タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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オリニフレテ。

オリニフレテ。

インプロカンパニーPlatform

川崎H&Bシアター(神奈川県)

2023/05/03 (水) ~ 2023/05/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

久し振りのインプロ、Platformの公演は8割が即興で2割が台本だという。上演前に当日パンフと「タイトルカード」というお題を書く紙が配付される。そこに任意の3文字と10文字の台詞を書いてスタッフに渡す。それがランダムに劇中で読み上げられることがある と。

上演前からスーツ姿の男2人がオセロに興じている。この2人が上演前・劇中の案内役的な役割で、物語の展開や結果を左右する上で重要な選択を観客に促す。二人は交互に「・・とは言え」と相手の説明を遮り自説を述べ、その賛意を観客の拍手の多さで決める。台本なき即興こそが醍醐味であるが、それを劇中の都度都度で行うから物語へ集中出来ない。2人の男の言い分を観客に選択させることは、意地悪な見方をすれば、どちらかへ誘導し 結末の違う(大意ある)台本を用意することも可能ではないだろうか。

公演の魅力は、檻の中にいる囚人の犯行に至る経緯について、情状酌量の余地があるのか否かを心情豊に描いているところ。観たのが女囚編であることから 女が男を殺害したという設定であるが、女囚5人 それぞれの心の叫びが聞こえるような物語。犯行という事実は否定できないが、その情況への赦しがあるのかを問う。「檻」とは心の囚われであり、その状況から逃げられない不自由さを描いている。それは台本の力であり、観客の選択と言葉の影響外にあるような。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)【女囚編】

ネタバレBOX

素舞台…壁に花が正 逆に描かれている。チラシにある「罰と赦しは表裏一体」で見方・考え方の違いで結論は異なるを表しているようだ。女囚は上着だけ赤黒の横縞模様で統一しており、なぜか看守はミニスカート制服だ。全体的に 敢えてビジュアル的に観(魅)せるを意識した衣裳になっている。

物語は女囚達が夫々の事情で男を殺し、檻に入れられている。記憶喪失の新入り女囚が夜な夜な聞く不思議な話声…自分以外の女囚の過去の出来事を回想する男2人。それが案内役的な男、カンダとテンジクである。2人は女囚一人ずつの情況について自説を展開するが、物語が寸断され煩わしい感じがするのが憾み(頻繁なのは 即興を標榜しているためか?)。個人的には、記憶喪失の女囚以外(4人)については、ある程度まとめて自説を展開し、観客の賛意<選択>を求めてほしいところ。記憶消失の女囚とそれ以外の女囚という 物語の大きな流れの結末において アッと言わせるような印象に残る即興劇が好み。

即興で変化するポイントは、①奇妙な刑務所「ロフトランプ」で一番初めに親しくなる女囚、②殺意の引き金になった場所を観客の意向(本編前の「壁の花と蝶」と「タイトルカード」)で決まるようだが、インプロ要素としての影響度は分からない。むしろ女囚編ではラストに歌を披露するが、その歌詞に「タイトルカード」からのお題を盛り込む。その言葉が珍妙であればあるほど面白可笑しくなる。その言葉(歌詞)によって、歌の雰囲気が違うという楽しみがある。因みに音響は、情景にあわせてピアノの音や鳥の鳴き声が聞こえる。

女囚が犯行に至った動機を寸劇<回想>風に描いているが、その設定が妙で物語としては面白い。これが逆バージョン(男囚編)になると どのような観せ方になるのか興味がわく。観点の違い+インプロという予測不可能な面白さ、そこに この劇団の魅力があるのだろう。
次回公演も楽しみにしております。
CAREFUL CARE ケアフル・ケア

CAREFUL CARE ケアフル・ケア

劇団Turbo

駅前劇場(東京都)

2023/04/26 (水) ~ 2023/04/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

老人介護をテーマにした物語…老いらくの恋が絡むが、何とも清々しく温かい気持にさせる喜劇?
歌、ダンス、映像をもって観(魅)せようと工夫するところには好感だか、それが有機的とは思えなかった。

物語はグループホームに暮らす おばあちゃんとその施設に隣接するデイサービス施設に通う おじいちゃんの恋バナ、何と2人は高校の同級生で今86歳なのだが…。
グループホームには6人のおばあちゃんが暮らしているが、その役名に担わせた 高齢者らしい行動が少しコミカルに描かれる。しかし「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」(永六輔)を思い出し、素直に笑えなかった。物語は面白いが、描き(演じ)方がぎこちないのが憾み。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央奥に映像スクリーン、その前に横長テーブルが3つ、老婆が2人ずつ座っている。因みに、施設の理事長と老ヒロインは 男優の一人二役である。
物語は昭和29年 甲子園出場を目指す予選会、乃木将輝は原田操に甲子園へ行けたら結婚してほしい と告白する。その約束は果たせず、2人は別々の人生を歩むことになる。

そして86歳になった今、操はグループホームで暮らし、将輝はデイサービス施設へ通っている。この 老いらくの恋を応援するような展開の中に、高齢者特有の症状を描く。当日パンフによれば、グループホームとは「認知症の改善や認知機能の維持を目指す介護施設で、少人数制による家庭的な雰囲気が特徴」だと言う。登場する おばあちゃんは皆 愛らしいが、それぞれ三枝カネー金欲、紫苑紫ー色欲(色彩)、森よねー食欲、西野琴-音好、犬飼幸代-ペットに執着するといった呆け<認知の特徴>を現す。この 欲を好意的、肯定的に描くことによって暗くせず、カラッとした愉しさを演出する優しさ。

将輝は操にプロポーズし、区役所へ婚姻届を提出しに行く様子を映像で映し出す。TV バラエティ番組の『はじめてのおつかい』のように施設内で見守り実況する。面白可笑しく演じ観せるが、映像を介していることから感情移入が出来ない。映像表現には更なる工夫が必要だと思う。

また みさ の歌、有森家(顔似)、施設の新人職員(コミカル)、施設に置かれている半裸彫像(ダンス)、そして犬(ペット)の被り物といった観(魅)せ方をし 楽しませようと工夫している。色々な工夫をしているが、バラバラで繋がりがないためテンポが良くない。

また、おばあちゃん たちの笑い和ませる演技と、若手の かたい演技のアンバランスが憾み。
次回公演も楽しみにしております。
葛飾ナンバー

葛飾ナンバー

A.R.P

小劇場B1(東京都)

2023/04/26 (水) ~ 2023/04/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
表層的にはコメディとして観せているが、描かれている内容は鋭い批判または問題劇になっている。説明にある通り、コンクリート部屋の中に閉じ込められた人々を通して、今の世の息苦しさ、生き難さを浮き彫りにしていく。まさに酸素濃度計のアラームならぬ閉塞系の警鐘が観てとれる。同時に タイトル「葛飾ナンバー」に込めた問題意識が現代日本の悪しき風潮のようなものを表す。

3部屋に5人ずつ監禁され、同時進行するサスペンス劇。登場人物は多いと思っていたが、その人間関係をもって 或る共通性と相違性を鮮明にしていく巧さ。勿論、一人ひとりのキャラクターの面白さを観せるためでもあるが、人にはそれぞれの生き方や考え方がある。皆 同じ方向に向き進むのではなく、その違いが大切なのだと…。
(上演時間1時間35分)

ネタバレBOX

舞台美術…冒頭はレンガに葉が繁っている壁、暗転後 コンクリート部屋という怪しげな状況にする。部屋隅に酸素濃度計が置かれ、その色光が妖しく 時間的な制約を表す。壁には部屋番号があり、1~3号室の状況が交差しながら展開していく。各部屋には5人ずつ、計15人が監禁されている。なぜ監禁されたのか、その理由・原因が分からないといったサスペンス劇。

1人の男が持っていた小道具を使い、何とか監禁された人々が1号室に集まった時 明らかになる衝撃の事実。全員 葛飾区民という共通性、一方 喧嘩や諍いをしていた人々の組み合わせ。究極の状況下におかれたことによって仲直り出来るか否か、その実験のために集められた と。この実験は或る目的遂行を見極めるため。謎の人物によって次々に説明される驚愕の内容とは…。

荒唐無稽とは思えないコト、今の状況を冷静に分析し問題を鋭く指摘する。一方、監禁された人の中には面倒なコトは考えたくない、といった自分の意見がない 若しくは 日和見者もいる。全員が同じ方向に歩みを進める怖さ、それを意見や考え方の違う人々の喧嘩や諍いとして諭すような描き。同時に「葛飾ナンバー」=「マイナンバー」を意味し、都区部における低所得者層、それに比例した学力云々といった差別的な台詞は根拠なき風評表現の怖さをも表す。面白可笑しく描いているが、現状を鋭く批判した社会派(陰謀)コメディといったところ。

