満足度★★★★
“人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから眺めると喜劇である。”という有名なフレーズがあるが、
ネタバレBOX
今作もその通りの内容になっている。余命半年を宣告された父・正と連れ合い・明子の愛も、実子ではない長男・康介への思いやりが実子で次男の亮二に与える心理的影も、康介が倒れた母の介護をまめまめしく務めるのも、実子でも無い自分を我が子以上と言えるほどに可愛がってくれた両親に対する恩返しよりも、自分が家を離れたら家族の紐帯が失われてしまうという恐怖からであるとの自己認識を告白しているが、これら総てを載せて幾年もの年が流れ、父の日々は酒とパチンコの空回り。而も他界せず、無明を彷徨う。母は寝たきり。亮二と同棲中の彼女・楓が毎日明子の介護の手助けをしてくれている。その楓も妊娠、「サックをつけていたのに」と疑う亮二に愛想を尽かし掛ける楓だったが、亮二も何とか疑いを引込めうやむやの解決。何れにせよ新たに家族となった楓を含め、5人の家族の内ブレナイ2人が女性であるという点に現代日本社会の病巣が現れていよう。即ち敗戦以来、日本の男は自らの主権を失ったのである。このことが現在の日本総てに大きく深い底なしの沼を齎していそうである。日米地位協定の下、完全にアメリカの植民地として機能していることさえ認められない程に日本の男の主権は病んでいる。それが端的に現れているのが、父が警察に突き出されそうになった件で、たかだかイヤホンを叩き落としたことで康介や康介の劇団仲間・茂木までが警察に訴えられる云々で大騒ぎしている理由だろう。元々、悪いのは車中、デカい音で音楽を聴き注意されても馬鹿にしたような態度を取った若者だろう。世界中、どこでもそんな失礼な態度を取ったらガキがぶっ飛ばされるのは当たり前のことだ! と多少は何か国かで生活してきた自分は思うのだが。暴力を用いないというのであれば、徹底的に論理で遣り込める等主権を行使する主体を確保する道はあるハズだが、それをしてこなかったことが、今作の提示した意味ではあるまいか?
満足度★★★★
原作は、St.I.ヴィトキエヴィッチ(通称ヴィトカツィ)の「狂人と尼僧」、構成・演出はジェイスン・アーカリ。
ネタバレBOX
板上は大きなパネルで側面を斜めに切るような形にしてある為、奥の幅が最も狭く手前が広くなった台形だ。正面奥の中程に自動ドアのような仕掛けがあって、この開閉が適宜上手に用いられている。如何にパフォーミング・アーツ科の劇場とはいえ、凄い設備に驚かされた。機材等も質の良い物を使っている。学科名に即した作品作りでストレートプレイというよりパフォーミング・アーツという方がしっくりくる。また、演じられている作品の原作がヴィトカツィという点でも如何にも大学の専科に相応しいではないか? 内容的にはシュールレアリスム(このレビューを読んでいる読者には当然ダダイスムも考えられるべきだ)或いは「天才の日記」を書き、シュールレアリストの代表と素人に見られがちなダリは、無論狂気を研究したフロイトの深層心理に対する考え方に強い影響を受けていたから、ヴェラスケスの当に大天才を示す作「ラス メニーナス」を巡る寓意との対比を通しながら、似て非なる不条理劇とそれが生まれた背景とを交錯させ、全体として核開発以降は殊に顕著に更に手に負えない武器・大量破壊兵器を生産し続ける狂気の現代に繋がるコンポジッションにしている。
残念だったのは、歌唱などの際、音響でプロの音声を用い演じ手は口パクで合わせるシーンがいくつもあるのだが、音響で流れる歌声に口パクが合っていなかったり、歌声が流れているのに口が開いていなかったりの齟齬が観られたことだ。演劇や身体パフォーマンスがまさしく鍛錬された身体を基本としている以上、一流の歌い手の音声を用いるなら腹式呼吸は無論のこと身体全体で表現することは、大学の専科で学ぶ以上当然過ぎるほど当然のことだろう。これだけ優れた設備を持つことで、学生たちの身体の方が表現する者として劣化するのでは本末転倒である。
