SEN-RITSU
座・間座
Geki地下Liberty(東京都)
2016/06/03 (金) ~ 2016/06/09 (木)公演終了
満足度★★★★
発想は良いが、その表現が...
場内に入った途端、そこは廃墟。そして不安を掻き立てるような水滴の音。タイトル...「SEN-RITSU」であるが、漢字にすると「戦慄」と書く(もうひとつ「旋律」もあり、こちらは主人公の名が...)。国家認識の欠如、アイデンティティの喪失がもたらした結果、表記が カタカナ になったかのようだ。
本公演は、日本という国が舞台であるが、日本人は少なくなり、中国、韓国といった他国の移住者が其々の地域エリアを形成している。そのエリア抗争を軸に友情・裏切・恋愛といった青春群像が観られる。一方、暴力・略奪、そして殺人という非合法行為が日常茶飯事のディストピアの世界観も描かれる。そんなダーク・バイオレンスドラマである。
この芝居でいくつか気になるところも...。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは、上手に上階から降りてくる階段があり、物見櫓(ボロ布が張り付く)のような中継を経て中央舞台へ架かる板が渡してある。中央は矢倉が組まれている。プロローグ、エピローグには、この矢倉の後壁に廃墟の画像が映し出され、その虚しさが印象付けられる。
移民受け入れに伴う隔離政策(ジャパニーズアパルトヘイト)によって、大量の移住者はチャイナタウン、コリアタウンなど、それぞれの居住地域を持つようになる。そのエリア抗争を物語の本筋に据える。この状況は、遥か昔または遥か未来の架空日本の姿としているが、けっして絵空事ではないように思える。
芝居として観ているが、未来への不安を抱え、解決策が見出せない現代の閉塞感が箱庭的に目の前で繰り広げられる。かつてのディストピアは、予言的であったが、本作品は既視感がある。今生きている世界も過去や未来から見たらおかしいと思うことがあるかもしれない。 説明にある「孤独、対立、信頼、裏切り。 悲しみの向こう側で、抱えきれない程の想いを背負った者」...このディストピアにいる人間は、色々なものを削ぎ落として「生きる」という本質を見ている。その切ない思いが十分伝わる物語。
脚本に対して、その観(魅)せる演出と演技に残念なところが...。
全体的なストーリーは分かるが、其々の対立構図、関係性が理解し難い。物語の筋を追うだけになり、問題提起なり訴求したいところが暈ける。できれば当日パンフに相関図があると助かる。
演技は、それぞれキャラクターを確立している。特に主人公・ミセリ(香月ハルさん)は、本来物語の中心にいる人物であるが、ラストシ-ンまではその立ち位置を少し脇にずらし客観的に見ている。その佇まいは可憐であるが力強さも感じさせる。その意味でしっかり物語を牽引していた。そしてラストの独白が活きてくる。名前は「旋律」から付けられているらしい。
さて、アクション...例えば拳銃を抜くシーンでは もたつきがある。格闘シーンに比べ道具を使うシーンは見劣りがする。そのあたりは改善してほしいところ。
この公演は、現代日本(人)の立ち位置に揺さぶりをかけているようだ。自分は何者なのか?それを知りたいが、結局のところ自分は何をしたいのか、という前向きな志向に救われる。
次回公演を楽しみにしております。
正しい時間
遊劇社ねこ印工務店
小劇場 楽園(東京都)
2016/06/01 (水) ~ 2016/06/05 (日)公演終了
満足度★★★
SFファンタジーだが...
脚本は既視化しているような内容で、話題になったアメリカ映画をイメージしてしまい新鮮味は感じられない。
制作面では、当日パンフに相関図を挟み込むなど観せる工夫をしており好感が持てるのだが...。
(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
舞台となるのは、群馬県前橋市三俣町であろうか(地元の人という設定であろうか、三俣町の名前が入った法被を着ている)。
梗概は、辻堂家の長男・陽一郎(羽生直人サン)と宮嶋家の一人娘・真里子(西條留奈サン)との結婚リハーサルから始まる。もっともこの両家に関わりのある老人まこと(小栗健サン)が自転車に乗って過去へタイムスリップを図るプロローグがあるが...。そして結婚は両家の思惑があり、当人同士よりも政略的な様相が強い。この結婚を阻止しようと未来からまとこがやって来る。そこで起きるドタバタ騒動...。
このシチュエーション、「バック・トゥ・ザ・フューチャー(Part1)」を思い出す。映画では、次元転移装置_スポーツタイプの乗用車デロリアンを改造してタイムマシンの実験するが、本公演では自転車のサドルに取り付けた携帯電話がその装置に置き換わる。また衝撃を加えてという発想は、大林宣彦監督の映画「尾道三部作」に登場することを思い出す。
まとこの両親は、陽一郎と真里子である。時代を遡り両親の結婚を阻止することは自分の存在を否定する行為。もっとも家同士の思惑はあったが、陽一郎は真里子が好きで結婚したいと願っていたが、実は気弱で告白できないでいる。”まとこ”が存在するのだから、結婚したのだろう。しかし、母は不幸であった...のだろうか。そして父は...。
両親の結婚は不幸の始まりであったのか、その思いが伝わらないと過去へタイムスリップする意味がない。父の思いを母となる人にしっかり伝える手助けをしたという結論であろうか。そのラストが曖昧のようで、釈然としない。
さて舞台は素舞台。プロロ-グ、エピローグに自転車が設置されるだけ。この物語を展開させるのは役者の演技力のみ。しかし登場人物の造形が弱く印象的でない。また途中で真里子のソロダンスなどは何を意味しているのか理解できなかった。いくつもツッコミところはあるが...それでも観入ってしまう不思議な芝居であった。
次回公演を期待しております。
大安吉日
劇団芝居屋
ザ・ポケット(東京都)
2016/06/01 (水) ~ 2016/06/05 (日)公演終了
満足度★★★★★
大安好日であった
初日観劇...この日は陽気も良く、芝居も面白く、本当に「大安」で「好日」であった。劇団芝居屋の公演はいつも舞台セットがしっかり作られている。
説明では北国の小さな漁村ホトマ村が舞台...そして民宿孝徳丸の談話室で繰り広げられる人情、というよりは兄弟ドラマである。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは、上手に民宿玄関、その上部に民宿・孝徳丸の看板。客席と舞台との間にスペースがあるが、民宿前の道といったところ。もちろんこの場でも演技が行われる。民宿内は上手に受付・帳場、中央奥に風呂場・食堂に通じる出入り口、その横に二階客室への階段が見える。下手は談話用のテーブル、椅子。いくつか釧路市のポスターも貼られている。
