満足度★★★★
現在、学習院女子大Sakura Firmの部員は2年生が一人、一年生が二人と随分少ない。その上、二年生は近々留学してしまう。
ネタバレBOX
今作は、そんな劇団事情を抱えた1,2年生が出演した舞台だが、約60分の中編とはいえ、シナリオセレクトの良さ、そして劇団事情が大変だからこそ、一所懸命に作品を作っている清々しさが作品をとても広がりのある、自由な雰囲気のものにしている。内容的には、不登校の高校生と学校の窮屈さに耐えられずに止めてしまい、今は公園に段ボール箱を持ち込んで自習に余念のない中退者が、架空の青空高校設立を夢見て、校歌を作ったり、学校らしさを醸し出す為に黒板拭き掃除器を調達したり、たくさんの段ボールを公園に運び込んで人数の増えたクラスを作り、ロールプレイングゲームをしてみたり、と可愛らしい遊びの話が中心になっているのだが、一般の校歌に見られる厳かさや、とってつけたような余所行き表現を排し、ぶっ飛んでいると同時に生徒たちが心の奥底で望んでいるような、自由溌剌な歌詞に象徴されるような楽しく、如何にも高校生らしい柔らかで溌剌として健康な精神を描いて、好感のもてる作品になっている。
タイトルでちょっと気になったのは、穴が空くは、穴が開くではないか? という点である。
満足度★★★★
不思議なテイストの60分である。導入部は、飛び込み自殺を写メした話から始まる偉くシビアな話なのだが、人 と 人との間の感覚が揺れ動いてでもいるような、テイストが終盤迄続く。
ネタバレBOX
起こることは、坂根と彼女の綾子に、高校時代の同級生・川村が入り込み、坂根をコキュにしてしまうというのがメインストリームである。そこに、バイト先の年上の友人・森が絡んで時間は揺蕩うように流れてゆき、中身の無い坂根を彼女は見捨て、川村の下に走る。サブストリームというよりは、メインストリームに対抗する流れとして、自殺した女の幽霊が夜毎、坂根のアパートを訪れ、床を一緒にしてゆくという牡丹燈籠のような話が縄を綯うようにメインストリームに絡まりながら続くのだが、これは坂根の持つ中身の空虚に霊が取り入って、実体である綾子と川村の性に対置されていると見ることができよう。
何れにせよ、空を綾子という中身で辛うじて支えていた坂根は、己の空虚に霊を取り入れて性を重ねることによって空虚をより完成度の高いものにすることに成功したが、それ故に綾子を奪われ、己の空虚に埋没するように、バイトも止め、辛うじて命脈を保っているものの、先は真っ暗という場面を示して幕。最後まで坂根を捨てなかったのは、森であるが、この発音はラテン語のモリウム(死)を示唆しているのかも知れない。
満足度★★★★
サローヤンの一幕劇だが、演出はかなりオーソドックス。その分、役者個々の仕上がりが勝負を決するような力量勝負のステージであった。
ネタバレBOX
上演時間は40分弱。朗読形式とは言っても照明、音響などはキチンと効果を上げるように作られ、力勝負をしている役者陣を盛り立てる。
余所者が、婦女暴行容疑で監獄にぶち込まれるが、ここで働く少女と恋に落ちる。その少女との淡いが燃えるような恋と、対比されるように描かれるコキュにされた男、そして浮気性の妻の嘘が導いた結末は、銃社会とリンチなどの伝統によって臭い物に蓋をし続けて来たアメリカの悪しき保守性であった。日本と異なり、自分の恥を隠す為に簡単に人殺しをし得る銃社会の問答無用性を的確な距離で描いている点、サンフランシスコへの道行を果たせないことが明らかな結末が、何とも切ない。
満足度★★★★★
このタイトルの意味する深い意味を自分は恥ずかしながら、序盤で十全に捉えることができなかった。実に深い作品であると同時に極めて本質的でとんがった質問を浴びせてくる作品である。役名に固有名詞がついていない。総てが曖昧で宙吊りである。だが、我々の内、誰が、我々個々人が何者であるか? 何処から来て何処へ行くのか? 生きる目的は? 言い換えれば何故存在しているのか? について明確に答えることができよう!? 今作は、以上のような前提を自らに突き付けなければならないような個々人の条件を先ずは考えさせる。(追記後送)
