ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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天召し-テンメシ- 【第28回池袋演劇祭参加作品】

天召し-テンメシ- 【第28回池袋演劇祭参加作品】

ラビット番長

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2016/09/15 (木) ~ 2016/09/19 (月)公演終了

満足度★★★★

花四つ星
 大人になってからの智役が気に入ったのと、相変わらず、井保さんの可愛らしいリーダーぶりが好みである。

ネタバレBOX

 今作の科白にこんな意味のものがあった。化け物と言われる天才が喰らい合う。負けた奴は普通の人になる。この科白が意味することの深さと本当の意味を知る人間がどれだけ居るだろうか? 同時にこのような人間に振り回される人間がどれだけ居て、彼ら彼女らは幸せだったり、自分の人生に満足だったりするのだろうか? この辺りの人情の機微を描かせるとラビット番長は実に上手い。無論、作・演出の井保三兎氏の経験や経歴、観察眼と率直な視座、たゆまぬ努力とそれを可能にする謙虚さもあろうが、そういった彼の良さ、リーダーとしてのひたむきな可愛らしさを理解し、ついてゆく若手たちも魅力的である。そしてこのような人間関係自体が、作り物としての演技を凌駕し続ける限りにおいて、この劇団は成功を収めてゆくであろう。今作もラビット番長らしい作品であった。たくさんの作品を拝見している自分にとっては序盤、ちょっと作為的と感じる部分はあったにせよ、評価できる作品である。
『シーチキンサンライズ』『幸せな時間』

『シーチキンサンライズ』『幸せな時間』

T1project

小劇場B1(東京都)

2016/09/14 (水) ~ 2016/09/25 (日)公演終了

満足度★★★★

芸能と誇り
そして生活、人の優しさ。

ネタバレBOX

 8年前結成し、一時はスターの座を射止めた漫才グループ、シーチキンのリョウと榊。シングルになった4年前から一向に人気は衰えないどころか、今やトップスターのリョウが、かつて苦労を共にした仲間を自費で呼んで自分達がデビューした小屋で公演を打つことになった。榊は、天井にアスベストが在ったとかで、急遽楽屋にされた小屋の物置のような場所で首を吊ろうとしている。彼が現在している仕事はアダルトショップでのアルバイト。愛妻はリョウの憧れの人でもあった女性だ。
 小屋は、現在借金の形に取られそうな状態であり、督促も厳しい状態だが、久しぶりの公演はシーチキンが出るとあって満員御礼。だが、売れっ子スター以外は塵のような存在の芸人たちの妬み、プライドと生活、旧弊な師弟制度内でのパワーハラスメントとその深刻な結果を負わねばならぬ女性、芸能界の特殊事情などが絡んで、4年前までとはうって変ったリョウの主張と態度に、旧い仲間たちは唖然とし、反発するが。無論、彼のこのような態度には理由があった。
ミラー

ミラー

東京演劇アンサンブル

ブレヒトの芝居小屋(東京都)

2016/09/09 (金) ~ 2016/09/19 (月)公演終了

満足度★★★★★

いきなり脱臼 花5つ星 必見
 素の勝負!

ネタバレBOX

 開演前の舞台上には、中央に最も大きい扇のような形のオブジェが立てられ、このオブジェを中心に、脇侍のように左右双方に二回りほど小型で同形のオブジェが置かれている。オブジェには、鏡に反射する虹のような照明が当てられ、実際鏡と見紛う。正面奥には独立した映像が格子状に映写されており、大写しになった個々人の顔が見える。その口からは、日常生活の鬱憤や自己主張が語られ、物語の始まる前に多くの日本人が常日頃生活の中で感じていることが抽出されているのだが、幕が上がるといきなり脱臼する。皆、彼を待っているのだ。彼とは、今幕が開き、始まっている演劇の主人公である。主人なしに幕が開いて準備した演目が演じられるハズはない。そこで続行するか否か侃々諤々の議論が始まり、一旦は公演中止との判断が下されるのだが、この混乱と不如意こそ、イスラエルの占領によって日々パレスチナ人が強要されている日常的不如意なのであり、不条理なのである。観客は、実際舞台が中止に追い込まれるかも知れないと感じさせられる演技に、上記のような解釈と同時に、役者たちと同じような混乱と自問自答“これで終わってしまったら!? というような状況を体験する。この後にも様々な形で各々の日常が、各々が作り出す寸劇やパフォーマンスを構成し展開する即興のような形で構成されている。無論、即興のように見せていることには、巧みな構成がある。日本の諸問題を扱うことが、現在、日本人より遥かに過酷な条件下にあるパレスチナ人の苦悩を、日本人にも分かり易く、またありのままの形として現出させることに繋がっている。上演中なので更なるネタバレはここでは控えるが、素で勝負した舞台、必見である。
「よかった。」

「よかった。」

劇団振気楼

東京大学駒場Ⅰキャンパス(東京都)

