THE☆幕の内銀河団
劇団演奏舞台
演奏舞台アトリエ・九段下GEKIBA(東京都)
2015/07/03 (金) ~ 2015/07/05 (日)公演終了
満足度★★★
四畳半に広がる宇宙空間
台本…原稿用紙に広がる宇宙。ます目という枠があるが、あくまで形式である。そこに書き込まれる文字は、発想という無限の宇宙を作る。
「劇団演奏舞台がパワー全開で、新ジャンルに挑戦します!」の触れ込み通り、面白かった。
ネタバレBOX
勘違い、人違いから、某劇団の台本を書くことになった男。
四畳半の部屋に次から次に役者が集まってくる。それが何やらそれぞれ事情がありそうで…。
劇団がその台本を仕上げ、稽古していくというシチュエーションは、得意分野でしょう。まさに手馴れた感じで90分を面白楽しく観せてくれた。
その最大の要因は、登場する人物が魅力あるキャラクターになっていること。登場したときは、何の特徴もない人物が、一人ひとりの性格、境遇を披瀝してくるところから立ち上るクセ(噛むほど味の出るスルメイカのよう)が印象に残る。
台本は完成するのか...予定調和にならないが、固定観念に捉われない発想が新たな場面(宇宙)へ飛ぶようである。
この机上の原稿用紙(400字)から、広大な宇宙空間が見えるような芝居であった。
次回公演を楽しみにしております。
『太平洋食堂』
メメントC+『太平洋食堂』を上演する会
座・高円寺1(東京都)
2015/07/01 (水) ~ 2015/07/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
秀作
定刻通りに始まり、2時間55分(途中休憩10分)は、丁寧な制作と鋭い問題提起を含んだ秀作だと思う。まず、制作は、芝居に馴染みのない客が観ても分かり易いストーリーとそれを支える演出や舞台美術・技術が素晴らしいこと。問題提起は、一人ひとりが観て感じ、考えてほしいところである。
自分の拙文は後記するが、この公演を再演するにあたって演出家・藤井ごう 氏が当日パンフに「いつか『あの時』に変換されてしまいそうな時代を、自覚ないまま生きる僕らに、この物語は人物たちは『今』を鋭く突きつけてくる。」と記載している。自分が漫然と思っていたことが的確に書かれていたので引用させていただいた。
ネタバレBOX
舞台は、タイトル通りに「太平洋食堂」が中央に作られ、その看板が見えれば入り口玄関、その看板が外されれば食堂内という分かり易い転換である。もちろん食堂内になれば、テーブルと椅子が搬入されるが、それほど違和感がない。舞台転換は暗転・薄暗など工夫を凝らし、集中力を失わせない。
この公演、直截に描いて観客を誘導しないところが良い。制作側の意図は観取れるので、後は観客(自分)として考えてみたい。
時は明治37年、日露戦争開戦の年に遡る。舞台の場所になるのが和歌山県N市に洋食「太平洋食堂」、そして主人公はその食堂のオーナー・シェフであり、医師の大星誠之助(間宮啓行)である。「太平なる海に平和の灯を浮かべ万民が共に囲む食卓」を標榜し、その開店時には各界代表を招待する。そこには貧しき庶民の姿も...。料理の隠し味は、自由・平等・博愛という時代を超えて今なお愛される”味”である。
この味わい深い公演は、東京・杉並区、大阪・難波、和歌山県・新宮でも相次いで開店されるという。
さて、芝居後半は、地元有力者(権力像)と貧・庶民等(労働者層や主義者)の「傲然」と「浩然」の対立が先鋭に表され、その先に確たる証拠もなく処刑された「大逆事件」が描かれる。このクライマックスまでに、登場人物の性格や立場、知らず知らずのうちに大きな渦に巻き込まれ、その状況に抗うことが出来ないところまで追い込まれる。その恐怖のさまを的確に描き出していた。いつの時代でも自分を見失うことなく、「見ず・知らず・言わずの三途の川」を渡ってはいけないことを肝に銘じた。
なお、大逆事件直前に描かれる誠之助...自分を段々見失う、または虚無的な場面は冗漫に感じた(必要であるとは感じつつも)。
公演全体は軽妙な場面もあり、そう重苦しい雰囲気ではないが、そこで発せられるセリフは鋭く奥深いものがある。人生の深淵を覗かせる言葉と随所に織り込まれた状況(遊里問題、労働争議など)説明が相まって見事であった。
次回公演も楽しみにしております。
「DOJOJI -道成寺-」
劇団アニマル王子
ひつじ座(東京都)
2015/07/01 (水) ~ 2015/07/05 (日)公演終了
満足度★★★★
紅版初日...楽しめた
能「道成寺」をモチーフに、現代の「道成学園釣鐘講堂焼殺事件」を交錯させて同時進行する。それは時空を超えてという手法ではなく、物語は独立しているようだ。
この公演の良かったところは、能「道成寺」は有名な話であるが、それを知らない人もいるだろうという前提で、最初の数分間で粗筋を一人芝居で演じる。これによって、物語の概略を知ると同時に現代劇への繋がりがわかり易くなる。
さて、初日の紅版を拝見し、初日乾杯にも参加させていただき楽しいひと時を過ごさせていただいた。
ネタバレBOX
舞台は中央に広いスペースを確保し、劇場入り口側と奥壁の対面席(パイプ椅子が数脚)になっている。素舞台で演じるその表現(振付)はダイナミックで観応えがあった。前説でも「客席近くでの演技もあり、衣装の裾が触れるかも...」との注意もあった(自分は最前列に座っていたが、そのようなことはなかった)。
