満足度★★★★★
この演劇より自分たちの演劇や映画のほうが優れていると胸を張れる演劇や映画がいまの日本にどれほどあるだろうか。
見てください。作演出の素晴らしさ。俳優たちのすばらしさ。日本を混乱に陥れている人々が愛おしくなります。愛に満ちてる。この演劇より自分たちのほうが優れていると思える演劇がどれほどこの日本にあるだろうか。ほとんどないと言わざるを得ないぐらい必見。
満足度★★★★★
リアルの立ち上がる臭い
2015年1月11日青山円形劇場がなくなる。その円形劇場で最後のケラさん演出舞台を見て来た。「夕空はれて」脚本は別役実さん。僕が円形とかルデコとか好きなのは、形が変で、もうそれだけでエンターテインメントであるということと、あと客席と演者が近いから嘘がばれやすい劇場だということ。嘘がばれやすいということは、本当のことをやらないと面白くないということで、ハードルが高い分、もしそれが達成した時には恐ろしい快感が得られると考えている。演劇って「芝居くさい」というのが見下した感じで使われることがあるように、非リアルな表現形態と考えられる事が多いように思うけれども、僕的には逆で、むしろ演劇は生身の人間がそこにいるのだから、動けば汗もかき臭いもするということで、映画なんかよりもよっぽどリアルなことが出来るはずだと思っている。別役実さんの「夕空はれて」は非常に難しい本だと思う。なにが難しいって、あのような会話をしたことのある人は世の中にいないはずだから。非リアルな会話劇だ。だから、これ下手な演者、下手な演出ではまず成立しない。さらに最も嘘のばれやすい青山円形劇場であるから尚更だ。ところが、面白いぐらいに、嘘のない舞台になっている。仲村トオルさんの困惑を共有しない人はいないし、同じように何が正しいのか分からなくなる。言葉は言葉に過ぎない。この素晴らしい劇はコクーンとかでは味わえない。青山円形劇場じゃなくてはダメな理由が強烈にある。そして、この公演を最後に青山円形劇場はなくなる。だから、なんとしてでも観に行くべきと思う。リアルが立ち上がる臭いをかぐために。12月14日まで。
満足度★★★★★
最上の空気
最上の作品は空気を作る。この芝居の空気の作り方は心臓に来る。えも言われぬ恐怖に苦しくなる。でも笑える。1か月のロングラン。日々進化することが運命づけられている芝居。何度も観てこちらも進化したいと思える芝居であった。
ネタバレBOX
現代口語演劇の継承とその向こう側に行こうとする挑戦を笑いのめしながらやっているところもぐっときた(笑)。ちゃんと観客を喜ばせながら、その向こうも狙っている。そこに勇気をもらう。
チェーホフの喜劇、悲劇のことを考えていたので、ダルカラの「アクアリウム」を観た時、「これだ!」と答えを得た。でもあれをやるのは相当大変だろうと思う。
満足度★★★★★
感情化されたモダン・アート
光と闇、そして音、レンブラントの絵画の中に迷い込んでしまったような感覚に襲われる。佐藤オリエさんが素晴らしいのは言うまでもないが満島ひかりの芝居は元来彼女が保有する激烈な感情表現に繊細さが加味され円熟の域に達する。テキストが難しく内容をすべて追えるわけではないが、光と闇と音の演出、佐藤オリエ、満島ひかりの演技、存在が、直接観る者の潜在意識を揺さぶり、共鳴した感情の波に翻弄される。美しく苦しい闇。
満足度★★★★★
進化した演出
英仏がナチスに宣戦布告しようという朝、頑強な無神論者フロイトと敬虔なキリスト教徒ルイスが存在をかけた大激論を戦わせる。その現代を照射するに絶妙な人物設定、状況設定の脚本を立ち上げるのに相応しい木場勝己と石丸幹二という2人の俳優。その輝くような素材を活かすため、「無味の味」という極意に到達した谷賢一の演出。永遠という時の中でたった9日間しか続かない奇跡。
