monzansiの観てきた!クチコミ一覧

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エデンの園

エデンの園

Performing Arts Theater Company GEKI-kisyuryuri

KISYURYURI THEATER(東京都)

2018/06/04 (月) ~ 2018/06/10 (日)公演終了

満足度★★★★




この国には「縁側」なる文化がある。
物理的に述べよう。「内」と「外」との「中間」だ。「内」のままに生活しつつ、同時に、草木や野鳥類など、「外」を取り入れる機能を有している。


劇場が そうだった。


モクモクとエナジーの充満する演劇的「内」において、たえまなく路上を行き交う「外」の音、それは、自動車の排ガスである。


劇場近くで 赤ちゃんをあやしていたのは もんぺ姿の外国人だったナ。あぁ、偉大にしてみずぼらしき姿。そして、集合団地では、毎日毎日ガキを叱りつける母親の怒声が響いている、「ハイツ」という近代的な名を戴いて。



前座に費やした本篇10分は その延長線に映ったのである。「縁側」で、男のおぶっているのは生気のかげりつつある白装束の女性。あんな「外」だったから怪談にしか映らない。

恋人か、それとも、師匠と弟子の関係なのか。

決定づけられた物語を 2人で辿るように、心が通じ合う。

端々に昭和の公務員臭。強烈だろう過去/心情と反比例する かすかな動きに、みいってしまう。


いやぁ、音響とかワンオペで切り盛りする劇団員も たいへんですネ。

『十年希望』

『十年希望』

きくち万ゴールディング

ワーサルシアター(東京都)

2019/02/06 (水) ~ 2019/02/11 (月)公演終了

満足度★★★★


フレッシュマンによる爽やかな青春追悼劇だったぜ。

前説は気に入らなかったけどよ。

だってさ、カーテンコールの拍手のリハーサルするなんて、前代未聞じゃん。

お笑いライブじゃないんだからさ。
余韻に浸りたい客だっているだろうよ、おい。

まお、それを任された俳優も気の毒といえば気の毒とは思うよ。




そうダメ出ししつつさ、これだけのキャストを よく集めたよね。
はっかり言おう。大したもんさ。

サッカーやってたようなイケメン俳優ばっかしだけど、種類の異なる面々もみうけられ、その面々がミソになるんだよな。



ビデオカメラ回して撮影する体でというのは「年次の比較」の仕掛けよ。ということは1年目は起点よ。徐々に変貌を遂げるんじゃなく、そことの比べものだったのさ。職業の自己紹介が長ったらしかったのにはワケがある。

まぁ、身振り手振りで「若さ」を演出したかったんだろうけど ちとオーバーだったかもね。



あったかい気持ちに させるのは事実よ。身内感がいい。良かった。うん。そうさ。大切な誰かに勧めたくなる舞台だよな。

ネタバレBOX


社長もさ、会社のオーナーみたいなもんだから部下に威張ってるわけで、数年ぶりに同窓会に来たら性格丸ごと変わるわけでは ないじゃん。部下には厳しく、周りには いそいそ する、片鱗を見せるっていう関係性の方向が欲しかったぜ。



ちなみに矯正施設の職員、制服が間違ってたな。
「長くつ下のピッピ」

「長くつ下のピッピ」

ドリームミュージカル

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2018/05/31 (木) ~ 2018/06/03 (日)公演終了

満足度★★★★





こどもたちが協力し、苦難を超えていく物語に好感を覚える。

立花プロダクションといえば老舗であり、その人材は、東宝ミュージカルなどの子役を輩出している。ヒョンなことで観劇する機会を得たが、覇道をいきつつもウェットな寄り道(笑い)を追求する、実に痛快な2時間だった。


もちろん、20人程度の子役が出演しており、その力はマチマチである。だからこそメイン級には それなりのキャストを配したようだ。訝しがったのは冒頭だ。主人公・ピッピと、秘書の「おサルさん」との話が妙に合わない。台詞が混線してしまかったかのようである。これについてはゲネプロをきちんとするべきだったのではないか、と思う。

そのように記しても、冒頭だけである。つまり、経過とともに両者の演技による「修復力」をみせつけられたのである。


ほか、華やかだったのが王子役のキャストだ。どこか風貌が若かりしころの草刈正雄に通じており、威風堂々としている。それなのに前髪をバンドで結びあげ額を露わにするなど、およそ三枚目というキャラクターを演じた。調べたところ、数々の舞台でステータスを積んだ立花プロダクションの看板役者(子役)とのことだった。歌と踊りにおいて牽引していた。(全体的に そこにかけるエナジーは程良くもあった)


衣装は、西洋風に統一すれば名作感を表現できたのではないかと思う。ピッピは別格としても、周囲の、カジュアルなストリートファッションは彼女の「異能」を対比する上でも邪魔だったはずだ。



