ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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孤独の観察

孤独の観察

シアターノーチラス

OFF OFFシアター(東京都)

2017/07/12 (水) ~ 2017/07/16 (日)公演終了

満足度★★★★

 9年前に起きた大量死傷・刺殺事件にインスパイアされて綴られた今作。

ネタバレBOX

人間関係を築く力を失ってしまった現代の決して少なくは無い人々の孤独・孤立と、寂しさを抱えて苦悩する人間との差異を正確に見極めて描く秀作。果たして我々は寂しいのか? 或いはそれすら感じられない程孤立し、漂流していることにも気付かぬほど関係を欠いた存在なのか? ものと人の境界を問い掛ける作品でもある。深読みをすれば、関係を欠いた人間はそも人間という範疇に括ることができるのか? という問題迄提起さえしていると解釈することも可能だろう。
 物語は、高校卒業12年後の結婚式場の待合場所で展開する。新婚カップルは高校の同級生同士。高校時代は唯のクラスメイトだったのだが、3年前に偶然出会ったことから交際に発展、結婚に至ったという経緯だ。新婦には高校時代4人の友人が居ていつもつるんでいたのだが、内1人が高3で亡くなっていた。比奈という名であった。引っ込み思案の子で、それが嵩じて人付き合いがまともにできず、ネット上で繋がる誰とも知らぬ人々とチャットで連絡を取り合う時だけ活き活きしていた。そんな彼女に懸想していたのが、この度結婚することになった新郎の雅也である。雅也の孤独も孤立の深さから、他人との正常な関係を築くには至らぬものであり、その意味で人間的な人格形成は疎外されていた。雅也は、こんな状態から比奈に恋心に似た何かを本能的に感じたというのが正確な所であろう。何れにせよ、ストーカー紛いの行為に及んでいたのだが、その深い孤立から、恋に恋するというレベルの相手へのアプローチのノウハウも分からず、ぶきっちょにもストーカー紛いの行為に及んでいた訳だ。
 ところで仲良し5人組で既に結婚したのは、涼子1人。問題は、涼子の夫がDVを揮うことであるが、涼子は、子供の頃から皆の引き立て役。内心皆から一段低く見られることに悔しい思いは抱きながらも納得せざるを得ない、と諦めかけていた。然し無論のことながら、その心の奥底では悔しくてならなかった。そんな彼女を対等の人間として扱ってくれた初めての人こそ、彼女の夫であった。暴力を揮うことはあっても、見下されるより対等の存在として自分に対してくれる夫を決して憎む気にはなれないのであった。確かにDVは良くない。それは当たり前のことである。然し、内心軽蔑しながら、友人面する欺瞞は果たして正しいか? を問うならば、どちらの関係が人間に幸せを齎すかはかなり難しい問題であろう。新婦、亜季を除く2人(親分肌の千絵、研究者を目指すセリ)は独身のままである。
 高校時代の夢が実現しているか否かは語られないものの、2人を含め皆性格が変化したとは感じられない再会であった。これら結婚式関係者以外の登場人物が1人いる。亡くなった比奈の姉、成美である。彼女も集まった他の人々の殆ども、比奈の死についての真相は知らない。ただ、比奈が無差別殺人を犯そうとしていた人物の犯行を止める為に、約束していた8月12日の涼子の誕生パーティーをドタキャンした時、厳しくそれを追求し、参加しないなら、今後、皆が比奈を無視し続けることを突き付け、何で誕生会を欠席するのかについて詰問した千絵の詰問の状況について、皆で一緒に行動していれば比奈が亡くなることはなかったと口裏合わせしているのは、如何にも在りそうな共犯関係であり、実際に罪を犯している訳ではないものの、その事実が各人に問い掛ける道徳的問いに悩む姿は必然であろう。同時に、比奈の姉が12年間、妹の死について「犯人」と思しき人物を追い掛け回し、かなりの手応えを得、状況分析から確信するに至った妹の死の容疑者が、3年前偶然に出会ったことになっている新婦との出会いの真相も示唆されている点、比奈が亡くなる場面の再現シーンなどから見えることは、殺人犯より重い病を患っているのは、寧ろ孤立する孤独者なのではないか? という重大な疑義である。この疑義については作品をご覧あれ。
 客席が舞台を挟むサンドイッチ構造になっており鰻の寝床のように長辺の比率が著しく大きいので、客席によっては、役者の演技している表情が見えない。(例えばオープニング直後の女子たちが全員集まって件の話をする時などだ)本筋に関わるシーンなので無理に椅子に掛けず立ったままでの会話にしても良いのではないか? 自然な雰囲気を出すのなら小さな1本脚の丸テーブルを用意してドリンクセットでも載せておけば良い。こうしておけば、役者が顔をあちこち動かしても不自然にはなるまい。科白の順番で、どの観客にも観易い配置を取れば良いのである。それから、役柄によっては、高校卒業後自分の語った夢を実現したか否かが、ハッキリ見えた方が効果的な役柄もあろう。こういった所に注文を付ける演出をしてゆくと、更に深い作品に仕上がるのではなかろうか?
おれたちにあすはないっすネ

おれたちにあすはないっすネ

なかないで、毒きのこちゃん

駅前劇場(東京都)

2017/07/10 (月) ~ 2017/07/11 (火)公演終了

満足度★★★★

いつもながら奇抜な演出が、(一応誰でも見る所に。タイトルに対しての個人的見解として、この劇団が”遊びをせむとや生まれけむ”の精神を失くさない限り、自分はあなた方の明日を信じますぞ!!)

