ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

141-160件 / 3151件中
わかば

わかば

うさぎストライプ

アトリエ春風舎(東京都)

2016/05/01 (日) ~ 2016/05/09 (月)公演終了

満足度★★★★★

渇きと乾き
 独特の乾いた感覚処理が良い。

ネタバレBOX

また、ここで描かれている登場人物たちの背景に広がる世界が、実にグロテスクなものであるらしいことを感じさせる点も良い。実際、我らの生きている状況はグロテスクそのものである。文部科学大臣が大学の自治を否定したりhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016031502000125.html、環境省が、核の塵を一般塵として処理する法律を作ったりhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016042802000267.html、自由を否定し、民衆の為の報道を力でねじ伏せるべく総務相がメディアを恫喝しまくる。http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201602/CK2016021002000126.html。要は、地球上の総ての生命に対する冒涜である行為、即ち放射性核種をばらまく愚か極まる下司が支配者であるという現実。これがグロテスク以外の何だと言うのだ!! 社畜と言われてへらへらし、血税を宗主国であるアメリカに収奪されながら、喜んで尻尾を振る奴隷根性の塊、それが日本人(・・・)だろう。
 とはいえ、今作で以上のことが直接描かれている訳ではない。ただ、歪んだ人間関係の発露が、極めて効果的に描かれているだけである。登場人物は2人。タイトルの“わかば”は登場しない。実際にわかばが(居る・居た)のかどうかさえ定かでないように組み立てられた作品だ。自分は、既に彼女は死んでいると解釈した。というのも、登場する人物の1人である男は、わかばの主人、そしてもう1人はわかばの妹と名乗る女であり、彼女は戻らない(・・・・)姉の代わりに、姉との約束(・・)を守り続ける義兄と、終には子作りの行為をし妊娠するのだが、男は生まれるのは娘だと言い張り、その名を“わかば”と命名する。
先代わかばは、子作り行為の前にDVを揮われることを要求し、その後行為に及んでいたのだが、恐らくはその暴力が、先代わかばを死に追いやったのである。無論、殺意があった訳ではなく、過失致死だろう。だが、殺してしまったからこそ、代理である妹(・)の妊娠した胎児に姉と同じ名を付けることによって再生を図った訳だ。一方、先代わかばにも奇妙な傾向があった。夫が外出して仕事をすることを禁じ、上半身をぐるぐる巻きに縛って食事の時さえ腕の自由を奪うと共に、真っ赤なハイヒールを寝る時さえ履かせて、2人で始めていた社交ダンスの練習を強制したりもしていた。夫は、部屋に居ても受注できる仕事しかさせて貰えず、1日中、閉じ込められている訳である。だから、真っ赤なハイヒールを履いた状態で足を使ってパソコンを操作している。で、子作り行為の前には必ず、暴力を揮うよう強制されていたのである。このような歪の生まれる背景として自分が想像したのが、上に書いた事柄と言う訳だ。観客の想像力を信じた、面白い作りである。そして恐らくこの作品の成功は、この登場人物たちが抱えている心の・魂の叫びとしての渇きの切実な苦悩すらも、作家によって砂漠の砂のように太陽に灼かれる物として描かれている点にある。その視座の適確、乾きの距離とでも言うべき隔たりによって、対象化されている痛さこそが挙げられよう。
どりょく

どりょく

かわいいコンビニ店員 飯田さん

北池袋 新生館シアター(東京都)

2016/06/02 (木) ~ 2016/06/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

バイアスを排して
 今回は、新作3本の回、再演3本の回があるので、日・時はキチンと確認して欲しい。自分は新作の回を拝見した。

ネタバレBOX

上演順にタイトルを挙げておくと①「果実」②「軋むほど君を抱きしめて」③「美の生産者たち」何れの作品も、シナリオが良いので見損じはない。
 ところで、分かり切ったことを念の為に書いておく。今回3作品に共通する視座でもある。言わでもがなではあるが、大方の人には、第2、第3の本能とも言えることであるので敢えて書かせて頂く。即ちバイアスを排除することから始めなければならない、ということである。少なくとも革新的表現者は例外なくそうであるし、そうであった。これは、表現が革新に至る為の緒である。これなしに新たなことなど生まれようが無いのだ。その分、一般の人には奇異に映るであろう。何故なら一般の人が一般であるのは、慣習と常識に囚われ、その範疇で総てを判断しようと図るからである。革新的表現をする者・目指す者は、先ずこの箍を外すことから始めるのだ。ここが才能の分岐点である。
 その意味で今作は①~③迄総てバイアスを取り除いた地平から見えてきたもの・ことの意味する所、またそのように見える所のもの・ことの証言である。心して観劇されるがよろしい。この作品を観る観客が、世界に対してどれだけ開かれているかを計る物差しにもなっているからである。
 無論、役者陣の演技も、演出もグー。また、実にチープな舞台美術にも重大な意味が込められている。一見チープに見える必要がある内容なのである。何故なら、ここに登場するキャラクターは総てマイノリティーだからである。ハッキリ言おうか! 総て被差別者なのである。だから、一見、チープに見られる必要があるのだ。この舞台美術は作品が要請する必然なのである。選曲も良い。一例を上げれば、In the year 2525。この歌詞は、完全にディストピアであろう(アイロニーに満ちた)。今のまま、ヒトが無責任に地球と其処に生きる生命、様々な資源を収奪するだけなら、残るのはディストピアだけなのは余りにも明らかだ。それは、ヒトという種の滅亡をも示唆している。一部は宇宙に逃れ、宇宙の放浪者になるかも知れないが。宇宙の他の知的生命体にとっては、凶暴で残忍な敵でしかあるまい。生き残ったヒトという生き物は。今作、少なくともこの程度のことを考えさせる射程を持つ。
銀色の蛸は五番目の手で握手する

銀色の蛸は五番目の手で握手する

ポップンマッシュルームチキン野郎

シアターサンモール(東京都)