さて雰囲気は、ロマネスク、デカダンスという感じであった。そのイメージを作っているのが、衣装とメイクであろう。衣装は華和装、メイクは耽美・妖艶というところ。そしてそのイメージは原作「道成寺」なのか現代「道成学園釣鐘講堂焼殺事件」を意識したのか判然としない。この劇団は、初見のため劇団の特徴なのか?この雰囲気は、物語を固定観念として誘導しないという目論みであれば有効だと思う。一方、現代版について言えば、感情移入するには違和感を覚えるかもしれない。観客の趣向の分かれるところかもしれない。
また、半(片)鬼面…その本質は人間が持っている心の闇に巣くっていることをしっかり伝えている。
原作「道成寺」を表層的に観れば、想いを寄せる女性(清姫)と、その想いに嫌気を感じる男性(安珍)の男女間の想いの違いに潜む狂気。
現代版の殺人事件は、男女というよりは、人の心底にある人間性が垣間見える。
公演は面白かったが、個人的には更なる高みを目指してほしい。
例えば、殺人事件を担当する検事...一般的に”鬼”検事と言われるほど厳しいイメージである。しかし、今回の安藤検事(河合憂さん)は人間味がある描写であった。一方、検察官同一体の原則があっても、そこは上下関係があるようで、捜査方針の命令に抗しがたく自由度の狭さを感じさせる。そういう個人(安藤)と国家(検察組織)の狭間を捉えたところを、人間ドラマとして観られたら...。検察バッチ(秋霜烈日の象徴)を外し、弁護士へ転職したようであるが、その件がもう少し人間ドラマとして解りやすく観えたら、と思った。
この劇団、小物(鬼面、バッチなど)の意味合いを丁寧に回収していくところは好感を持った。
次回公演も楽しみにしております。
「不条理な世界たち」
シナリオクラブ
武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)
2015/06/28 (日) ~ 2015/06/28 (日)公演終了
満足度★★★
楽しめたが、疑問も...
シナリオクラブの2015年発表会のテーマは「不条理」に挑戦。構成はリーディング4作品、ドラマメイキング3作品(連作にすると6作品)の計7作品であった。2時間15分(途中休憩10分)。全体としては面白いと思うが...。
ネタバレBOX
まず出演者は、舞台に上がるまで全員白衣を着て受付・会場案内をしていた。また受付(マチネ11時00分)から上演開始(11時30分)までの30分のうち、約15分を前説「携帯電話電源オフ」、「非常口の確認」等の注意案内をしている。たぶん出演者全員だと思うが、場内を歩きながら発声練習(?)を兼ねて輪唱(話)している。その光景は気味が悪い。
さて公演であるが、「不条理」という言葉(定義)からして難しいと思ってしまう。国語辞書では「物事の筋道が立たないこと」らしい。さて、そのことを念頭に反芻してみると、不条理劇としては少し物足りない。不条理の筋道が見えてこない。何か倫理、道徳観の欠如を面白おかしく描いているようだが、そこにはアイロニーも感じられない。純粋に不思議な時間が来ないのだ。
例えば、リーディング演目「暴走族」は、台詞の一部がプリントとして配布された。先輩・後輩が暴走しているが、その先輩が交通ルールを遵守し、過去違反歴がない...これが不条理か?(自分の観方が表層的か)。確かに、一般的には暴走族=交通ルール無視、爆音で周囲に迷惑等の反道徳的行為というイメージであり、社会的にみれば元々が不合理・不適切なこと。暴走族側から見れば不条理なのか。逆説的で非論理的なことだけ観れば面白い。
不条理とは、多数を占める側の価値判断からするのだろうか。確かに多数決が民主主義という論理もあるが、多数がいつも正義なのか(戦前の例しかり、声をあげなければ平和が脅かされる)。その筋道をしっかり見据えないと、何が不条理なのか理解出来ない。
テーマ不条理を扱ったことについて、チラシに俳優・清家栄一 氏のあとがき...「人生を楽しむことに長けているシナリオクラブメンバーたちは、瞳を輝かせながら、この難題をあっさりクリアして」とあるが、そうなのかな~と疑問に思いつつ会場を後にした。
『リア王』他一編、…公演は無事終了いたしました。お越しの皆様、ありがとうございました。
楽園王
pit北/区域(東京都)
2015/06/26 (金) ~ 2015/06/28 (日)公演終了
満足度★★★★
熱演だった
「リア王」は、2014年名古屋七ツ寺共同スタジオ(「板橋ビューネ」参加作品)にて好評だった上演作の凱旋公演だそうである。その演目だけでは短い(1時間)と思い、併演したのが三島由紀夫作「火宅」であるという。さて上演「火宅」「リア王」は、両作品に共通した枠組みは”家族”であった。家族、その近しい関係でありながら、他方で疎ましいと思えるときがある。この厄介に思える煩労劇...秀逸だと思う。
ネタバレBOX
公演から逸れるかもしれないが、劇団名は芝居で登場したキャンデーズ→後”楽園”+リア”王”=「楽園王」を意識しているのだろうか。なぜなら、この公演「言葉」をずいぶん意識したと当日パンフに書いてあるから。
さて、「火宅」は読んだことも、芝居を観たこともない。初めての作品でとても興味を惹いた。タイトルから檀一雄「火宅の人」、内容から太宰治「斜陽」、ラストシーンから「道成寺」を連想した。その芝居は寂寞感が漂い、耽美的な雰囲気を醸し出していた。没富豪の家(華)族が、夫婦、母娘、父娘の夫々の関係を通して描かれる。その静寂に響く心底探りあいの濃密な会話劇。ラストは火焔に巻かれ悲鳴が...。
