ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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『オフィーリアの部屋』『苦悶・煩悶・クローディアス』

『オフィーリアの部屋』『苦悶・煩悶・クローディアス』

明治大学シェイクスピアプロジェクト

明治大学駿河台キャンパス リバティタワー1階リバティホール / グローバルフロント1階 グローバルホール(東京都)

2023/12/01 (金) ~ 2023/12/09 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 明治大学で2004年から始まった明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)は、毎年秋に公演を開催してきたが、今回はその20回目。今回、20回メイン公演として上演されたのは「ハムレット」であったが節目の20回を記念した「明治大学シェイクスピアプロジェクト 20年の軌跡」展が同大博物館で開催されてもいる。その関連イベントという形で20回本公演の「ハムレット」に登場する人物たちにスポットを当て初のミュージカル作品として上演されるのがオフィ-リアに焦点を当てた『オフィーリアの部屋』及び志賀直哉の「クローディアスの日記」に基づき自由翻案で創られた『苦悶・煩悶・クローディアス』の2本である。

ネタバレBOX


 急遽、会場が変わったこともあり大道具が調達できなかった経緯もあって出捌けの動作が一部観客に観えてしまうケースもあるが、歌唱の上手さといい、ダンスの動きや振り付けも良さといい流石MSP公演である。2作品ともミュージカルで作曲はOBが担当しているが、エリザベス朝演劇の代表であるシェイクスピアの数ある作品の中でも代表的な作品の一つ「ハムレット」を今回の2作品以外にも太宰治が翻案執筆した「新ハムレット」を矢張り関連作品として上演済みである。以下今回上演された2作品を作品毎に論じてみよう。因みに舞台美術は2作品共用である。板上、ホリゾントと手前の中ほどに衝立を設けて袖とし、実際の出捌けは上手、下手の側壁袖から。他はフラットだ。尺はトータルで1時間程。
『オフィーリアの部屋』
 脚本はシェイクスピアの「ハムレット」を実に上手く翻案しオフィーリアのハムレットに対する乙女心を、乙女心を理解せず結婚を諦めさせる父、ボローニアスへの嫌悪を示しつつも従わざるを得ないアンヴィヴァレンツからくる苦悩や苛立ち侍従長の娘としてのプライド等々を時に現代風の台詞廻しで示しつつ狂った体をも装って表現するがオフィーリア役の女優さん声の質が極めて良く音感も良いので歌唱力が高い。良いキャスティングである。また、ハムレットが吐く「尼寺へ行け」の台詞を何度もオフィーリアが反復するシーンでは、ハムレットの絶望と恋に去られるオフィーリアの底の無い苦悩が表されていると思われ、哀れである。ボローニアスは身分違いの婚姻を否定するも一方で宮廷に於ける様々な利害をも考慮する。息子の将来についても考えねばならぬし、娘の意気阻喪も気には懸かる。あれやこれやでハムレットとその母、ガートルードの話を立ち聞きをしていた所を刺されて死んでしまった。刺したのはハムレットであった。後はどう描かれるか? 12月9日にもう1度上演される。観てのお楽しみだ。
『苦悶・煩悶・クローディアス』
 クローディアスは承知の通り先王の実弟、ハムレットの叔父に当たるが先王逝去後、妃であったガートルードと大した服喪期間を置かず結婚してしまった。シェイクスピアの「ハムレット」では、作品はハムレットの側からの視座で描かれており、クローディアスは可成り悪党ということになっているが、今作は寧ろクローディアスの視座から描かれる一種のエクスキューズ作品と言えよう。クローディアスもずっとガートルードに恋していたことが語られ、一方では甥から「息子」となった王子、ハムレットの扱いや彼の自身に向ける猜疑の目に対する処置に頭を悩ませたりもする。現実に世界をみれば他国との関係や政治、権力争い等々大人の事情もあろう。そういった諸々にオフィーリアの件が絡みこの2作品で一双を為す。
 衣装も主要キャラクターは豪華な衣装を纏うが衣装部が演者の身体に合わせて仕立て直したりしつつ用いているものもある。歴史を重ねてきたMSPの財産を上手に無駄なく用いている点も良い。受付などスタッフの対応もグー。
クロノスとカイロス

クロノスとカイロス

FREE(S)

ウッディシアター中目黒(東京都)

2023/11/21 (火) ~ 2023/11/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 脚本が良い。

ネタバレBOX

 物語に登場するハナミズキは北米原産の樹。樹高は5~7mになり1912年日本から桜が贈られた返礼に日本に贈られたことで広まった。花季は春、花色は白、紅がある。落葉樹なので紅葉も楽しめ実も赤く色づくので庭木や街路樹としても人気がある。花言葉は「私の想いを受けとめてください」「永続性」「返礼」と幾つかあるが、今作では1番目が最も強いものの、2番目、3番目の意味をも含むように思う。これは今作のタイトリングとも呼応しあっている。オープニングで先ずハナミズキに触れるのは、母・みずきの霊が可視化され何くれとなく随所に登場する光景に重なりながら展開するストーリーをも構造的に表しているから勘の良い観客はこの時点で物語のアウトライン迄観えてくる仕組みだ。中盤以降は、これらのことの意味して居たもの・ことが普通より一歩踏み込んだ深い台詞の意味する処として顕現し涙を誘う。父が倒れることは、伏線として何度も頭痛に襲われることから簡単に察しが付くことと、クライマックスを交差させる手腕も良い。前半、三女やその友人たちのキャピキャピしたような現代日本のチャラケ場面も出てくるがこのキャピキャピの底にある深い失意や世界の実態を知らずに迷妄の精神世界に在る子供たちが判断や結果だけを求められると思い込まされて居ること。そのことが分かっている大人は数少なく分かっていることを子供たちに伝える術を持たない。これらのギャップの奥にある日本の劣化をも踏まえ、それらを批判するというより更に深く考え実践すべき実存的方向を示したキラリと光る幾つもの台詞が構成した脚本の深さがグー。尺は約105分。
KEY LOCK

KEY LOCK

コメディアス

OFF OFFシアター(東京都)

2023/11/22 (水) ~ 2023/11/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 誰が何の為に? の解は明かされないが、この解の類推は比較的容易い。論理的に詰められるからだ。

ネタバレBOX

 板上横長の箱の上部に掌をかざすと機能する機械が1台置かれ、ホリゾント中央上部に小型モニター、その下の壁左右に開けられた開口部。更に劇場入口から板へ延びる壁面に大型のモニターが設置されている。出捌けはホリゾントに開けられた開口部2か所。
 物語は誰が何の為にこのようなことをしたのか、最終的に一切明かされないものの、一種の知的ゲームのような作品に纏め上げられている。1室、モニターにキーボードと?マークが描かれた升目5つが表示された部屋。他は各部屋に1人、兎に角目覚めたらサイズも部屋のレイアウトも据え付けられている機器も完全に同じで掌を翳した後機械下部から排出されるアイテムのみ異なる仕様の部屋。因みに各部屋は微妙に色彩が異なる。部屋総数はずっと不明、建物のある場所も部屋総数も、このように人々を閉じ込めた者の意図、正体、目的も一切謎である。然しアイテムは配置された部屋に入った者専用で他の者が機械に掌を翳しても反応しない。こんな具合に少しずつ謎が解き明かされる。小さなモニターには様々に配置された黒点が、異なる数レイアウトで表示されている。訳が分からないので自然に登場人物たちは壁に開けられた穴の向こうに何があるのか調べに行く。こうして互いが出会い、各々の受け取ったアイテムが異なることを知り、施設自体がロックされており、このロックを解除しなければ解放されないことを理解する。此処迄理解できるとロック解除に必要なことは暗号を解くことだと知れた。各登場人物が彷徨いつつ徐々に知り合ってそれぞれが入手したアイテムを用いて暗号を解く。暗号を解く為には総ての情報を入手してデータを分析、解き方を考え実際に解かねばならないから、正解を得るのは最終盤に入ってからである。この過程の試行錯誤や未知に遭遇せざるを得ないシチュエイションから生じる疑心暗鬼や恐怖、直ぐ正解に辿り着けないことから来る焦りや死への恐怖が上手く配置され、観ている者たちも緊張感を持続して観ることができる。面白い。
わが友、第五福竜丸

