「モモ」 公演情報 人形劇団ひとみ座「「モモ」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    本作は 劇団創立75周年記念のプレ公演。そしてWhite Sketchbookという新シリーズの第1弾。
    ミヒャエル・エンデ作「モモ」は ずいぶん前に読んだ記憶があるが…。改めて人形劇で観ると、考えというか思いが違うような。その意味では視点によって印象が異なる作品のような。

    出遣いの人形劇…舞台上で人(キャスト)と人形が一体となって演じる。人形に表情はないが、操演者の感情や動作が人形に乗り移り、豊かな心情が見えてくるから不思議だ。
    舞台美術や小道具は手作り感に溢れ、温かさが滲み出ている。人形も舞台<美術>も動かし、生き活きとした息遣いを感じさせる。

    いつ何処から来たのか、不思議な少女 モモが主人公…フライヤーにある そばかす顔の女の子である。純朴な問い、人の話をよく聞く、その純真とも思える心が「わたし、何もしてないよ」に繋がる。灰色の男達との対峙を通して時間とは、を考える寓話。一方、モモと親しくなる人々の ゆったりとした時間<管理>の使い方も気になる。時間に追われギスギスとした人間関係、精神的・肉体的に疲れてしまうのは論外だが、効率的な時間の使い方は現代社会に求められてきたものではなかったか?理想的な視点と現実的な視点があり、その典型的な場面がジジの吐露…成功者の優雅な生活に憧れる 一方で、自分の現状に不満や不安を持つ、それは現代の我々そのものであろう。その結果、時間を惜しみ働き 富を得て夢を叶えたつもりだったが…。

    モモは1973年刊、勿論 外国の作品で日本の社会事情と同一視できないが、日本では社会が忙しく動いた時期だった。翻って今、日本政府〈厚労省〉は「働き方改革」を唱えているが、エンデが50年前に自分らしい生き方〈時間の考え方〉を説いていることに驚かされる。
    (上演時間2時間 途中休憩10分) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は、中央壁に大きな丸オブジェ、時計の文字盤であり太陽にも観える。廃墟になった円形劇場の壁欠片(煉瓦模様)が幾つか置かれ、上手下手に街が描かれた大きな衝立2つ。全て可動式で表と裏がある。シーンに応じて舞台美術を動かし違う情景を観(魅)せる。音楽劇でもあることから歌でも楽しませる。

    物語はモモと街の人々の仄々とした交流、そして街の人が灰色の男と「時間貯蓄銀行<口座>の契約」によって、今までの ゆったりとした暮らしから、時間を節約して慌ただしく暮らすようになる。ここまでが前半、後半はモモが街の人の奪われた時間を取り戻すため灰色の男と対決する。そのために亀・カシオペイアに誘われて旅に出る。

    灰色の男をどのように捉え解釈するか。単に時間を預かる行為を通して、人々の生活意識…人によって”時間に対する考え方”は違うが、少なくとも効率的な時間の使い方をしてほしと善意であるか、泥棒してでも他人の時間で生きるという悪意か。結局 奪った時間も煙として消費してしまう。功利主義か利己主義か微妙なところであるが、いずれにしてもメタファーとして登場させている。

    例えば仕事を通して、時間の効率的な使い方<管理>が求められるが、一概に否定はしきれない。しかし 時間の<厳格な>管理が必ずしも能率的とは限らない。現実的な視点と理想的な視点…そこに自分らしい時間の使い方⇒生き方が問われるようだ。灰色の男は自分らしい という主体性がない。他人(街の人)に、時間こそが全ての人に与えられた平等と言い、限られた時間を有用に と説くが、そもそも男の価値観が見い出せていないという矛盾。灰色の男は平べったい人形で、皆同じ格好をしており個性や名前<英数字の羅列>まで効率化したよう。”自分というものがない”灰色の男は、モモの「どうして?」という質問に答えられない。

    人形劇を観て、音楽(歌)を聴いてといった表層だけでも楽しめるが、改めて「時間」という大切なことを考え学ぶ。生身の役者ではなく、人形というワンクッションを介することで、教訓臭にならない巧さ。そこに この公演の面白さがあり、幅広く奥の深い内容は観応えがあった。
    次回公演も楽しみにしております。

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    2023/04/01 08:44

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