気になったのは、保護者とみられる男性が終始、撮影していた点に尽きる。発表会ではなく、公演という形でお客さんに観て頂いているのだから、「晴れの舞台」であっても環境にリスペクトすべきである

キスミー・イエローママ

キスミー・イエローママ

ゲンパビ

OFF OFFシアター(東京都)

2014/08/27 (水) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★

渋い。観客をリードしていくダンディズム





別の角度から観ていたことを告白しなければならない。出演するキャストのうち、公務員兼役者が1名いたのだが、その彼に「公務員」の役を与えていた。
しかも、職を投げ、「下院選挙」に立候補する「典型コース」だった。まあ、紆余曲折はあるのだが、彼の「演説」には白熱する「何かが起こるだろう」力を感じた。

「爽やかさ」をPRすれば区議選くらい当選しそう。現に彼が役所の窓口担当だったら 感想しか伝えないだろうが。




※追記あり




広域指定集団雀組 第1幕『船出』

広域指定集団雀組 第1幕『船出』

雀組ホエールズ

ステージカフェ下北沢亭(東京都)

2016/02/18 (木) ~ 2016/02/21 (日)公演終了

満足度★★★★

キングオブコントいけるぜ。担いで女子校に浸入すんなよ(笑)







※広域指定集団って称するモンだから「神戸雀組」かと 思ってたけどね。「笑いに特化」したらしいのよ。70分のコント・ショーでしょう、これ。グリコのオマケよろしく、漫才、マジック、踊り、まで 付いてるんだぜ。おいおい、「神戸雀組」が目指してる未来を教えてほしいね。



※さすが下北沢界隈で地道に演劇活動を続けてきた団体だけは あった。ただし、口上はイマイチだわな。コントを拝見してもよ、作り込んだ「笑い」や フワフワの「アドリブ」が交錯してるわけよ。
俺からすれば口上こそ「アドリブ」で客を 沸かせなきゃいけないんじゃないの?『麻呂』のオジサンとかウズウズしてたぜ、たぶん



※木の妖精が扮した「ストリップ」は 例えようない趣味だよな。お笑い芸人で似たような奴がいるんだよ、実は。30歳過ぎのスッポンポンと「タライ」の組み合わせだぜ。宴会じゃねえんだからよって芸風を改変させてやりたかったんだけど、どうなのよ。俳優が その上いっちゃったぜ、おい。
だって、観客が「ガチだ、ヤベエ!」って 思わず しゃべっちゃったんだからよ「ストリップ」中に。男性が「ガチだ」て叫ぶんだから80パーセント、ガチだぜ。耳が真っ赤だったのが最前列の若い女性さ。
こういう世の中だし、コンプライアンス的な話、一応 お断りいれておくか。国外退去は やっぱし 「神戸雀組」にとってマズイからね。
「安心してください、ちゃんと履いてます」









YMCA~八巻モーターチアリーディングアクターズ~

YMCA~八巻モーターチアリーディングアクターズ~

空間製作社

萬劇場(東京都)

2014/08/27 (水) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★

『ウォーター ボーイズ』の「爽やか」を取り戻す





「このことを避けて通るわけにはいかない。子役の「チア」。
大人俳優完敗の「一流」だ。また、ミュージカルも、小劇場の歌唱では ないだろう。何もかもが実力派なのだ。
さすが指導者にレッスンを受けた「チア」だけあった。俳優が、(舞台安全上、アクロバットを披露するのではなく)“チアする喜び”を統一された動きでショーした。物足りないが 競技じみている。1979年に出生していた観客はビデオカセットが希少家電だった当時を憂愁の目でリンクしていく。そして、この昭和「黄金期」を経た「チア」の原動力が観客の「世代熱」を喚起し、俳優たちの
「ショー」と驚くべき大花火を形成する。
劇場は「熱狂」にあった。幻の
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」だ」






ネタバレBOX






「チアリーディング」が どうして日本に普及しないか。この問いは「バレエ」に等しい。

「バレエ教室」が沖縄県から北海道まで数千校単位の運営を可能とする経済学は「親の欲」にある。では、そうした「裾野」が国民に親しまれる「バレエ文化」に貢献してきたかといえば嘘だ。
「一般公開」だというバレエ教室の発表会にインターネット経由で申し込んだら「受付で身分証を」の返信が。閉鎖的だ。東京シティバレエ団、谷桃子バレエ団がプロフェッショナルの第一人者であるが、「バレエ教室」は その「裾野」ではない。数が合わない。下部のローム層は親が娘(こ)に「女の子らしく」を導くためのアイテムだからだろう。

