木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談ー通し上演ー』
木ノ下歌舞伎
あうるすぽっと(東京都)
2017/05/26 (金) ~ 2017/05/31 (水)公演終了
満足度★★★★
木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談』千穐楽@池袋あうるすぽっと観劇
物凄く、丁寧に準備をされた公演だと初見だったが感じた。日本人ではあるが、歌舞伎や古典に慣れ親しんでない自分が6時間。物語の中に没入し、時に笑い、時に涙し、時に驚き、そして、時空を超えて「今」目の前の舞台を楽しんだ。
あらすじもさらっと読む程度で観劇。
想像していたものより、自分が笑ってる事にびっくりした。
勿論、演出の力だと思うが、肩に少し力を入れてたのでほぐれた。
初めて観るきっかけは小沢道成さん、岡野康弘さんが出演されると言う事から。
3幕がお二人の同じ場面があり、観ながら、なんとも、不思議な感じだった。小塩田又之丞役の小沢道成さん。討ち入りに行くことが出来ないとなった時の表現に、はっとした。手の甲の血管が浮き立ち、感情が湧き上がってくる。
一幕のお色さんも、小沢さんの技量が出た配役だった。
赤垣伝蔵役の岡野康弘さん。
この方の安定感はとてつもなく、凄い。
視線が穏やかなのにとても、まわりの空気を切るような気迫を
漂わせる。
お岩さんの愛が強ければ強いほど、観ていて、胸が痛い。ただ、好きなだけなのに・・。好きになった男があいつでなければ、親子三人で仲良く暮らせたのだろうか。今も、昔も、そういった感情は変らないものだと。素敵な時間が過ごせた。
2幕のお歯黒を施すお岩さんの、姿が怖いよりも悲しい。
見えない涙がほろほろと零れ落ちる気がした。
「愛」を通そうとする、いろんな人間たちが
滑稽でもあるし、素直でもあるし、人の本質でもあるかと。
自分の想いの為に動く人たちと
自分以外の人の為に動く人たちの
対比も観ていて感じた。
劇中の飛行機の音。ふしめ、ふしめで使用。
あの意味は・・・と考える。
ぽこフェス2017
ぽこぽこクラブ
下高井戸 HTS(東京都)
2017/05/20 (土) ~ 2017/06/11 (日)公演終了
満足度★★★★
ぽこぽこクラブ「ぽこフェス2017〜越えろこの山、チョモランマ〜」シーズン3
『空白の二人2017』
暴力の負の連鎖は断ち切りたいと思っても、切る事が出来ず。受け入れたいと思っても、うまくいかない。「自分」の立ち位置が「空白」である男と、「心」が「空白」の男。
そんな二人の奇妙な関係性。従順な男の姿が、従順であればあるほど、辛く映る。
DVを繰り返す男「ようじ」役(三上陽永さん)記憶を失ったのか、社会的に存在を否定されたのか自分が「誰」であるか不確かな男「クロ」(杉浦一輝さん)。
自分の父親のDVの負の連鎖から自身も恋人に暴力をふるってしまう。
経緯は不明だが「クロ」を「飼っている」ようじ。
「戸籍」のワードから考えると、年齢的に、状況的に「クロ」は「身元不明者」の無戸籍者のようだ。
自分が「誰」なのか分からない中で、「誰」かの為に行動しようとした「クロ」が切なかった。
他者の為に、他者が喜んでくれるだろうと、その感情が人間の印のようにも感じる。
ラストは少し、救われる気がした。
劇中の「痛みが生きてる証拠」。頭では分かるのだが、理づくではクリアにならないのが人の感情なんだなと。
ある種、人間のどろりとした感情が足元に絡みつくホンだったのかと。
「クロ」は杉浦一輝さんの得意な表現が強く出る役柄。
人によってはあざとい感じが出てしまうので。
「マグロ」
シーズン1でも上演したが、演出が変わった箇所があり、少し、間のもたつきを以前感じたところがすっきりした感じを受けた。
風俗の女(森田ひかりさん)と、寿司屋の女大将(都倉有加さん)の心象というか、双方の抱えているバックボーンがより、出てきたように感じた。
一見、たわいのない酒を呑みながらの話が徐々に自身の「自分は正論」という
盾に守られた話がその場の空気を変えていった。
女は自分の男が「人間」としてのプライドを無くし「マグロ」として
存在する事にある種「意味」や「意義」を歪んだ感情で「正論」と思ってる。
「洗脳」なのか、「軟禁」なのか、色々ごちゃまぜて考えると
狂っている。
ただ、本当の「狂気」は表だって見えないモノ。
ただ、特別なモノでは無くて自分の身近にあるモノなのかもしれない。
あの不条理な「マグロ」男のような立場の人が近くにいるのかも。
回遊する「マグロ」の末路はどうなったのか。機会があれば、観てみたい気がする。
このホンはシーズン1よりも3の演出の方が大将(都倉有加さん)も、風俗の女(森田ひかりさん)も好きだった。
大将の後半の目がキテイて、静かに狂っていて良かった。
新作「現世永劫莫殺地獄」
この世も同じようなものだと、ふと、観ながら思う。
この世と、地獄の間には鏡があって、そこに映し出される人間の姿は、滑稽にもみえるし、必死にも見える。
この世ではジャッジ出来ないことを「地獄」でジャッジしてるんだろうな。
地獄での刑をみると、シンプルだ。
「悪い事をしたら罰を受ける」
シンプルな事が、現世はそれが出来ない。
地獄の刑はループする。
莫殺地獄。
「殺さない」地獄。
「莫」の意味が
1 否定を表す語。ない。
2 むなしい。
死んでいるけど、永遠に死なない。ずっと、ずっと、ずっと、続く地獄。
終わりが無い地獄程、辛いモノは無い気がする。
一見、ニギヤカしいホンだったが、かなり、色んな事をなぞってる気がするので、伏線というか、反芻すると、また違った印象にもなる気がした。
今作、様々な閻魔様のジャッジの場面
「死」の捉え方が多方向からみるとしたら気がつかない「罪」をそこで言われて初めて気がつく。
ここでも自分にとっての「真理」や「信念」は一歩ずれたら
「狂気」となる危険性がある事を感じた。
「意味のある死」とは?
