りいちろの観てきた!クチコミ一覧

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チビルダ ミチルダ

チビルダ ミチルダ

康本雅子

アサヒ・アートスクエア(東京都)

2008/03/13 (木) ~ 2008/03/16 (日)公演終了

満足度★★★★★

とにかく楽しい
切れがあるだけではなく、伸びやかで艶やかで・・・。

熱く、あるいはシリアスな表現もたくさんあるのだが、それをまっすぐに感じられることを含めて、とにかく楽しかったです。

終わってすごく満たされたパフォーマンスでした。

THE BEE

THE BEE

NODA・MAP

シアタートラム(東京都)

2007/06/22 (金) ~ 2007/07/29 (日)公演終了

満足度★★★★★

同じ内容からことなるニュアンス
日本版に続いてロンドン版をみました。

まったく同じ戯曲なのに、ニュアンスが若干ちがうのが興味深い。

まあ、観ていてただではすまない芝居でしたが、日本版とあわせてみていると同じ横顔も右からと左からではかなり違うように、観た感じがかなり違っていておもしろかった。

どちらにしてもありえないほど演劇的なレベルは高いとはおもいましたが、どちらがすきかといわれると日本語版のほうが若干好きかもしれません

ネタバレBOX

野田氏の女装があまりにもナチュラルでびっくり。

物語にあたりまえに存在できる力を有していたと思います
In The PLAYROOM

In The PLAYROOM

DART’S

ギャラリーLE DECO(東京都)

2009/12/01 (火) ~ 2009/12/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

圧倒的な面白さ
べたな言い方ですが
本当に面白かったです

巧みな導入部分に惹きこまれ
その空間に閉じ込められて・・・。

ほんと、もう、観る側をがっつりと凌駕する物語の展開に
我を忘れて見入ってしまいました。

ネタバレBOX

導入の部分がまず秀逸。

連作の推理小説の最新刊、
読みふける読者たちにメッセージがはさみこまれていて。
一度でも時間を忘れて物語を追ったことがあれば
その気持が本当によくわかる。
舞台の導入部にしなやかに間口が開かれて違和感がないのです。

集められた読者たち、
ゲームのルールが明らかになっていくときのわくわく感に始まって、
そのゲームと現実のリンクの緻密さ、
さらに物語が現実を食べ始めるような緊張感が
観る者をぐいぐいと釘づけにしていきます。
ベストセラーの推理小説という前提が鮮やかに具現化されて、
当日パンフの言葉に偽りなし、
気がつけば観客が「この、ストーリーから、逃げることは、許されない・・・」
状態になっている。

観客に配られた地図、緻密で流動的で有無を言わせない物語展開、
閉塞したその場所に凝縮される、街全体に広がった恐怖。
ルールは必ず守るという部分が底辺をかため
限られた外枠の時間と、移動の距離や所要時間のリアリティが
物語に捉われた観る側のグルーブ感を
したたかに膨らませていく。

しかも、それだけでも出色の展開なのに、
物語が現実を食べつくしても舞台は終わらないのです。
さらに突き抜けて、走る中で観客に生まれた物語の澱までも
見事に一掃してしまいます。
ほんと、最後まで妥協なく突っ張りぬいてくれる。
終わりの世界観がじわっと観る側を包み込んで・・・。

役者たちも本当によくて、個々のキャラクターが
強く深く観る側に伝わってきます。
それぞれの色が観客に体感的に見えることで
物語の展開から淀みが消えていく。
しかも、舞台にグルーブ感が醸しだされても、
いたずらに走らせることなく
その感覚を広げていく着実さがあって、
だから、観る側は最後まで物語に寄り添っていける。

観終わって、走り抜けたような感覚に満たされて。
極上の推理小説を一気に読み上げて、
すべてが腑に落ちたような満足感。
なかなかこんな舞台に巡り合えるものではありません。

ちょいと奇跡のような、極上のエンタティメントに巡り合った感じ。
がっつりと楽しませていただきました。






TorinGi(トリンギ)「捨てる。」

TorinGi(トリンギ)「捨てる。」

feblaboプロデュース

エビス駅前バー(東京都)

2009/09/19 (土) ~ 2009/09/22 (火)公演終了

満足度★★★★★

幾重にも重なって
バーの雰囲気や
お酒の存在に
したたかに血縁の距離感を重ねて・・・・。

血のつながりが触媒のようになって
キャラクターが抱える思いが
幾重にもほどけていくのが圧巻。

またエピソードを包括する仕掛けのうまさにも
瞠目しました。

ネタバレBOX

こじゃれたバーを訪れた
3組の客の会話劇。

血縁をもった者通しの会話ということで
そこには他人とは異なった愛憎が含まれて・・・。

しかもバーという場所柄、
他の客もいて、でもお酒も入るということで
キャラクター達の想いが遠回りに滲みだし、
やがて常ならぬほどに溢れだすのが
すごくナチュラルに感じられるのです。

脚本がすごくよくて・・・。

からくり仕掛けのように
それぞれの想いが
さらに相手の想いを引き出しながら
積み重なっていきます。
時にはバーという場所が作る箍が
外れかけるほどに・・・。

でも、どれほど互いの思いが交錯しても
血が、何かをつなぎとめている。
捨てきれない、あるいは
切っても切りきれない糸の
質感の表現がほんとうにしなやかで・・・。

役者たちのお芝居にも
がっつりと観客を血縁感覚の内側に引きずり込む力があって。
一方で、冒頭から居つづけのバーテンや客が作りだす視線で
観客にも物語を俯瞰させるような視野を持たせた演出も
とても効果的でした。
彼らの存在には血縁の内側の視点では観客に見えないものを
すっと浮かび上がらせる力があって。
しかも彼らの存在があるから
舞台からやってくる想いの高まりが、
観客を凌駕してしまうのではなく、
バーの雰囲気に染められて
観客に入り込んでいくのです。
見る側にゆっくりとやってきてくれるからこそ
理解できる感覚がまちがいなくあって。