2013/12/27 (金) ~ 2013/12/30 (月)公演終了

満足度★★★★★

命の輝き
 離島の山奥に不時着したUFOには、臨月の宇宙人が乗っていた。

ネタバレBOX

 彼女は、偶々異変に気付いて近付いた老人に子供を頼み息絶えた。老人は1人暮らしであったから、生まれたばかりの子を連れ、育てることにした。だが、この子は、銀色の皮膚をし、足が11本もある子だった為、村の子達のからかいや苛めの対象になり、一人泣く姿がよく見受けられた。そんな中、村で最も可愛いと評判のハナ子だけは、彼にも優しく声を掛け友達にもなってくれた。そんな彼女の父は、体を壊し寝付くことが多かった。そんな父の快復を願い、彼女は四葉のクローバーを探していたのである。オサムと名付けられた遺児は、彼女と一緒になって四葉のクローバーを探すが、この時には見付けられなかった。そんな山間での学生時代を終える頃、ハナ子は、先輩でサッカー部の主将、皆の憧れの的である池畑と付き合い始めた。オサムは、ガールフレンドとして付き合って欲しい、と思っていたが、あっさり夢は断たれてしまった。
 失意のオサムにおじいは東京へ一緒に行かないか? と誘う。おじいは読者モデルなどをするつもりなのである。始め、島の仲間達とまだ過ごすつもりだったオサムは、飛来したUFOが自分の生まれた星からのものだと思い、生まれ故郷へ帰ると友達に告げ、ハナ子から四葉のクローバーを送られ、皆に挨拶を済ませてUFOに乗り込もうとするが、全然、別の星から来たUFOで相手にされず、じいと一緒に東京へ出る。一方、ハナ子も池畑と共に東京へ出てきていた。彼女は看護師になったと言う。池畑は商社マンで随分忙しく働いている由。
 オサムの手足は8本になっていた。それは、かつてじいが大怪我をした時じいを救い、高熱を出して寝込んだ時に、腕がもげてしまったからであった。以来、じいはその力を使わないよう命じていた。(追記2013.12.31)
 然し、オサムは知ってしまう。ハナ子が決して幸せではないことを、それどころか、池畑はすっかり駄目になっており、仕事もせずにハナ子に春を鬻がせ、自分の子ではないかも知れないなどと悪態を吐いてはDVに走る。ハナ子は終に堪忍袋の緒を切らし、彼を殺害してしまった。その罪を救ったのは、オサムであった。じいに禁じられた不思議な能力を用いて池畑を助けたのである。無論、オサム自身は体調を崩し、現在は世界のトッププレイヤーとして活躍する彼は休場。その後10日間も寝込んでしまうが、漸く何とか昏睡から目覚めた彼の前には、子供が泣くのを、隣室から何度も咎められ、赤ん坊の口を枕で覆って死なせてしまったハナ子の窮状があった。彼は、今回も彼女を助ける。その結果、総ての腕を失い、2本の足だけになったが、漸くキーパーをさせられずに済むようになった彼は、フォワードとして復帰、終にシュートで得点を上げた。
 宮澤賢治の描く「夜鷹の星」などのような純粋な自己犠牲と命の輝きを、切り捨てられた沖縄基地問題や未亡人製造機と揶揄されるオスプレイ強行配備などの対局に置いて痛罵しながら、軽々と高く舞うポップンマップチキンの清々しさよ!! 爪の垢を安倍に飲ませてやりたいものである。
劇団青羽(チョンウ)「そうじゃないのに」

劇団青羽(チョンウ)「そうじゃないのに」

タイニイアリス

タイニイアリス(東京都)

2013/07/05 (金) ~ 2013/07/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

演技が抜群
 シナリオは、現代韓国に生きる人々の不安や欠落感、未だ民族統一のならぬ国際情勢下にあって、台頭する中国との歴史的経緯、同盟国とはいえ、多くの問題を起こし、人々から疎まれる米軍及び米兵と国家間の利害調整に、複雑な念を抱く民衆の大きな齟齬を見事に形象化してみせた。この難題を、演出家は、俳優たちに個性を活かすことで最大限表出させ、役者陣は、見事に、この難題に応えた。ただただ見事である。無論、シナリオは先に述べたこと以外に、歴史と実存の距離を見事に捉え表現し得た結果、面白く同時に不思議な悲哀に満ちた舞台を現出させた。このこと自体、演劇的事件と言わねばなるまい。

ネタバレBOX

 少し深読みしておこう。気になる科白がある。「象は、昔、皆人間だった云々」である。つまり、逃げ出した象は総てもと人間で変身したのだ、とする。変身しなければならないほどの疎外、抑圧、政治的・社会的状況が背景にあると考えるのが順当だろう。ひとつには、民族分断がかくも長きに亘って続く状況があり、戦争は終わっていない、という状況があろう。休戦でしかないのであるから。おまけに北は、核武装さえ既に終えている。望まないが、いてもらわねば困る、レイプ犯、粗暴犯の多い米軍の問題も唯否定すれば足りる訳ではなく、同一民族同士が殺し合った苦い傷はいまだ癒えることなどあるまい。変身せざるを得ないような条件は、至る所に転がっており、それをじっくり見据えることができる世代が生まれたということでもあろう。同時に、彼らの見せる大陸的優しさが、変身対象を草食で通常は大人しいが、一旦怒ればライオンやトラでも勝つことはかなわぬ、知恵と力のある象という生き物にさせたのだろう。作品の持つテイスト面白哀しさの背景には、こんな事情があるように思う。
 こう考えるのも、象達が、その巨大な足と大きな耳とで、情況を極めて正確に把握しているととれる科白が挟んであり、親子の関係に子供ですら気付かないのは、その変身によって、ディスコミュニケイションが成立してしまったからだ、との結論まで示唆しているからである。
 そして、ラスト。その変身の共通項に無理解が挙げられている所に、この作品の根幹があろう。花吹雪舞う下で、2頭の象がゆったり動く異様なまでの美しさに、芸術の粋まで昇華された現代韓国の社会、人々の悲哀が凝縮されている。
ホンキィ・トンク騎士(KNIGHT)

ホンキィ・トンク騎士(KNIGHT)

無頼組合

新宿シアター・ミラクル(東京都)

2013/11/22 (金) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★★★★

因果と人間
 笑いや風俗的要素を盛り込みながら、キチンとシリアスな内容にそれらの要素を活かした、シナリオ、演出の良さもあり、主役級の顔が、物語の進むに従ってどんどん良く見えてくる。
 騎士シリーズ第5弾である。まあ、今迄の人間関係を知らなくても充分に楽しめる内容だ。何と言っても、因果関係をキチンと押さえたシナリオで、オカマバーやそこで働くオカマ達を最初に登場させ、奇天烈なことをやらせて、猥雑な雰囲気を醸し出し、以てこの街の怪しさを自然に感じさせている。実に上手い。(追記2013.11.28)