わが友、第五福竜丸

燐光群

座・高円寺1(東京都)

2023/11/17 (金) ~ 2023/11/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 必見、観るべし! 華5つ☆ 綿密な取材と得られた科学的知見をベースに見えない放射能の齎す恐ろしさを見事に劇化。(追記完了11.22)

ネタバレBOX

 オープニングは、喫茶モービーディックを訪れた視覚障害を持つ女性客と二代目マスターとの不可思議な対話から始まる。一元の客なのだが導かれるようにやってきた。してその原因は、店名に似つかわしく置かれている舵輪(舵輪とは航海の際に操舵室にある羅針盤と天測によって得られた自らの位置、そして海図を用いて目的地に向かう正しい航路を進む為に用いられ舵の角度を決めるハンドルのような器具のことだ。航海の象徴としても良く用いられる)や店の歴史、殊にこの舵輪が核戦力競争の中でアメリカがマーシャル海域のビキニ環礁で行った広島原爆の千倍の威力を持った水爆・ブラボーの核実験によって被爆した第五福竜丸が除染後水産大学の練習船・はやぶさ丸として用いられるに至る経緯で第五福竜丸で用いられていた舵輪は被爆等の影響があって使用されず除染後の水産大学練習船・はやぶさ丸には新たな舵輪が用いられたこと、そしてモービーディックに置かれている舵輪こそ、第五福竜丸二代目の舵輪であることが明らかにされる。
 作・演の坂手氏は若い頃書いた作品で盛んに複式夢幻能のコンセプトを語っていたことが、このファーストシーンにも出ているかも知れない。何れにせよ上手い導入部である。また、既に多くの方々が知っているように放射性核種は目に見えない。ブラボーによって放出された核種も200種以上あるハズだが半減期が秒単位の核種もあるから、残留放射能問題を引き起こすのはこの半分の100種以上ということになろう。何れにせよ半減期の長いウラン238は地球の年齢と近似して44億7千万年にもなる。
 物語はビキニ事件以降に起きた核にまつわる事件の本質をほぼ網羅し、観る者総てに考えて貰えるように創られている。例えば実に残念なことだが、政治は都合の悪いことは隠蔽するのが実際である。つまり民衆を犠牲にして今作が告発しているように事実を隠し、隠した事実も多くの場合隠蔽して蓋をしてしまうのだ。民主主義国家のリーダーを自称するアメリカは、それでも事象によって定められた情報開示時期がくれば殆どの秘密指定を解除し発表するが、民主主義の何たるかを弁えぬばかりか、近年に於いては民衆のことを一切考えないことが常態と化した民裏切り政党ばかりが与党を握り民主主義を破壊するに充分な隠蔽、嘘を垂れ流している。事実を述べる者に対する嫌がらせ行為実施事実の隠蔽・風化待ち、御用学者と共闘したフェイク情報作り、更には情報操作や偽情報拡散をしてきた件に対し、あくまで事実をベースに広島・長崎被爆国民の次に大々的に日本国民をも被ばく対象(鮪の核汚染、放射能雨、海洋汚染などの環境汚染)となった。被ばくし象徴となった第五福竜丸のみならず各操業船に通じる船員の役割(船長、漁労長、無線長、機関場船員などと日本がアメリカの責任を追求しなかった米日の方針、第2次大戦との絡み等の情報をも織り込み乍ら被ばくした漁師らの切歯扼腕が描き込まれ、被ばくの実相の一端と政治が対比されて胸に迫る)1954.3.1の第五福竜丸を象徴とするビキニ事件(日本政府はアメリカから3月1日に核実験をマーシャル海域で行うことを知らされていたが、操業船舶にこの事実を一切連絡しなかった。当時の日本管轄省が認めただけで992艘の漁船が被ばく、その殆どがキチンとした賠償ではなく見舞金すら受け取れなかったのに対し福竜丸船員だけが1人200万円の見舞金を受けた)このことが被ばく者間分断を生み第五福竜丸船員の証言をし難くさせた。恥ずべき日本の政、官、財の実態を緻密な取材や学術会議有志の調査船による調査(海流が海洋中で大河が流れるように流れており、他の海水と交じり合わないことを観測によって実証、結果降下した死の灰などによって汚染された海水は他の海水によって希釈されない)などを通して得られた事実をベースに描いた秀作。ギリシャ悲劇の最高傑作とされる「オイディップス王」でオイディプスは自ら目を突き盲いるが、盲いなければ見えてこない真実を観る為であった。オープニングで登場後、舵輪のように航海(今作で描かれる様々な事象)のナヴィゲーションに関わる女性が視覚障碍者であることに呼応していると見ることも可能であり、放射能が目に見えない脅威であることと深く関連してもいよう。実際には更に上記の如く、あったことを無かったことにする為の常套手段が用いられ続けている。今作は、ビキニ事件に関するメディア報道にも触れているが、読売新聞の正力松太郎は周知の如くポダムという暗号名を持ったCIAエージェントであったし、原子力の平和利用(米大統領アイゼンハワーが、1953年12月8日に国連総会で述べた有名な演説Atoms for Peaceを追い風に)と称して原子力産業・原発を推進、初代科学技術庁長官も務めた。原発導入で推進役を果たした中曽根康弘同様日本の歴史に大いなる禍根を残したことは、大石又七さんが原水爆と原発が本質的に同じものであることを早くから指摘し注意を喚起していたことと対照的である。このような状況の中、ヒトとして立つ者総てが観るべき作品であり、観たうえで覚醒すべき作品である。

結晶

結晶

劇団5454

赤坂RED/THEATER(東京都)

2023/11/10 (金) ~ 2023/11/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 ゲノム編集によって新生児のさまざまな身体性、知力などを操作できる世界の物語。(追記11.19)