世界で起こっているその人にとっての、その団体にとっての「意味のある死」
そこから、気がつかない悲しみの落としどころが見つからない人が沢山、沢山
生まれてしまう悲しさ、怒り。
興味深いホン。
理不尽な死によって鬼になった「書鬼」。
今作の書鬼の杉浦君が良かった。
全シーズンを観劇出来たのも、ある種タイミングが良かったからで、中々全てというのは難しい人も多かった公演だと思う。公演を打つ側も相当量の大変さを踏まえて「やりたい事をやる」を具現化した彼ら、スタッフの方々へ今公演が次なるステップになる事を小さく祈りつつ、善き時間を共有出来た事、感謝します。
非常の階段
アマヤドリ
シアター風姿花伝(東京都)
2017/06/08 (木) ~ 2017/06/18 (日)公演終了
満足度★★★★
初演も観たのだが、なんというか、物凄く「まっさらな器で新しい料理を盛りつけられた」というのが、第一印象。私の流した涙は初演とは違った場面だった。
『8mmとか、昔のアルバムの写真を見つめるような、ある種のノスタルジーを私は感じた。ふたつの流れが混じり合う所にナイトは位置していたのかなと。一つの流れは、穏やかな家族の流れ。一つの流れは激しく冷たい家族(個人)の流れ。』初演時の私のカンジタコト。
大庭乙音(相葉りこさん)と、大庭千鶴(笠井里美さん)
今回、この役柄が自分的にぐっと台詞がココロに入り込んできた。
何故だろう。男たちの主軸と見える今作だが、再演は物凄く女たちが気になってしょうがなかった。
ふと、男たちの裏側に薄く見える弱さのようなものを、他の登場する女たちが支えてるというか、包んでいるような気もしてきた。
そして初演の親子の確執が、再演は何か大きく受ける印象が変わっていた。
まるっと、新しい空気感というか、切れそうで切れない「血」の繋がりだったものが少し、太くなっているような気がした。
あの「家族」の流れに身をゆだねる事は選択肢として無かったのだろうか。
もしも・・・。もしも、分岐点で緩やかにその流れに身を投じていたら大庭ナイト(渡邉圭介さん)は命を絶つことはなかったのだろうか。
たられば 話は不毛だと思うが。
アマヤドリの舞台は
いつも、単純に、「綺麗」と思ってしまう事がある。
それは、視覚的な事も一個あるのだが、
衣装の基本的に使用する色の統一感(大体3色の組み合わせ)以前
自分の母から歌舞伎の衣装も3色の組み合わせでコーディネート(若しくは柄の組み合わせ)されていると聞いたことがあって、古来からの美しく見える組み合わせの様だ。
舞台美術もシンプルではあるが、今回初演とは小屋サイズが大きく変わり(東京公演は)陰影の出方もより、密になった気がした。
板にうつる、影が文字の様にも、みえる妙。
気のせいか、劇中出てくる飲み物も御茶と、コーヒー。ちゃんと、入れてる様な。
御茶も湯気が立つという所が当たり前だが、ちゃんとしてたのがさすがとおもってしまった
劇中にキーワードで「あか」が出てくる
赤い紫陽花、赤い血、赤い夕陽。
ふと、この関連性があるのかどうか、気になったり。
九回裏、二死満塁。
パラドックス定数
中野テルプシコール(東京都)
2017/06/10 (土) ~ 2017/06/18 (日)公演終了
満足度★★★★
個人的にスポーツに興味が無いので、「野球か・・」と思っていた。1時間40分後、観終って、佐渡の台詞に我慢していた涙がぶわっと出た。忘れる事、忘れない事、想い出す事、想い続ける事、一生懸命になる事、なんていうんだろうか、「青春」って単語では括れない、あの夏の日や、雨の日、彼らが過ごした時間と、止まった時間、それの対比に胸がきゅんとなる。最後のシルエットが美しかった。
山笑う
小松台東
三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)
2017/05/19 (金) ~ 2017/05/28 (日)公演終了
満足度★★★★
5/25マチネ観劇初見の小松台東。
再演と言う事だがあまり情報入れず観た。
終演後、劇場を出る足元の色の様な柔らかい、暖かい想いが溢れる芝居だった。
宮崎弁での会話劇。イメージしていたのはもっと、重い感じのホンなのかと、勝手に想像。
とても、作りこまれてるのだけど、かと言って仰々しく堅苦しく観客を構えさせないという。
母親の通夜、葬式の為に長く家を出ていた娘が「彼氏」を連れて帰ってきたところから、始まる。けして、派手な出来事が起こる訳では無いが、人間の「あ、こんな感じの体験あるわ」とか「葬式って確かに・・」とか。
人はやはり、言葉には出さないけど大事な人はいつも、心配しちゃうものだし、家族だからと言っても言葉を使って思う事を伝えないと伝わらないし。兄は妹を思い、妹も言いたい事が沢山あった。そして、まわりの人たちも色々あった。
演じている俳優の皆さんが初見の方がほとんどだったが、舞台上の会話が台詞というよりも観客が部屋を覗いてみてしまった様な妙な「あるある」感を感じた。あんなオジサン居そうだし、田舎の中2は愛らしいし・・・。
今回の観劇理由が以前20歳の国で拝見した尾倉 ケントさんが出演されるということで
観る事にしたのだが、ほんとに、良い舞台を観る事が出来て良かった。
何気ない描写や、台詞、そして音として発しない台詞と台詞の間の感情の表現。
そこに「私も、そうかもしれない」とか「私なら、どうするかな」とか
想いを重ねながら、観た。
故人がやっていたお茶を入れる際に最後に美味しくなるようにと手をかざす仕草。
お嫁さんも、娘も、ついおなじことを自然としてしまう。
家族って、そんな事が積み重なってるものの象徴的な仕草だった気がした。
