七、『土蜘蛛 ―八つ足の檻―』 公演情報 鬼の居ぬ間に「七、『土蜘蛛 ―八つ足の檻―』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    無論、五つ星、それも花○五つ☆である!

    ネタバレBOX


     当パンを見ると“土蜘蛛”とはまつろわぬ民に対する蔑称であったそうだが、この呼称は彼らが穴倉や洞窟に住んでいたからだという。物語は、舞台美術が示すように二つの層の嵌入によって進行する。片やトンネル工事のタコ部屋の土工夫、片や私娼窟で女郎として働く女たちである。何れの身分も蛸や蜘蛛に擬えられ、為政者のみならず、一般大衆迄が彼らを差別していたことが重要である。
     興味深いのは、この二層構造が時には女郎屋、時にはトンネル工事の現場になる一階部分とあくまで女郎屋のそれも女将の部屋である二階に峻別して用いられていることである。これは何を意味するか? 自分の解釈だが、二階は権威による支配、一階は力による支配なのではないか? ということである。無論、権威の威力は暴力に転化するのだが、それは階層の隔たることであって、直接権威者が、暴力行為を受けた人々の被害に対して責任を負う必要が無い、と了解されているということでもあろう。
     このことの、大衆サイドからの責任追及の頓挫は、時間軸のズレとしても表現されている。即ち女郎屋の女将が、人間らしさを唯一残していた、マブを待つ心が支配する20年後と、トンネル工事が行われていて、若かりし頃の女郎であった女将に懸想する反乱組のリーダーの止まった時間の対比である。無論、物理的時間はそれなりに流れているのだが、この二人の時間の首根っこは止まり、片や権威として無意味な時間を過ごす女将、片や叛旗を翻すリーダーとして生きることに賭けた時を過ごすマブという、あからさまな人間的時間の矛盾を通して赤裸々なメンタリティーが描かれている。しょっぱなから最後まで、光の見えない作品なのだが、緊張の途切れることは片時もない。日本人の奴隷根性を嫌というほど見せつけてくれる舞台であると同時に、であるからこそ、日本的反逆への示唆をも秘める作品と言えよう。共謀罪発現迄1週間を切った。覚悟せよ! とマッポウと為政者が笑っている。

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    2017/07/07 03:55

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