黒子という「共同作業」に 私たちは確信的盲点を読む
「津軽選挙」を初めて聴く。ネットのニュース・サイトが信源であった。
青森県津軽市における公職選挙ならびに団体選挙で「札束」が飛び交う歴史が存在するらしく、それを土着性から説明したコピーだ。
「旧蝦夷地」を開拓した列島の端っこ、津軽。「よそ者」が力を有す背景が「津軽選挙」だというのだ。
たしかに、青森県は「東北エナジー」より、中央との繋がりがある新興県の印象が強い。寺山修司に代表される青森文化人は都会派だ。
海峡を隔てた北海道についても考えたい。ホワイト・フロンティア・北海道をユネスコ世界文化遺産に登録することは他の46都府県に比べ選考が厳しい。なぜなら、ロシアにとってのシベリアのごとく、そこは、南樺太まで延長する日本の開拓地だったからだ。つい15年前まで「北海道開発庁」が内閣府外局に設置されていたのも人間の手の付かぬインフラ整備途上であったことを裏付ける。
青森県は行政上、他の45府県と平等の広域行政体だが、 いわば北海道クラスの「中央従属県」だ。「札束」を頂とする「津軽選挙」が、「補助金漬け」の核廃棄物貯蔵施設建設に1%の影響もないわけない。
舞台『四人目の黒子』は東北劇団・「弘前劇場」が地元、東京、札幌をツアーする渾身作だ。
地方劇団の楽屋に「青森弁」が飛ぶ。“日常感”と「東アジア戦争の空気」が暗澹に合同していく。
戯曲段階では「良作」だったろう。ただし、実際に舞台化すれば、台詞の単調さとニヒリズムの「臭さ」は強烈である。「四人目の黒子」こと演出家「イヌカイ」が劇団員の証言により「立体視」されるが、それが付箋とはならず、「戦争の空気」を主題としているように思える。