ネタバレBOX

 格別。何せ開演何十分も前から、女優が「小屋の扉を開けて下さい」って大声張り上げてんだから。結果、客は誰一人小屋に入れる訳でなく、階段に立って開演を待っているのである。二日間で八公演とトンデモナイ回数の公演をこなすのだ! が、その開演前にこの騒ぎなのである。初めロビーに入る為の扉も閉じられていたのだが、それも開演10分前きあ15分位前に漸く開くと、今度は内扉が開かない。女優は相変わらず一所懸命に頼み込んでいる。業を煮やした演出が、女優にサジェスチョンを与える。曰く女優としての武器を使え、と。女優は着衣を脱ごうとするが、衆人環視の前で嫁入り前の娘がすることでなし、今まで押していたのだから、引きでやって見ろとの指示。女優は「マッチ売りの小女」を演じ目出度くドアを開けることに成功するのだが、ドアを締め切っていたのは、解散を決めたばかりの弱小劇団メンバーたちであった。解散は決めたものの、演劇に対する未練ばかりで、新しいが、夢も希望もインセンティブも湧かない新世界へ飛び込むことができずに劇場ジャックをやっていたのである。小劇場演劇をやっている人間なら誰しもが抱える重く深刻な悩みを中心に、劇場を乗っ取られた劇団が、仕込みに掛かるべく設えられた木目も露わな平台を据えた正面舞台では、これから演じる作品の舞台稽古、通常、照明・音響スタッフが籠るブースでは、解散劇団の嘆き節、そしてロビーにもなるホワイエでは、スタッフなどの動きを演ずる芝居が同時進行する。3か所で同時に、異なる芝居が演じられているので、観客は無論、動いて自分の気に入った芝居を観ることができるし、適当な位置に腰かけて体の向きを変えたり首を捻ったりしながら、それぞれの劇を観ることも可能だ。こんな具合に三者の芝居が入れ子細工を構成しつつ舞台は進行するが、終盤、劇場ジャック劇団と、これから、ジャックされた小屋で演ずる劇団との間に争闘が起こり、遂には弱小劇団がケチョンケチョンにやられてしまう。だが、その惨めな敗北の最中、起死回生の弱小劇団への共感と滅びゆく者達への惜しみない共感が相俟って歌が生まれ、両劇団参加のミュージカルが生まれたかのような展開になるのがクライマックス。この直後に観客は立ってロビーに移動してくださいの掛け声でロビー移動。観客が出払うと内扉が閉められ、終演ですの挨拶! これを楽しめる観客だけが、遊び心を満たして帰還することができる。んだっちゃ!! にゃん。
湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)

湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2017/07/06 (木) ~ 2017/07/19 (水)公演終了

満足度★★★★★

 亡くなった深津 篤史のシナリオだが、燐光群の坂手 洋二が演出。燐光群も良く使うザ・スズナリでの上演である。

ネタバレBOX

劇団と小屋との関係を今更とやかく言っても仏に説法の方もいらっしゃるだろうが、芝居内容と演出には、それぞれ劇団の癖というか好みというか、特性が現れ、その特性を活かせる小屋をどうしても多用することになる。小屋と劇団の相性というものがあるのである。無論、集客力の差、舞台と裏周りとの連携や使い勝手、照明や音響の効果を最大限発揮させる為の器材の充実、交通などの利便性等々。総合芸術としての演劇が要求する要素は多岐に亘り、而も質の高さを求められる。更に小屋の持つ雰囲気や、町全体の雰囲気が、芸能文化を盛り上げてくれるようなら猶更嬉しいのである。
 ところで、今作のような、大阪港湾部の荒み、心理的にも荒寥感の漂う街区のガード下を見つめ得る部屋の、恐らくは出口なしの部屋。そこには水槽に閉じ込められた真っ赤な金魚が、閉じ込められていることを知ってか知らずか遊泳している。最初、1匹だったものが、5匹に増え、更に十数匹になって1匹消える、など。数に変化がある。互いにアイドルの名で呼び合う男女の物語であるが、先ず、感じるのが何が描かれているのか分からない、という素朴な感想だろう。無論、演出もその辺りの事情が分かっているから、通常の舞台表現と朗読を組み合わせた回を何度か設けていると考えられる。
 ところで、今作、阪神淡路大震災後に書かれた物語である。作者の深津は、地震の時、京都の下宿に居て自分だけ被害を免れ、芦屋の実家が全壊、家族は無事だったものの仮設に移らざるを得ず、自分だけ難を逃れたことに後ろめたさを感じていたという。
 それかあらぬか、今作は非常に個人的な体験をコアに擁した作品ということができよう。同時にこの個人的作品は、その難解によって観る者の解釈を待っている作品でもある。即ち、作家は何を描く為に今作を書き上げたのか? 辺りが先ず最初に探究すべき対象ということになろうか。次に劇中何度も登場する”幽霊電車”とは何か? である。更に増減する金魚は何意味し、その水槽に関する登場人物たちの会話は何を示唆しているのかである。また、ガード下に蹲る革靴を履いた人物(生きているのか、遺体であるか、男か女かも判然としない存在は、何を表しているのか?)も極めて興味をそそられる対象であろう。その他、登場人物の居る部屋が、何を象徴しているのか考えると頗る面白い。例えば冥界という解釈も在り得よう。
 無論、あらゆる作品は、作品として提示され、作家から独立はしているという立場があるのは事実であり、そのような立場にも無論根拠がある。然しながら今作に於いては、作家の抱えていたという後ろめたさの内実について想像を巡らせることが、作品解釈の大きな糸口になるのではないか、と考えられる。
 また、今作の演出で極めて特徴的なことは、舞台の観客側に据え付けられた大きな板。これで観客の視野が否応なく限定される。更に舞台が、途中から急な勾配を持って下げられ、奈落まで急坂を構成していることである。奈落迄落ちているのである。如何にも坂手演出ではないか!?
先にぃ

先にぃ

劇潜サブマリン

シアター711(東京都)

2017/07/06 (木) ~ 2017/07/11 (火)公演終了

満足度★★★★

いかにも大阪!