小さな漁港を見下ろす高台に民宿孝徳丸...その名前は女将の亡き夫(漁師)が乗っていた船のもの。この地は観光名所でもなく、ただ時の流れが緩やかで癒しと海の幸料理が自慢である。そして源泉の温泉。
市井の人々、といっても地元が中心である。この宿泊客2組(どちらも女性一人旅)がこの物語で特筆だと思っている。
中年女性は義母の介護、その看取りを通じての人間らしさ(個人的にはこのシーンにハマった)。一方、女性の旅行ルポはその職業を通じての見方・考え方の表現が巧い。釧路市というと観光事業で「ふるさと創生」を利用したような。さらに漁業人口の減少を漁業研修として問題提起する。そこには地元(Uターン Iターン)に目線を向ける。
この観光や漁業という地域活性を想起させるような、鳥とは言わないが、小さく羽ばたく蝶のように高みから見据える。一方、介護も含め日々の生活に汲々としている人を地を這うような虫となって見守る。社会と個人(家族)…民衆を複眼的に見る視点が印象的である。
本筋の兄弟の確執…誤解と思い遣り、父の死に対する悔恨の情が痛々しい。その複雑な感情が氷解する様子は、観応え十分である。
演技力は皆さん見事。バランスも良い。劇団は「現代の世話物」の創造を目指し「覗かれる人生芝居」というコンセプトの下に役者中心の表現を模索しているというから当たり前か。それにしても、民宿女将・常盤孝子役(永井利枝サン)、地元爺さん役(増田再起サン)の演技が光る。
次回公演も楽しみにしております。
優しい嘘
劇団俳協
TACCS1179(東京都)
2016/05/26 (木) ~ 2016/05/29 (日)公演終了
満足度★★★★
安心して観られる優しさ
某富士見町にあるスナック「消しゴム?」が舞台。俳協らしくしっかりした舞台作りで、物語の外形を成す。この公演の印象は一見ドタバタ騒動の連続であるが、そこには市井の人々の坦々とした暮らしや感情が観て取れる。
何だかおもしろくない、いらいらむしゃくしゃする...そんな感情を伝える言葉として「口惜しい」「怒り」を用いるが、必ずしも一致しないだろう。言葉からこぼれ落ちていく感情は実際多くある。言葉が先にあったのではなく、言葉にならない溢れるような感情に言葉を当てはめたようなもの。
この物語はこのスナックど育った三姉妹(香織・詩織・早織)とこの店の常連客が織り成す心温まるドラマ。
ネタバレBOX
舞台セットは、上手にカウンター、下手にソファー、カラオケ装置。もちろん劇中客としてカラオケを楽しむシーン(冒頭からデュエット)もある。このスナックがある街はシャッター商店街と言われるような、昔ながらの小店が並ぶような風景を想像する。この店は、先代ママ...姉妹の母が経営していたものを長女が引き継いでいる。この母は奔放に生き、男との関係も派手であったようだ。何しろこの姉妹の父親はそれぞれ違うという。その母が亡くなる時の”最後の言葉”が、このタイトルに繋がる。
膨大な思いとは、愛情、憎しみ、感謝、驚きなどであり、その生きる過程に存在する。そこに肯定や否定はあろうとも、まぎれもなく人の感情が動くし、会話も生まれる。どこかで聞いた、人に向かって「悪口」を言わない人...犬だか猫に暴言を吐いているからだそうだ。その おかしいようなありがたいような思い遣り、ひとつの言葉に押し込められない感情はある。しかし、その感情を押し殺した言葉...「あなたたちを生んで良かった」は心に沁みる。
長女のこの店に対する思い、次女の母の死がこの店(家)を出るきっかけになり、三女はOL生活。それぞれに抱える悩み...長女の娘は大学進学を止め漫才師を目指す。次女は怪しげな男を連れて突然帰ってきて不穏な動き。三女は職場の人と不倫関係。この姉妹と常連客(コンビニオーナー店長、文具店主、高校教師)の恋が絡む。その描き方はコミカル、コメディで笑える。そしてラストはホロリとさせる。
亡くなる直前の母の本当の言葉を知ったら...その思い遣りこそ長女の「優しい嘘」なのだ。その庇護に妹たちは生きる。先に戻るが感情をすべて言葉にしきれないが、言葉(嘘も含めて)で感情をコントロールしているのかもしれない。
脚本、演出はもちろんであるが、役者陣の演技は観ていて安心できる。それほどキャラクター作り、バランスの良さ。
次回公演を楽しみにしております。
「江戸系 諏訪御寮」「ゲイシャパラソル」
あやめ十八番
サンモールスタジオ(東京都)
2016/05/27 (金) ~ 2016/06/05 (日)公演終了
満足度★★★★
あやめ十八番、初の再演がこの「江戸系 諏訪御寮」であるという。
劇団代表・堀越涼 氏が当日パンフで「”捧げたい”という衝動が有る方が幸せだと言えるか、無い方が幸せだと言えるか、今は凄くぼんやりしています。」と書かれている。初演は観ていないが、本公演は実に興味深く鑑賞した。物語性、描き方、観せ方に一律的な工夫ではなく、その発想の豊かさに感心させられた。だから捧げたいはぼんやりしていても、(志)掲げるはしっかり持って楽しませてほしい。
伝承・民話を能の様式美のようなものを取り入れ、一種幽玄のような雰囲気を醸し出す。しかし舞台は現代...前口上では十六島にある2家に纏わる話であり、その物語の進展は、文章でいう「起承転結」が緩くではあるが観て取れる。それゆえ、ラストへの帰結は秀逸である。
ネタバレBOX
客席はL字型、ひな壇。その二方向から観ることを意識し、四角い舞台の辺と対角を基本にした動き。その堅い動きに、ときどき円を描く曲線動作が映える優雅さ。舞台はほぼ素舞台、奥に祭壇のような置物。
音楽は生演奏...様式美を感じる中、その謡と思われる和楽に、現代楽器を用い現代の歌を流す。それが不思議とマッチしている。
梗概は、説明文から「十六島。 古くからのしきたりが色濃く残るこの島では、今なお鬼の気配が近い。 この島の旧家・諏訪の女は“拝み屋”と呼ばれ、鬼の力を借りた霊力を持つと信じられていた。 人々の信仰心を逆手に取り、百年もの長きにわたり島を統治する諏訪の家。 しかし、この家の刀自“御寮さん”には門外不出の秘密があった。 一人の青年の恋が、拝み屋に纏わる秘密を浮き彫りにしていく...小さな島で巻き起こる、鬼の騒動。」というもの。
この十六島...なぜか大八洲(おおやしま)=日本の古称を想起するような名前である。日本各地にある(鬼)伝説を表現しているようで、この描かれている内容に普遍性を感じる。
文章でいう起承転結がしっかり観て取れる。
起…この物語の概要を前口上で述べる。
承…諏訪家の鬼に纏わる言い伝え。
転…篠塚家に起こる恋愛と出産騒動のドタバタ。
結…両家の話が交差し、冒頭の鬼伝説へ繋がり謎が明らかになる。
観劇した日が実質的な初日だという。前日は訳あって とばしたという。そのためか、この日は満席。最前列の演奏ブース寄りは、見切れだったと思う。演奏ブースから役者兼務しているキャストが客席側から舞台へ向かう時は見難い。芝居その内容より制作サイドの面が残念である。
次回公演を楽しみにしております。
見た目、偏見、そりゃあ大変!
