monzansiの観てきた!クチコミ一覧

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This Planet is Ours

This Planet is Ours

劇団だるい

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2014/09/13 (土) ~ 2014/09/15 (月)公演終了

お前ら全員、「コント師」になれ!




学園祭。薄暗い教室から漏れる、20代の「笑い声」。
ダンス・サークルが正門前のステージで「衆人」を相手に踊り狂う数十メートルに、その熱狂空間がある。


劇団だるい の「短編集」を二時間近く観劇して 残った感覚は それだった。つまり、「混沌」だ。

彼らは「社会人劇団」を自称するが、30代に迫りつつある年齢の人間が「青春現役中」なのである。しかも、驚くべきことに、その「技術」は「学園祭」ではなく、「マイナー」でもない。
彼らは青いまま成長していく「アスパラガス」だ。

もっとも、「企画説明」のコントには 「社会人」がみられ、どこか世間を醒めた目で観察し、「笑い化」する手法を発揮していた。

ネタバレBOX





「法廷」と「企画」のコントが爆笑だった。

前者は 離婚調停中の夫婦に、「応援団」がつくコントである。「高校野球」のアルプス・スタンドで球児に声援を送る「学ラン」を浮かべてもらえればわかると思うが、夫婦の当事者が証言する間に「応援」してしまうのだ。

法廷のシーンである。しかし、夫婦と「応援団」が別々
キスミー・イエローママ

キスミー・イエローママ

ゲンパビ

OFF OFFシアター(東京都)

2014/08/27 (水) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★

渋い。観客をリードしていくダンディズム





別の角度から観ていたことを告白しなければならない。出演するキャストのうち、公務員兼役者が1名いたのだが、その彼に「公務員」の役を与えていた。
しかも、職を投げ、「下院選挙」に立候補する「典型コース」だった。まあ、紆余曲折はあるのだが、彼の「演説」には白熱する「何かが起こるだろう」力を感じた。

「爽やかさ」をPRすれば区議選くらい当選しそう。現に彼が役所の窓口担当だったら 感想しか伝えないだろうが。




※追記あり




マナナン・マクリルの羅針盤

マナナン・マクリルの羅針盤

劇団ショウダウン

シアター風姿花伝(東京都)

2014/09/05 (金) ~ 2014/09/07 (日)公演終了

満足度★★★★

京都から やってきた芸達者
「ひとり芝居の概念」を拒絶している。「ひとり芝居の魅力」を引き出す演技をせず、それでいて、その「制約」を感じさせないディティールだったからである。
2014年『こども歌舞伎』(両国ホール)の千秋楽を観劇したのだが、主要演目【弁慶】で 台詞を飛ばした子役がいた。ステージ脇の師匠が小声のまま台詞の一行目だけを口ずさむ。助け舟だ。歌舞伎役者が記憶したのは「」だった。
一方、今回の「ひとり芝居」は 台詞と「モーション」を深く連携させていたように思う。これを「鈴木 奈々式」と呼ぶ。






そこに現れた、世界への「コンシェルジュ」は、少女であり お姉さん だった。年代が検討つかぬ。10代か、30代かも 本当に不明だったのである。(実年齢 は20代後半)



「海賊船」の一部甲板が 突き出す舞台。高級クラブの「カクテル」のような照明が、海だけではなく、中世の それを表現している。


この 冒険が「絵本」だったとしよう。ならば、海賊の争いを ただただ傍観する観客は 紙芝居に夢中になって帰宅を忘れる「幼児」にすぎない。
もちろん、単なる「こどもの城」ではなかった。物語はカリブ海の代名詞たる「冒険劇」なのだが、この「コンシェルジュ」は 読み聞かせをする者ではなかった。大人が 「幼児」以上にエンジョイできる 、立派なひとり芝居である。




日本人離れした感覚がある。『スターウォーズ』でいうC-3POのような「特別枠」とでもいえようか。いわば「正のキャラクター」(使い)である。


「冒険と疲れ」を供に追っていく ひとり芝居を ありがとう。







星灯り

星灯り

TEAM 6g

萬劇場(東京都)

2014/09/03 (水) ~ 2014/09/07 (日)公演終了

見上げれば、夜空に愛を

「観劇マナー」を守る人に。

終演後、女子グループが舞台と関係のないテーマについて感想を述べていた。「いびき」「携帯の着信音」「私語」についてだ。残念なことに“余韻”を語り合うのではない。このシーンは悲劇だった。世代差別する気はないが マナー違反者は「高齢者」に多いように思う。


