天泣に散りゆく 公演情報 文化芸術教育支援センター「天泣に散りゆく」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    ポツダム宣言受諾後の特攻
     史実に沿った特攻隊の話だという。

    ネタバレBOX

    日本は満州国を中国東北部に「建国」傀儡政権を立てて実質支配した。開拓団には貧農を募集して派遣。多くの農民が大陸に渡ったが、戦局の悪化は現地農民には知らされず、多くの者が本土空襲が始まってもそのことを知らなかったという。だが、日ソ不可侵条約を反故にしたソ連軍の侵攻以来、鬼より怖いと恐れられた関東軍は開拓民を残して撤退。三光作戦で中国を食い物にした軍への恨みつらみは、一部の中国民衆による開拓民への略奪や暴力にもつながった。おまけにソ連軍は年わも行かない少女までもレイプして虐殺するなどの国際法違反を犯したが、大日本帝国は、国際法違反は散々やっていたから彼らを攻撃することは簡単にはできまい。多くの関東軍軍人たちは、庇護すべき無辜の臣民を放り出して逃げ出したのである。
     だが、今作の主人公たちはポツダム宣言受諾(1945.8.14)後、裕仁の所謂玉音放送が流されて敗戦が決まった時点まで待機状態にあり、特攻兵を訓練してきた教官たちであった。自分達が教練を施した謂わば弟子たちは、教えられたとおり敵に体当たりして果てた。教えた自分達が、子供迄襲い虐殺するソ連兵を前に逃亡するのか? と自らに問う者達でもあった。ここに、彼らの人間としての意地と、実際に逃げ延びてきた子供達の怯えに対して、大人として、軍人として、人としての矜りを賭けた戦いが始まる。基本は武士道であるが、「葉隠」の有名な一行、”武士道は死ぬことなりと見つけたり”の解釈は第二次大戦中に喧伝された解釈がそのまま用いられている。然し、この一行、不器用で大した才能も持たぬ作者が、江戸時代の太平に酔うて武士の本分を忘れたと言われる時代にあって尚、主君に忠誠を誓う姿勢を示したものであろう。当然その根底には、武士の二大価値観、所領安堵と家名存続があり、一所懸命の原義があったハズである。主君は、これに感じて三百石の加増をしたと伝えられている。無論、更に深読みすれば或る意味、フレーザーの「金枝篇」に描かれた王の述懐に似ている。即ち存在の不可解に迄思いを馳せることが可能である。まあ、解釈はこれくらいにしておこう。
     ところで、日本は何故戦争に負けたのか? 無論、非合理的であったからである。戦いは、基本的に合理的である方が勝つ。無論、敵に偽情報を流して攪乱するなども含めてである。
     今作が演じられた世田谷観音には、本堂から左に入った所に、今作のモデルとなった神州不滅特別攻撃隊を顕彰する碑が建てられており、今作も彼らの魂に捧げられている。いわば今作上演に最も相応しい場所で演じられた演劇ということができよう。元々、演劇の源流は、神々への奉納行事として始まっているから、その意味でも興味深い公演であり、雨天決行という姿勢にも強い意気込みが感じられた。実際、自分達が観に行った日も雨は降ったり止んだりの不安定な陽気であったが、演者達は気合の入った演技を披露してくれた。
     関東軍が、臣民を置き去りにして「逃げた」ことやその為、開拓民がどのような目に遇ったかなどもキチンと表現されて好感を持ったが、彼らの戦果は如何様であったのかについても知りたい所だ。何となれば、変に精神主義に彼らの死が利用されるならば、その悪影響は計り知れないからであり、軍規を破って迄彼らが守ろうとした人間として当たり前の感性や、人間の矜りは踏みにじられることが確実だからである。




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    2016/09/10 04:55

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