音響照明といった舞台技術は印象にないが、キャストは夫々の性格や職業、情況を実に上手く表現している。同時に如何に脱出するか、その緊張・緊迫感を上手く現わしていた。その演技力が物語の面白さを支えている。
ラストは、白昼夢か幻想といった雰囲気で和ませるが、描きたい<テーマ>は暈けさせず、巧に舞台化しており 見事。
次回公演も楽しみにしております。
福子、福ちゃんの夜明けに飛べ

福子、福ちゃんの夜明けに飛べ

enji

吉祥寺シアター(東京都)

2023/04/27 (木) ~ 2023/04/30 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

4月(春)に相応しい群像劇。
物語は、1969(昭和44)年 東京・王子にある福ちゃん荘というアパートが舞台。当時の状況や出来事を点描し、昭和の香りを色濃く漂わせるが、半世紀ほど前と現在を比べながら観ると面白い。1964年東京オリンピック後であり、1970年大阪万博前という背景は、2020(2021開催)年 東京オリンピックと2025年万博(予定)という今の状況に照らし合わせると興味深い。

同時に、4月という出発<門出>時期に相応しい内容であり、公演〈キャスト〉そのものに重なるようだ。物語は、島根県から上京し大学に通う青年が、アパートの住人達と関わり 生き方を模索し成長していく内容。一方 公演は、若手とベテラン俳優で、どちらかと言えば若手をメインに据えた紡ぎで、ベテランは若手を支え 応援するような役柄になっている。若手は 生き活き 清々しく演じ、ベテランは 滋味ある演技、そのキャリアに応じた観せ方が実に好い。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は福ちゃん荘…アパートは板壁・トタン屋根で作られ、正面に物干し台・洗濯機、下手にヒロイン・マリの二階の部屋窓、周りはブロック塀、上部には洗濯物が干してある。上演前から懐かしのメロディが流れ、当時の雰囲気をしっかり漂わせている。

大学生・中島正道がアパートの管理人として、住人達と交流を始める。まだ何者にもなっていない若者が、当時の世相を背景に色々なことを学び考える成長譚。アパートには、オヤジ連中を手玉に取る女、学生運動家、生物オタクの予備校生、訳あり主婦が住み、隣家 縫製工場の主婦がやって来る。時は、学生運動で東大入試が中止、ベトナム反戦運動ー王子(野戦)病院の廃院、アポロ11号の月面着陸、ウーマンリヴ運動といった出来事を点描し、男の長髪や衣装(昭和レトロ 割烹着等)で流行を表す。

1969年の出来事を通して、今を考えると面白い。同じオリンピックと万博を前後にした時代、しかし高度成長期とコロナ禍で閉塞感ある今では状況が違う。それでも人の考え方や意識は大きく変化していない。例えば ベトナム反戦運動を声高に叫ぶ主婦、しかし生活実態では米軍の軍<迷彩>服を縫製し、訳あり主婦の夫は軍需<兵器>輸送に従事している。学生にそのことを詰られると、生きていくためには仕方がないと。また意味合いは少し違うが ウーマンリヴ…未だに日本女性の地位向上<男女格差>は諸外国に比べれば低い(2022世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ指数116位/146か国)。調査発表の度に話題になるが、一向に改善出来ない。

一方、白川マリ(本名は福子)はオヤジ連中を手玉に取るような言動と行動をし、自由奔放な振る舞いをしている。自分に正直な生き方をしており、周りの住人達はそこに人間的な魅力を感じている。
建前と本音を使い分け、自分の立場が危うくなれば女も捨てるといった自分本位の考え。しかし それを全否定出来ない<人>の弱さ悲しさ、いつの時代も変わらない。それでも若者は何かの夢や希望に向かって飛び立つのだ。そんな清々しい印象を残す公演である。
次回公演も楽しみにしております。
ナイゲン(R05年新宿版)

ナイゲン(R05年新宿版)

feblaboプロデュース

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2023/04/18 (火) ~ 2023/04/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
先日は、同じシアターミラクルで「ナイゲン(にーらぼ版)」を観たが、脚本(冨坂友 氏)、演出(池田智哉 氏)が同じにも関わらず キャストが違うと印象が全然違って観える。そこが<演劇>の魅力であることを再認識した。

「シアター・ミラクル」は、2023年6月に閉館するが、「ナイゲン」はこの劇場において特別な作品であるという。2012年のアガリスクエンターテイメント「ナイゲン」に始まり、「feblabo✕シアター・ミラクルプロデュース」として2016年~2019年、コロナ禍での中断を挟み 2022年まで上演してきたという。自分は「feblabo✕シアター・ミラクルプロデュース」は全て観劇し、閉館前 最後の「にーらぼ版」と「R05年新宿版」の2バージョンも観ることが出来た。シアター・ミラクルの歴史を語る上で絶対外せない「ナイゲン」という作品は、自分にとっても大切で特別な存在である。シアター・ミラクルのマスターピースである会議劇コメディ、しっかり堪能した‼

上演前の蝉の鳴き声。夏休み前の或る日の午後、これから始まる文化祭の為だけの会議<通称:ナイゲン>の熱き激論を連想させる。案外 文化祭当日より会議<ナイゲン>の方が思い出深くなったりして、を思わせる高校生たちの台詞。
会議を終え、3年生・花鳥風月の「こんなナイゲンがやりたかった!」が物語の肝。そして照明…会議中は明るい陽光、しかし夕刻には黄昏に変化する、その哀愁がシアターミラクルの閉館に重なる。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

セットは会議で見かけるロ字型。正面にグリーンボード、その上部に時計がある。上演時間とナイゲン討議時間(下校2時間前の時刻 16:15~18:30)に重ね合わせて臨場感を持たせる。客席はL字に設え、観客には会議の立会人のような緊迫感を持たせる。
内容限定会議(通称:ナイゲン)は、県立国府台高校 文化祭”鴻陵祭”における各参加団体の発表内容を審議する場である(文化祭規約)。規約が”自主自律”の精神に則っている。この規約が掲載された わら半紙の「内容限定会議資料」(劇中使用と同様)が観客にも配付される。既に参加団体の催し内容も確認したところに、学校側から「節電エコプログラム」の催しを押し付けられて…。

発表内容に関する指摘、恋愛(痴情的)感情、上級学年優先や 何となくなど、意味不明の理由まで飛び出し議論は漂流し続ける。始めの理論武装された議論から感情優先のドタバタコメディへ…。いつの間にか文化祭全体会議からクラス代表の顔になっている。下校時刻が刻々と迫ってくる。そんな中、演劇の上演許可を得ていないクラス(3年1組<花鳥風月>)があった。ナイゲンの議論は、如何にこのクラスが主体的にエコプログラムを受け入れるか、という話へすり替わっていく。自主自律の精神に沿わせようとするもの。

各クラスの発表内容の審議結果を多数決(民主主義的な)で決める。討議では自分の考えを訴えつつも相手の言い分も聞くという態度が大切。物事を決める熟議のプロセスを重視している。意見の一致も大切だが、一人ひとりが違った見方で世界を見ることで世界はまともな形で存在するかも。芝居ではこの役割を3年3組_どさまわり(ヒガシナオキ サン) に担わせている。にも関らず、全体討議終了後の採決は全会一致の承認が必要であると…そうであれば議論の過程の多数決は何の意味があったのだろうか、という疑問が生じ虚しさも残る。虚脱感に苛まれる出席者を尻目に…。ただ、どさまわり の存在感 迫力に欠けていたのが憾み。

行き詰った会議…民主主義、自由とは を問うているが、同時に高校生の成長する姿も描く。例えば議長(川西凜サン)は優柔不断な性格のようだが、学生側の「自主自律<ナイゲン>」と学校側の「節電エコプログラム」の間でギリギリの調整を試みることになる(ここから成長していく過程が観られた)。文化副(貝沼莉瑚サン)は夏休みを謳歌すると公言していたが、会議後は 夏休み中でも文化祭(実行委員会)の手伝いを監査(白井更紗サン)に言うなどの変化が見られる。

さて、花鳥風月(水口昂之サン)によれば、上演許可に係る資料はクラスの女生徒が提出していた、にも関わらず許可が得られなかった?提出忘れまたは錯誤?という疑問が残る。学校側は既に「節電エコプログラム」をやらせるつもりで、ナイゲンの最終日ギリギリで提案してきたのでは?という様々な憶測を持たせる面白さ。

教室から出られないという密室状態、しかも会議時間が限られているという空間と時間の制約に緊張が生まれる。テンポ良く、また疾走するような会話劇は、立会人的な観客も固唾を呑んで見守っている感じ。会話劇だけに登場人物のキャラクターや立場などが観(魅)せられるか。個性豊かな登場人物を演じるキャストが変われば劇雰囲気も変わるだろう。内容の面白さは勿論、キャストによって違った印象になるから、何度観ても飽きることはない。今回は、印象が薄い役柄の2年ハワイ庵(環幸乃サン)の とぼけた味での和ませ方が良かった。