ネタバレBOX

 舞台美術は至ってシンプル。板中央に天井から太い水柱を連想させるような円柱がそそり立つ。この円周をドーナツ状に囲むように椅子ほどの高さで数十cm幅の壁が取り巻いている。これが人工子宮だ。オープニングでは客席側に椅子2脚が置かれている。
 時代、場所は特に指定なし。ゲノム編集によって疑似胚細胞と幹細胞から作り出した精子を結合させることで受精させる為、性行為は不必要である。大多数の人々は既に性行為を野蛮なものと見做し軽んじて居る為、結婚することや指輪交換することも殆どなく男女の身体接触は軽いキスやハグであり、新生児は人工子宮で誕生しベビーラボで育つ。無論、数は少ないものの実際に女性の身体から産み、育てることを選ぶカップルもある。前者即ちマジョリティーは、性差に関係なく母にも父にもなれるし、個別の身体に負担が懸かる訳でもないから経済状況に応じて多くの子の親になることが可能だが、その分ラボに頼り切って結果的には現在の我々にとって普通な親子関係の親密さなどは育まれ難い。またゲノム編集された新生児の2世、3世になると寿命が短くなるという症例が多数報告されてもいるが、ゲノム編集で得られる高知能、理想的身体獲得の欲求は強く結果的には、親となる者のエゴが勝っている社会でもある。
 この物語で最も面白い点は、主任研究者の娘による父への造反の形式であろう。主体的即ち自主的である少女が大人である父に対抗するには基本的に論理によるしかない。なんとなれば経験則に欠けるからである。そして経験を積むことによって獲得される社会関係の中での論理の用い方を未だ知らない若者にとって論理の唯一の展開は先鋭化することでしか在り得ない。その必然的結果が人口子宮の破壊である。つまり娘の反抗に早くから気付いていれば優秀な研究者としての父はこの結果を予測し得たであろう。父の台詞にあるようにそれをして来なかったが故の結果であったのは、当に皮肉だがそこまで観客に感じさせるという意味で面白い作品であった。この少女のように自分の頭で考えることのできる人間にとってとても分かり易い。キチンと現在至り付いている科学的知見を調べ自家薬籠中のものとしていると思われる劇作家の作品でもあるから、観るだけで科学的知見のあらましも良く分かる作品だ。
メタ・バースデイ

メタ・バースデイ

劇団娯楽天国

ザ・ポケット(東京都)

2023/11/15 (水) ~ 2023/11/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 華4つ☆

ネタバレBOX

 劇団娯楽天国創立35周年記念公演である。舞台美術が凄い。和室を象ってあるが、レイアウト、壁を這う木材の形と柱などを挟んで横や斜め上に拵えた部分に延びる同じ材を用いた連続性のある造作デザインは、恰も壁を部屋全体の色調を引き締める化粧であるかのような落ち着いた渋い極上のセンスを感じさせる体のものである。格子窓がそのような壁面に座りの良い形で配置され更なる風情を醸し出している。日本家屋の建築美を見事に表すと同時に出捌け等の配置も合理的で見事という他ない。
 主人公は元高校の先生。生真面目を絵に描いたような教師であったが2年前に職を退き現在は仏頂面を下げて一日中家にいる。そして道徳の授業のような態度で4人の子供たちに接して来たため子供たちは各々、少し特殊である。然も妻とも手作りの料理を顔突き合わせて食べながらずっと口も利かずに仏頂面を下げて居た為、妻は実家に戻ってしまった。大学時代はミュージカル部に所属し、部員は皆互いを西洋人の名で呼び、明るく元気で陽気な学生生活を送っており、妻はミュージカル部のマドンナで総ての男性部員の憧れの的であったというのに。現在、長女が身近であるが彼女の夫は失職中。そんなこともあり長女は生活に対して極めて現実的であり、シビアだ。まあ、孫も生んでくれて育児中でもあるから当然といえば当然なのだが。父に対する風当たりには厳しいものがある。長男は父の「高校だけは出ておけ」との忠告に逆らい中卒で社会に出たが学歴社会の世の中思うように行くはずもなく、道を少し踏み外し何年も前に家を飛び出して寄り付かない。次女は大学進学したものの直ぐに辞め、現在は訳の分からない運動体に入って講釈を垂れるようになっており、その教団の施設内で共同生活をしており普段は一切実家に出入りしていなかった。次男はニート。一日中部屋に引き籠りお早う、お休みの挨拶すら漫録にしない。つまり家族は殆ど崩壊している。そんな中、生前葬を計画した父と別居中の母、4人の子供たちとミュージカル部の仲間、生前葬の弔問客、長男に恋し彼女に嫉妬してジャックナイフで殺害しようとする男、葬儀屋らが繰り出す悲喜交々を母が戻って来てくれたシーンで、父と和解し家族が再結成され徐々に正常を取り戻してゆく様が描かれるも警察から入った1本の電話が実相を明かす。とその実相に出会った父は心筋梗塞で心肺停止。この事態に沿って描かれる最終部の父と母の穏やかで和やかなシーンは深い哀感を伴い乍ら、父の再生シーンへ繋がる。この時に舞台美術の素晴らしさが改めて際立つ中主役・父、脇役・母が天界へ至る道中の雲の中の階段のような場所で交わす言葉及び演技が見事。赤い2つの風船の使い方も良いアクセントになっており、照明の素晴らしさに驚嘆し音響が見事にマッチしている点にも感嘆させられた。丁寧にまた品のある役作りをしている母役。場面、場面の変化に上手い役作りで過不足なく応じる父役、元演劇部部員で15歳になる娘の父が、生前葬の主役たる元演劇部顧問だと言い出し騒動を引き起こす矢張り品を感じさせるシングルマザー役の教え子らを配したキャスティングもグー。然も15歳の少女に「実の父は何処かの刑務所に服役中」と言わせてちゃんとオチも付けている。全体としては小市民化した現代日本のトレンドを上手く反映した作品だ。尺は約2時間半。
生きてるうちが華なのよ TAIAI

生きてるうちが華なのよ TAIAI

グワィニャオン

シアターグリーン BIG TREE THEATER(東京都)

2023/11/15 (水) ~ 2023/11/19 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 ベシミル、華5つ☆。2時間15分強の長尺だが、様々なタイプのギャグあり、極めてシリアスな問い掛けあり硬軟を見事に描き分け配置する脚本も秀逸! 途中、7分という中途半端な休憩が挟まれるのは1幕最後の場面で役者陣はストップモーションの状態で2幕に至る迄、この姿勢を維持するからである。但し50歳以上は、楽屋で休むことが許されている。姿勢によって非常に厳しい状態だから時の経過でどうしても姿勢が一瞬崩れたりするケースもあるが、当に演劇の持つ身体性そのものの鬩ぎあいをも見せる趣向で笑いの中に含まれる多くの位相を同時に表現していると見ることさえ可能である。無論役者陣の演技も良く、演出もしっかりしている。(追記後送)

枝折り

枝折り

中央大学第二演劇研究会

シアターバビロンの流れのほとりにて(東京都)

2023/11/09 (木) ~ 2023/11/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 タイトルが暗示するように、小説家、モデルや俳優、スポーツ選手など若者のなりたい夢へのチャレンジとその夢の実現への過程で経験する家族との関係、自らの病や怪我、社会へ出てからは実生活と夢実現の為に必要な様々な訓練との相克が社会人として生きる人間関係の障害との争闘とも相まって立ち塞がる様を描く群像劇。尺は約105分。尚、チケットは漢字は異なるが栞になっていて、ヒロインの名と発音が同じだ。