翻って「チアリーディング」は どうか。高校野球甲子園大会のスタンドに応援する君らがいた。各大学にサークルがある。全米チアリーディング強豪校の青春をミュージカル化した舞台が東急シアター・オーブにて開催されたばかりだ。いまや「国民文化」に寄与するスポーツかもしれない。
しかし、チアリーディングは「ビクトリー」の文化だ。東京都写真美術館の展示に この集団を「兵」にディフォルト化した映像作品が あった。連盟組織には申し訳ないが「ピュア・スポーツ」ではない。かといってテレビ番組の演出用の「娯楽」でもない。君は自由だ。ステージ上で羽ばたく。観客が手を叩く。そんな日が来てもいいと私は思っている。










紅蓮、ふたたび

紅蓮、ふたたび

ACRAFT

笹塚ファクトリー(東京都)

2014/10/08 (水) ~ 2014/10/19 (日)公演終了

満足度★★★★

数年ぶりに感情移入できる「悪役」が現れた




「完成度」の高さである。

ロジックとイリュージョンの因数分解が世にいう「久保田マジック」だと定めよう。
彼は、主宰を務める『企画演劇集団ボクら団義』だけではなく、幅広い劇団とコラボする取り組みをみせているが、脚本数を重ねるごとにそれが魔術的に分解されていくのである。
竹石ら、座組のキャストを積極的に起用し、役者と脚本家両者が研鑽する好ましい循環をうみだしている。



今回の劇。殺陣のシーンが「鬼気迫る」ものだったと思う。 アニメーションを立体化した「2.5次元」のステージではない。
キャラクターの「背景」を しっくり描く一方、「殺陣」に その一連性はない。観客は、誰が負傷するか不詳だ。ちなみにこの感覚をラスト、展開面によっても再度、味わうことになる。これが「久保田マジック」である。

硝子の途

硝子の途

劇団ヨロタミ

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2015/09/25 (金) ~ 2015/09/28 (月)公演終了

満足度★★★★

ヨロしくおタのミもうしあげます
店員B「いやあ、歌あり、踊り あり、夢いっぱいの 2時間10分だったな」



店員A「おまえ、中澤さん から『今回はミュージカルは ない』と念 押されたろ!」



店員B「失礼しました」




店員A「さて、『劇団ヨロタミ』1年ぶりの本公演ですが、集団作業としてのブランクを微塵も感じさせない 舞台さばき 。これが 22回目の秘訣なのでしょうね。喫茶店マスター役の作・演出・坂本直季氏は奥の方から「少年犯罪、その後」を傍観する機会が 多かった。俺は、その 表情に 作り手の「感無量」が滲みでてると思ったけど」




店員B「うん。役者の 誰ひとり 現役高校生には みえなかった」




店員A「おまえ、表層的すぎるよ!」




店員B「松田聖子の セーラ服姿は事務所関係者が きっちり咎めるべきでした。いくら『聖子ちゃん』とは いえ、50代女性の常識、配慮というものが あって しかるべきです」




店員A「だから 何の話なんだよ!」




店員B「では、『少年犯罪』に ついて一言 述べさせて もらいますよ」





店員A「いいですよ」





店員B「今、小学生の暴力件数が 伸びていることが 文部科学省のデータで明らかに。
把握してるだけでも1万1468件」



店員A「人によって答えはバラバラだろうけど、地域のコミュニティが希薄だから かな」




店員B「いえ、いえ。
低学年の『暴力』は 防犯ブザー 効果てきめん だよね。
子どもは 子どもで いつ『加害者』になっても おかしくないってのにさ、ウチの子は『加害者』とは無縁だわ、ワタクチが心配するのは『被害者』になっちゃう、それに尽きるわ。はい?アホの戯言だぜ、まったく。

人様に迷惑を かける恐れも ある。
これがさ、世間の掟ってもんじゃん。
親は親で、仕方ない奴ばっか だよ、低学年の子もつ親はとくに。
『どうやって守るか』しか 案じないからさ。
スマホのGPS機能で居場所を 24時間 監視するわりには『どうやって世間を生きるか』の保護責任を放棄してるんですよ。
少子高齢化だから暴力件数の伸びは 実質2倍、3倍のペースだしね。
文科省は、中学校、高校の件数が鈍化してる、というか、グラフそのものは下がってきてます、とか いって詭弁をやめないけど、分母からしたら そりゃあ そうだろう、って話。
そのくせ、人工中絶率は いまやダントツの世界トップらしい。暗いよな、日本の未来は」
http://digital.asahi.com/sp/articles/ASH99560BH99UTIL02G.html