満足度★★★★
お題は上演順に”明烏”、”猫”、”お見立て”である。落語の噺故内容は書かない。(追記後送)
ネタバレBOX
“明烏”では、堅物の息子の堅物ぶりをどう演ずるかが見所だが、これが中々に上手い。青っ白い顔色の説明では、実際、そのような表情で登場しているし、現代で言えば引き籠りに近いようなぼんぼんの堅物ぶりをこれでもか、と中盤までキチンと演じ続けた上で終盤のドンデン返しを見せるのだが、当然予測できるこのドンデン返しそのものより、その見せ方と、或る意味優等生である息子を案ずる親の心が良く表されている点でも、この噺が名作と謳われる理由がよく分かる作品である。
“猫”を扱った作品は絵画、彫刻、文学、音楽など凡そ人の歴史の中でもその作品の数や表現の多様性には目を見張るものがあるが、それも故なきことではあるまい。犬と違って、猫は人に自由の夢をみさせる。その分、人間より高い存在として描かれることも多いのである。殊に、文学に描かれる猫の殆どは人間など小馬鹿にしているのではないか? くしゃみ先生の飼い猫には名前こそないが、先生をからかった描写も多いのは誰もが知る所である。フォークナーなどは、猫の会議で、人間どものどうしようもなさを活写している。スィフトはそれをフーィヌムにやらせているが。まこと、人間とは愚かな生き物である。云々を伝々と読むアホそのものの「首相」とやらは恥を知らぬのみならず、己自身が無能であることも自覚するのを誤魔化し続けている大嘘吐きであるが、その事実を認識することすらできないウツケの癖にそのことがまるで分かっていない。あんなアホが、人間というものの代表ということになっているのだから、猫に軽蔑されて当然であろう。それで分からないから、このオチがあるのだ!
どんじりに控えしは“お見立て” である。
満足度★★★★
自由の代償! 甘えが無くて良い。
ネタバレBOX
東京から作家が僻村を訪ねてくる。彼の目的は、村に残る民譚や風習の収集であるが、案内役の娘はしきりに村からの脱出を勧める。彼女は村きってのインテリで外部の情報、村双方の情報に通じて居た為、村長自らが案内役として抜擢したのだ。然し、作家はこの風の強い村の秘密に出会ってしまう。結果、囚われの身となり、過去に同じような道を辿って幽閉された民俗学者などの男達に出会うが、風の精に最も気に入られたのはどうやら作家であった。他の男達は憧れの風の精に会えないことで嫉妬の炎に身を焼くが、他の男達が、村娘達に懲罰を受ける為に連れ出される時を見計らって、案内人が救助の手を差し伸べる。あと一歩で脱出できるという段になって作家は美しい風の精に身を任すことに賭ける。恰もそれが宿命であったかのように、俗世の自由への道を断念し、宿命に身を任せる所で終劇となる。
然しながら、風の精に身を委ねることは、永遠に幽閉されることを意味する。だが、作家にとっては、こちらが真の自由であり、大した価値を認めることのできなかった都会生活や村の日常にさよならをした時、真の自由即ち、絶対自由のアンチノミーに飛び込んでゆくのである。解説しておくならば、自由とは自由な選択の意味であり、絶対自由を手に入れた場合、我々の出会う事態とは、総てが選択可能であるが故に何一つ選択できないという状態だからである。換言すればそれ故にこそ、絶対自由なのだ。
満足度★★★★
酒にまつわる話2編。休憩あり、試飲もある。(追記2017.6.20)2編合わせての評価は花四つ☆。
ネタバレBOX
「満寿泉~東岩瀬を繋ぐ男~」