ネタバレBOX


 秋公演は1年生主体の公演で如何にもフレッシュな感性に彩られた作品だが、詩的感性を舞台化することの難しさをも提示しているように思った。というのは今公演を拝見すると今作の作・演出を担当した三谷 陸人さんが書いた短編集「ちいさな青写真」が頂ける。今作に出てくる神社にも関係するような短編集で文章からは実に詩的な感性が見て取れ、この作家は本質的には詩人なのだということが良く分かる。そしてその分、詩的感性を演劇に落とし込む際の難しさを感じるのだ。というのも詩は、矢張り言語(各単語レベルでの意味や音韻などの醸し出すリズム、各単語を繋ぎ合わせる際の意外性やイマージュの飛躍等が日常的な言語表現とは矢張り隔絶している)表現であるから、それを身体を用いて表現する演劇にした時に言語表現が意図したもの・ことを十全には表現し難いからである。これに対するには例えば間の取り方があると考えられるが、これがまた大変に難しい表現方法なので、間の取り方だけ観れば名優か否かは即座に判定できるほどなのである。
 若い演劇人がこの難題を克服する方法は、無論他にもある。例えばつか作品の圧倒的な台詞爆射や若い頃の唐十郎作品の持っていた圧倒的エネルギー、寺山修司の意外で奇矯な換骨奪胎等である。
 今作では、詩的感性を日常性に落とし込むように努力した跡が随所にみられ、結果的にそれが作品のインパクトを弱めた気がする。その分、内容的には可成り深刻で現実にそのような条件を背負わされた人物の困難が、観る者の想像力に訴えかけてくるもの・ことは深いのだが。ポテンシャルの高い中大二劇の今作創作者全員に対し、たゆまざる夢見る力と情熱、同時に現実を冷静に見極める方法獲得を期待している。
 そして、疲れた時には、珈琲でも飲んでリラックスすることも。
 
あなたはわたしに死を与えたートリカブト殺人事件ー

あなたはわたしに死を与えたートリカブト殺人事件ー

ISAWO BOOKSTORE

小劇場B1(東京都)

2023/11/08 (水) ~ 2023/11/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 当日入手のリーフレットによれば、今作は他の方々との連携での企画「昭和大事件四部作」の四作目で、タイトルはトリカブトの花言葉の一つから採られている。(追記可能であれば、後程)

ネタバレBOX

 事件は実際に起こったことなので描き方としてはドキュメンタリータッチだが、焦点を当てられているのは事件当事者ばかりではない。寧ろ周辺の人々にやや焦点が強く充てられ、全体としては事件そのものの衝撃性より、それが齎した社会性、社会的衝撃の一歩奥にあるものを作家の想像力で紡ぎ出した作品ということができよう。とても分かり易い内容だが、最終盤鑑定医と被告・確定囚との問答がある。この問答で、被告・確定囚の解答はちょっと意外に感じるかも知れないが、その一点だけが予測しにくいかも知れぬ。
晴耕雨読

晴耕雨読

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2023/11/08 (水) ~ 2023/11/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 尺は約100分。品の良い揺蕩う時を過ごしつつ、少し不思議で時に飛躍を見せるオムニバス形式で上演される各作品の奥にあるものを考えると味わい深い。お勧めである。

ネタバレBOX

 板上上手に円を90度で切り取り円周上に段差のある壁を設け、その壁の内側には階段状に伸びた板状の造作(キャットウォーク)が突き出ているが各長方形内部は銀杏の葉のような形の曲線になっており、天井の光源が灯されるとキャットウォークの影が円周上に映り実に美しい。この影の用い方はSpiral Moonの舞台美術のセンスの良さにいつも感心させられることの一つだが、今回の作品の内容ともマッチした素敵な美術センスだ。円形の四分の一を為すスペースはオムニバス形式で書かれた今作の作家とその愛しい人との巣。スペース中央に横長で少し大きめのテーブル、そのテーブルの長辺を挟むようにベンチ式の椅子が置かれている。
 更にこのカップルの巣の会話に促されるように各挿話が展開するが、こちらのレイアウトでは下手側壁に伸びる踊り場が設けてあり、踊り場客席側には手摺が付いている。無論踊り場へ上がる為の階段もある。他はほぼフラットだが場面に応じて必要なテーブルや椅子等がその都度用意されたり撤去されたりする。これらの動きも物語の台詞とタイアップしているので、物語の展開に一切邪魔にならないのは流石である。
 偶々、最近見た優れた作家の作品や鋭敏な作品作りをしている劇団の作品の多くに、ある共通の要素が見られるように思うのだ。それがどのようなものかというと、人間が人間として生きようとするただそれだけのことに不可を出す、出し続ける無能極まる政治と何とかの一つ覚えと言わんばかりの利益至上主義の大手企業の論理がまかり通り、政治と経済が互いの利害のみで結託して人々の日常を脅かす非人間的社会の救い難さに対しての異議申し立てである。それらがどのように作品化されるかというと、例えば新聞報道等一定の客観性を持つと見做すことのできる情報から得られた「現実世界」の「事実」表現に対置するかのように、それとは微妙に異なる作家のフィクションが題提起を図る形で描かれ問われる。その上で次のステップとして我々が普段何となく用いている時間概念即ち過去、現在、未来という不可逆性とは別の時間、次元を提示し、その中で現実とは別の解決法というか夢の見方といったものを提起するという形である。言ってみれば宮澤賢治の傑作、「銀河鉄道の夜」に描かれる銀河鉄道の行路、ジョバンニの切符、停車場更にはそれら総てを含めた銀河鉄道そのものをイメージして貰えばよい。
海辺のメロ刑事

海辺のメロ刑事

ライオン・パーマ

駅前劇場(東京都)

2023/11/08 (水) ~ 2023/11/12 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 途中10分の休憩を挟んで2時間半の長尺だが、物語に含まれる様々な要素が巧みに組み合わされた展開を見事に腑分けした上でキチンと再構成された脚本と、場転を瞬時に然も最も論理的に正しく効果的に次のシーンを構成する演出が素晴らしいので全く飽きさせないのは流石だ。無論LionPermらしい哀感と喜劇的であるが故の深みも漂う。

ネタバレBOX

 物語が展開するのは、地方の海辺にある喫茶店(元スナック)。ホリゾント中央手前に中に人が入るスペースを設け客席側に迫り出すようにカウンターがあり、カウンター奥のホリゾント部分はコの字を左に90度回転させ門の様な形にした煉瓦造りの造作、適度な間隔を置き矢張り煉瓦造りの柱のような洒落たデザインが見える。板の上手・下手には中折れになった衝立を設けその奥と手前、都合4か所が出捌け。板上客席側はフラット。適宜箱馬を並べて椅子にしたり車の座席にしたりする。無論、海は客席のある空間に在る。役者陣の演技が渋い。
未踏

未踏

wonder×works

座・高円寺1(東京都)

2023/11/01 (水) ~ 2023/11/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 べし観る! 華5つ☆。途中休憩15分を挟み約3時間の長尺だが、全く長さを感じさせない。流石文学座も関わっているだけのことはある。例えば女性の立ち居振舞いにしても(和服の着こなし、歩き方、正座の姿勢、仕方等)当時のキチンとした作法である。現代の日本では殆どみることができないが。(追記11.7)

