耳があるなら蒼に聞け ~龍馬と十四人の志士~ 公演情報 企画演劇集団ボクラ団義「耳があるなら蒼に聞け ~龍馬と十四人の志士~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ここまで来たか「久保田マジック」
    「幕末期」は一つの時代区分だが、「明治維新」後の国民だから「末」を定義できるのであって、渦中の志士は まさに「空白期」にいた。
    この時代は150年先に至る日本の「礎」である。徳川幕府側の中心勢力・会津藩がプロセイン帝国に「軍事介入」を求める書簡を送付していたことが明らかになったが、鉄血宰相ビスマルクの「GO!」サイン次第により薩長連合は壊滅した かもしれない。そうなると「徳川 首相」だ。

    2014年の今日においても徳川家の末裔は存命中。新党を結成して「お江戸維新」を達成する方が、多弱野党が「政権交代」を果たす よりはるかに現実味があるように思えてならない。
    これは「ジョーク」だ。
    しかし、戦後デモクラシーを有名無実化しうる、日本社会の本質をついた「ジョーク」である。

    なぜなら「西南戦争」「戊辰戦争」は国家機構をめぐる政治パワー・バランスの決定打だったからだ。
    山口県が総理大臣を「8人」輩出している ことに「長州閥」が関わっている説がある。「桂小五郎」の名をあげれば異論を挟む人はいない。
    アメリカ合衆国においても「南北戦争」後、しばらくは北部州に基盤をもつ「共和党支配」が続いた。民主党も 主に南部派が分裂した政党だ。また、「ベルリンの壁」崩壊後、統一したドイツ連邦の首相に東ドイツ出身者が就任するまで16年の歳月を要した。

    「吸収域帯」は政治パワーを削ぎ落とされる宿命にある。





    私は「久保田マジック」をバカにしていた。「していた」という過去形である。つまり、 久保田が魅せる「ロジックと幻想」の魔法の粉に かかってしまったのである。

    「これぞ、ボク団流 時代劇」。坂本龍馬が斬られた「近江屋事件」を事件サスペンスの手法で再構成するシーンの連鎖は『嘘ツキたちの唄』に近い。

    沖野の坂本龍馬、三田寺の千葉 貞、大神の中岡慎太郎。いずれも「幕末」に生きた日本人の「情念」みたいなものを、独特なニュアンスで演技していた。
    ダンスや殺陣を取り入れエンターテイメントも志向するが、「時代劇」として申し分のない完成度だ。

    ネタバレBOX

    私は、「久保田マジック」のうち、「ロジック」は甘いなと日頃から考えているが、氏は次の総括をした。「歴史学者なんかから言わせると 多分否定されると思いますが、舞台とか物語はこれでもいいのではないかなと思っています」。

    たしかに坂本龍馬が死亡した、あの日の京都に渦巻いていた「幕末志士」の行動記録は別にあるのだろう。
    しかしながら、新撰組、京都見廻組、長州藩、土佐藩、薩摩藩、徳川幕府の「権力図」は 歴史学者の「上」を行っている。
    中岡慎太郎の叫び声に「裏の明治維新」を肌で感じずにはいられなかったのである。そして、チーム・ワークも さることながら、各組織内に「主役」が立派にいる。
    「主役」と「主役」が歴史教科書を作成する。「脇役」など いないのである。


    今日の日本の政治は「未完」であるとしたラストの字幕。
    この一言が 「坂本龍馬の斬られた近江家事件」、その舞台化を意義深いものとした。

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    2014/07/03 01:30

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