ネタバレBOX

 風吹 淳平の今回の依頼人は里奈、28歳。通販カタログなどでモデルをしていると言う。依頼内容は、今夜、ストーカーに会う際、立ち会って欲しい。だが、彼女は酷く酔っていた。訊くとウィスキーを1本空けて来た、と答える。淳平は、この言葉を気に掛けた。何故、そんなに酔わないと事務所を訪ねることができないのか、を疑問に思ったのだ。淳平は、忘れていたが、彼女とは面識があった。以下がその出会いの顛末である。
 美人だった姉が、ネット上でいわれなき誹謗中傷を受け、あまつさえストーカーに刺殺された事件は、里奈ら被害者家族をもいわれなき誹謗中傷に晒した。報道の影響は、地元に居ることを断念させ、親戚に養子に入ったものの、父母は自殺した。その後、彼女自身も黒沢組のヤクザに薬漬けにされた上、売春を強いられていた。淳平と彼女の出会いは、親戚に引き取られる迄、16歳の里奈を守る為に、彼女の父がボディーガードを依頼したのが、オハラの事務所に居た風吹だったことによる。その縁があった為に、彼女は風吹の事務所を訪れたのだった。然も、自分は、好意を持っている淳平に、汚れてしまってあわせる顔が無い、とも思っていたのである。因みに里奈の性格は、16歳の時既に、最も傷ついていた自分を抑えて淳平にねぎらいの言葉を掛けるような少女であった。 
 さて、里奈の依頼を受けて二人は、ストーカーと会うことになっていた約束の場所へ向かうが、目的地へ着く直前、銃声を聞く。音のした方へ行ってみると、ストーカーが銃殺されていた。被害者は、実は、フリーランスのライターで、週刊誌のトップ屋としてかつては名を馳せたこともある男だった。然し、最近は鳴かず飛ばずで冴えない暮らしをしていたのだが、市長に関してのスキャンダルを嗅ぎつけその証拠を里奈が持っていることを突き止めていた。会う必要があったのは、証拠を入手し、礼金を支払う為であった。ライターを殺害した犯人は、二人が来た為、泡を食って逃亡していた。ライターの持って来た、礼金の入ったカバンはそのままだったので、淳平、里奈がそれを預かり、再び銃撃して来た犯人から逃れるが、鞄の中味は1千万円、その金は、黒沢組が貸し付けたものだった。然も、市長スキャンダルとは、黒沢組が、市長に女を抱かせ、それを撮影してSDに保存し、組再興を目指してゆすりを掛けていたことであった。
 市長スキャンダルをもみ消す為に動く裏社会の調整屋、警察、元黒沢組の残党、風吹とその仲間とSDを持ちだした里奈が絡んで、物語は進展する。
この間、各グループ入り組んでの活劇が進展するのだが、それは、割愛する。終盤、ヤクザから里奈を救い、彼女の頼みを聞いて、幸せだった頃の思い出、メリーゴーランドへ歩みゆく二人を銃弾が襲う。まだ息のあったヤクザに撃たれ里奈が被弾した。薄れゆく意識の中で、またしても彼女は淳平にねぎらいの言葉を掛ける。彼女は、淳平の腕の中で死んだ。
この後、彼女の死は、通り魔的犯罪として片付けられ、市長は1カ月後、病気を理由に辞職、事件はその本質を隠蔽されたまま幕を閉じた。
 最初の部分と重なる所もあるが、記しておく。オープニングでオカマがたくさん出てくるなど猥雑な雰囲気を演出することで、この街の性格を説明。この猥雑さの中でなら何が起こっても不思議はないと観客に思わせる所が上手い。シナリオ・演出も勘所を良く掴んで、緩急のバランスも良い。演技も主役級は話が進むにつれてどんどん良く見えてくる。内容が良い証拠である。
ひなたのなかのこども

ひなたのなかのこども

風雷紡

d-倉庫(東京都)

2014/08/13 (水) ~ 2014/08/19 (火)公演終了

満足度★★★★★

アプローチの見事
 言う迄もないが、この作品は下山事件を背景としている。1949年7月5日、国鉄総裁が轢死体となって発見された事件である。未だ占領下、ドサクサの日本でGHQの関与も噂される難事件だから、どうやって手をつけたらいいか、多くの者が、途方に暮れる。その難事件を、風雷紡は、“どう亡くなったか?”ではなく“何故、亡くなったか?”と問うことで、独自解釈の糸口を紡ぎ出している。つまり、総裁の人柄に焦点を絞った。そして彼の性格描写に決定的な役割を果たしているのが、宮沢 賢治の「銀河鉄道の夜」今作のタイトルの取られた詩「金策」である。
 設定の上手さ、シナリオ、演出の無駄の無さ、効果的な舞台美術や役者紹介フィルムまで含めて、時代を感じさせる手の込んだ作り、音響、照明の効果的な用い方、変にベタベタさせない冷静さと想像力を刺激し、人間の何たるかを考えさせる深い技法。見事である。(追記後送)

ミュージカルコメディ 死神

ミュージカルコメディ 死神

ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ

紀伊國屋ホール(東京都)

2014/09/03 (水) ~ 2014/09/09 (火)公演終了

満足度★★★★★

イッツフォーリーズの実力
 落語の「死神」をベースに、映画監督だった今村 昌平の書いたオペラ要台本を水谷 龍二が、ミュージカルとして脚本化。それを鵜山 仁が演出した。
多少のお色気も入るので、一応中学生以上としておくが、どんな世代も楽しめるミュージカルコメディーになっている。歌で、左とん平はイッツフォーリーズのメンバーに適わないものの、味のあるキャラクターを出している辺りは、流石である。(追記後送)

ネタバレBOX

 瀕死の人間の枕元に死神が居たら、その人は死ぬ。然し死神が足元にいたら、その人は助かる、という話なら聞いたことが在る人は多かろう。落語にあるからである。今作もかなりの部分上手に、落語の下げを援用している。異なるのは、死神が、○KBのメンバーのような美少女であること。彼女との間に買わされる契約が、一件問題処理をする度に、彼女とにゃんにゃんすることである。
 今迄、早川という葬儀社に養子として入った“おじさん”は先代と異なり、心優しくとても葬儀屋の営業等出来ない。偶に仕事が入っても、喪主に余裕が無ければ「支払いは何時でも良い」と言ってしまうほど優しく、小心な男である為、女房からは、散々に言われ、虚仮にされている。借金はかさむ一方だから一切、反論出来ないで居るのだ。彼は終に思い余って自殺を図る。然し、その現場で悲鳴を上げた者がある。ロロだった。とても可愛らしい女の子なのだが、彼女は死神だと言う。仕事は、死神事務所の営業担当だ。そんな彼女の提案は、自殺せずに人助けをして、それが金になる。というウィン・ウィンの関係であった。但し、条件が一つあった。それは、一件、事を終える毎に彼女とにゃんにゃんすることであった。婿養子ということもあって女房には散々虚仮にされ、稼ぎが無いので一言も返すことができずに居たオジサンは、ロロの話に乗り、葬儀屋を廃業、祈祷師になる。顧客は、死にそうな金持ちである。最初の客は、病院長。これで5千万になった。無論、一件落着後は、ロロとにゃんにゃんである。本来ビジネスライクの関係であるはずが、二人の相性は良く、ロロは本気でおじさんを愛し始めてしまった。その後、家電・重電を扱う一流企業トップ等々の命を救い、オジサンは。富と名声、女房からの信頼も獲得する。
気がつけば五・七・五