ネタバレBOX


 今作は日本劇作家協会プログラムの秋の劇場十七として上演されている。作・演出は八鍬 健之介氏。ホリゾント中央にスクリーンを設け、手指を用いて描かれるサンドアートによって物語の情景に伴走するように表される詩的映像が音楽と共にリアルタイムで描かれてゆく。それは知里 幸恵が、最終校正を終えたその日に僅か19歳の短い生涯を終えた衝撃的な死に飾られ余りに切なく美しい。
 サンドアートの手指によるイマージュ表現は、彼女が狩猟・採集民として自然の懐で自然の摂理を深く理解し生活してきたアイヌ民族の実に詩的で美しく精妙でデリケートな口伝を基に生涯を懸けて編集・翻案し日本語訳した書「アイヌ神謡集」との間に橋を架け、唾棄すべき大多数の和人からの差別に対してすら、遥かに深く広い世界に暮らし交感し表象した気高いアイヌ精神に照応するには最適の手法であろう。この稀有な少女の才能を見出し、鍋釜さえ穴が開いて使えないような極貧の中で幸恵を自宅に招いて住んで貰い共同研究に励み遂には世に出した金田一京助、妻・静江の共同も見事。学問的には優秀人格的には高潔でも研究に熱中する余り、実生活については極楽蜻蛉の趣さえある京助をキチンと叱ってくれる静江の姉・林カオルの現実の生活者としての優しさ、日本で比較言語学を提唱し根付かせた京助の恩師で東京帝国大学名誉教授でもある上田 萬(万)年は、大学長でもあり貧に窮した京助に様々な援助の手を差し伸べた。また上田は当時法制局参事官をしていた民俗学の大御所・柳田國男に京助の論文を紹介し殆ど無名であった京助を世に出した。日本を代表するこれら優秀な研究者間の論争シーン等も入り、これらのやり取りの中にある学問を追求する者としての姿勢や研究する者としての高い見識と共に世界に対する態度や倫理、責任感等についても描かれるが、現代我が国の為政者による天下国家の運営に関する完全な破綻を敢えて自らの意識から排除し、詭弁で取り繕う情けなさが嫌でも対比され、同時にそんな政治をコントロールできていない我ら国民の不甲斐なさにも切歯扼腕の念が募る。
 物語は、幸恵が亡くなる迄の前半と幸恵の弟・真志保が東京帝国大学に入学後、寮でも味わう被差別状況と屈折等を、それこそ某大学に標本として残されたアイヌの遺骨に対する態度に現代でも表されている通り、露骨な観察対象や実験動物に対する態度の如き視座の対象とされることへの忌避を表現している。また真志保(後アイヌ民族初の北海道大学教授)登場の伏線として南極探検隊に参加すると京助に会いに来た樺太アイヌ・山辺 安之助を登場させ被差別者の意気地を見せている点も、アイヌというだけで極めて非合理的な差別を受けた総てのアイヌを代表させる意味を汲み取るべきである。
 上記の物語と平行して上田や谷川らの助力、編集者・岡 秋倫らの支えもあり京助の実力も徐々に世に知られるようになり初めは講師職を上田の計らいで得、大学教授迄出世してゆくがその過程に太平洋戦争に突入し敗戦後の混乱期を経た恩師、弟子や編集者らとの後日譚が描かれる。
 ラストシーンは再び、冒頭のような汽車車内である。この汽車は、賢治の「銀河鉄道」のように四次元を行く汽車と重ねられるだろう。金田一京助及び一家の消長と研究者・編集者らの世界、幸恵の「アイヌ神謡集」を仲立ちとした前者和人グループとアイヌ民族、そして様々な地域で暮らす和人たち等々が、現実に暮らす敗戦前・後と現実に経過した実際の時ではなく、賢治風にいえば四次元の時空即ち過去・現在・未来ではない時に揺蕩う“時”内を描いて終わるのだ。
 ところで「アイヌ神謡集」の真価とは何か? 欧米文明が自然破壊の危険について大々的に知るようになったのは、「沈黙の春」出版以降であろう。然し乍らアイヌやネイティブアメリカンら狩猟・採集民族の殆どはその生活の中でこの根本を心得ていた。田中 正造の有名な言葉“真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし”と喝破したことを詩的で神々しい高みのことのはで表現したことだろう。

 自然破壊の央、我らの為した愚かな文明の結果を後目に、名著と評される「アイヌ神謡集」は、その気高い精神を今に伝え高く宙(おおぞら)を舞う。そしてその断片が雪の如くに降り積み、ほらここに 我らの心の内に! 今も大切なことを伝えている。
エゴ・サーチ【Mura.画】

エゴ・サーチ【Mura.画】

Mura.画

劇場MOMO(東京都)

2023/11/01 (水) ~ 2023/11/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 βチームを拝見、尺は120分。

ネタバレBOX

中盤迄、何とも間の抜けた退屈な展開だが、これも仕込み。役者陣は中々頑張っている。自分はキジムナー役と美保役、田中役が気に入った。キジムナーはその優しいキャラが。美保役は終盤に近くなるほど素敵に見えてきた演技が、田中役は下種共に対する暴力的態度が。シナリオは2010年に初演された鴻上尚史作品だが、あの年、鳩山が基地問題で首相を辞めさせられ菅内閣が発足、その後自民が再度与党に返り咲く迄の僅かな間多少民主的であった時代だが、国民の殆どがそのことの意味する処を理解できなかった時代でもある。そんな情けない国民の持ち得た最後の民主的時代を浪費していた体たらくが今作前半に表現されているのかも知れない。何れにせよ、中盤からは漸く普通のレベルで骨格ができ、肉も付いて作品らしくなってくる。興味深いのは、社会のダーティーな部分が登場人物として様々に描かれている点だ。ネットを利用した企業の社長が傷害犯として追われており、従業員はリベンジポルノが流布された経緯でAV女優の過去を持つ為削除されない映像に傷つき自己否定に走る傾向を持つ。プロカメラマンを名乗る広瀬はスケコマシ、広瀬に貢ぐ女は風俗嬢等々。ダークグレイな人物が多々描かれている点が興味深い。
 こういった怪しい登場人物たちの登場を埋め合わせるように沖縄の離れ小島の児童を話の中に登場させたり、キジムナーという伝説の存在を登場させたり、案外デリケートな作家志望の一色を登場させたりして全体のバランスを取っている構造自体は全く新味がない。ただ、最初バラバラに見えたパズルの断片を繋ぎ合わせて作品を創造してゆく過程が面白かった。
吉良屋敷

吉良屋敷

遊戯空間

シアターX(東京都)

2023/11/01 (水) ~ 2023/11/05 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 断固、観るべし! 華5つ☆。尺は約100分。初日を拝見。(追記1追記2アップ。追記はこれで終了)