劇団おおたけ産業
北池袋 新生館シアター(東京都)
2016/05/26 (木) ~ 2016/05/29 (日)公演終了
満足度★★★★
見た目は大切で...
チラシ...歌舞伎のような隈取化粧、花魁のような簪をさした女性、それが説明にある”東京の女”であることは観て直ぐ分かる。
未見の劇団であったが、その「現在の劇団おおたけ産業を決定づけたあの作品が帰って来る!」という説明を読んで興味を持った。その公演、楽しく面白い。と同時に考えさせられる人の心...印象にも残る好感が持てる公演であった。
だだ、このタイトルから気になるところも...。
ネタバレBOX
舞台は、東京近郊の農家といったところ。その長男(31歳)が1年ぶりに帰ってきたが、東京の女(21歳)を連れて来た。 その見た目はメイクが濃く、派手な格好は目立ってしかたがない。5月連休中の5日間、農業アルバイトとして連れて来たことになっているが、実は...。
舞台セットは、和室に卓袱台、上手に鏡台、下手にBOX、電話等。奥に縁側廊下、庭先が見える。小空間に物語の雰囲気を醸し出す造りは見事。ちなみに上手壁にはマイケルジャクソンのポスターが貼られており、この家の父親はムーンウォークのようなパフォーマンスを見せる。
都鄙(とひ)による外見・体裁の捉え方の違い。母は東京(渋谷生まれ育ち)の娘が派手で近所の手前、体裁が悪いと思っている。この娘、実は中学時代いじめにあっていた。高校生になって化粧をすることが、周りとの協調性、一種の没個性を装って自分を守ってきた。だから行動する2時間前から化粧をする。そのうち、母にも「女」としての火が付くようだ。
一方、この家の実娘(17歳)は「いい子」として自我を押し殺し、農家を継ぐと言っていたが、本心は東京で絵の勉強をしたいと思っている。親を説得し旅立つ格好が…。シーン毎に会話する相手が変わり、夫婦、恋人、兄妹、父と東京娘、母と東京娘、実妹と東京娘などそれぞれの立場の思いが伝わる。
この派手な娘…根は良い子で見た目で判断されてきた。そこは、見た目も大切だという一般論でかたずける。公演は日常のほのぼのとした温かさ、スパイスとしての笑わせ所はある。しかし全体としては坦々と展開し、インパクトというか盛り上がりが乏しいような。
さて気になるのが、両親役の見た目である。多分承知の上であろうが、若すぎて…。演技は悪くないが、やはり見た目が大事であろう。
次回公演を楽しみにしております。
朝に死す
劇団演奏舞台
演奏舞台アトリエ・九段下GEKIBA(東京都)
2016/05/28 (土) ~ 2016/05/29 (日)公演終了
満足度★★★★
本当に鋭く脆く揺れながら縺れ合う二人...【B】
清水邦夫氏の初期(1958年)の作品で、自分は初めて観る。それは極限状態・状況下における2人芝居。
演奏舞台アトリエ・九段下GEKIBA、その小空間に薄汚れたコンクリート壁、その上部に有刺鉄線があり殺伐とした後景を作り出す。そこに怪我をした女を背負って男が動き回る。そのうち疲れ、その場に座り込む。
小空間、素舞台のため役者の演技力がその芝居の評価を決定付ける。その逃げ場のない人物表現を黙視する。
ネタバレBOX
梗概は、組織を裏切った男、その男を庇って銃で撃たれた女。この2人の一夜の夢物語。女は左足を銃で撃たれ負傷している。その女を背負い必死で逃げてきた。この2人は顔見知りではなく、偶然に出会ったらしい。2人会話はどこかぎこちなく弾まない。敢えてなのか過去の話は出てこない。多くは今という瞬間・状況を起点とした先の事ばかり。女は男を突き放すように自分を置いて逃げるように言う。男も始めはその言葉に呼応するように振る舞うが、何故か立ち去らない。その互いに意地を張ったような、それでいて気になる存在になっている。「人」という字は互いに背を向けているが、その実は支え合っている。男女の愛情というには寂寞感が漂い過ぎて切ない。そのうち朴訥に語る夢物語...その楽しそうな表情は本当の夢の中なのだろうか。ビールの栓、それが黄金色した小人が踊(躍)るようだと。
夢の中の明日...身近な喜び、実はそんなところに人の幸せがあるのかもしれない。しかし現実は、そんなささやかな幸せにも届かない絶望の淵にいる。もう追っ手が来ないなど淡い期待と先々の絶望は去来する。その揺れる心情が心に響く。しかし、夜明け...銃声2発が...。
冒頭、足の痛みは物語の進展とともに薄らいだのか、表情も和らぎ足の痛みを庇った演技が観られなくなった。その演技に比例して緊張感が薄れ、会話の濃密さも溶け出し、勿体無く思う。
照明は全体的に薄暗く、緊迫感溢れる状況を描き出す。また場面によっては、少しエキセントリックのようにも感じた。音は、生演奏の音楽と音響の効果技術の使い分け、その演出に魅了された。
次回公演も期待しております
ビッグマウス症候群
劇団フルタ丸
「劇」小劇場(東京都)
2016/05/25 (水) ~ 2016/05/29 (日)公演終了
満足度★★★★
復活した生き様
ビックマウス症候群....出来ないことを、さも出来るように大口をたたく、いわば虚言癖を指すそうだ。この物語は、ビックリハウスのような構造ならぬ構成の錯覚と変容が面白い。
他人の人生を自分の手中にし、運命を握るようなブラックな…そんな怖さも垣間見えたりして観応え十分。大きな運命が個人の人生を決定付けるか、逆に個人が運命を変え拓くか、そんな視点で観ると隔靴掻痒のおかしみが…。
そして地方(岐阜)公演へ拡散していくという。(上演時間1時間40分)
ネタバレBOX
セットは、段差のある舞台、上手・下手に1~2人が立てる同じようなスペースを設け中央は、舞台側の凹んだ空間を作っている。中央段上に机でもあれば法廷をイメージする。正面上部の壁には寄せ木細工のような模様が張り合わせてあり、風車もいくつか...。
登場人物は6人なので、その人物紹介と造形は丁寧に説明される。うち、1人は精神科女医で、この街(かざみ町)で生まれ育っている。この女医が、ビックマウス症候群と診断し薬を処方している。その患者が、通院している間に仲良くなり、そこに自分はビックマウス症候群ではない。この薬には何らかの意図があることを疑い始める。この登場人物、特に際だった特徴がある訳ではなく、適当に当てがわれた職業だと思っていたが、それが後々 寄せ木細工のピースをはめるように見事な結実へ。その脚本もさることながら、構成・演出は素晴らしい。
まず診断する病室は、先に記したスペースに丸椅子1つ。上手・下手の距離を置き対面して症状を問う口調は、すでに怪しげである。女医は上手・下手を交互に行き来して診察室・患者の立ち位置を変える。この動作を通じて定点化やテンポ感の減速を防ぐ。観客は演技を見るため、自然に視線を動かすことになり、一人ひとりの患者に相対している状況を見せる。