店員A「一言に しとけよ!」




店員B「もっと?」



店員A「いいよ、充分、充分」




店員B「『トンネルを抜ると、そこは雪国で あった』」



店員A「文字数 稼ごうと しなくていいよ、川端康成で!」





店員B「『エレベーターを抜けると、そこは劇団ヨロタミだった』」




店員A「文豪っぽく 語るんじゃねえ!舞台の感想まで いつに なったら辿り着くんだ!」




店員B「以下、ネタバレで」




店員A「いい加減にしろ!」




ネタバレBOX

工事中
マナナン・マクリルの羅針盤

マナナン・マクリルの羅針盤

劇団ショウダウン

シアター風姿花伝(東京都)

2014/09/05 (金) ~ 2014/09/07 (日)公演終了

満足度★★★★

京都から やってきた芸達者
「ひとり芝居の概念」を拒絶している。「ひとり芝居の魅力」を引き出す演技をせず、それでいて、その「制約」を感じさせないディティールだったからである。
2014年『こども歌舞伎』(両国ホール)の千秋楽を観劇したのだが、主要演目【弁慶】で 台詞を飛ばした子役がいた。ステージ脇の師匠が小声のまま台詞の一行目だけを口ずさむ。助け舟だ。歌舞伎役者が記憶したのは「」だった。
一方、今回の「ひとり芝居」は 台詞と「モーション」を深く連携させていたように思う。これを「鈴木 奈々式」と呼ぶ。






そこに現れた、世界への「コンシェルジュ」は、少女であり お姉さん だった。年代が検討つかぬ。10代か、30代かも 本当に不明だったのである。(実年齢 は20代後半)



「海賊船」の一部甲板が 突き出す舞台。高級クラブの「カクテル」のような照明が、海だけではなく、中世の それを表現している。


この 冒険が「絵本」だったとしよう。ならば、海賊の争いを ただただ傍観する観客は 紙芝居に夢中になって帰宅を忘れる「幼児」にすぎない。
もちろん、単なる「こどもの城」ではなかった。物語はカリブ海の代名詞たる「冒険劇」なのだが、この「コンシェルジュ」は 読み聞かせをする者ではなかった。大人が 「幼児」以上にエンジョイできる 、立派なひとり芝居である。




日本人離れした感覚がある。『スターウォーズ』でいうC-3POのような「特別枠」とでもいえようか。いわば「正のキャラクター」(使い)である。


「冒険と疲れ」を供に追っていく ひとり芝居を ありがとう。







暁の風に夢笛響いて

暁の風に夢笛響いて

COTA-rs

萬劇場(東京都)

2014/08/15 (金) ~ 2014/08/17 (日)公演終了

満足度★★★★

友情が平和を築く政治劇
「政治劇」は ありふれている。西暦以前のギリシア悲劇を遡っても、「忠誠心」に個人の試練を描く点は現代と変わらない。ある意味「マンネリ化」だ。

それでも、泣いた。少年のピュア・ハートと国家、組織、集団、命令に揺れ動く諜報兵演じる、SADAである。

感心したこと。それは「テレビ番組」の専売特許でもある「リセット」を、 その「政治劇」へ随所に散りばめた演出だ。いわば「三枚目」を担うキャストがアルマルベスと岩政であった。SADAが「政治劇」の伝統だったとすれば、この2人は「モダン」だろう。明治の日本に「和洋折衷」が実現したように、若々しく、ナチュラルな役割分担と合成を果たしている。

「テレビ番組」における「リセット」は たしかに説得力ある笑いだったのだが、岩政に関しては時折「台詞の呪縛」にもはまっていた。「台詞」が目的になっていた。

ネタバレBOX

鷹取が「開戦阻止」に暗躍しなかったり、虎之介が獅子丸に「真実」を告げなかった脚本は合理性に欠けるストーリー展開だろう。しかし、SADAと「三枚目」、香央里ら子ども役の熱演が光っていた良さを忘れてはならない。
狂喜乱舞~わらいや双六編~

狂喜乱舞~わらいや双六編~

外組

ザ・ポケット(東京都)

2014/07/30 (水) ~ 2014/08/03 (日)公演終了

満足度★★★★

熱っい木更津市の青春を、6人が「多演」する。有限力だ

応援団の学ラン服を洗濯したいか。それが、「青春時代」をめぐる個々人の立場を表す。

甲子園球場のカメラが放映する「青春フレーム」は、時に観戦席をズームし、猛暑だというのに学ラン姿で統一した男子高校生を紹介する。母校のスポーツ試合に熱風を送る「応援団」である。
君たちが「土ぼこり」なら、女子生徒によるチアリーディングは さながら「漂白剤」だろう。

さて、応援団の学ラン服は、創部当初の部長が着用していたものを代々「受け継ぐ」伝統が あるらしい。脱色防止のため、近所のコインランドリーに投入できない。「汚れ」が 勲章である。