2016/09/11 (日) ~ 2016/09/12 (月)公演終了

満足度★★★★

アンヴィヴァレンツ
 タイトルの”よかった”は、吉田という空気の読めない男の発する科白から来ている。約40分の短編である。

ネタバレBOX


 舞台は、社会福祉の講義を取っている学生5人が所属しているサークルでの話だ。5人の内訳は男3、女2である。女のうち1人はとてもナイーブで傷つき易い。また、吉田と呼ばれる男は、空気が全く読めず、為に小さな頃から己を否定され続けてきていて、他人からは一段格下に観られている。無論、このことを根に持っているから、コンプレックスが非常に強い。冒頭、皆が集まって話をしている時に、何故「福祉」を選んだのかを話し合う機会があったのだが、他の者は皆それなりの合理的な理由を述べたのに対し、吉田だけは吠えるような大声で叫ぶ。この異様な様で、彼のコンプレックスの深さ、異様が分かる仕組みだ。その後、飲み会のあった翌日から、ナイーブな子が授業にもサークルにも訪れなくなり1週間が過ぎた。皆が心配していると漸くやってきた彼女は、原因を話すことになった。それによると福祉施設を襲って凄惨な殺傷事件が報道されたのを見て、自分が関わろうとしている福祉施設で暮らす人々が晒されている偏見などの状況を知るにつけ、果たしてこのまま、この道を歩いてゆくことが出来るのかや、もしまたこのような事件が自分の関わる施設で起きたら、と考えて悩んでいたのである。気分転換に皆でカラオケに行くことになったが、吉田だけは、傷口に塩をすり込むような言動を取り、彼女はまたsふさぎ込んで泣き出してしまった。その後、彼女は吉田の立場をフォローしようとするが、逆にそれを自分を馬鹿にしていると感じた吉田はパニックを起こしてしまう。暗転後、頭から毛布を被ってごろ寝をしている吉田に電話が入る。そこで吐いた吉田の科白がタイトルになっている。
 福祉サークルのメンバーの中でも苛められている吉田。この構図が太い縦軸。苛めているのが福祉に携わろうとしている人間であることは無論アイロニーである。
 然し、メンタルケアも要する福祉の現場で施設収容者の様子や状態から何も読み取ることができず、間違ってはいないものの、世間で言い古された一般論を盾に自らの真の観察を隠し、患者を傷つけるような言辞を平気で弄するようなキャラクターが、福祉士としての資格を持つとしたら? という問いかけも含んでいる点は見逃せない。
 この辺りの事情を読み違えるとアンヴィヴァレンツに陥るという問題も提起していて興味深い。それは当に現在我々が向き合っているF1人災のようであるのだから。
タイムリーパー光源氏

タイムリーパー光源氏

十七戦地

Gallery&Spaceしあん(東京都)

2016/09/09 (金) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★

コミカル源氏
 柳井氏のシナリオ発想の妙もさることながら話の持って行き方が実に巧みなことは流石である。

ネタバレBOX

而も3名の登場人物それぞれに振られた科白の適確さが、今作を極めてドラマチックなものにしている点で、柳井氏の劇作家としての力量を端的に示しているといえる。
 今回、源氏を扱ったのは「眠る羊」で、平家をベースにしたからであろう。眠る羊で滅びや滅亡へ向かう者たちの危機意識を扱ったのだとしたら、今回は、初心な素振りでしたたかな政治的逞しさ、生き抜く力の狡さを描いたと言えるかも知れない。而もこのように大人びたセンスを持ちながらも、17歳という年齢からくる幼さも併せ持つような光 源氏の道ならぬ恋の深刻な意味を、陰陽道を梃に対比し、タイムリープというコンセプトを接ぎ木することでコミカルに仕立てて楽しませてくれる。古民家ギャラリーを背景に展開される場面、場面は、風情のある庭と相俟って観る者を楽しませてくれる。惜しむらくは、若干、噛んだシーンが多かったこと。
『水はけのよい土地』

『水はけのよい土地』

無隣館若手自主企画vol.13 早坂・福嶋企画

アトリエ春風舎(東京都)

2016/09/09 (金) ~ 2016/09/12 (月)公演終了

満足度★★★★

若者とは

既にして恐るべき老人である。
 かつて、リルケは言った。

ネタバレBOX


 苛めを受け、たった独りだった少女に友人ができた。誰にも気付かれない廃屋での冒険や大きな犬が居る為に通れない近道の謎を解明するなどの子供らしい冒険を共有するが、隠れ家のような廃屋に置きっ放しにしたコンパクトは、貸してくれた友人の宝物だった。ひょんなことで喧嘩をした台風の夜、その宝物を探しに行った友人は、足に大けがを負って引っ越してしまった。ところで、友人を傷つけた責任があった少女は、その後数十年の時を経て徘徊するボケ老人となり、かつての廃屋を何度も訪ねようとする。然し、辿り着けない。一方その場所には現在コンビニが建っており、そのコンビニの状況と老婆の幻想とが入れ子細工で描かれるという構成の作品だ。ラスト徘徊を繰り返す老婆が、漸く辿り着いたコンビニは、足に大けがをして転校した友人の店で、苛めを受けていたのは徘徊する己、総てに成功していた若いころの自分は単なる幻想でしかなかったことが明らかになる。ちょっと残酷な童話のような作品だが、若い人が書いている所をみると上に挙げたリルケのフレーズに思い至った。
愛(かな)しきは