バーの雰囲気を断ち切ることなく
エピソードを重ねていくそのやり方も
実にしたたか・・・。

ちょいと事情があってジンジャエールをたしなみながらの観劇でしたが
心地よく、深く、ちょっとウェットな感覚でバーの雰囲気に浸りこんで、
たっぷりと物語を味わうことができました。

こういう作りこみの舞台、個人的には大好きです。







リフラブレイン

リフラブレイン

MCR

駅前劇場(東京都)

2009/10/29 (木) ~ 2009/11/03 (火)公演終了

満足度★★★★★

沁み入るどうしようもなさの先
どこかチープな内輪もめ感に
人生の重みがすっと乗って。
笑って、外されて笑って、巡って突き抜けてさらにおかしくて。
その、一番奥にある正直な感覚に、
深く浸潤されて。

MCRの世界を堪能しました

ネタバレBOX

多分、物語のプロットだけを聞いたら
とても笑えるようなお話ではないのですが、
そこに、櫻井流の切り取り方や
人の表し方が重なると、
絶望感を蹴飛ばすような絶妙なおかしさがはぐくまれ
心をすっと浸潤するような軽さと深さが生まれる・・・。

ガンの告知の場面にしても、
両親のことにしても、
お姉さんの恋のことにしても、
1万円の巡り方にしても・・・・・。
厳然とした事実があって、どうしようもないようないき詰まりが生まれても、その先の時間が普通にやって来て、物事が糾える縄の如く進んでしまうことのおかしさ。その突き抜けた感じや、受け入れるしかないことへのペーソスがたまらなく良いのです。

痛みは包丁を振り回すほど深い痛みとしてそこにあって、でも、過ぎ去ってしまった時間や過ぎ去る時間の感覚がその色をしなやかに変えて。

キレよく突んでおいて
その突っ込みを打ち砕くようなぼけの説得力にやられたり、
しっかりと絞り取ったように見えたエピソードがさらに膨らんで
深く取り込まれたり。

借金取りの「実は良い人」ぶりや、終盤に現れる幼いころの姉のイメージから、物語の世界観がしっかりと固まって。うまいなぁと思う。

役者たちも、ゆとりを持って絶妙な間を作っていきます。客席対面の舞台もすごく良く機能していて、腰の入った役者どおしの絡み方をとても自然な感覚で味わうことができて・・・。

パンとミルクセーキが醸し出す、逃げられない・・・、逃げたくもない、その時間のいとおしさに目が潤んでしまいました。

力むことなく深く、さらに磨き上げられたMCRの世界にますます惹かれてしまいました。
生きてるものか【新作】

生きてるものか【新作】

五反田団

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2009/10/17 (土) ~ 2009/11/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

するっとせつない
日程の都合で
旧作を後回しにしてこちらを観たので、
旧作の予備知識はあったものの
最初ちょっとわかりにくかったのですが・・・・。
法則がわかってからは舞台にしっかりと入り込むことが
できました。

ネタバレBOX

時間の流れのルールというか
塊で少しだけ前に進んでまた戻るというリズムに
慣れてくると一気に面白くなりました。
逆引きの伏線からみえてくる物に
すっと視野が開けたような感じを何度も味わって・・・。

先に結果が置かれていることで
観る側には舞台の出来事が
時を待たずに響いてきます。
平家物語よろしく
冒頭に諸行無常の結末を叩きこまれているから
一つずつの出来事が
どこか滑稽で、でもべたべた感がなくすごく瑞々しく思えてくる。

想いの変化や、感情の流れ、
いろんな出来事への一喜一憂が、
すべて消えてしまうことを知らされているから、
舞台上に表わされる言葉や動作の一つずつに
べたな言い方だけれど、生の息吹が感じられるのです。

戻ってはシーンの時間だけ前に進み、
また時間が戻っていく。
スイッチバックのように細かく物語を戻していくそのやり方に
作・演出のしなやかな相違を感じて。

多分、旧作側を観てから新作を観る方が
より短い時間で新作側の時間の流れに入り込むことが
できたのでしょうけれど、
舞台の時間が進むのと反比例して
高まった不安感がだんだんに薄れていくことへのやりきれなさなどは
いきなり新作から見たことでより体験できたのではと思います。

戯曲のしたたかさに加えて、繋がりや感情を細かくつなぎながら時間を戻っていく役者たちのお芝居の緻密さにも瞠目したことでした。

ほんと、たっぷりとおもしろかったし、笑いに含まれる切なさが心を満たしていくような作品でありました。




日本語を読む その4~ドラマ・リーディング形式による上演『夜の子供』

日本語を読む その4~ドラマ・リーディング形式による上演『夜の子供』

世田谷パブリックシアター

シアタートラム(東京都)

2011/05/04 (水) ~ 2011/05/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

なんてくっきり
シンプルな内容の物語ではありませんでしたが
とてもくっきりと戯曲の世界が伝わってきました。

リーディングという手法と
演出家や役者がもつ力を
しっかりと感じることができました。

ネタバレBOX

1986年に書かれた戯曲だそうです。

演出家がアフタートークで触れていたように
とても豊かで美しいト書きがあって
その言葉たちが、観る側に舞台の世界を紡いでいきます。

始まった時には
そのト書きを読み上げるテンポが少しだけ早いように感じましたが
やがて、その速さがシーンをもたつきなく進めていく力になっていく。

ト書きにとどまらず
台詞たちも、遊び心にあふれてとても豊か。
戯曲が作られた当時に観客の主流だった年代の
子供のころの記憶を借景にしているので
記憶があいまいだったり
元ネタがわからないフレーズの借用なども
あったのですが
(若い世代には聞いたこともないフレーズかと・・・)
それでも、言葉の響きなどのおもしろさは
しっかりと伝わってきて・・・。