裏日本の地方都市から更に奥に入った過疎化に見舞われた集落の造り酒屋に生まれた現社長の八面六臂な活躍に振り回されながらも、その発想の壮大、忌憚の無い物言い、その発言の底にある真の優しさ、ヴィジョンの明確さとブレの無さから他の人々のインセンティブと真の能力を引き出し、常に前向きに進んでゆくパワーと大らかさが作り出す人間の絆の靭さと、本気を出すことで得られる可能性の大きさを示して圧巻。モデルになった社長さんは作品に描かれたキャラクターのような人だと言う。実際にお会いしたい人物である。
何より、ものを作り出す人間の心を深く理解し、為すべきことを明確に見極めて、一所懸命に進んでゆくところが素晴らしい。5つ☆
「るみ子の酒」
先代が脳梗塞で倒れ、造り酒屋を継ぐことになったるみ子、旦那の理解とママ友、倒れはしたものの、大した後遺症も残らずに済んだ父、優秀な杜氏らに助けられどうにか3年を過ごしたが、自分で納得のゆく酒が造りたいという心のせいで、経営はじり貧、このまま続ければ一家心中も考えねばならない窮地。一世一代の賭けに出たが、周りの多くの人々の助けもあり、一旦窮地を脱することはできたものの、品質のみで売れるのではなく、洒落たラベルや、一躍有名になったことによる集客効果で売れるようになったことで杜氏以下、酒蔵を支えてきてくれた人々が一斉に辞めた。
こちらは、酒造りとしてはトーシローだった夫婦が、これでもか、と言うほどの試練を越えて独自の味わいを持つ純米酒を作り上げてゆく話だが、酒のテイストについての面白さでは、試飲させて頂いた「るみ子の酒」は格別であった。然し、演劇としてはリアリティーは感じるものの、飛躍の度合いがやはりリアルで演劇の持つ魔法のレベルに届いていたとは思えなかった。それで4つ☆であるが、真面目に酒造りに取り組み、出来上がった酒は見事なものであった。また、飲みたい!
満足度★★★★
人の行為の属性とは、その主体が何らかの意志を以て事に当たり遂行しようとしても、その在り様は、泥が泥を捏ねるが如くである。このことのリアリティーをキチンと描いている点で、多くの学生演劇と一線を画している。シナリオのしっかりしていることは無論だが、舞台美術、照明、音響、スモークなどの効果も上手く使っている。初見の劇団だったが、フライヤーの持つ独特の雰囲気を裏切らぬ優れた舞台づくりであった。今後にも期待している。花四つ☆(追記後送)
満足度★★★★★
武田 信玄に与した真田の忍び、唐沢 玄蕃は、その器量の大きさと壮大な夢に力を与える人間的な靭さ、そして己を的にさせることで、仲間を守る優しさを評され、信玄の覚えが目出度い。無論、昌幸も玄蕃のこの性格を高く評価している。(追記2017.6.21)
ネタバレBOX
然し、流石の信玄も寄る年波には勝てぬ。終に崩御の時を迎えた。信玄を継いだ勝頼では重石が効かぬ。織田、徳川、北条らの連合、包囲は着々と武田を追い詰めて行った。武田は終に終焉を迎えた。然し、真田は、智将昌幸の下、独自の道を歩む。
プラグマティックでなければ生き抜けない戦国の世の論理に、どこか人間的な夢を見、それを追った者達と、時代の趨勢に呑まれ自らその走狗として生きることを選んだ者達の葛藤を通じ、人間という生き物の抱える哀しみや苦悩、宿命に対する選択と態度を鮮やかに描いてみせた。
真田の緋縅と武勲、采配の妙と結束の固さ、そして血脈を残す為に親子、兄弟が敵味方に分かれて争わざるを得なかった時代の価値の中で、何れも最大限の成果を上げた知の勝利に関して異論を唱える者はいないのではないか? そして、その勝利に大きな貢献をしたのが、情報収集をその根本とした忍びの活躍であった。講談などにもなった真田忍軍である。猿は猿飛佐助を暗示しようが、この真田勢力と風林火山で一世を風靡した猛将、武田信玄が、プラス要素のキャラクターであるなら、長く命脈を保った北条氏と彼らを盛り立ててきた風魔一族が、マイナス方の代表ということになろうか。作品は、どちらにも過度な肩入れはしない。何れも己の信じた宿命の為に生き、その生を貫こうとした者たちとして同等の重さで描かれている。役者陣もその辺りのことはよく分かっていて、互いに役を生きていた。無論、演出もこのような表現をする為にバランスをキチンと取っている。その結果、作品にバランスと深みが生まれ、観る者を彼らの戦いの現場に連れ出す。殺陣を演じながらの唐沢 玄蕃と風魔 小太郎の命とレゾンデートルを賭けた論争も見所だ。