ネタバレBOX

 物語は、新自由主義の尖兵のような企業で起こる本社幹部と地方支社との諸関係と他企業乗っ取りや買収の影で行われている闇の取引、社員間の熾烈な競争、会社幹部対労働者の対立抗争とスパイ等が絡む争闘についてであるが、これらの関係の裏に男女の肉体関係や性的変態趣味を絡ませている所に大阪の劇団らしさが在りそうだ。
 舞台を中央に設え、舞台を挟むサンドイッチ型に客席が配置されている。舞台中央には線路が描かれ、基本的にはフラット。必要に応じて椅子が用いられる。途中、労働歌として川上 音二郎らの「おっぺけけ節」が歌われるのが面白い。この場面、どういう訳か無声映画の傑作「メトロポリス」の反乱場面を思い起こさせた。自由民権運動に連座した壮士たちが、川上らのムーブメントの源流だから当然と言えば当然だが、治安維持法より性質の悪い共謀罪施行前夜にこの歌は小気味よい。何れにせよ、企業というものが人間を消耗品として扱い、その中で壊され、羅針盤を欠いた航海者のように都会というコンクリートジャングルを彷徨い歩く、パースペクティブを欠いた民衆の姿が、滑稽にアイロニカルに描かれていてグー。鉄道自殺が何度も出てくるが、飛び散った人体の形容が生々しい。
SKY RUNNER

SKY RUNNER

SPINNIN RONIN

シアタートラム(東京都)

2017/07/06 (木) ~ 2017/07/09 (日)公演終了

満足度★★★★★

 今回、Sky Runnerを拝見し、改めて演劇は役者の身体能力なのだと感じることしきりであった。(追記後送である。)結果をご覧になりたい方は、ネタバレを読んでも読まなくても、劇場に足を運ぶベシ!

ネタバレBOX

話はスラムの子供が、全世界憧れの的、スカイランナーになって羽ばたくという軸で展開される。謂わば少年の純粋な夢だ! そして、この夢こそ、この劇団が抱え、走っている原動力だろう。でなければ、何故、これほど苦しい稽古に耐え、時には怪我を圧してまで舞台に立つのか!? 
 その答えが、ここにある。本日、千秋楽、是非、観て欲しい舞台である。
 スラム育ちのジン。ライセンスを取る為のIDも無ければ、身元保証人も無い。才能だけはずば抜け、自ら認める通り。飛行機乗りとしては天才である。然も埋もれた。埋もれるということがどういうことか? それを彼は日々の生活の中で体感してゆく。マブダチは薬とギャンブルに溺れ、仲間達もジン以外は塵のような存在に堕した。今の彼は唯、真面目だけが取り柄の、優しい奴で、仕事場の上司からは正社員として雇うとのオファーが掛かっているが、それもスラムの塵の中から使えそうな物を選別して回収するだけの、スカイランナーに比べれば余りにも地味な仕事である。それで彼は諦めかけていた。何を? って、スカイランナーになる夢を! だ。だが、この仕事をしている中で偶然、農場経営者の妻となっていた幼馴染と出会う。彼女は、陳と名乗るジンにかつて光り輝いていたジンの思い出を重ね、農薬散布に使うセスナの操縦を依頼するのだが、ジンがセスナに乗って飛行している時、スカイランナーのタイトル保持者と出会い、バトルを経験する。余りに激しいバトルでジンの乗っていたセスナのエンジンは焼き切れてしまうが、チャンピオンはジンの才能に着目、同時に農業用のセスナを最高度のマシンに仕立て上げたメカニシアンにも着目した。こんな経緯があって、チャンピオンの会社が主催のパーティーに招かれたジン、メカニシアン、トレーナーに飛び上がるほど嬉しいプレゼントが用意されていた。スカイランナーライセンスへのステップである。ジンはこれを受け、目出度くスカイライナーとなるが。物語はことほど左様に上手くは行かない。
穴熊

穴熊

劇団龍門

シアターシャイン(東京都)

2017/07/05 (水) ~ 2017/07/09 (日)公演終了

満足度★★★★

 舞台中央に四角く大きな穴。上手、下手には地下鉄の夜間工事などで良く見掛る衝立上に穴の縁を囲んだ防護柵。舞台では四辺総てではなく直交する2辺を囲って、あとは出捌けがし易いようにカットされており、上手客席側に梯子、下手壁側にも仕掛けが拵えられている他、防護柵の上辺辺りから危険を示すテープが上方へ向かって伸びている。
 2020年の東京オリンピック直前の競技予定地という設定だが、工事は全然進んでおらず、その原因こそ、この物語のテーマの一つなのだ。(追記後送)

七、『土蜘蛛 ―八つ足の檻―』

七、『土蜘蛛 ―八つ足の檻―』

鬼の居ぬ間に

王子小劇場(東京都)

2017/07/05 (水) ~ 2017/07/10 (月)公演終了

満足度★★★★★

無論、五つ星、それも花○五つ☆である!