ネタバレBOX
精神分析の祖であり頑強な無神論者と知られたフロイトと「ナルニア国物語」の作者で死後聖人に叙せられるほどの熱心なキリスト教信者であった小説家C.S.ルイスの激論90分。今まさに英仏がナチスに宣戦布告をせんとする朝の出来事。この大激論を演じる俳優は、知の巨人フロイト、ルイスに負けぬ人物でなければならない。選ばれたのは木場勝己、石丸幹二という日本演劇界最高水準の俳優たち。これ以上ないというキャスティング。だが最上級の食材といえども料理人の腕が悪ければ話にならない。で、その料理人。それは演出家の谷賢一。僕が最も敬愛する若い演出家のひとり。これまでの谷演出には色濃く谷色が出ておりそれが気持ち良くもあった。しかし本作品は違う。最上の素材を生かすための職人技。谷色は消え、魯山人が極上の味と伝える「無味」に到る。
満足度★★★★★
虐げられし者の昭和史
いまなぜ美輪明宏なのか。判らず懐疑的な気持ちで観劇。しかし結果久々に野田秀樹の天才を実感させられる芝居であった。もちろんこれまでも野田さんは天才だったのだが、本作は夢の遊眠社時代のきらめくような天才を思い出させるような見事な天才っぷりだった。
ネタバレBOX
開演しばらくは溢れだすイメージの奔流にあらがうのが精一杯。危機感を覚えるが、イメージの奔流に身を任せたとたん、長崎、被爆、天草四郎、隠れキリシタン、ゲイ、虐げられし者たち、バラバラな言葉たちがぴたりと合わさり巨大な「虐げられし者の昭和史」とでもいえる大伽藍を目前に現出させる。その祈りの言葉に涙する。野田秀樹と言う天才が美輪明宏という憑代を得ねば語り得なかった物語。美輪明宏の深さと多重性を宮沢りえと古田新太の2人で表現するというアイディアも素晴らしい。恋人役の瑛太がカッコよくもコミカルで穢れが無い。その妹役の井上真央は掘り出し物。ほか皆が素晴らしい。また長年の野田秀樹ファンとしてはこれまでの作品を思わせるセリフやイメージがそこかしこに使われていて野田さんが全身全霊で戦っているのが判るのも感動的。こんなすごいものを2カ月も公演しているというのはどうかしてるぜ。
満足度★★★★
重くて軽い本物の「かもめ」
KERA版「かもめ」を当日立ち見券で。スタニフラスキーが自劇団の旗揚げの演目に選んだというほど、「かもめ」は「演劇についての演劇」で、新しい理想と野望に燃える青年がすでに名声を得ているというだけの俗物たちに敗北する悲劇。とみえるのだがしかしチェーホフ自身はこれを喜劇と言っており長らくその理由が良く判らなかったのだが、ケラさんの演出をみて激しく腑に落ちる。重くて軽いのだ。その矛盾が成立している。そして僕的にはやはり物語の中心にあると見える青年と少女の敗北の美しさと切なさが決然とこの舞台でも中心にあり最後には苦しく胸打たれる。また他の人の演出では存在意義を見いだせなかった周辺の登場人物たちがみんな輪郭をはっきり持っており生きていることにも舌を巻く。群像劇を得意とするケラさんの演出とものすごく相性が良かったのだと思われる。東京公演は明日で千秋楽だが3時間並んでも3時間立ち見をしても見なければならない今の演劇であると言える。
満足度★★★★★
満島ひかりを食す。