序盤の会話劇は「不毛」だ。退屈である。また、「チャラい・カップル」と「不倫カップル」の人物描写が重なっており、この点も工夫が足りなかった。

ネタバレBOX


そして、回想シーンとしての夫婦間が「嫌悪」に なった謎が とうとう解決されない。前者が水道管から破裂した「余分」だとしよう。後者が貯水地に枯渇した「空白」である。


しかし、「夫婦のシグナル」を 、いわば その全編を通し、「ペンション」という不特定多数にしてアットホームな空間を「星空」で形成することに邁進していた。妻を失った「未亡人」(男性作家)ではなく、女子高校生の視点に観客と同化させていく脚本、演出。これが興味深い。
「させていく」と現在進行形としたのは、「未亡人」を“意図的”に喪失させた それだ。ペンション運営者に「思いの丈」を告白して以降、ほとんど”傍観者“だったではないか。忘れた役だった。まるで空気だ。ただ、彼の「ハート」が 舞台風景にも溶け、どこか観客と共同で「癒し」を求めていく。

十人十色の「星」(夫婦)が、「未亡人」へのシグナルだった。
YMCA~八巻モーターチアリーディングアクターズ~

YMCA~八巻モーターチアリーディングアクターズ~

空間製作社

萬劇場(東京都)

2014/08/27 (水) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★

『ウォーター ボーイズ』の「爽やか」を取り戻す





「このことを避けて通るわけにはいかない。子役の「チア」。
大人俳優完敗の「一流」だ。また、ミュージカルも、小劇場の歌唱では ないだろう。何もかもが実力派なのだ。
さすが指導者にレッスンを受けた「チア」だけあった。俳優が、(舞台安全上、アクロバットを披露するのではなく)“チアする喜び”を統一された動きでショーした。物足りないが 競技じみている。1979年に出生していた観客はビデオカセットが希少家電だった当時を憂愁の目でリンクしていく。そして、この昭和「黄金期」を経た「チア」の原動力が観客の「世代熱」を喚起し、俳優たちの
「ショー」と驚くべき大花火を形成する。
劇場は「熱狂」にあった。幻の
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だ」






ネタバレBOX






「チアリーディング」が どうして日本に普及しないか。この問いは「バレエ」に等しい。

「バレエ教室」が沖縄県から北海道まで数千校単位の運営を可能とする経済学は「親の欲」にある。では、そうした「裾野」が国民に親しまれる「バレエ文化」に貢献してきたかといえば嘘だ。
「一般公開」だというバレエ教室の発表会にインターネット経由で申し込んだら「受付で身分証を」の返信が。閉鎖的だ。東京シティバレエ団、谷桃子バレエ団がプロフェッショナルの第一人者であるが、「バレエ教室」は その「裾野」ではない。数が合わない。下部のローム層は親が娘(こ)に「女の子らしく」を導くためのアイテムだからだろう。

翻って「チアリーディング」は どうか。高校野球甲子園大会のスタンドに応援する君らがいた。各大学にサークルがある。全米チアリーディング強豪校の青春をミュージカル化した舞台が東急シアター・オーブにて開催されたばかりだ。いまや「国民文化」に寄与するスポーツかもしれない。
しかし、チアリーディングは「ビクトリー」の文化だ。東京都写真美術館の展示に この集団を「兵」にディフォルト化した映像作品が あった。連盟組織には申し訳ないが「ピュア・スポーツ」ではない。かといってテレビ番組の演出用の「娯楽」でもない。君は自由だ。ステージ上で羽ばたく。観客が手を叩く。そんな日が来てもいいと私は思っている。










終電車脱線す

終電車脱線す

劇団俳協

TACCS1179(東京都)

2014/08/27 (水) ~ 2014/08/28 (木)公演終了

町内一の辛口は文豪のために遺してある




全員、『劇団俳協』の「準劇団員」だという。
組織でいうところの「副社長」や「次長」のような肩書きだろうが、「劇団員」自体が大した地位のない名称であるから「平」を掘った「凹社員」だ。