未来を今に据えて、現代を過去に置いて、
二つの時代を行きかう物語を
舞台の前方と後方に切り分ける。
音楽は時にセピアがかった高揚や慰安を観る側に注ぎ込み
照明は記憶と妄想の深度と実存を舞台に表していきます。

死んだ母親、
いなくなった父親、
生まれなかった子供たちと・・・。
時間を逆回しにするごとに
どこか甘さを持った、
でもビターで切ない記憶や嘘が解けていく。
繰り返されるやり直し。
時間の枠組みを踏み出した
お祭りのような夜の時間のクリアなイメージと
希望や想いのテイストが
語り綴られるシーンたちからしなやかに伝わってきて。

この作品、
リーディングという形式ではなく
ふつうの演劇として上演すれば
さぞや、観客の目を惹くものになったと思います。
ブリキの自発団の公演などは観ていないのですが、
もし、ト書きに込められたイメージがこの舞台に
リーディングということでなく具現化され、
それぞれのシーンを埋め尽くせば
世界は彩られ膨らみ、
観る側はきっと舞台上に浮かび上がる幻に
深く取り込まれていたと思う。

でも、その一方で、
こうして、
役者たちがリーディングという枠の中で
一行ごとの台詞を丁寧に積み上げて
作り上げた世界でなければ伝わってこないものも
まちがいなくある・・・。
ト書きやお芝居に付随するイメージが
言葉に閉じ込められ
役者たちの豊かな表現力を持った朗読によって
観る側に置かれると、
物語の構造がしっかり見えるというか
お芝居の表層的な広がりの部分に
目が眩むことがなく、
それゆえに研ぎ澄まされた質感を持った
キャラクターの想いが奥行きをもってしなやかに残るのです。

観る側が身をゆだねられる役者たちと
洗練を感じさせる演出によって
リーディングだからこそ持ち得る力や
成しうる表現があることを
改めて実感することがができました。
コンフィダント・絆

コンフィダント・絆

パルコ・プロデュース

PARCO劇場(東京都)

2007/04/07 (土) ~ 2007/05/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

三谷幸喜の新境地
あまりのチケットの取れなさに半分あきらめていたのですが、毎日10時からPiaに電話をして6日目にキャンセル待ちナンバーを取得できて・・・。で開演15分前に並んでどきどきしながら待って・・・。
チケットを買えたときには本当にうれしかったです。

芝居は白旗を揚げるしかないほどすばらしかったです。役者の安定感は群を抜いているし、それぞれが絶妙な強弱で舞台に陰影をつけていく。前半が終わるころにはアトリエの雰囲気に取込まれていました。

ここからネタばれします

ネタバレBOX

三谷幸喜さん、今回は物語をウェルメイドに導くための伏線や仕掛けをあまりせず、人物を描くことに徹したようにお見受けしました。人物を表現することによって、登場人物の関係性が浮かび上がり、それらの関係性のゆりかごになったアトリエの瑞々しい時間が舞台を包み込むという仕掛けです。

堀内敬子さんがその時代を語るという設定もよかった。語られた時間の瑞々しさは、もう戻らない日々の切なさへとうつろう。
たくさん笑ったのに、シリアス重苦しいタッチのドラマではないのに・・・。自然に涙があふれてしまいました。
男優達の秀逸な演技にくわえて、シーンを蝶々結びにするように歌でつないでいく堀内敬子さんの歌唱力や演技力の勝利かと・・・。

三谷幸喜さんの作品ってけっこうみているのですが、その中でも1~2番を争う傑作だと思います。
今後も三谷さんはたくさんの名作を作り出してくださるのでしょうが、
その中でもエポックメイキングな作品として語り続けら得るほどのクオリディをこの芝居はもっているような気がします



美しいヒポリタ

美しいヒポリタ

世田谷シルク

小劇場 楽園(東京都)

2010/01/13 (水) ~ 2010/01/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

もろにツボ
物語を置き換える力、そのウィットが醸し出す色、遊び心が編み込む古典の肌触り。
私にとっては、どれをとっても
まさにツボでありました。

ネタバレBOX

下敷きになっているのはW.シェークスピアの「真夏の夜の夢」。
そこに小さなネット関連の会社のエピソードが重ね合わされていきます。

古典をベースにしたりシチュエーションの置き換えたりすることは
それほど珍しいことではないのでしょうけれど、
単純に物語をなぞるのではなく、
そこに現代(いま)を編みこみ
ウィットに満たされたニュアンスの作り込んでいく、
そのやり方がまさに絶品なのです。

椅子で作り上げていくだけの舞台から
シェークスピアと仮想世界が混在する場が生まれ、
電波の入り方に揺らぐように
二つの時間が折り重なっていきます。
そして、 ネットゲームに世界文学が実装されることで
舞台上の今と古典の言葉たちが
魔法のように一つの世界に共存していく。
ありふれた夫婦の浮気心や、恋人たちの恋心、
ネットを遊ぶSEや社長のいたずら心・・・。、
それらが、シェークスピアの言葉との綾織りで
ぞくっとするほどわかりやすく浮かび上がっていくのです。

ネットの世界を膨らませていくことと、「真夏の夜の夢」の森の世界へいざなうことのリンクのしたたかさ。古典に縛られるのではなく、古典の味わいを素敵に膨らませていくだけの遊び心。

