岸田國士連続上演「紙風船」「驟雨」 公演情報 東京演劇アンサンブル「岸田國士連続上演「紙風船」「驟雨」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    新座の野火止RAUMは少し遠いが、東京演劇アンサンブル2022年度研究生公演、しかも岸田國士連続上演となれば、ぜひ観ておきたかった。二回しかないので 早めに予約、当日は開場前に並んだ。満席‼

    上演作品は「紙風船」(1925年)と「驟雨(しゅうう)」(1926年)である。「紙風船」は何度か観たことがあるが、「驟雨」は未見であり楽しみにしていた。約百年前、西暦表記したが、和暦では大正14年と15年。関東大震災によって大きな打撃を受けたが、再び大衆文化が華開いた時期でもあったらしい。
    描かれているのは、両作品とも夫婦の物語であるが、平凡な営みと荒々の極みといった対照的とも思える内容だ。もしかしたら対をなすために選択したのだろうか。

    研究生は4人(男性1名 女性3名)、男性は両作品に、女性は1名が両作品に登場する。演技は少し硬いと思ったが、確かな手応えを感じさせる。そして演技を支える舞台美術や照明・音響といった舞台技術は最小限に止めている。その意味では、研究生公演の名に相応しい演技力勝負の舞台である。
    「観てきた!」は作品ごとに分けず、本欄で両作品のコメントを記す。
    (上演時間「紙風船」30分 休憩15分 「驟雨」50分)

    ネタバレBOX

    ●「紙風船」
    ほぼ素舞台、夫は椅子に腰かけ新聞を読み、妻は近くで編み物をしている。二人とも着物姿である。

    梗概…結婚して一年の夫婦が過ごす 日曜日の午後。夫(細谷巧サン)は一人出掛けようとするが、妻(鈴木貴絵サン)から小言を言われ所在なげにしている。妻は編み物をしながら夫を観察している。夫は、新聞で「結婚後一年の日曜をいかに過ごすか」という懸賞募集でもしたら面白いだろうなと言う。妻は「妻が日曜に退屈しない方法」を語り始める。そのうち二人は空想の鎌倉旅行を始めるが…。

    平穏なひととき、他愛ない言葉遊びをしているよう。結婚一年というよりは、熟年夫婦のような味わい 雰囲気が漂う物語である。二人とも着物姿で、生き方や考え方が同じ方を向いていると思わせる。理想と現実の狭間に揺れ動く気持…しかし平凡で退屈、それこそが幸せのように思える。ラスト、姿を見せない子の存在<紙風船>が、意味深である。

    ●「驟雨」
    大きな木の横長テーブルと椅子、登場人物は皆 客席側に向いて座る。何となく映画「家族ゲーム」の食卓シーンを連想する。蓄音機の音が時代を感じさせる。

    梗概…朋子(入澤 愛サン)と譲(細谷巧サン)夫妻の家。譲が帰宅した直後、新婚旅行に行っているはずの朋子の妹・恒子(福井奏美サン)が訪ねてくる。恒子は姉に「夫とは(性格・慣習)合わない」と言い、旅行中の様々な愚痴や不満を話し始める。朋子は他愛ない夫婦喧嘩と思っていたが、次第にその他愛なさに潜む問題に気付き始める。そして夫・譲にも意見を求めるが、ますます混乱するような…。他に家政婦(鈴木貴絵サン)登場。

    恒子の絶対許せないこと…旅先宿で夫の友人と偶然出会い、夫は友人と飲みに出かけ明け方帰ってきた。それを譲は夫の気持を代弁するように話し出す。男たるもの、夫たるもの の所業には寛大であれと…現代では通じない論であろう。続けて、仮に離婚しても、今より幸せな再婚が出来るかどうか。さらに処女ではない云々という貞操まで言い出して…。約百年前に岸田氏がジェンダーを意識していたのだろうか?
    物語は、譲の考えを逆説的に捉えなければ 上演の意味が見いだせないだろう。つまり譲の言葉から、男女間にある様々な問題や矛盾を浮き彫りにする。古びた「男尊女卑」の意識下には、逆に「男だから」という責任と不自由さが付きまとう。

    演出は、姉・朋子は着物、妹・恒子は洋服、そこに考え方の違い、古風か現代かといった意識の違いをみせる。演技は、岸田國士の戯曲ーその(大正)時代感覚に合わせ ゆったりと演じている。勿論 感情移入もしているだろう。
    この岸田國士作品を通して、変哲のない日常、現代にも通じる男女の在り様、どちらも今を描いているような感覚に陥る。
    次回(本)公演も楽しみにしております。

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    2023/04/10 06:27

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