舞台にはいくつかの椅子、ソファがあるだけ。役者はその周りを回るだけの動作。その単調な中にも苛立ち、嫌悪が滲み出ており観応えがあった。
「リア王」は家庭内の不和から逃避しているのだろうか、妻/リアが文庫本「リア王」(?)を読みながら、その妄想世界に浸りという、こちらも劇中劇で観応えがあった。現実での夫/仮面との会話、戯曲内の妄想(妻が「リア王」という設定)で、娘3人との緊張感ある芝居。ちなみにこの3姉妹が登場する時、キャンデーズ(後楽園のサヨナラコンサートを彷彿)の曲を歌いながら登場する(巫女姿)。登場のさせ方としては、それまでの雰囲気から異質であった。多少の違和感があるが、一度に登場させるには有効な手法として肯定したい。リア王として、娘の思いやりの真偽が見抜けず慟哭するが、一方の現実の世界では娘の自殺を止めることもできず、その幻影を...。
こちらの芝居は、妻/リアの身体表現もあり、動的な場面も多い。そして心魂震えるぐらいの熱演であった。
最後に演出について、pit北/区域…劇場は2方向から観る造り(L字型)で、今回は縦線側が正面になっていた。そして、上階バルコニーでも演技をする場面があったが、たぶん前2列(自分は2列目にいたが、前屈して見上げた)までしか観れないと思う。案内係の人の「早く来たお客様だけ...」という説明が虚しい。演出に一考の余地があろう。
次回公演も楽しみにしております。
まつりだョ!全員集合
遊々団★ヴェール
TACCS1179(東京都)
2015/06/24 (水) ~ 2015/06/28 (日)公演終了
満足度★★★★
善人ばかり
神社が舞台だからだろうか。
その舞台セット…しっかり作り上げていた。観やすさに工夫があって好感を持った。人情味あふれる内容だが、地域との関わりの描きが弱いと思う。どちらかといえば、神社の家族物語が中心になっていた。
AMP THE PAVILION:002
:Aqua mode planning:
レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)
2015/06/25 (木) ~ 2015/07/04 (土)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
いろいろな味わいが...
楽しめた。今回は、再演2作品、上演延期した未発表1作品の計3作を観た。上演後、アフタートークとして森山智仁 氏(劇団バッコスの祭)と今回ホスト役の松本隆志 氏(Aqua mode planning) の対談があり、興味深くうかがった。
この種の企画は好きであるが、その内容は、いわゆる”演劇通”を自認するような人向けであったかも。自分のように浅(観)学の者にしてみれば、そのイメージは3作品(メニュー)が異なる調理法で提供された料理のようであった。主宰者の思いが強いほど芝居の芸術性(隠し味)が高くなるようだ。一方、観歴等にもよるが、その受け取りができ、楽しめ(味わえ)れば幸いであろう。
個人的には、2番目の料理が好きだ(普通のようで)。それぞれの芝居を表層的に観れば...。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
説明文を部分的に引用させていただき、以下のようなイメージであった。
01「あとの祭のまえ」(2013年8月 初演)
毎朝おとずれる奇妙な感覚...遅刻する、そして走るを繰り返す。 慣れなかったスーツもネクタイも違和感がなくなって、同じ時間の電車に乗る同じ毎日。 尽きない考え事はいつも不満や逃避行...惰性だけが身についてくる。
中華料理が次から次に運ばれ、回転テーブルが回るような不思議な感覚。
02「犬では無理がある」(未発表作 2014年12月上演延期)
家族には色々な形態があるのだろう。それをデフォルメしてご都合的にまとめて...。
どうすれば家族になれるのか。 それまで関わりのなかった相手とは、どうすれば家族になれるのか。 血が繋がっていても分かり合えないこともある。
和食(?)...それも鍋料理。色々な具と出汁スープが絡み合った濃厚な関係。
03「Range finder」(2013年4月 柏市民劇場CoTiK「Revenge Replay+1 」初演)
長い沈黙... ...その印象が強くて。そのイメージが以降の芝居の内容を食ってしまい。貴方と私との間に、何もない。関係しない。意識していない。 貴方と私との間には距離がある。そして、芝居と観客(自分)との距離もでてしまい。
これも和食...寿司で、高級店か回転店の違いほど奥が深いような、食する人(観客)の好悪。
全体として、どの芝居(料理)も味わいがあり、観(食)応えがあった。しかし、制作側と観客の意識は必ずしも同じではない。両者がスパークした所が沸点であろう。そのような芝居を期待している。
最後に、アフタートークも楽しく、充実した時間を過ごすことができました。
『アラホォーオーゲー』
コヤジ劇場
劇場MOMO(東京都)
2015/06/24 (水) ~ 2015/06/28 (日)公演終了
満足度★★★
コヤジ独演のような...