応援団の学ラン服を洗濯したいか。この質問に、私は 富士山がなぜ世界自然遺産ではなく、世界文化遺産に登録されたのかを考慮しようと思う。



『外組』。前回公演において「3000人 集客できなければ劇団解散します」を公約に掲げた。政治家が「消費税引き上げません」公約を命を賭して反故にする世の中だから、たかだか6人衆の約束はインパクトであった。
浅草『アート•スクエア』にて観劇し、3000人の一人となっていた。


それで、本公演『わらいや~双六編~』であるが、「青春エナジー」とコメディ•エッセンスの融合に興奮してしまった。客演2名を含む6名の男優がカツラを被り、服を変え、性別を転換し役を演じる。

この「多演」が『外組』だ。

ネタバレBOX


木更津市に東京湾アクアラインが開通する直前の土地権利攻防に、やんちゃ水産高校生が渦中の栗を拾う。「木村」役の渋いパワフル演技は他を圧倒していた。
笑顔。(すまいる)

笑顔。(すまいる)

劇団光希

シアターKASSAI(東京都)

2017/09/06 (水) ~ 2017/09/10 (日)公演終了

満足度★★★★



満席だった。

幕を降ろした北池袋といえば日本有数の「ヤバい街」、であるが、開演前の その喧騒は巣鴨でもあった。


それもそのはずだった。


この回は座長・音無ミ弥の お友達が 見渡すかぎり集っていたからだ。

ある意味、アウェー…。




さて、 声援をうけたわけではないだろうが輝いていたのは音無と思う。

ネタバレBOX



「かわいさ」で 役柄を吹っ飛ばす。それでなお、認知症に向き合うシーンでは、老婆の 旋律、起伏を見事なまでに憑依させていったのである。シリアスと呼ぼう。しかし、センチメンタルなわけではないのは およそ これが喜劇だったからか。

先祖返りを つぶさに演じ切る、のだった。





前時代的役の棚橋歩は 関西人にしかみえない。方言を操るわけではないのだが、東京から小一時間の街には思えないのだ。それというのも、「親子喧嘩」が田舎じみていた、伊勢あたりかと思っていた…。
「親」は原妃とみ である…。





時系列で登場人物が再会する。ダレッとしがちな芝居を盛り立てようとする気概は さすがだ。そして、こうもいえる。地上波の「ホームドラマ」が次々幕を降ろすなか、わたしたちも また先祖返り「したい」のかもしれない。
歌姫、ネバーダイ!

歌姫、ネバーダイ!

ライオン・パーマ

上野ストアハウス(東京都)

2018/04/19 (木) ~ 2018/04/22 (日)公演終了

満足度★★★★





何処にでもいる、ごくありふれた、未来の家庭ー。

そろそろ夕食の時間だというのに、トートバッグを持って、出掛けようとしている「妹」。居間では、職人がたきの「父」が日曜大工さらながらに作業中だ。


「母」は 尋ねる。すると「妹」は ある本を誇示した。

そう、ここは、チカにとって、ごくありふれた、未来の家庭…なのだ。


「番外編」と銘打つだけに、今回はハードボイル・ファンタジーを より感じさせる内容だった。


多役!当て書きというか、仏教における応報ともなっているのだろう、それが 実にシニカルだと思った。

ハードボイルド・ファミリーのシラカワタカシも、リアルにライオン・パーマだ。

そうか、そうやって廻っていくのか。



春木の歌が絶対的にうるわしいから、もう、歌謡劇にしちゃおう。



空観

空観

ヒンドゥー五千回

座・高円寺2(東京都)

2018/04/25 (水) ~ 2018/04/26 (木)公演終了

満足度★★★★


日本ではないことは確かだ。
19世紀的装いの男女(民衆)が、私たちには理解しえない言語でやりとりしている。

イントネーションからいったら南米系(ポルトガル語)だと思う。だが、やや土着をも匂わせている。東南アジア系なのかもしれない。


こうした、「仮想の国」の、システマチックな共同体の中を、試験管を通して眺めるようである。

民衆が勤める工場、といったふうに描写は具体的だ。それは、討論のシーンにおける 沸き立つ発展途上性を合算して、よもや歴史の一部であるかのような錯覚を生じさせる。


「仮想の国」では、民衆が群れとなって牛となる。身体表現についても書きたい。システマチックな共同体の、もっとも「周縁」を生の人間が演ずるからだ。

現代舞踊だとは主張はしないところが これを特徴づける。


耳があるなら蒼に聞け ~龍馬と十四人の志士~

耳があるなら蒼に聞け ~龍馬と十四人の志士~

企画演劇集団ボクラ団義

ザ・ポケット(東京都)