中盤以降、この状況に変化が生じる。東京から出張を命ぜられた男が、この薬によりやる気、高揚感が減退させられていることに気がつく。そして町の合併問題が明るみに出る。現職町長はこの何期も対立候補がなく無風の選挙になっていた。この町長の娘が女医。ここに至って女医の目的が分かる。
無気力と化していた男が対立候補として出馬した。その応援に、ビックマウス症候群と診断された仲間が立ち上がる。今一度、生きがいを見つけるために、故郷のために立ち上げる再生ドラマ。
役者の演技は見事...特に選挙演説を通じて現代日本への問題提起。この芝居では町合併の是非を問うことを争点にした展開である。合併しても直ぐその生活状況に変化はない、しかし町名がなくなることは記憶から消え去る、故郷が遠い存在へ追いやられるような感じ。具体的な政策論争を説明することはないが、町の閉塞状況への危機感を訴える。この明確な論旨が町民(18歳以上への選挙権も絡め)の支持を受ける。無風に風が立ち、まさしくこの町の名物...風が吹いた。
そしてこの選挙で町民が下した結果(審判)は...。ラストシーン、診療室での会話は余韻そのもの。
次回公演を楽しみにしております。
Hamlet
演劇集団 砂地
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2016/05/21 (土) ~ 2016/05/31 (火)公演終了
満足度★★★★★
迷わない
「To be,or not to be, the question」...限りある時間の中で、一つの公演を観る。あれか、これかという二者選択ではなく、同じ時間帯に多くが上演されている公演の中から、この公演を選んで嬉しく思っている。
有名なシェイクスピア「ハムレット」という戯曲...言葉は悪いがこの手垢のついたような作品をどう観せてくれるのか、大変興味があった。その印象はサスペンス風で、スタイリッシュな演出という感である。
演出の延長上にある照明、音響効果も洗練されており印象深いものがある。
ネタバレBOX
梗概は改めて書なくても有名な戯曲。しかし、説明にもあるように「有名な戯曲であり、様々な解釈、様々な上演形態が試みられた、あるいは、それらの試みを許してきた、名作戯曲」ということを意識したことは容易に理解できる。
王が急死し、王の弟クローディアスが王妃と結婚して王の座に就く。悲しみに沈む王子ハムレットは、ある晩父の亡霊と会い、その死がクローディアスによる毒殺であると知る。ハムレットは狂気を装い復讐を誓う。
場内はL字型ひな壇客席。出入り口の反対側にある席に座る。その位置から右手奥に上階へ通じる階段。また芝居途中に階下から照明が照らされるシーンがある。この劇場の特長である立体的な空間を見事に演出していた。
セットは、患者搬送に使用するようなスチール状網ストレッチャー3台が等間隔に置かれている。その台下部に水が入った大きな水槽が置かれてある。始め中央に置いてあった水槽内には人骨が...。
殺人事件の謎解きのような雰囲気もあり、その物語の先を観たくなるような展開である。小難しいと感じていたハムレットも、この公演では分かり易く思えた。今までは政治劇の要素が色濃いという印象であった。その面はあるが、ここでは人間が持つ猜疑・嫉妬・羨望・偽善というような負のスパイラルが折り重なるように描かれる。その様が澱のように沈殿していく。しかし、それは重苦しいという感覚ではなく、骨太・重厚という感覚に近い。心の深奥を水槽の水に映し出す...静謐なまでの美しさが感じられた。
それは、陰影のある、もしくは定位置(水槽淵)だけの強調した照明効果。また音響は重低音のようで、それが荘厳のイメージを呼び起こす。
さて冒頭の限りある時間に関連して、女性演出家サラ・フランコムの舞台を8台のカメラで撮影、臨場感豊かに再現した映画が公開される予定(日本未公開)。映画では8定点から捉えるというが、そのライブ感はその場限りのもの。ただ、映画のようにアップで役者の表情(感情)を観れないことはあるが...。
次回公演を楽しみにしております。
あしたのジョー
劇団め組
すみだパークスタジオ倉(そう) | THEATER-SO(東京都)
2016/05/25 (水) ~ 2016/05/29 (日)公演終了
満足度★★★★★
め組…あしたのために(その1) アッパーカットをくらったようだ
絵(画)を鑑賞する時、その美術館そのものを見るように、本公演も原作(画)を描く劇場・舞台という環境も気になる。そして場内に入った途端、舞台美術の意味するところが直ぐ分かる。四角いコンクリート状、その無駄を一切省いたシンプルな造作、この作りしかないと思えるもの。そして明転して現れたシーン...そこに立つ主人公にしてライバルである矢吹ジョー(新宮乙矢サン)、力石徹(藤原習作サン)の削ぎ落とし鍛え上げられた肉体が、この舞台に映える。
1960年代末から1970年代、スポーツマンガの金字塔で、戦後日本マンガの代表的な一作と言われている。それは、「マンガを卒業できない大人たち」を魅了し、多くの社会的影響も与えた。
その舞台化は、登場人物の外見を含めた人物造形が見事に出来上がっており、今の日本への問いかけが...。
ネタバレBOX
公演チラシには、「ほんの瞬間にせよ。眩しいほど真っ赤に燃え上がるんだ。そしてあとは真っ白な灰が残る」という名ゼリフが書かれている。
公演の梗概...天涯孤独の流れ者・矢吹ジョーがドヤ街と呼ばれる東京の下町に現れ、アル中で元拳闘ジムの会長・丹下段平(渡辺城太郎サン)にボクサーとしての天性を見出される。始めは期待を裏切り犯罪に手を染め少年院送りになる。そこで宿命のライバル・力石徹に出会い、本格的にボクサーを目指すことになる。その後、紆余曲折を経てプロテストにも合格した。そして念願の力石との試合は実現したが、試合直後、力石は死亡する。ここまでがこの公演のあらすじ。マンガではこの後、力石との試合がトラウマになるが再生し、世界チャンピオンと対戦し、衝撃なラストシーンが...。
先に書いたチラシの名ゼリフは、ひとつの画像を思い浮かべる。丸椅子に腰掛け、どこか満足げな微笑みを浮かべたまま眠っているかのようなジョー。真っ白な灰のせりふは、世界タイトルマッチ試合終了直後のジョーのモノローグでラストシーンにはせりふがない。しかし、燃え尽きたという言葉のイメージと、スミベタなしで白っぽく描かれた姿が印象的である。本公演はこの真っ白になる途中...力石との対戦で終わっている。
中途半端で、くすぶった満足感ではない。ボッと魂が燃えて、それが尽きて「まっ白な灰になる」ため。四角いリングに立てば対戦相手がいるが自分との戦い。段平の「あしたのために(その8)」だっただろうか、リング内は孤独。このリングは社会(コンクリートジャングル)でもある。必死に生きるという姿が重なるかもしれない。そしてリング外、下町・ドヤ街の底辺に暮らしている人々の人情が心にしみる。そして公演序盤...ジョーの吹く夢は、この街に病院、老人ホーム、働く場所をつくる事。