40歳直前の自由奔放な男の話...不思議と見入ってしまった75分間であった。
本公演、芝居以外のことが印象に残ってしまった。
その1.座席に予め本公演チラシと他劇団のチラシが置かれていた。これは多くの劇団が行っていることだが、その中に公演中止を決定したチラシが入っていた。それを知らせるため、開演前に場内と受付(スタッフ)を往復した。
その2.最前列(中央の通路を挟んで下手側)に座っていたが、客いじりの対象になった。それも1回や2回ではなく...これって予定通りの動きなんだろうか。別に遊ばれても構わないが・・・。
さて芝居は...。
ネタバレBOX
大門与作...40歳直前のアラホォー男の阿呆らしい妄想と現実の世界。芝居なのか素に近い所作で演じているのかわからない。
そういえば、「オヤジ国憲法でいこう!」(しりあがり寿+祖父江慎 共著)を思い出した。その”オヤジ国憲法前文”で「オヤジとは、世界的、いや宇宙的スケールで『なんでもあり』の存在である。クサくてもいい。矛盾したことを言っても、『あれは、もうしょうがない』と最初から期待されていないから楽だ」という。だから「オヤジ」は底抜けに自由であるらしい。
本公演は、この著書のように自由...いや緩い脚本と甘い演出、それに奔放な演技といったところである。そのレベルは、一見、大人の学芸会といったところであるが、何故か笑ってしまった。もしかしたら、“進んだ”若しくは”真“の自由の体現者は「オヤジ」ならぬ「コヤジ」かもしれない。なぜなら、子供のハートをもったままのオヤジなのだから。
この「コヤジ」は、ず~と独身者で、もちろん子供もいない。この先の「恋愛」「結婚」「子育て」の描きは...。その時には、コヤジ...大門与作以外のキャストの濃い(奮闘)演技に期待したい。
Mother
TEAM JACKPOT
要町アトリエ第七秘密基地(東京都)
2015/06/17 (水) ~ 2015/06/21 (日)公演終了
満足度★★★★
重いテーマ
テーマがはっきり見えてくる公演である。今、日本で大きな問題になっている独居老人の話が絡んでくる。
脚本のテーマの重さに対し、演出はコミカルである。その絶妙なバランス感覚は見事であるが、そこには笑えない喜劇がある。
ネタバレBOX
舞台は末期医療の病院...梗概は、余命1年を宣告された母。 自分の生きた証として日記を書くことしか出来ない。 そして連絡の取れなかった息子がやってくるが、目の前の青年が息子かも分からない。 記憶が曖昧になっていく。 しかし、目の前の息子に励まされ残りの日々を大切に生きている実感を得てきた。 息子は何を思い、 母は最後に息子になにを残すのか。
実はこの青年は行政から派遣された職員。病院の医師、看護師も息子の友人、恋人を演じる模擬家族・仲間である。それを承知で母も感謝の気持を日記に記す。さらに実の息子は東日本大震災で亡くなっており...。惚けた振りをした母の感謝の言葉が胸を打つ。
舞台セットは、中央にベッド、上手に机、その奥にテーブルワゴン、下手には来客用の丸椅子が置いてある。時期は桜咲く春...。
この主人公(母)が亡くなってからの日記の朗読シーンが感動的である。この場面を描くために積み上げてきた、という渾身の観(魅)せ場である。場内にはすすり泣きが...。
考えさせる脚本、観せる演出、そして魅せる演技であった。このテーマであれば重く沈みがちであるが、逆に明るく楽しい描き方が救いとなる。そしてラストシーンとのギャップ効果が大きく、印象を強くすると同時に余韻が...その手腕は見事であった。
最後は自宅で死にたい...そういう希望が多いと聞く。色々な事情で自宅に帰ることが叶わない、それは家族形態...核家族が影響しているかもしれない。三世代が同居し、介護看病は自宅で出来たという時代は遠くなったということだろう。それは、人の生活様式、住宅事情など色々な状況や環境の変化が影響している。それら周りの変化があったとしても、この母(人間)の持つ優しさ、それは変わりようがない。
一方、この擬似家族を仕事にしている行政の職員の気持は複雑であろう。本公演でもその苦悩が描かれている。今回は亡くなった母の日記に救われた思いがするが、毎回このような展開にはならないだろう。そう考えた時、生きている人の優しさに甘えているのでは(否定的ではないが)、という天の邪鬼的な思いを抱くのは自分だけだろうか。
次回公演を楽しみにしております。
マーシー、朝の憂鬱,昼の倦怠,夜にトけて水飴
COoMOoNO
キッドアイラックアートホール5階(東京都)
2015/06/18 (木) ~ 2015/06/21 (日)公演終了
満足度★★★
少し強引かも…
第一印象は、具象化出来るが、敢えて抽象的な演出を行い、観客に感じ取ってもらう。その何か...詩、小説の一節を切り取ったような。
そして本公演は、無機質な物体に心を通わせるような感じであった。通常では考えない、または感じないことを表現しようとしている。その描き方、手法が強引のように思える。
敢えてテーマを潜在化することによっての問題提起だろうか。
芸術性の訴求か、大衆的な観せ方か…。
ネタバレBOX
梗概(捉えているか不安で)は、5LDKの豪邸からワンルームへ引っ越してくることになった家族、私アンナ(舟橋杏美)、パパ(畑中研人)、マミー(伊集院もと子)の話。家具等をどのように収納するか、全てを持ってくることが出来ない。ある事情(マミーの浪費か?)により家計破綻になったようだ。
また、私の仲良し”マーシー”(久保佳絵)...「人型ロボット」のイメージであるが、新しい家には持ち込めない。電気の消費量が多く維持するのが難しい、というのが理由である。何気ないレイアウトを話す親子であるが、パパ(目が見えなくなった)、マミー(専業主婦→パート)は環境の変化に対応しようとしている。表層的にはこのような内容だった。
舞台には基本、脚立1つ。表現はキャストのパントマイムのみ。変化しようとしている日常生活の中に、得体の知れない不気味さを感じる。雰囲気は明るく無邪気であるが、近い将来の暗澹たる思い...その潜在的な不安がピタッと肌に付くようで気持ち悪い。
さて、マーシーは開演前から踊っている。その立ち振る舞いには、透明感があるようだ。先にも記載したが、具象と抽象の間にあるような描き方、観せ方は、自分の感性の乏しさもあり、付いていくのが難しかった。雰囲気のある芝居...それを十分感じ取れず、狭間に落ちたようなもどかしさがある。
気になることが...マミーが台本(?)を手に読んでいるような。確かに文字が書いてあり、視線も読んでいるようであった。しかし、マミーは本公演の作・演出家なのだが...。
とても不思議な感覚の公演であった。
メイ探偵登場 ~かわいい死刑囚~
劇団ハッピータイム
阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)
2015/06/19 (金) ~ 2015/06/21 (日)公演終了
満足度★★★★
探偵事務所が...