孫である中学生の清人から好かれていた故人。
「年寄りと一緒にいると楽」という台詞があった。
親は近すぎて、子を心配したり、責任を感じてとやかく言ってしまいがちだが
祖母はそういった事が無くただ、「愛情」だけ注いでくれる存在なのかと。
開演前からそこは「故人」を偲ぶ空間となっていた。お焼香や、喪服の受付の方。開演前のアナウンスも。芝居以外の細やかな空気感の作り方などが、隙が無い。
最後、舞台からロビーに出る際の演出、好き。心がほわっとした時間でした。
ぽこフェス2017
ぽこぽこクラブ
下高井戸 HTS(東京都)
2017/05/20 (土) ~ 2017/06/11 (日)公演終了
インテリぶる世界
箱庭円舞曲
ザ・スズナリ(東京都)
2017/05/10 (水) ~ 2017/05/17 (水)公演終了
満足度★★★★
体内の管がぎゅうと縮まる様な舞台だった。
自分は表現者でも無く、一般人だが、劇中の人物達が時間を追っての、少し、狂気ではないがぞくっとする感じが観ていて、心臓が痛くなった。
前作(あなただけ元気)を拝見したが前作とは個人的には印象が大分変った。
時間が異なる同人物の変化が一瞬、混乱もあるが、不思議とそれも、気にならなくなった。
出演されてる方々の年齢の幅がとても、広く良かった。
より、台詞の意味合いが深く伝わるように思えた。
世界とどんなツールで繋がるのか、時代が変化してきてその流れも劇中で使っていて、観ながら「ひと昔前はこうだったのだったな」と気がつく。
ただ、普遍的に変わらないものも今作はあったような気がする。
年代的に、「親」という立場がよりリアルとなり、父や、母の「想い」が無視できないし、切実な感情と重なり、切なくもなった。
愛でもないし、youでもなくて、ジェイ。
アナログスイッチ
王子小劇場(東京都)
2017/04/26 (水) ~ 2017/04/30 (日)公演終了
満足度★★★★
再演と言う事で事前にDVDを観ての観劇。
自分は劇中の様な「故郷」と強く言える距離感は無いのだが、相互の「想い」がよく描かれていて、なんか、きゅんときた。
みんなが言ってる事には間違いは無く、ただそれを他者に押し付けてしまうのがもどかしい。
こじれてしまった最中に伊藤広輝役の野口裕樹さんがお酒を美味しく呑もうと言う台詞が何となく一番の「本意」のように感じた。
思う事は人それぞれで、進む道もそれぞれ、思う気持ちの分量もそれぞれ、
でも、みんなで美味しいお酒を呑む時間や、場所を共有する事が出来るのが幸せの一個の形ではないかと思った。
今作、女性陣が皆さんとても、素敵だった。
役名に季節の物を彩り、個々の魅力がよく出ていた。
上村雪役の前園あかりさん。あかりさんらしいのだが今回は観ていて、女子らしい可愛いけど、ちょっと、不器用な愛らしい役だった。
高橋美桜役の橘花梨さんは以前ミセスフィクションズの「東京につれてって」の小桜役が印象に残っていた。
渡部正人役の斉藤マッチュさん。20歳の国で拝見しているが、この方は
一件クールでぶっきら棒なのだが、実は優しく、人情にあつい、という役が巧い。
ちょっと、はにかんで笑うところなども少年ぽさがあり、不思議な俳優さんだと思う。
DVDで観た時は小林泉役は佐藤慎哉さんだったが、今回は秋本雄基さん。
物凄くこの人がもっている色合いでいうと乳白色なイメージが役と合っていた。
強く吐き出すこともままならない、でも、もやもやと葛藤している。
そんな感情の表し方が静かだけど、伝わって来た。
客演での参加
虚構の劇団渡辺芳博さん。
久々に台詞のある芝居とご本人もおっしゃっていた。
少し同級生チーム、管理人夫婦とはエリアが異なる
日比野淳役。
良い感じにおじさんポジションで、違った空気を入れ込みつつも
きちんと、劇中での田舎と都会との自分の居場所の見つけ方を泉へ伝えていたような気がした。笑いのポイントもテンポよく、甘酸っぱさもあり、約2時間だがおしりが痛くなるような事は無かった。
ダズリング=デビュタント
あやめ十八番
座・高円寺1(東京都)
2017/04/19 (水) ~ 2017/04/23 (日)公演終了
満足度★★★★
鑑賞日2017/04/21 (金)
一瞬、肌の合わない劇団か・・・と上演が始まって思ったが、20分くらい経つと、段々楽しくなってきた。
ドロドロ・・、人間の汚い恥部を垣間見るような貴族社会。
でも、そこには爵位と比例する品性は見当たらない。
ダルカラード・ポップの大原研二さんご出演と言う事で初めて観劇しようと。
感情の共有し易さとしては、難しい気がする。
ただ、力や、センスが無いと最高にカッコ悪くなるフィールドな気がした。
この紙一重な感じは凄い初見の人間があれやこれや言うのは差し出がましいと思うのだが。
今作を初めて観た私は「もう一つの演出も観たかった」と強く思った。
村上誠基さんが個人的にはMVPかと。
普段のおちゃらけしてる村上さんしか知らなかったので。
横文字の名前が弱い。
当日パンフに配役・役名・俳優名の記載があると助かる。
あと、初めましての俳優さんがいると、この役のこの方は?ってなるので、出来ればあると、その方のお名前を覚える事が出来る。
時をかける稽古場2.0
Aga-risk Entertainment
駅前劇場(東京都)
2017/03/22 (水) ~ 2017/03/28 (火)公演終了
満足度★★★★
笑った。「ぐはっ」と声に出て笑った。何だろう、物凄く頭の中に何の気負いも無く観にいったこの芝居に130分楽しんだ。ただ、笑うだけで無く、所々にぶち込まれる「毒」に「くく・・」と含み笑いもして.