実質「ショー・ケース」である。50分間の上演時間は高校演劇の地区大会において目安とされる1時間より短い。
青年座にも指摘できようが、研修生公演は脚本の選別が 「狂い」に矮小化する傾向があり、「感情表現至上主義」になってしまっている。
演技がそうだ。明らかに身体観と台詞が磁石のS極とN極のごとく「分離」している。
なぜ、研修生公演において、いわゆる「わざとらしい」に迎合する傾向があるのだろうか。こうした疑問を抱かせた脚本(ほん)が『終電車脱線す』だ。作・椎名麟三は1911年生まれ。安部公房と同列に並べられる「昭和の巨魁」であるが、そんな名小説家だろうが 関係ない。


「狂い」の連鎖反応は「ストレス」だった。終戦後2年間経た日本という「情報」が 物質的、精神的に破産した「私たち」を伝えたかったのかもしれない。手塚治虫の終戦漫画の目的だ。
だがしかし、「狂い」を出したところで そこに「個人史」はない。足りない。
役者の演技も表層で、「脚本」(ほん)の綻び とともにリアリティが欠如していた。要するに、「密室劇」の濃密空間に災害時の人間心理が織り出す「狂い」ではなく、社会情勢からの「狂い」に演出をシフトしたことが、決定打になったのでは。確かに「孤児」(みなしご、少年役を女性が演じる)は 後者の リアリズムだったのだろう。
しかし、どうも この常態化した「狂い」を「戯曲的だねえ」とは評価できないのである。








空 -SORA-

空 -SORA-

劇団ZAPPA

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2014/08/21 (木) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★

そうか。夢と歴史の中間にいたのだ




勝新太郎が スクリーンと時を超えて再び貫禄をみせた。

設定上は「勝海舟の父」である。が、一度でも彼を映画で鑑賞した世代は知っている。この男、澤田正俊は勝新太郎だと。


私は昨年、文化庁委託事業であるデジタル補正版『座頭一』(監督 黒澤明)シリーズを鑑賞した。「豪快さと情」を、あの巨体が背負っていた。
そして、いよいよ観客に現れたのは、 “この部分”だったのである。


「明治維新」の世を舞台化する『空 -SORA-』。徳川幕政体と諸藩連合の戦だ。日本人にとり、女がキティちゃんを好きなように普遍的材料だろう。ところが、驚くべきことに、薩長が江戸攻撃を企む前夜、しかも、「勝海舟親子」へヒューマン・フォーカスしたのであった。稀と言わざるをえない。


彼らは、観客を「興奮の渦」に招待し、戦乱の世の一員にしてるようだった。客席通路を幾度となく往復したのだ。突然、ライトアップされた数秒後には「侍」が真剣な顔つきで歩く。観客と「交流」する姿ではない。日本刀は まだ光っていない。


史実をお構いなしとする脚本を正当化していく、ファンタジーの新権威主義。「歴史ファン」は観るべきではないし、お勧めもしない。だが、「演劇ファン」を認めるなら、何度も足を運ばなければならない作品だ。

羅生門

羅生門

独騎の会

横浜にぎわい座・のげシャーレ(神奈川県)

2014/08/23 (土) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

「東西楽器」のハーモニーが独自の「流れ」に



24日のマチネは予備席が足りなくなる「満員御礼」だった。
大相撲の本場所において「満員御礼」の垂れ幕がかかることがあるが、実のところ国技館は9割程 埋まれば「満員」だ。「初日」や「千秋楽」は空席が目立っても そうらしい。


『羅生門』の役者と 力士を比較することはフェアではない。しかし、用意した、約100席だというパイプ椅子をしのぐ「観戦客」である。「立ち見客」も現れるが、誰一人 文句を言わず、ステージ上に鉄骨で形成された『羅生門』をひたすらに崇拝していた。
名実ともに「満員御礼」であった
(非常灯は消すべきだった)



※追記あり

Lenz~桜の中に隠れた烏~

Lenz~桜の中に隠れた烏~

RayNet

青山円形劇場(東京都)

2014/08/20 (水) ~ 2014/08/24 (日)公演終了

透明感のあるイケダンシですな
ゲネプロと初日を 連続で観劇しました。ゲネ終了時、担当者は「これから修正に入ります」と言っていましたが、両者を比較すると、「刷新」が妥当なニュアンスでしょう。

特に、オープニングを短縮化したように思います。また、舞台構造上、青山円形劇場の「位置」を試行錯誤しているようでした。本番はF列〜G列にかけ「円形」プラスαのステージを確保。
もっとも、ゲネプロの場合、写真撮影やビデオ撮影が入ったため、映像的に 奥側の「位置」にしたのかもしれません。