満足度★★★★
1「ミルク」2「Behind the Moon」3「遠くから聞こえる」という3本の作品のオムニバス。3作各々演出家が異なり、作風、内容的にも全く違う。
ネタバレBOX
受付を担当していた女性が好印象。先ず1から。嘘か真か、母は1万円と手紙を残して海外出張中、時々父が帰るらしいが定かでない。若い女な寂しさをかこっている。食費として与えられた1万円で食べるのは常にピザ。無論様々な種類のピザをハーフ&ハーフで頼んで配達して貰って食べているのだが、いつの間にか配達に来る、余り冴えているとは言えない若い男にほのぼのとした恋心を抱くというだけの物語。今作の主張は、この若い女の淋しさそのもの。
2は、BLモノなのだが、作品全体の半分くらいの間、照明が極めて昏い。3年付き合った2人のゲイのうち猫がタチを振ったのだ。原因は執拗なタチの浮気であった。タチの言い訳としては愛しているのは、逃したネコだけ、というのだが無論誰も信用しない。ところでこのタチに女友達が居て、電話を寄こしたタチの飲んでいる店に現れた。2人が飲んでいる時、女に電話が入り彼女は店を出た。男が居た。それはネコであった。彼は両刀使いだったということなのだが、タチが彼女を侮辱したことに腹を立てたネコがタチをブチのめす。BLに通常のヘテロカップルの恋を絡ませて現代都市に生きる人間達の孤独を描いた作品。
3 発想が面白い。固定であれ、携帯であれ、電話が掛かってくる。そして受け手はその度に異なる。幾つかのプロットが裁断された上で、ショートショートになっているのだが、それらのショートショートはシャッフルされていてAというプロットのショートショートが演じられた後Bのショートショート、次はDのといった按配で展開するので繋がりながら切れ、切れながら繋がるという奇妙な体験を味わうことができる。ただ、2人の役者が科白には役として描かれていても役者としては存在していないケースもあるので予算がつけば必要な員数の役者を登場させると更に面白くなりそうだ。また、1、2については日本の若い人達の世間との関わりが弱すぎることが気に掛かる。ヘテロにせよBLにせよ関係性は2人称という世界であり、世界観で3人称に対応する世界が欠如していることが、安倍のようなパシリ阿呆の言う嘘を見抜けないのか、或いはその危険性に気付かない原因だと思われるからである。戦争に行って最も多く殺し殺されるのは、君たち若い世代なのだよ。そんな現実を今から想像できないようでは若者の将来が真っ暗なのは当たり前。
満足度★★★★
1周年という若手集団としては良く頑張っている。(華4つ☆ 追記後送)
ネタバレBOX
だが、未だベテラン集団なら工夫して観客から以下のような指摘を受けないで済むレベルには達していない箇所が幾つかあった。
箇条書きで記してみる。
1、 もののけ一族の或いはその血を曳く者達のお守りを、鬼童丸の術を行使する際の必須のアイテムとしがちなのがハリポタを始めとする欧米文化に慣れた観客の心象風景だとすれば、そうでは無い事を、このお守りを持っていない状態の雪野が時空を超える前に呈示して置いた方が良いのではなかろうか? (後半に出てくるパラレルワールドの世界観をダンスなどという必然性の無い,
2,物語りの殆どの部分が歴史的な時代に起こることだ。舞台美術も和風建築で沓脱石迄用意されているからには、廊下に上がる時には履物を脱ぐのが道理。それを携帯電話は使う、皮のブーツを履く、而も沓脱で脱がぬでは済むまい。自分の拝見した回の通りで通すならば、科白にあやかしの世界であることを強く印象付ける工夫等が欲しい所だ。無論、不自然な印象を与えぬ程度の変更、履物を草履やサンダルに変えるとか、早変えで雪野のオープニングの履物は女性用の履き換えやすい物を用い、草鞋に履きかえるという形でも良い。中盤以降はグー。
満足度★★★★★
時は今。日陰者よ、牙を剝け!