会議後、花鳥風月が将来に向けて、皆がやりたがる「エコプログラム」を創作する。同時に「こんなナイゲンがやりたかった」は、有名無実になりつつある自主自律<ナイゲン>の精神が感じられたからではないだろうか。真に問題が解決した訳ではなく、会議内容の真価はこれから問われるのだと暗示している。実に深い余韻を残しており見事!
ワタシは神様にはなれない

ワタシは神様にはなれない

劇団YAKAN

王子小劇場(東京都)

2023/04/19 (水) ~ 2023/04/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

微妙な印象をもった公演。

説明にある 天界と魔界の戦争は、もう一万年以上続いている。しかし今では、末裔たちが先代の遺恨を継ぎ意味のない争いを続けているに過ぎない。そして「天使と悪魔の禁断の恋」となれば、異界版「ロミオとジュリエット」を連想してしまうが…。

物語は、人間の少女と天界・魔界との関係などを面白可笑しく、そして切なく描く。少女の心の彷徨が中心であるが、天界の民主制や魔界の世襲制といった体制の違いに苦悩若しくは苛立つといったシーンを挿入する。しかし、そのシーンが物語全体にどのような意味合いや影響を持たせているのかが解らない。

少女は高校の卒業式の後 転んで、天魔界の外れにあるライブハウス「Hell and Heaven 」に彷徨い込んでしまう。そこは何故か天使と悪魔が打ち解け共存している。彼女は、この場所で天使 悪魔と触れ合うことによって少しづつ孤独を癒していく。頑なに「一人で生きていく」という気持から他者との関わりの大切さを学んでいく。その意味では彼女の成長譚でもある。一方、天使や悪魔は人間に興味津々、人間界での流行りものについて彼女に質問するが…。
(上演時間1時40分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術はライブハウス「Hell and Heaven 」内…下手に音響スペースがあるが、それ以外は雑多な物が雑然と置かれている。人間界から流れてきたモノ、家具、衣類、電気器具といった日用品からステッカー、ポスターといった貼物まである。天使 悪魔の顔は特殊メイクか。
説明にある天界と魔界の戦争といった雰囲気はなく、和気あいあいと共存している。

人間界で流行っていると思われている 関西漫才、漫画、ファッション、ロックン・ロールの稽古・練習に励んでいる。時に披露しあって楽しんでいるようでもある。そんな天魔界に彷徨い込んだ主人公・蒼井カナタ(荏原汐里サン)と天使・悪魔とが織りなす異界群像?劇であり彼女の成長譚。カナタには両親がいなく、晴華高校卒業式の総代挨拶で「一人で生きていく決意」を述べる。が 転んで気が付いたら、ここへ来てしまった。早く人間界(現世)へ戻りたい彼女は、天使と悪魔そして第三の といった それぞれが持っている3つの鍵を手に入れて、といった物語。

天界は民主制で代表者・天使長を選出し、魔界は世襲制でサタンを名乗っている。先のカナタの話とは別に、天界における不穏<現民主制への不満、権力抗争>な動き、魔界の世襲制<現サタン 母⇒サタンJrへ譲位>について説明するシーンが描かれる。夫々のシーンが独立するように描かれており、天使・悪魔界の戦争に関係しているかのような印象を抱かせる。しかし、本筋であるカナタとの話に直接絡まず 収束してしまったのが残念。出来れば体制の違いが戦争の原因もしくは遠因であるといった、壮大な世界観を表現してほしかった。鋭い感覚というか豊かな感性が十分に表現仕切れなかったのが憾み。

ラスト…カナタは、天使(天使長の妹)と人間の間に生まれた子であり、といった予定調和。楽器の生演奏、カナタの歌で観(魅)せたり、天使・悪魔による関西漫才、書けない漫画家、勘違いファッションといった面白可笑しい場面の印象が強く残る。
他方、何故 カナタは異界へ逝ったのか、どうして父ナンシーは異界に居たのか、そして天使長の怒りに無事でいられた理由は といった疑問が解消されない。表層的には「天使と人間の禁断の恋」=カナタという愛の結晶を観たに過ぎないような。
次回公演を楽しみにしております。
立ちバック・トゥ・ザ・ティーチャー

立ちバック・トゥ・ザ・ティーチャー

Peachboys

ザ・ポケット(東京都)

2023/04/19 (水) ~ 2023/04/23 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

peachboys公演、初日に初<体験>観劇。公演は二部構成。

微笑、失笑、冷笑、爆笑など<笑い>のオンパレードで、しんみりとするシーンは皆無。本作も含め過去作のタイトルは下ネタばかりで、既に劇風は定着しているようだが…。

これが前説かと思えるような長いお願い事?が、もう笑いの一人芝居になっている。しょうもない話、ぃゃショーはあった。二部構成・後半(15分程度)は、レビューショーになっている。本編に続き 間髪入れず突然ショーが始まるので驚かないようにとのこと。観客に楽しんでもらおうという姿勢に好印象、初体験は満足した🙆。
(上演時間2時間5分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

低レベルのマンガチックな劇作(そもそも脚本らしいものがない、本当か?)ゆえ、肩の力を抜いて リラックスして観てほしい旨の説明。そして物語の時間(時代)や場所が必ず分からなくなるので、下手に めくり を用意していると。素舞台に色々な小道具・小物を持ち込み、いや それだけではなく被り物や裸体になり場面を展開していく。それが寸劇を連射するように次々と、それも脈略があるのか ないのか分からないほど変転していく。が 不思議とドラマは成り立っており観入ってしまう。そこがこの劇団公演の魅力かも知れない。そうクセになるとはこういう感じなのだろう。とは言っても人好き好きで、好みが分かれるだろう。

上演時間125分と案内された時、仕事帰りの身には辛いか と思ったが、まったくの杞憂だった。良い意味でのバカバカしさが逆に素直に楽しんで観られる。タイトルから連想するような下ネタというよりは、それをキーワードにしたドラマという印象だ。勿論 アメリカのSF映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のパロディ内容であり、令和5年と平成5年を往還する。そして当時の時事ネタや風潮を大盛り込みし、カオスな時間旅行を楽しませる。説明にある「薬」ならぬ「クスッ」りなのである。

童貞3人組以外の登場人物は、フワちゃんやユッキーナといった令和イメージ、一方、家なき子やモリタカなど平成イメージの役柄。場面は、当時の官房長官である小渕恵三の「平成」や菅義偉の「令和」といった新元号発表などの時事ネタで時代背景を表す。平成5年当時を実感できない年代でも楽しめるような工夫の あれこれ が嬉しいだろう。勿論 当時 青春を謳歌した年代であれば(ジュリアナ東京など)懐かしくもある。二部は歌・ダンス等のパフォーマンスであるから、一部の劇本編でもジュリアナ東京でのお勃ち台、ド派手な衣装のボディコンお嬢様が踊るシーン等、当時の風物詩というか象徴的な場面があっても良かった。逆に本編で物販シーンを入れているが、やはり違和感があった。
次回公演も楽しみにしております。
こぼれるかけら

こぼれるかけら

UGM Kreis

Mixalive TOKYO・Hall Mixa(東京都)

2023/04/12 (水) ~ 2023/04/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

男・女ともに美形のキャストを多く揃え、人を思いやることの大切さを描いた青春群像劇。客席通路を使用し、身近で観せるといった親近感を演出する。
先に記すが、スタッフの対応が丁寧で 実に気持が良い。公演全体を通して、劇は勿論、終演後の写真撮影など、観客へのサービス精神〈思いやる〉に溢れている。

物語は、或る事情によって生まれ故郷を離れた男が主人公。彼は大学生になり、偶然 幼馴染に再会する。が、何となく違和感を抱く。心の奥底に眠っていた記憶が徐々に甦った時、もう1つ 桜咲く並木道、今は亡き愛しき人との思い出を馳せた時…この2つの出来事を交差させ展開していく。

事件や刺激的な出来事は起こらず 平凡な日々を坦々と紡ぐ。登場人物も どこにでも居そうな若者ばかり。舞台としては起伏に乏しいが、何となく心が温まり ホッとする内容である。
カーテンコールで、田中宏輝さんが「第四の壁を越え、観客と一体となった演劇を」といった主旨の挨拶をしていたが、まさに観(魅)せるを意識した公演のようだ。

同じような場面があり冗長に感じられること。登場人物が多く、ほんとうに必要な役柄なのか。簡素な舞台美術で情景変化が見られないこと などが残念なところ。一方、役者の熱量ある演技、その爽快感・躍動感が心地好い。テンポある展開が魅力なだけに、もう少しシャープな描きが出来ていれば…。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に変形衝立というか張りぼて、その前に白い箱馬を横に並べているだけ。上手下手には生垣。キャストは、舞台中央や左右にある階段を上り下りし 客席通路を通り抜ける。