しかし、「刷新」と表現した訳は違います。「シーンの組み替え」です。

はつ恋

はつ恋

アーティストジャパン

カメリアホール(東京都)

2014/08/19 (火) ~ 2014/08/19 (火)公演終了

満足度★★★★

夢か現実か朗読か




「朗読劇力」が ある。
小説を読みふけった少女だ。
毛布の中のパラレル・ワールド。
月光や蛍の光のように、照明演出は繊細をきわめ、浮かぶ。モスクワ郊外の都市が1830年代のまま、それぞれの観客において再現していく。


長谷川あかりはテキストを句読点ごとに読んでいるようだった。そう強調するのは、彼女が「演技」していたためである。
21歳の令嬢を18歳の日本人少女が「語り継ぐ」わけだから およそナチュラルな演技だ。前者への「称賛」が 語り手への「真実」にも聴こえる。

だが、私が知る限り、長谷川は16歳の少年を弄ぶ趣味はない。インテリ階級の青年諸君を ペット化する豪快さはない。第一、女性に主張権のない封建社会だ。ロシア文学の虚構(憧れ)だろう。
「朗読劇」は 「わたし」の一人称であり、この内向性において、長谷川が演じる21歳の令嬢も、主人公である思春期少年の視線が注ぐ「像」が求められる。それが「初恋」相手なら ロシア一の女性だろう。

長谷川が「威圧感」の女王様と「清純」の21歳を冷静に分別し、時に惑わせたのは、この「像」狙いだと思う。


なお、『観たい!』に「若手の、若手による、若手のための朗読劇」と記したが、これは そうではなかった。












暁の風に夢笛響いて

暁の風に夢笛響いて

COTA-rs

萬劇場(東京都)

2014/08/15 (金) ~ 2014/08/17 (日)公演終了

満足度★★★★

友情が平和を築く政治劇
「政治劇」は ありふれている。西暦以前のギリシア悲劇を遡っても、「忠誠心」に個人の試練を描く点は現代と変わらない。ある意味「マンネリ化」だ。

それでも、泣いた。少年のピュア・ハートと国家、組織、集団、命令に揺れ動く諜報兵演じる、SADAである。

感心したこと。それは「テレビ番組」の専売特許でもある「リセット」を、 その「政治劇」へ随所に散りばめた演出だ。いわば「三枚目」を担うキャストがアルマルベスと岩政であった。SADAが「政治劇」の伝統だったとすれば、この2人は「モダン」だろう。明治の日本に「和洋折衷」が実現したように、若々しく、ナチュラルな役割分担と合成を果たしている。

「テレビ番組」における「リセット」は たしかに説得力ある笑いだったのだが、岩政に関しては時折「台詞の呪縛」にもはまっていた。「台詞」が目的になっていた。

ネタバレBOX

鷹取が「開戦阻止」に暗躍しなかったり、虎之介が獅子丸に「真実」を告げなかった脚本は合理性に欠けるストーリー展開だろう。しかし、SADAと「三枚目」、香央里ら子ども役の熱演が光っていた良さを忘れてはならない。
ひょっとして乱で舞ー

ひょっとして乱で舞ー

時々、かたつむり

小劇場 楽園(東京都)

2014/08/14 (木) ~ 2014/08/17 (日)公演終了

I am a who?

小劇場でしか、解明できない世の中がある。



「3Dプリンター」の市場化が すでに始まっている。肉体を立体スキャンし、コンピューターに取り込み、小さなフィギュアを造形する。その販売価格は一体数十万だという。
「ろくでなし子さん」のフィギュアなら購入客が殺到するだろう。
ところが、自分の肉体は洗面台に行くたび世話になる。
同サービスの利用者はリカちゃん人形と幸せな結婚生活でも送っているのだろうか。


『ひょっとして乱で舞ー』を観劇。大半の小劇場公演は「パフォーマンスが本編を邪魔」していた。踊りは基礎稽古の一部だが、小学生からヒップホップを自主的に学んだ若者や毎日スクールに通う生徒と比べ、「役者」が上など ありえるか。それは自己満足だ。

