満足度★★★
極限状況って分かってる?
一部、Wキャスト。Aチームを拝見。椎名 麟三の作品だが、時代設定は敗戦から2年後の1947年ということになる。山間で土砂崩れ等も起こる程の雨の後、鉄橋の手前でたった1両だけ稼働していた終電車車両が脱線事故を起こしてしまった。
町内一の辛口は文豪のために遺してある
全員、『劇団俳協』の「準劇団員」だという。
組織でいうところの「副社長」や「次長」のような肩書きだろうが、「劇団員」自体が大した地位のない名称であるから「平」を掘った「凹社員」だ。
実質「ショー・ケース」である。50分間の上演時間は高校演劇の地区大会において目安とされる1時間より短い。
青年座にも指摘できようが、研修生公演は脚本の選別が 「狂い」に矮小化する傾向があり、「感情表現至上主義」になってしまっている。
演技がそうだ。明らかに身体観と台詞が磁石のS極とN極のごとく「分離」している。
なぜ、研修生公演において、いわゆる「わざとらしい」に迎合する傾向があるのだろうか。こうした疑問を抱かせた脚本(ほん)が『終電車脱線す』だ。作・椎名麟三は1911年生まれ。安部公房と同列に並べられる「昭和の巨魁」であるが、そんな名小説家だろうが 関係ない。
「狂い」の連鎖反応は「ストレス」だった。終戦後2年間経た日本という「情報」が 物質的、精神的に破産した「私たち」を伝えたかったのかもしれない。手塚治虫の終戦漫画の目的だ。
だがしかし、「狂い」を出したところで そこに「個人史」はない。足りない。
役者の演技も表層で、「脚本」(ほん)の綻び とともにリアリティが欠如していた。要するに、「密室劇」の濃密空間に災害時の人間心理が織り出す「狂い」ではなく、社会情勢からの「狂い」に演出をシフトしたことが、決定打になったのでは。確かに「孤児」(みなしご、少年役を女性が演じる)は 後者の リアリズムだったのだろう。
しかし、どうも この常態化した「狂い」を「戯曲的だねえ」とは評価できないのである。
満足度★★★★
命の危険を感じるまで
予想もしない事故に遭遇した時の認識が変わっていく様子が面白い!
こういう状況では自分勝手な行動はろくなことがない。
上演時間50分と短いのが残念。観る側としては90分ぐらいの作品にしてほしかった。
満足度★★★★
面白い…それなのに無料だ
準劇団員公演…椎名麟三:作「終電車脱線す」は、見応えあった。
毎回、準劇団員公演は素晴らしく見逃せない。(Bチーム)
さて芝居の時代背景は、終戦から2年後の物資不足の頃である。
老朽化した終電車が山林で脱線し、乗っていた客と乗務員の心理状態…極限状況に直面した時の物語である。
人間の弱さ、脆さ、欲望、狂気が垣間見える作品である。
ただ少し気になることが…。
この秀逸な公演が”無料“というのだから驚きだ。(上演時間50分)