ネタバレBOX


 当パンを見ると“土蜘蛛”とはまつろわぬ民に対する蔑称であったそうだが、この呼称は彼らが穴倉や洞窟に住んでいたからだという。物語は、舞台美術が示すように二つの層の嵌入によって進行する。片やトンネル工事のタコ部屋の土工夫、片や私娼窟で女郎として働く女たちである。何れの身分も蛸や蜘蛛に擬えられ、為政者のみならず、一般大衆迄が彼らを差別していたことが重要である。
 興味深いのは、この二層構造が時には女郎屋、時にはトンネル工事の現場になる一階部分とあくまで女郎屋のそれも女将の部屋である二階に峻別して用いられていることである。これは何を意味するか? 自分の解釈だが、二階は権威による支配、一階は力による支配なのではないか? ということである。無論、権威の威力は暴力に転化するのだが、それは階層の隔たることであって、直接権威者が、暴力行為を受けた人々の被害に対して責任を負う必要が無い、と了解されているということでもあろう。
 このことの、大衆サイドからの責任追及の頓挫は、時間軸のズレとしても表現されている。即ち女郎屋の女将が、人間らしさを唯一残していた、マブを待つ心が支配する20年後と、トンネル工事が行われていて、若かりし頃の女郎であった女将に懸想する反乱組のリーダーの止まった時間の対比である。無論、物理的時間はそれなりに流れているのだが、この二人の時間の首根っこは止まり、片や権威として無意味な時間を過ごす女将、片や叛旗を翻すリーダーとして生きることに賭けた時を過ごすマブという、あからさまな人間的時間の矛盾を通して赤裸々なメンタリティーが描かれている。しょっぱなから最後まで、光の見えない作品なのだが、緊張の途切れることは片時もない。日本人の奴隷根性を嫌というほど見せつけてくれる舞台であると同時に、であるからこそ、日本的反逆への示唆をも秘める作品と言えよう。共謀罪発現迄1週間を切った。覚悟せよ! とマッポウと為政者が笑っている。
宇井孝司自作音楽朗読劇集「希望」

宇井孝司自作音楽朗読劇集「希望」

J-Theater

小劇場 楽園(東京都)

2017/07/06 (木) ~ 2017/07/06 (木)公演終了

満足度★★★

 日本で活動する所謂「アーティスト」は、政治と無縁なポーズを取りたがる。

ネタバレBOX

表現する以上、そんなことはあり得ない。孤高の表現者であるにせよ、それは狂気と接しているのであり、それ以外ではない。何故なら狂気とは純粋な錯誤であり、それを決めるのは己ではなく社会であるからだ。つまり狂気は社会的判断の結果である。
 何故、こんなことを書くかというと、当パンに再演に当たってのエクスキューズが書いてあり、其処に節度を越えたことに対する詫びが書いてあるのだが、今頃言っても何ほどの意味があろうか? 共謀罪施行迄、既に5日を切った。こんな時期に言い立てること自体にどれほどの意味があるのか? 自分には甚だ疑問である。遅くとも自民党が大勝した前回の国政選挙までに言っておくべきことだろう。この辺りの政治認識のズレが、これらの作品群を子供向けの物にしている。個々の表現のレベルが低い訳ではない。謂われていることが的外れな訳でもない。唯、そこには戦って来た者のみが持つ苦味や具体的闘争を経たくすみが無いのである。その点でお子ちゃま向けという感じの遠い作品という印象を持った。表現としてそれなりの質を保持しているだけに残念である。
Dimensions Garden Live vol.2

Dimensions Garden Live vol.2

J-Theater

小劇場 楽園(東京都)

2017/07/05 (水) ~ 2017/07/05 (水)公演終了

満足度★★★★

 日本の近代作家・詩人4人の5作品をオムニバス形式の朗読+身体表現で構成した部分に、間奏感覚で挿入されたダンスと歌唱のコラボレーションが織りなすエンターテインメントと言って良いだろう。