舞台になっているが、本当に解決できるのか。
「常軌を逸したミステリー・コメディ。残酷なのに、おかしくて、奇妙な愛の物語」はその通りであるが、本来は弁護士事務所の仕事である。しかし、そこは芝居の世界である。謎解きあり、テンポよい展開は楽しめた。
なおコメディではあるが、社会的テーマが鮮明になっており、それは敢えて主張したかったようだ。
ちなみにタイトル...メイ探偵登場の”メイ”とは...。
ネタバレBOX
表記メイにするところが洒落ている。この酒びたりの(酩)女探偵・(芽衣)は本当に名探偵なのか、迷探偵なのか、という本題でないことを多く書いてもしかたがない。
この洒落たタイトルからは考えられない憤りを感じさせるのが、当日パンフの作・演出:忍守シン氏の「ご挨拶」である。少し引用させてもらえば「世の中に理不尽なものは数あれど、少年犯罪ほどその理不尽さの際立つものは昨今ありません。犯罪の被害者にとっては加害者の年齢は関係なく、ただ傷つけられるのみです。…」とあり、まだ続きがある。
さて公演は、ミステリーであるからストーリーを楽しむということであるが、本作は構成もしっかりしており上手く展開していた。少しご都合的なところもあるが...。また、演出はコメディで笑いを随所に入れて飽きさせない。そして演技は主役の武藤芽衣(中島つづみ)がしっかり観せてくれる。逆に他の役者陣とのバランスが崩れたようだ。
また舞台美術等であるが、酒びたりの割りにはきれい好きなのか。酒盛りあとの乱雑さがない。また検事バッチ(秋霜烈日)は遠目であるが、それに模した感じがでていた。この拘りのアンバランスが、所々で気になるが...。
事件は死刑囚の母親(精神科医)が経営する病院での治療が発端。そこに通院していた死刑囚の先輩が、治験され洗脳されるのを見かね親殺しをする。そして自分が未成年であることを利用し捕まった。しかし、まさか死刑判決が下るとは想定していなかった。そして冒頭の先輩が依頼するシーンへ....。
この少年犯罪は、19歳と20歳という年齢の壁よって、その扱いは大きく変わると(作者の思い)...。そして、この書き込みをしている今、神戸連続児童殺傷事件で罪に問われ、出所した酒鬼薔薇聖斗が本「絶歌」を出版した。その是非が話題になっている。しかし、遺族の思いを考えたら胸が痛む。
本公演はミステリー・コメディとして観た時、実に観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
山の声-ある登山者の追想
カムヰヤッセン
北とぴあ ペガサスホール(東京都)
2015/06/18 (木) ~ 2015/06/21 (日)公演終了
満足度★★★★
濃密な…
極限状態における濃密な会話劇。登場人物が、二人であるからごまかしが出来ない緊張・緊迫感が観客(自分)の感性を刺激する。
さて、主役になるのは、大正から昭和初期に活躍した登山家…加藤文太郎の登攀記録である。
ネタバレBOX
山行歴ン十年になる。まず学生時代の友人との2人山行、その友人の大病以降は単独行、そして現在は地元の山岳会に所属する。自分には、山の魅力が十分伝わり、臨場感あふれる好公演であった。
街中で感じられない開放感、自然との一体感は素晴らしい。四季折々、そして登山ルートを変えれば、同じ山でも全然違う顔をみせる。
しかし、その背中合わせに自然の厳しさがあることを認識しておかなければならない。本公演でも、単独行では考えられない慢心さを訴える。相方がいれば油断と安易な依頼心が生じ、それが命取りになることもある。
それでも現在、中高年を中心に登山人口が増えているという。街中にいれば、この芝居のような極寒は避けられるだろう。それでも日常から脱して山に向かう...そこには理屈では説明できない魅力があるからだ。
さて命をかけても成し遂げたい、自分の足で歩かなければ到達できない山頂を目指して...。人間の本能か、何かを成し遂げたいという思いの一形態がそこにあるのかもしれない。
この山行公演(80分)を一緒させていただき、色々な山の姿・形が見えるようで楽しかった。また人間が持っている心のあり様が、山の(気象)変化と同じように、いつ・どのように変わるのか考えさせられた。
二人の役者は、見事に稜線を描き、極寒も観せ感じさせてくれた。その額には大粒の汗が...本当に熱演でした。
次回公演も楽しみにしております。
「湯もみガールズ2015」
劇団たいしゅう小説家
萬劇場(東京都)
2015/06/18 (木) ~ 2015/06/21 (日)公演終了
満足度★★★
明るく元気…応援歌のようで
閉館の危機にある湯乃町ホテルを舞台に、普通の女の子があるプロジェクト達成に向けて活躍する。そのホテルで繰り広げられる笑いと涙の青春ストーリー。それが明るく元気で、応援歌のようである。
そしてラストシーンは...。
ネタバレBOX
脚本・演出は高梨 由 女史である。この公演...萬劇場がある豊島区で催される池袋演劇祭で受賞歴のある作家・演出家である。
本公演は、再演…閉館危機にあるホテルを再建させるため、従業員である彼女達が奮闘する。それが”湯もみパフォーマンス”で集客を図るというもの。わかりやすい展開であるが、それは敢えてそうしている。まず、観(魅)せるという芝居の基本的なところを押さえている。そこには彼女達の成長と笑いが、観客の心もワクワクさせる。同時に元気もくれるようだ。
