かつてなかった短編集力
社員旅行先で怪談コンテストが始まった。
部長「私は一人暮らしなのだが、深夜寝ているとシャワーの音がするんだ」
女性課長「まあ怖い」
係長「それで、バスルームを覗き、本当に幽霊がいるか確かめたわけですね」
部長「いや、その必要はなかった。洗濯物いれに『白装束』がきちんと畳んで あったから」
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係長「先日、15年前廃校になった商業高校の幽霊ツアーへ参加したんですよ。応募媒体はSNSの交流サイトで」
女性課長「まあ嫌だ」
係長「懐中電灯を照らしながら廊下を進んだのですが、いつのまにか参加者9人のうち8人がボワっと闇に消え、とうとう僕一人に…。まあ、理科室と音楽室の曲がり角で別方向にいったのかもしれませんが」
部長「君は不明者を探索したのか?」
係長「いえ。怖くなって近くのバス停まで移動し、速攻で帰宅しましたよ」
部長「待てよ…」
係長「はい?」
部長「それは他の参加者にとって恐ろし過ぎる『怪談噺』になってないか」
夏になると、蝋燭の炎が浮かぶ。
ブラウン管には稲川淳二が「怖いな、怖いな」を連呼する姿が映っており、そして、日本中の山小屋では「怪談噺」大会が毎夜開催される。
だが、演劇のジャンルにおいて、蝋燭の炎が劇場を揺らす機会は あまりなかった。
「アルプス•スタンド」のような絶壁ステージ。大勢の登場人物が「怪談噺」大会をしていく。蝋燭が残すとこ100本中10本となった時点から始まった舞台『アルプス一万尺』。
途中、たぶんにコメディだろう「ダラダラ感」があり、「怪談噺」を観に来ていた「聴衆」を完全に裏切った。ドラマ『世にも奇妙な物語』のように短編集である方がよかった。
また、映像作品を上映するのだが、これは非常に高画質かつ編集作業もプロフェッショナルだった。三流映画監督よりかは「コマ割り」もナチュラルな手法だ。