満島ひかり、前田司郎、青山円形劇場、と、僕的にキラキラしたカードがそろった。で、感想。非常に面白かった。エンターテインメントな舞台を期待すると寝てしまうだろう。これはお腹を満たしたい人向けの料理ではない。ひとかけらしか手に入らない旬の素材を深く深く味わうための料理である。映画では味わうことのできな満島ひかりがそこにいる。そしていまさらながらに、こういう逸品を出す小料理屋として青山円形劇場はぴったりの小屋だったのだなあと感慨深く思う。
ネタバレBOX
前田司郎さんの「宮本武蔵」がそうであったように、これは「病弱薄幸の少女の物語」の前田司郎版。「良くある物語」が前田司郎の手になると、新鮮な輝きを取り戻す。
前田司郎さんの「宮本武蔵」では、宮本武蔵がコミュニケーション障害者として描かれる。人と優しくつながりたい。だが同時に人を恐れる気持ちが先回りして、仲良くなりたい人を敵として認識し殺害してしまう「宮本武蔵」=「コミュニケーション障害者」の「寂しさ」が滑稽に、そして切なく描かれていたのが前田司郎版「宮本武蔵」。
今回の「いやむしろわすれて草」も同じ。「病弱薄幸の少女」という物語としては幾度も描かれもはや手あかのついたフォーマットが、前田司郎というフィルターを通して描かれることによって、たちまち新鮮な素材となり、切なく美しい姿を取り戻す。
「病弱薄幸の少女」とは「宮本武蔵」と同じ「コミュニケーション障害者」である。仲良くしたいのに仲良くできない。さびしいのにさびしいと言えない。それをコミュニケーション障害と名づけるのは簡単だが、それは実のところ我々が日常的に患っている「孤独」の別名である。そんな彼女のコミュニケーション障害っぷりをこんなにもシンプルに滑稽に切なく描くことができるのはやはり前田司郎しかいないだろう。
終演後楽屋を訪ねて満島ひかりちゃんに聞くと、前田司郎さんとかなり激しいバトルを繰り広げたようだ。しかし、そういうことがあったにせよ、彼女こそは前田司郎がこの物語で描こうとした本質を良く体現していたように思う。
そして伊藤歩、福田麻由子、菊池亜希子というキャストが素晴らしすぎる。これに満島ひかりを加えた4人が4人姉妹として機能することによって物語がどれほど豊かになるか。キャスティングこそ演出の命と言ってもいいと僕はかねがね思っているがそれを改めて思い知らされる。福田麻由子ちゃんなんて、いままで見た彼女の演技の中で一番素敵なんじゃないか。
満足度★★★★★
着実な前進
周囲にこれぞ見るべき演劇と見る前に喧伝したことが恥ずかしくない出来であった。終演後、隣の女子大生たちが、これは有りか無しか議論していたのが面白かった。理性の躊躇を越えて無しなほうに突っ走った作演と、内心の不安をもちながらも、ちゃんと作演の後について行った役者陣に拍手を送りたい。
ネタバレBOX
僕的には前半がかったるかった。後半を絞めるには必要なかったるさだとも思うが後半の絞めを知り得ない観客はどこに連れて行かれるのだろうと不安になる。もう少しだけ前半をタイトにするべきだと思った。個人的な感想。
ファニーゲームの2人の表現については、最近、僕があれはなんなんだろうと考えていただけに、僕史的にタイミングが良かった。理由なき殺人犯の理由探し的なものの堂々巡りの果てに、地方出身者がむかつくからと、むかついてもいないのに選択し、むかつくふりをすることによってむかつき自らの中に衝動を作らざるを得ないという表現が、さすがだとうなる。ただ、それもまだファニーゲームに対する疑問には答えていない気がする。時計仕掛けのオレンジ、ファニーゲーム、ダークナイトのジョーカーを、カッコいいとかそういうスタイルを越えて存立させる、あるいは超えて行く方法をさぐることは、僕はしたいし、金子鈴幸氏にもしていただきたいと思うところである。
満足度★★★★★