主役…つき子(中西悠綺さん)が真面目で頑張屋という設定で、周りのやる気のない、または挫けそうになる仲間を励ます。その姿が微笑ましい。同じような年頃の女性キャストであるが、それぞれのキャラクターを上手く描き分けていた。
予定調和のハッピーエンドであることは承知していたが、それでも楽しめた。
ラストは、「湯もみダンス」とそれに合わせた歌が披露され、観客も手拍子…劇場内が一体となってライブを体感する、というお得感が嬉しい。
次回公演も楽しみにしております。
新宿・夏の渦
ピープルシアター
シアターX(東京都)
2015/06/17 (水) ~ 2015/06/21 (日)公演終了
満足度★★★★
厚化粧の下の悲哀...人間讃歌が素晴らしい
本公演は上辺だけ観れば、軽妙な芝居であるが、その描く内容は崇高な人間愛...。
舞台セットはパイプ足場のような造作が上手・下手にそれぞれあり、さらに舞台奥の上手・下手に平空間を設け、それぞれを別場面の演出に利用する。そのシンプルで、ほぼ素舞台で繰り広げられる“怪艶”にして悲哀な物語は...。
ネタバレBOX
梗概は、鯨飲が原因で急逝したゲイ。家族がその遺体を引き取りを拒否し、その態度に憤慨したゲイ仲間が、故人の実家まで遺体を届ける、前後するが、ゲイ仲間の愛人の裏切りに対する報復...その二筋を中心に絆とゲイが住む街の住人たちとの関わりを軽妙に描く。
しかし、厚化粧という仮面に隠された悲哀...生まれもった性に違和感を持ち、性の自由を求めたゲイと呼ばれる人々。その人々は化粧の匂いとは別に本当の意味での人間の臭いがする。その漂いの総体は、例えばシャネルと言えば”5番”が代名詞(マリリン・モンローすの影響か)であるように、ゲイと言えば”二丁目“を指すほど有名になっている。そんな新宿二丁目を舞台にした公演…。芝居であるから本来はニオイは生じないはずであるが、この舞台からは独特の香臭が漂ってくるようだ。そして五感すべてを刺激し、夏の日照りとは別の意味でヒリヒリさせる。
また歌・ダンスが随所に挿入され、これだけ観ても堪能できるが、ここには演出上の工夫がある。この歌は、通路や舞台と客席最前列の間のスペース、ダンスは、舞台客席側(前方)で踊っている。当然、演者にスポットライトを当てるから、後は薄暗がりになる。その中でキャストが舞台転換の作業をしている。暗転すると、その時間が長く感じられることから、観客の集中力に対する配慮であろう。また、歌・ダンスは二丁目のバーやスナックでの催し...劇場内がその場で、観客はまさしく飲みに来た”客”であり、臨場感を体感したことになる。この演出の妙が、全体的に魅力ある雰囲気を保っていた。
テーマ性というと難しくなるが、男女という肉体的性別とゲイという精神的な異性、しかし、その前に人間としての感情...特に悲哀ある描写が印象的である。その描きは、社会的に弱い者や少数の異端と呼ばれる人達に対する優しい眼差しを感じる。
その体現は、キャストが醸し出す妖しい雰囲気にある。同じゲイ役であっても、人間性は違う。そのキャラクターの立て方や魅力の表現は見事であった。
なお、ゲイの家族感情にも同感する、そんな醒めた目で見る自分がいることも否定できないが...。
最後に船戸与一先生のご冥福をお祈りいたします。
またピープルシアターには、次回の船戸作品にも期待しております。
見よ、飛行機の高く飛べるを
ことのはbox
明石スタジオ(東京都)
2015/06/17 (水) ~ 2015/06/22 (月)公演終了
満足度★★★★★
ことのはbox 旗揚げ公演おめでとうございます
オリジナル作品を上演する2団体の演出家 酒井菜月(たこ足配線企画)と原田直樹(夏色プリズム)の演劇ユニット”ことのはbox”の旗揚げ公演は成功したと思う。明治44年というまだ封建的風潮がある中で、名古屋の第二女子師範学校を舞台に、教師たちが押し付ける「女性の生き方」を真正面から考えだした女生徒たち…そこで起きた事件が大きな波紋を呼ぶ。公演そのものではないが、気になったことが…
追記(ネタバレ 2015.6.25)
ネタバレBOX
気になったことは、既に承知かもしれないが、校風として掲げた「温順貞淑」の”淑“の字が違うのでは(それとも旧字体か)。
梗概は、校内では有志による学内報(文学誌?)の発刊を企画するなど、進取精神が溢れ、談話室に花が咲くようだ。そんな折、女子寄宿舎の下働きの息子が寄宿舎に忍び込み、談話室に居た女子学生に社会情勢を話す。そして退散間際に1人の女子生徒に...、後日、その女子生徒が男と2人きりで会っていた。それが理由で放校されることになり、女子生徒たちが抗議行動を計画する。しかし、教師たちの切り崩しにあい、次々と脱落して...。
舞台セットは、中央には別棟との扉・通路、その横は2階への半折返し階段、上手・下手にはそれぞれ部屋がある。特に下手は談話室になっており、芝居の中心になる場所である。また、衣装や髪型は、当時を思わせる雰囲気を作り出していた。女性教師は着物、女子生徒は袴などを着ていた。また髪型は二百三高地結など、流行の結上げをしていた。
演技は初日であったことから、緊張もあったのだろう。序盤に噛みや表情がかたい場面があったが、徐々に解れ、中盤(事件)以降は、自分のほうが緊張感をもって観た。女子生徒の思索または憂いのある表情、また明るく快活な姿...そこにはその時代に生きた少女が確かに存在していた。また、男性教師、女性教師の目線や立場がしっかり描かれ、感情移入ができた。公演全体としては、クオリティが高く、観応えがあった。