物語は、大学3年の日南田郁人(山中翔太サン)が主人公。或る日、大学構内で幼馴染の鈴原連(田中宏輝サン)を見かけるが、何故か双子の颯(染谷凌佑サン)の名を名乗っている。成り替わって生きている。もともと体の弱った颯が連を庇って交通事故に遭った。それが理由で 長兄の要(藤代海サン)が大事をとって 病院以外に外出させない。颯の存在(名前)を忘れさせないため、連は颯のフリをしている。そして日々の出来事を話して聞かせる。

一方、郁人は幼い頃に母・紫<ゆかり>(桜井しおりサン)を亡くし、遠縁(他人と言ってよいほど)の橋本美寿紀(小野沢智子サン)に育てられた。微かにある母の記憶、それが桜並木の風景と共にある。母子家庭、その母が自殺したとの噂もあり、郁人は気にかけている。幼い時に鈴原兄弟と図書館で一緒に読み聞かせしてもらった良き思い出が忘れられない。何年経っても楽しかった事は忘れない、ゆえに郁人が連に会った時の違和感、それは颯に成りすましていたこと。

おぼろげな記憶…2つの話を交差させ、人を思いやる気持や人との絆の大切さを描く。寄り添う人々が織りなす ちょっぴり切なく、そして優しさに彩られた青春群像劇。それは今の時期に相応しい爽風を感じさせる。ラスト、亡母が郁人を写した写真、そこにはしっかり桜並木が…。「桜は散るのではなく舞うのだ」という台詞、そこに人生の謳歌の意を込める。登場人物は皆 善人ばかり。相手のことを思う気持、それは忘れず ちゃんと覚えていること。

少し冗長と感じられたのが、例えば 要を慕う会社 後輩の愛嬌ある素振り等である。会社や鈴原家において 何度か同じような<愛情>シーンがあるが、あまり本筋に絡んでこない。コメディ要素を入れたかったのだろうか?

当日パンフのUGM Kreis(緑川良介/子安由)さんの あいさつ「自分には些細な事でも、誰かにとっては心に響くこともある。ちっちゃな幸せ、少しの成長」とある。その思いは劇にしっかり込められていた。
次回公演も楽しみにしております。
白夜

白夜

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)

2023/04/14 (金) ~ 2023/04/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。ー劇団創立50周年記念公演Ⅱ・寺山修司没後40年記念認定事業ー
久し振りの劇団演奏舞台…変わらずアトリエでの公演だが、満席いや増席するほどの人気に驚いた。以前 観た公演は、板敷座布団が中心だったが、本作は全て椅子である。音響エリアだけは変わらず下手に設えてある。

濃密な会話の一幕劇…寺山修司 26歳の戯曲、初演は1962年というから約60年前の作品。テーマは「恐怖」ということらしいが、同時に、台詞にある「希望という名の重い病気」、そして希望を追い求め<続け>ることが どれほど残酷であるか。

釧路の北海岸にある安宿の一室が舞台。男は失踪した女を探す旅を続けており、宿の女主人、老人、女中に女の行方を尋ねる。溢れる男の想い、そして衝撃の事実が…。
演出は、作り上げた舞台美術(室内)、情況の変化と時間の経過を表す照明の諧調、心情表現を効果的に表す音響 音楽が実に印象的だ。演技も静かな中に 力 のこもった熱演で観応え十分。
抒情的な印象が強く残るが、大いに満足した公演だ。
(上演時間1時間20分) 

ネタバレBOX

舞台美術は、中央奥に部屋ドア、手前にテーブルと椅子、上手にベットと窓。他に黒電話や裸婦の絵画、天井には傘電灯がある。全体的に薄暗く、陰鬱な雰囲気が漂い 心(うら)ぶれた宿屋の一室を表している。上演前から静かな波の音が聞こえる。
なお、当日パンフに 寺山修司は「O.ヘンリーの短篇『家具つきの貸間』から発想を得た」とある。

梗概…一人の男が宿屋の女主人に案内されて部屋に入ってくる。男の名は猛夫、くたびれた様子で椅子に腰かける。テーブルの埃を見て、あまり利用されていない部屋では と訝しがる。男は弓子という女を探しており、投宿したことがないか尋ねる。まもなく女中が来て部屋の掃除をし始める。そして同じように女のことを尋ねる。掃除の途中で先客の忘れ物が散らばり、その中に見覚えのある品を見つけるが…。そして老人が入ってきて、自分の(恋愛)体験談を話し出す。

老人は戦時中に憧れていた女性がいたこと、そして人生長いようで短く、時の流れは残酷でもある。猛夫が弓子を捜し始めて5年が経ち、空しい時を過ごしている。老人は言う…いつか見つかるかも知れないという希望に憑りつかれてしまった と。時間を無駄にしてはいけないとの忠告をするが、猛夫は聞き入れない。一方、猛夫は言う。実は自分が先に散歩といって家を出たまま1カ月帰らなかった。その間に彼女が居なくなった。実は、彼女も猛夫を捜して旅している、その二人の行き違いの旅路でもある。猛夫の疲れ果てた姿が彼女に重なり、それが客商売に影響して…。ここで、冒頭のあまり使用されていない理由、女主人のガスコンロ云々といった台詞の意味が解ってくる。

いつしか日が暮れ 窓から月(星)明かりが差し込み、電気を付ける。が 停電によって暗闇へ。老人が蝋燭に火を灯し幻想的な光景が浮かび上がる。そこに捜し求めている女の幻影を重ね合わせているかのよう。音響・生演奏 音楽は海辺の近くということもあり、波の音、毎夜決まった時間に歌う 女中の子守唄、そして心情表現としての歌など、照明・音響等の舞台技術<効果>が素晴らしい。

演技は、猛夫(森田隆義サン)の疲れているが 希望を捨てない気丈さ、老人(鈴木浩二サン)の訥々とした話し方に滋味が溢れ、女主人(原律多サン)の素っ気ない素振りと訳あり態度が意味深で、女中(池田純美サン)の少しコミカルで愛嬌ある振る舞い、一人一人の情況がしっかり表現できている。その演技には、舞台で大切な観せ 感じさせるといった 力と 艶があった。演出・音楽・美術は浅井星太郎さん、その演出…基本は、猛夫と他の人物の対話であり、そこで交わされる台詞一言一言に深い意味が込められている。舞台全体に漂う抒情的な雰囲気が衝撃のラストシーンに余韻を残す。
次回公演も楽しみにしております。
播磨谷ムーンショット

播磨谷ムーンショット

ホチキス

あうるすぽっと(東京都)

2023/04/07 (金) ~ 2023/04/16 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い!お薦め。
大いに笑わせ、最後は少し感傷的に といった人の感情を くすぐるのが実に上手い。冒頭のシーンからお伽噺のような といってもファンタジーといった不思議な世界観ではない。物語を包むかのように「月に代わっておしおきよ!」ならぬ、「お仕込みよ」と修行させる 謎の女性の目的は…。

ホチキスが贈る、「ヒューマン アサシン コメディー」という一見矛盾した謳い文句通り、しっかりとした人間<再生>ドラマが描かれた衝撃、いや笑劇作だ。まさに この春一番!と言ったところか。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 追記予定

ナイゲン(にーらぼ版)

ナイゲン(にーらぼ版)

24/7lavo

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2023/04/06 (木) ~ 2023/04/11 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い!お薦め。
何度か観ているが、改めて演出やキャストの違いによって劇の印象が異なって観える ことが分かる。同時に シアターミラクルが閉館と分かっているから、ラストシーンは なおさら印象的に感じた。

自分は天邪鬼か…出来過ぎた?がゆえに不満が残るという奇妙な感じ。説明にある「会議を描いたコメディでありながら、民主主義や自由の意義を問う青春群像劇」に間違いはないが、会議を通して高校生の成長を描いた物語でもあろう。その成長譚の代表格が議長であり文化副である。例えば、議長はその職を仕方なく引き受け、会議を通じて成長していくといった先入観を持っていたが…。確かに表面的には優柔不断で 他人の言動で右往左往するが、冒頭から大声で会議を仕切ろうと やる気満々の態度(良い意味での演技力)である。そこには成長譚が観られない。

夏休み前の或る1日、午後から夕刻にかけて行われた会議<通称:ナイゲン>、その激論を終え、3年生・花鳥風月の「こんなナイゲンがやりたかった!」が物語の肝。照明…会議中は明るい陽光、しかし夕刻には黄昏に変化する、その哀愁がシアターミラクルの閉館に重なる。
(上演時間2時間15分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

セットは会議で見かけるロ字型。正面にグリーンボード、その上部に時計がある。上演時間とナイゲン討議時間(下校2時間前の時刻 16:15~18:30)に重ね合わせて臨場感を持たせる。客席はL字に設え、観客には会議の立会人のような緊迫感を持たせる。
内容限定会議(通称:ナイゲン)は、県立国府台高校 文化祭”鴻陵祭”における各参加団体の発表内容を審議する場である(文化祭規約)。規約が”自主自律”の精神に則っている。この規約が掲載された「内容限定会議資料」(劇中使用と同様)が観客にも配付される。すでに参加団体の催し内容も確認したところに、学校側から「節電エコプログラム」の催しを押し付けられて…。