ネタバレBOX
常盤は大卒時に就職できず、実家からも出され一念発起したその後の就活も総て失敗に終わり、もう自分には未来も無いのかと踏切前で飛び込むか否かの瀬戸際に在った時、見知らぬオジサンから声を掛けられ危うく自死を逃れた。オジサンは就職を世話してやる、仕事はマンションの管理人だと言い、常盤に良かったらついてきなさい、と案内するが行ってみるとそこは何だか陰気くさいうらぶれた雰囲気の一角だった。然し就職も決まらずこのままでは先が思いやられる。そこで彼女はひとまず管理人を引き受けることにする、オジサンは「では住人に面通しをしておこう」と各部屋の住人に彼女を紹介する。然し住人達は何れも日陰者ばかりでマトモな職に就いている者は居ない様子。ヤクザ、殺し屋、ヤクの売人、詐欺師、ストーカー風、謎のオジサンを含め様々。こういう人々が一緒のマンションに住んで迷惑だとして善処を訴えていた住人は既に総て去り、現在も住み続けている人達は総て日陰者という訳で傍からは監獄マンションと呼ばれていた。
確かに傍目から見ていると反社会的人物達ということになろうが、中に入ってしまうと近しい関係の人には悪さをしない。それどころか実に人間的で優しい人々であった。徐々に彼女も皆に馴染んでゆき、当初はオジサンの知恵を借り、自分で考えずに質問ばかりしていてオジサンから自分の頭で考えなさいと諭されていたことこそが就活失敗の原因だということに気付く。そうこうするうち新たにこのマンションの立つ土地のオーナーになったという男・安藤が現れ、早々に退去するようにと勧告されてしまう。オジサンが条件を出し、2週間待つということでケリがついたが、無論、こんなことで大人しく引き下がるのが監獄マンションの住人ではない。反撃を始めた。手始めに新たに土地オーナーとなった安藤の過去を洗うことから始めたが。
満足度★★★★★
タイゼツべシミル!! 華5つ☆
さて、以下少し大きめに書かれたこの漢字を読めるだろうか? これが読めなければ、今作の主人公の師の名前が読めないということだ。この漢字に木を足すとその師の苗字だからである。嘯(木)
さて、読めた人もそうでなかった人にも先ず、送り仮名を進呈しよう。~く。さよう“く”を送った以外の漢字の読みは“うそぶ”と読み、今作では苗字として用いられて嘯木(うそぶき)と読む。
当パンを読むと時代設定は一応自由民権運動盛んなりし頃ということになる。と、今作の設定の方が、ミシェルㇾリス等が半睡状態で書きとめた様々な文章群よりも早いことになるが、まあ、可也創作要素が強いと思われるから史的なことは棚上げしよう。何れにせよ、極めてチャレンジングで而もチャレンジが見事に成功している例である。脚本の力量(言語感覚も文章表現も時に詩的、叙事的、或いは戯曲構成的と様々な要素を上手く噛み合わせている)、演出の視座と実践が見事に嵌っているし、時折学生さんらしい素振りは見せるものの演技も良い。舞台美術のセンスも自分の好みだ。出捌けは中央奥、と上・下の三か所。板側面共に鈍色のトタン表面をイメージして貰うと近いか。オープニングの演出には感心させられた。是非、実見して確かめて欲しい。自分はこの演出の素晴らしさに一気に引き込まれた。(初日が終了したばかり故、追記後送)
満足度★★★
年寄りの冷や水・老婆心と言われそうだが(追記後送)
ネタバレBOX
劇評を書く前に、男として先に生まれた者の一人として言っておく。血が騒ぐ、血痕、血染めの衣服等々から桜迄血に纏わる言説は極めて多いが、坂口安吾の「桜の森の満開の下」ならずとも桜の花の下には死体が埋まっていよう。これは男の狩猟本能にも関わってくるだろうが、狩る獣の血にせよ、獣に反撃されて負う怪我に因る出血にせよ、ヒロイズムひいてはナルシシズムに繋がる、運が悪ければ死ぬ状況に飛び込まざるを得ない本来の狩りで、死の恐怖を誤魔化す為の一種のまじないのようなものでしかあるまい。表現する者である以上必要以上にこのレベルに留まってはならない。