社会的な影響としては、実際、力石の葬儀やよど号ハイジャック事件の犯行声明「われわれは明日のジョーである」ことも話題になった。
閉塞感ある社会に自らの足で立ち、道を切り拓く...時代は変遷しても志を持つことはいつの時代も変わらない、というメッセージであろうか。
この話題性に富んだ舞台は、矢吹・力石・丹下の3人が、まるでマンガから飛び出してきたかと思うような人物を作り出していた。もちろんボクシングの試合、そのスピードと鬼気迫る演技は圧巻もの。マンガにはない臨場感(照明と音響効果が凄い。またテーマソングがもの悲しい))溢れるもの。もっともマンガはコマ余白に読者の想像力が働くが、芝居はすべて視覚に捉えてしまう。ちなみに同名映画(2011年公開)も鑑賞したが、映像という遠・近がリアルに映し出される。特に映像アップによる表情が細密に見ることができる。今回の公演で、マンガ・芝居・映画のそれぞれの特長を知ることができた。
出来れば、世界タイトルマッチまでの続編が見たくなるような...。
次回公演を楽しみにしております。
何度もすみません
MacGuffins
シアターKASSAI【閉館】(東京都)
2016/05/19 (木) ~ 2016/05/29 (日)公演終了
満足度★★★
何度も…【Aチーム】
繰り返す、ということはタイトルから想像出来る。物語のシチュエーションもありそうなもの。この青春コメディ…ハイテンションで疾走するようだ。しかし、その演出・演技は一本調子のようでメリハリが感じられない。その単調さを紛らわすかのような…。
ネタバレBOX
高校時代のほろ苦い恋愛経験を引きずる情けない男・志村(八木澤翔サン)が主人公。過去の分岐点、あの時こうすれば良かったという ”たら” ”れば” の思い、それを妄想したシミュレーションの繰り返し。物語は映像で言えばフラッシュバツクするように展開する。自分はこのパターンに馴染めなかった。
舞台セットは、ほぼ素舞台で役者の演技力が物語の状況を表す。話は時間を巻き戻したように同じシーンを観せるため、滑稽な道化師に見える。
梗概…志村はびっくりすると過去へ戻ってしまうという体質の持ち主である。その体質は過去を素直に直視できず、思い出を歪ませるようだ。高校時代から青年期へ、その間の期間は割愛し現状の暮らし(フリーター)から描く。今、高校時代の友人から仕事を紹介してもらうが…。その男、かつて自分が好きになった女性と付き合っている。そのキッカケは自分が優柔不断で告白しなかったため。志村はさらにお人好しで人を疑うことを知らない。実はこの男には思惑と悪意があって…。
話を分かり易くするため、この(男)友達(藤川・樋口)の関係を善悪という構図にして人の心を覗く。
先に書いた過去への回帰は、誰もが一度は思う願望であろう。しかし、その力(体質)は披瀝できないという孤独な面もある。その人が持つ普遍性と特殊性という狭間に揺れ動く心情が何とも切ない。もっとも表現はコミカル・コメディのようだが…。
次回公演を楽しみにしております。
余計者
teamキーチェーン
d-倉庫(東京都)
2016/05/18 (水) ~ 2016/05/23 (月)公演終了
満足度★★★★
余計者とは…
公演の外形とも言える舞台美術、照明・音響などの技術は、印象深く効果的であった。優れた舞台美術はジャンルや好みが異なっても、その視覚からさまざまな感覚が生まれ、開演まで想像力豊かにしてくれる。
物語は時系列に沿った回想録のようでもあるが、その範疇を超えて一種の異形が展開される。しかし自分の中では、納得性に欠け物足りなさが残った。
さて制作サイドは、主宰で作・演出のAzuki女史が客席案内するなど、丁寧な対応をしていた。
ネタバレBOX
会場に入ると、しっかりした舞台セットが組まれている。それは上手・下手を大きく2分割し、上手にアパートと思しき室内。座卓、TV、整理BOXが置かれており、3つのドアが見える。別室、キッチン、玄関に通じるイメージである。下手はこのアパート前の路地。そして奥にはこの劇場の高さを利用した長階段があり、アパートの外ドアに通じる。この左右非対象の構図は、登場人物の屈折した精神構造を見るかのようだ。
この作り込んだ室内と路地という大きな空間は、物語の情景をより鮮明にする。と同時にその不均衡は、冒頭や途中に挿入される群集独話の不気味で不安定な感情を示しているようだ。
梗概...カエデ(マナベペンギン サン)は、両親との「約束」に縛られ...我慢強く、父親の言うことを守って妹を助け出そうとする。その話は、17年前に遡る。両親はその叔(伯)父の借金の肩代わりのため自殺。赤ん坊であった妹(三ッ井夕貴羽サン)は、借金取りの情婦(秋山ひらめサン)に連れ去られる。時は下り現在...中学時代の友・大学4年生のハジメ(岡田奏サン)と再会する。その頃、ハジメは自分が周りの人をスパナで殺している夢(幻覚)を見る。
この物語の納得性に欠けるのが、この場面である。この幻覚はカエデが見ているのであれば、カエデとハジメが同一人物で、劇中で語られる分身(ドッペルゲンガー)のように、2人がお互いを照らし、過去の清算と未来に対する希望を炙り出す、そう思っていたが2人は存在する。
そうであれば、久しぶりに会った友とシンクロして、ハジメが幻覚を見るという設定に疑問が生じた。余計者はもう一人の自分...心の問題に観客(自分)の想像力を駆使して真正面から向き合う、そんな投げかけがあっても良かったのではないか。意識下に刷り込まれた「約束」は、狂気となって体とともに成長(大きく)した。
もう一つ疑問...カエデが、借金取りの情婦の部屋に侵入した際、すぐに相手が認識できたこと。17年前であれば5歳前後である。その子の顔に覚えがあったとは思えない。その妹は、純真のようだが醜業しているという歪さ。
冒頭の舞台美術に戻るが、その造作が内容に溶け込んで現実と夢想が混然一体となる。物語に突っ込み所はいくつかある。Azuki女史にしてみれば、想定内かもしれない。リアリティを追及することは大切であるが、それが過度になれば観客(自分)の想像力の幅を狭めるような気もする。観客によって想像力の幅は異なり、受け取り方も様々。そこに芝居の面白さ魅力があると思う。
頭で考える理論か、心に刻む感情か…この公演は、人の心にある歪な感情、自分自身でも持て余す…この心の在りようこそ、余計者のように思えるのだが…。
次回公演を楽しみにしております。
喜劇 監禁グランプリ2016春
劇団ズーズーC
秋葉原ズーズーC劇場(東京都)
2016/05/07 (土) ~ 2016/05/22 (日)公演終了
満足度★★★
無料チラシ...楽しめた!