すごい
あとで、この芝居がどうすごかったか書くけど、いまは時間が無いので、すごいとだけ書いとくよ。
色んな人と議論したくなる。
考えれば考えるほど、あの4つの話は4つとも完璧だし、あの4つじゃなきゃいけないし。まさに「国民の生活」なのだ。
今なら瀬戸山さんご本人以上にあの芝居のすごさを語れる気がする(^^;
満足度★★★★★
色鮮やかな言葉の海
梅ヶ丘ボックスという何もない狭い空間に人生と宇宙がくっきりと浮かび上がる1時間40分。詩人清中愛子さんの詩集、坂手さんにあてたメールなどをコラージュして作り上げられた色鮮やかな言葉の海。何もないが故に無限を作りうる演劇の王道を知る。言葉を立体化する作業をつねに演劇はするわけだけれども、しかし今作の、寄る辺ない空間にゆるぎない世界を作り上げるその匠の技は必見。
ネタバレBOX
言葉の洪水はともすれば人を押し流す暴力にもなるが、円城寺あやさんという言葉使い(夢の遊眠社!)にかかれば、言葉は、弾むゴム毬のようになり、観客の心にひとつひとつ届けられ、気がつくと、こちらもゴム毬に遊ぶ子供になる。
満足度★★★★
なるほど2012
いつも、企画全体、個々の演目、素晴らしい品質を保っている。今回公演はいつもより「なるほど」。2012年ってそういう時代なのか。地図なき時代の地図を手に入れた。
ネタバレBOX
6演目個別内容については他の人が言っていることが本当にそのとおりなのだが、簡単に。
○月刊「根本宗子」
手堅い作劇。職人としてかなり能力が高いとみた。
○宗教劇団ピャー!!
ぜんぜん好きじゃないが、いろいろと考えさせられた。
○Mrs.fictions
やっぱり中嶋さんてすごい作家だな。
○MCR
面白い。役者。
○あやめ十八番
品と色気。
○梅棒
非常にクオリティの高いショーパブ。
演出家は将来超一級の振り付け師になるかも。
○前説・後説
かみかみの今村さんが可愛すぎて萌える。
満足度★★★★★
「悦び」に「呪われている」サロメ
多部未華子のサロメが絶品です。もう他の人が二度と演じることできなくなるんじゃないかと思うぐらいコケティッシュで愛らしくそして残酷な本物のサロメでした。(しかし調べてみるとかつて三島由紀夫が演出し岸田今日子がサロメを演じた「サロメ」があったり、日本で最初にやられた「サロメ」は松井須磨子がサロメだったらしい、いずれももう観ることはできないが観てみたい)
そして、新国立劇場・中劇場の空間を生かしきった素晴らしき美術と演出。S席7350円そりゃかかるだろうと納得の舞台。金を使った舞台はちゃんとああいうことで驚かせてくれないといけないと思うのです。そうして快感を得ることができます。成河、奥田瑛二、麻美れい、キャスティングはばっちりです。初日ゆえ、少々とちりがあったけど、そんなの関係ない。大満足でした。
「金閣寺」に続き宮本亜門さんてすごいと思わされました。
ネタバレBOX
多部未華子ちゃんのサロメは、満島ひかり!?と思うような悪魔的演技。誰かに似ているなんて言われることが女優としてうれしいことではないのは承知ながら、あのかわいさとエロティックとそして残酷と、ほんとうに満島ひかりかと思いました。同行の三元くんも(彼は満島ひかりと舞台で共演している)同じ感想でした。ま、そんなことはよく(^^;とにもかくにも、多部未華子ちゃんのサロメは絶対的に必見です。
美術も、あの深い奈落、奥行きを使った演出は素晴らしいと思いました。天井の鏡も、それが普段からあることによる幻想的な絵柄もさりながら、最後のあふれる血潮をよくよく見せるために非常に効果的でした。