しかも、それらを支える表現力がすごいのです。
狭い舞台を逆に味方につけたとすら思える
ウォーキングやダンスの密度が時間をコントロールしていきます。
前回公演でも絶大な効果を発揮した、さまざまなバリエーションでの動きに、観ている側が心地よく翻弄される。
リズムを持った言葉たちと、シェークスピア風の言葉が
役者たちの演技力で自由に折り重ねられていく。
そこに、様々な枠をしたたかに組み替えていく作り手のセンスが加わって、
「真夏の夜の夢」が今風の手足を与えられて
動き出す・・・。

厚みと切れと密度をもった薄っぺらさの混在で、
作り手の、鎖を何本かほどいたような豊かでしなやかな発想が
ぶれのない質感で緻密に具現化されていくのです。

この作品、
人によって好みがわかれるのかもしれませんが、
少なくとも私にとっては
がっつりツボでした。
作り手の発想とウマが合うというか・・・。
こういう感じでの惹きこまれ方って
ここ1~2年、記憶にないほどの極上のもの。
観ていて、不思議な高揚がやってきて、
すっかり虜になっていました。
まったく内容も質感もちがうジャンルの作品なのに、
凄く上質なミュージカルを観ているのと同じような
満たされかたをしていたり、
なにか観る側の感性を解き放ってくれるような
力を感じたり・・・・。

前回の作品も秀逸でしたが
それにもまして今回は堀川炎の才に
がっつりやられてしまいました。












 『F』

『F』

青年団リンク 二騎の会

こまばアゴラ劇場(東京都)

2010/01/29 (金) ~ 2010/02/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

「F」というトリガーから広がる世界
近未来の話として観ていたはずなのに・・・。

とても、近しく切ない感覚に浸潤されました。

ネタバレBOX

舞台が始まって少しの間は
近未来の話をのほほんと観るような感覚でした。

冒頭のお花見の感覚、
男性がアンドロイドであることから
それが近未来の話であることがわかる。
執事ロボット杓子定規な言葉づかいから
急に砕けた言葉に代わって、
少しずつ互いの理解が生まれていきます。
ちょっとヴィヴィドで楽しげな雰囲気さえある。

でも、二人の会話から
女性の背景が明らかになるにつれて
彼女の口調とは裏腹の、
舞台上の心を締めつけるような世界観が明らかになっていきます。

明日がこない、
永遠に今日が続くような貧困から
命と引き換えに抜け出した彼女。
彼女の利益を守るという前提の中で
次第に彼女の感覚を理解していく・・・、
でも彼女の愛を受け取るすべを知らないアンドロイド。

彼女が通過する四季、
季節のシンボルと交わる、
切ないほどにいびつな感覚が
観る側の心を繊細に強く締めつけます。
浴衣の着付けをするふたりの滑稽さ。
自らが夏にいることを確認するようにはしゃぐ女性が
火のつかない線香花火をもって花火と確認する姿から、
彼女のうちに刻まれたどこかうすっぺらな時間への
切実さとはかなさを感じて。

彼女が命と引き換えに得た富で得られるもの。
命が満たすものの重さ。
正しい意見はいらないと女は言います。
楽しくないからと・・・。
その感覚がとても自然でナチュラルなものに感じて、
近未来の感覚がふっと消えて
その世界の今で彼女を観ていることに気がつく。

秋の味覚、
一緒にできない食事。
彼女が求める時間とアンドロイドが差し出す満足の乖離。
ただ、食事をしただけで、
それを秋と自分を言い含める彼女の姿に
涙があふれてしまいました。
「小さい秋みつけた」に編み込まれた
うつろうような秋の気配が
劇場内を満たすひととき。
彼女の唇から発せられるその秋が
数口の味覚に置き換えられてしまうことが
あまりにも切ない。
あまりにも切ないのですが、
でも、その数口がまるでモルヒネのように
彼女のひと時の痛みを和らげていることが
観る側に諦観を与えていく。

冬、クリスマスツリー、
彼女に漂う終末の雰囲気。
七夕の偽物で
クリスマスツリーに祈る。
その祈りに、彼女の想いが溢れる・・・。。
彼女のうちに膨らんだ愛する気持ちが
静かにまっすぐその部屋に広がっていく。
その言葉の行き場のなさを覆い隠すように
彼女に言われたアンドロイドが
かりそめのクリスマスを祝う。
その死は,物語のなかではしごく当然にやってくることで・・・。
だから、アンドロイドのチアと裏腹の
彼女の最期自体は淡々と観ることができました。
でも、抱きあげられた彼女の姿を観て
彼女が刻んだ思い出の行く末が
どこにもないことに気がついて。
アンドロイドの言葉に再び目頭が熱くなった。

帰りの電車の中で、本当にいろんなことが頭をめぐりました。
貧困が奪うもの、命の重さ、人の平等という建前と現実。
思い出ってなんだろう。彼女は不幸だったのだろうか。
すこし醒めた見方をすれば、
よしんばリアルな世界であっても
愛されたいと思う気持ちや人を思う気持ちの虚実って、
実は彼女とアンドロイドの関係にも似ているかもしれないとか思ったり。

さらには、アンケートにもありましたが、「F」ってなんの象徴だろうか・・・。
Fake,Future、Feel, Feed, Fortune, Free, Forget, Fear、Fare。
さまざまな[F]がこの物語に溶け込んでいることに気づく。
「F]のトリガーから浮かび上がる物語の奥深さに
再び息を呑んだことでした。
わたしたちは無傷な別人であるのか?

わたしたちは無傷な別人であるのか?