満足度★★★★★
えのぐ、Toy’sBox、若櫻3団体コラボ公演。作・演はえのぐ座長でもある松下 勇氏。今回は出演者も25名の大所帯、かなり大変だったろうが、上手く纏めている。(餡子部分内容詳細は昨日初日が開けたばかりだから後程追記)
ネタバレBOX
ところで我々ヒトが生きて行く為には食い物、飲み物、衣類に住む場所が必要だが、この中で状況にもよるが温帯の過ごし易い時期であるという条件ならそれが欠乏して最も短時間で死を招くのは、何か? 答えは水である。食糧が無くても人間の大人なら1カ月位は何とか生きていられるが、水が無ければ1~2日、せいぜい3日程度で死に晒される。それほど水は我々生命にとって大切なものである。扱っている問題はツッコミを入れれば実に深刻で本質的な社会問題だが、その深刻で本質的な問題を軟着陸させているのが、えのぐでも作・演を担当している松下氏の感性の柔らかさだ。丁度ショックアブソーバーのようにやんわり優しく作品を昇華している。
満足度★★★★★
脚本に一切無駄が無い。(追記後送 華5つ☆)
ネタバレBOX
オープニングの1分程で、時代背景、時代の価値観、甲斐武田家の家風から当代党首の剛毅、勇猛、厚情、義、人間らしさと寵臣・忠臣らとの心温まる関係と同時に初産の妻を巡る夫としてまた城主として妻子を慮る心根の優しさ、産まれた太郎を片手に抱え、父としての思いを語ると太郎は何かを応えるような反応を見せると同時に尿を放出する。当然この辺りは笑いを獲りに来ている訳だが、こういう形で戦国の世に日常をさらりと組み込んでいる所に女性劇作家らしさを感じる。また、初産を終えたばかりでありながら、産まれてすぐの太郎お披露目を大丈夫か? と心配する家臣らには「そんなにヤワな子では無い」という意を返す辺り、流石に戦国武将に嫁ぐ女子という側面も忘れず加え、日常の中の非常という逼迫感を持たせている。
満足度★★★★★
今作の演出で最も気になるのが魔女の、一見ハチャメチャで矛盾だらけの科白を如何に身体化し、この科白の不可解だが迫真性に満ちた予言の怪しいまでに不気味な雰囲気を舞台で視覚化できるか? という点だろう。追記後送 華5つ☆)
ネタバレBOX
凡庸な演出家では、この重要性が分からないからキチンとした芸・芸術に仕立て上げることができないのだが、今作は、この点でも群を抜いている。
板上は奥にソファ、手前にテーブル。事務所的にも、照明・音響の用い方によっては会員制クラブにも見せ得る。先ず登場するは、マクベス及びバンクォー。オープニングでは事務所風、だが3人の魔女たちが倶楽部ホステスのような姿で現れ、女性の武器を用いて接待を始めると、ダンスの後には歌舞伎町ノーパンしゃぶしゃぶよろしく、中世キリスト教社会で悍ましい者とされた魔女に早変わり、昔は今、今は昔とばかりにその淫靡な性を表す。そしてこの状態で予言を吐くのだ。
満足度★★★★
2本の作品のオムニバス公演。
ネタバレBOX
1本目はリーマン(リーマンショックの方ではにゃいぞ!)物。だが、若い人達ばかりのグループのようで社会経験が殆ど無いのだろう。現実に存在している企業とは余りにかけ離れている。例えば登場する女性部長のキャラだが、手前は遊び歩いておきながら、部下には急に無理な残業させておいて、翌朝仕事開始前に机に突っ伏している部下の頭をバインダーの角で叩くようなパワハラあり、日常的にも仕事は部下への丸投げばかり、おまけに客先の社員の苗字迄間違える。幾ら馬鹿な上司が多いとはいえ、女性で部長になるような人ならバリバリのキャリアウーマンだし、そういう女性は頭の回転も速くて的確な判断をするし知的で如何にも切れるという感じか、敵を作らない位上手に人間関係を切り盛りできるかだから、状況を計り間違えて矛盾を招くようなヘマはしない。基本的に平社員を含めてサラリーマンは人間関係のプロと言って差し支えあるまい。少なくともまともな企業のサラリーマンは、自分が会社勤めして居る頃にはそうであった。まあ、今の日本はトコトン劣化しているからこんなアホ部長が居るかも知れないが。通常は絶対居ない。ちょっと大きめなプロジェクトでは部レベルの会議で案件を精査したような話は出るが、演じられている訳ではなく、そういうことがあったことが、科白によって示されるだけだ。