ネタバレBOX

 いつも感心させられるのが舞台美術の抽象的な美なのだが、今回もそれは裏切られなかった。日本の建築物の美について、またその独特な構造上の美しさや機能面に於ける論理的構造の正確性のみならず、必ずどこかに一筋縄ではゆかぬ美への哲学すら感じさせる捻りが埋め込まれていることは驚嘆すべきものである。そういった伝統を踏まえながら作られている今回の舞台美術も観劇に必要最低限の要素のみを見事という他ない構造と配置で示し余計なものが一切ない。当に演劇の醍醐味を生きた人間が創造する点に集約している為とみて良い。作中、台詞としても語られる吉良邸の構造を過不足なく再現構築しているうえに余計なものが一切無いのは、今作で描かれる華の場面(茶会)で利休の侘び寂びの精神をこそ、重んじ楽しんだであろう吉良上野介の、領地民から慕われたという伝聞からも察することのできる超一流の風流人、現代風に言えばディレッタントとしての側面をも表しているかの如し、なのである。
 物語は、赤穂浪士が吉良邸を襲撃に及んだ、当にその当日、日中から翌朝に掛けての20時間程である。この僅かな時間内に吉良と浅野、その家臣団赤穂浪人との経緯総てを集約し、然もこの「忠臣蔵」は、吉良側の視座から描かれている。上演台本、演出、美術が遊戯空間主宰の篠本賢一氏。今迄何度も書いてきたように能の故観世榮夫氏に20年程学んだこともあり日本の古典芸能にも造詣が深いからこそ実現し得た舞台である。音響も尺八、横笛、琴、呼子などは総て生演奏、拍子木が随所に入り音響部門でも舞台を締める。無論必要な場面では劇場の音響も入るがメインは生演奏という贅を尽くしたものであり、照明もいつも通りシアターXの見事な技量を示している。
 少し用語や分かり難いかも知れない箇所の説明もしておいた方が良いかも知れぬ。高家としての吉良家というのは、足利氏の支流に当たる吉良家が皇族との関係が深く朝廷での官位も高かった為に用いられている言葉で吉良家はその筆頭格であったが、実際に幕府と朝廷の連絡や儀式の運営・指導に当たっていた家柄を指す。然も吉良家は旗本でもあったから実勢は大したものであったと思われる。その上、吉良上野介は長男を失い次男を得たが、当主が急逝した上杉家の出身である妻の関係から次男は上杉家の養子となり城主となった為上杉家からも支援を受ける身となっていたのである。将軍は綱吉であったが朝廷に対して破格の礼を採ったことでも知られる。浅野内匠頭即日切腹という厳しい判断は、綱吉が儒教を重んじ可成り学問に造形の深い将軍であったことから朝廷を重んじていたこと、その大切なもてなしの礼に朝廷側使節が挨拶に来たその日に刃傷沙汰を起した浅野内匠頭に激高したことも関係していよう。
 元禄期に於ける庶民の鬱憤については元禄金貨、銀貨改鋳によって質の落ちた元禄金銀貨に悪影響を受けた町民の実生活と改鋳前の高品質の金銀貨が富裕層に集中されることで富む者は益々豊かになるという構造が見て取れる。当に現代日本の経済的混乱に似た状況に拍車を掛けたことも手伝って不評であった。更に生類憐みの令を出したことで、ヒト以外の生き物の方が人間より大事にされるといった人々の見方が反感を煽った側面もあろう。今作で、吉良が江戸庶民の噂に対する見解を述べる台詞にある「江戸幕府が成立して百年、(将軍は犬公方と呼ばれた綱吉の時代)ヒトの命は異様に軽く、物価高に庶民は喘ぎ鬱憤は溜まりに溜まって爆発寸前、また太平の世が続き武士は本分を忘れ世の中の箍は緩んだままだ。そんな庶民の鬱憤を晴らすには最早絶滅仕掛けた忠義や義憤に駆られ、本質的には幕藩体制そのものに弓を引く赤穂浪士達の仇討ちは鬱憤晴らしの特効薬としての効果がある」という意味のことを言っていた。吉良の頭の良さ、本質を見抜く眼力を観ておくべきだろう。吉良がそこまで冷静に世の中を観ていたとすると、事実は吉良と浅野の意趣返しという話ではなく余りにも複雑化した料理。饗応の作法や手順、饗応に必要な食材や食べ合わせ、包丁に対する知識や産地に関する知識、調理人に対する対応等々枚挙に暇がないこともあったのかもしれぬ。実際刃傷沙汰を起すに至る前、本来共同で当たるべき準備期間中の25日間に亘り吉良は朝廷方の用で浅野と共に準備に関わることができなかった事実もある。今作終盤で語られる如く、実際に何があったのかは不明であるが。ところで吉良邸絵図が浪士の手に渡った経緯で犯人が分かった時の上野介の高笑いからの、若者たちに対する対応も今作の肝の一つ。心に留めておきたい。
 さて、そろそろ今作を拝見した感想を述べておこう。拝見したのは初日、11月1日19時の回である。
 知り合いが何人も殺されるかも知れない、という不安に苛まれ自分は長らく封印してきた修羅を再活性化する寸前であった。殺される可能性のある知人は大人だけではない。子供もだ。シオニストが喧伝に用いるホロコーストに匹敵する事態に直面してのことだ。
 だが、今作を観終わった時、感じたのは何とも言えぬ哀しさ、寂しさであった。浪士たちが吉良邸を襲った有様が、攻め手受け手双方の模様と共に具体的な戦い方、負った手傷の詳細、氏名と共に篠本氏、観世さんの語りで紡がれてゆく。そのリアリティーが心の内側から立ち上って来た為だ。これだけの深さを味あわせてくれ、更なる思考の深化を促してくれたのは、出演した役者陣の鍛錬の賜物、練りに練られた上演台本の素晴らしさと理性的で格調高い語り、生演奏の素晴らしさ、裏方さんの対応の良さ等今作に関わった総ての人々のお陰である。心から良い作品・対応に対する礼を述べたい。
Here Come The Angels!

Here Come The Angels!

ぷろじぇくと☆ぷらねっと

ブディストホール(東京都)

2023/10/25 (水) ~ 2023/10/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 Project★Planet20周年記念公演である。子供だけが罹る原因不明の奇病。片や対策を練る研究者グループ、そしてもう一方におばばと、おばばのもとに身を寄せるアリス。彼女らは、いのちのスープを作り続ける。(1回目追記)

ネタバレBOX

 さて、今作一種のSFでもあるが、描かれているのは無論ディストピアだ。人類が為している愚かな行為の結末はそれ以外に在り得ないであろうから、これは必然である。願わくはそうなって欲しくは無いものの世相を眺めている限り避けられまい。で、今作で描かれている奇病と、その前提となっているのが「大災害」だ。地軸の変化によ因るのか他の原因に因るのかは定かでないが、作中語られる処に拠れば大規模な地殻変動に伴う気候の急激な変化によってバクテリア、植物などが大量に死滅、食物連鎖上位に在った生き物はその影響を受け多くが生命の危機に向き合った。滅びたものも多い。当然人類もその煽りを食った。
MaNNequiN -マネキン2023-

MaNNequiN -マネキン2023-

もんぴぐ

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2023/10/26 (木) ~ 2023/10/29 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 華5つ☆ ベシミル! 本編以外にも様々な小イベントが上演前後に在るかも知れない。27日マチネにはあった。

ネタバレBOX

 板上はかなりザックリ作られている。観客席とホリゾントの中ほどに嵩上げした踊り場、踊り場奥に手すりのような絵が描かれた壁。踊り場中央に階段が二段設けられているがピンやデュオで生歌を歌う者や場の中心になる役者が上がって用いる。大人数のダンスシーンが可成りあり手前の板上で群舞が披露されるが、個々の役者のダンスの切れも良く群舞としてのタイミングも合い振り付けのセンスも至極良い見事なものである。
 更に手前は、物語が展開するデパート内のテナント店内として用いられもするので踊り場下手手前には商品棚、そして商品の洋服を掛けた移動式ハンガーが置かれている。他に上下のみに板を張った箱馬が数個。色は白だ。上手は店舗への入口と想定されているので商品棚を除く小道具が置かれている。箱馬1つとってもセンスの良さが窺われる。この直観は正鵠を射ていた。演劇作品の根幹を為す脚本も素晴らしい。ダンスシーンを取り入れたり歌唱を作品内に取り入れる舞台は可成り見受けるが、今作ほど各要素が互いに嵌入し見事に呼応し合う相関関係を通して深みと味わいと強さを増し観る者に迫ってくる舞台は観たことがなかった。これは卓越した演出と出演陣皆のレベルが高いことに起因しているのだろう。
 拝見するまでタイトルから想像できるマネキンは二通りあるのでどちらだろうと思っていたのだが今作で現れるマネキンは人形の方である。場転もスムースで全く物語を邪魔しない。衣装変えも出ずっぱりの役者以外はかなり頻繁に変えテキスタイル関連作品としての流行り廃りをも表現していると感じさせる。役者陣はキチンと役を生きているので観客は自然に劇中に魂を紛れ込ませ乍ら単に観劇するというより劇中に恰も参加しているように没入している自分を感じることができた。諸般の事情で取り敢えず“解散”ということであるが、発展的解消ということのようである。中心になった3人は気もあうようであるし、今後も情況さえ許せば力を合わせた公演を拝見できるかも知れない。出演していた役者陣全員に今後も期待している。スタッフの対応も合理的できめ細やかである。無論、音響・照明もグー。
明日葉の庭