発表内容に関する指摘、恋愛(痴情的)感情、上級学年優先や 何となくなど、意味不明の理由まで飛び出し議論は漂流し続ける。始めの理論武装された議論から感情優先のドタバタコメディへ…。いつの間にか文化祭全体会議からクラス代表の顔になっている。下校時刻が刻々と迫ってくる。そんな中、演劇の上演許可を得ていないクラス(3年1組<花鳥風月>)があった。ナイゲンの議論は、如何にこのクラスが主体的にエコプログラムを受け入れるか、という話へすり替わっていく。自主自律の精神に沿わせようとするもの。

さて、花鳥風月(音峯大樹サン)によれば、上演許可に係る資料はクラスの女生徒が提出していた、にも関わらず許可が得られなかった?提出忘れまたは錯誤?という疑問が残る。学校側は既に「節電エコプログラム」をやらせるつもりで、ナイゲンの最終日ギリギリで提案してきたのでは?という様々な憶測を持たせる面白さ。

教室から出られないという密室状態、しかも会議時間が限られているという空間と時間の制約に緊張が生まれる。テンポ良く、また疾走するような会話劇は、立会人的な観客も固唾を呑んで見守っている感じ。会話劇だけに登場人物のキャラクターや立場などが観(魅)せられるか。個性豊かな登場人物を演じるキャストが変われば劇雰囲気も変わるだろう。内容の面白さは勿論、キャストによって違った印象になるから、何度観ても飽きることはない。

会議は民主主義、自由とは を問うているが、同時に高校生の成長する姿も描く。例えば議長(平井泰成サン)は優柔不断な性格のようだが、学生側の「自主自律<ナイゲン>」と学校側の「節電エコプログラム」の間でギリギリの調整を試みている(ここから成長していく過程が観られるのでは)。文化副(井澤佳奈サン)は夏休みを謳歌すると公言していたが、会議後は文化祭(実行委員会)の手伝いを監査(寺園七海サン)に申し出るなど、変化が見られる。

各クラスの発表内容の審議結果を多数決(民主主義的な)で決める。討議では自分の考えを訴えつつも相手の言い分も聞くという態度が大切。物事を決める熟議のプロセスを重視している。意見の一致も大切だが、一人ひとりが違った見方で世界を見ることで世界はまともな形で存在するかも。芝居ではこの役割を3年3組_どさまわり(浅見臣樹サン) に担わせている。にも関らず、全体討議終了後の採決は全会一致の承認が必要であると…そうであれば議論の過程の多数決は何の意味があったのだろうか、という疑問が生じるところ。

会議後、花鳥風月が将来に向けて、皆がやりたがる「エコプログラム」を創作する。同時に「こんなナイゲンがやりたかった」は、有名無実になりつつある自主自律<ナイゲン>の精神が感じられたからではないだろうか。真に問題が解決した訳ではなく、会議内容の真価はこれから問われるのだと暗示している。実に深い余韻を残しており見事!
岸田國士連続上演「紙風船」「驟雨」

岸田國士連続上演「紙風船」「驟雨」

東京演劇アンサンブル

野火止RAUM(埼玉県)

2023/04/08 (土) ~ 2023/04/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

新座の野火止RAUMは少し遠いが、東京演劇アンサンブル2022年度研究生公演、しかも岸田國士連続上演となれば、ぜひ観ておきたかった。二回しかないので 早めに予約、当日は開場前に並んだ。満席‼

上演作品は「紙風船」(1925年)と「驟雨(しゅうう)」(1926年)である。「紙風船」は何度か観たことがあるが、「驟雨」は未見であり楽しみにしていた。約百年前、西暦表記したが、和暦では大正14年と15年。関東大震災によって大きな打撃を受けたが、再び大衆文化が華開いた時期でもあったらしい。
描かれているのは、両作品とも夫婦の物語であるが、平凡な営みと荒々の極みといった対照的とも思える内容だ。もしかしたら対をなすために選択したのだろうか。

研究生は4人(男性1名 女性3名)、男性は両作品に、女性は1名が両作品に登場する。演技は少し硬いと思ったが、確かな手応えを感じさせる。そして演技を支える舞台美術や照明・音響といった舞台技術は最小限に止めている。その意味では、研究生公演の名に相応しい演技力勝負の舞台である。
「観てきた!」は作品ごとに分けず、本欄で両作品のコメントを記す。
(上演時間「紙風船」30分 休憩15分 「驟雨」50分)

ネタバレBOX

●「紙風船」
ほぼ素舞台、夫は椅子に腰かけ新聞を読み、妻は近くで編み物をしている。二人とも着物姿である。

梗概…結婚して一年の夫婦が過ごす 日曜日の午後。夫(細谷巧サン)は一人出掛けようとするが、妻(鈴木貴絵サン)から小言を言われ所在なげにしている。妻は編み物をしながら夫を観察している。夫は、新聞で「結婚後一年の日曜をいかに過ごすか」という懸賞募集でもしたら面白いだろうなと言う。妻は「妻が日曜に退屈しない方法」を語り始める。そのうち二人は空想の鎌倉旅行を始めるが…。

平穏なひととき、他愛ない言葉遊びをしているよう。結婚一年というよりは、熟年夫婦のような味わい 雰囲気が漂う物語である。二人とも着物姿で、生き方や考え方が同じ方を向いていると思わせる。理想と現実の狭間に揺れ動く気持…しかし平凡で退屈、それこそが幸せのように思える。ラスト、姿を見せない子の存在<紙風船>が、意味深である。

●「驟雨」
大きな木の横長テーブルと椅子、登場人物は皆 客席側に向いて座る。何となく映画「家族ゲーム」の食卓シーンを連想する。蓄音機の音が時代を感じさせる。

梗概…朋子(入澤 愛サン)と譲(細谷巧サン)夫妻の家。譲が帰宅した直後、新婚旅行に行っているはずの朋子の妹・恒子(福井奏美サン)が訪ねてくる。恒子は姉に「夫とは(性格・慣習)合わない」と言い、旅行中の様々な愚痴や不満を話し始める。朋子は他愛ない夫婦喧嘩と思っていたが、次第にその他愛なさに潜む問題に気付き始める。そして夫・譲にも意見を求めるが、ますます混乱するような…。他に家政婦(鈴木貴絵サン)登場。

恒子の絶対許せないこと…旅先宿で夫の友人と偶然出会い、夫は友人と飲みに出かけ明け方帰ってきた。それを譲は夫の気持を代弁するように話し出す。男たるもの、夫たるもの の所業には寛大であれと…現代では通じない論であろう。続けて、仮に離婚しても、今より幸せな再婚が出来るかどうか。さらに処女ではない云々という貞操まで言い出して…。約百年前に岸田氏がジェンダーを意識していたのだろうか?
物語は、譲の考えを逆説的に捉えなければ 上演の意味が見いだせないだろう。つまり譲の言葉から、男女間にある様々な問題や矛盾を浮き彫りにする。古びた「男尊女卑」の意識下には、逆に「男だから」という責任と不自由さが付きまとう。

演出は、姉・朋子は着物、妹・恒子は洋服、そこに考え方の違い、古風か現代かといった意識の違いをみせる。演技は、岸田國士の戯曲ーその(大正)時代感覚に合わせ ゆったりと演じている。勿論 感情移入もしているだろう。
この岸田國士作品を通して、変哲のない日常、現代にも通じる男女の在り様、どちらも今を描いているような感覚に陥る。
次回(本)公演も楽しみにしております。
紙は人に染まらない

紙は人に染まらない

藤一色

OFF OFFシアター(東京都)

2023/04/06 (木) ~ 2023/04/09 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「赤紙(臨時召集令状)」配達人を通して描いた静かな反戦劇。銃撃・爆撃が見え聞こえるわけではないが、人の心に怖いと思わせる「紙」と「言葉」がある。勿論「赤紙」と「おめでとうございます」である。

物語は赤紙を配達する主人公・田中の目を通して戦争とは を考える。彼は「赤紙」だけではなく「戦死公報」も配達するなど心労ある役目(仕事)を務めている。村人からの怯える視線と任務の狭間に苦悩しており、夢か現か幻か判然としない日々を過ごす。村から次々に送り出される若者(病弱者も含め)が非業の最期を迎えるが、自分は…。しかし、いつしか心の痛<悲し>みという感覚がマヒして何とも思わなくなる。戦争という状況<環境>が、正常な精神 感覚でいられなくなる怖さ。

公演は 国家的な観点ではなく、庶<臣>民の感覚に近い描き方だけに 一層反戦への説得力を持つ。例えば田畑仕事をしている小高一家…父親は田中に向かって、三人兄弟のうち長男・次男は戦死、三男には赤紙を配達しないでほしいと土下座して哀願する。働き手がいなくなり、困窮するのは明らかである。しかし田中は ただ配達するだけで 自分には如何することも出来ない。
出征する当人、赤紙 が配達されて喜ぶ者、さらに志願する者の気持、一方 夫を送り出した妻の気持は、一様ではない。その夫々について丁寧に描く。

