終電車脱線す 公演情報 劇団俳協「終電車脱線す」の観てきた!クチコミとコメント

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    全員、『劇団俳協』の「準劇団員」だという。
    組織でいうところの「副社長」や「次長」のような肩書きだろうが、「劇団員」自体が大した地位のない名称であるから「平」を掘った「凹社員」だ。


    実質「ショー・ケース」である。50分間の上演時間は高校演劇の地区大会において目安とされる1時間より短い。
    青年座にも指摘できようが、研修生公演は脚本の選別が 「狂い」に矮小化する傾向があり、「感情表現至上主義」になってしまっている。
    演技がそうだ。明らかに身体観と台詞が磁石のS極とN極のごとく「分離」している。
    なぜ、研修生公演において、いわゆる「わざとらしい」に迎合する傾向があるのだろうか。こうした疑問を抱かせた脚本(ほん)が『終電車脱線す』だ。作・椎名麟三は1911年生まれ。安部公房と同列に並べられる「昭和の巨魁」であるが、そんな名小説家だろうが 関係ない。


    「狂い」の連鎖反応は「ストレス」だった。終戦後2年間経た日本という「情報」が 物質的、精神的に破産した「私たち」を伝えたかったのかもしれない。手塚治虫の終戦漫画の目的だ。
    だがしかし、「狂い」を出したところで そこに「個人史」はない。足りない。
    役者の演技も表層で、「脚本」(ほん)の綻び とともにリアリティが欠如していた。要するに、「密室劇」の濃密空間に災害時の人間心理が織り出す「狂い」ではなく、社会情勢からの「狂い」に演出をシフトしたことが、決定打になったのでは。確かに「孤児」(みなしご、少年役を女性が演じる)は 後者の リアリズムだったのだろう。
    しかし、どうも この常態化した「狂い」を「戯曲的だねえ」とは評価できないのである。








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    2014/08/28 00:49

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