満足度★★★★
アクセス地図を見ていたら、なんとラドはラドリオⅡ(元)ではないか!? 花四つ☆。
ネタバレBOX
今でも元々のラドリオは営業しているハズだ。何れにせよ、因縁を感じるのはラドリオは好きで良く出入りしていた店だからである。神保町は子供の頃から縁のある街で、社会人になってからも仕事場が界隈に在ったり、ずっと付き合いのある街なので、この符号に驚いてしまった。閑話休題、自分のことなどを書き込んだのも、今作に関わりがあるからである。今回は、時来組に入った新たなメンバー4人のお披露目公演ということなのだが、3つの作品のオムニバス形式の上演で、その第一作が、ラドリオの斜め向かい辺りに実在する”ミロンガ”や、作家が原稿を書く為に缶詰にされることで有名な(無論、それだけ落ち着いた、サービスの行き届いたホテルなのである)山の上ホテル等、神保町馴染のホテルや店が登場するからであるし、観客に対する前説の対応の仕方も、如何にも小粋な神田らしい体の物だったからである。一作目は推理物ということになるが、こういう地元感覚を大事にした作品でもあった。
二作目は、云々伝々首相(どこかの植民地首相で云々を伝々と読んだことで有名。自分の愚かさを隠す為か、三代将軍、家光の三本の矢の話を持ち出すアホで、何チャラミクスなどというたわけた「理論」を得意になって実践させている。)をおちょくった作品で、とんでもない新法の施行で庶民が塗炭の苦しみを嘗める話だ。
三作目は、口上から察すると再演か再々演の作品だと判断した。第二話では、悪法の為に二十年以上も鍛えて来た技術を断念しなければならなくなった職人の、徒弟としての修業の話に心を撃たれたが、三作目では、小学校低学年の時提起され、血判状迄作って、二十年後に会って埋めたタイムカプセルを開封する約束を巡っての淡い恋と、恋に揺れる二人の重い現実とが、ピュアに描かれているが、女心の恋に賭けるひたむきな様を描いてホロリとさせる。どんでん返しもあって、こちらは、見抜けなかった。
満足度★★★★★
単に推理劇に終わらず、表現者論にも踏み込んだ知的な作品。素人さんにも分かるように、結構擽りも入れてあるから、幅広い層の人々が楽しめよう。
ネタバレBOX
舞台は、中央の応接セットを囲むように、天井から床まで白布が下げられているが、白布は2枚でワンセットになっており、応接セットの奥の高い位置に矢張り天井からブランコが吊り下げられている。
オープニング早々、多くの役者が登場し様々な科白をポリフォニックに語るのだが、その後、2人の作家が登場、小説家という表現者の「位置」について語る。ところで、このシーンで実に大切なことが、現れている。その一つは、表現する者の意味及び結果として出来上がった作品と作家の関係、作品が出来上がる過程に於ける作家のコノタシオンと作品及び作品を受け取る者との関係を敢えて簡略化し、誤解するように誘導しているのだ。実は、今作、推理作品でもあるのでもう一つ仕組まれた罠があるのだが、無論それを明かせば、これから観る人の妨げになるから、明かさない。
面白いのは矢張り序盤で、神の位置を人間の創造物として規定している点である。中盤でも極めて本質的な科白がある。ヘミングウェイが書いた聖書のもじりとして現れるその科白に於いて大事な部分が“無”に置き換えられている点である。ホメーロスの叙事詩、オデュセイアに描かれるオデュセウスの逸話に巨人、キュクロプスとの戦いについての挿話があるが、目を潰されたキュクロプスに「お前は誰だ?」と尋ねられた所でオデュセウスが、ウーティス(nobody)と応じたことに近いかも知れぬ。何れにせよ、この“無”は終盤、最終部に繋がる重要な部分である。