ネタバレBOX

朗読+身体表現では(科白なし)に演じられる作品と(科白あり)で演じられる作品に別れ、多様性を目指した構造になっている。
 因みに作家名と作品名は以下の通り。
1.「野ばら」小川 未明:国境に接する地点を警備する大きな国とそれより少し小さい国の、若い兵士と老兵の、勤務初期から戦争勃発直後までの人間関係を描いた、有名な作品だが、それぞれの守るモニュメントの中間に咲く野薔薇が、若い兵士の死を暗示して切ない。
2.「失敗園」太宰 治:妻が栽培している野菜たちの呟きを通じて、愚かな戦争に突入していった「軍エリート」や為政者の愚を、またその結果としての敗戦後の、戦中よりも酷い飢えを太宰らしいアイロニカルな視点で綴った掌編。
3.「蜘蛛の糸」芥川 龍之介:説明はいらないと思うが、念のため。大泥棒で殺人なども犯したカンタタは、生前たった一度だけだが無体な殺生をせず、蜘蛛を助けたことがあった。釈迦は、これに免じて地獄に落ちたカンタタに一筋の蜘蛛の糸を垂らす。銀色に輝く細い糸が血の池のカンタタの所迄降りてきたのを幸い、彼は地獄脱出を試みる。然し道のりは遠くさしものカンタタも疲れて休み、その際、下を見ると亡者どもが蜘蛛の糸をよじ登ってくるのが見えた。カンタタは思わず、彼らを拒否する言葉を吐く。するとカンタタの摑まっていた直ぐ上の所で糸が切れ、カンタタは落ちていった。
4.「よだかの星」宮沢 賢治:この作品も余りに有名な作品だから、説明の要はあるまいが、念のため。よだかは、その容姿が醜いと鳥仲間から常に苛められ、からかわれている。名前はよだかなのだが、鷹の仲間ではなくカワセミやハチドリの仲間である。だが、名前に鷹という単語が入っている為、鷹に改名を迫られ明後日の朝までに改名していない時には殺害すると脅されてしまう。悩んだよだかも始めはいつものように羽ばたきながら羽虫を捉えて食べていたが、カブトムシを飲み込んだ時、自分が生きてゆく為に他の命を奪っていることに気付き、他の命を奪って生き続けている一つの命である自分が、鷹に殺されそうになってこれだけ怯え、苦しんでいることに気付いて虫を食べることを止め、どこか遠くへ行ってしまいたい、と願い太陽や諸星に宙へ連れて行って欲しいと願を掛けるのだが、悉く拒絶されてしまった。もう意識も殆ど無くなり地上に激突して息絶えるかと思われた瞬間、彼は最後の飛翔に賭けた。真っ直ぐに上昇し、体が凍って、唯、その息ばかりが炎のように熱く吐き出される中、よだかは上も下も自分が飛んでいるのか否かも分からなくなったが、その涯に遂に自分の体が青白く燃え、カシオペア座の横に輝いているのを発見する。
 今作で、よだかを演じたのは、女優の松谷 なみ。作品の持っているヴィジョンをキチンと見定め、そのヴィジョンを身体化した舞台を見せた。見事である。
5.「虔十公園林」宮沢 賢治:虔十と称され、子供たちからも良くからかわれて、少し足りないと評価されていたのが、虔十である。アメニモマケズのコンセプトを人間化したような人物と言ったら分かり易いだろう。虔十の家の土地で学校に接し、唯芝が生えていた遊休地があったのだが、虔十はある時、ここに杉を植えたいと言い出した。今迄一度も願い事をしたことの無かった虔十が、生まれて初めて望んだことだというので、父は杉の苗を買ってこの土地に植えることを許可したが、表層部は兎も角、少し深い所は粘土層で杉など育つハズが無いと周りの者は彼を馬鹿にし続けた。殊にこの土地の直ぐ横に畑を持ち農業以外にも人に言えないようなことで金を稼いでいる平二は、虔十を虚仮にして何のかんのと難癖をつけてくる。終には周りに人が居ないのを確かめ、虔十をこっぴどく殴る。神が怒って祟りを為したか、その後平二はチフスに罹って死ぬが、虔十もその十日ばかり後に亡くなってしまった。ところで、この杉林、虔十が律儀に整然と植林していたので、子供たちが大勢遊びに来ては、列を為した杉の間にできた道に固有の名前をつけ、隊列を組んでは行進するなどの遊びに使っていた。虔十没後、20年、アメリカに留学して博士号を取った人物が故郷に戻って、鉄道が通り、様々な施設などもできて様変わりしてしまった街に、尚一切変わらず子供達の遊び場となっている虔十の杉林を見、同道していた校長に虔十の名を冠したモニュメントを建て、この土地をずっと守り続けてはどうかと提案、それが実現することになるという話だ。あの時代、現代のエコロジーを先取りし、先の見えない人々に馬鹿にされた人物が実は天才であったかも知れないことを示唆することによって、下らない学力評価を見直す視点をも提示していると同時に、大衆に認められるには余りに早く新たな価値を創造してしまった天才の孤独と生を浮き彫りにしている点も見逃せない。
 J-Theaterは、ベテランが若手になにくれとなくフォローをしつつ育ててゆく傾向を持っているが、今回もその面は変わらない。欲を言えば、ダンス場面でタップやフラメンコ等難易度の高いものも入れ、若いメンバーの更なるスキルアップも目指して欲しい。
Hexagram

Hexagram

アブラクサス

OFF OFFシアター(東京都)

2017/07/05 (水) ~ 2017/07/09 (日)公演終了

満足度★★★★

 ジャンヌの生きた時代から600年の年を経て、尚ジャンヌは世界中で伝説と化した存在だろう。(後程若干の追記予定)花四つ☆

ネタバレBOX

13歳で神の声を聴いた彼女は、僅か19歳でその生涯を閉じた。それも異端審問の末火刑に処せられたのである。だが、彼女の起こしたとされる奇跡によって、またイギリスに負け続けていたフランスが遂には勝利して終わった百年戦争の立役者として、時代の複雑な利害関係と王族・貴族の権謀術数に、教会の権威主義や、ジャンヌの右腕として活躍したものの、ジャンヌ亡き後は、黒魔術に走り領内の子供達を誘拐しては黒ミサの供物としたとされる名将・名君の名を恣にしたジル・ド・レーの謎に満ちた生涯も含め、彼女の周りには様々な謎と不可解が存する。無論、様々な証言にも、当時の利害得失が反映されており、その解釈も一筋縄ではゆかない。だが、これらの複雑な要素を通してもジャンヌの人気が衰えないのは、矢張り、何処かに彼女に与したくなる本質的な“もの・こと”があるからだろう。その本質を今作は、神という名に於いて示された絶対的倫理に向き合う、不完全な存在としての人間の倫理の相克そのものをその短い生涯に於いて生き抜いた少女に託して描いた。そしてこのような見方こそ、この600年の間、我らヒトが彼女の生き方に見てきたことではあるまいか? 即ち弱く不完全なヒトという生き物が、絶対善に向き合う時に抱かざるを得ない恐れや畏怖と己の身体に加えられる痛みや拷問、極刑で殺されることへの恐怖という代償を払いながら人倫の楔として打ち込んだ巨きく、深く、重い問い。人は愛を担い切ることができるか? 己を蔑み、石礫を食らわし、唾を吐きかけ、裏切り、己の親、愛する者達を奪ったとしてもなお、それらの加害者を憎まず、愛によって接することができるか? 裏切られて尚その裏切り者を信じ、己が嘘を吐かずに接することができるか? 等々の極めて厳しい倫理である。そして、このような倫理を確立できなければ、ヒトは互いの不信の果てに自らの種を滅ぼすであろう。
ドキュメンタリー

