心に落ちて来た・・。
アマヤドリ「月の剥がれる」@吉祥寺シアター9/29マチネ観劇(10分休憩有)
観終って、一度止めた涙がまた、零れ落ちてしまった。
何故だろう、初演の時に「?」が多く残ってしまった自分の3年前を取り払うような、語弊があるかもしれないが感情が物凄くシンプルに、舞台から解き放たれた時間。
大きく変わったと感じたのは、テンポの変化。
観客の視線を置くところが見易くなった気がした。
学校のシーン、散華のシーン、より、「個」の成り立ちが明確。
更に、初演からの進化。
まっさらな心に落ちて来た。
色んな場面が流れるように、緩やかに交わる。
ふと、思う。
夜間飛行している彼らがみたのは燃える過去のヒトだったのか?
未来が過去を俯瞰しているのか?
命はだれのものなのか?
自分が傍観者でいることは悪なのか?
再演であって、再演ではなく、新たな「祈り」を見届けた時、涙が止まらなかった。
上演時間は数字にすると、長いと思われるが、実際今日観劇してそんな事は無かった。
ああ、とても愛おしい時間となった。
宮崎雄真さんの今作、いつものイメージだととても、温厚なお父さんといったものを個人的に持っていたが、愛らしくも有り、誠実でもあり、引き込まれる。
ザンヨウコさんの語り部的な役は、反則的に素敵だ・・・。
本当にあの方は不思議な俳優さんだと思う。でも、先生はきっとザンさんが演じるのだろうと思っていたので、嬉しかった。
石本政晶さんの今作の役は
初演よりなんていうんだろうか、セクシー度数が高まったような気がした。
初演は、「純愛」なイメージだったのだが・・。
彼の発案も、本当は、最初は些細な事だったのだろう。
そこから「散華」の膨れ上がるスピードが
現実の世界と気持ち悪いほどリンクする。
小角まやさんの言葉に共感する人が一番多いと感じる。
「私ならそう思う」といったある意味観る側の一番置きどころが近い役であるゆえに、台詞が刺さる。
同性である事もそうだが、彼女の「正論」が届かない悲しさ、怖さ、切なかった。
長男が死、その後に次男もまさかの同じ流れに身を投じていく様をみて、別れ際に
「またね」と言って走り去る場面。
縁を切ってもいいくらいの常識的には考えにくい行動をする兄に対して
それでも、「さようなら」と言わず「またね」という所が個人的にナツの優しい心根を観た気がする。
西川康太郎さんの役は、「自分」を持ちながら、一番翻弄されてしまった役なのかなとも感じた。知らない間に、抗う事をしないで、あの場に、自分を置きにいってしまった。
きっと、考えて、考えて、でも、あえて、あの流れに。
優しい人なのだな、と。
倉田大輔さんの役は、この役のイメージが、とても、飄々というかぬらりくらりとすり抜けていく。「散華」というマリオネットを操っていたが、何処かでその糸を切りたがっていた気がする。
「散華」の最期。
人々は死に、それは、新たな再生にむかう・・。
いや、「死」はあくまでも、「死」。
天寿を全うしない「死」はただの「死」。
生き残った者・・。
笠井里美さんの最後の場面。「きいてるよ」と心の中で呟く。
ファインダー越しに、彼女の涙が見えたような気がした。
渡邊圭介さんと、石井葉月さんの最後に死を止める言葉について話してる場面が好き。
震える様な細い繋がりを手繰り寄せる様な会話が切なかった。
そして、劇中、常に皆を見守り続ける
田中美甫さんの役。
天使のような、影のような、もう一人の「あなた」。
テンも、ソラも、
大きく、広く、隔たりの無い、何処までも、何処の場所にもつながっているモノ。
神様が、垣間見た人間たちのほんのちょっとの時間だったのかもしれない。
神様からみたら、人間の一生って、瞬きした位の感覚なのかもしれない。
でも、
親は子を産み、育て、やがて、また、その子が親となり、子を産む。
一個の命は、大きな木の様に過去から繋がって繋がっている。
とても、シンプルに考える。
だからこそ、心音にも似たステップの音の群舞に心奪われる。
善き時間を過ごせました。
楽までお怪我無きよう・・。