ただ、役者が落ちてしまいそうでひやひやしました。奥田さんとか台詞噛んでふらふらなのに、あの縁まで攻めていた。あそこ落ちたら下手したら死にます。事故らないかと心配でした。
多部ちゃんもヒール履いて梯子上り下りするのも落ちるんじゃないかと心配。替えが無い身体と才能ですので気をつけてもらいたい。
多部ちゃんのネックレスが本来の演出と間違えた場所で切れて散らばった時も、それがたまたまあの縁であったから、誰か踏んでこけて落っこちてしまうのではないかと不安でした。
しかし、あのギリギリ感が、血なまぐさい作品の背景の醸成に貢献していたのも事実なので、むつかしい。心配だけども何事もないように千秋楽までいってほしいと願います。
成河のヨカナーンもすばらしい。そして、ヨカナーンとサロメの2人の場面というか恋の場面というのか、ドキドキしました。あれは確実に前列是見た方がいいですね。僕は3列目でしたのでかなりばっちり見えて。(美術的なこともあり、引きでみても良いのでしょうから、贅沢を言うなら、近くで役者を、遠くで全体をと2回観たい舞台です)
ただ、ヨカナーンについては舞台の始まる前から奈落にいるのに、明かりが無いために、気付いていない客もいるんじゃないかと心配です。たしかに台詞に暗闇にいるヨカナーン的なことがあったので暗闇であるべきですが、ちょろっと斜めから照明を当てるとかして、油で光る筋肉が浮かぶくらいのあれはありで、奈落をもう少しだけ見せた方がいいのかなと。わかりませんが。見えなくていいと言う演出意図なんだろうとも思うので。
問題は、やはりユダヤ人、ナザレ人、サドカイ人、ファリサイ人などの対立的な所、東洋人の僕らには知識が薄いこともあり、いまいちわからない。これは原作がそうなのでいかんともしがたいのでしょうし、服装などで判りやすくしようと言う演出意図は見えましたが、サロメ、ヨカナーンのところなどがぐっと面白かったことに比べると、やはり伝わりづらい。なにか工夫があるといいのですが。
そして、この投降タイトルの『「悦び」に「呪われている」サロメ』ですが、これは光文社文庫「サロメ」平野啓一郎さん訳の訳者あとがきを読んでもらえるとわかるのですが、というかこの訳者あとがき、サロメを見た後にぜひ読んでみてください。より深くサロメを理解することができます。お勧めです。
満足度★★★★★
「嗤い」ではなく「笑い」、そして「泣ける」
「笑って泣ける」なんて書くと、ほんと馬鹿かというような表現だけれども、本当にそうだったので、素直に書いてみた。前々から奥山雄太氏の作品には古典的と言っても良いようなオーソドックスなドラマがドンと中心にある。けれども、それが古びた感じを持ったり、恥ずかしかったりというようなことは全くない。ロマンチックな視線や、そこに酔いそうになる目を客観視して笑いながらも、しかしその笑いは決して2ch的な「嗤い」とはならず、つまり誰かを馬鹿にすることなく、しかし愚かでしかありえない人間をいとおしむ優しい目線。今回もそれ炸裂で、観客は、どんどん笑いながら、どんどん人生の深みにハマっていくことになる。そしてハマった先で
ネタバレBOX
最後には深く優しい涙を流すことになるでしょう。かなりの傑作です。
満足度★★★★★
森の思想
ケラさんの作品はとくに最近はほとんど見ているが、ここにきてまた高みに上るかと言うような傑作。素晴らしい。311以降のケラさんの思考の結晶ではないかと思った。タイトルも作劇も美術もそれを表している。外国の話のようになっているけれども「日本」を感じた。南方熊楠や梅原猛のいう「森の思想」。絶望でも希望でもないその先の物語。必見。