ドキュメンタリー

劇団森

早稲田小劇場どらま館(東京都)

2017/06/30 (金) ~ 2017/07/03 (月)公演終了

満足度★★★★★

 当パンに書かれた主宰挨拶を読んで、ン! と思ったのだが、この予感は当たっていた。

ネタバレBOX

序盤若い者達が溜まるシャアハウスのだらだらした感じが、これでもか、という感じで続いたのだが、これも謂わばフェイクである。それはそうだろう、フェイクニュースだけを扱って本が何冊も出されている時代だ。何も詐欺は“おれおれ”ばかりではない。
 今作の眼目は、このシェアハウスの物語の中に、作品展開としては新入りの女が、それまで自然発生的な流れにあった皆の人間関係の在り様をコーディネイトし始めることによって、イニシアチブを獲り、結果彼女のお気に入り以外の男を排除することによって、必然的に残った男を誰がものにするか、という女同士の戦いに発展する点にあるのだが、それ以外にピザの宅配という要素を持ち込んだり、出演者の稽古後の様子を収めたフィルムを流したり、と様々なファクターを舞台に持ち込むことで、舞台をメタ化、そのメタ化された舞台から逆照射する形で「現実」を浮き上がらせて見せる点にある。無論、ピザ宅配だって実に自然に演じられた演技であるかも知れず、現実というかファクターと芝居との境界が曖昧化されることによって、フェイクの時代に、ファクターの見えにくくなっている現実をこそ、浮かび上がらせて見せる、実にアイロニカルな批評性に富んだ舞台という見方もできる。今後、増々楽しみなコラボである。
アンダルシアの風~音楽と舞~

アンダルシアの風~音楽と舞~

ヒラルディージョ

かなっくホール(神奈川県)

2017/07/01 (土) ~ 2017/07/01 (土)公演終了

満足度★★★★

 隠れラテンの血が騒いでしまった。踊り手4人の、手・腕の精妙な動きに、大地に叩きつけるようなステップとフリルのついたスカートを巧みに使い、激しく躍動する身体を華麗に舞わせる動き、音楽は基本的にフラメンコギターと手拍子、歌唱というのも良い。
 オープニングは4者協同のダンスで始まり、次に各々のソロ、休憩を挟んで残り2人のソロと最後の4者揃い踏みという構成も安定感がある。
 今回は「どの踊り手もカスタネットを用いなかったが、扇を用いた踊り手が1人、扇を開く度に聞こえるシャーっと空気を切り裂くような音が緊張感を与えて新鮮であった。
 フランスで暮らしてい時にジタンの祭りで娘達が踊っているのを見たことがあるが、ジタンの娘達の天性のリズム感の良さ、踊りの上手さを思い出した。

GHOST MIX

GHOST MIX

劇団虚幻癖

テアトルBONBON(東京都)

2017/06/27 (火) ~ 2017/07/02 (日)公演終了

満足度★★★

 番外だからという訳でも無かろうが、阿部 晴明の末裔が作った妖怪関連萬会社、怪社にトンデモナイ依頼が舞い込んだ。阿部憧れのマドンナの実家は、代々、妖怪を操れる三つの玉を管理して来たのだが、玉を守る為に張っていた結界は父の死後、その力を持つ者が絶え、遂には盗まれるに至った。3つの玉が揃えば、妖怪を好きなように操れるという評判は、権力の中枢を支配しようと画策する者、独裁を目指す者達の格好の的になりかねない危険を孕む。(追記後送)

ジョリー・ロジャー

ジョリー・ロジャー

ジョーカーハウス

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2017/06/29 (木) ~ 2017/07/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

 海に纏わる高校を卒業したこともあって、海の自由人・海賊モノは大好きである。今作、海賊の中の英雄を描く王道に則り、まつろわぬ者の代表の一人としてジョリー・ロジャーを描いているのだが、それだけに単に頭脳明晰、沈着冷静なリーダーとしてのみならず、度量の広い、義に篤い、何より精神の自由な好漢として、日の沈まぬ国との異名を取ったイギリスに対抗している点も評価したい。(追記後送)

ネタバレBOX

というのも世界史の汚点としてその政治的マキャベリズムの悪辣を刻み続けて来、現代世界にその傷跡を深く刻んで、現代の世界レベルの自爆攻撃を生む原因を創ったイギリスの、悪辣非道をも見せつけてグーなのだ。日本の盲獣共に告げておくならば、現在、そのイギリスを継承しているのはアメリカであり、そのアメリカの鼻面を押さえ、時に操っているのはイスラエルであることをも付け加えておこう。まあ、深読みは此処までにしておく。
ビザール~奇妙な午後~

ビザール~奇妙な午後~

一般社団法人 壁なき演劇センター

シアター風姿花伝(東京都)