また派遣で働きに来る若い女・凛が初来社した際、茶を出すのだが彼女の分しか出さない等もあり得まい。何故なら唯でさえ緊張して硬くなっているのだから、迎える側の人間も一緒に茶を喫すというのは当然の配慮だろうからだ。このような気配りが出来なければ円滑な人間関係を最初に壊してしまう。サラリーマンが人間関係のプロである以上、こんな行為もあり得ない。
2本目は、若者らしい人生経験や素直でファンタスティックで、少し病んだ、抒情性に富んだ作品になっていて、こちらには齟齬を感じなかった。齢を重ねる中で、1の欠点は克服できると見たので、未来ポイントを足して、★4つとした。
ところで玩具とはいえ、こんなに小さな箱で、観客席に銃口を向けるのは、感心しない。劇空間が成立していると観客は、物語を実体験している。却って精巧なモデルガンなら、余り銃そのものに対する想像力を動員せずに済むかも知れないが、今回使っているような玩具らしい模造品を銃と看做す為に観客はより多くの想像力を動員し、そのような状況その物の中に自らを投げ込みながら観劇しているらしいから。
満足度★★★
毎回、感じるのだが、ゲストスピーカーは、もう少し現地事情を理解している方を呼べないものか? 朗読自体は上手い。
ネタバレBOX
然し、演出家の日本初演であることに関しての功利的発言などは不愉快を感じた。少年、少女達の苦悩・痛みを一切感じていない無神経とイマジネーションの枯渇を感じたからである。
作家はUK育ちのナイジェリア人、父母がUKに移った関係で英国生まれの英国育ちだ。その分、アフリカに住んでいた経験を持つ自分の目から見ると、ステレオタイプ化された作品という印象を持った。無論リベリア内戦については取材も勉強もしているようだが、何故そのような内戦に陥ってしまったのか? 何故少年・少女がここまで残虐な行為を行えるようになってしまったのか? 旧宗主国とエリートの関係、地下資源と腐敗エリート、そして旧宗主国の利権、利権に絡めなかった部族や、旧支配層らの不満、出世の階段が限られている現実、未だに癒えぬ奴隷貿易の傷、海岸線の部族VS内陸部族とのこれも奴隷貿易に関わる深い怨恨等々、列強の利害による不自然な国境線等々一切描かれていない。ゲストに呼ばれる人々の話も底が浅い。これは自分がこれまでこのシリーズを数回拝見した際、殆ど総ての回に言えることだ。もっと深く、何が問題なのかを見つめるシリーズであって欲しい。
満足度★★★★★
中心に座っている筋は「忠臣蔵」と言って良かろう。今作の科白にも出てくる通り「仮名手本忠臣蔵」も取り入れられていれば「忠臣蔵」の裏としての四代目鶴屋南北の大傑作「東海道四谷怪談」も絡んでいる。従って単にバブルと喧伝され、それを単純に信じ込んでいる人々のイメージするチャラけただけの「元禄時代」の長屋の物語という生易しいものでは無い。(追記後送。少し勉強して観た方が面白いぞ)
満足度★★★★★
オープニングシーンが良い。
ネタバレBOX
上・下に設えられた出捌けは長短のパネルの配置で構成されており、表面には太い雨脚の痕のような、これも矢張り長短取り混ぜた線が描かれ丁度センターには客席側の角を斜めに切ったちょっと厚めの平台が置かれ、最深部のパネル中央が開閉可能の扉、この扉の奥に小部屋のようなスペースが設けられ、進行する内容に従って様々な小道具が置かれ、実に重要な意味を担って利用される。平台上は、主人公の実家の団欒の間になったり、課されたミッションの実験ラボになったりと千変万化、この活用ぶりも見事である。