しかし、この常識を否定したのが『ひょっとして乱で舞ー』であった。「歩行動作」を機械的に表現するダンスは まことにスタイリッシュだ。必ずしも高い技術を要していないが、「科学文明と生命倫理」という本編のテーマを先駆けたのである。
「オープニング・パフォーマンス」または「アフター・パフォーマンス」ではなく、本編とリンクしていく「パフォーマンス」。見習う価値がある。





台詞を「新鮮」に聴く。これが できる役者陣だ。徹底した会話のリアリズムは仕草、目線、思考にり現れており、観客は まるでドトールにいる「他の」友人グループの話を聴かざるをえない状況に陥ったようだ。



※ネタバレ追記あり

山犬

山犬

OFFICE SHIKA

座・高円寺1(東京都)

2014/08/07 (木) ~ 2014/08/17 (日)公演終了

「欲」まみれの人間と動物






『劇団鹿殺し』を観劇すると、演劇が最先端のポップカルチャーではないかと錯覚してしまう。

舞台『山犬』はラップを吹き、ドラムを叩く専属楽団は出演しないが、ロボット・ダンスが とにかくスタイリッシュである。ステージ中央のウッド・ジャングルを、猿のように支配下に置いた その「身体性」。

「生の声」ではなく、「心の声」だ。スピーカを伝搬する。これでは「心の声」が主役に抜擢されそうだが、違う。
少人数のキャストを 「密室劇」に反映させるため脇役はいない(インドカリー調理師を除き)のだ。





祀(MATSURI)

祀(MATSURI)

劇団め組

吉祥寺シアター(東京都)

2014/08/01 (金) ~ 2014/08/03 (日)公演終了

満足度★★★★

鍛えよう!世間知らず力




『祀』は吉祥寺の森に住む「七福神」が題材だ。そして、千秋楽後、商店街のアーケードから 聴こえたのはもう一つの賑わう『祭』だった。

あれは幻想郷か。まるで宮沢賢治の童話世界であり、スタジオジブリの新作映画である。鬼色に光る提灯が均等を保ちながら整列する。その下、境内の砂利道では、町内会が加入率を取り戻そうと躍起だ。太鼓サウンドに連動したいわゆる「盆踊り」をエンドレスに感じるのは気のせいだろうか。


明治学院教授・原 武史さん の新著『知の訓練 日本にとって政治とは何か』が新潮新書より刊行された。世間的には無名に等しい学者だが、「解説書」ではない、キャンパスの「授業風景」を収録した同著を大手出版社が刊行したのである。「日本のサンデルだ…」。そう新潮社担当者が考えたのかは定かではないが、「白熱授業」のコピーを帯につけるほど「今イチオシの人物」だ。


私は 原 教授の講義を受けたことがある。法政大学・市ヶ谷キャンパスに 潜り込み、建築学科生を対象とする「空間政治学」の 実践理論を聴いたのだ。「ちょっと、寝てる奴、寝てる奴 がいるじゃないですか。もう少し、建築だけじゃなく、専門外の政治にも興味を持った方がいいですよ」
原 教授は 法政大学生の態度にプンプンだった。ただ、自ら団地組合の資料を集め分析したという「現場主義」で、新社会用語「団地コミューン」を一部に浸透させた学者だ。講義はおもしろしい。「団地から戦後の55年体制、ひいては米ソ冷戦までを包括的に理論化する」アプローチは異端児でもある。


原 教授が新著で明かした「知の再発見」は「祀=政」である日本原論だ。2012参院選だと環境新党が「選挙フェス」PR作戦を展開し、この国の議院内閣制を一言「まつりごと」に置き換えていた。このニュアンスは、朝廷による常備軍(国軍)廃止と期を一にして武家パワーが軍事的権力を手にする西暦800年以前のレジーム構造だろう。


前置きが長くなったが、劇団め組『祀』は七福神と江戸幕府の二重「まつりごと」を、その安定した演技で顕在化したように思う。




お正月の薄型テレビが茶の間に放送する『七福神』ではない。
茶髪だったり、凛々しかったり、カダフィ大佐のような「強面福神」もいる。しかし、パロディーでもない。
それは「幸せ」の仲間達だった。



※ネタバレ追記あり


ネタバレBOX


『祀』は武蔵野市への地域愛が ふんだんである。演劇界に議論を呼ぶ演出だろうが、セットの提灯に同市立地の地元業界組合や地元企業のネームが記載してあったのだ。スポンサー料が支払われる商業ライセンスである。
ROCK ON!!!~俺たちのイスタンブール~