チェルフィッチュ

横浜美術館レクチャーホール(神奈川県)

2010/03/01 (月) ~ 2010/03/10 (水)公演終了

満足度★★★★★

よぎる感覚と浸蝕されないない空気
「なんとなく満たされた感覚」の質量をもったあやふやさと、「ダークな感覚」の染み込みきれなさ、それぞれにぞくっとくるようなリアリティを感じました。

ネタバレBOX

建設が予定されている高層マンションへの入居が決まっている夫婦、
妻の職場か何かの友人がその家を訪れる・・・・。
経済的には安定していて、
生活にもゆとりがあって・・・・。

でも、ゆとりがありながら
見え隠れする不安・・・。
実態はあっても実感がないなにかが
彼らの生活感の周囲にアラベスクのような影を落とす感じ。

たとえばふっとべき論で浮かび上がり語られるもの。
あるいは電車のドア上に表示されるニュースからやってくるもの。
画面の向こう側にある飾り物のように概念化された現実と
すっと通り過ぎていく実態のないダークな気配が
ほんの一瞬共振する感覚。

過る感触の鮮明さが、
直感的ともいえる切っ先で舞台上の空気に醸成されます。
ふっとわき上がる「ベキ論」が妻を捕らえる強さや
消失していくさま。
選んだワインとチーズを持って
電車に乗る友人が過ごす時間の色と
その中に織り込まれるニュースなどの情報の感触や重さ。

語りかける言葉が、背景や小道具のようにその場をつくり
会話が、ダンサーの四肢の動きのように
その時間を紡いでいく。
舞台上の表現は密度をもった空気に染められて、
やや下手側に掛けられた小さな時計が刻む時間にクリップされて
観る側にやってくる。
その広がりに観る側はひたすら取り込まれていくのです。

黄昏の公園で男が食べるコンビニのパンと
チーズとともに供されるバケットの対比。
あるいは、翌朝夫婦が
おいしいパンを買いに行き、さらに投票に行くというエピソード。
夫婦やあるいは友人の視座から観たものが
しなやかに一つの世界に組み込まれていくなかで
そこにある水と油の境界線のような
混じり合わない揺らぎの感覚の
明らかに存在する不確かさに息を呑む。
しかも、表現される一過性のような時間が
観る側にはしっかり残る。

この、観る側に残されたこの感覚を
どのように表現すればよいのでしょうか。
そこにあるものは、
明らかにぞくっとくるような洗練に支えられているのですが、
でも、愚直で原始的な泥つきの現実にも思える。
きっと夫婦や友人もあからさまには認識していないであろう感覚の塊が、
素の光を当てられてそのままに置かれているようにも感じる。
そして、その感覚の先に
「今」という時間の質感がゆっくりと浮かび上がってくるのです。

終演後、しばらく呆然・・・。
なんだか、すごいボリューム感に満たされていて・・・。

当日会場で販売されていた劇団の次回公演チケット、
むさぼるような気持ちで購入したことでした
露出狂

露出狂

柿喰う客

王子小劇場(東京都)

2010/05/19 (水) ~ 2010/05/31 (月)公演終了

満足度★★★★★

力技をさらに超えて・・
キャストを舞台に並べただけでも目が丸くなるほどの力技なのですが、
そこに生まれる電車道のような舞台の勢いが
荒っぽくならず個々のキャラクターと物語を
繊細に浮かび上がらせていく。

もう、喰いつくように見入ってしまいました。

ネタバレBOX

3人のマネージャーたちの狂言回しが
がっつりとできていて、
そこにはまりこんでいくキャラクター達が
誰一人として埋もれていない・・。
色の強さがぶつかっても塗りつぶされないだけの存在感が
14人の役者たちそれぞれにあって・・・。

クラブ活動の3世代、
それぞれの学年で特徴がでるというのが
観る側としても体験的にとてもよくわかる。
それゆえにデフォルメが浮かない。
物語もキャラクターも腰がしっかりと据わっているのです。

役者たちを観るだけでも、
そりゃもうぞくぞくと楽しいのですが、
役者がよければよいほどに、
物語の骨格こそがしっかりと観る側を押し込んでいく。

役者で魅せて、戯曲で見せる。
語る口調も筋立ても
個人的につぼというか大好きというか・・・
これ、おもしろすぎる。

作・演の語る力と
それをがっつりと膨らませる役者たちの力量に
ひたすら瞠目でありました。



ヘナレイデー

ヘナレイデー

AnK

王子小劇場(東京都)

2014/05/15 (木) ~ 2014/05/19 (月)公演終了

満足度★★★★★

ビビッド
なにか、まとまりに欠けている部分も若干あったのですが、
そのことが内心の精緻な描写のようにも感じられて。

不思議にビビッドで描かれた世界にどっぷりと浸されてしまいました。

ネタバレBOX

よしんばデフォルメされた表現であっても、
その刹那や時間の流れのデッサン力を感じる。
印象の切り出しや舞台空間への描き方、
その時間の積み重なりの感覚などが、
女性の想いのありようとして不思議に瑞々しく感じられました。

止まらずの国

止まらずの国

ガレキの太鼓

サンモールスタジオ(東京都)

2010/03/25 (木) ~ 2010/03/30 (火)公演終了

満足度★★★★★

圧倒的!
その場の空気の描写力と
キャラクターの描き方双方がとても秀逸で・・・。

後半にいたる時間の密度も圧倒的。

息を呑んで見つめつづけてしまいました。

ネタバレBOX

冒頭に鮮やかに作られた空気の中で
旅人という大きなくくりが
登場人物それぞれの個性へとほどけていく。
旅の経験から身につけたことや、
他人との距離感、
そして情報を交換したり助け合う姿に織り込まれた
いろんな知恵の実存感、
あるいは「イン・シャーラ」的な感覚。
その中にひとりずつの個性が浮かびあがってきます。
生まれ育った環境(国)やちょっとした物事への感想が、
旅人達それぞれに繊細な濃淡をつけていく。
物語の流れの中に、
旅を極めたもの、
旅を粛々と続けるもの、
旅への期待を持ちつづけるものから、
少し旅に疲れたもの、
さらに意思とは異なってその場に置かれたものまで、
さまざまな様相が
ぞくっとするような解像度で織り込まれていきます。