気がつけば五・七・五

試験管ベビー

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2015/08/15 (土) ~ 2015/08/15 (土)公演終了

満足度★★★★★

DARC
DARCという名を聞いたことはあるだろうか? Drug Addiction Rehabilita-
tion Centerの略である。

ネタバレBOX

要は薬中リハビリセンターである。世間はそう見るだろう。この言い方には差別が含まれる。そのことを言う側は、それだけの迷惑を掛けているのだから当然とするかも知れない。然し乍ら、そういう認識は果たして正しいか? 
実際、この施設でリハビリに励む人々を描いた今作では、収容される本人が、依存症とは病である、という認識を持っていない。即ち己の病に対し、差別する側と同様、無知なのである。その為、必要なケアではなく、何とかしなければ、自分の我慢が足りないからだ、堪え性が無いからだ、と無益な努力をした結果、その努力の苦しさや社会的疎外感など様々な要因からなる誘因に惹かれて再犯という形になってしまう。非情にデリケートで難しい問題であり、中毒者本人だけではどうにもならないのが現実なのである。
そこでDARCではグループセラピーを行っている。皆で病に係ることによって、自分の悩みが自分だけのものではないことに、収容者達は気付き、自分自身の位置をそれまでより客観化できるのである。無論、この変化は本質的である。何故なら、この事実に気付くことによって初めて、各収容者は自分が、皆の中でちゃんと生きているという認識を持つからであり、ヒトが社会的存在であるということの根本を知るからである。実存哲学的に言えば、キルケゴールが規定したように不安・絶望・孤独により自己認識が失われた状態からサルトルの言う対他存在への移行というコンセプトで説明できそうである。天才哲学者達が必死に考えて漸く発見したことである。そんなに簡単に分かることではない。だから、施設に入っても個人差はあるが、これが分かる迄に皆長い時間を要する。その間にまた薬物に手を出してしまえば零に戻るどころかマイナスである。だから、施設では「今日だけは、我慢しようね」と日々を1日ずつ乗り越えてゆくことを実践している。これが生涯続くと考えて貰えば、如何に困難な事か分かって頂けよう。その困難に真正面から取り組み、極めて深い認識と理解、そして丁寧で良く練られたシナリオ、演出、演技によって舞台化した実に良心的な作品である。
 
嘘つきと泥棒のはじまり

嘘つきと泥棒のはじまり

東京AZARASHI団

ウエストエンドスタジオ(東京都)

2014/04/22 (火) ~ 2014/04/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

お勧めの舞台
良い意味で裏切られた。喜劇は難しい。その難しい喜劇で笑わせて貰って、なおかつ深い。シナリオ、演出、演技、間の取り方、外し方も絶妙である。今までいくつか優れた喜劇を演じる劇団を評価してきたが、今作を観て、この劇団も、優れた劇団自分のリストに加えることにした。(追記後送)

議題:ギタイ

議題:ギタイ

多摩美術大学卒業制作展 めっけ!

シアター711(東京都)

2015/01/21 (水) ~ 2015/01/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

センス抜群
舞台の始まる前に、中央奥に映し出されていた、昆虫の頭をイメージさせる赤い映像は、舞台側面に位置をずらされ、而も1灯ずつ灯されて、昆虫の複眼を拡大したようなイメージに変わる。それ迄、流されていた鳥の囀りや獣の鳴き声、牛の鳴き声などの代わりに、蠅の飛翔音などが、時折流れる。

ネタバレBOX

 
 注目すべきは、この不愉快な感覚が、何とも言えぬセンスの良さを感じさせる点である。そう言えば、舞台のある2階へ上がると入り口に左側頭部に等身大の面をつけた女性が出迎えてくれる。この趣向も大変気に入った。シナリオ、演技、演出、美術、音響など総て独りでこなした古澤 禅は、身体の鍛練も相当キチンとやっているのが、その機敏な動作や柔らかくしなやかな動きから分かる。静止の時、バランスが若干乱れた所があったが、これも訓練次第でどうにでもなろう。
 身体パフォーマンスにかぶさる映像・照明や音響とのコラボレーションも素晴らしい。また、古澤 禅が、他でも無い蠅の飛翔音を問題化しているセンスに注目すべきであろう。当然、パスカルが「パンセ」で指摘した集中を途切れさせる不愉快な音と黴菌を撒き散らす恐れ、神学的には、サタンの副官・ベルゼブブをイメージしてもいよう。所謂「蠅の王」であり、ゴールディングの小説のタイトルにもなっているから、知っている人も多かろうが。
 更に、地球上で唯一、絶対悪を生み出す存在として、人間を扱っているのが良い。その人間という生き物は、頭の中が空っぽで収奪など悪知恵だけを働かせて、他の総ての生き物に大きな打撃を与え続けているのだが、唯一の救いは、その人間にも天敵が存在するという事実である。而も、その天敵が如何なるものかは、敢えて観客の想像力に委ねられている。
第36回 シアターΧ名作劇場『巳之助の衝動』『天井裏の散歩者』

第36回 シアターΧ名作劇場『巳之助の衝動』『天井裏の散歩者』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2013/03/12 (火) ~ 2013/03/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

新派
 我々の感覚からいうと既に古典に近い新派の作品だが、実に興味深い。時代をつくづく感じ、比較を楽しみながら、演劇の生きた歴史を振り返ってみることもできる作品群だ。

ネタバレBOX

巳の助の衝動
天井裏の散歩者
 両作品とも演技がこなれているのは無論であるが、とりわけ女優達の仕草が奥ゆかしい。和服を着れば、内股で歩くのは基本であるが、現在、街を歩く成人式の和服姿はあでやかでも、奥ゆかしさなどかけらも感じられない歩き方、身振りを見掛けることが甚だ多いのも事実である。
 奥ゆかしさは、何も歩き方のみに限らない。女性は、男以上に恋に身を焦がして来た。今も昔もその点に変わりはあるまい。ただ、今回、演じられた舞台で巳の助と天麩羅屋の娘、むつとの恋の場面は、男の照れる仕草に対して、むつの反応は、その時々でより具体的、細やかである。生業の天麩羅屋の匂いが、衣服に浸みついていないか、巳の助への贈り物も、二人以外の者に見られても問題の無い物、二人だけの、謂わば秘密としての、の二通り。殊に後者は、意味深長であることこの上無い。髪は女の命と言われた時代、その髪の毛を切って赤いリボンで結び、小箱に収めたものが、彼女からの贈り物である。
 父、母、姉、男友達との関係も旧制中学・高校があった時代の雰囲気を醸し出して、ゆったりした時の流れを感じさせる。