明日葉の庭

ことのはbox

武蔵野芸能劇場 小劇場(東京都)

2023/10/19 (木) ~ 2023/10/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

 板上には嵩上げした床。日菜子の運営するシェアハウス・明日葉ハウスのリビングルームがある。下手奥に二階へ上がる階段。ホリゾント奥にキッチンがある。上手側壁の中ほどに手洗いの扉。リビング中央には大き目のテーブルに腰かけ。建物は柱や梁の構造だけを示し観劇に適した構造のみ表現。造作の手前客席側板部分が外部であり、上手は隣家に繋がっている。隣家の稼業は農家、口喧しい爺さん・土井垣が暮らすが根は優しい。

ネタバレBOX


 Team箱を拝見。明日葉ハウスに暮らす住人は女性ばかり。というのも入居条件が女性だからである。入居者を順に上げてゆく。樫山智恵子は最も新しい入居者で然も最終入居者である。理由は簡単、最後の部屋の入居者だからだ。築70年の古民家ではあるが清潔で部屋が広く、然も周囲の環境も良く家賃が安いのが魅力の物件である。離婚届けを突きつけここに来た。食事は1食500円。食べた分だけ支払うシステムで残置の場合、ホリゾントに掛かっているカレンダーにその旨書き込む。調理は当番制、一番上手なのが良美、元専業主婦。京子はバツ3で酒飲み、地元のスーパーでパートをやっているが店長・岡田に気に入られ店長の元気の元である。が、余りにデレデレで近所の評判も悪い、と娘のあゆみに邪魔だてされ一時パートに出られなくなるものの、父が激痩せしあっと言う間に年老いたのを観たあゆみが仕方ない、と許した為、彼女はパートに戻り店長も結局復活。復活後はジョギングなどもこなし却って若返った。真紀はインドの有名な俳優の子を産んだが彼の訃報を受け此処に来た。おいしいカレーを作るが、カレーだけしか作らない。他にブロガーが居て、ブログを魅力的なものにする為にカメラの腕も磨き年中写真を撮ってアップしている。因みに一応何処へ隠れたかは明かさずに離婚届を突きつけて家を出た智恵子を訪ねて一級建築士の夫・森が明日葉ハウスを探り当てたのはこのブログがきっかけであったが、ブロガーは当然、樫山に写真掲載の許可は取っていた。夫と苗字が異なるのは旧姓を智恵子が使っているからである。メンバーの中にはインスタントラーメンしか作れないメンバーもありそれで500円は高いが、浮いた分はおいしい料理を作る人が当番になる時の食材費として流用されるので問題は無い。
ところで高齢社会を扱った作品なので当然認知症問題も出てくる。日菜子の幼馴染・円香の祖母・キヨが自分の家を明日葉ハウスと思い込んで年中上がり込むのだ。それが原因ではないのだが日菜子はこの問題に対処する為入居者が年老いて介護が必要になる事態を踏まえその為の資格を取るべく勉強に励んでもおり、このような日菜子を愛する農家の跡取り息子・はにかみ屋だが能力も高く優しい水島裕一郎から明日葉の根を貰い育て方など細かいことも教わる。この根から新芽が芽吹き大きくなった夏、島を台風が襲う。この台風で皆が避難する時、それまでの無理が祟った日菜子が倒れ危急を知った裕一郎が彼女を救った。これが、ぶきっちょな裕一郎が自然な形で彼女を射止める契機となった。この時の裕一郎の台詞が良い。「明日葉は強いが繊細だ、俺はハンノキになる」という意味のことを言うのだ。それまでに明日葉についての説明をした時に明日葉の強さと繊細さについても述べており、繊細な明日葉はその庇護者として最適なハンノキの根本に植えるのが良いという話をしていたので、日菜子を明日葉に自分をハンノキに準えての台詞である。更に台風で傷んだ明日葉ハウスのリフォームをブログを妻の旧姓を用いて検索し間違いないと再確認した森が一旦は男優位の論理で智恵子に対したことを皆から批判されて反省した上で再訪、自分にリフォームを任せて欲しいと申し出る。またリフォームの期間中、住民が何処で暮らすかについても隣の土井垣はじめ島の人々が面倒を引き受けてくれることになった。
 唯、現実に翻弄される生活を送る自分には、森の男性優位社会当たり前という価値観が、即ち複雑に絡み合うジェンダー問題がそんなに簡単に片付くとは思えないという実感は残った。
DOLL 全公演終了しました、ご来場ありがとうございました!

DOLL 全公演終了しました、ご来場ありがとうございました!

KUROGOKU

王子小劇場(東京都)

2023/10/18 (水) ~ 2023/10/22 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 タイゼツベシミル! この所、優れた作品を拝見してきたが、今作名作と言われるだけあって流石に凄い。兎に角図抜けた脚本の良さを丁寧にまた懸命に舞台化する姿勢が、描かれている内容と相俟って多感な高校1年女子の姿を見事に届けてくれた。華5つ☆。自分的には今年拝見した作品のトップ。尺は100分。(第1回追記2023.10.21 追記2回目同日夕追記はこれで終わり)