役者陣…藤一色の劇団員(3人)は1人1役、客演(4人)は複数役を担っているが、バランスもよく静かな中にも芯ある演技を行っている。赤紙を配達するため家々を訪問する、それを簡易な玄関移動で表現する。簡素な舞台美術を巧く使い、強い思いを窓から見える松(異称:時見草)に込める、その比喩が印象的である。
(上演時間1時間20分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に平台 そこに畳を重ね置く。下手には茶箱と玄関枠があるが、状況に応じて移動させる。天井からは傘電球が吊るされている、といった簡易な作りである。
上演前には 蝉の声や水が流れる音が聞こえ、長閑な風景が想像できる。

冒頭、田中(藤束遊一サン)<「赤紙」配達人>と佐藤<役場の同僚か?>が茶箱から志願兵を募る張り紙を探すところから始まる。臨時召集令状<通称:赤紙>は夜中に配達するとは知らなかった。その時間であれば家族皆がおり、確実に受け取ってもらえる。そして「おめでとうございます」と言い添える。この家々を配達する光景を通して、戦時中の人々の気持を描き出す。夫が出征し悲嘆している妻、そして無事に帰ってくるよう慰問袋を用意する人や、逆にDVを受けていた妻は、安堵するとともに 慰問袋にガラス欠片を入れ帰ってこないことを願うなど、一様ではない。さらに田中は配達人ゆえ出征しないが、弟の ぶん(加藤広祐サン) は兵隊に、その兄弟間の複雑な感情も盛り込むなど、人の機微を丁寧に描く。

召集令状が届いてホッとする若者。皆が戦地に行く中で、自分だけが取り残されたような気持ち。今では想像もできないであろうプレッシャー、それは「お国のため」に命を捧げることが尊いと考えられていたからだろう。一方、志願兵は早く入隊し昇進を目指す。上官になればそれだけ生き残る可能性が…なんという皮肉であろうか。そこに人間の浅はかだが、切羽詰まった姿<建前と本音>を垣間見せる。

音響は、戦況を知らせるラジオ、時々聞こえる飛行機音や虫 雨音、そして戸の開け閉めや叩く音の効果音。照明は、水面の揺れや傘電球という最小限の舞台技術で物語を支える。その中で女優陣(特に藤屋安実さんと谷川清夏さん)の衣裳が、戦時中にも関わらず小綺麗で違和感があった。

玄関枠を窓に見立て、外にある木が何であるか。田中は松と答え、対話している男・吉川<退役軍人?>は時見草と…。言い方は違うが、どちらも同じ木(松=異称:時見草)である。同じモノでも捉え方 考え方 そして状況(異常・非情時)の違いで異なるか?人殺しの非道が、戦時中という非常時には 当たり前〈英雄扱い〉という感覚になる怖さ。
因みに「松」は常緑樹で花言葉は、不老長寿という。まさに「生命」の象徴を用いた演出である。
次回公演も楽しみにしております。
「モモ」

「モモ」

人形劇団ひとみ座

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2023/03/23 (木) ~ 2023/03/29 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

本作は 劇団創立75周年記念のプレ公演。そしてWhite Sketchbookという新シリーズの第1弾。
ミヒャエル・エンデ作「モモ」は ずいぶん前に読んだ記憶があるが…。改めて人形劇で観ると、考えというか思いが違うような。その意味では視点によって印象が異なる作品のような。

出遣いの人形劇…舞台上で人(キャスト)と人形が一体となって演じる。人形に表情はないが、操演者の感情や動作が人形に乗り移り、豊かな心情が見えてくるから不思議だ。
舞台美術や小道具は手作り感に溢れ、温かさが滲み出ている。人形も舞台<美術>も動かし、生き活きとした息遣いを感じさせる。

いつ何処から来たのか、不思議な少女 モモが主人公…フライヤーにある そばかす顔の女の子である。純朴な問い、人の話をよく聞く、その純真とも思える心が「わたし、何もしてないよ」に繋がる。灰色の男達との対峙を通して時間とは、を考える寓話。一方、モモと親しくなる人々の ゆったりとした時間<管理>の使い方も気になる。時間に追われギスギスとした人間関係、精神的・肉体的に疲れてしまうのは論外だが、効率的な時間の使い方は現代社会に求められてきたものではなかったか?理想的な視点と現実的な視点があり、その典型的な場面がジジの吐露…成功者の優雅な生活に憧れる 一方で、自分の現状に不満や不安を持つ、それは現代の我々そのものであろう。その結果、時間を惜しみ働き 富を得て夢を叶えたつもりだったが…。

モモは1973年刊、勿論 外国の作品で日本の社会事情と同一視できないが、日本では社会が忙しく動いた時期だった。翻って今、日本政府〈厚労省〉は「働き方改革」を唱えているが、エンデが50年前に自分らしい生き方〈時間の考え方〉を説いていることに驚かされる。
(上演時間2時間 途中休憩10分) 

ネタバレBOX

舞台美術は、中央壁に大きな丸オブジェ、時計の文字盤であり太陽にも観える。廃墟になった円形劇場の壁欠片(煉瓦模様)が幾つか置かれ、上手下手に街が描かれた大きな衝立2つ。全て可動式で表と裏がある。シーンに応じて舞台美術を動かし違う情景を観(魅)せる。音楽劇でもあることから歌でも楽しませる。

物語はモモと街の人々の仄々とした交流、そして街の人が灰色の男と「時間貯蓄銀行<口座>の契約」によって、今までの ゆったりとした暮らしから、時間を節約して慌ただしく暮らすようになる。ここまでが前半、後半はモモが街の人の奪われた時間を取り戻すため灰色の男と対決する。そのために亀・カシオペイアに誘われて旅に出る。

灰色の男をどのように捉え解釈するか。単に時間を預かる行為を通して、人々の生活意識…人によって”時間に対する考え方”は違うが、少なくとも効率的な時間の使い方をしてほしと善意であるか、泥棒してでも他人の時間で生きるという悪意か。結局 奪った時間も煙として消費してしまう。功利主義か利己主義か微妙なところであるが、いずれにしてもメタファーとして登場させている。

例えば仕事を通して、時間の効率的な使い方<管理>が求められるが、一概に否定はしきれない。しかし 時間の<厳格な>管理が必ずしも能率的とは限らない。現実的な視点と理想的な視点…そこに自分らしい時間の使い方⇒生き方が問われるようだ。灰色の男は自分らしい という主体性がない。他人(街の人)に、時間こそが全ての人に与えられた平等と言い、限られた時間を有用に と説くが、そもそも男の価値観が見い出せていないという矛盾。灰色の男は平べったい人形で、皆同じ格好をしており個性や名前<英数字の羅列>まで効率化したよう。”自分というものがない”灰色の男は、モモの「どうして?」という質問に答えられない。

人形劇を観て、音楽(歌)を聴いてといった表層だけでも楽しめるが、改めて「時間」という大切なことを考え学ぶ。生身の役者ではなく、人形というワンクッションを介することで、教訓臭にならない巧さ。そこに この公演の面白さがあり、幅広く奥の深い内容は観応えがあった。
次回公演も楽しみにしております。
バンクパック

バンクパック

sitcomLab

テアトルBONBON(東京都)

2023/03/23 (木) ~ 2023/03/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

客席の半分が無料という大盤振る舞いの公演。
勿論 満席の大盛況だ。更に この公演でお得情報を得ることが出来たのが嬉しい。

銀行内で起きる物騒な事件、それを現世と来世を何度も往還させ、少しづつ状況が変化して展開<回転>していく物語。何となく螺旋階段を回り 同じような景色を繰り返し観せるような感覚である。デジャブに陥り飽きてしまいそうになるが、そこは上手く捌き逆に面白可笑しく観せる。シットコムの真骨頂、その魅力を十分に堪能した。
怪しげな男を登場させ、その男との会話と絶妙な変化が物語の肝。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

銀行のロビーが舞台。中央に応接セット、上手に待合所<別スペース>、下手は受付でパソコンが置かれている。後部は段差を設け、わずかな上り下りで躍動感をみせる。

若手小説家・藤澤智彦(星野勇太サン)とその妻・絵里(天野麻菜サン)が支店長(石倉良信サン)から口座開設の説明を受けている。小説家は今まで通り郵貯でよかったが印税の受け取りのため、妻が開設を勧めている。そこへ孤児院で育った二人組の銀行強盗が侵入してくる。手に拳銃を持っているが、覆面もせず名前を呼びあう杜撰な計画のよう。しかし一人の男は凶悪でひょんな拍子で小説家を射殺してしまう。が、小説家はある所<異世界>で奇妙な男=悪魔(佐野瑞樹サン)と出会う。悪魔には3人の娘がおり、次女が小説家のファンだという。悪魔といえど親、娘の願いを叶えるため小説家を生き返らす=時間を巻き戻すが…。