満足度★★★★★
「追」「憶」の話
長塚圭史さんの演出するテネシー・ウィリアムズの自伝的作品「ガラスの動物園」を見てきた。もちろん、ミーハーな僕であるから深津絵里、瑛太という出演者に惹かれての観劇だが、長塚圭史さん演出というのも重要。
ネタバレBOX
8人のダンサーによる不気味さの表現が秀逸。花沢健吾「アイアムアヒーロー」的な不気味さを演劇でやったと言う感じ。立石涼子のお母さんが「おかん」だった。この芝居はおかんに支えられている。
そして何よりも、特筆すべきは、深津絵里と鈴木浩介の息を飲むやりとり。なんだろう、これだけで見る価値がある。
決して表現形態としてリアル(現実のありのままの模写)というわけじゃない。深津絵里の演じ方はいろんな意味で過剰で、見ててちょっと嫌になる一歩手前だが、その腐りかけのギリギリで最高の風味を醸し出す肉のような芝居は「最適」であるという科学的な言葉を使いたくなるほどに、そこにしかないであろう真実を表現するにふさわしく、また一部もずれることを許さない微妙なラインを攻めている。内実のリアルを担保するために許される演劇的な過剰の狭い狭い許容範囲ギリギリを攻めている。そして、その狭いマトを的確に射抜く深津絵里の芝居の過剰さのおかげで、万人がいれば、ほぼ万人がローラの出会う感情の波を一緒に体感することになる。喜びの鋼がぼろぼろと崩れて行く様を手に取るように見ることになる。
最近、僕は演劇にはストーリーではなくて、その「波の顕れ」に出会いたくて行っているので、まさに出会ってしまったと言う感じ。
テネシー・ウィリアムズは、「ガラスの動物園」を「追憶の芝居」と言っている。主人公であり、テネシー・ウィリアムズ自身でもあるトムが、実姉と実母への追憶を後悔と共に語る。
しかし、その作者の意図を越えて、コクーンの舞台の上にある深津絵里と鈴木浩介の芝居は、生々しかった。演劇的な虚実の向こうに浮かび上がる本当のリアルが、追憶という形式をぶち壊すほどに観客の胸に迫る。
あるいは「追憶こそリアル」。という演出の意図があるのかもしれない。
というのも、「追憶」は追憶者(=経験者)による経験の都合の良い情報整理と考えられ、それは大概、「紗幕」の向こうのドラマチックな思い出となるが、今回の芝居はこれが逆転している。つまり「紗幕」の向こうにあり美しく整えられているのは「過去の経験」ではなく、「追憶者本人」の「現実」なのである。すなわち「現実」こそが彼岸にあり、追憶者であるトムは気持ちよく過去を追憶するやもしれないが、「紗幕」のこちら側にいる観客は、過去を忘却するどころか、忘れ去られたはずの「過去の痛み」とともにこちら側に置き去られる。そのように演出されている(ちなみに台本通りなのかもしれないが、現在手元になく確認できない)。
「追憶」されるべき「過去」が追憶しようもないほどにリアルにそこにある。
そうだとすると、あのダンサーたちも「そうなのではないか」と思えてくる。
過去を忘却し美化しようと言う働きを許さぬ妖怪たち。忘れようとしているそばから、彼女たちは「過去」を引っ張り出してくるのである。なぜならば彼女たちはトム自身の「目玉」であるからだ。見た物は見た。忘却を許さないトム自身の無意識=目玉こそがあの8名のダンサーのような気がする。だから彼女たちはやたら大きな目をしていた。「見ているぞ」というわけである。
というわけで、この長塚圭史版「ガラスの動物園」は忘却しようにも忘却しえないで追いかけてくる記憶たちの話と言っても良い。しかし追憶。ノスタルジーという優しい訳語があるが、字面通り、逃げても逃げても「追」いかけてくる記「憶」ということの略とすれば、長塚圭史版「ガラスの動物園」は、まさに「追」「憶」の話なのである。そのように僕は見た。