劇団名は勿論知っていたのだが本公演は初めて。今まで観に行かなかった事を後悔。ホンも、勿論面白いのだが、演者の力が無いと今作の様なホンはだらだらと見せ場も流れてしまう気がした。面白かった。
作品は再演であり、演者の皆さんも力ある方々で、とても、私は楽しい観劇だった。ひとつ、改善してほしいと思った点は先行販売の富豪席。椅子に何も印が無いので、有った方がそこに他の人が座ろうとはしないと思う
今日は砂糖の雨が降るから
perrot
王子小劇場(東京都)
2017/03/16 (木) ~ 2017/03/20 (月)公演終了
満足度★★
初見の劇団。ホンの中にきらりする台詞。
そして、アナログスイッチ秋本雄基さん、西村蒼さんが良かった。
秋本さんはアナログスイッチではなく、他劇団の公演で何回か。西村さんはアマヤドリの客演で拝見。
その他の出演者の方は初めての方ばかり。
あと、廣瀬樹紅さん、金森悠さんが配役の面白さもあったのか、観ていて良かった。
個人的にこのような表現は失礼になると思うのだが、冒頭シーン。「アマヤドリを観ているよう」と申し訳ないが思った。
物語を紐解く経過や、起→結の表現の仕方。
どうしても、そう、思えて仕方なかった。
いわもとよしゆきさんの書く台詞や、きっと、やりたい方向性は好きなのでもうひとつ、もう、ふたつ、踏ん張って、「伝える」って事を
自分でしかない具現化の表現を観たいと思った。
けして、嫌いな感じではないだけに、少し寂しい。
言葉をしたためるものが紙飛行機だったり、折り鶴だったり、「飛ぶ」事ができるものだったのは意味がありそう。個人的には好きな小道具でした。
前列を少ない配列にしたのは、増席し易いのもあると思うが、舞台配置との関係もあるかと。上手よりに舞台は組まれて、下手は動線が持たされていた。
バルコニータイプの2階部分も使用。
吉祥寺シアターや、花まる学習会王子小劇場も規模は違えど、そのような使い方が可能。
昔、むかしのおとぎ話。
人間が作り出したブリキと人間との共存が崩れていく。
明確な惡が少し、弱く、紐解く物語がふわふわしてしまう。
そこに起こった「こと」に対しての
「悲しみ」と「怒り」がもっと、明確になるとおとぎ話の
怖さというか、伝わったのかと。
アジア週間
上野ストアハウス
上野ストアハウス(東京都)
2017/02/24 (金) ~ 2017/03/05 (日)公演終了
満足度★★★★
台詞の無いフィジカルシアター。
今作は、前々作に観た「箱」よりも、「人間」がより浮だつイメージ。
鼓動の様な、脈の様な、打ち鳴らす音は、次第に変化し、
更に鳥の様な、ため息の様な、場末の酒場のケンカの様な、神に祈りを捧げる様な、不思議な「音」が聞こえ始めた。
観る人の解釈の枝分かれが多様な物がこういった表現だと思う
その多様性が、面白いし、色んな風景をそこに観る事が出来る。
「言葉」ととるか「SEX」ととるか、「愛情」ととるか「競争」ととるか。人の受け取るイメージが、ぐにゃりと、色んな形になるのが『PARADE』かと。
曖昧で良い。
きっと、受け取る人によって色んな解釈が出来そう。
凡人である自分にとって「倒れる」という行動は「マイナス」なイメージを受け、観ながら、痛感を共有するとともに、何故この人たちは、立ち上がるのだろうか?
と疑問が・・・。
まだ、数回公演を観ただけだが、「マイナス」からの「プラス」への熱量を感じるのは、何故だろう。
特に今作は「人間がコミニケーションを取るってそもそも、何だろう?」って観ながら思った。
人間関係が希薄になった時代にどんな繋がり方をするんだろう。
舞台上、行進する。
前へ
前へ
二人一組。
三人一組。
コミニティの広がりか、後半は人が増える。
段々、手を絡ませる。
肩を組む。
抱きかかえる。
押し出させる。
スピード感がある場面だが、足の動き、手の表現、どのような状況になってる人々なのか?