2017/06/29 (木) ~ 2017/07/03 (月)公演終了

満足度★★★★

 日本では珍しいセルビアの作家、ジェーリコ・フバッチの作品。(追記2017.7.3)花四つ☆

ネタバレBOX

 日本では珍しいセルビアの作家、ジェーリコ・フバッチの作品は、ベオグラードに立つ16階建てマンションに巻き起こる3つの騒動を1幕3場の劇に仕立て上げた作品だ。セルビアと言えば近い所では、ユーゴ解体以降のゴタゴタが挙げられるし、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件の実行犯、プリンツィプがボスニア系セルビア人であったことでも知られる。
 ところで今作、セルビアがユーゴスラビア社会主義連邦共和国の中の社会主義共和国であった1922迄、そしてユーゴスラビア連邦共和国のうちの共和国(1992から2003迄のうち)凡そユーゴスラビア共和国の一員として経済制裁を受けて大打撃を受けていた時代の物語であり、ソ連崩壊とその直前の東欧解体のあおりも受けて、政治的、経済的、社会的システムの大転換が起こり、人々は混乱の坩堝に追い詰められていた頃の話である。当然のこと乍ら、価値観の大転換が起こり、自分の力で生き抜いていけない者、自分の頭で考え抜くことをしてこなかった者らのみならず、運を掴み損なった人々は、転落の憂き目を見、地獄を味わったことだろう。そんなことがあったに違いないことは、一応、アメリカと違って品位を問題としてきたヨーロッパの人間が多種多様な悪口、罵詈雑言を吐くシーンが織り込まれていることで推察できる。無論、作家はそれらよりもっと酷い状況を観て来たに違いないし、薬でもダウン系のアヘンが登場していることでも出口がマイナス方向にしかないことを示唆していよう。何れにせよ、アルフレッド・ジャリならMerdre! と言って憚らない状況がここにはあったハズである。そしてこの地獄はアメリカによって齎されたものであった。(興味のある方は「戦争広告代理店」を読んでみよ)
 何れにせよ、アメリカの齎した一つの地獄を生きた人々をベースにした作品として今作を観ることができる。
舞台美術は、加藤ちかさんだが、舞台最奥部スクリーン手前だけが、踊り場的にフラットで、その手前全体は勾配の異なる3つの坂で構成されており、踊り場奥に据え付けられたスクリーンに翻訳が表示される仕組みである。各勾配には長方形や正方形、三角の切り込みが2つずつ施されており、ここから出捌けが行われるが、何れの蓋も始めは閉じられており、この蓋を押し上げて奈落から役者が登場する。最下段の勾配の客席側、狭い平部分には、この物語の舞台となる16階建てマンションの模型のような木箱が立っており、窓、車などの絵が記されている。また奥のスクリーン手前上手には開いたパラソルが突っ立ち、彩を添えると同時に舞台美術のアクセントにもなっている。
一場は屋上で物語が展開する。下着一つになった男が寒さで蒼褪めながら飛び降りようとしている。というのも、一旦は国を出たものの、上手く行かずに舞い戻り、而もナケナシの金を投機に賭けて失敗したのだ。そこへ、アヘン中毒の男が尻にアンテナを突っ込んだ状態で現れ、自殺志願者と出会う。さっさと飛び降りる決断がつかない下着男とアンテナ男とのチグハグで互いの適確な距離を取りかねての対応に薬中のスケ迄登場して話に色が付く他、サッカーの試合を観る為に薬中の尻にアンテナを立てていた男が、アンテナを外されてTVが映らないと文句を言ってきたりのまぜっかえし、家計を助ける為にストリッパーをしていたこともある下着男の妻などが登場して、良い所無しの男が迷っているうちひょんなことから殺人を犯してしまい、結局はそれがきっかけになって飛び降り自殺を成功させる顛末が描かれる。
他、警察の幹部になって2年前から親友の女と懇ろになっている男と、フラりと舞い戻って来たかつての親友は、湾岸戦争で子供を射殺したことが原因でPTSDを患っている。その親友に中々魅力的な娼婦を当てがってかつての親友の女と自分は懇ろな関係を続けようと考える副総監と、元カノの心の揺らぎには関わりのない所で、深く傷ついた者同士、つまり湾岸帰りと娼婦とが、こちらも飛び降りをしてしまうという結末の二場。
更に三場では、暴力とコネと金でしかいい思いができないこのどうにもならない状況の坩堝の有様が、チェロキー程度の車を異常に大事にしているマフィアボスの拘りとして描かれる。コネの具体的な展開は、副総監とボスの繋がりである。互いによろしくやっていたのだが、チェロキーをレッカー移動しようとしてボスに呼び出され、先日母国に戻って来たばかりでこのコネクションを知らず脅された新米警官が最後の最後に反撃、ボスらを殺すのだが、自殺した二組が、相次いでチェロキーの上に落ちて来たことが、盗難防止などで異常時に凄まじい音を発するヨーロッパの車用警報機がけたたましく二度鳴ることと、現場から戻ったボスの部下が返り血を浴びて真っ赤なシャツを着ていることなどで、登場人物の2割が飛び降り自殺で死ぬ、という凄惨な状況を示唆していると同時に、ボスが異常に大切にした車が、セルビアを地獄に追い込んだ張本人であるアメリカ製だというアイロニーにも繋がっていることが面白い。

新しい生活の提案

新しい生活の提案

壱劇屋

萬劇場(東京都)

2017/06/22 (木) ~ 2017/06/27 (火)公演終了

満足度★★★★

花四つ星!