終局、自分が説明して来た通りに話が進み、自死したヘミングウェイが変更する前の聖書の一節が語られる。と同時に、最初、自分が明かさないと書いたトリックの結果が、示されている。答えは今夜、劇場で確かめられたい。楽日である。
満足度★★★★★
二度目の観劇である。二度目ともなると音響、照明などの効果についてもより詳しくチェックする余裕も生じる。で結果であるが、これもタイミング、効果の度合い、何れも流石に上手いのだ。初回に続き、花5つ☆。
ネタバレBOX
的確さは無論のこと、タイミングや、明度や音量、用いる効果音の選択に至る迄、舞台上で演じられている内容に即しているのは勿論のこと、観客の心理を盛り上げ、或いは消沈させるような心理的要素に対しても巧みな手腕を見せている。
シナリオの重層性についても矢張り言及しておくべきだろう。主人公である、将門の描き方は無論のこと、将門を討たざるを得なくなる貞盛、追討を命じる藤原北家の面々、貞盛に力を貸す藤原 秀郷、将門を阿弖流為と同等の王と看做し加勢する蝦夷の面々、将門を謀反人という存在にしてしまうことになる国司の興世王、その計画に利用される義賊気取りの玄茂、そして俘囚として生まれたが故に、敵に密通する大蛇丸、如何に無勢となろうと手を差し伸べる将門・貞盛の叔父、平良文など脇をしっかり活き活きと描き込み物語に膨らみと深さ、そして演じる役者達のインセンティブを高いレベルに保つことになるシナリオの作り、細かい所に気配りの見られる演出と役者達個々人の工夫の総和が、活気に満ち、広がりと深みそして残響を以て観客の胸に迫る。
満足度★★★★
開演前から、かなり多くの役者が板に着いて、スラップスティックな寸劇をやっている。
ネタバレBOX
その舞台美術であるが、構造が多少変則的であるものの、舞台設定となるホテルの一室ということになっていて、話もジューンブライドに掛けてあるので、清潔な感じの白を基調とした部屋に応接セットというのが基本的なレイアウト。その他、若干の備品は無論あるが、すっきりした良いレイアウトになっている。
話の内容は観て貰うとして、若干ファンキーで終始スラップスティックな内容なので、その内容にマッチした明るい雰囲気を保ち続けている所に、今作の成功があるだろう。笑えるし、楽しめる。良い意味で肩の凝らない作品だから、梅雨入りしたどんより気分を吹き飛ばすにはもってこいだろう。いくつか推理を楽しめる部分もあるから、唯笑ってばかりいないで、どれだけ早く真実を見抜けるかも注意して観ると増々楽しめる。
満足度★★
現代日本のだらしなさがそのまま出たような作品。
ネタバレBOX
ただ、日々をうっちゃって時の流れに揺蕩うだけの人間なんぞより、にゃこの方がよっぽどマシ。風太郎の母が繰り返す「覚えてる?」というバカげた質問で、何を浮かび上がらせようというのだろうか? 三島由紀夫でもあるまいに、生まれた時の光景を覚えているなどと、シャアシャアと言う嘘吐きが他にそうそう居るものか! かと言って血統的に能力の劣ることを、必死に悩むだとか、鉄平が一緒に暮らしているのが、LGBTの元野球部エースで今は性転換している人間だとかの問題を掘り下げる訳でもない。折角、芝居になりそうな要素を一切掘り下げず、而もアンチテアトルとかいう作品破壊をラディカルに実行しているとも思えない。
では、細部にリアリティーがあるか? と考えると時代によってビールのラベルは異なるものの、ずっとアサヒである。アサヒスーパードライの前、一番飲まれていたのはキリンラガーだ。まあ、時代区分をハッキリとっている訳ではないから、余りガタガタ言っても始まらないが。そんなことより、結婚式を間近に控えた娘が婚約者を連れて父を訪ねて来た席で茶を淹れるのに、湯飲みの九分目迄注ぐ馬鹿が何処に居るのだ? 婚約者の目の前で若い女がそんな作法外れのことをするハズが無いではないか? それともこれも劣る血統を表す演出なのか? シナリオには、以上のような欠点を感じたし、演出についても上記のような不満を感じた。せめてもの救いがにゃこであった。