愛(かな)しきは

劇団だるま座

TACCS1179(東京都)

2016/09/09 (金) ~ 2016/09/14 (水)公演終了

満足度★★★★

だるま座らしい作品
 第2次大戦末期から戦後のどさくさを生きた庶民の物語。

ネタバレBOX

中心の錘となるのは、馬鹿一と子供たちからからかわれる画家。石と野草ばかりを描く一風変わった絵描きなので、こんな風に呼ばれているのだが、“叩けば埃が云々”が当たり前だった時代に清貧を通したアーティストとして描かれている点は興味深い。
 中心になるのは、馬鹿一に10円の家賃で間借りしている一家である。大戦で息子3人は全員応召。戦後2人は復員したが、最も頼りにしていた息子は戦死した。そんなこともあって、父は抜け殻のようになり、末弟は共産主義に走って結局豚箱入り。1人は闇屋となってカストリの製造密売やら闇物資の売買で稼いでいたが彼も警察に掴まってしまった。然し、闇屋でもやらなければ飢え死がオチであった。実際、配給制度が機能していた戦中より戦後の混乱期の方が庶民の食糧事情は悪化していたのである。長女は結婚して実家を離れていたが、貧しく親の懐に頼るばかり。親の持っている金は、ストリッパーになった妹が稼いだ金でもあった。
 一方、清貧に甘んじる馬鹿一に転機が訪れる。画壇の大御所に才能を認められ、人間を描くよう勧められたのだ。モデルになる女も出入りするようになり、終にはヌードにも挑戦するが。
 庶民と欲のない画家との日常を描く舞台は、戦中戦後の余りにも凄惨な描写は避けつつも、遺骨として持ってこられたもののいい加減さや犯罪とされた闇商いなどをしなければ生きられなかった当時の世相、敗戦によるショックで自失した人物を描き、占領軍アメリカの影響や人種問題などもやんわりと提示して入り易い作品になっている。
朝食まで居たら?

朝食まで居たら?

劇団青年座

俳優座劇場(東京都)

2016/09/08 (木) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★★

上手い
 尺が長い作品である。途中15分の休憩を挟んで2時間40分。だが、粋な科白劇を本当に上手い役者が演じて長さがちっとも苦にならない。流石、青年座といった所か。

ネタバレBOX

 時は1970年、ヒッピーがまだごろごろしていた頃だ。ロンドン郊外のアパートに住むジョージの所へ、床が抜けるのではないか? との大騒動の後、ルイーズが転がり込んできた。1週間ほど前から階上のデイビーの所へ転がり込んでいたのだが、喧嘩して飛び出してきたのである。おまけに遠慮も会釈もない。恰も自分の家に居るかの如く勝手な振る舞いをし、スラングを多用する。更に彼女は臨月なのだが、父親は無論デイビーではない。ジョージは堅物の公務員で、35年間無遅刻・無欠席を誇る部長である。階層性の著しいイギリスでは、スラングを多用すること自体、既にドロップアウトしていると看做されても仕方のない所だし、ましてジョージは堅物が嵩じて離婚したのも同然の人間だから、まるっきり真反対の性格である。ルイーズはこともなげに金までせびるのだが、この全く対極にある二人は、ぎくしゃくしながらも交情を深めてゆく。何と言ってもジョージは紳士であり、如何に常識外れのヒッピーの小娘とはいえ、臨月の娘を屋外へ追い出す訳にはいかないからである。そうこうしているうちに、彼女は産気づいてしまった。
 第2幕は出産後も彼女がジョージの所に居座っている所から始まる。上演中なので、これ以上は書かないでおく。原作は外国の作品だが、訳が素晴らしく翻訳物に感じる違和感は全然ない。小粋な科白の応酬と達者な演技が素晴らしい。殊にルイーズが吐く科白は、嘘と
虚栄の世の中を、時に鋭く風刺するような裸の言葉であり、時に深い陰影をも持ち合わせる。
時折、階下へ降りてくるデイビーとジョージの関係の変化も見所
天泣に散りゆく

天泣に散りゆく

文化芸術教育支援センター

世田谷観音(野外舞台)(東京都)