なお客席について、ひな壇になっていないことから、後列は観難かったと思う。次回公演時には配慮が必要であろう。
テーマについて、現在では男女が単独で会っているだけでは処分(退学)にされないと思うが、物語から100年以上経ているが、男女差別は依然として存在しているだろう。
少し逸れるかもしれないが、公演では(明治)女性の視点で捉えた見方であるが、実は人間としての平等を考えることではないか。男女平等に関する課題は、女性側の視点だけで考えればよいというものではない。性別によって「男だから…、女だから…こうしなければならない」という、潜在的な行動・役割パターンがあると思う。むしろ性による決め付けは、逆に生(息)き苦しさを感じさせると思う。公演を観て、改めて人としての平等とは何かを考えた。
蛇足であるが、タイトルの”飛行機”は比喩であることは承知しつつ、現在(2015・6)、日本には約5千人いるパイロットのうち、女性は約50人。そのうち機長は4人しかいないそうだ。
次回公演も楽しみにしております。
8・12〜白球〜
劇団裏長屋マンションズ
ブディストホール(東京都)
2015/06/16 (火) ~ 2015/06/22 (月)公演終了
満足度★★★★
人情劇の王道
1985年8月12日の御巣鷹山に墜落した日航機事故を題材にした人情劇…。
終演後の座長(赤塚真人さん)の挨拶、毎回その話に感動させられる。今回はこの事故で親友を亡くしており、その無念さが滲んでいた。「いつ、どのような事で亡くなるか、それは突然起こるかもしれない。(後悔しないように)日々を生きる」と...。ちなみ1年前の公演「同居人」では、ヨットで太平洋横断した堀江謙一氏の言葉を引用し、「孤独は耐えられても孤立は耐えられない」と。どちらも痛みを知った言葉である。本公演は、.現世への未練・想いを笑いと涙で観せる、人情劇の王道である。
毎回この劇団の舞台セットは見事に作り込んでおり、今回もスナックの雰囲気(上手にカウンターとスツール、下手にソファーセット、舞台中央奥にもテーブル席)を作り出していた。そんなスナックに集まる人々は...。
ネタバレBOX
飛行機が墜落するまでの時間(ダッチロール中)、現世への強い思いを抱いた。その結果、墜落するまでと同じ時間を他人の体に憑依して思いを遂げる。自分の息子は高校野球で甲子園に出場を果たしたが、父親の墜落事故の報に現地へ赴いた。その現場でみた凄惨さにショックを受けるとともに、甲子園での活躍の場も失った。その原因が親友でありチームメイトの企み(レギュラー争い)によるものであり恨みに思っていた。その後、自暴自棄になり結婚生活も破綻し娘を置いて家を出た。この男を再生させるため、関係者をスナックへ集めたのが、霊魂として憑依したこの男の父親である。人情話であるから結果は当然ハッピーエンドである。
さて、公演の話から逸れるが、墜落事故より3年ほど前の1982年。日本で活躍していたアメリカのカメラマン、ブルース・オズボーンは当時流行だったパンクの若者を撮影していた。そのパンクの若者と彼の母親を被写体として「親子」の写真を撮影し、それがライフワークになった。その後、バブル崩壊で時代は急激に変化し、少子化が社会の問題となってきた。オズボーンが「親子の日」を提唱し、2005年に日本記念日協会が5月「母の日」6月「父の日」、そして7月の第4日曜日が「親子の日」に...。
居るのが当たり前と思っている親、もしくは子...しかし、明日はどうなるか分からない。多忙な日々を過ごす、そんな時だからこそ親子について、そして生きることについて考えたいと思わせる、そんな好公演であった。
次回公演も楽しみにしております。
地底人!? チケットプレゼント実地中
演劇ユニットハイブリッド
白線(HAKUSEN)(東京都)
2015/06/15 (月) ~ 2015/06/21 (日)公演終了
満足度★★★
テーマは良かったが…
話の切り口、テーマは良かったが、比喩としての「地底」および「地底人」がイメージ出来なかった。開演前のイメージ映像が印象に残り、芝居は、その雰囲気を出しきれない。アーノルド・シュワルツェネッガー出演の有名な映画を引用しながら、ループもしくはパラレルワールドを観せる工夫はしていたが…。
ネタバレBOX
テーマとしては、地底人は顔を始め性格まで皆同じ。考え方が同じだから争わない。平和を保つには、異端者は排除される。今公演も突然変異で生まれたばかりに死刑を宣告される。その世界では、俳中律(0%か100%のどちら)の論か。その間(曖昧)の選択肢はない。逆に他の地底人と違う判断・判定をした場合は処刑される。典型的ないじめの形態である。人間社会でも社会的弱点…例えば障がい者等を蔑ろにするなどである。平等・平和という崇高な理念の中に芽生える全体主義の考え方が怖い。
本公演は、先にも記したが雰囲気作りが足りないと思う。ほとんど素舞台で、ボックスが一つあるだけ。それを立てたり、横にしソファーなり椅子に見立てる。これであれば、地底人という設定でなくてもよい。例えばカルト教団でも主張通りに描けると思う。
キャストは、汗だくになっての熱演であったが、地底人を表現しきれず、地上人との差違が感じられない。
芝居は、脚本だけではなく、演出や演技なども含め観せるものからすれば、今公演は物足りなく残念であった。
次回公演を楽しみにしております。
ボス村松の兄弟船エピソード1・2・3
劇団鋼鉄村松
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2015/06/09 (火) ~ 2015/06/14 (日)公演終了