2014/06/25 (水) ~ 2014/07/06 (日)公演終了

満足度★★★★

ここまで来たか「久保田マジック」
「幕末期」は一つの時代区分だが、「明治維新」後の国民だから「末」を定義できるのであって、渦中の志士は まさに「空白期」にいた。
この時代は150年先に至る日本の「礎」である。徳川幕府側の中心勢力・会津藩がプロセイン帝国に「軍事介入」を求める書簡を送付していたことが明らかになったが、鉄血宰相ビスマルクの「GO!」サイン次第により薩長連合は壊滅した かもしれない。そうなると「徳川 首相」だ。

2014年の今日においても徳川家の末裔は存命中。新党を結成して「お江戸維新」を達成する方が、多弱野党が「政権交代」を果たす よりはるかに現実味があるように思えてならない。
これは「ジョーク」だ。
しかし、戦後デモクラシーを有名無実化しうる、日本社会の本質をついた「ジョーク」である。

なぜなら「西南戦争」「戊辰戦争」は国家機構をめぐる政治パワー・バランスの決定打だったからだ。
山口県が総理大臣を「8人」輩出している ことに「長州閥」が関わっている説がある。「桂小五郎」の名をあげれば異論を挟む人はいない。
アメリカ合衆国においても「南北戦争」後、しばらくは北部州に基盤をもつ「共和党支配」が続いた。民主党も 主に南部派が分裂した政党だ。また、「ベルリンの壁」崩壊後、統一したドイツ連邦の首相に東ドイツ出身者が就任するまで16年の歳月を要した。

「吸収域帯」は政治パワーを削ぎ落とされる宿命にある。





私は「久保田マジック」をバカにしていた。「していた」という過去形である。つまり、 久保田が魅せる「ロジックと幻想」の魔法の粉に かかってしまったのである。

「これぞ、ボク団流 時代劇」。坂本龍馬が斬られた「近江屋事件」を事件サスペンスの手法で再構成するシーンの連鎖は『嘘ツキたちの唄』に近い。

沖野の坂本龍馬、三田寺の千葉 貞、大神の中岡慎太郎。いずれも「幕末」に生きた日本人の「情念」みたいなものを、独特なニュアンスで演技していた。
ダンスや殺陣を取り入れエンターテイメントも志向するが、「時代劇」として申し分のない完成度だ。

ネタバレBOX

私は、「久保田マジック」のうち、「ロジック」は甘いなと日頃から考えているが、氏は次の総括をした。「歴史学者なんかから言わせると 多分否定されると思いますが、舞台とか物語はこれでもいいのではないかなと思っています」。

たしかに坂本龍馬が死亡した、あの日の京都に渦巻いていた「幕末志士」の行動記録は別にあるのだろう。
しかしながら、新撰組、京都見廻組、長州藩、土佐藩、薩摩藩、徳川幕府の「権力図」は 歴史学者の「上」を行っている。
中岡慎太郎の叫び声に「裏の明治維新」を肌で感じずにはいられなかったのである。そして、チーム・ワークも さることながら、各組織内に「主役」が立派にいる。
「主役」と「主役」が歴史教科書を作成する。「脇役」など いないのである。


今日の日本の政治は「未完」であるとしたラストの字幕。
この一言が 「坂本龍馬の斬られた近江家事件」、その舞台化を意義深いものとした。
空 -SORA-

空 -SORA-

劇団ZAPPA

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2014/08/21 (木) ~ 2014/08/31 (日)公演終了

満足度★★★★

そうか。夢と歴史の中間にいたのだ




勝新太郎が スクリーンと時を超えて再び貫禄をみせた。

設定上は「勝海舟の父」である。が、一度でも彼を映画で鑑賞した世代は知っている。この男、澤田正俊は勝新太郎だと。


私は昨年、文化庁委託事業であるデジタル補正版『座頭一』(監督 黒澤明)シリーズを鑑賞した。「豪快さと情」を、あの巨体が背負っていた。
そして、いよいよ観客に現れたのは、 “この部分”だったのである。


「明治維新」の世を舞台化する『空 -SORA-』。徳川幕政体と諸藩連合の戦だ。日本人にとり、女がキティちゃんを好きなように普遍的材料だろう。ところが、驚くべきことに、薩長が江戸攻撃を企む前夜、しかも、「勝海舟親子」へヒューマン・フォーカスしたのであった。稀と言わざるをえない。


彼らは、観客を「興奮の渦」に招待し、戦乱の世の一員にしてるようだった。客席通路を幾度となく往復したのだ。突然、ライトアップされた数秒後には「侍」が真剣な顔つきで歩く。観客と「交流」する姿ではない。日本刀は まだ光っていない。