2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★

ポツダム宣言受諾後の特攻
 史実に沿った特攻隊の話だという。

ネタバレBOX

日本は満州国を中国東北部に「建国」傀儡政権を立てて実質支配した。開拓団には貧農を募集して派遣。多くの農民が大陸に渡ったが、戦局の悪化は現地農民には知らされず、多くの者が本土空襲が始まってもそのことを知らなかったという。だが、日ソ不可侵条約を反故にしたソ連軍の侵攻以来、鬼より怖いと恐れられた関東軍は開拓民を残して撤退。三光作戦で中国を食い物にした軍への恨みつらみは、一部の中国民衆による開拓民への略奪や暴力にもつながった。おまけにソ連軍は年わも行かない少女までもレイプして虐殺するなどの国際法違反を犯したが、大日本帝国は、国際法違反は散々やっていたから彼らを攻撃することは簡単にはできまい。多くの関東軍軍人たちは、庇護すべき無辜の臣民を放り出して逃げ出したのである。
 だが、今作の主人公たちはポツダム宣言受諾(1945.8.14)後、裕仁の所謂玉音放送が流されて敗戦が決まった時点まで待機状態にあり、特攻兵を訓練してきた教官たちであった。自分達が教練を施した謂わば弟子たちは、教えられたとおり敵に体当たりして果てた。教えた自分達が、子供迄襲い虐殺するソ連兵を前に逃亡するのか? と自らに問う者達でもあった。ここに、彼らの人間としての意地と、実際に逃げ延びてきた子供達の怯えに対して、大人として、軍人として、人としての矜りを賭けた戦いが始まる。基本は武士道であるが、「葉隠」の有名な一行、”武士道は死ぬことなりと見つけたり”の解釈は第二次大戦中に喧伝された解釈がそのまま用いられている。然し、この一行、不器用で大した才能も持たぬ作者が、江戸時代の太平に酔うて武士の本分を忘れたと言われる時代にあって尚、主君に忠誠を誓う姿勢を示したものであろう。当然その根底には、武士の二大価値観、所領安堵と家名存続があり、一所懸命の原義があったハズである。主君は、これに感じて三百石の加増をしたと伝えられている。無論、更に深読みすれば或る意味、フレーザーの「金枝篇」に描かれた王の述懐に似ている。即ち存在の不可解に迄思いを馳せることが可能である。まあ、解釈はこれくらいにしておこう。
 ところで、日本は何故戦争に負けたのか? 無論、非合理的であったからである。戦いは、基本的に合理的である方が勝つ。無論、敵に偽情報を流して攪乱するなども含めてである。
 今作が演じられた世田谷観音には、本堂から左に入った所に、今作のモデルとなった神州不滅特別攻撃隊を顕彰する碑が建てられており、今作も彼らの魂に捧げられている。いわば今作上演に最も相応しい場所で演じられた演劇ということができよう。元々、演劇の源流は、神々への奉納行事として始まっているから、その意味でも興味深い公演であり、雨天決行という姿勢にも強い意気込みが感じられた。実際、自分達が観に行った日も雨は降ったり止んだりの不安定な陽気であったが、演者達は気合の入った演技を披露してくれた。
 関東軍が、臣民を置き去りにして「逃げた」ことやその為、開拓民がどのような目に遇ったかなどもキチンと表現されて好感を持ったが、彼らの戦果は如何様であったのかについても知りたい所だ。何となれば、変に精神主義に彼らの死が利用されるならば、その悪影響は計り知れないからであり、軍規を破って迄彼らが守ろうとした人間として当たり前の感性や、人間の矜りは踏みにじられることが確実だからである。




Infinity

Infinity

ハグハグ共和国

萬劇場(東京都)

2016/09/07 (水) ~ 2016/09/11 (日)公演終了

満足度★★★★

天邪鬼にとって
 ホスピスの情景を描いた作品。

ネタバレBOX


 自分にとって家族というのはそんなに特別な存在ではないので、センチメンタリズムも好みではない。袖触れ合うも他生の縁位の感覚に近いのかもしれない。血は水より濃い、という感覚もあまりない。親子などというものも、状況次第で縁は切れるものだからである。随所に胸を抉るような切れのある科白が配され、登場人物の中には、既に亡くなった人達が、寄り添うように出演している演出も嫌いではないが、昏い話題を軽やかにもってゆく為にキャピキャピなキャラや、学芸会的なイベントが催されることも、実際、そのような場所でやれることであり、またやってこられたことでもあろうから、逆に気恥ずかしいようなくすぐったい気持ちになるのも事実である。
くたばれ!ロミオとジュリエット

くたばれ!ロミオとジュリエット

新沼ゼミ公演

明治大学和泉キャンパス・第一校舎005教室(東京都)

2016/09/02 (金) ~ 2016/09/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

お見事
 タイトルからして興味を抱かせるではないか。(追記2016.9.7)