ネタバレBOX

 評判の公演でもあり、評価が高かったので気になって観に行くことにした。シナリオと時代との格闘に重きを置く自分にとって、シナリオは若干の軽さを感じたものの、演技とパフォーマンスの質、筋の展開と照明・音響のマッチングの素晴らしさ、作品の筋に沿いつつ、肝心なシーン(何度か登場する主人公が走るシーンなどで、彼の動きに合わせて背を向けた役者陣が舞台奥で心臓の鼓動でも表すようなパフォーマンスをするなど)で主人公と役者陣のパフォーマンスが見事に呼応し、生きることのダイナミックな躍動感を観客に伝える手際とそのように仕上げた演出の良さには、驚嘆すべきものがある。普段、大阪で公演している劇団なので、政治的ラディカリズムには余り関与しないのであろうが、それでも市役所役人共の押し付けてくる、縛りの怖さを通して官僚体質の不気味をキチンと、その定義もしない官僚共の都合、抜け目のなさと、対象者を無視した非効率性という武器を「物象化」で描いて見せている所は流石である。
ダンボールの上でプリントを書くと穴が空く

ダンボールの上でプリントを書くと穴が空く

劇団 Sakura Farm

学習院女子大学 互敬会館3階 スタジオ(東京都)

2017/06/27 (火) ~ 2017/06/29 (木)公演終了

満足度★★★★

 現在、学習院女子大Sakura Firmの部員は2年生が一人、一年生が二人と随分少ない。その上、二年生は近々留学してしまう。

ネタバレBOX

今作は、そんな劇団事情を抱えた1,2年生が出演した舞台だが、約60分の中編とはいえ、シナリオセレクトの良さ、そして劇団事情が大変だからこそ、一所懸命に作品を作っている清々しさが作品をとても広がりのある、自由な雰囲気のものにしている。内容的には、不登校の高校生と学校の窮屈さに耐えられずに止めてしまい、今は公園に段ボール箱を持ち込んで自習に余念のない中退者が、架空の青空高校設立を夢見て、校歌を作ったり、学校らしさを醸し出す為に黒板拭き掃除器を調達したり、たくさんの段ボールを公園に運び込んで人数の増えたクラスを作り、ロールプレイングゲームをしてみたり、と可愛らしい遊びの話が中心になっているのだが、一般の校歌に見られる厳かさや、とってつけたような余所行き表現を排し、ぶっ飛んでいると同時に生徒たちが心の奥底で望んでいるような、自由溌剌な歌詞に象徴されるような楽しく、如何にも高校生らしい柔らかで溌剌として健康な精神を描いて、好感のもてる作品になっている。
 タイトルでちょっと気になったのは、穴が空くは、穴が開くではないか? という点である。
インスタント

インスタント

ppoi-っぽい-

新宿ゴールデン街劇場(東京都)

2017/06/23 (金) ~ 2017/06/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 不思議なテイストの60分である。導入部は、飛び込み自殺を写メした話から始まる偉くシビアな話なのだが、人 と 人との間の感覚が揺れ動いてでもいるような、テイストが終盤迄続く。

ネタバレBOX

起こることは、坂根と彼女の綾子に、高校時代の同級生・川村が入り込み、坂根をコキュにしてしまうというのがメインストリームである。そこに、バイト先の年上の友人・森が絡んで時間は揺蕩うように流れてゆき、中身の無い坂根を彼女は見捨て、川村の下に走る。サブストリームというよりは、メインストリームに対抗する流れとして、自殺した女の幽霊が夜毎、坂根のアパートを訪れ、床を一緒にしてゆくという牡丹燈籠のような話が縄を綯うようにメインストリームに絡まりながら続くのだが、これは坂根の持つ中身の空虚に霊が取り入って、実体である綾子と川村の性に対置されていると見ることができよう。
何れにせよ、空を綾子という中身で辛うじて支えていた坂根は、己の空虚に霊を取り入れて性を重ねることによって空虚をより完成度の高いものにすることに成功したが、それ故に綾子を奪われ、己の空虚に埋没するように、バイトも止め、辛うじて命脈を保っているものの、先は真っ暗という場面を示して幕。最後まで坂根を捨てなかったのは、森であるが、この発音はラテン語のモリウム(死)を示唆しているのかも知れない。
おーい、救けてくれ!

おーい、救けてくれ!

新国立劇場

新国立劇場 中劇場(東京都)

2017/06/23 (金) ~ 2017/06/25 (日)公演終了

満足度★★★★

 サローヤンの一幕劇だが、演出はかなりオーソドックス。その分、役者個々の仕上がりが勝負を決するような力量勝負のステージであった。

ネタバレBOX

上演時間は40分弱。朗読形式とは言っても照明、音響などはキチンと効果を上げるように作られ、力勝負をしている役者陣を盛り立てる。
余所者が、婦女暴行容疑で監獄にぶち込まれるが、ここで働く少女と恋に落ちる。その少女との淡いが燃えるような恋と、対比されるように描かれるコキュにされた男、そして浮気性の妻の嘘が導いた結末は、銃社会とリンチなどの伝統によって臭い物に蓋をし続けて来たアメリカの悪しき保守性であった。日本と異なり、自分の恥を隠す為に簡単に人殺しをし得る銃社会の問答無用性を的確な距離で描いている点、サンフランシスコへの道行を果たせないことが明らかな結末が、何とも切ない。
アジアン・エイリアン

アジアン・エイリアン

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2017/06/22 (木) ~ 2017/07/02 (日)公演終了

満足度★★★★★

 このタイトルの意味する深い意味を自分は恥ずかしながら、序盤で十全に捉えることができなかった。実に深い作品であると同時に極めて本質的でとんがった質問を浴びせてくる作品である。役名に固有名詞がついていない。総てが曖昧で宙吊りである。だが、我々の内、誰が、我々個々人が何者であるか? 何処から来て何処へ行くのか? 生きる目的は? 言い換えれば何故存在しているのか? について明確に答えることができよう!? 今作は、以上のような前提を自らに突き付けなければならないような個々人の条件を先ずは考えさせる。(追記後送)

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