その解像度があるから、
戦争とみまがうような後半のシーンが生きる。

誰をも凌駕する事態が波のように押し寄せて、
キャラクターのそれぞれを問う。
やがてやってくる事態にバラけていく判断とパニックと悟り。
緊迫感に観る側までが圧倒的に押し込まれる中、
好むと好まざるとにかかわらず、
それぞれが自らの経験に事態を重ねてさらなる経験を受け入れていく。

結末におとずれるキャラクターたちの放心は
ちょっとあっけない感じもするのですが、
その軽さがあるからこそ、
知りたいという意思を超えて知ることの昂ぶりや悦び、
さらにはそれを受け入れることの重さまでが、
同じようにしっかりした解像度を持って
観る側に降りてくるのです。

前回のマンション公演の時にも思ったのですが、
舘の作る空気のしなやかさと
その中に織り込まれるキャラクターの想いの浸透力には、
類まれなものがあって・・・・。

彼女の絵筆だからこそ、見え感じられる世界があることを
改めて悟ったことでした。

☆☆

犬は鎖につなぐべからず

犬は鎖につなぐべからず

ナイロン100℃

青山円形劇場(東京都)

2007/05/10 (木) ~ 2007/06/03 (日)公演終了

満足度★★★★★

時間を滑らせる力
戯曲の普遍性というものは当然にあるのですが、それらの見せ方にケラマジックがある・・・。

ダンスや着物なので、劇場全体の時間を滑らせてしまう感じ・・・。
大正から昭和にかけてのモダンさが、いまの粋とかわらないことが
実感として感じられる・・・。

役者もよいし・・・、ゆっくりとやってくる満足に3時間にわたって
ゆっくりと浸る感じ・・・。

ベテランの役者も幅が広がり、新人と呼ばれていた役者もしっかりと力をつけて・・・。
ケラさん万々歳ではないでしょうか・・・。

『ROMEO & JULIET』

『ROMEO & JULIET』

東京デスロック

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)

2009/10/24 (土) ~ 2009/10/28 (水)公演終了

満足度★★★★★

IN&OUT
半日がかりでKorea VersionとJapan Versionを観ました。

Korea Versionは戯曲の世界にどんどんと取り込まれていく感じ、一方Japan Versionは戯曲の世界からの広がりを深く感じる作品でした。


ネタバレBOX

Koreaバージョンは、さまざまな手法が駆使されながら、戯曲の流れを押し広げるように物語が膨らんでいきます。

多田手法というか、舞台に人と人との関係性が生まれる冒頭から、観る側が物語の世界に包まれて。
表現の豊かさ、与えられたメソッドを武器に変えていく役者たちのパワーは、それなりに大きさのある空間をもはちきれんばかりに満たしていく。舞台後方に張られたスクリーンに映し出される文字や影が、さらに舞台を膨らませていきます。

役者たちの韓国語は当然に理解できず、頭のなかにある戯曲の流れと、スクリーンに映し出される日本語訳を頼りに物語を追っていくのですが、スクリーン上の訳の提示も単純なプロンプターからの情報というよりはひとつの表現になっていて、マンガにたとえると人物についた吹き出しというより、背景に描かれるさまざまな効果のような感じで観る側に入ってくる・・・。このことが、観る側を一層強く物語にのめりこませていきます。

それにつけても輪郭の太さに目を見張る舞台。一つずつのシーンがメソッドを武器に深く強く心を揺らしてくれる。ジュリエットの想いを女優達でガールストークのように編みあげていく部分のヴィヴィドさや、両家の争いのシーンの洗練。
初夜が開けた朝の二人の想いの質感や、ジュリエットの死を何倍にも重く背負うロミオの心情、さらには自ら死を選ぶジュリエットの愛に殉じる高揚・・・。良く知った物語でありながら、さらに一歩引き入れられて、自分が頭のなかに持っていたロミオとジュリエットの物語がとても陳腐なもののようにすら思えてきて。

観終わってしばらく舞台の世界から抜け出せませんでした。
終演時の2度のカーテンコールですら足りないような気がしたことでした。

Japan Versionは、まず、スクリーンに「Text」と表示されたとおりに、戯曲の紹介から始まります。ショーアップされた形でちょっとクロニクルっぽくスクリーンに戯曲の一部を提示して観客に読ませる・・・。
坪内逍遥訳の提示が効果的で、戯曲そのものが観客に表わすもの、台本に書かれた言葉が見る側に発するニュアンスや色が抽出され伝わってきます。ライティングや音楽から生まれるコンサートの直前のような高揚感がなにげにしたたかで。

次に「Human」と表示され、素のライトの下、役者が舞台上に並んで順番に自分の恋愛体験を語り始めます。すごくナチュラルな語り口で、虚実はよくわからないのですが、観る側が心をすっと開くような雰囲気が醸し出されて。そのトーンというか流れのままにでキュピレット家のジュリエットさんの話を・・・、聞いてしまう。戯曲のお仕着せを脱いで私服で楽屋口から出てきたような、素顔で等身大のジュリエットの心情に、笑いながらもなぜかうなずいてしまって・・・。

そして「Text&Human」、前の二つの要素が重なる中、作り手側の目隠しでの物語の模索が始まります。

何から目をふさいでいるのか・・・。周りというだけでなくかつてのロミオ&ジュリエットの作品のイメージまでリセットされるような印象。

舞台の上ので探りのなかで語られる台詞は、やがて見えない者どおしで絡まりあい膨らみ始める。そこから少しずつ動作が生まれ、スクリーンの文字が遊び、音がやってきて戯曲から溢れ出てくる感覚がどんどんと具象化されていく・・・・。