満足度★★★★★
実に素晴らしい舞台だった。未だ興奮が冷めない。時代劇を観てこのような体験をしたのは初めてである。この数年で2千本程度の作品を拝見しており、時代劇に限れば10分の1としてもである。というより、これだけ印象に残る作品は観劇した全作品の中でも10作に満たない。そのうちの1本である。絶対観るベシ!! 花5つ☆
ネタバレBOX
ところで、芝居好きなら誰でも気付くソフォクレスの傑作に出てくる科白を想起させるシーンが今作にもあるのだが、これも偶然ではない。今作の構造が、ギリシャ悲劇の構成に近いのだ。コロスのように現れる将門側近によって語られる意(おもひ)はポリフォニックな大音声となって幕開きから観客を引き込む。実に上手いオープニングである。而もかなり早い段階で陰陽師が登場して、これから起こるであろうことを予言するのである。そして、陰陽師の予言は、神ならぬ人の世の浅ましさを通じて具現化してゆくのだ。その只中に置かれた将門と平家一門の総領として歩まねばならなかった貞盛の悲運を軸にした展開こそ、この物語の核である。天性の資質として自由闊達な気性と天衣無縫な大らかさそして希代の優しさを持つ将門が、都の貴族たちの陰険で悪辣、而も無慈悲な政争の具に貶められ命を失うまでの一大叙事劇でもある。この時、武者として最も大切な二つの価値が、貞盛、将門それぞれに、一つずつ守り通されたことも見逃せない。
いつの世も権力闘争に群がる者たちの精神は穢れ、血と汚辱そして悪徳に塗れているものだが、その実態を見事に描き出している点でも秀逸である。
ギリシャ悲劇以来の演劇の伝統を見事に作品に活かしつつ普遍的なレベルに迄作品を高め得たシナリオ、演出の見事さ、役者陣の演技の良さと役を通じての間合いの取り方のバランス感覚、合理的且つ美的な舞台美術に適確な照明、音響の効果何れも優れたものである。
初日が終わったばかりなので、余り詳しいことは敢えて書かないが、観ておくべき傑作である。
満足度★★★★★
原作の骨子をキチンと押さえながら、ドグラ・マグラという作品が奇書のレッテルを貼られる原因、
ネタバレBOX
即ち人間存在の裸形を深く穿ってゆくときに必ず立ち現れる、いわく言い難いもの・こととの対峙を、別の言い方をすれば、ハイデガーが述べた“ダーザイン”の意味する所へずり落ちてゆく時に見る、人間存在の根底に横たわる不如意の不気味を提示し得ていよう。舞台美術も、奈落の使い方も気に入ったし、柱の横に据えられた梯子、水場も良い。何より、気を引き締めようとする時や、テンションの上がる時に水が介在する点もグー。この水は我らの存在自体がアモルフであることを象徴してもいるだろうから。
役者陣の熱演も気に入った。劇化することが極めて難しいと考えられる今作を、極めて印象的な舞台に仕上げてくれたのは、脚本、演出、そして役者陣であるのだから。
満足度★★★★
今作の作家は、ローラント・シンメルプフェニヒと言う作家で、現代ドイツ語圏で最も多くその作品が上演されると評判の作家である。1967年西ドイツ生まれというから50歳ほどの作家ということになる。今作の舞台はかつてホテルだった学芸大学のCLASKAというアトリエでの公演だ。現時点で花よつ☆(追記2017.6.21)
ネタバレBOX