設定としては、某TV局放映の大ヒット刑事モノの名場面を超える作品を撮ろうと看板役者、監督が組んで、劇作家界の大御所にそれぞれ看板役者の死に際を書いて貰い、数百ページにも及ぶ脚本を各劇作家の表現のままに脇が固め、その中で看板役者は自由に自分の裁量で演技するというコンセプトなので、主人公も自分の役どころが分からない所から始まるのだが、その道先案内とも取れる形でファーストシーンが描かれている等、この劇団の底力をビシバシ見せてくれる。そしてかなり錯綜した筋立てがそれぞれ巧みに組み合わされて、納得のゆく筋をキチンと通しつつ、防衛・防御とはどのように為されるのがベストかについての本質的な両論、即ち武器を更に破壊力の大きな物にして敵を震え上がらせるなり、軍拡競争に持ち込み経済的に破綻させて勝つのか? 或いは武装ではなく、どんな利害の食い違いも話し合い理解し合うことによって解決してゆくのか、といった本質論がさりげなく挿入されてもいるのだ。この辺りの深浅、ギャグと人生の絡み合い、そして様々な映画やTV番組とのマッチング等々、エンタメ要素も加えつつ、粋な終盤に向かって話が進んでゆく。
満足度★★★
オープニングとエンディングをほぼ同じ展開にしてサンドイッチにするのは良い
ネタバレBOX
が、演出としては凡庸という印象を拭えない。また塚ガールが何人も出演しているようでダンスは確かに合格点だが、図抜けて上手い歌い手もおらず、歌では感心できなかった。つい最近聞いた歌い手さんでは、秋野 紗良さんという若い歌い手の声が素晴らしかった。今回の出演者の中には残念ながら彼女に太刀打ちできる歌い手は一人も居なかった。ストーリー展開は中盤から終盤に掛けてがグー。役者で気に入ったのは小道具係りを演じた上遠野くん、上遠野荘の出か? 新聞記者の親戚はいるのだろうか? 感性のレベルで広がりを感じた。
今作のホントのプロデューサーも演出もイマジネーションの広がりを感じないし、科学的知見が低すぎる。6千万年前の誰でも知っている恐竜全滅時の小惑星追突にしても、あのような大被害を齎す小惑星に因る壊滅なら、潮汐異常も観測されれば、視認も出来よう。そんなことに気付かぬミムメモばかりではあるまい。ギャングの世界も表層的に描き過ぎているし、これでは良い点を差し上げようがない。それにあの至近距離で撃たれたのに、ネックレスで助かるというのも信憑性に欠けると思うが如何か?
満足度★★★★★
恒例のベベコレ、(華5つ☆ 追記後送)
ネタバレBOX
今年1年を振り返って笑福亭べ瓶さんが語る世相、無論、プロの噺家だから、深浅のみならず更に深読みをしても耐えられる内容になっているのだが、表層を追い掛けるのが常という人々にも分かり易い笑いを提供しつつ、中位の深さ、ホントに深くて光も届かないような深み迄フォローして見せるのは流石である。つい先日、関東の落語家が話すのを聞いたのだが、間の取り方がまるで違う。流石に千年の都のあった西の文化は深いと感心することしきりであった。
満足度★★★★
2020年2月12日から16日まで下北・本多劇場で打たれる公演「どさくさ(再演)」のプレイベントとして今作は上演され、間に10分の休憩を挟んだ2部構成。(華4つ☆)
ネタバレBOX
パート1では、立川 志のぽんさんの「粗忽長屋」、パート2では漫才師をやりながら大学で講師を務める変わり種・サンキュータツオさんと“あはひ”で作・演を担当する大塚健太郎くん、演じ手の松尾敢太郎くん4人の座談会という形を採るが、「粗忽長屋」を出汁に心理学、比較文化学、意味論、様々な噺家の上演時の同一作品に於ける演じ分け等々が、サンキューさんのシャープで洒脱なツッコミを梃に1部の落語から2部の漫才形式へと実に洒落た転移をしてゆく展開を見せた。現役大学生と、とうの昔に学生を終えた大人の人生経験の差も色々現れ、そういったこと総てを計量して俎上に載せ、この2部構成を1人芝居としての落語から、通常2人以上出演する演劇への架け橋として、2人で演ずる漫才のツッコミ的手法を用いて繋いでいる点も気が利いている。