ネタバレBOX

 タイトルからして興味を抱かせるではないか。あすぷがどういう位置にあるのか、新沼ゼミ公演とはどのような公演形態なのか、本当の所は調べていないのだが、主人公というより今作の引き回し役に、ジュリエットの従妹でキャピレットの血筋であり、可也美しく若い娘、ジュリエットと出会うまではロミオが夢中になっていた令嬢、ロザラインが主人公という役どころで登場することによって、ロミジュリに鋭い捻りが加えられていることに注目したい。脚本・演出は同一人物で女性であるが、舞台美術もシンプル乍ら本質を捉えた賢い作りをしている。例えば舞台側面、奥共に黒の緞帳を下げることで、観客が中央の舞台に自然に集中することができるようにしているし、中央に設えられた階段にはレッドカーペットが敷かれ、階段の両脇には、名家の太い柱を象徴するような一辺1mほどの白いキューブが置かれている。無論、このキューブは物語の進展に応じて様々な物に変化する。だが、この変幻の仕方も観客の想像力に自然に作用を及ぼす仕方で為されているので、まるで違和感が無い。更に観客席からは見えないようにこの黒い緞帳の配置の仕方を工夫して4か所の出捌け口が用意されているので、出捌けがスムースになり、演者達の演技も自然である。また舞台手前観客席側の素舞台になっている箇所の床には、白く太いテープで周囲を囲まれた十字が浮き彫りにされており、これは磔刑に遇ったキリストの悲しみを象徴すると同時にロミオとジュリエットの悲劇を暗示して見事である。演技に関しては殊にジュリエットの立ち居振る舞いの清楚な感じは、1年生で実験劇場所属の女優が見事に演じていたし、難しい敵役のロザライン役もキチンと役割を果たし憎まれるような演技・科白でこの純愛悲劇を原作よりも純度の高い現代ものとして上演するにあたって非常に重要な役を務めた。脚本の作・演出が女性である為か、ロミオは軽めの男に描かれてはいるものの要所、要所では締まった演技をしている点でグー。また活動工房から参加している神父役も悩み多い役回りを味のある演技でこなし、実験劇場から参加している家政婦・アマリアも役を生きている。驚いたのが、ティボルトとパリスで一人二役を演じた活動工房の役者は、一人二役と最初気付かないほどそれぞれのキャラを際立てて演じていたことだ。随分器用な役者に違いない。ロミオがティボルトを殺す原因となったマキューシオも実験劇場からの参加。中々ハンサムな役者である。脚本・演出・舞台美術・照明・音響・演技・キャスティングなど、本質的な所を見事に汲み取り構成している点で見事。予算がないとかで嘆く必要は少ないということの証明になるような舞台、こういう頭を使った舞台を更に作り続けて貰いたい。




上海標本日記

上海標本日記

劇団森

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2016/09/02 (金) ~ 2016/09/03 (土)公演終了

満足度★★★

ゲネを拝見
「日本全体の幼稚化」を感じる舞台であった。

ネタバレBOX

大学生にしてこの程度か? というのがハッキリ言って感想である。要は自同律の不快と埴輪 雄高が数十年も前に言ったことを一歩も超えていないばかりか、自同律に居直っているとしか思えないような甘えに愕然とした。作家は少なくとも20歳前後ではあろう。この程度の問題は遅くとも14歳までに自己処理しておくべき問題であって思春期の悩みとしては、余りに幼稚。それに、論理の徹底性を己の存在のコアに向けて来なかったことが明らかな哲学的な浅さが目に付く。
 作品はループ構造を為しているようであるが、邯鄲をベースにしているのか? この点にも作家の怠慢を観る。狂ってもいいではないか!? 本当に言いたいことの本質が人々に届くのであれば。だが、作家は敏感に感じているのだ。今のままでは他人の魂に迄届かないことを。そして、自ら行動の時限に飛ばねばならぬことを。
 だったら飛べばよい。
撃鉄の子守唄 2016年版

撃鉄の子守唄 2016年版

劇団ショウダウン

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2016/09/01 (木) ~ 2016/09/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