Shelfの公演は、キッドアイラックや春風舎、横浜の古いビルの一室、そして今回のギャラリーといった非劇場の公演が多いようである。まあ、春風舎は一応小劇場ではあるが。何れにせよ、ギャラリーの床はそのままで、床面に白い長方形が描かれ、客席は品川方面に向いている本物の窓の前を除く3辺に沿って作られている。因みに窓には赤い文字・而も英語表記で、成田空港までの距離は64.2Km、品川4167mと書いてある他、床には、劇中の科白やエントランスの位置、物語の鍵になる鍵束の落ちる位置、回廊、唯一実際に置いてある家具らしい家具であるソファーの位置指定、実物は無いが在るとされているサイドテーブルが矢張りアルファベットで記されていたりする。他小道具としてコニャックの少し残った瓶。ソファの周りに脱ぎ散らされた女物の衣類そして、ソファには女が寝そべっている。これだけ舞台美術がシンプルだと、想像力を最大限に強いる舞台だということが、良い刺激となって観客に伝わる。而も異国情緒のエッセンスであるアルファベットが部屋中に踊っていると言う訳だ。象徴性でいうならば、窓に書かれている外界へのアプローチが、閉鎖系としての上演中の劇空間に対する現実世界への通路(窓口)を表していると同時にヨーロッパ人にとってのアラブ人、アラブ世界という異国趣味をも表象している。無論、この話はそんなに単純なものではない。但し、それが日本人に簡単に理解できるという話ではさらさらない。調べれば調べるほど深みの増す作品であろう。
アラブ系文学の代表作として、誰もが即座に思いつくのが「千一夜物語」だろうが、今作には、この物語に出てきそうな、ヨーロッパから見たアラブ世界の魔法の感覚のようなものが感じられる。現在に即して言えば、ボルヘスやマルケスに代表されるようなラテンアメリカ作家のマジックリアリズムに近いと言えるのかも知れぬ。何れにせよ、移民が人口の多くを占めるヨーロッパ先進国の日常空間に於いて、異国文化に対する様々な反応や戸惑い、憧憬や反発が複雑に絡まり合って成立している状況を感覚的受容を含めて上手く吸い上げた作品ということなのであろう。残念乍ら、自分がドイツ人と話をする時はフランス語を使っているので、フランス語のできるドイツ人としか基本的には話さないのだが、その狭い窓から見えたのは以上のような世界であった。
満足度★★★★
元々は大阪の女子校生によって7年前に演じられた、高校演劇の話題作だという。
ネタバレBOX
どうりで! 坂本九の「上を向いて歩こう」が劇中何度も流されるのに、リモコンが使われたりすることにしょっぱな違和感を覚えたが、時代背景を説明している訳ではない、と納得した。
中盤迄は、関西らしく二人芝居というよりは漫才のノリである。
一方、内容が生き死にに関わることなので、段々、シリアスな科白、時にしんみり、時に哲学!? 的にすらなったりするのだ。そしてその表現の齎すテイストが、如何にも思春期の少女たちの柔らかい感性を感じさせる所に今作の真骨頂があるだろう。今回演じているのは、基本的には2人の男性俳優であるが、(その他にナース役の女性も登場するが、出番が余りにも少ないので基本二人芝居と観た訳である)内一人は常に苗字で呼ばれ、もう一人がファーストネームで呼ばれているのだが、孝子という名なので、この辺りは演出家のユーモアであろう。何れにせよ終演に近い部分にはドッペルゲンゲンルと取れるような状況まで飛び出すのだから、若書きの面白さと醍醐味を味わえる。
満足度★★★★
タイトルはマザーグースの歌から採ったそうである。手元にあるマザーグースの歌の中には無かったものの、そういうことらしい。まあ、マザーグースの歌はかなりの数があるということだから手元にある200ほどでは埋め尽くせないということでもあろう。
ネタバレBOX