ところで2018年に旗揚げしたばかりの“あはひ”が何故本多劇場で公演を打てるのか、不思議に思う演劇ファンも多かろう。実は2019年春の第2回公演「流れる-能“隅田川”より」がCorich舞台芸術まつり春でグランプリを受賞している。これが理由とみた。
満足度★★★★★
脚本・演出・演技など細かいことは、今余り書かない。そんなものは、今作の本質をキチンと表現する為に相当キチンと組み立てられているからだ。とはいえ、女性が観てもお洒落な科白、シーン、カッコ良いシーンは随所にある。いくつか例を挙げると、花言葉と花、ラストシーンのフランス語による表記、様々な映画のタイトル等を科白に入れ込むことによる、作品の膨らみや深さを増す手法等。(華5つ☆)
ネタバレBOX
現代日本の写し絵、それも本質的な部分で極めて正確な写し絵と言える作品である。今作で描かれているような入口(会員制秘密倶楽部)のような場所は、金と権力にあかせて様々な下司が散々使っていよう。興味のある方々は、例えば国家上級を通った官僚共が。恰も自分の能力がずば抜けていると誇示するかのように数百ページもある契約書などをいとも容易く短時間に処理しているというパフォーマンスを見せられたことがあるかも知れない。無論、これには種も仕掛けもある。最初こそある程度大変だが、フォーマットが出来てしまえば後は、その年度の1~数ページだけ変わるだけだから、その部分だけチェックすれば良いのである。内容的、文法的に正しく、且つ文章としても例えば担当通訳が作った文書の方が良い場合でも官僚共は、変えていい場所を指定して来て直そうとしない。これが日本の「高級」官僚の実態だ。自分はそういう官僚の担当する文章に関わって仕事をした経験からこう書いている。要は嘘八百の茶番で上に立ち、権力を乱用して日本人の奴隷根性を利用することで恰も権力を握れること自体が主権者である我々よりも「偉い」だとか「賢い」だとかと同義だと(極めて馬鹿げたことだが感じ)演じているに過ぎない。実際、ホントに優秀で且つ人間としてもマトモな奴は早い時期に官僚を止めてしまう連中が多い。そういう連中の中にはホントのエリートがいるのは事実だ。だが残っているキャリアの殆どは人間の屑と言って良いのではないだろうか。キャリアで残っていて人間的に優れている人が皆無という訳ではないが圧倒的マイノリティーであるという感触を自分は持っている。但し、セミキャリアの実務能力が高いのは可也確かだし、ノンキャリには時々面白いのが居る。
ところで今作でテロリストとして追われているグループの言っていること、やっていることは人間として極めて正常なことばかりであり、基本的に暴力を用いて自分達の主張を強制しようとはしていない。然るにアホそのものの官僚、そして権力機構、またそれらを支える主権者であるハズの国民はこの反逆者グループに加わって一緒に活動したり、共感してデモに参加したりする少数のマトモな人間に対しては、如何にも精神の奴隷らしく無視するか、潰しに掛かってくるか(戦前・戦中なら非国民呼ばわりをしての八分等)の行為を通して己自身の奴隷としての安寧に沈み込んで恥じもせず、薄ら笑いを浮かべている、下司そのものというのが実態である。