史実をお構いなしとする脚本を正当化していく、ファンタジーの新権威主義。「歴史ファン」は観るべきではないし、お勧めもしない。だが、「演劇ファン」を認めるなら、何度も足を運ばなければならない作品だ。

はつ恋

はつ恋

アーティストジャパン

カメリアホール(東京都)

2014/08/19 (火) ~ 2014/08/19 (火)公演終了

満足度★★★★

夢か現実か朗読か




「朗読劇力」が ある。
小説を読みふけった少女だ。
毛布の中のパラレル・ワールド。
月光や蛍の光のように、照明演出は繊細をきわめ、浮かぶ。モスクワ郊外の都市が1830年代のまま、それぞれの観客において再現していく。


長谷川あかりはテキストを句読点ごとに読んでいるようだった。そう強調するのは、彼女が「演技」していたためである。
21歳の令嬢を18歳の日本人少女が「語り継ぐ」わけだから およそナチュラルな演技だ。前者への「称賛」が 語り手への「真実」にも聴こえる。

だが、私が知る限り、長谷川は16歳の少年を弄ぶ趣味はない。インテリ階級の青年諸君を ペット化する豪快さはない。第一、女性に主張権のない封建社会だ。ロシア文学の虚構(憧れ)だろう。
「朗読劇」は 「わたし」の一人称であり、この内向性において、長谷川が演じる21歳の令嬢も、主人公である思春期少年の視線が注ぐ「像」が求められる。それが「初恋」相手なら ロシア一の女性だろう。

長谷川が「威圧感」の女王様と「清純」の21歳を冷静に分別し、時に惑わせたのは、この「像」狙いだと思う。


なお、『観たい!』に「若手の、若手による、若手のための朗読劇」と記したが、これは そうではなかった。












【上演延期】【振替イベント詳細決定しました】月がとっても睨むから

【上演延期】【振替イベント詳細決定しました】月がとっても睨むから

Mrs.fictions

駅前劇場(東京都)

2018/08/17 (金) ~ 2018/08/20 (月)公演終了

満足度★★★★



あくなき追求心とは このことを呼ぶのだろう。商業利害のための規範とは一線を画す、反大人の事情主義は いまや彼らを指すのである。

はっきりいってハコ代かかるよ。それもさ、ふつのう公演より乗せられているはず。それはこの劇場で公演を打てる歓待税のようなものか。


テキトーにホン書き上げて観客の前に披露するってのもあったろうに。


だがしかし、暴風雨を顧みず、休止せず、振替上演のスタイルで生き様を晒すのはさ、見事でしかない。


日数が ぜんぜん しょぼくれており、短編集のうち いくつかはリーディング形式となっている。

一話目の怪獣ドラマは知的でカタルシスをも感じさせる。やってみた!を倍数で足していって、実数値では 驚くべきことに なってるのに、妙なリアリティでエコノミックヒューマンドラマとして観れる この感じ。

全話 どことない内省的情景美が、主宰の心境を映しているようであった。
コミカルな会話劇に意味をもたらしている。

サラエヴォの黒い手【ご来場ありがとうございました!!】

サラエヴォの黒い手【ご来場ありがとうございました!!】

劇団チョコレートケーキ

駅前劇場(東京都)

2014/06/11 (水) ~ 2014/06/15 (日)公演終了

満足度★★★★

静かな台詞にも、地球規模のダイナミズムを感じる…
1914年に実在した「人々」が100年後、劇場にいる私たちを再び身震いさせる。


「サラエヴォ事件」は人類史上初の全面戦争となる、あの第一次世界大戦を誘発したセンセーショナルな出来事だ。今脚光を浴びる社会派『劇団チョコレートケーキ』。青年ボスニア、セルビア軍「黒手組」が関与していく、事件までの足跡を硬派な演技で示す。


青年ボスニア生存メンバー2名が「語り手」。時代は「ユースゴスラビア社会主義共和国連邦」である。1980年代のボスニア深夜に、歴史を変えた「思い出話」が咲く。さすがに2014年だと100歳を上回る御年齢だから それは そうだろう。


この「モザイク国家」は1990年代の「コソボ紛争」を経て、今は もう世界地図にない。【大袈裟に言えば、20世紀の人類の抱えた問題の基を辿ると、大体がこの戦争(※第一次世界大戦)の時期に行き着くのです。】という古川 健の分析は正しい。 なぜなら、オーストラリア・ハンガリー二重帝国の継承者が6月28日に倒れなければ、「ユースゴスラビア社会主義共和国連邦」成立も、その後の「コソボ紛争」も、AP通信は配信する必要などなかったからである。