未見の劇団、初めて行く劇場である。この公演は他劇団を観に行った際、はさみ込まれていたチラシの1枚。そこには「このチラシを持参すれば無料」(初見限定)と書かれていた。実は半信半疑でズーズーしく申し込んでみたら、すぐ予約完了(無料)のメールが返信されてきた。
この劇場は、劇団の所有であり座席数60席あると書かれている。少し詳しく説明すると、桟敷とベンチシートが基本のようであるが、本公演はシート席(背凭れあり)のみ。しかしアクセスに難が...秋葉原・御徒町の中間に位置し、どちらの駅からも15分ほど歩く。
ネタバレBOX
この無料の芝居(強調する)は、ナンセンス・コメディといった感じであるが、上演時間2時間弱(前説では1時間45分)で2幕、その舞台転換も見事である。暗転・明転のタイミングもよく、場面の繋ぎがスムーズである。演技は座長と新人3人の4人が登場。本来は看板女優が出演するところ、今回は照明・音響の技術を担当したという。しかし劇中、声だけの出演で狂言回しのような役割も...。
梗概...見知らぬ男女4人が「脱出に成功したら報酬100万円」という看板につられて”監禁グランプリ2016春”と称する監禁ゲームに参加した。出入口のない監禁室には様々な仕掛けがあり、壁には大きく「問題①この中で一番のアホは?」と書かれている。問題を解くヒントも買うことが出来る。全てが金次第...どこかで聞いたことがあるようなフレーズであるような。そう言えば、ヒントは100万、30万、5万円の3コースがあり、30万円のヒントだけ使用しなかったが...。出来れば全部の仕掛けを利用してほしかった。
舞台セットは、梗概にある監禁されたというシチュエーションで、飲み物・張り紙・インターフォンなどの小物が見える。それ以外は素舞台のため役者の演技力が問われる。2幕目は、周囲の壁を折り込んだ奥に次のセットが用意されている。TVのクイズ番組などで見る、BOXが並びクイズに答えるというもの。もちろん奇抜な問題であることは言うまでもない。
演技...座長は敢ての絶叫だが、全体(員)が、その役柄で一本調子が気になった(特に前半「監禁シーン」)。分かったような、はぐらかされたような説明を早口で言う。その軽快なテンポが、監禁部屋から脱出したいという切迫感?を表現したかったようだが、そこはコメディ...緊迫感がない。
今、云われている「jeu(ゲーム・戯れ・演技)」。演劇では遊戯性、虚構性の要素が盛り込まれた物語で、面白く楽しめた。
冒頭記したが、この公演はロハ(只=無料)で観させていただいたが、100萬円の賞金ならぬ満足という土産をゲットした気分。
次回公演も期待しております。
笑う数学者
ZIPANGU Stage
萬劇場(東京都)
2016/05/18 (水) ~ 2016/05/22 (日)公演終了
満足度★★★★
ミステリー・コメディ!...堪能
ミステリー物語は、その謎解きの面白さそのものが、芝居の面白さを左右する。その意味でこの芝居は、刑事や名探偵が登場せず、大学教授がその専門分野である数学を用いて謎を解いていく。その過程に、数量化できない「恋」という可変要素が入り込んだドタバタコメディは観応えがあった。
少しネタバレになるが、数学が苦手な人(自分)にも、「数」の不思議な魅力について説明する。それが「素数」という、1とその数以外に約数がない正の整数...2・3・5・7などであるが、その意味するところ、すなわち代替がない。何だか恋愛における愛しい人を指すようで魅力的な響きがある。
そして感情が思考を妨げる…含蓄あるなぁ。
上演時間1時間50分
ネタバレBOX
この公演、豪華な一室を作り込んだ舞台美術が素晴らしい。全体内装は重厚感溢れ、上手はソファと椅子、暖炉。その壁に館の絵が飾られている。下手はリビングテーブルと椅子、さらにはBarのようなスペース。上手・下手の両方に出入り口、他の館へ通じる廊下があるという設定である。このセットを外形とし、物語の展開をさらに鮮明にしている。
梗概は、財閥であった菱岡家が所有している孤島にある別荘で起こる事件。物語はコメディ仕立であっても殺人事件が起き、その謎解きという王道のような展開である。孤島であるから一種の蜜室殺人。ミステリーの筋や、ましてや犯人を書くなど論外であろう。再演するかもしれないので...。
ちなみに、登場人物には数を連想させる名前(双葉、緑朗、奈菜)が付いている。素数のうち7は、仲間がない孤立な存在として説明された。数学者が惚れた女性は奈菜...。
物語の全体的な流れの中では些細なことであるが、気になる点がいくつかある。
① なぜ長男でなく、その娘(孫)が来るのか?遺産相続の話である以上、金銭的興味がなくても来るのではないか?
② その代わりのように、なぜ大学教授(指導教官)が来るのか?
③ 奈菜と相思のようになったが、その思いを断ち切るかのような行動は?