観る側からすると、戯曲が作り手たちの創意にふれて線描として次々に描かれていく感じ。そして、手で周囲を探り足で舞台のエッジを確かめながら、台詞を頼りに模索し徘徊する役者たちの姿に、作り手たちの創作の苦悩を感じて・・・。でも、芽生え、揺らぎながら膨らみ、舞台上に形となり、そこから舞台を超えて施設全体にまで広がる表現に、雛鳥が貪欲に餌を啄ばみ、羽根を広げ、やがて羽ばたき始めるような、ぞくっとするような創意の飛翔への過程を感じるのです。

ブリッジで語られる台詞に文字がクルっとひっくり返るようなシンプルな遊び心から現れる質量を持った何か。朝を告げるひばりの声はずるいと思いながらも個人的にツボで、こういうウィットが作り上げる舞台のニュアンスがどんどんと世界を豊かにいくようにも思えて。コインを危なっかしく投入して「毒薬」を手に入れる姿に薬入手の不思議なリアリティを感じたり・・・。カメラを使ったライブ感(館内の道程をしめすグラフィックもよい)や、スクリーンに映像として具現化される霊廟のシーンにも瞠目・・・。

そして、いったん目隠しを取った役者が、再び目隠しをつけて手探りを始める姿に、限りのない演劇の深淵を思ったことでした。

戯曲にひたすら惹きこまれていくKorea Version,戯曲から次々となにかが現れていくJapan Version。戯曲に対してのIn&Outを半日で体験したよう。観終わって、なにか抱えきれないほどに満腹なのですが、その感覚には演劇という筋がしっかりと通っているから、すっと心に吸い込まれていく感じがする。

そして、劇場を出るとき、満足感だけではなく両Version(特にJapan Version)のさらなる広がりの予感とそれを観たいと渇望する気持ちがやってきて・・・、自分の貪欲さに驚愕したことでした。
恋する剥製

恋する剥製

クロムモリブデン

赤坂RED/THEATER(東京都)

2010/06/22 (火) ~ 2010/07/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

色の変化と終盤の切れに目を奪われる
ウィットに満ちた冒頭から
登場人物それぞれの色がとても鮮やか。

個々のでたらめ感の奔放さや切れ、
あるいは腰の据わったつらぬきに
ぐいぐいと引き込まれて・・・。
キャラクターのズレというか「ふら」がすごく良い。
笑いやスピード感のなかで
それぞれの色がしなやかに変化し
重ねられ膨らんで・・・。、
いくつもの高揚が終盤に溢れ、
呑み込まれてしまいました。

ラストシーンの形骸化された質感にも
瞠目。

ネタバレBOX

初日を拝見しました。

役者それぞれの秀逸にぞくっとくる。
単にキャラクターを深掘りするだけではなく、
心のうちの軽さと
表層に生まれる感覚の中間部分を
がっつりと描きだすだけの
センスと具現化の力量が
ひとりずつの役者にあって。

密度を持ちエッジの効いた演技、
舞台展開の緩急や
編みこまれたバリエーション豊かな笑いから
次第にカオスが醸成され
さらにふくらみが生まれて・・・。
観る側までがその高揚に巻き込まれ、
装置、光、動き・・・、
満ちて堰を切ったように溢れだしてくる、
終盤の世界に呑み込まれてしまう。

そしてラストに舞台上に残された形骸と
観客自身のうちに残る高揚の熱の落差に
愕然とするのです。

これ、すごい・・・。

余談です。
警察をかく乱するために猿を放つという
あの事件を想起させる展開は、
たまたま翌日に観た野田MAPの公演とも重なっていて。
で、二つの公演を続けて観ることで
それぞれの秀逸が一層強く感じられる。
野田MAPから導かれる祈りの世界は
真摯でそれはもう圧倒的なのですが、
一方で野田MAPではなく
クロムモリブデンの世界でしか描き得ない質感が
あることを強く感じて。

「幼さ」と「でたらめ」、
脆く儚く傲慢な感触を
同じ起点として描かれる二つの舞台。
そこにもはや優劣はない・・・。、
二夜続きで拝見した、
舞台上に描かれる、
同一の全く異なるものそれぞれに、深く心を奪われて。
毎夜、色の異なる、
でも上質な演劇への陶酔を含んだ
信頼感に満たされたことでした。

この公演、是非にもう一度観たい・・・。
というか観に行きます。

☆☆☆★★☆○
女ともだち

女ともだち

劇団競泳水着

「劇」小劇場(東京都)

2010/06/30 (水) ~ 2010/07/06 (火)公演終了

満足度★★★★★

一つずつのシーンが積もる
初日を拝見。

一つずつのシーンが
とても丁寧に仕上げられていて、
すっと入ってきて積もる・・・。

それぞれのエピソードに見入り
終わって客電がつくころには
舞台上の時間をともに歩いたような感覚に
浸潤されていました。




ネタバレBOX

冒頭のシーンで
すっとその世界に置かれ、
さかのぼって、物語が積み重なっていきます。
衣裳や光の変化で刻まれていく時間の枠、
織り込まれたエピソードたちに
そのまま取り込まれる・・・。

観る側が
あるがままにシーンを追っていける感じ。
重ねられていくエピソードに置かれたキャラクターたちが
その時間枠のなかで、
しなやかに生きている。
役者たちからやってくる
ひとりずつの人物の奥行きに
あざとさのない実存感があって・・・。

主人公が暮らす親戚の家のおばやいとこ、
転校してきた学校の彼女の友人たち、
さらには時が進んで彼女の教え子たち・・・。
物語に塗りこめられることのない、
むしろ物語を編み上げていく
ひとつずつのキャラクターたちから、
それぞれの時間の質感が紡ぎだされて・・・。