天井裏の散歩者
 乱歩の『屋根裏の散歩者』の5年後に書かれた作品だが、こちらは、軽快な喜劇になっていて楽しめる。「ボンクラ亭主としっかり女房もの」というジャンルがあるかどうかは知らぬが、そう名付け得る作品群はあろう。その群れの中で抜きん出た作品の1本と言うことが出来よう。
 長屋住まいの二組の夫婦(会社員森本・妻お杉、劇関係者鈴木、妻お糸)を中心に、大家、お杉の父、職人たちが巻き起こす上質なコメディーだ。
 鈴木は、酒を飲んでくだを巻いている。貰ったばかりのボーナス500円を盗まれたと言って騒いでいるのだ。だが、お杉は、自分に全部取り上げられるのが嫌で、理屈をつけて自由に使える金をへそくりしようとしている亭主の底意を既に見抜き、警察にも届けていない。亭主の目論見の先には、当然、カフェの女給との逢瀬もあると睨んでいるのだ。
 ところで、安普請の長屋故、隣家の話し声は互いに聞こえる。聞くともなく聞こえてくる話で、寝ることも叶わずに居たお糸の下へも亭主が帰ってきたが、こちらは、収入の安定しない演劇関係の仕事をしている。おまけにギャンブル癖が祟って家計は火の車である。味噌、醤油、酒、家賃など総てを借金で賄っている彼らの所へ天井から金が降って来た。天の恵みと大喜びした夫婦は、降って来た縁起の良い金を元手に賭場へ出掛け、儲けて帰って借金を完済するが、千切れた札が落ちて来るに及んで流石に気味悪くもなり、大家に千切れた札が落ちて来た件を話すが、森本は転寝しつつ、この話を聞きつけ、偶々、「屋根裏の散歩者」を読んでいたこともあって、隣人が怪しいと睨むや天井裏へ忍びこむ。
 そこへ大家や職人を戻ってきた隣室夫婦。天井を職人がつついて見ると怪しい手応えがあるので更に強くつついた所、人が落ちて来た。見れば、隣室の亭主。訳を糺すが舌を噛んでしまって要領を得た返答ができない。漸く話を繋ぎ合わせて事件の大要が飲み込めた皆であったが、こういうことだった。
即ち、森本が自分のへそくりを借家トイレの天井に隠しておいたが、喪失した。偶々、居眠りをするともなくしていると、隣家の夫婦が金の話をしている。てっきり彼らが盗んだと思ったが、証拠が無い。それで、確かめようと隣家の天井に上がって調べたところ、鼠が札束を隣の家の天井迄運んで札束で巣を作っていたのを発見した、と。
 そんな話をしていると、裏手で火の手が上がる。居合わせた者皆が火消しを手伝った為、ぼやで済んだ。災い変じて福と為し、雨降って地固まったわけだが、一件落着を祝って皆が宴会を開く。その席で「森本が隠した金総てを鼠にやられたと思っていたのは誤りだ」と鈴木夫婦。「無傷の札も落ちて来た」と60円を返す。森本が受け取ろうとした刹那、お杉が、これを取り上げて幕。
 大衆演劇の健康なしたたかさ、しなやかさ、靭さを感じる作品だ。

アンソロジー

アンソロジー

ACRAFT

笹塚ファクトリー(東京都)

2015/07/01 (水) ~ 2015/07/05 (日)公演終了

満足度★★★★★

全然古びていない。無論、褒め言葉だぞ!!
原作は13年前、前田 和紀氏によって書かれた。中心となる時代は7世紀末の柿本 人麻呂が活躍した時代、万葉集の時代と言った方が良いか。或いは壬申の乱の時代、即ち蘇我 入鹿らが、中大兄皇子、中臣鎌足らに討たれ大化の改新(645年)に至った後の話であるが、歴史を上手に持ち込んでいるのは、この展開の中に、ちゃんと唐・新羅と百済・大和の関係を持ち込んでいることである。而も、今回、脚本・演出を担当した久保田 唱氏が、稗田阿礼と柿本 人麻呂を配したことで、今作で内容が、歴史的物語として定位されているのである。(更なる追記、終演後に後送)

ネタバレBOX

物理学でいえば、時間、空間が移ろう為の場が定位された訳である。この作品の安定性はこの点にある。無論、今作は演劇作品であるから、様々な歴史解釈・説の中で必ずしも定説に従っている訳ではない。然し、それは当然のことである。芸術作品の役割は、人間を描くことであって歴史上の事実を発見することでもなければ、あるイデオロギーや支配体制にとって有利な歴史観を敷衍することでもないからである。
 今作では、言霊という表現に込められたもの、即ち言霊の意味する所を追求することによって人の心の在り様と、その痛切な念を描いているからである。
 その具体的な在り様が如何なるものであるかは、終演後に記すが、品、切実さ、哀れ、温かさと幸せ、政治と人心など、現代にもそのまま通じる鮮烈で純粋な表現に集約したこの作品の作(原作及び脚本)・演出・キャスティング、演技、殺陣、照明と音響の効果、舞台美術、裏回りスタッフの対応迄含めて良い作品に仕上がっているというべきだろう。
泥の子

泥の子

劇団 きみのため

劇場HOPE(東京都)

2014/10/29 (水) ~ 2014/11/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

デジャビュ
感がある。自分のホントに小さな時、ここ迄悲惨ではないものの、雰囲気は残っていたからだろうか。(追記2014.11.12)