説明があったかもしれないが、覚えていないくらい印象がない。それが本筋の謎より恋愛の謎に興味を持ってしまう。人の心は謎だらけ、ということだろうか。
これらを体現する役者陣のデフォルメした人物造形は魅力的で、それだけで楽しめる。またバランスも良く、観ていて気持ちがよい。
次回公演を楽しみにしております。
幕末異聞 人斬りの恋
(有)Yプロジェクト
渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)
2016/05/19 (木) ~ 2016/05/22 (日)公演終了
満足度★★★★
史実をベースにした秀作
史実をベースにした日本人のドラマ。幕末における人斬りと呼ばれた男たちと京都の遊郭花魁たちの男と女の悲しい話でもある。上演時間2時間30分(途中休憩なし)であるが、場面転換の妙や役者の演技力によって飽きることなく観ることが出来た。武家(侍)社会の終焉という時点を明治10年(1877年)の西南戦争(役)に位置付けており、何故その時なのかを意識させる見事な脚本と演出であった。学問的な検証ではなく、芝居という見世物としての帰結。日本における内乱は、これを以って最後になる。逆に言えば約140年前迄は、日本人同士が戦っていたことになる。
この公演、まず衣装の予算が気になるほど素晴らしい。舞台、基本は段差があるだけで、場面に応じて小物等が配置される。段差の奥に疎らに立つ板状のもの。自分には何故か卒塔婆のように思えてならない。その武士の魂、時代を経た現代日本に甦るときも...。
ネタバレBOX
時代背景は、幕末の京都で佐幕・倒幕派が互いに人斬り集団を作り暗躍していた時のこと。その代名詞となる新撰組と薩摩の人斬り半次郎こと中村半次郎(後の桐野利秋)と黒田又右衛門(佐藤伸之サン)を登場させ、この時(明治維新前)から西南戦争までの約10年を描く。そのベースは、現在伝えられている史実に沿っている。この史実に華を添えているのが、又右衛門と亡き牧野新三郎の妻・朋江(上杉美浩サン)との淡い恋心、さらに京都遊郭花魁たちとの遊興であろう。この花魁=(女)は、当時の社会の底辺であえぎ生きている、または市井の代替として描いているようだ。武士(男)の生き様は、その志のための死に場所を探している。
この日本人の生きる、または死するという魂の彷徨を激動の時代に当てはめて勇壮に描く。その観せる魅力は、もちろん殺陣シーンであろう。その迫力は半端なく見入ってしまう。
新撰組、その中心人物に近藤勇・土方歳三・沖田総司ではなく、斎藤一(3番隊組長、維新後は藤田五郎と改名)を登場させている。実は西南戦争に参戦している記録があり、佐幕・倒幕という立場が逆転して政府軍・賊(西郷)軍として会いまみえることになる。又右衛門の死が侍の世の終わりであることを告げる。
パンフレットにある役名(役者)は多いが、本筋を牽引する役名はそれほど多くはない。遊郭花魁の華やかさを演出するアンサンブルなど、芝居を観(魅)せる工夫のように思える。
現代日本...特にスポーツ観戦において、「サムライ日本」「サムライ魂」などの言葉を見聞きするが、その精神は時代を経て今に伝わる。
次回公演を楽しみにしております。
紙の方舟
シアターノーチラス
小劇場 楽園(東京都)
2016/05/18 (水) ~ 2016/05/22 (日)公演終了
満足度★★★★
居場所を失った人間たちの姿
異様、不気味な感じが纏わりつき、意識下に澱が沈殿していくようだ。観ているのが辛く嫌らしく感じるが、それだけ脚本・演出、そして役者の演技が優れている証であろう。まず、この物語には回答らしきものは用意されていない。この方舟の内に居る人、外にいる人(家族など)の異なる視点から捉えており、その思いは其々に違う。日本古来の集団、その小単位としての「家制度」または「家族」という血縁の中に居場所が見つけられない悲劇性。家族だから分かり過ぎて自分の心へズカズカと入り込んで精神をかき乱すのかもしれない。その掴みようがなく、得体の知れない怖さ。
さて、描かれた内容に答えはないが、このタイトル「紙の方舟」の意味は作中で説明される。それは...。
ネタバレBOX
舞台セットは、肌色(敢えてそう表現)の継ぎ接ぎだらけの天幕イメージ。中央に丸座卓、ベンチ椅子などが置かれているだけ。マザー(登場しない)と呼ばれる人物は死の淵にいる。残された人々は、今後の身の振り方を考えるが、当面は方舟に留まる意向のようだ。この組織のあり方に疑問や家族との関係の修復を試みようと...その第三者的な立場としてマスメディアの取材を入れる。
この組織に自ら入り、家族とは違う心地よさ、仲間を裏切れないという諦観と脅迫観念。この組織と個人の在り方は企業と同じ。組織内にいる時は、身近過ぎてそれが当たり前であることが、外から見たら組織の功罪や人間関係が冷静に観察できる。その有形無形の柵(しがらみ)に絡め取られているのかもしれない。組織に守られる一方、その閉鎖性に段々と息苦しさを覚えるという矛盾、そこに人間のエゴが浮き彫りになる。その柵をマザーか実母の危篤状態での看取りの選択として描く。方舟は「宗教集団」ではないという叫びが、この物語を展開する上で重要になっていると思う。
さて、タイトル「紙の方舟」は、まだ「方舟」に乗り込んでいない状況だという。その迷える感情が、(新興)宗教と一線を画しているかのようだ(事実はそうかもしれない)。カルト、宗教が絡むと問題が複雑・錯綜することを見越した作者・今村幸市 氏は、ギリギリ踏み止まり、このドキュメンタリーのような”ドラマ”として描いたところに卓越した力量を感じる。
なお、この難しく怪しき雰囲気、濃密な人間関係を役者陣はしっかり体現しており見事であった。
次回公演を楽しみにしております。
人間なんてラララのラ
東京アンテナコンテナ
「劇」小劇場(東京都)
2016/05/18 (水) ~ 2016/05/22 (日)公演終了
満足度★★★★
泣いて笑って...【WHITE】
泣けるコメディ...思い出に向き合うことが出来れば、記憶の中で死者は死んではいない。記憶を大切にすることは、悲しみを乗り越えて生きている人の明日に繋がる。現世と幽界を往還し、人の機微に触れるようなヒューマンドラマ。この公演は11年振り...旗揚げ公演時のような雰囲気を彷彿させる制作になっているという。筋書きとおりなのかアドリブなのか判別がつかないような演技、その観せ方は観客へのサービス精神、楽しませるという感じである。(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
セットは簡素、中央上部に何枚かの平板が吊るされている感じで、その色は上手から黒・白・黒...まるで鯨幕のようである。そして白色の可動ベンチ椅子2つ。
梗概は、白・黒に2死神のゲームのような勝負事から物語は始まる。なぜか死神にも活動領域のようなものがあり、黒死神が白死神の領域を侵犯し...。黒死神は、死にたがっている者の現世への未練を断ち切ることで、死の旅路へ誘う。一方、白死神は生きる希望を持たせられるか。その勝敗の対象となる人間模様が面白く、そして切なく描かれる。ラスト、勝負の意味は別のところにあることが明らかになる。妻に先立たれた男が死にたがっている男の夢を叶えるよう手助けする。そのことで自身の生きたいという気持が再生するところは人間讃歌そのもの。
この公演は「死」を扱っているが、それは荘厳なイメージではなく、自然な成り行き「運命」として受け止める。死という掴みようのないものに、謙虚に向き合う。その様相をコミカル丁寧に切り取り、語りの視座は、それ自体伸び縮みして人間と死神、現世と幽界の間を行き来しながら絶えず揺らぎ移動している。その自由度の大きさが、この芝居の魅力だと思う。その中で即興的な演じが心地良い。演技...現世はある程度テンポよく、そして幽界はゆったり浮遊する感じで異次元の雰囲気を出す(松村沙瑛子サン)。