全然長さを感じさせない グイグイ引き込まれる舞台
 「左利きの拳銃」というタイトルの映画があった。

ネタバレBOX

今作にも登場するビリーザキッドとパット・ギャレットのことを描いた西部劇である。無論、この2人は実在した人物でビリーが初めて人を殺したのが14歳、亡くなった21歳までに計21人を殺した西部史上最大のアウトローと言って構うまい。因みに今作に登場するニューメキシコも実在の地であり、フォートサムナーは、ニューメキシコに実在する小さな集落である。1881年当時、彼らはこの町に居た。彼らとはビリーザキッドとパット・ギャレットである。史実と創作を巧みに交差させながら演じられる今作、他にも西部劇では有名なキャラクターが登場する。カラミティー・ジェーン、アニー、バッファロービルなどだ。更に主人公らを襲撃させる黒幕の元大統領・ヘイズ、副大統領ウィーラーらが、エージェントとしてパット、バッファロービル、アニーらを「敵陣」に送り込んでいる点、また更に確実に彼らの罪深き欲望を達成する為に陽動部隊としてならず者を組織し、送り込んでいる周到さが描かれている点である。何より大切な点は、このような人物達が、最先端技術を持った野蛮人という現代アメリカにも通底する本質を巧みに描き出している点である。また、話に捻りが加わっているのも興味深い点である。チプチャの王族、キャロルと共に生き残った最後のチプチャ族、妖術師の末裔シャロンが、元大統領のオブザーバーとしてヘイズにエルドラドでその宝を入手する為のサジェスチョンを与えているのだ。彼女の名前がイスラエルの元首相と重なることも興味深い。
 ところで基本的にアメリカ社会は、知的であることを嫌い避ける傾向がある。所謂反知性主義であるが、それが実施されていることは中に居ては中々理解できない。自己主張しなければ、存在していると看做されないというシステマティックな社会ということもあり、自ら深い内省を通して思想化された言説を述べることができるのは、ごく一部のマイノリティーの中から出てくるインテリのみであり、他ではない。現代でいえば、それらの代表がサイードだったのであり、チョムスキーである訳だ。因みにサイードはパレスチナ人、チョムスキーはユダヤ人である。
 今作はコナン・ドイルを語り部として美しく悲しいファンタジーの形で作られた舞台という形は取っているものの、そして登場するキャラクターは英米や南米の人々中心の外国人ではあるものの、翻訳劇に多く観られるような違和感が無いのは、作家が日本人であり、アメリカによる侵略を受け、実質的植民地としての現代日本に生きる作家だからでもあろう。即ち、此処に描かれたキャロル同様、被差別者なのであり、その視座からアメリカを見ている為に、アメリカの公式の顔ではなく、自分達がその文化・知性の低さを知らぬが故に、他民族を野蛮と看做しジェノサイドを実行しておきながら、自らに都合の良い嘘をでっち上げる彼ら差別者の、血塗られ極めてプラグマティックな虐殺史が描かれ得たのである。一例を挙げておけば、西部劇で良く使われるプロパガンダ“インデアンは残虐だから殺した白人の頭の皮を剥ぐ”というのがある。史実はまるっきり逆で、ネイティブアメリカンを騙し尽くし、殺し尽くす為、侵略者である白人は、ネイティブアメリカンを殺した証拠に頭皮を剥いで保安官事務所へ持ち込めば賞金がもらえるというシステムを作り実行したのである。当時、白人たちが嘯いていたことばに「良いインデアンとは死んだインデアンである」というものがあり、これは現代イスラエルが初代首相、ベングリオンの施政方針とした国境を作らぬこと、ネイティブをジェノサイドによって滅ぼすこととそっくり同じなのは、ベングリオン自身が証言しているようにアメリカの真似をしたからなのである。無論、シオニスト達の暴言には現在でも「良いパレスチナ人とは死んだパレスチナ人である」というアメリカ人の発想とそっくりな表現がみられる。彼らがテロリスト呼ばわりするイスラム教徒の大多数は、力を行使して戦うことを望んでいるのではなく、ネイティブ・アメリカンと同様、侵略され、占拠され、支配されて人間の尊厳を奪われることに異議申し立てのデモを組織したりしているのであり、それは人間として当然の権利だ。従って欧米と米国植民地日本の体制派は、イスラムフォビアを即刻止めるべきなのである。
 休憩を挟んで3時間10分という大作だが、作家のナツメクニオが言うようにハラハラドキドキの悲痛で美しいファンタジー形式を取っている。が、今作のインスパイアしてくれる内実には、以上に上げたような、現代社会に通じる、深くリアルな差別主義をベースにした、技術を持つ野蛮人の本質も描かれていると考えるべきであろう。而も英語という言語は、その場に居なければ事実か否か確認できないという言語として決定的な弱点を持つ言語である為、為政者はその言語特性を支配や外交に利用してきた歴史を持つし、現在においてもその流れは変わらない。
 作品の長さを感じさせないでぐいぐい物語にk\引き込んでゆくシナリオに花のある林 遊眠のキャロル役、中心になるキャラクターには上手い役者を適格に振って絞まった舞台にしているキャスティング、ファンタジックな美しさを演出した照明や、情感を盛り上げる音響もグー。
七人の語らい(ワイフ・ゴーズ・オン)/笑の太字

七人の語らい(ワイフ・ゴーズ・オン)/笑の太字

Aga-risk Entertainment

サンモールスタジオ(東京都)

2016/08/31 (水) ~ 2016/09/04 (日)公演終了

満足度★★★★

花四つ星
 シチュエーションコメディー上演を目指すアガリスクエンターテイメントの45分作品2本。同時上演。

ネタバレBOX


 「七人の語らいは」は2015年夏“黄金のコメディーフェスティバル”優勝作品でイギリスを舞台にした二重結婚の顛末。逃れようのないシチュエイションを誤魔化す為のあの手この手に妻の父が拳銃を持って登場威嚇。デイヴィットの命や如何に? というスラップスティックに演者自身からダメだしが入る面白い演出。然し乍ら、プリンシパルをしっかり持つ英国人とそれの無い事大主義をその特質とする日本人では受け取り方が大いに異なるであろう作品。
 「笑いの太字」は、タイトル以外完全パクリの卒業制作を巡って、担任教官と学生の丁々発矢。やりとりは観客の知的好奇心を否応なく刺激し、反応させて素直な笑いを齎す。2人芝居のBチームを拝見したが、役者の演技も良く、間の取り方が絶妙で頗る良い出来である。舞台上は七人の語らいと異なり、テーブルを挟んで学生と教官が対峙するだけのシンプルなものなのでここに照明を集中していることで雑事が入らず集中して観ることが出来る点もグー。
母が口にした「進歩」その言葉はひどく嘘っぽく響いていた

母が口にした「進歩」その言葉はひどく嘘っぽく響いていた

東京演劇集団風

レパートリーシアターKAZE(東京都)

2016/08/30 (火) ~ 2016/09/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

花5つ星 見事な傑作 タイゼツベシミル
 今作は、先般風によって上演された「ヘカテ」原作者マテイ・ヴィスニユックの原作を川口 覚子訳、江原 早哉香の構成・演出で舞台化したものだ。