今月4日にアフガニスタンで殺害された中村 哲さんは、帰国するとあちこちから声を掛けられて講演なさることがあった。自分も何度か講演を伺いに出掛け話をさせて頂いたことがあって、この堕落し切り、腐れ切った日本で日本人がどんどん劣化してゆく中、尊敬できる数少ないの日本人のおひとりであったから、こんなことに成ったことが悔しくて仕方ない。襲撃犯の詳細は未だ分からないが、中村さんの魂がまあ、この世をご覧になっていらっしゃるなら、復讐などは望むまい。襲撃犯のホントの償いは、アフガニスタンの人々の為に(中村さんにとっては、国境などで区切られない弱い人々すべての為であったであろうが)身命を擲って尽くされた。その救われるべきだった人々の未来を、襲撃犯達が閉ざした以上、彼らの償いとは、生きて中村さんの目指した目標実現の為に今後の彼らの人生を捧げることだけであろう。刑罰を与えるのなら、このような刑罰であって欲しい。罪を憎んで人を憎まず、襲撃犯自身がいつか己の償いがホントに他の人々の幸せに繋がり、彼らはその贖いの行動・行為によって贖罪を何とか果たそうとしたし、一定の成果を出し得たと彼ら自身納得した上で生涯を終えられるよう計らって行かねばなるまい。このような計らいができることこそ、テロ根絶に繋がるのだし、人々の心・魂を浄化し得るのではないか? 今作はこのように本質的で、大切な問いを他ならぬ、今腐り切った日本の主権者である我々に問い掛けているのではないか?
満足度★★★
或る意味スゲーって思うのは、
ネタバレBOX
普通ここまで壊れてたらバイトとはいえ絶対レギュラーなんかになれねえだろうって思うけどそうでもないのかな? ここで描かれる職場のような所で働いた経験が無いから分からないが、自分が店長なら七子は一発で首。シフト組めないし、間違いだらけだし、話の外だ。
まあ、別にリアルな世界を描いているのではなく、所謂新自由主義の中で奴隷労働を強いられ搾取されるだけ搾取されて尚、他人の言うなりになってやり過ごしてりゃそれでいいじゃん、ていう腐り切った多くの日本人をパロっているのなら、それはそれでいいのだが、自分には、それも感じられなかった。が、ここに描かれたのが我らの飾りを剥ぎ取った姿だとしたら、我々日本人一般は、何の為に生きてるんだろう?
満足度★★★★
2018年の利賀演劇人コンクールで優秀演出家賞・観客賞受賞作に手を加えて京都・東京の2都市で公演される今作。三好十郎の「冒した者」が原作である。(原作は読んでおいた方が良い。かなり異色な作品だからだ。華4つ☆追記後送)
ネタバレBOX
三好自身、原作発表時にかなり実験的な作品であると断っているように1952年当時原作の持っていた革新性は、一般的に捉えられていた劇作家とその作品との関係を画するものだったようである。無論、それでも作家謂わんとすることの内実を汲み取ることのできる上質な鑑賞者は居た。それらの鑑賞者は時代の本質を作家同様に見抜き、理解するより悟ってくれるだろうと三好自身が考えていたことは、示唆的である。元々革新的な作品であった「冒した者」の原作をベースに上演するに当たり、この劇団は矢張り少し変わった形で取り組んでいる。劇団メンバーからして通常の劇団コンセプトの劇団では無い。構成・演出をした野村眞人氏は役者として他劇団に客演したりもしているが、演劇以外にダンス、陶芸、アニメーションなど多様なジャンルの表現者が関与し、取り敢えず劇団というスタイルを採用している。今回の舞台美術は、陶芸家が関わっているので焼き物を作るのに用いる生土(陶芸用粘土)を約2トンも使って舞台やテーブル等の舞台美術を作っている。パソコン画面に映ったフライヤーを見て自分がトンブクトゥーの建物群を想像したのはこの為であったと納得した。何れにせよ、アートの大切な表現方法の一つに、それまで無かった物や概念の組み合わせによって新たな美意識や観念を創造するという方法があるが、この方法は単に奇を衒うという悪趣味のみならず作家など表現者の採る位置や狙い、見識などによって千差万別。またこのように千差万別の表現を取れぬような不自由な人間に表現者たることなど不可能である。閑話休題、兎に角、若い才能が大きな仕事を成し遂げた大先輩の作品と格闘して作り上げた作品だ。