ネタバレBOX

敗戦3年後の東京、ニコライ堂の鐘の音が、響く病院アパートには、大家面した元小使いの老婆が、爆弾にやられたこの建物を人々に貸して日銭を稼いでいた。彼女、爆発で耳をやられて音が聞こえない。然し、その日の宿代の払えない者は遠路無く追い出すという冷静な面を持ち合わせている。中々因業な老婆である。
 現在、部屋を借りているのは、元鬼検事と自称する初老の男、何やら般若心経やら、観音経やらを誦し、鈴を振る。綽名は、先生だ。年齢は初老といった所か。帰還兵も居る。曹長だったとかで、中国大陸では若娘に酷いことをしたらしい。年中魘されている。猫を被ってはいるが、悪には違いない。綽名は復員。シナリオライター志願のヒロポン中毒者、ポン中。血を売ってはシャブを買っている。知識はあるが、ナイーブな男。靴を盗んでは金に換え、何と銀行預金を12万3千円もしているカッパ。自称大地主の息子で農地改革で財産を失った男。凶暴な犯罪を犯すタイプでもないが、ちゃらんぽらんな所もある。因みにカッパはカッパライから来ているのは、誰にも直ぐ分かるだろう。
その他姉弟が1組。貧しさから奉公に出されたが、年頃になると、器量の良いことから妾にされた。そんな暮らしが嫌で飛び出した後は、ストリッパーやパンパンをしながら中学生の弟を養って来たが、学の無い娘に他にどんな仕事があったというのだろう? それでも、弟に悪影響を与えられないと売春を止め、バーで女給として働くことで何とか身を立てていたが、彼女の美しさが仇を為した。チンピラヤクザにヤサを見つけられ、レイプされかかった際に、聞き及んだ居たヤクザの顔役の名を出して撃退したことから、このヤー公のレコにアヤをつけられた揚句、ヤー公から焼きが入ってレイプされた。おまけに、唯一の夢であった弟のマーボーは結核性の病に倒れて、薬の手配もままならない。唯一、治療に効果のありそうなペニシリン注射は1回1000円もする。薬代を稼ぐ為に再びパンパンに身を落としたが、名前を使った件に関してのレイプを1回で済ませ、シャブ漬けにもアヘン漬けにもしなかったのは、彼女の気性をヤー公が評価したからだった。然し、目を掛けたスケが誰彼構わず股を開いたとあっては、このヤー公の顔が立たねえ、となって2度目の焼きを入れられた訳であるが、本人は出張ってこない。手前のバシタのやっかみが怖いということもあるだろう、格好をつけて舎弟と例のチンピラを寄こした。舎弟がこのチンピラ命じた為に、この間のカラクリがばれていたこともあり、チンピラにも焼きを入れられる始末。
 それでも、鶴は弟の前で、金の心配をさせまいと「人気のある踊り子だから金は手に入る。心配はない」と嘘をついていたのだが、姉の不自然な態度をいぶかしんだ弟に質問されて、事実は、元パンパンの同僚、トンボの口から漏れてしまった。父と同じ病に罹ったと知っている弟は、父が患ってからの母の苦労を思い出し、姉の負担をいやがうえにも想起させた。優しい弟は終に自殺してしまう。
 弟を大学へやって世間を見返す為もあって、男断ちの誓いを立て、被ってきた泥を清めたハズの鶴であったが、レイプされて穢れ、たった一つの生きる目的・希望であった弟に先立たれて、ショックの余り床についてしまった。
 鶴の看病をしていたトンボは、就職してマッポになったを幸い、カッパを逮捕した復員に2万で手を打ってパイにして貰ったが、復員のあくどさはこんなものではなかった。復員が2万どころか彼の通帳を狙って首を絞めて来たので、反抗して自分も復員の首を絞めたが、気付いた時、復員の息は無かった。それで一旦、ヤサへ戻り、看病の為に其処に居たトンボを復員から奪ったワッパで拘束してトンコしてしまった。
 畳の上で往生したがっていた先生は、本当は鬼検事などではなく、主人家族を殺した殺人犯で、空襲で務所に火が回ったドサクサに紛れてトンコした脱走死刑囚であるとホントの事を話し、穏やかに息を引き取る。この辺り、最終的に、ホントのことを誰かに聞いて貰いたい、という人間実存の欲求を示してリアルである。
 一方、鶴は思うのである。死刑囚が観音に願って願いを聞き届けられ、畳の上で穏やかに死んだのに反して、苦労しかしたことのない姉弟が、人としての尊厳を踏みにじられたのみならず、最愛の者を奪われ、友人を失い、惨めさに泣くことさえできぬような苦悩を負わされる。そんな、神や仏とは何か!? と問う鶴の叫びは悲痛である。
 そして、このような叫びは至る所に在った。井上 ひさし作の東京セブンローズでも描かれていることであるが、戦い破れ、武器を取り上げられてしまった男なんぞ、何の意味もない。実際、戦後のどさくさに家族を守ったのは、女性達である。パンパンを余儀なくされた者もあったであろう。女を武器にした者もあったであろう。然し、現実に、戦前の飢饉や戦費調達に実質的に大いに貢献したのも女性の力が大きかったことを考えれば、売春をしていたからと言ってそれだけで彼女達を非難することは過ちである。からゆきさんの墓は、墓碑銘が総て古里に背中を向けていると言う。それだけ深い絶望を彼女らに味あわせたのが、我々の過去なのだ。そして、この過去を我々は未だ引きずっている。何故なら、既に多くの日本人がこの過去を忘れ、嘗て、売春婦を嘲ったように現在も差別し続けているからである。自分は、故あって無神論者である。然し乍ら、死者に対する冒涜とは、忘れ去ることであることぐらい知って居る。そして、忘れ去るとは、儀式化も含む。死者は、我らに、我らが生々しさを以て感じ続けることを要求するのだ。
 今でも、劇中のトンボの科白「自分は汚れている」という深い心の傷を抱える女性は多い。実際に、そういう傷を抱えながらも立派に社会復帰を果たし、他の人の面倒も見たりしてしっかりした生活を送っている方も多いのだが、また、知的職業に就いて、良い仕事をしている方もいるのだが、彼女達の心の傷は生涯癒えない。それでも、生まれてしまった彼女ら・我らは、誰しも自らの傷を生き延びねばならない。今作は、そのような覚悟の作品である。
 因みに神も仏も疾うに死んでしまったが!!
注:トンコ 脱走、逃亡のこと。
  シャブ 覚醒剤
  レコ 女
  バシタ ステディ
  パイ 釈放
  ヤサ 家、住まい
  ワッパ 手錠
  マッポ 警察、警官
怪盗先生、教壇に立つ。

怪盗先生、教壇に立つ。

劇団だるま座

アトリエだるま座(東京都)

2014/11/26 (水) ~ 2014/12/03 (水)公演終了

満足度★★★★★

Aチームを拝見

 いつもながら、実に丁寧な作り。良く練られたシナリオに、ベテラン勢の達者な芸、滲む人生経験の豊かさに対し、主要な役どころを演じる若手は、キャラをキチンと立てて過不足のない華を咲かせている。この辺りがだるま座の強みだろう。
 壮大な、発想を日常的な学校という場に落とし込む手腕や、隋所に擽りを入れて、笑わせながらぐいぐい引っ張りつつ、人生の苦さ、傷み、悩みを織り交ぜ、最後には、キチンとほのかな希望を見せる。作劇のバランスは、王道である。上演中なので、詳しい筋は述べないが、秀作。

バグダッドの兵士たち

バグダッドの兵士たち

ピープルシアター

シアターX(東京都)