ネタバレBOX

舞台は1940年代バルカンのある国境地帯。敵味方に分かれた2人の兵士の会話から始まるのだが敵同士なのに兵士の妹は敵兵の妻、敵兵同士だから罵り合い互いに銃撃を繰り返しているのだが、妹の出産に関しては粉ミルクを敵兵となった妹の夫に進呈するという場面で、状況の複雑さ、このエリアでの戦闘の悲惨のみならず、宗教、文化、習慣、民俗、言語、人種等多数の差異にも関わらず暮らしてきた歴史と民族紛争と第2次世界大戦との複雑極まる混迷が示され、そこに生きる人々が状況に振り回される悲劇が端的に示される、次のシーンは、3年ぶりに亡命先から帰国した人々が祖国の国境を超える場面だか、国境を管理する兵士から新国家の鷹揚ぶりを説教された挙句、新国歌を朗誦させられおまけに新国歌の象徴たる国境地帯の地面に接吻を強要される。人々は無論、祖国を一旦は見捨ててきた、との傷を抱えているから兵士の言葉に従うが、舞台の大道具は舞台中央に20度以上の傾斜を以て作られた大きな坂。手前から奥へ競り合がるような坂には、所々に滑り止めの金具や凸凹のオブジェが観られる。この坂は、人生を翻弄される人々の不安定を象徴していよう、内容の詳細は上演中ということもあって省くが、全体としてアクションのあるような舞台ではない静かな舞台だが、この静けさは、先にも挙げた多くの対立要素が鬩ぎ合った結果tw外の力が拮抗して生じた緊張した飽和状態としての静けさであるから、舞台には絶えず演者の内側から発するエネルギーに満ち、観る者に思考を促す力が放射されている。基より今作は、帰国した人々の現実の生活、残っていた者たちや、新たに余所からやって来た資本家らとの、一見平和的・紳士的でありながら、隙あらば銭の種にしようとの現実的で闘争的な資本主義的日常に、敵も味方もいっしょくたに埋まって層を為している死者たちの世界から現れる、主人公夫妻の息子や、彼の友人として紹介される死者達双方を同一時空に描いた作品なので、現実とアモルフの鬩ぎ合いを如何に描くかが眼目となる作品である。この難題を仮面の使用や、身体各部のパペット、遺品の小道具などを利用して見事に描いた演出・役者・黒子たちの立ち居振る舞いと息の合ったコラボレーション、演技が素晴らしい。
 ところで母が口にする進歩を象徴する単語は人口衛星だが、この単語が発される時ちょっとと奇異に感じるのは事実である。然しながら身近に死んだ息子が眠っていると直感した母が父に頼んで墓を作ってやろうと遺体探しを父に頼み、父はそれに応えて森のあちこちを掘っては遺体の一部や遺品を見付け、その度に息子の霊が現れて、遺体や遺品の主の話をし、待っている人にそれらを届けるよう父に願うという展開をしてきた今作に、どうしても一目自分の息子が亡くなったという確実な証拠を入手し、以て墓所に埋葬してやりたうぃという痛切な親の心を儲けのチャンスと捉え、買った地所から掘り出した人骨のパーツを高値で売る他国から来た資本家、犯人は分からぬものの、人骨を自分の家に投げ入れる者が居ると訴える老婆、何処から流れてきたかも知れぬ娼婦などが登場して戦後のどさくさを象徴的に表していると同時に、世知辛い世の中になって頼る術もなければ、希望も持てない母の切なる願いとして、時々見えるらしいという人工衛星からの死者に纏わる情報の噂は、藁をも掴む切なる表象としての重みをもつと考えられる。観劇しながら実に多くの深い問題、存在することの逃れようの無い軋みと、宇宙の虚空に落ちかねないような孤独の中で、それをひしひし感じながら生きることの、生きざるを得ないことの意味する所を考えさせる傑作。見事である。
オムニバス of Oi Oi vol6

オムニバス of Oi Oi vol6

Oi-SCALE

駅前劇場(東京都)

2016/08/30 (火) ~ 2016/09/04 (日)公演終了

満足度★★★★

Bを拝見

 4本のオカルトのオムニバス。昏い照明やディスプレイの仕掛け音響の用い方にも工夫が凝らされぞっとするシーンも随所に鏤められており、見応えのある舞台になっているが、四話目、他の3篇とテイストが余りに異なり、次元も夢遊の世界に対して現実を扱っている為、演劇的対比が成立していない点が残念。寧ろ異相が描かれた印象で擦れ違いの印象を持った。他の3篇については観客各々の好みはあろうがオカルトとして成功していると言えよう。シナリオ・演出もグー。(追記後送)

すべての国が戦争を放棄する日

すべての国が戦争を放棄する日

非戦を選ぶ演劇人の会

こくみん共済 coop ホール/スペース・ゼロ(東京都)