ネタバレBOX

 LチームとRチームがあるが、Lチームを拝見。今作、今回は再演である。一昨年vol.7として1度公演しているということだが、前回は女子高生を演じた同じメンバーで語り部役もこなしたが、今回は別建て。今回はより深くより忠実に原作を解釈した、という。出来は上記で記した通りだ。また諸般の事情により当初演出を予定していた浅川拓也氏及びシングルキャスト2名が降板するということもあり、急遽主宰の黒柳安弘氏が企画・政作・照明の他に演出も担当した。主宰とはいえ過重な負担をキチンとこなしている。その労に報いた役者陣のきめ細やかで役の意味する処を生きている演技が死という誰も己の死ぬ瞬間を知ることが出来ない未知に向かって突進してゆく方向に舵を切ってゆく道程が余りに悲しい。出帆してゆく5名の少女は、寮制の高校に入学した1年生。人生のうちで最も多感な時期を同部屋で過ごしたルームメイトである。因みに5人それぞれのキャラを挙げておくと両親の離婚後母に引き取られ放任主義で育てられ自分独りで生きてきたという感覚が強く酒・煙草もやり髪も染めロングスカートを履いて、規則等の方が自由な判断で動く自分の基準より害があると主張する突っ張りであるが、男女間の乱れは余りなさそうな京子。中学時代は生徒会長をやっており、面倒見が良いとみられ、またそのように観られるような行動を取ってしまうが、内奥ではそのような自分を決して好きではないづみ。父の医院を継ごうと医師を目指し、その為勉強に励む秀才、中学時代の成績も学年で1番、今回の入試でもトップの成績で入学した麻里。神経質で内心では自由に振舞っているように見える不良っぽい京子に憧れているが、現実には最も激しく京子と張り合ってしまう。ルームメイトの恵子は中学時代からの友人である。この高校に入学するまで1人では電車に乗ったことも買い物をした経験もなく、入学式当日も大きな枕を抱き何かあれば母に電話を入れ迎えに来て貰って対処する。学業成績も振るわないみどり。一見極めて普通に見えるが、親しくなったようでも必ず何処かに距離を保ち自らは決して矢面に立とうとせぬよう殆ど無意識に振る舞ってしまう惠子。5人のうち唯一、熱烈なラブレターを貰い、デートを重ねた経験を持つこととなった。その相手は、この女子高でもファンの多い他校の生徒会長、上村であった。が、上村を真剣に恋して居たのはいづみであり、真剣な恋であったればこそ、上村が本気で好きになった惠子に譲っていたのである。上村が如何にもてたかは、ルームメイトの中にもバレンタインデーにチョコを上げようと憧れていたみどりが居たことでも明らかだ。ところで丁度そのバレンタインデーにデートの約束をしていた上村とのデートを惠子はキャンセルしてしまう。理由は頭痛であったが、この頭痛の真の原因は、上村が惠子にそっくりな人格を持ち、そのことが重く圧し掛かって彼女を苦しめくたびれさせてしまうからであった。ハッキリ恋の是非を問う上村に理由は応えることがでいず彼女はただ非と答えた。上村は自殺してしまう。
 各々のキャラ説明に物語の展開を若干交えて説明した。凡そのイメージは掴めただろうか? 初見の作品だし原作も読んだことさえ無いのでハッキリしたことは言えないが、今作の脚本で見る限り脚本家が生きた魂を鋭利な刃物で腑分けするような生々しく痛々しい台詞が随所に書き込まれていて衝撃を受ける。恰もランボーの詩節でも読むような衝撃感である。だが、それだけだろうか? 自分はそうは思わない。それだけであればタイトルに表現する者である劇作家が“doll”とは付けまい。様々な意味がある単語・dollではあるが、最も一般的な日本語訳である“人形”と解釈してみる。人形ならば持ち主が居るであろう。少女たちの持ち主と言っては何だが法的責任者は親であるから、一応親が少女たちの護り手、庇護者ということになろうか。少女たちも無論物ではない! それでは「親」を敢えて単語化すれば「家」と言えるのではないか? もっとハッキリ言えば、この国の見えない制度即ち明文化されず唯影のようにその当事者が存在する限りまた僅かな光源が在る限り必ず付いて廻る雰囲気や暗黙のタブーといった規制そのもののように自分には思われるのである。ラストシーンでは死後の少女たちの会話が描かれるが、このシーンもありきたりの、観客を演劇空間から日常へ戻す為の装置として描かれているのではない。むしろ敢えて明文化されず実際に人間の自由や個別の尊厳に対してお門違いの規制を掛け、縛り付け、差別する現実世界への抗議、否もっとハッキリ言おう。アイロニーとして描かれているのであろう。そして観客は衝撃と共にこのアイロニーをも共有するが故に名作と呼ばれ続けているのであると考える。観客として観たことの内実を決して忘れぬ為に!
恋の焔炎

恋の焔炎

ARTE Y SOLERA 鍵田真由美・佐藤浩希フラメンコ舞踊団

日本橋公会堂ホール「日本橋劇場」(東京都)

2023/10/17 (火) ~ 2023/10/18 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 約90分強。これほど義太夫とフラメンコが合うとは、驚嘆!

ネタバレBOX


 アルテイソレラは、これ迄も能、歌舞伎等とのコラボを経験してきたが今回は歌舞伎と並ぶ江戸文化の華人形浄瑠璃、中でも太夫の語りと太棹のコラボで華やかさ、劇的効果を高めた義太夫とのコラボを目玉の1つとしている。オリジナルとして藤間清継さん脚本で
「摂州合邦辻」から紡いだ『玉手』は有名な俊徳丸(継子)に命懸けの恋をした継母(玉手御前)の凄絶な愛の形が描かれ圧巻!
Programは以下の通り
1. 恋の焔炎
2. 梅酒 高村光太郎が妻、智恵子が狂う自分の後始末をしだし、己の死後に飲むように作った梅酒に纏わる詩にインスパイアされた作品。
3. 狐火 史実には反するが武田信玄の息子、勝頼に恋した上杉謙信の娘、八重垣姫。勝頼の危機を救う為、湖の神の使い狐の力を借りて湖を飛び越え追手の危機を知らせる。
4. 玉手~摂州合邦辻~
5. 愛の終焉
6. 蝶の道行
7. 秘想~petenera~
8. 永遠のまにまに
尚、3と4、5と6の間に解説が入る
ちょんまげ手まり歌

ちょんまげ手まり歌

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)

2023/10/13 (金) ~ 2023/10/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

 べし、観る! 素晴らしい。華5つ☆ 追記後送
 劇団創立50周年記念公演Ⅲとして上演された今作。50周年記念公演としては最終作である。何れの公演も何れ劣らぬ素晴らしい公演であったが、今作の脚本、演出、演技、演奏、舞台の使い方など見事な完成度である。原作は上野 瞭、脚色・台本が江深シズカ、演出・音楽・美術が浅井 星太郎である。

ネタバレBOX


 板上は上手ホリゾントと側壁に沿い奥の出捌けに向かって階段状にせり上がるように平台を積み重ね登退場が効果的に見えるように工夫されると同時に、下手演奏者の奥の側壁に更に出捌けを設けることで今回登場人物が多い点を難なくクリアしている。上手側壁には大きな扇子が開いた状態で掛けられている。これら以外の空間が基本的な演技空間である。オープニングでは、この板上にかなり大きな手毬が置かれ明転と同時に女児が手毬を投げ上げて掴まえる遊びを繰り返している。背景には無論、手毬唄が流れている。重ねるように、このやさしい国の殿様の名代を務める玄蕃から、女児・みよの父・池之助に「池之助、みよは幾つになった」との声が掛けられる。
 物語は山がちの内陸国で田も畑も極めて乏しく海にも面していない為漁獲も望めず、できる物といえば夢見の実という万能薬の原料のみという限界集落の極めて必然的な政治形態とそこで暮らす人々の生活を対比的に捉え一方に為政者の論理とその論理を成立させる為の政治的欺瞞、それらの嘘を擁護・補完する為の詭弁を他方に自らの頭で考え疑問を抱き事実を求めて真実を見出そうとする民と民の代表として為政者サイドと交渉する殿の相談役・弥平と先に年齢を問われたみよが規定の年齢に達し池の助は既に妻とみよの姉たち2人をお花畑に送ったこともあり、末娘のみよだけは優しい女となる儀式に参加することと決まったことを通して、みよの命が永らえることを喜び、玄蕃直々にみよを迎えに来ることにも感謝をしていたが、弥平に取りついた“虫”が自分にも取り憑いたと感じる出来事があった。然しお花畑へ赴くことは還らぬ人となることを意味し、命を永らえる為にはもう一つの選択肢やさしい女か男児であればやさしい男になるしか道は無かった。

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