満足度★★★
Fair is foul, and foul is fair: Hover through the fog and filthy air.
綺麗は醜い、醜いものは綺麗。
濃い霧と濁った空気のなかを飛んでいこう。
視覚のニギヤカさは、彷徨う、罪の重さに苦しむ二人を余計浮き出させる。
もがけば、絡まる疑念の糸、裏切る、信じる、騙す、夢見る、手を染めて、手に入れて、そこからの二人の「魂」の繋がり方が壮絶。
今回はダルカラード・ポップの塚越さん、東谷さんのご出演があり、初めてカクシンハンを観た。
今回お二人とも、とても素敵だった。
特に、塚越さんは、今作での立ち位置があまりにもセクシーでした。
初見の方が多かったのですが
河内大和さんの絶対的存在感と時折、愛らしい表情を浮かべる差の幅が大きく、凄かった。
後、目を引いた方が白倉裕二さん。
キーマン的な配役であるのも、勿論だが俳優としての
動きの多彩さ、かなり、初見だったが気になった。
「想像」をかき立たせる舞台美術。
パイプ椅子の使い方が面白かった。
ふと、子供の頃やった「ごっこ遊び」を想い出す。
でも、「みえてるもの」だけでなく、「みえていないもの」を
「みえるようにする」のが芝居の面白さだと、パイプ椅子が剣になり、
城壁となり、森の中になり、人になるのを見ながら思う。
そして、タイムトリップしてる様な1606年と2021年。今の世も、同じような事、「人間」はしているのだろうなと観ながら思う。古典ではない。時代は変わっても、「ヒトのココロ」は変らない。
劇中、段々と崩れ去る精神の中のマクベスと、夫人の寄り添う姿を見て『シド・アンド・ナンシー』が何故だが過った。設定も勿論異なるが、カクシンハンの「マクベス」を観ていると古典がそう見えない、なんか、尖っている切り口がみえた。
2時間半、途中休憩があり。物販でパンフレットがあったが、時間あれば上演前に読んでいると背景など予備知識が分り良いかも。
芝居自体は、面白く、刺激的で良かった。
ただ、恐らく出演者の知り合いであろう年配の女性4人組。私語はする。しかも、その知り合いの出演者が客席に降りてくる場面で手を振る。 余りにも、我慢しかねたので、注意させて貰った。