2016/08/31 (水) ~ 2016/09/01 (木)公演終了

満足度★★★★★

沖縄 高江
 辺野古ほど認知度はないものの、オスプレイのヘリパッドが村を囲む6か所に作られようとしていて反対運動がずっと続いているのがこの高江である。ベトナム戦争時代には、ここにベトナム式住居が作られ、村民はベトナム人として米軍の演習に駆り出された。そんな歴史を持つ儒民150人ほどの集落が、法も人権も無視され戒厳令下の如く、機動隊に蹂躙排除されている。また、米国内では危険すぎてできないオスプレイによる超低空飛行訓練なども日常茶飯事に行われているのは6か所作られる予定のヘリパッドのうち2か所は既に作られてしまったからである。それでも諦めない。そのような戦いが、今ここで行われている訳だが、この異議申し立ての意味する所を自分の問題として捉えることができないようでは、安倍キ印政権の暴走を止めることもできずに滅びの道を我らは歩むだろう。何せ、日米地位協定でアメしかは日本中のどこでも沖縄と同様の訓練を行いうるのだから。而も、日米地位協定は運用上、憲法より実質的に上位に位置しているのは、国賊・田中 耕太郎以降常識である。

未開の議場〜北区民版〜

未開の議場〜北区民版〜

北区民と演劇を作るプロジェクト

北とぴあ ペガサスホール(東京都)

2016/08/26 (金) ~ 2016/09/04 (日)公演終了

満足度★★★★★

Aチームを拝見
 純然たる会話劇の醍醐味を堪能した。

ネタバレBOX


舞台は長方形のテーブルを12、3脚の椅子が取り囲む形で、客席は舞台をサンドイッチのように挟む形で設けられている。テーブルの真ん中には鍋料理が掛かり上演中煮込まれていい匂いを発散させており、上座の奥にはペットボトルに入ったお茶と簡易コップが置かれている。
 上演設定は東京から車で2時間半ほどの距離にある萩島町の商店街理事会。この町にはトメニアから多くの国民が働きに来ており、居住外国人と日本人との間には様々な問題が起こっている。20年程前にはトメニア人による連続女性暴行事件が起こり、年配者の多くはこの事件以降トメニア人に対する心象を害している。現在は万引き被害が多発しているが、彼らの多くは商店街の顧客でもあるので地元商店街でも痛し痒しという状態だ。
 だが地域隆盛を願う商店主らは、トメニア人らとの友好を促進する為に去年に続き今年も萩島フェスタを開催しようとしており、その為の会議を開いている最中である。
 この会議の中で以上の問題を含む具体的な話が侃々諤々議論されてゆくのだが、この流れが実に自然で劇作家の高い才能を示すと同時に、北区民も参加したAチームでは5月から週1回の稽古でよくぞここまでと感心させるほど良い演技をしていて、その集中力に驚かされた。各キャラクターの個性も良く出、シナリオの質の高さと演出の上手さ、役者達の演技が噛み合う良い舞台を形成していると共に、実際に我々が日々体験する諸外国人との関係のみならず、存在そのもの同士の余儀なき関わり合いをも認知させてゆく辺り実に現実的でありながら、哲学の深みもかんじさせる内容である。而も、様々な軋轢の中で理事会内に裏切り者が出るというエピソードや、実に的確な意見や日本人論を披歴する地元TV局のスタッフとトメニア人とのユーモラスな落ち迄ついて楽しませてくれる。
風は垂てに吹く

風は垂てに吹く

テトラクロマット

吉祥寺シアター(東京都)

2016/08/18 (木) ~ 2016/08/23 (火)公演終了

満足度★★★

憧れ
 基本的には、空、否宙に憧れるメンタリティーを描いた作品であったが、吉祥寺シアターの空間処理に気を使いすぎたか、シナリオの内実が浅い。

ネタバレBOX

 憧れを強く訴えるためには、その惨めさを強調しなければならない。ライカ犬のメンタリティーなどは伝わるものの、これは個的なレベルのセンチメンタリズムに過ぎず、可哀そうだな、ふ~~~ん程度の感情移入しかできないのである。作家に普遍性への拘りが無いか殆ど無いかということなのであろう。その証拠に物語の基本的な命題をサンテクジュペリの「星の王子様」に負っているのは、情けない限りである。憧れが大それていれば居るほど、他人からバカにされ、白眼視されるというフェーズを体験するのが常なのに、主人公が出かけた旧天文台では案外あっさり受け入れられてしまう所で、シナリオとして失敗である。作家は、自分で悩み抜き、己の世界と異なる所、世界と衝突する所を深めることで、己自身の絶対的な孤独と向き合う。そうすることによってしか、新しい物を作る為の足場などできはしないのだ。その覚悟がないなら表現する者の場からは去るべきであろう。
 演出の空間表現には見るべきものがあり、広く天上タッパの高いこの劇場空間をうまく活用していたし、舞台美術も羅針盤のような図が床に描かれそこから延びるロープや観客席上に伸びた紗の使い方も予想はできるものの
良い出来であった。
 役者陣には、もっと個性が欲しい。
HOME!!

HOME!!

[DISH]プロデュース

テアトルBONBON(東京都)

2016/08/24 (水) ~ 2016/08/28 (日)公演終了

満足度★★★★

聴心器
 序盤から中盤に掛けてのエピソードが細切れで関連が見えにくかったが終盤これらのエピソードが集約していくさまは温かく心地よい。人間関係の良し悪しが、何で決まるか。その根底にあるものを透かし見せるような作りで、お父さん役を演じた役者の演技が気に入った。

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