かつての「ユースゴスラビア社会主義共和国連邦」は優等生国家だった。非同盟運動の指導者。非同盟諸国首脳会議の議長を連邦崩壊まで長らく務めた。1984年にはサラエボ冬季五輪を開催する。スロベニア共和国を中心に軽工業が発展し、市民生活は西側に迫る水準だった。首都ベオグラードはセルビア共和国。

「コソボ紛争」は いわばクロアチ対セルビアの戦争である。クロアチア人はカトリック系。対するセルビア人はスラブ系(東方正教)だ。
経済先進地帯の「クロアチア」が、ベオグラードに住むセルビア人官僚の支配する連邦政府から その財源を「取り戻す」ことが連邦離脱宣言の背景だったとされる。
80年以降、国家元首である「最高幹部会」議長は 6構成共和国の輪番制であった。こうした「社会工学」的なシステムは築くが、あっさり崩壊したニュースは記憶に新しい。

連邦軍のセルビア人部隊化。崩壊過程では 軍組織がミロシェヴィッチの「セルビア軍」に寝返った。しかしながら、どうしてクロアチア政府が 一ヶ月ほどの急しのぎで造った軍が、連邦軍(セルビア軍)に「抵抗」できる軍事プレゼンスを保有しえたか。

それは、ハンガリー経由で、大量の武器がクロアチア共和国内に持ち込まれたためである。クロアチア系が 一定数おり、文化的につながりの深い、統一ドイツ・ゲンシャー外相がイニシアチブを発揮した国際社会も「スラブ系」のロシアを除けば「クロアチア支援」の世論でまとまりつつあった。

もう一度、「サラエヴォ事件」時、1914年のバルカン関係を整理する。


セルビア+ロシア対オーストラリア・ハンガリー二重帝国+ドイツが当初の戦争当事者だった。すなわち、フランス、英国の動向こそ違うが、90年代から続いた「コソボ紛争」「ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦」と等しい関係なのである。


古川の「大体は この戦争の時期に行き着くのです。」は正しい。




追記あり

ルーシアの妹

ルーシアの妹

ライオン・パーマ

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2014/05/15 (木) ~ 2014/05/18 (日)公演終了

満足度★★★★

絶妙な采配で笑わせる、RPG系 イチゴ大福
前説で登場した加藤 岳仁が、「しばらく時間が ございますので、本番中に携帯電話が鳴ったらどうなるか、をコントにしたいと思います」を提案し、即興設定の それは始まった。


加藤 岳仁は どうやら本編においても、「この国のエンターテイメントを支える人間」らしい。
シンドバッド『千夜一夜物語』とは違うが、前説を担当したリアル・タイムの男性、つまり部外者が「架空の王国」という絵本を訪ねるかのような冒険はエキサイティングである。



翻訳劇の文語体はシックであり、ルーシア役の前田 無有子は そのアクセントに完全に順応していたように思える。『ライオン・パーマ』のコミカルなアクションは言うまでもない。

「大福」という古臭い和菓子が、「イチゴ」というフレッシュな果物を内包する形状であろうか。そう、「イチゴ大福」だ。


RPG(原作はない)ではある。しかし、セットは簡素。観客も「落語シチュエーション力」をフル稼働しなければ、この『ルーシアの妹』は 小規模だ。


役者を一人挙げよう。それはアリ役の柳瀬 晴日である。彼女のことは3年前から存じ上げている。多摩美術大学在学中は『宗教劇団ピャー!!』に所属、相当 スキャンダラスな役(本人役、というか台詞があったのかさえ不明だが…)も演じた。

『ルーシアの妹』では少女アリを、明るく、内面的に、あっさりと演技する、アン・セパレーションであった。


私は思う。


柳瀬はアフレコに適任だと。

アキバ系・アニメーションは もちろんのこと、洋画の吹き替えにも ふさわしい独特な美声だ。

LIVE活動も するそうだが、柳瀬はアフレコ声優に推薦できる人物である。

ネタバレBOX

「世の中、正義だけでは回らない。その“ひずみ”の役割が◯家だとは 思ってはくれないだろうか」


文語体をディフォルト化するのではなく、そこに『ルーシアの妹』のメッセージを集約し、「寝技」(田原総一郎 命名)政治哲学すら肯定してしまう正直さには好感をもった。


私はピクニックの場面が「イチゴ」の赤い果肉だったと考える。


グッドマン司令官(橘本 一郎)「ふざけた顔をするな!」


アントーニオ(加藤 岳仁)「あの、これがふざけた顔なら、これから ずっと ふざけた顔なるんですけど…」


グッドマン司令官「はっはっは、ジョークだよジョーク。はっはっは」



観客は「前説シンドバッド」加藤の側にたつ。「特殊部隊」というコミュニティ内で奮闘する、その「異文化」は、笑の宝庫である。


このギャップは「イチゴ大福」のそれなりに合う感覚と同じだ。

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