天泣に散りゆく 公演情報 天泣に散りゆく」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★★

    ポツダム宣言受諾後の特攻
     史実に沿った特攻隊の話だという。

    ネタバレBOX

    日本は満州国を中国東北部に「建国」傀儡政権を立てて実質支配した。開拓団には貧農を募集して派遣。多くの農民が大陸に渡ったが、戦局の悪化は現地農民には知らされず、多くの者が本土空襲が始まってもそのことを知らなかったという。だが、日ソ不可侵条約を反故にしたソ連軍の侵攻以来、鬼より怖いと恐れられた関東軍は開拓民を残して撤退。三光作戦で中国を食い物にした軍への恨みつらみは、一部の中国民衆による開拓民への略奪や暴力にもつながった。おまけにソ連軍は年わも行かない少女までもレイプして虐殺するなどの国際法違反を犯したが、大日本帝国は、国際法違反は散々やっていたから彼らを攻撃することは簡単にはできまい。多くの関東軍軍人たちは、庇護すべき無辜の臣民を放り出して逃げ出したのである。
     だが、今作の主人公たちはポツダム宣言受諾(1945.8.14)後、裕仁の所謂玉音放送が流されて敗戦が決まった時点まで待機状態にあり、特攻兵を訓練してきた教官たちであった。自分達が教練を施した謂わば弟子たちは、教えられたとおり敵に体当たりして果てた。教えた自分達が、子供迄襲い虐殺するソ連兵を前に逃亡するのか? と自らに問う者達でもあった。ここに、彼らの人間としての意地と、実際に逃げ延びてきた子供達の怯えに対して、大人として、軍人として、人としての矜りを賭けた戦いが始まる。基本は武士道であるが、「葉隠」の有名な一行、”武士道は死ぬことなりと見つけたり”の解釈は第二次大戦中に喧伝された解釈がそのまま用いられている。然し、この一行、不器用で大した才能も持たぬ作者が、江戸時代の太平に酔うて武士の本分を忘れたと言われる時代にあって尚、主君に忠誠を誓う姿勢を示したものであろう。当然その根底には、武士の二大価値観、所領安堵と家名存続があり、一所懸命の原義があったハズである。主君は、これに感じて三百石の加増をしたと伝えられている。無論、更に深読みすれば或る意味、フレーザーの「金枝篇」に描かれた王の述懐に似ている。即ち存在の不可解に迄思いを馳せることが可能である。まあ、解釈はこれくらいにしておこう。
     ところで、日本は何故戦争に負けたのか? 無論、非合理的であったからである。戦いは、基本的に合理的である方が勝つ。無論、敵に偽情報を流して攪乱するなども含めてである。
     今作が演じられた世田谷観音には、本堂から左に入った所に、今作のモデルとなった神州不滅特別攻撃隊を顕彰する碑が建てられており、今作も彼らの魂に捧げられている。いわば今作上演に最も相応しい場所で演じられた演劇ということができよう。元々、演劇の源流は、神々への奉納行事として始まっているから、その意味でも興味深い公演であり、雨天決行という姿勢にも強い意気込みが感じられた。実際、自分達が観に行った日も雨は降ったり止んだりの不安定な陽気であったが、演者達は気合の入った演技を披露してくれた。
     関東軍が、臣民を置き去りにして「逃げた」ことやその為、開拓民がどのような目に遇ったかなどもキチンと表現されて好感を持ったが、彼らの戦果は如何様であったのかについても知りたい所だ。何となれば、変に精神主義に彼らの死が利用されるならば、その悪影響は計り知れないからであり、軍規を破って迄彼らが守ろうとした人間として当たり前の感性や、人間の矜りは踏みにじられることが確実だからである。




  • 満足度★★★★★

    半分の月がのぼる空・・・
    の下で野外での公演です=これだけでも心象強く残ります
    TVドラマでも放映されてましたね=この話
    原作「妻と飛んだ特攻兵 8・19満州、最後の特攻」2015年8月16日戦後70年ドラマスペシャルでしたね・・・見ました・・・世田谷に石碑あったとは・・・先月に上演したかったんだろうなとも感じました・・

    画面ではなく生身の人間が間近で演じる史実の再現・・・強烈に心に響きました=開演前に軽い感じかなぁと思えた隣の若者さんが体全身で悲しみを感じて涙を流していました・・・

    野外劇でもあり石畳に響く靴の音
    その石畳上に体をなげうつ役者さん
    ここ世田谷山観音寺の「神州不滅特別攻撃隊之碑」前での上演

    心の熱くなった約2時間の舞台でありました!

  • 満足度★★★★★

    身魂揺さぶられる...凄い!
    見た目から言えば、世田谷観音境内に設えた奉納野外舞台が時空間を越えて、1945年8月中旬の満州を出現させたかのようだ。当日は雨が降ったり止んだりの不安定な天気であり、上演中、一時小雨が降ったが中断することはなかった。上演後、藤馬氏は「人の涙が雨になった」旨の挨拶をしており、自分もそのフレーズをこの「観てきた!」に書き込もうと思っていたが...もしかしたら大方の人たちも同じ思いかもしれない。その当たり前のようなことが戦時中という異常時になると当たり前でなくなる。
    戦争、その最悪な不条理をしっかり観せてくれた秀作。身魂が揺さぶられた。
    (上演時間2時間)

    ネタバレBOX

    舞台は本堂に向かう境内石畳の左側に設える。右側を中心に天幕・パイプ椅子が並ぶ。舞台には紗幕に世界地図を描いたもの。場面転換に応じてテーブル、椅子が持ち込まれ場景を作り出す。その様子が見て取れるが実に自然な動作で、観客(自分)の気を逸らさない。
    そして、外見から感情移入できるような作り込みである。男優陣は全員坊主頭、軍服姿が当時を思わせる。石畳に響く軍靴の音。それも境内入り口方向から段々と大きく聞こえる演出は巧い。好戦況と思わせながら、終戦(玉音放送)に向かっている様子に重なる。

    梗概...満州では日ソ不可侵条約を一方的に破棄したソ連軍が日本人(民間人)への虐殺を繰り返す。祖国を守るため、家族を守るため、11人の男たちは弾薬なしの飛行機で突撃する。その名は『神州不滅特別攻撃隊』 である。
    これは史実であり、世田谷観音に「神州不滅特別攻撃隊之碑」があり、この場で上演する意味があった。
    この物語を体現する役者は、それぞれの人物造形がしっかり出来ており、当時の愛国心、夫婦愛、そして仲間との連帯感が濃密に描かれる。そして回想する老人が、当時死ねなかったことに負い目を感じる死生観に”戦争”という狂気が見える。

    国策によって満州へ移住した日本人や「王道楽土」の満州国人に対して、それらしい保護も行わず撤退しているようだ。軍という作戦主義ばかりで政治という態度が見られない。そもそも国策のため繁栄のためと称し、どれだけ多くの人たちが犠牲になったことか。犠牲を強いる構造に対し、過去の悲惨さを教訓とし死者と共闘しなければ...。それこそ夢違観音。

    この企画・脚本の松本京 氏、演出の山本タク 氏が当日パンフで同趣旨で多くの人々に平和の尊さを伝えたいと...まったく同感である。そして営利団体ではなく、NPO法人が開催することに意義があるという。

    次回公演を楽しみにしております。

このページのQRコードです。

拡大