2015/11/18 (水) ~ 2015/11/22 (日)公演終了

満足度★★★★★

役者の身体能力・鍛錬に注目
 初演は5年前であった。あの時よりずっと真に迫ってくるのは、日本の右傾化・軍事化が着々と進み、直ぐにでも日本人がここで描かれているような体験をしなければならないということに現実感が伴うからだろう。
 宙空に設えられたヒジャブをつけたイスラム女性の後ろ姿のようなオブジェや、上手・下手などに矢張りヒジャブを纏った黒衣の女性が立つのも、殺人者そのものである米兵を追い詰める民衆の影の圧迫感を表して効果的である。また、役者たちの身体鍛錬の見事さも素晴らしい。彼らのプロ意識に敬意を表する。また本日19日マチネ公演後と明日ソワレ公演後には来日している原作者のマガノーイのアフタートークがある。これもお勧め。(追記2015.11.20:02:43)

ネタバレBOX

 ここで描かれている米国人は、兵士であるが、イラク戦争時、最悪の行動をとっていたのは、無論、傭兵である。彼らは人を殺すのが楽しみと考えているとしか思えない。女性をレイプし、人々を拷問に掛けて楽しんだ挙句惨殺していた。代表的なのは、ブラックウォーターの傭兵たちである。無論、傭兵の方が悪いことを平気でするのには、訳がある。国軍の兵士は、ジュネーブ条約などで禁じられている行為を為した場合、戦争犯罪を犯したとして軍法会議にかけられ処罰される。だが、私兵である傭兵にはこの懸念がない。今作で一般市民を殺した兵士達が処分を気にしているのはこの為である。単に、人間として悩んでいるだけではないのだ。
そもそも、人間として悩むくらいなら、兵士になるかならないかのレベルでもっと深刻な悩みを抱えているだろう。そんなことも想像できない知的レベルにアメリカの大衆が置かれていることの意味する所を考えていないのは、当しく現在の日本の大衆と変わらない。そして、この程度の頭脳では、たかが貧乏程度で、己の魂を売ることに大きな抵抗はないのだ。考える人間なら、貧乏を恥じることはない。恥ずべきは魂の弛緩であるという程度のことには気付く。この程度のことを自分の頭で考え実践することもできない連中は所詮、人間らしい生き方など望むべくもないのは当然のことだろう。
根本的な問題として、アメリカ人の誰がISの行為を責められるか? 今作でもたくさんイラク人を蔑視した言い方が出てくるが、バカを言っちゃいけない。そもそも大量破壊兵器が無いことを証明せよなどという難癖をつけ、何の罪もないイラクに殴り込みを掛け、残虐極まる攻撃を仕掛けたのは米英である。彼らは新たな武器の宣伝に、古い武器の刷新に、イラクの良質で豊富な石油の収奪に、また軍需産業の儲けと回転に、更には自分達で破壊しておいて建設を請け負うというマッチポンプ収奪迄してきた。イラクの国宝の多くがアメリカに盗まれたのは周知の事実である。にも関わらず、国籍がアメリカだというだけで、彼らはイラク人より偉い、或いは命が重いと考えているらしい。愚か者である。
どういうアイロニーか。今作では、おまけに医者になりたいと言う者が人殺しを生業としているのだ。精神的に穢れていることにも気付いていないかのようではないか? 少なくとも遠い木霊のようにしか彼らの魂には響いていないのだ。そして、心は正常を装っている。何と悍ましい欺瞞であることか! おまけにそれを軍に来なければまともな人生が歩めないせいにしているのだ。よその国に出掛けて行って頼まれもしない人殺しをし、あまつさえそれを正当化する為手前のスケベ根性を丸出しにしていやがる。下司野郎! それがアメリカ人の姿だろう。少なくとも一方的にやられる側からはそのように見られて当然である。
ISが、各地で騒動を引き起こしている。しつこいようだが、そもそもISのような組織ができてしまった主たる原因がアメリカ・英国が中心になって起こしたこのイラク戦争であった。はっきり言って英米はイラクにいちゃもんをつけ、無辜の民を虐殺、レイプ、拷問に掛け恥辱を与え大地を穢した。バクダッドのような人口密集地で大量のDU弾を用い地球の年齢ほどの半減期を持つ放射性核種で汚染した。
無論この汚染に関して国連も英米も知らんぷりを決め込んでいるが、これは明らかな人道に対する罪、戦争犯罪として賠償させるべきである。仮に彼らの主張するように原因がDUの放射線ではないにせよ、重金属毒性の可能性も含めて国際的な第三者委員会による検証が必要である。そして客観的判断で英米のDU使用に非人道性があったと認められた場合、彼らは、国家が破綻しても払いきれぬだけの借財を背負うべきである。当然のことだ。 
殊に副大統領であったチェイニーの悪、ブラックウォーターの創設者、エリック・プリンスらの戦争犯罪は国際的に指弾されるべきである。ブッシュにも無論罪はあるが、彼の最大の罪は愚かであったこと。愚かであり続けていることである。丁度、パシリ安倍のように。
今回の観たいで自分は原作者が殆ど原作を書くためのデータをインターネットで集めた、と書いたが、彼は全部をインターネットで集めたと言っていた。こちらが自分が聞いた正確な話である。観たいでは少し遠慮して書いたのだ。だが、恐らくネットで集めた情報は、一般的米兵の言質に近かったのだろうと再演を拝見して思う。露骨な表現がたくさん出ていることからも、在日米兵から得るデータ・印象からも、非公式な場所でホントに語られていることに近いだろうと思うのである。その生の感覚を吉原さんの見事な翻訳は、日本で暮らす我々にも届けてくれている。この自然な日本語にトランスレイトされた翻訳の、本質の正確な捉え方がなければ、今作は、ここまでキチンと我ら観客に届くことは無かったであろう。
せんてい

せんてい

ポーラは嘘をついた―Paralyzed Paula―

プロト・シアター(東京都)

2014/02/28 (金) ~ 2014/03/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

孤立と言葉 空疎になる前の
 漸く舞台の進展が見える程度の照明で進行する。無論、観客のイマジネーションを最大限刺激する為と、地下で展開している物語であることを観客にも体感させる為の演出であろう。潔癖症であることが明らかなような女性が登場するが、作家に訊いてみると、作家自身は潔癖症ではない、ということであった。矢張り、凄い想像力の持ち主である。自分が、この劇団を拝見するのは今回で2作目だが、前回の「ある程度の教育」にしても、今作にしても、絶対孤独なヒトという存在が、既に定式化され大多数の人々に認知された「常識」という訳の分からない観念連合と対峙する形をとっているように思う。その意味で、科白は、ダイアローグ化しているのであるが、片側が、絶対的孤立内に在る為、真のダイアローグに成り得ないという意味で現代日本の病弊を表現しているのである。当然のことながら、描かれている範囲は狭い。然し、極めてラディカルでもある。今後、更に突き詰めて行く中で、発狂の恐怖と戦い乍らも、この世の一般人が決めたボーダーなるものを乗り越えて行って欲しいものである。それを期待出来る才能だと信じる。ご本人には、非常にキツイ状況だろうが、偶には、阿保をやったり、自然の中を彷徨ったりしながら、生きている意味を掴んで欲しい。