生き返る時間<タイミング>、なんと銀行強盗が侵入する直前で対応する余裕がほとんど無い。しかし小説家は皆を助けるためにシミュレーションをするが上手くいかず、前世では何度も射殺される。生き返るにしても限界があり、猶予は無くなり…。
銀行内という逃げ場のない場所、その限られた空間で 同じようなシーンを何度も続け既視感が生じ飽きてくる。が、悪魔を登場させ銀行内から別空間<異世界>ー後景を薄暗くし 悪魔との会話ーを演出する。ラストは時間の遡行と記憶操作まで使うが、少し解り難かったのが残念。

時間を遡行する都度、他の人物の素性や人間性が垣間見え、小説家の心が豊かになっていく。銀行口座など どうでも良い、といった 投げやりな態度から少し成長したような。銀行強盗に立ち向かう、そのシミュレーションのたびに少しずつ状況が変化するが、キャストの台詞は同じか 少し端折る程度で殆ど同じ。それを絶妙な間<ま>、アクション、そして場面転換で観せる巧さ。
小劇場での笑劇<衝撃>…まさに笑気<勝機>はあったのだ。
次回公演も楽しみにしております。
狼なキミとエンドレスな魔女

狼なキミとエンドレスな魔女

劇団1mg

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2023/03/24 (金) ~ 2023/03/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

新型コロナウィルスのパンデミックに苦しめられた現実の意識下、そこへ20年後の日本でさらに新種のウィルスがといった仮想恐怖の刷り込みをするような描き。そしてタイトルにある狼や魔女といった怪し気なモノが、物語でどのような役割を果たすのか興味を惹く。

説明の「ここは本土から800㎞の離島に存在する国営研究施設『新東京国立免疫センター』」、その舞台美術は廃墟のような怪しさ。一見奇異な世界観、その雰囲気作りと関心を惹く上手さ。
公演の魅力は怪しい施設、実験(被検<験>者)がどうなっていくのかといった謎めいた展開。それを躍動感溢れる演技で観(魅)せるところ。

ただ残念なのは、不気味な雰囲気を漂わせているわりには、施設内にいる人々ー(被検<験>者)は何故か明るく振る舞っている。その幻影的な妖しさと現実的な足あとのギャップに違和感をおぼえる。また冒頭、この施設に来た女性の現れ方が唐突で、物語の展開…時間差が感じられない。そのため物語の現在<時点>が暈けてしまったのが勿体ない。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は 段差ある二層、中央に階段があり左右ほぼ対象に作られている。一階部は左右に柵がある。段差があることから上り下りによって躍動感がうまれる。また早く大きな動きはダイナミックに観える。冒頭 薄暗く雰囲気は廃墟工場で、全体的に怪しさが漂っている。また天井に電球がランダムに吊るされ、暗闇にそれが灯ると幻想的な光景へ。

冒頭、暗闇に一人の女・陽<ハル>が現れ、下手の柵に収監?されている男・アンラッキーと話し出す。男の手に手錠、しかし凶暴性は感じられない。暗転後、数人の男女が談笑している。皆 白いツナギ服で番号が付いている。また時々 赤いツナギ服の女性が現れ、悪戯をしているよう様子。
説明から、ここは本土から約800kmの離島に存在する国営研究施設【新東京国立免疫センター】ということ。そして状況背景は、幾度となく猛威を振るった【en:dless】ウィルス災害と第3次世界大戦により激変した日本国民数その数…2000万人ということ。施設で何らかの検査を行っており、ツナギ服の白・赤はその抗体・免疫性の違いで隔離<色分け>しているよう。

或る日、白ツナギの男・ナナトが 赤ツナギの女?を見かけ興味を持つ。この施設では違う色の服を着た者同士が交流することは出来ないし、監視もされている。女の番号は008で、横にすると ∞…通称エンドレスになる。本土に渡ったこともなく、生まれも育ちもこの施設内、そして名前もない。いつしか二人はお互いを意識し合う。
施設長・日向、通称マザーは、二人の淡い恋を心配している。しかし二人は施設を抜け出し本土に渡る決意をする。そんな二人を助ける仲間たちだが…。

実は マザーは魔女で、冒頭のアンラッキーとの間に生まれた子が エンドレスである。そして、冒頭の女はナオトとエンドレスの間に生まれた子である。マザー(魔女)とアンラッキー(狼)の孫にあたる。背景も衣裳も同じ、魔女も人狼も年を取らない?という設定ゆえか、祖父と孫の邂逅後、すぐに何年か遡行する展開は分かり難い。タイトルにある 狼と魔女そしてエンドレスの関係を最後まで謎めかしておきたかったのだろうか。
もう少し早い段階で全貌を明らかにし、「遠い未来で紡がれる、種族を越えた友情または愛情」を印象深く観せてほしかった。
次回公演も楽しみにしております。
オペラ「THE SPEECH(ザ・スピーチ)」東京公演

オペラ「THE SPEECH(ザ・スピーチ)」東京公演

劇団★ポラリス

THEATRE1010(東京都)

2023/03/24 (金) ~ 2023/03/25 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

田中角栄の半生を音楽と浪曲で紡いだ音楽劇にして異色作。オペラと謳っているが歌と音のコラボレーション<出演がポラリス歌組と同 音組で構成>。

田中角栄の濁声を実際聞いたことがあれば、何となく似せていることが分かる。彼の独特な声色は、幼少期に吃音だったことが遠因のよう。吃音を治すために浪曲にハマったという紹介、そこから劇中 浪曲が披露される。楽器は上手から(大)太鼓、三味線、チェロ、ヴァイオリン、ピアノと並び、しっかりと三味線の配置を浪曲<浪曲師の上手後方>に合せている。ちなみに浪曲の演目は、「天保水滸伝」で〈義理〉と〈人情〉を謡い、角栄の政治活動<スタイル>に重ねる。歌と音であるが、木村多江さんが語りとして要所要所ー例えば 角栄の母フメの言葉などーで紡ぐ。

音組以外は 全て男性出演者。多くの民衆を表すのも上下黒服の男性群、特徴を持たせず同じ歌<合唱>や踊り<群舞>を演じる。そこに 角栄のスピーチによって一挙手一投足、同じ方向を向く群(愚)衆を観るようで滑稽だが怖い。

物語は 角栄半生と記したが、概ね 上京し政治家になってからロッキード事件で逮捕される前まで、いわゆる政治家として成功を収めた頃を描いている。必ずしも品行方正といった描きではなく、後々 事件に結び付くような金権政治手法が垣間見える。群衆の黒服に札を貼り付けるといった象徴(皮肉)的な観せ方が巧い。そもそも国<民衆>も高度成長期〈田中内閣が新政策の柱にすえた「日本列島改造論」は金融緩和で進行していた企業の土地投機を煽り、土地転がし、マンション投機などへエスカレート〉で浮かれていたかも知れないが…。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は 後ろに音組の楽器、真ん中に演壇が置かれている。

冒頭 田中角栄が生まれた新潟県、その雪深い風土を表す照明…後壁の全面に雪が降っている印象深い光景<後景>。そして三国峠の道路再開発によって、といった選挙演説を重ねる巧さ。上京する際、母から拾円を渡され、3つの約束を誓わされる、それを木村さんのナレーションで紹介する。生涯 頭の上がらなかった母とのエピソード、それが物語の随所に表れる。

途中に浪曲の披露…演壇にテーブル掛けで田中角栄のスピーチとどう絡むのかと思っていたが、違和感はない。逆に吃音を治すために好んだと説明され、不思議と納得した。それがフライヤーにある「日本を熱狂させた 伝説のスピーチ」という謳い文句になる。勿論 政治手法に絡めた義理と人情、そして官僚の人心掌握術に絡める。

田中角栄がなした実績の数々の紹介、その熱き思いと行動力を称賛するような描き。ポラリス歌組のメンバー6人が田中角栄を演じ分け、場面に応じて他のメンバーが政敵になる。キャストの衣裳は同じで、外見で違いは現さない。そこに田中角栄という人物の一貫性を表現する拘り。

舞台技術、音組は太鼓・三味線という和楽器とチェロ、ヴァイオリン、ピアノの洋楽器の組み合わせ、それに男声合唱で聞かせる。照明は冒頭こそ雪景色をイメージさせるが、それ以外は赤・青といった色鮮やかな原色を後壁一面に照射する。そして舞い落ちる紙雪で抒情的な雰囲気を醸し出す。演奏・合唱・ダンスが「田中角栄」の物語を彩る、そのエンターテインメントは見事。ラストは裁判に際しての言葉が…。
次回公演も楽しみにしております。
豊後訛り節