作品の中には邯鄲の枕の話が出てくるし、夢と現の曖昧模糊とした辺りは、複合意識の底に蠢き台風の目のように明澄でありながら、目の前に在るのに触れられない不可解なギャップや思いがけない跳躍、訳も無い焦燥感などを睡眠障害として訴える顧客たちの言動や、添い寝屋のナオが出遭った少女との邂逅を懐かしく而もどこか白々しく感じていたことに集約されよう。実は少女が夢と現の橋渡しをする存在であり、彼女の能力は夢と現の等価交換にあり、それが実施された暁には、ナオの現実から、何かが失われてゆくのであった。挙句、ナオは少女と対決するに至る。その勝敗は五分と五分。1年後、大学も止め消えたナオを追って部屋を訪ねて来たかつての客に、ナオの唯一の大学時代の友人は、彼の消息は杳として分からぬことを告げるが、顧客は、そういう訳だのに、電気も水道などのインフラも、部屋の様子も当時と一切変わらずに維持されていることを告げる。残ったものは、何とも言えぬ不如意な感覚である。そしてそれは我々の体温に似ている。
満足度★★★★
柳井 祥緒氏、森本 薫氏の作品である。柳井氏の脚本に関しては、流石と言うしかない。柳井氏の作品は花5つ☆、森本氏の作品は3つ☆全体では☆4つとした。2作品の間に休憩が10分入る。柳井氏の作品は絶対見るべし!(追記2017.6.4 02:30)
ネタバレBOX
どんなに才能のある作家にも出来不出来というものがあるものだが、柳井氏のシナリオに限っては、今まで拝見した総ての作品に出来の悪い、という作品が一作も無い。その中でも今作は「艶やかな骨」と共に出色の出来栄えである。こういう作品に出演する役者は幸せである。何故なら、作品が、役者を活かすからである。演じることが生きることに繋がるシナリオなのである。或る程度、シナリオが良ければ、良い役者は、シナリオを生きることができる。だが、このシナリオは、演じることが、生きることに重なる。そのような稀有なシナリオなのである。
柳井氏のシナリオが生のシナリオであるなら、森本氏のシナリオは死のシナリオであると言えよう。書かれた時代の背景もあるのかも知れぬ。何と言っても治安維持法下の作品である。それ故に森本が敢えて死の作品を書いたのだとしたら、その才能は驚嘆すべきものであるが、シナリオ自体の出来で比較すると、柳井氏のシナリオを百点とすれば、森本氏の作品は、50点ほどか。
では、柳井作品のどこがどのように生に繋がるのか? それは、今作の主人公、伊坂なみ女の芸術家としての生き方が、人が人としてあるべき尊厳を湛え、而もそのことが、芸術の目指すべき真の姿に重なると同時に、その精神の根底を支えるものが、徹底的に率直であろうとする姿勢であり、そのような生き様であることに起因している。アーティストは、そのような生を実践することによってのみ、プライドを維持する。そして、このプライドが、治安維持法下での戦争協力をさせなかったものの正体である。
それに引き替え、彼女の師であった蒼穹は、表面的には戦争に加担しないというアリバイ作りをしながら、その実、特攻基地に密かに潜り込んで時流におもね、死に行く若者たちに句を書いていたのである。彼女は、それを食堂の賄婦として働きながら観ていた。
その辺りの事情をなみ女の妹弟子、凪子との句合戦で明かしつつ、天才の持つ力の源泉と其処から生み出される、言の葉の息吹として、劇化し演じてみせるのである。じっと、物事を見つめ、深く本質を見抜いて、その本質に生命で触れ、理解し葛藤し昇華する。これら総てが舞台上で表現されるのである。深く打たれぬなどということが在り得ようか!?
ところで、以上の内容が劇的に設えられる前提がある。それは冒頭で、なみ女が、句を止め、句集を寺に奉納するとして、彼女の親友、ヨネが、住職に話をし、住職がもう来ることになっているシーンから始まるからであり、なみ女がそのような決断をしたのは、蒼穹に葉書を出してから10日経っても返事がなければ、句界を去ると決めていたからである。凪子が師の「句会へ戻ってくれ」との伝言と共にやって来たのは11日目であり、ヨネとなみ女の関係は、或いは凪子同様なみ女を愛していたからかも知れぬというサッフォー的な意味合いも含めての女同士の三角関係であり、師の偽善となみ女とのアーティスト魂との戦いであると同時に、彼女がミューズから愛されているか否かを賭けた戦いでもあったからである。この前提の中にも生命の激しい燃焼が炎を煌めかせているのが見える。