満足度★★★
エピソードの追加による深み
本公演は、エピソード1「兄弟船」にエピソード2と3という別々の話を加えている。うまく繋がるのか、という心配は杞憂であった。この繋がりにより、一層物語りに厚みと魅力を増したと思う。
兄弟船...寄せては返す波のイメージ作りが面白い。その軽妙な進展とは裏腹にしっかりと主張が...その描き方が見事であった。
ネタバレBOX
「兄弟船」を現す海洋場面...それは荒波にはほど遠く、コミカルな動作(操舵、巻き網のイメージ)である。
ストーリーは、漁師の兄弟(兄)の恋愛、訳あり女(女王アンジェリカ)、そしてエピソード1に回航(邂逅)する展開である。
しかし、テンポは別々の3話から成り立っているため、高速道路をノンストップで疾走する感じではなく、公道を走り、時に信号機で停まるような中継場面を感じた。
エピソード1での自然漁場、エピソード2の海の男と都会からの帰郷女、エピソード3、この女を巡る漁労長(エピソード1で女の見合い相手で、遭難死)がゴジラになって現れる。この東日本大震災を絡めた原発事故(ゴジラが象徴)をイメージさせ、自然漁業⇒自由恋愛と人為見合い⇒人為事故を繋(綱)ぎ、物語を紡いでいる。そこにしっかりと社会性を盛り込む手腕には感心した。
全体の流れは楽しめたが、やはり場面転換の違和感は払拭出来なかったのが残念である。
なお、この劇の特異性のため「ボス村松の兄弟船エピソード1・2・3」の説明パンフを配付するなど、観客への対応は丁寧で好感を持った。
次回公演を楽しみにしております。
ちょぼくれ花咲男
文月堂
座・高円寺1(東京都)
2015/06/10 (水) ~ 2015/06/14 (日)公演終了
満足度★★★★
華やかな舞台
第一印象は、江戸情緒が感じられる雰囲気のある公演である。
ちょぼくれ...江戸時代の大道芸や門付け芸の一つであり、鳴り物を手に口上に節をつけて歌い踊る。
さて本公演の時代背景は、江戸中期の田沼時代...重商主義政策の下で花開いた江戸文化(芸道)がイメージでき、その華やかさが見事に現されていた。その観せ方として、客席は凹型で三方(正面と上・下手にも座席)が設けられ、役者は舞台と客席前方との間の通路も利用し、広いスペースの中で生き活きと動き躍動感にあふれていた。
そして、この芸人一座に特別な芸をもった「花咲男」が加わり、匂(臭)うほどの騒動が...。
ネタバレBOX
この公演の素晴らしいところは、多くの役者が登場するが、夫々のキャラクターが確立され、その立場がわかること。だから役者が多くても物語がわかりやすく、観客の気を逸らさない。まさしくエンターテインメントと呼ぶに相応しい。大衆演劇として楽しませるだけではなく、その内容にも世相風刺がさらりと盛り込まれ、観客に問題を投げかける。その教訓染みない絶妙さが見事である。
さて、歌舞伎では舞台下手にある役者の通り道を「花道」という。花道の外側、さらに下手にある客席ブロックを俗に「花外」あるいは「ドブ」というらしい。人生という舞台において、人の引き際にも花道とその隣りあわせのドブがある。歴史を学ぶ時、田沼意次のイメージは袖の下...いわゆる贈収賄政治で、晩年は蟄居へ追い込まれることになる。それでも庶民の生活は厳しくなっていく(最近は再評価もあるが)。
本公演は、江戸時代における町人生活(芸一座、吉原遊興など)、武家社会(世継ぎと権力闘争)で生きる人々をうまく繋ぎ、明和の大火事を乗り越えて逞しく復興(復座)させていく姿が小気味よい。この流れは、今の時代(格差社会や震災復興)を投影しているようで...
次回公演も楽しみにしております。
銀幕心中
SPIRAL MOON
「劇」小劇場(東京都)
2015/06/10 (水) ~ 2015/06/14 (日)公演終了
満足度★★★★★
丁寧な制作
映画でいえば、長回しの名場面を観ているような感じである。通夜らしく鯨幕、葬具に棺おけが置かれている。その場にいる5人と...。
その表現はカットバックではなく、幽魂が生前の姿となって現れる。
その抱腹絶倒の果てにおとずれる感動場面は印象的である。
ネタバレBOX
死してまだ芸術...映画制作への拘りがある。原因不明(自殺か)で死去した映画監督、その制作途中の作品をどう完成させるか。その思惑が渦巻く通夜の席に集まっているのが、会社幹部(プロデューサー)、男優、撮影カメラマン、脚本家(監督の弟子)、女優の5名である。そして監督との思い出、関わりを話し出す。女優が登場(葬礼)するまでは、監督代行を誰にするか、その思惑をコミカルに描く。
女優(主宰 秋葉舞滝子さん)が現れた場面からは、監督と男女の道行を情感たっぷりに観せる。この役者陣の臨場感あふれる演技力が素晴らしく、すぐに芝居に惹きつけられた。序盤はコメディ風に観せることで掴み、そのまま銀幕の世界が広がるような展開は観客の気を逸らさない。
この監督代行が決まり...その途端に故監督が現れ(会葬者全員に見える)作品についてあれこれ言う。せっかく決まりかけていた撮影の目処が、尊大な監督の振る舞いで白紙に戻りそうになる。以降も監督の横暴な振る舞いに右往左往する。にもかかわらず、ラストが近づくにつれ、その場に居る人々は難題に立ち向かう映画人の顔つきになり、崇高にさえ見えてくる。
この芝居が”映画シーン”のように思えるのは、魔術にかけられ素晴らしい夢を見ているからだろうか。
次回公演も楽しみにしております。