豊後訛り節

劇団1980

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2023/03/25 (土) ~ 2023/03/29 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
「別府三億円保険金殺人事件」…別名「荒木虎美事件」を描いた骨太・重厚な物語。緊迫感と臨場感、その圧倒的な演技力に観(魅)入らされる。事件の特異性を濃密に描き出した作品は、第23回テアトロ演劇賞特別賞」を受賞するほど高評価されたという。

主人公は強烈な個性を持つ容疑者、彼を取り調べる警察署の刑事たち、その息詰まる攻防が見どころである。そして警察=国家権力に見え隠れする体面と実状、その危うい均衡が現代社会に繋がっているかのようだ。偶然にも 公演前に東京高裁による「袴田事件」の再審開始が決定した。そのニュースと照らし合わせると、作品に描かれている”疑わしきは罰せず”という台詞、刑法の大原則 法諺に疑問を抱いてしまう。

タイトルにある豊後=大分県(別府)で起きた事件、それが全国的に有名になったわけは、多額の保険金額、容疑者の前科といった蓋然性、状況証拠の積み重ねだけで有罪に出来るのか否かが焦点。容疑者にとって、信じられるのは自分だけ。切羽詰まった状況から浮き彫りになる心情、それを荒々しい態度と行為で表現する。全編 豊後訛りで紡ぎ 地域性を表すが、内容は一地域に止まらない。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 追記予定

卍珠沙華

卍珠沙華

ヅカ★ガール

レンタルスペース+カフェ 兎亭(東京都)

2023/03/22 (水) ~ 2023/03/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

未見の団体。全員女性で禁断の世界を描く。
満席の人気公演。キャスト全員での出迎えとお見送り(物販兼ねて)といった心配り👍

谷崎潤一郎の「卍」を、「令和5年の新解釈にて再哲学し、ズカ★ガール流に描き出した意欲作」という謳い文句…観(魅)せるといった華やかさが印象的であった。新作を書く”先生”の原稿用紙の上、四つ巴の恋愛悲喜劇を爛漫と乱れ咲くという執筆<行為>、それと作品<物語自体>として同時並行して展開していく。原作の「卍」<まんじ>は、その文字の形が、主要な登場人物4人(園子、光子、孝太郎、栄次郎)の輻輳した関係を暗示している といったもの。基本はそれを準えている。

今でこそ LGBTQはあまりスキャンダラスといった驚きはしない、というか 逆に現代の多様な性の在り方〈性的マイノリティ〉として注目されている。「卍」が連載された昭和3年当時は かなり刺激的だったのではなかろうか。「同性愛」という異常なる性愛奇譚、とは言えドロドロとした愛欲・溺愛といった執着心がない。そこが少し物足りない。むしろ或る種の清々しさ 華やかさ 幻想さが前面に出おり、その着飾りが裸の心を見えなくしている。
谷崎作品=耽美的と捉え、禁断の逢瀬をエロティシズムに満ちたものと勝手に思っていたが…。
(上演時間1時間15分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術は雛祭り的な印象。場内は赤い幕(布)が飾られ、両端に雪洞が置かれ、花弁が散らばっている。中央にソファ、上手にアンティーク電話、下手側に机や書籍がある。所々に台詞(文章)が書かれた紙が貼られている。
配役は次の通り。
柿内園子:結崎あゆ花さん〈孝太郎の妻〉
徳光光子:妃咲歩美さん〈奔放・蠱惑的な女性〉
孝太郎:かまくらあや さん〈真面目な編集者〉
綿貫栄次郎:来栖梨紗さん〈光子の婚約者〉
先生:石黒乃莉子さん〈現実と劇中の小説家〉

原作「卍」は、両性愛の女性と関係を結ぶ男女の愛欲の話で、2組の男女の関係が交錯する まんじ模様の倒錯的な愛を描いた作品として紹介されている。面白いのは、作者<先生>が歪な愛の行方、その終着をどのように書くか自問自答する様子。自分で物語の世界へ入り込み、登場人物に問い 答えや体験を聞くようなスタイル。作者が物語の登場人物の一人になり、独白する。飄々とし悠然と煙草を燻らせるが、実は倒錯世界の未体験者=作者が、作品<艶話>のために苦悩するような。女の情念というよりは、愛とは何か、その”あるべき姿”に翻弄される姿を描いているようだ。

ズカ★ガール流の新解釈、再度哲学した「彼女たちの愛に教訓などない」は、現代性と結び付く。そして倒錯した愛からすこし離れたところから見守る、そんな別の愛情表現が女中:お梅(日替わりゲストキャスト:三葉彩夏サン)の存在である。曼殊沙華という天界の花ーおのずと悪業から離れることらしいが、それを「『卍』殊沙華」に置き換えて倒錯〈背徳?〉した愛を描く奇知〈皮肉?〉ある作品。

演出は、女性…園子と光子は着物姿、それから逢瀬を重ね 日々の移ろいを表す洋服姿へ。園子は白地、光子は赤地といった対象色で彩る。暖色照明が服地を鮮やかに映す。照明の諧調によって妖しい雰囲気を漂わし、その中で着物を脱ぎ肌を合わす艶めかしい肢体。かと思えば、男役(男装した)と溌剌とタンゴを踊る、といった変化ある観(魅)せ方に女性演劇団体としての特長をみる。

『卍珠沙華』 初めて様ご招待ー感謝です。
次回公演も楽しみにしております。
幸福論

幸福論

wonder×works

新宿シアタートップス(東京都)

2023/03/15 (水) ~ 2023/03/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
観せ方が妙というか演出が上手く、それを表す舞台美術も見事だ。
先に少しネタバレするが、劇中には 説明にあった核廃棄物の最終処分場候補地に賛成する者は登場しない。敢えて登場させていないと思う。それでも町中が紛糾している様子は、登場人物の台詞によって巧みに描き出している。

舞台は町の外れにある小高い丘にある家、そこからは町の光景が眺められる。
終盤、主人公・医師の三谷昇が家(舞台)から姿なき者(観客)に向かって、核廃棄物による悪影響について熱弁(長台詞)を揮う。核廃棄について観客に考えさせる、そんな意図をもった公演に思える。同時に劇中で核廃棄反対を声高々に叫ぶ人々が、いつの間にか本性を丸出しにした人間性を表す。そこに「核」同様「人」の怖さが垣間見え、考えさせるという幅広で奥の深い内容になっている。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし)

ネタバレBOX

舞台美術はチラシの絵柄のようなサン・バルコニー。上手は出入口、中央にテーブル・椅子、奥の壁一面は棚で色々な物が置かれ、下手に冷蔵庫や被った三輪車が見える。外は芝生、低木が植えられている。上演前には小鳥の囀り 蜩や蛙の声が聞こえ、長閑な光景が想像できる。季節は夏から晩秋であろうか、薄着から厚手の衣裳へ変わる。舞台技術は丁寧で、照明は午前・昼・夕方・夜といった情景が浮かぶような諧調、音響は雨・風、音楽は宮沢賢治「♬星めぐりの歌」といった印象付けである。

冒頭、現町長が二年前、核廃棄物の最終処分場候補地に名乗りを上げ、町は反対派、賛成派(登場しない)で二分し いがみ合っている様子。近々 町長選が行われるが、施設誘致の是非が焦点になることから、多くのマスコミが注目している。反対派の中心人物の一人である三谷昇に窪という新聞記者が取材しているところから始まる。

核廃棄物の危険性は、医師である三谷から色々な切り口で説明する。例えば人体や土地への悪影響を縷々説明し、どんなに安全・安心を訴えても誰も保障出来ない。一方足元を考えれば国から巨額の交付金が給付される。劇中での台詞…今日明日の暮らしか(遠い)将来の心配か、そこに地元住民ならではの問題に追いやる。当日パンフに作・演出の八鍬健之介氏が「距離と関心(或いは安心)というのは、やはり関係があるのでしょうね」と記しているが、まさに自分事でなければ無関心と言えるかも知れない。

説明では報道によって生まれた火種とあるが、三谷が依頼した地質調査の結果、ここは核廃棄物処分地には不適格であることが判った。処分地にならないのであれば、調査だけ受入れ、交付金を得るという目先の欲が働くのは人間(商工会職員)の業(立場)か。
また賛成・反対派による夫々の暴力行使、それを表沙汰にせず穏便に済ませたい町議会議員の立場。そこに核廃棄反対派における人間関係・絆の綻び、同時に自己本位、エゴといった人間の怖さを観せる。

この地を離れられない理由、それを三谷夫婦や家を貸している大家に担わせている。三谷夫妻には病死した子がおり、この地へ埋葬している。大家は ここで長年暮らし、花々を育てきた。姿なき人々(農家)は、この大地の恵みに といったことを連想させる。
客席に向かって熱弁と思ったのは、劇中 (客席)通路を使用し家路へ という地続き演出から。出演者だけではなく、観客を巻き込んで考える。だからこそ「小さな町が背負ったのは、この国の幸せ」に繋がるのでは…。
次回公演も楽しみにしております。

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