ちなみに、鈴木浩介演じるジム・オコーナーだが、彼も病んでいる。「J・エドガー」に描かれるアメリカの中心にある病・・・「健全であれかしという病」に犯されている。話し方教室に行き快活な話し方を学ぶと言うことがいかに病んでいるか。と言う意味で、このような4人芝居を作り出したテネシー・ウィリアムズ恐るべしと思うのである。
S席9000円払っても惜しくは無い。4月3日まで渋谷シアター・コクーンにて。
満足度★★★★★
日本演劇史における財産
こんなド・ストレートでストイックで硬質な芝居を若手で他に誰が書けるだろうか。
山本亨さんという名優を得て谷くんのサディスティックな長台詞が生きる。
2時間10分、言葉と祈りで埋め尽くされた美のタペストリー。
ネタバレBOX
大原研二くんも佐藤みゆきさんも増田俊樹くんもステキ。ていうか役者への全幅の信頼が無ければ作れない芝居。また役者側からしても演出への全幅の信頼が無ければ演じれない芝居。信頼の結晶を見た。全編セリフと感情の応酬。息もつかせない。
これは、越えられることなき名作、デヴィッド・オーバーン「プルーフ・オブ・マイライフ」越えを目指し、実際越えた作品だろうと思う。真理や祈りだけでなく、谷賢一らしい捻じれたエロティシズムが胸を締め付ける。
そしてやっぱりこのような作劇の機会を与えたプロデューサーの伊藤さん@ゴーチ・ブラザーズがすごいんだろうと思う。こうやってちゃんと劇作家・演劇を育てるPがいるって日本もまんざらじゃない。って思う。
谷賢一「ヌード・マウス」は日本演劇史における財産となるだろう。なので今後、再演なんどもされるだろうからスケジュール調整難しい人はあえて今回観に行かないでもいい。初演を見たというのは僕だけの特権にしておいて欲しい(^^;
満足度★★★★★
沖縄に思いをはせる。
老いると言うことの素晴らしさを目の当たりにする。
ネタバレBOX
国道五十八号線戦「国道五十八号線戦異常ナシ」、燐光群「推進派」、ゴールドシアター「ルート99」と観てきたが、沖縄がまだ解き明かされていない問題としてぼくらの目前にあることを痛感する。僕らは何をするべきか。まずは知ることだろうか。しかし沖縄問題を演劇にすると雰囲気が非常に似通ってくる。それは土地に個性があると言うことなのだろう。やはり沖縄は異国なのだ。とくに「ルート99」と「国道五十八号線戦異常ナシ」は演劇として非常に似ている(気がした)。同じ沖縄を「ルート99」は老人の側から「国道五十八号戦線異状ナシ」は若者の側から書く。偶然タイトルが国道の名前となっているのも面白い。おそらく国道はレイプの証なのだろう。しかし「国道五十八号戦線異常ナシ」はまだもう一声が欲しい内容だった。もしかすると向こうへ抜け出る可能性があった。しかし、その後作演出が沖縄に帰ってしまったので続きの物語を観ることが叶わなくなってしまった。さらにその先20代が描く「沖縄問題」が非常に観たいと思う。そして「ルート99」と並べて上演などあれば非常に面白いだろうにと思った。さしずめ「ルート99」はレイプを目撃してしまった老人たちの話。「国道…」はそのレイプによって生まれてしまった子供の話。そう考えるとやはり、「国道…」のその先の物語を観てみたいと思うのだ。
それはそうとネクストシアターの川口覚が頑張っていた。そしてなんと次回のネクストシアター、蜷川幸雄氏演出の「ハムレット」の主演ハムレット役を川口覚が獲得。快挙!