ROCK ON!!!~俺たちのイスタンブール~

projectDREAMER

笹塚ファクトリー(東京都)

2014/07/30 (水) ~ 2014/08/03 (日)公演終了

2010参院選落選・庄野真世さん、これが『歌手』のあり方ですよ




多摩川河川敷のバーベキュー場を見学


男子大学生「よろしければ どうぞ。とっておきのカルビ肉が焼けましたので」


二子玉川マダム「 ありがと あそばせ」

男子大学生「リッチな御婦人方の お口に 合うか心配ですね。なにせスーパーの特売セール品ですから」

マダム「もぐもぐ………嘘でしょう(怒)」


男子大学生「これはこれは申し訳ありません !すぐに 他のお肉とお取替えいたします」


マダム「違うわよぉ。だって、『髙島屋地下食品売り場の1級神戸牛』と そう味が変わらないんだもの(怒)」


開場中、ホームレスというか、ヒッピー・ファッションの役者が名刺を配布していた。だが、この用紙は「白」であり、何ら印刷文字がない。

「名詞を書いてください。即興劇をします」


単語や話題の芸能人、好きな映画作品を 記すらしい。


私が 迷わず提出した「名詞」は
「佐村内 守」であった。


しかし、終盤にかけ「即興劇」コーナーが展開したものの、「マツコデラックス」や「ネイマール」といった「名詞」が爆笑を誘っただけで、耳の聴こえない元作曲家が再び劇場を騒然とさせることはなかった。別の方が「新垣 隆」を記し、それを採用(ランダム)していれば電撃的 「笹塚和解」だったのに。


セットは「音楽スタジオ」と「多摩川河川敷の草野球場」に分別。いずれも精巧派だから溶け込めない「違和感」が あった。
イケガオのボーカル・バンド同士が二子玉川と二子新地のような「花火」を散らす。タイトルにある「イスタンブール」も、多摩川を挟んだ「リッチ層」と「スラム層」がトルコ共和国の首都・イスタンブールの経済格差問題と共通する面があったからだという。
横浜市の 「みなとみらい地区」と「長者町地区」の「差」に比べれば 二子玉川とイスタンブールは まだ深刻ではない



※ネタバレ追記あり

狂喜乱舞~わらいや双六編~

狂喜乱舞~わらいや双六編~

外組

ザ・ポケット(東京都)

2014/07/30 (水) ~ 2014/08/03 (日)公演終了

満足度★★★★

熱っい木更津市の青春を、6人が「多演」する。有限力だ

応援団の学ラン服を洗濯したいか。それが、「青春時代」をめぐる個々人の立場を表す。

甲子園球場のカメラが放映する「青春フレーム」は、時に観戦席をズームし、猛暑だというのに学ラン姿で統一した男子高校生を紹介する。母校のスポーツ試合に熱風を送る「応援団」である。
君たちが「土ぼこり」なら、女子生徒によるチアリーディングは さながら「漂白剤」だろう。

さて、応援団の学ラン服は、創部当初の部長が着用していたものを代々「受け継ぐ」伝統が あるらしい。脱色防止のため、近所のコインランドリーに投入できない。「汚れ」が 勲章である。


応援団の学ラン服を洗濯したいか。この質問に、私は 富士山がなぜ世界自然遺産ではなく、世界文化遺産に登録されたのかを考慮しようと思う。



『外組』。前回公演において「3000人 集客できなければ劇団解散します」を公約に掲げた。政治家が「消費税引き上げません」公約を命を賭して反故にする世の中だから、たかだか6人衆の約束はインパクトであった。
浅草『アート•スクエア』にて観劇し、3000人の一人となっていた。


それで、本公演『わらいや~双六編~』であるが、「青春エナジー」とコメディ•エッセンスの融合に興奮してしまった。客演2名を含む6名の男優がカツラを被り、服を変え、性別を転換し役を演じる。

この「多演」が『外組』だ。

ネタバレBOX


木更津市に東京湾アクアラインが開通する直前の土地権利攻防に、やんちゃ水産高校生が渦中の栗を拾う。「木村」役の渋いパワフル演技は他を圧倒していた。
The Kaidan アルプス一万尺 Final

The Kaidan アルプス一万尺 Final

劇団 CAT MINT

シアターサンモール(東京都)