『太平洋食堂』

『太平洋食堂』

メメントC+『太平洋食堂』を上演する会

座・高円寺1(東京都)

2013/07/03 (水) ~ 2013/07/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

この作品の位置
 今、戦への狼煙が焚かれ、反対する者には、恫喝と弾圧、民衆には嘘と分断と相克、更には共謀罪の成立を目指す画策が着々と進められる中で、この作品の上演は大きな意味を持つ。(追記後送)

【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』

【韓国】第12言語演劇スタジオ『多情という名の病』

BeSeTo演劇祭

新国立劇場 小劇場 THE PIT(東京都)

2013/11/05 (火) ~ 2013/11/06 (水)公演終了

満足度★★★★★

知的演出
Polyamoryを実践する多情という女性の生き方はMonoamoryが当たり前と考える社会で成立し得るのか? という問いが今作の基本テーマである。実際問題、異性と付き合うに当たって一人と付き合って自分の望む異性像の総てが満たされるということは殆ど無いだろう。あれば、奇跡だ。精神的な部分で相性が良くても、体力、年齢差、身体的相性など、総てが完璧などということは、完全に無いとは言えないだろうが、先ず無いと断言して構うまい。ということは、一見、どんなに不足が無いように見えるカップルでも、1つや2つの相違、行き違い等は、誰しも抱えているのに、総てが満たされるなどということは無い、と皆知っているから妥協しているだけ、というわけだ。

ネタバレBOX

 今作のタイトルは高麗時代に書かれた「多情哥」という有名な詩から取られている。作・演出のソン・ギウンは、謙遜して私的な世界と言っているが、これは、現代だけの問題ではなく、男女間にある普遍的な問題であるということができる。初演は2012年6月ソウル。
 作・演出のギウン本人が、彼役の役者が居るにもかかわらず、作品に登場したり、多情役の女優が二人居たり、多情という女性には、モデルが居て、その女性はホントに多くの男とリアルタイムで付き合っていたり、と。リアルな世界と舞台とが、舞台上で入れ子細工になるとても知的で面白い演出方法で、演劇手法に興味のある人には堪えられない舞台である。
 誰しも嫉妬などの生臭い関係を想起するシチュエイションを救っているのは、ギウンが、恰も社会学の研究者のように多情とその恋人達の関係を捉えようとすることによってである。例えば、factを表にした彼女と付き合う男達のデータ分析である。この表を見ることで、彼女と男達の付き合い方がパターンとして見えてくる。どろどろの関係が、抽象画の面持ちで現れてくるのだ。だが、この知的転換が、多情にとっては、ゲーム的で、対ギウンで愛憎半ばする原因であり、ギウンにとっての救いなのである。
 多情は本気である、と信じている。唯、心の動くままに愛し別れるのだ。だから、変わってゆくと。一方、ギウンは、その知的作業を自らの意識の地平で行う為に、破綻・発狂という事態を生じない限り、己のディメンションを超えることはない。(追記後送)
グレイな世代 黒とシロ&IN廣島 紐育に原爆を落とす日

グレイな世代 黒とシロ&IN廣島 紐育に原爆を落とす日

獏天

Geki地下Liberty(東京都)

2015/07/28 (火) ~ 2015/09/14 (月)公演終了

満足度★★★★★


 日本で戦中核開発に携わっていた人物としては仁科博士が良く知られているが、今作の主人公は同じく物理学者の彦坂博士である。未だ、アインシュタインやオッペンハイマー、ボーアも原子核の正確な構造を見抜けなかった時代に彼は、その構造を見抜き、原子爆弾を作ることが出来ることを見抜いていた。早く出過ぎた大天才であった。

ネタバレBOX



 近い所で言えば、南部さんレベルかそれ以上の頭脳の持ち主であったと考えられる。彼は、欧米の熱狂するウランではなく、トリウムの研究をしていたと言う。何故なら、膨大なエネルギーを生み出す原爆を作ってもそれを制御できる技術が確立出来た後でなければ、そんな物を作ることが人類の未来に禍根を残すと考えていたからである。軍部の度々の核爆弾開発強制にも断固として首を縦に振らなかった彼の親族もまた、戦争の中で殺されてゆく。優秀な愛弟子も、婚約者を原爆で殺され、少ないウラン燃料を用いてどのように起爆させるかに気付き、陸海それぞれの最も優秀な飛行機乗り達にその方策を示し、奪われたテニアン上空での原爆爆裂を画策するが。
 彦坂博士は、己の研究者としての倫理を賭けて、軍への非協力を貫いた。何故なら、日本が核で応戦したら、負の連鎖が起こり、世界は終末への加速度を益々早めるからである。
 非常に重いテーマに真正面から取り組んだ快作。戦争の酷さを描きながら、技術はどうあるべきか? を深く問い掛け考えさせる、現在の核政策の問題点をキチンと炙りだした作品。彦坂博士役、和興の熱演が特に気に入った。
死に顔ピース

死に顔ピース

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2016/03/18 (金) ~ 2016/03/27 (日)公演終了

満足度★★★★★

医は仁術というけれど
 医師というものは、クランケや病巣をオブジェとして観たり、距離を置いてみなければ自分自身の神経がやられてしまう。そんな場所で仕事をしている人々である。(追記後送)

ネタバレBOX

だから、自分の家族など殊に関係の深い人間は、基本的に自分で診察することがない。感情移入しすぎては適確な判断が下せないというリスクを負うからであり、愛する者を救えなかった場合、医師自身が魂に大きな傷を負うからである。医療とはかくまで人間的な微妙な分野である。
 現在でもそうであろうが、自分達の世代、東大理Ⅲ、京大Mなどに入る連中の中で特に優秀な連中は当然内科を目指した。癌の特効薬を発見すれば、ノーベル医学賞は間違いないからである。今作で扱われているのも、矢張り大学病院の癌スタッフである。医者の世界というのは弁護士同様、とても人別帳がハッキリしている世界なので、指導教授などのリーダーが回診するとなれば、本当に金魚の糞よろしく下位の者がぞろぞろついて回る。

このページのQRコードです。

拡大