物語に仕込まれた時の流れが縦糸に張られ、
その刹那に撚り合わせられた
キャラクターたちの想いが横糸の色を醸し、
織りあげられていく。

役者たちそれぞれに、
自分のキャラクターをまとうだけではなく、
その奥にある個々の世界を垣間見せる力があって、
だから、過ぎてゆく時間のテンポに
個々の物語が散らない・・。
よしんばキャラクター間での確執に重さがあっても、
それが丸められたり澱んだりしない・・。

端々に差し込まれる上質なウィットも
役者の切れに支えられて秀逸。
さらなる肌触りを舞台に作りだしていく。

ラストのシーンで、
二人の女性が海を眺めながら
出会ってから、その立ち位置までの
歩んできた時間の感覚をふっと口にする・・。
それは、織り上げられた世界を
すっと抱えたような感じ。
彼女たちが共に吹かれる潮風を感じるように、
畳まれた二人の時間の感触がやってきて
とても自然に
さらに織り上げられていくであろう二人の時間を思う・・・。

溶暗していく舞台を眺めながら
たおやかに深く浸潤されたことでした。

まあ、初日ということでしょうか、
若干だけ硬さを感じた部分もあったのですが
でも、公演期間中に、
さらに満ちて育っていくであろう力がそれらを凌駕して・・。

ほんと、お勧めの公演でありました。

☆☆☆★★★○













わが闇

わが闇

ナイロン100℃

本多劇場(東京都)

2007/12/08 (土) ~ 2007/12/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

極上の家族劇
終わってみれば3時間15分があっという間に過ぎていた感じ。
長いとはすこしも感じませんでした。

3人姉妹と書生、そしてそれを取り巻く人々の人間模様は見ごたえ十分。

視点の作り方が非常に巧みで、ステレオタイプではないけれど真理を包含している家族像が見事に浮かんでくる作品です。

必見!

『humming5』

『humming5』

ポかリン記憶舎

SANSAKIZAKA CAFE さんさき坂カフェ(東京都)

2011/04/22 (金) ~ 2011/05/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

重なりがべたつかず、クリアで深い
物語の進行から
次第に垣間見える時間や想いが
場の空気を重くするのではなく
深くしていく感じ・・・。

重なってはいくけれど
澱まない刹那の
いくつもの空気感に捉えられました

ネタバレBOX

初めての場所だったので
ちょっと早めに会場近くまでいって。
日が長いこともあり、暮れきる前の街の雰囲気に浸る。

会場は坂の途中にあるカフェ。
日もとっぷりと暮れたころ
主宰の方の凛として心地よい
職人技のような客入れを経て
静かに舞台が始まります。

カフェの感触がまずつくられる。
その場のお客さんが去ったり
物語の前半を担う常連さんがやってきたり。
トイレットペーパーのエピソードなども
キャラクターの出掃けの裏付けに留まらない
その店のニュアンスを創り出していきます。
トイレを借りに来てバイトを志願する男の存在も
したたかに差し込まれて
その店の開かれた部分と閉じられた部分が
観る側に肌合いとして伝わってくる。

そのベースがあるから
常連の客と昔の恋人の再会にしても
あるがごとくにすっと入ってくるのです。
二人の関係が
作りこまれ置かれるのではなく
時が次第に場に解けるなかに自然と伝わってくる感じがして・・。
その店の女主人と帰って来た娘が
ひととき常連客に店を託して場を外す空気にも
不思議なくらい違和感がなく
あとには二人だけがその店に置かれたことの
細微でやわらかい揺らぎや
あるがままに広がっていきます。
二人がそれぞれに過ごした時間が
美化されることことなく感情に流されることもない
互いの姿をその場に表す。
満ちていく想いが
場の密度をゆっくりと高めて。
そして、店に男が現れて想いの交わりがさえぎられる時の
すっとテンションが切れる感じが
場の揺らぎにさらなる振幅を与えて。
女性が店を去った後
やってきた客をひとりにして彼女を追う常連客に
観る側の想いまでが一つのベクトルのなかに
しっかりとおさまっていく。
ひとり残された男が、
静謐で居心地の悪そうな時間を過ごす中に
常連客が残していった携帯がなって
カップルの想いの重なりが暗示されるあたりも
上手いと思う・・・。

その、残された男は店の主人の娘が見つけてきた婚約者候補で
やがて戻ってきた女主人と面会を果たします。
母親は男を挑発して試す。
がむしゃらさのないその男は
母親のお眼鏡にはかなわなかったよう・・・。
そこには、母親が過ごしてきた時間とともに編み上げた
人生や結婚に対しての感覚があって、
その枠に捉われることにも、
でも、踏み出し破ることに逡巡する娘の想いが
常連客の想いと同じように、
あいまいな、でも確実に存在するベクトルの中に重なり
そのカフェの時間にゆっくりと吸い込まれていきます。
その場に生まれたいくつもの想いが
したたかな重なりをもって
でも、互いが色を染め合ったりべたついたりすることなく、
それぞれに淡々と深く
店に流れる時間を彩っていく。

終演後にカフェタイムがあって
その場に暫く居させていただいたのですが
なにか、舞台の延長線上の時間に
ふっと置かれているような感覚が残って。
なんというか、観る側としての
舞台上の時間と場所の座標軸が
現実感を持って交わったように思えたり。

私が3・4・5と観た
劇団のhummingシリーズは一応これで終わりのようですが
このような作り手のやり方はさらに続けられるとのことで、
ふたたび作り手が供するであろう
どこかの場所とそこにつくられる時間の揺らぎに出会うことが
益々楽しみになりました。

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