かなり、面白い。
そして、メタモルフォーゼするような、今までの着衣を点在するように脱ぎ捨てる、チガウ着衣を纏う、拾い集める、、、、。
そこからの場面は
解釈が大きく分れる気がした。
もう一度観に行こう。
観終って、正解など出せないが一番好きだなと思った。
マクベス
Theatre Company カクシンハン/株式会社トゥービー
東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)
2017/01/26 (木) ~ 2017/01/29 (日)公演終了
満足度★★★
Fair is foul, and foul is fair: Hover through the fog and filthy air.
綺麗は醜い、醜いものは綺麗。
濃い霧と濁った空気のなかを飛んでいこう。
視覚のニギヤカさは、彷徨う、罪の重さに苦しむ二人を余計浮き出させる。
もがけば、絡まる疑念の糸、裏切る、信じる、騙す、夢見る、手を染めて、手に入れて、そこからの二人の「魂」の繋がり方が壮絶。
今回はダルカラード・ポップの塚越さん、東谷さんのご出演があり、初めてカクシンハンを観た。
今回お二人とも、とても素敵だった。
特に、塚越さんは、今作での立ち位置があまりにもセクシーでした。
初見の方が多かったのですが
河内大和さんの絶対的存在感と時折、愛らしい表情を浮かべる差の幅が大きく、凄かった。
後、目を引いた方が白倉裕二さん。
キーマン的な配役であるのも、勿論だが俳優としての
動きの多彩さ、かなり、初見だったが気になった。
「想像」をかき立たせる舞台美術。
パイプ椅子の使い方が面白かった。
ふと、子供の頃やった「ごっこ遊び」を想い出す。
でも、「みえてるもの」だけでなく、「みえていないもの」を
「みえるようにする」のが芝居の面白さだと、パイプ椅子が剣になり、
城壁となり、森の中になり、人になるのを見ながら思う。
そして、タイムトリップしてる様な1606年と2021年。今の世も、同じような事、「人間」はしているのだろうなと観ながら思う。古典ではない。時代は変わっても、「ヒトのココロ」は変らない。
劇中、段々と崩れ去る精神の中のマクベスと、夫人の寄り添う姿を見て『シド・アンド・ナンシー』が何故だが過った。設定も勿論異なるが、カクシンハンの「マクベス」を観ていると古典がそう見えない、なんか、尖っている切り口がみえた。
2時間半、途中休憩があり。物販でパンフレットがあったが、時間あれば上演前に読んでいると背景など予備知識が分り良いかも。
芝居自体は、面白く、刺激的で良かった。
ただ、恐らく出演者の知り合いであろう年配の女性4人組。私語はする。しかも、その知り合いの出演者が客席に降りてくる場面で手を振る。 余りにも、我慢しかねたので、注意させて貰った。
ドラマティック横丁
泥棒対策ライト
シアタートラム(東京都)
2016/12/22 (木) ~ 2016/12/24 (土)公演終了
満足度★★★★
泥棒対策ライト「ドラマティック横丁」@シアタートラム12/24千穐楽観劇
常々伺いたいと思っていた泥棒対策ライト。
「体が話す」という第一印象。
フィジカルな舞台は不勉強であまり沢山観ていないのだが、初見で観た今作は私に身体が語り掛けてきた。
そこには、俳優と照明と音(音楽と舞台を踏み鳴らす音や、息遣い、そして雨音など)ある種プリミティブな物が融合して、物語を語りかけてきた気がした。
日常が繰り返す。
そこには産まれるもの。育つもの。生活するもの。恋をするもの。
ある日常。赤ちゃんを見ながら洗濯物を干す。出勤前のOLさんの様子。その二つがシンクロする。
動線がぶつかりそうだが、上手く行き来をして、同じ空間に居るのに、それぞれの日常。
夕暮れの空き地。幼なじみであろう二人。ツツジの蜜を吸う。何だがほんわりする時間がドラマティック。
佐々木富貴子さんが小柄な方だったがとても、愛らしい表現で目を引いた。
旅をするように指ちゃんが続く道を歩く。
影が生まれる。
歩く。
その先には、ドラマティックな日常がある。
あなたにも、私にも。みんなに。
ダンスというものが自分が良く分かってないから、比較対象出来るほどの情報量が無いのだが、「感情を伝える」といった表現を「台詞」ではなく、「動き」で観劇者に伝わるモノが一個のダンスの面白さなのかと泥棒対策ライトを観て感じた。
それは、アマヤドリの群舞に通じるところなどもあるのかなと。
雨音の中、それぞれの日常。テンポが速くなったり、遅くなったり。星が降る様な、雪が降る様な、照明。次第に数本の電球が降りてくる。徐々にその電球をまとめる。まるで、何かの道しるべの様に集まり、強く光を放つ。私の日常もきっと、どっかにドラマが潜んでるのかな。と思う公演だった。
観ると少し元気になるような舞台だった。
少し、夕焼けが綺麗に見える舞台だった。
楽屋―流れ去るものはやがてなつかしき―
オトナの事情≒コドモの二乗
王子小劇場(東京都)
2016/12/23 (金) ~ 2016/12/27 (火)公演終了
満足度★★★★
オトナの事情≒コドモの二乗Op.3『楽屋-流れ去るものはやがてなつかしき-』@花まる学習会王子小劇場
12/27マチネ
をとこ版千穐楽観劇
不勉強で「楽屋」を観た事無く少し堅苦しいのかな?と漠然としたイメージを持って観劇。
今回2バージョンある公演だがかなり演出が違うと聞いていた。
「面白い、けど苦しい」
「女優」の話。
けれど、そこには、ある種「女」の話。
他方からみた「女」と「内側」からみた「女」。
特に主宰である女優C塚越さんと同年代である自分は心に来るものが多々あり。
しかしながら、ただのどろどろした舞台にならない北川さんの演出の面白さ。
そこを上手く具現化する女優A大原研二さん、女優B渡邊りょうさん。