2014/07/30 (水) ~ 2014/08/03 (日)公演終了

かつてなかった短編集力



社員旅行先で怪談コンテストが始まった。




部長「私は一人暮らしなのだが、深夜寝ているとシャワーの音がするんだ」

女性課長「まあ怖い」


係長「それで、バスルームを覗き、本当に幽霊がいるか確かめたわけですね」


部長「いや、その必要はなかった。洗濯物いれに『白装束』がきちんと畳んで あったから」




係長「先日、15年前廃校になった商業高校の幽霊ツアーへ参加したんですよ。応募媒体はSNSの交流サイトで」

女性課長「まあ嫌だ」


係長「懐中電灯を照らしながら廊下を進んだのですが、いつのまにか参加者9人のうち8人がボワっと闇に消え、とうとう僕一人に…。まあ、理科室と音楽室の曲がり角で別方向にいったのかもしれませんが」


部長「君は不明者を探索したのか?」


係長「いえ。怖くなって近くのバス停まで移動し、速攻で帰宅しましたよ」


部長「待てよ…」


係長「はい?」


部長「それは他の参加者にとって恐ろし過ぎる『怪談噺』になってないか」






夏になると、蝋燭の炎が浮かぶ。

ブラウン管には稲川淳二が「怖いな、怖いな」を連呼する姿が映っており、そして、日本中の山小屋では「怪談噺」大会が毎夜開催される。

だが、演劇のジャンルにおいて、蝋燭の炎が劇場を揺らす機会は あまりなかった。



「アルプス•スタンド」のような絶壁ステージ。大勢の登場人物が「怪談噺」大会をしていく。蝋燭が残すとこ100本中10本となった時点から始まった舞台『アルプス一万尺』。

途中、たぶんにコメディだろう「ダラダラ感」があり、「怪談噺」を観に来ていた「聴衆」を完全に裏切った。ドラマ『世にも奇妙な物語』のように短編集である方がよかった。


また、映像作品を上映するのだが、これは非常に高画質かつ編集作業もプロフェッショナルだった。三流映画監督よりかは「コマ割り」もナチュラルな手法だ。



ネタバレBOX


個人的には こう思う。「アルプス•スタンド」下の「怪談噺」再現シーンにセンチメンタリズムの醍醐味があったと。ファンが集結したキャストは『ハロプロ』新垣だが、健やかな「歌声」を守り、会話劇を含む演劇部分とリンクしていく様子は高感度だ。
四人目の黒子

四人目の黒子

弘前劇場

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2014/07/25 (金) ~ 2014/07/27 (日)公演終了

黒子という「共同作業」に 私たちは確信的盲点を読む
「津軽選挙」を初めて聴く。ネットのニュース・サイトが信源であった。
青森県津軽市における公職選挙ならびに団体選挙で「札束」が飛び交う歴史が存在するらしく、それを土着性から説明したコピーだ。
「旧蝦夷地」を開拓した列島の端っこ、津軽。「よそ者」が力を有す背景が「津軽選挙」だというのだ。

たしかに、青森県は「東北エナジー」より、中央との繋がりがある新興県の印象が強い。寺山修司に代表される青森文化人は都会派だ。

海峡を隔てた北海道についても考えたい。ホワイト・フロンティア・北海道をユネスコ世界文化遺産に登録することは他の46都府県に比べ選考が厳しい。なぜなら、ロシアにとってのシベリアのごとく、そこは、南樺太まで延長する日本の開拓地だったからだ。つい15年前まで「北海道開発庁」が内閣府外局に設置されていたのも人間の手の付かぬインフラ整備途上であったことを裏付ける。

青森県は行政上、他の45府県と平等の広域行政体だが、 いわば北海道クラスの「中央従属県」だ。「札束」を頂とする「津軽選挙」が、「補助金漬け」の核廃棄物貯蔵施設建設に1%の影響もないわけない。




舞台『四人目の黒子』は東北劇団・「弘前劇場」が地元、東京、札幌をツアーする渾身作だ。
地方劇団の楽屋に「青森弁」が飛ぶ。“日常感”と「東アジア戦争の空気」が暗澹に合同していく。



戯曲段階では「良作」だったろう。ただし、実際に舞台化すれば、台詞の単調さとニヒリズムの「臭さ」は強烈である。「四人目の黒子」こと演出家「イヌカイ」が劇団員の証言により「立体視」されるが、それが付箋とはならず、「戦争の空気」を主題としているように思える。