生死を繰り返すしかない人間の営みも、必ず繰り返し甲斐(がい)があると...だから傍にいるのかもしれない。実に余韻のあるラストシーンである。
次回公演を楽しみにしております。
許されざる者
シンクロ少女
OFF OFFシアター(東京都)
2016/05/17 (火) ~ 2016/05/24 (火)公演終了
満足度★★★★
艶笑譚...男女の卑小な欲望が見える【ハッピーエンドVer】
この物語は、コミカルな演出にしつつも人間(夫婦)の在り方を冷徹に見直す、そんな普遍性を盛り込んでいるように感じた。それは上辺だけを見ていない。夫婦である前に「女」、「男」という生殖が先立つような色気を漂わせる。その匂(臭)い立つような空気は、ケンカでもすれば臭い冷気、仲が良ければ匂う暖気という寒暖がしっかり観てとれ、なぜか頬が弛んでくる。その笑いを誘う演出と役者の息の合った(シンクロするような)演技が実に心地よい。ケンカはしているが、一本ネジが弛んだような脱力感溢れる夫婦、元妻と現妻との間を行ったり来たりしている割には、地べたに足が着いた男を中心にした奇妙な夫婦。この2組の夫婦の生活観(感)、呼吸、リズムが伝わるような錯覚に陥る。
ネタバレBOX
舞台設定(セット)は、マンションの上下階の2組の夫婦。同じマンションといっても間取りは異なるようだ。上手は上階...ダイニングセット、中央にこの上階のベランダをイメージした手摺。下手が階下...和室(畳)に座卓。周りは家屋の木枠組みのようで、意思疎通の良さか心の隙間風か、どちらであろう。
上階に、下階の夫婦ケンカ(不倫原因)の声が筒抜け。そしてその妻が腹いせに上階の夫と関係を持つ。そのうち互いの夫婦は公認して、互いのパートナーを変え嫉妬を煽るような性感覚をもって交情を重ねる。性欲と生殖が綯い交ぜになって生存を主張してくる。この描きが官能的であり濃密である。夫婦の交情という外装の内に秘めているであろう台詞の数々が、笑いの中にあっても魔術のような陶酔感を与えてくれる。
夫婦の存在が相互不信に根ざす限り将来は危うい。また一見ものわかりの良い夫、都合の良い妻を演じたところで、いずれは夫婦関係は破綻を招くと思う。それを繋ぎとめるのが子どもの存在。このハッピーVerでも懐妊した子の父親(夫か相手の男は判らないという苦悩はある)が救いのようである。
さて、この後日談が気になる。子の成長に伴い、夫に似ていない現実を前にした時、子は鎹(かすがい)ではなく、夫婦関係を危うくする原因になることは容易に想像がつく。本当にハッピーか...。
次回公演を楽しみにしております。
兄弟の都市
MICOSHI COMPLEX
OFF OFFシアター(東京都)
2016/05/12 (木) ~ 2016/05/15 (日)公演終了
満足度★★★★
観応え十分
兄弟都市という友好都市提携というハッピーイメージではない。どちらかと言えばブラック・コメディという印象である。何よりも都市という名があるが、その根幹には人間の有り様が描かれる。国(行政)益と個人(家族)の思惑がいつの間にか融合し、立体的な物語として展開する。そのさりげない交錯(耕作)劇は、演出こそコメディタッチであるが、多くの示唆を含んだ社会派ドラマのようである。
ネタバレBOX
セットは、上手に段差のある舞台...別場所(国)を表わしているようだ。特徴的なのは、ピクトグラムのような絵文字・絵単語と呼ばれるパネルが掲示され、さながらユニバーサルデザインの様相を示す。そこに兄弟都市という国際互恵が感じられる巧みさ。
梗概は、輝かしい未来のため、某密約を伴って互いを「兄弟」と認め合った2つの都市。 時は流れ現代日本が舞台。 一人の少女と一人の青年の交換留学をきっかけに 兄弟都市提携に亀裂が生じる!もっとも都市提携ではなく、企業提携といった商業ベースの話のようでもあった。
この芝居では二国間という設定...タンバヤマ市(日本)とアノコク市(途上国)であり、タンバヤマ市の支援と、一方アノコク市の農産物(似ブロッコリー生産)耕作が、いつの間にか発展と途上国の立場が逆転していく。そしてこの両国を擬人化した男女カップル(国際結婚)の話へ摩り替わっていく。この夫婦(妻が途上国の人のようだ)の生活・歴史・文化感を通して、人間本質が炙り出されるようだ。二人の間に出来た子は混血児。妻は母国語を忘れ、今生活している国の文化(例えば「言葉」)に同化していく。なぜ自分が生まれた国の言葉を子供に教えない?どちらの言葉で話させるのか?を意地悪に問う。アイデンティティはどうか。それらは子供による選択であるという。偏狭な信仰、考え方に対する痛烈な回答であろう。歴史や文化の異なる人々がどのように感じ、考え、行動しているか。国家は人の集合体。その最小の構成単位は家族かもしれない。その漠然とした器である国家を個という人の内側から生き生きと描いた芝居だと思う。
演技は、役者陣が登場人物のキャラクターを魅力的に体現するが、演出としては、どこにでも居るような典型的な人間像を描いている。
少し気になるのが、物語全体の流れ。場面毎は、含蓄ある台詞もあり観応えがあるが、全体を貫く主張したいことが分かり難くなった。場面が張り合わせのようで、メリハリが感じられないような…。人間というミクロの視点は面白いが、都市(国)というダイナミックなマクロ視点が暈けたように感じた。
次回公演を楽しみにしております。
昭和歌謡コメディ~築地 ソバ屋 笑福寺~Vol.5
昭和歌謡コメディ事務局
ブディストホール(東京都)
2016/05/12 (木) ~ 2016/05/15 (日)公演終了
満足度★★★★
懐かしく楽しいひと時
今年は昭和の元号で言えば、90年にあたる。社会的には昭和20年までは軍事戦争、戦後は経済競争(高度成長期)、バブル時期を経て失われた何十年。時代環境は等しく人々の生活に影響を与えるが、その時に聞く歌は人によって受け止め方が違う。歌謡はその時代の人に寄り添うものであり、その思い出は千差万別であろう。と言っても、この公演の歌は昭和50~60年代が中心で、TV、ラジオで歌謡番組が多くあった時代のもの。その頃が青春時代であった人たち(今やりっぱな中年紳士・淑女)が、舞台に向かって声援、ペンライトを振り、テープを投げ、笛を鳴らす。時代が一気に40年ほど遡(若返)り、楽しいひと時を過ごした。
この公演はVol.5であるが、Vol.6を2017年1月に予定しているとの案内があった。次回公演に向けて気になることが...。
ネタバレBOX
梗概は、ネタバレに記すまでもなく、説明の通り...築地のソバ屋「寛兵衛(かんべえ)」前で、国籍不明の謎の美女(グレース美香)が行き倒れ。そして記憶を失っているらしい。 記憶を失いながらも、時々、突然に狂ったように踊り出す彼女。記憶を取り戻すカギは「ダンス」らしいと気づいた寛兵衛達だが...。 彼女を付け狙う中東人の影。いったい彼女の正体は...
今までの公演は、第1部「芝居」、第2部「歌謡」を完全に切り離していたが、今回は社交ダンス(シャル・ウィ・ダンスがやってきた!)というコンセプトで観せていた。第1部では芝居の中でもダンスシーンを入れ、第2部ではプロの社交ダンスを堪能した。
さて、気になるのは、舞台上で「でんぐり返し」を3人(江藤博利、石尾吉達、志子田憲一)で行っていたが、特別の理由(例えば、劇「放浪記」の森光子サン)がなければ、マットも置かずに行っており危ない。足にテープが絡まっていた。この公演は「昭和時代」を感じさせてくれる貴重なイベント。ぜひ長く続けてもらうためには「でんぐり返し」を止めてもファンは怒らないだろう。むしろホッとするのではないか。
次回公演も楽しみにしております。