時に笑いになるやり取りや
時に悲哀を感じる表情をみせる。
観ながら、漠然とこの二人の時間経過が不思議だなと思った。
終らないメイク、時代背景のちぐはぐさ。
終盤、その訳は分かり、合点がいく。
そして、女優D辻貴大さんの役。精神的な狂いも時としてピュアな「女」として、佇む。
しかし、じわりとした怖さも感じ取れる。
死の原因が色々推測される。
しきりと「眠り」に関してのワードが出るのは
「眠り」=「死」という解釈も出来るのかな?とかもゆるっと考える。
初めから、あの楽屋には生きているものは女優Cだけだったなんて事は
ないか・・。
観る年齢層によって、切りとる感情が異なる様な舞台だと感じた。
今年観劇おさめに観る事が出来て良かった。
独狼-DOKUROU-
ゲキバカ
萬劇場(東京都)
2017/01/12 (木) ~ 2017/01/16 (月)公演終了
満足度★★★
鑑賞日2017/01/16 (月)
ゲキバカ「独狼」@萬劇場1/16マチネ観劇
過去「密八」はDVDで、今作はリメイク。
演出者が異なり、更に俳優陣も再演ではあるが初演の方は居ない。
軸となる「ノライヌ」を廻る様々「生」と「死」。
ある意味輪廻転生を信じたいと思わせるラスト。
音の使い方、舞台の使い方、背を持たせない囲み舞台。
その事により、より、空間が広がる。時折、演者が見上げる白い雲や、青い空、などがふと見える様な気がした。
ストーリーテラーの「サイギョー」。
彼が語る物語。そこに、息づく個々の想いが生き生きと交差していた。
今作、菊池祐太さんの「ヤマト」背負ってるもの故の利己的な醜い魂、を感じました。王としての立場。生き別れていた弟「ノライヌ」との再会。
徐々に「ノライヌ」の力に、恐怖、妬みを抱き、最後には暴君と成り果てる。
狂気を感じさせる芝居がとても良かった。
酒井俊介さんの「ゼニーロ」元々この役はこのホンの中でも「ぶれない絶対的な愛」の役割なのかなと。
親から子への掛け値無しの想いが一番表現として適してるのかと。
その「ゼニーロ」の愛を受けて育っている「ワッパ」
彼女の天真爛漫な瞳が見届けた戦い、そして、様々な優しさの心。
ラスト、娘から女性に成長し、新たな命を抱く姿は慈悲に溢れていた。
伊藤亜斗武さんの「マルベエ」異国の漂流者。言語の異なる彼の表現方法は他の演者に無いもので伝えてくる。目。時に楽しい時のコミカルな眼の光。悲しみの暗い光り。怒りの鋭い光り。そして、四肢の先端に意識を置き、言葉=台詞ではない感情表現だった。
志村朋春さんの「ノライヌ」多くを語らない寡黙な孤高の狼。
一番愛を求めて、声なき声を感じた。
山咲和也さんの「サイギョー」
彼の語るモノガタリは、きっと、旅する先々で息づくような気がした。
コミカルな役柄と人々を善き道へと導く知恵を持つ役柄を演じわけていた。
長南洸生さんの「アナグマ」再演に新たに加わった役。
「ノライヌ」とともに生き、最後の死も「ノライヌ」への絆を強く演じていた。
今作、舞台を二面客席の囲み舞台にし、大きな舞台美術はないが
時に逃げ惑う山の中、時に花々が咲く野原、建物や、村々など観劇者に
空間をイメージさせるような演出だった。
劇中の衣装も殺陣が多い舞台だったが
着物などの袂が邪魔にならないつくりや、和柄と洋柄の組み合わせ、所属する国のイメージカラーなどを盛り込んだ秀逸な衣装。
主宰の柿ノ木タケヲさんのホンはいつも、観終わった後心に
暖かい思いが溢れる。
そして、コミカルな演出も今作、西川康太郎さんの多趣味なところもうかがえた。
ゲキバカのひとつの挑戦というか、
新しい世代の善き公演になったと思う。
15 Minutes Made Volume15
Mrs.fictions
王子小劇場(東京都)
2016/11/26 (土) ~ 2016/12/04 (日)公演終了
満足度★★★★★
いつも、楽しい15MM
感想こちらにまとめてます。
多少のネタバレありです。
http://blogs.yahoo.co.jp/suwansong2014
あいつをクビにするか
ぽこぽこクラブ
王子小劇場(東京都)
2016/10/26 (水) ~ 2016/10/30 (日)公演終了
満足度★★★★
やりたいことをやってみた
今回観ながら二つ、大きな感情が湧く。
「愛してほしいって、誰でも持ってるけど時にはすべてを破壊する想いになるのか」「歪んだものは、決して外の話ではない誰もが持ってるもの」
物凄く気持ち悪いというか、生理的に「音」「色」「視覚」が作られていた。
愛してほしい感情が時には、全てを破壊する。
揺れる灯り。
不透明な膜、見えているものと見えないものと、伝える想いと、届かない想い。
王子の小屋の使い方も面白かった。
膜はなんだろう?って。
完全に隠すのでもなく、透き通っているわけでもなく調光、音響ブースも不透明な膜で覆われてる。
うっすら、冷気を逃さないカーテンみたいなものが
大型の冷凍室にあるが、それを最初想像した。
後々、聞くとやはり、そのイメージだったようで・・。
今公演照明も良い。
全体的に青が多く使われている。
不安が膨張する。
光量のバランスもあるのかもしれないが、結構、ぐっと来る。
全体的に心象を強く出す照明が多い中、
泰吉が小さな子供たちに手製のプラネタリウムを披露する場面。
きっと、まだ、メイが産まれる前の「ごく普通の家族」の一場面なのだろう。
懐かしい暖かい想い出が表わされ、ほっと息をつける。
本当に、「ごく普通の・・・」
物語の随所に色々なイメージが差しこまれる
丁度、芝居を観る前に行ったダリ展をふと、思い出す。
歪んでいるけど、それは造形として成り立ち
尚且つ、奇妙な引き付ける匂いを放っている。
「血」の繋がりって、なんだろ?って観ながらも、考えてしまった。
血が繋がっていれば分かり合えるのか?