ネタバレBOX



弘前劇場の若手俳優が「新人役」だ。他の役者が「関係」を完結しているなか、初心者俳優ならではの「ドキマギ」が、金魚鉢に新しい金魚を投入したような観察効果をもたらす。
グッドモーニング、アイスパーソン

グッドモーニング、アイスパーソン

天才劇団バカバッカ

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2014/07/24 (木) ~ 2014/07/27 (日)公演終了

多国籍空想科学ハートフル劇_未来人が教えた「尊重文化」
2005年、アニメ『ドラえもん』 の声優キャストが一斉交代した。「オレはジャイアーン♩ガキ大将〜♩」この唄で町内を戦慄させる剛田たけし君を引き継いだのは 5歳ほど年上の男子中学生だった。しかし、オリジナルの「白目が消えた」新生ジャイアンに、その「声」と 少年の「姿」が ぴったりだったと思う。木村 さん は声優業の傍ら、『天才劇団バカバッカ』を旗揚する。


今、『ドラえもん』がブームだ。大手自動車メーカーによる実写版CM、3Dアニメーション映画の今夏公開、そして虎ノ門ヒルズの「公式キャラクター・モデル」ともなった。何でも『虎エモン』らしい。『虎』を冠するだけあり、前身イエローだ。日本全国の どら焼屋さん の経営は“ドラノミクス”依存が当分の間続く。_


木村さんはドイツ人とのハーフだという。小さい頃から周囲の同級生と衝突することもあった。が、サッカー代表選手「オリバー・カーン」のテレビ映像に「ドイツの尊厳」を得た。インターナショナル・キャストが舞台の上で共演すれば、そこにあるのは「目の色」の特色、「違い」を歓迎していく「ダイナミズム」だ。ちょうど、木村さんがジャイアンの「白目」を超越していったように。



追記あり

夕-ゆう-

夕-ゆう-

タクフェス

サンシャイン劇場(東京都)

2014/07/03 (木) ~ 2014/07/21 (月)公演終了

爽やかで、しんみりする涙
法被を着れば、マッシュール・ヘアーの外国人も「にっぽん人」になっている。
1966年、英国の人気5人組バンド-ザ・ビートルズが、【JAL】ロゴ入り法被をまとい、羽田空港へ上陸した。初来日だった。そのハイライトは計5万人を動員した日本武道館におけるコンサートだろう。



あの熱狂から48年後。解散したビートルズの元リーダーにして、ロンドン五輪開会式にも美声を披露した歌手ポール・マッカートニーさんが、再び「法被」をまとい成田空港のタラップへ降り立った。 しかし、「感染症」で喉を痛めてしまったポール・マッカートニーさんは、チケット販売価格10万円という武道館コンサートを断念せざるをえなかった。


「法被」は1966年を象徴するファッションでもある。金髪ヘアーすらサーカス小屋のように珍しかった時代。ところが彼らの爆発的エネルギーと開放的なパフォーマンスは「岸和田だんじり祭り」の参加者だった。


問題なのは「法被」を着ると「熱病」まで発症してしまう点だ。「お祭り会場」の事故も頻繁に聞く。ポール・マッカートニーさんは今回の「ジャパン・ツアー」をリハーサルより熱心に取り組んでいたそうだが、出演者・ファン共々、「熱病」で健康管理が怠らないようにしたい。



さて、宅間孝行「タクフェス」第二段は『夕-ゆう-』である。前身「東京セレソン・デラックス」の再演ともいえる舞台で、内山理名、上原多香子ら実力派若手女優の他、南海キャンディーズ山崎静代など、バラエティ豊かな顔が揃った。


宅間孝行はアドリブ達人だ。上原多香子が男性俳優の局所に球を当ててしまい、あろうことか客席に背を向ける事態が。そこで宅間孝行はフォローする。「小さい声で“すいません”とか止めて」。
毎回の「お決まり」かもしれないが、 役者が窮地に、追い詰められていく「素の笑い」をショー化する達人だと思った。

また、「タモリ」とか、「矢沢永吉」とか、「愛川欣也・内海みどり」などの芸能人の名がやたらと登場するが、これは「業界的」だ。
そういえば徳井義実の脚本も「阿藤快」ワードを50以上 使っていた。ご本人が観劇したら「なんだかなあ~」だろう。


『夕-ゆう-』は「笑い」と「涙」がマーブルになっており、万人受けしそうだ。

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