そうは言っても役者をやりながらの通訳だから、それを補うためにタブレットを貸し出してせりふの字幕を座席で見ることができるという配慮もなされていた。バリアフリー演劇の進歩系として一つの成果を出して見せた。



三文オペラ JAPON1947

三文オペラ JAPON1947

Pカンパニー

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2021/12/15 (水) ~ 2021/12/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2021/12/16 (木) 13:30

座席1階

ブレヒトの有名作を翻案して、舞台を終戦直後の日本に設定。焼け跡に闇市がたち、人々が食うや食わず、生きるのに精いっぱいという世情での物語に仕上げた。「芝居だからハッピーエンド」という宣言があって、いつものPカンパニーとはかなり趣が違うが、街にクリスマスソングが流れる中での上演ということもあって何となく勇気づけられるような気持ちになって劇場を出ることができる。

ミュージカルなので当然、役者たちの歌唱力も問われる。でも、これはさすが。よく鍛えられている俳優陣だけあって、安心してみていられる。役者の年齢を問わず、ダンスの切れもいい。演出もシンプルで、分かりやすい。ブレヒト劇によくある難解なところは今回、まったくないので、役者たちが見せてくれる多彩な表情までしっかり楽しむことができた。

終戦の混乱期だが、そういう時代だからこそ才覚を発覚してうまく稼ぐ人たちはいるものだ。でも大多数の人は赤貧の海の中で苦しむ。「世の中金だ。金があれば何でもできる」という劇中のせりふは、豊かになったように見える現代でも、格差社会の構造は変わらない。同じ意味を持って通じる言葉だ。ブレヒトが「人生は厳しい」と言っているように、この終戦直後に本番の三文オペラでも人生の厳しさがガンガンと伝わってくる。
ただ、そうはいいながらもどこかいい加減で、どこかテキトーなところもしっかり盛り込まれて、ああやっぱり人間が生きていくにはこうでなくっちゃね、という思いにもさせられる。

ラストシーンは結構面白い。予想外の展開もあって楽しめます。


ホテルカリフォルニア

ホテルカリフォルニア

劇団扉座

紀伊國屋ホール(東京都)

2021/12/07 (火) ~ 2021/12/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/12/08 (水) 18:30

名曲「ホテルカリフォルニア」の名に魅かれて劇場へ。結論から言うと、この名曲と今回の戯曲に直接の関係はない。しかし、この曲だけでなく当時の日本ポップスなども舞台ではふんだんに使われ、1970年代に「青春」(今は死語かも?)を過ごした元若者たちのツボを打ち抜く楽しい舞台だった。自分的にはチューリップの名曲に泣きそうになった。

作・演出の横内謙介など劇団オリジナルメンバーがつむぐ、劇団創設前の実話をベースにした青春グラフィティー。当地の進学校である県立厚木高校の演劇部(扉座のメンバーも所属)が全国大会で活躍したことも触れられているが、舞台で繰り広げられるのは文化祭の後夜祭でいかに盛り上がることができるか、青春の思い出を作りたい、という若い情熱が物語の中心である。

まったく同時期に高校生だった自分にとってはずばりストレートの直球という舞台だ。あの頃はやった「マジソンスクエアガーデン」のバッグ、受験勉強の定番である「赤本」。神奈川県では「出る単」と言っていたのか(自分の出身の愛知県では「しけ単」と呼んだ)「試験に出る英単語」という受験生のバイブル本。地元各地区の中学の優等生だった子が集まった進学校で、上には上がいると打ちのめされたあの頃。東大を頂点とする受験レースが象徴する学歴社会への疑問。生きるとは何かと沈思した時間。そして、校内で男子生徒が回したエロ本(舞台では「プレイボーイ」だったので、エロ本とは言えないかも)。こうした小道具、多彩なエピソードが40年も前の自分を鮮明に浮かび上がらせた。

受験勉強が第一と指導され、それを受け入れざるを得ない生徒たちには、文化祭で盛り上がるということですら「勉強しなきゃなのに」と罪悪感を覚える。そんな中で愚直にも、当時のディスコダンスで爆発しようぜ、としらけ世代を鼓舞する生徒会メンバーたちがなんだかとてもいとおしい。
田舎者の自分にとっては、歌舞伎町のディスコなど話に「そうだげな」という与太話でしか知ることができなかったが、神奈川は田舎とキャストは言うが、小田急線一本で新宿まで行けたというのはやはり、そこでの高校生の文化が変わってくる。実際にディスコに行っていた生徒はさすがに優等生学校だけあって珍しかったようだが、舞台上で繰り広げられる「サタデーナイトフィーバー」「ジンギスカン」には、「神奈川の高校は大人への扉が近かったんだ」と感じてしまった。愛知県から新宿は新幹線で行かないと無理なのだから(笑)

この舞台は90年代後半からの再再演という。小劇場志向の劇団が40年も続くのは慶賀の至りであって、まさにこの舞台、還暦近いおっさんたちが高校生役をやるという、横内氏も言っているように「もう最後の機会」なのだろう。それだけに力が入っていて、熱量も高い。扉座研究生たちの若手も力を発揮した。

オリジナルメンバーの六角精児が開幕前からDJを務めるのも楽しい。これだけの完成度の舞台なのに、空席が目立ったのはもったいない。還暦前後の善男善女、この舞台を見ないと一気に老化が進むぞ!

ネタバレBOX

客席の大半が若い世代だったのは希望を感じる。おじさんたちとは笑うポイントが違うのも愛嬌だ。
飛ぶ太陽

飛ぶ太陽

劇団桟敷童子

すみだパークシアター倉(東京都)

2021/11/26 (金) ~ 2021/12/08 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/11/30 (火) 13:00

座席1階

終戦直後、福岡県・添田町のトンネルに旧日本陸軍が隠していた大量の火薬を占領軍が処理する際に大爆発が起き、山全体が吹っ飛ぶという惨事で住民ら147人が犠牲になったという史実を舞台化した。今回も期待を裏切らない、素晴らしい舞台だった。爆発事故で犠牲になった人や、腕を吹き飛ばされるなど大けがをして生き残った人など、それぞれの人生を事故の前後でうまく描いていた。

今回は、役者たちがグレードアップしていたと感じる。客演の宮地真緒もよかった。桟敷童子の鍛えられた俳優たちによくついていったと思う。そして、毎度のことながら舞台装置と演出は見事だった。種明かしはネタバレボックスに入れてある。

当時の大手メディアが占領軍を恐れて事故を報じなかったという場面も出てきた。戦争が終わっても言論の自由がすぐに獲得されたわけでなく、占領下の報道が制限されていたというのも状況としては理解できる。それでもやはり、当時も気骨のある記者がいた。現場に入り、写真を撮り、話を聞いて事故を伝えた西日本新聞は、しっかり仕事をした、と言っていい。

舞台は事故の悲惨さだけでなく、被害者たちが戦後どのようにして国と戦って賠償を勝ち取っていくかというところも描かれる。最後まで住民たちに寄り添った物語で、好感が持てた。

力作である。見ないと損するかも。

ネタバレBOX

いつもは最後にドーンとくる舞台装置だが、今回は爆発シーンを最初に持ってきたところでセットしてある橋がこなごなになるという大技だ。戯曲を彩る真っ赤なもみじはずっとそのまま舞台後方にあり、悲しみを演出した。

これをまた組み立てるのだろうか。舞台終了後のお話ではそのようらしい。上演期間中壊しては組み立てるというのは気が遠くなる話。敬意を表したい。

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