無条件に愛し、愛されるのか?
モンスターと、怪物と、「メイ」を括ってはいるが「普通」の「血」の関係性でもこのような事は「現実」ではないか?
嫌な話だなと、だけど、もっと、現実は嫌な話ゴロゴロしてるよって、斜めな観方もしてしまう。
しかし、それをしてしまうのは「芝居」ではなくなってしまう。
そこからの「物語」が生まれなくてはいけない。
私は、どこに、どの役に自分を置きにいくかで、大分観方が変わると思う。
私は房子役の都倉有加さんの強さが好きでした。
自分の子どもが障がいがあったとしても、けして、捻じ曲がることなく
前をみて、進んでいく力強さをかーちゃんの強さが共感。
(ただ、自分が実際の同じ状況になったとしたら、あそこまで強くはなれないとは思う)
権蔵役の渡辺芳博さんは、遺体を預かってから幻聴(ネズミ)が聴こえるなど、メンタルが強そうだが、実は繊細だったりして。
少し、「変わってる」というレッテルを周囲に貼られてながらも
物凄くピュアに色んなことを受け止めてる人なのかな?とも。
基本、エロ度数は高い感じはしたが。
*最初に登場したくだりとか・・。
その権蔵と兄弟・泰吉役の伊藤公一さん。
カズヤ、セイジ、メイの父親であり、深雪の夫。
彼が、本当に守りたかったものが
壊れていく。
徐々に、徐々に
見たくないけど、そこにはその世界の現実がある。
愛するだけでは、守れないのだろうか?
崩れていくモノを止める方法はあるのだろうか?
この芝居では、そのアンサーは指し示さない。
今回、一回しか観れないから、的外れな感想だとは思うが
やりたいこと、やるのがぽこぽこクラブって匂いが一番出た ホンだった気がする。
メイ役の磯部莉菜子さん。
とても愛らしいお顔立ちの方だが、感情の出し方が良いポイントで出せる。
ただ、不機嫌さを表わすにしても、出しどころが分ってる。
だから、その愛らしさとのギャップでより、効果が高い。
教師香坂と母親深雪を演じた松田佳央理さん。
かなり以前の一本調子の芝居から、今はふり幅が広がっていて、とても、観ていて引き込まれた。
その母親役の深雪の妹のマキ役の小野寺志織さん。
様々な島とのバイパスのような、つなげあい、潤滑油的な役回りをしていた。
杉浦一輝さんの
ニートっぷりには、ある意味安定感すら覚えてしまう。
あのカズヤとセイジの比較が面白い。
表がきちんとしていても、
裏では・・・。
そんな事を観ると、かなり、面白いのではないか。
坂本 健さんの「真理雄」。
真理=真実は、もしかすると彼が持っているのかもしれない。
「ただ、愛する」
言葉にすると、平たんにすらなってしまうこの言葉も、行動に起こす事に
よって、上手くいったり、いかなかったり。
桐島役の梅津瑞樹さんは、虚構の劇団での出演しか拝見した事がなかったが
少し、面白い。
ルックスいじりは、少し微妙ではあるが、飄々と淡々とボケていくと面白い感じになるのではと勝手に思った。
メイの同級生の井尻役のくららさん。
いじめにあってからの、復讐。
そこからメイと共に動くようになった。
良いことでは無いが、気持ちは皆が共有出来る。
「目には目を、歯には歯を」ハムラビ法典ではないが
いじめをしたやつは罰を。
それを防ぐことが出来なかった低能な教師も罰を。
ただ、残念ながらこの国はそれを良しとしない国。
彼女のココロはいつ、全部、晴れるのか。
三上陽永くんのカズヤ。
カズヤが一番「良いヒト」
ただ、一番「危ないヒト」
初見であれだけど、カズヤが母親を最終的に殺してしまったのかと、私は思ったのだが、どうなんだろうか。
月の剥がれる
アマヤドリ
吉祥寺シアター(東京都)
2016/09/23 (金) ~ 2016/10/03 (月)公演終了
心に落ちて来た・・。
アマヤドリ「月の剥がれる」@吉祥寺シアター9/29マチネ観劇(10分休憩有)
観終って、一度止めた涙がまた、零れ落ちてしまった。
何故だろう、初演の時に「?」が多く残ってしまった自分の3年前を取り払うような、語弊があるかもしれないが感情が物凄くシンプルに、舞台から解き放たれた時間。
大きく変わったと感じたのは、テンポの変化。
観客の視線を置くところが見易くなった気がした。
学校のシーン、散華のシーン、より、「個」の成り立ちが明確。
更に、初演からの進化。
まっさらな心に落ちて来た。
色んな場面が流れるように、緩やかに交わる。
ふと、思う。
夜間飛行している彼らがみたのは燃える過去のヒトだったのか?