満足度★★★★★
撃ち抜かれたのは「日本人」
原発事故に対してもそうだが演劇というモノに対しても人それぞれ異なる思いがあるから、瀬戸山さんの原発事故の扱いや演劇的な試み自体を受け入れがたい人もいるだろうが、僕は全面的に肯定したい。
ネタバレBOX
主宰の瀬戸山美咲さんが「今書くべき芝居を書くため」という邪まな思いから友人たちと連れだって立ち入り禁止となった福島原発に旅する話。実体験をそのまま演劇にしたもので笑えるし非常に不謹慎だが切実な話であった。
空気を読み過ぎるダメな国のダメ化が進んでいる日本において、今、受け入れられないだろうと誰もが予想する話を空気を読まずに上演することに、「愚鈍を装った鋭敏」と「祈りに似た覚悟」を感じ、正直予想外な形で胸をうたれた。
そもそも空気を読んでいない話を上演するというのは、空気を読んでいるからこそできる仕業であって、作家は十二分に分かっているのである。分かっているというのは十分に批評的であるということ。
徹底して個人に内向することで背後から撃ち抜かれたのは「日本人」である。描かれた滑稽さ、醜悪さ、俗悪さ、そして嘘臭いかもしれないが本当に心の底から願う安寧への思い。それは紛れもなく僕ら日本人の今であった。
僕は瀬戸山さんの試みを全面的に支持したい。
また、瀬戸山さんの試みを支持し、一番の同志として一糸乱れぬ熱演をみせてくれた佐藤みゆきさん、中田顕史郎さんほか、すばらしき全キャストに拍手を送りたい。
満足度★★★★★
悪のパンデミックを防ぐため
先ずもって驚かされるのは、作りこまれた美術である。
これまでの劇場でも当然リアルを志向する演劇を展開してきたJACROWであるが、ここまで贅沢にリアルを追求した美術はいままでにもなかった。
息苦しいほどのリアルで観客を追い詰めるJACROWとしては、今回、この美術がリアルであることが決定的に重要である。
ネタバレBOX
また同じ意味において、雷鳴が、驟雨が、夕暮れが、闇がリアルであることが決定的に重要である。
そこで演じる役者たちの時間や視界がリアルであることが、おそらく役者たちの本気度を恐ろしいほどに高めている。
美術を舐めてはいけないわけで、僕の知り合いの美術をやっている人は、映画の美術なんだけれども、たとえば登場人物の部屋を飾るときに、映像には映らないところにも凝ると言っていた。というのも、例えば、登場人物の部屋で、本棚にどんな本があるか、また机の引き出しをそっと開けたときに何が入っているか、ふと明けてしまった机の引き出しに入っていたビー玉、それを見た役者の本気度が変わり演技が変わるから見えないところにも凝る。美術も役者の演技を引き出すことのできるものでないといけないと言っていた。
同じような意味において、リアルを志向するJACROWにとってシアタートラムという空間で、贅沢にリアルな美術、またその他の効果がいつも以上にリアルに機能することはとても重要で、たとえば、狭い劇場ならば、ここからここまでに歩く時間が短く、その思考も短縮せざるを得ないのに、シアタートラムと言う空間でならば、あっちからこっちまで歩くだけで、人はいろいろと物を思う。人を愛すること、憎むこと、嫉妬すること、イラつくこと、ふと考えてはいけないことを思う。そういう意味でも、シアタートラムと言う空間でJACROWが芝居を作るというのはとても画期的なことだったと言わざるを得ない。JACROWはある程度の規模をもった劇場で、予算も潤沢に使ったリアルな美術でやってこそ本領を発揮するのだと思う。
だから、これまでJACROWの芝居を見て何ほどか思ったことのある人ならば、今回のシアタートラムの公演を観に行かねばならない。
また、これまでJACROWのことを気にしながら足を運んでいなかった人は、無理をしてでも足を運ばねばならない。
リアルな美術、リアルな演出に触発された役者たちの恐るべきリアルが、本来見えないところに隠されているはずの真実をすべて暴きだす。その悪の腐臭は吐き気を催させる。しかし、それはワクチンだ。悪のパンデミックを防ぐための。演劇はその役目を果たしうる。JACROW「明けない夜 完全版」はその演劇の力を知らしめるに相応しい芝居である。