未来が過去を俯瞰しているのか?
命はだれのものなのか?
自分が傍観者でいることは悪なのか?
再演であって、再演ではなく、新たな「祈り」を見届けた時、涙が止まらなかった。
上演時間は数字にすると、長いと思われるが、実際今日観劇してそんな事は無かった。
ああ、とても愛おしい時間となった。
宮崎雄真さんの今作、いつものイメージだととても、温厚なお父さんといったものを個人的に持っていたが、愛らしくも有り、誠実でもあり、引き込まれる。
ザンヨウコさんの語り部的な役は、反則的に素敵だ・・・。
本当にあの方は不思議な俳優さんだと思う。でも、先生はきっとザンさんが演じるのだろうと思っていたので、嬉しかった。
石本政晶さんの今作の役は
初演よりなんていうんだろうか、セクシー度数が高まったような気がした。
初演は、「純愛」なイメージだったのだが・・。
彼の発案も、本当は、最初は些細な事だったのだろう。
そこから「散華」の膨れ上がるスピードが
現実の世界と気持ち悪いほどリンクする。
小角まやさんの言葉に共感する人が一番多いと感じる。
「私ならそう思う」といったある意味観る側の一番置きどころが近い役であるゆえに、台詞が刺さる。
同性である事もそうだが、彼女の「正論」が届かない悲しさ、怖さ、切なかった。
長男が死、その後に次男もまさかの同じ流れに身を投じていく様をみて、別れ際に
「またね」と言って走り去る場面。
縁を切ってもいいくらいの常識的には考えにくい行動をする兄に対して
それでも、「さようなら」と言わず「またね」という所が個人的にナツの優しい心根を観た気がする。
西川康太郎さんの役は、「自分」を持ちながら、一番翻弄されてしまった役なのかなとも感じた。知らない間に、抗う事をしないで、あの場に、自分を置きにいってしまった。
きっと、考えて、考えて、でも、あえて、あの流れに。
優しい人なのだな、と。
倉田大輔さんの役は、この役のイメージが、とても、飄々というかぬらりくらりとすり抜けていく。「散華」というマリオネットを操っていたが、何処かでその糸を切りたがっていた気がする。
「散華」の最期。
人々は死に、それは、新たな再生にむかう・・。
いや、「死」はあくまでも、「死」。
天寿を全うしない「死」はただの「死」。
生き残った者・・。
笠井里美さんの最後の場面。「きいてるよ」と心の中で呟く。
ファインダー越しに、彼女の涙が見えたような気がした。
渡邊圭介さんと、石井葉月さんの最後に死を止める言葉について話してる場面が好き。
震える様な細い繋がりを手繰り寄せる様な会話が切なかった。
そして、劇中、常に皆を見守り続ける
田中美甫さんの役。
天使のような、影のような、もう一人の「あなた」。
テンも、ソラも、
大きく、広く、隔たりの無い、何処までも、何処の場所にもつながっているモノ。
神様が、垣間見た人間たちのほんのちょっとの時間だったのかもしれない。
神様からみたら、人間の一生って、瞬きした位の感覚なのかもしれない。
でも、
親は子を産み、育て、やがて、また、その子が親となり、子を産む。
一個の命は、大きな木の様に過去から繋がって繋がっている。
とても、シンプルに考える。
だからこそ、心音にも似たステップの音の群舞に心奪われる。
善き時間を過ごせました。
楽までお怪我無きよう・・。
あなただけ元気
箱庭円舞曲
ザ・スズナリ(東京都)
2016/09/08 (木) ~ 2016/09/15 (木)公演終了
やっと観た!!
ずっと、観たいと思っていた箱庭円舞曲。
ホンが痛く、とても、観ながら考えると怖くなった。
ただ、特別な世界ではなく、ごく、自分の身近な世界の風景。
そこには、「個」としての成り立ちと「団体」今回は「会社」という身近で没入し易い世界での話。
日本人であると言う事を私は観ながら強く感じた。日本人であるが故のきっと、こんな事柄がきっと、近い未来、絵空事ではなくなってしまうかもしれないと感じ、怖くなった。誰に投影するか
によっても、感じ方が変わるとは思う。
心に痛く、刺さったホンだった。ラストの電話のシーンに、涙してしまった。
救われたの?と思ったが、ただ、それは本当のラストになってしまったのだろう。
涙が出た。
今回の俳優の方々の力量にも、本当に善き、芝居を観させて頂いたと思う。
岡田一博さんや、鈴木ハルニさん、その他にも皆さん、本当に力ある方々で
素敵だった。
久しぶりに観劇後に高揚感を感じている。今一度思い返すと、色んな伏線というか、揶揄が含まれてるトリッキーな構成ではないかと。この台詞の裏は実はこう、この設定はこうそれぞれの配役をもう一度、なぞりたいような芝居だった。
善きホン
善き俳優
善き公演をありがとうございました。