満足度★★★★★
拝見し、原 民樹自死の際を想像してしまった。如何なる核にも未来は無い。我らはこの重い現実から始めるべきである。ベシミル! 追記後送華5つ☆
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福島がフクシマになって既に9年以上だ。このことの意味する所が今作に描かれていることの眼目と言えよう。現場ではのっぴきならない分断が齎した骨肉相争う状況を過ぎた如何ともし難いささくれが刻み込まれた時間が流れ、それは益々負の増殖を遂げつつある。
満足度★★★
「ロマンス」第七回園田英樹演劇祭 2020.12.3 19時 スターフィールドを拝見
中盤迄高校1年の仲良し5人組の少女たちの恋バナ(華3つ☆)
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中心のチャラけた話なのだが、無論彼女らにしてみれば真剣。ヘテロの女子にLの女子が告ったり、姉が別れたという割には女には絶対無い引きずりをしている上に妹がその男に告る。それも仲良し5人組の友人の1人が思いを寄せていることを重々承知のうえでと極めてエグイ。場転後描かれる世界は4年後である。ところで中盤迄の部分で未だ言っておくべきことがある。演劇とは、少なくとも優れた演劇とは矢張り必然が否応も無く人々の念や夢、夢に裏打ちされた計画などを微塵に砕いて行くものというのが基本だと思う。無論、その為にはおちゃらけの直ぐ裏側に丁度実態に光を当てれば影がそれに纏わりつくように現れるそのような関係が了解されねばなるまい。然るに今作の前半は、其のようには創られていない。リアリティーも無いから、唯場転後とのギャップをおざなりに創作したように見受けられた。後半が俄然良くなるのは偶然あのようなことが起こり、それが青天の霹靂として作用したが故であって作家の力量ではない。この辺りは猛省して頂きたい。その上で後半を持ってくるならずっと良い作品足り得たと考える。
満足度★★★★
素直にタイトル通りの彼女である。さるしばいチームを拝見。華4つ☆
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不気味の谷など最早遠い過去となったヒューマノイドの時代、相変わらず日本というアホな政治屋、官僚、そして司法が司るエポケーの「国」で己の頭で考えることすらできぬ、これまた呆れ返った少し良く言えば忖度の民、ハッキリ言えば奴隷たちが、己の恋のケツすら己で拭けず結果的に最も根本的な問い、即ち意識がはっきりしている状態で死への道行を最愛の人(愛する人或はヒューマノイド)に頼み実行して貰うことが殺人罪と等並に判断されてしまって良いのか、との反問なしに法で決まっているからと高々警察権力がごり押しして通ってしまうという無法状態自体、本当は大変な問題であるにも関わらず、この点の追及を敢えてしていないことのエクスキューズを裏技で解決している点が、先ず問題である。尊厳死という極めて本質的で人間的な問題をヒューマノイドとの切実な相克を含めた問題として提起しているのであるから、ここは下らない忖度等せずに突っ走って欲しかった。前半と中盤以降の作品の齟齬がこの辺りに表れていると観ることが出来よう。中盤以降の展開は、泣く観客も多く居て実に心を撃つ内容であり、最後のドンデンも見事なものであるのだから序盤から脚本レベルで忖度社会やアホ為政者の決定を下司司法官及び恥じ知らずな下種官僚共、更には学問の基本たる本質追及を傍聞に置いて己が利害のみを優先する御用学者共が喧伝する偽り事を恰も金言であるかの如く拝聴する愚衆、進化論の悪しき政治的解釈により実行されてきたアンダーディヴェロップ論に対する批判もなく進捗するAI対人類の関係は必然的にAIが人類を滅ぼす、ということになるが、その辺りの事情も唯愚衆の捉える未来感に過ぎまい。量子コンピュータが本当に数十年の内に実現するか否かは未知であるにせよ、実現されたとしても初期型は、特殊な計算のみ、現在のコンピュータより格段に勝るというレベルに留まろう。まあ、其処迄行けば後の発展はかなりというより長足の進歩を遂げるであろうが。何れにせよ人類の知など足元にも及ばなくなるのは必定。だが、改めて生命とは何か? 問わねばなるまい。我らが自然と感じている現在の生命システムが何物かによって人工的に創られたシステムではないと誰に断言できよう!
満足度★★★★★
「AO」2020立教大学演劇研究会秋公演
立教劇研初のオンライン公演となった今作、ゆるやかに繋がる4つの短編のオムニバス公演という形を取るが、第1部は全体の伏線になる。このオチャラケた第1部が意図的だとしたら、天才的! パート2、3,4何れもトータルで拝見するとめちゃくちゃに優れたディストピア作品という評価になろういやあ、これは凄い、必見である。華5つ☆(追記後送)
満足度★★★★★
花チームを拝見。タイゼツベシミル!
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ずっとaufhebenという言葉を思い起こしながら観ていた。当に自分達は高校時代に自分を含めた多くの友が機動隊と戦い時に傷つけ、生涯残る傷を負い或は自ら命を絶った。東大入試が見送られた69年は受験1年前、現役の我々世代の多くは70年も東大入試が無い可能性から多くは京大に流れた。桂木タイプの要領の良い政治屋タイプは確かに居て、最初に扇動して動きを作った後は、しっかり身を引き、受験勉強に励んで実際には中止されなかった東大を受験しライバルの多くが京大に流れて比較的広くなった門を潜っていった。まあ、そんなことはどうでも良い。原作者のつかは苦労人であるから、大学へ入れる比較的恵まれた階層の子弟と機動隊に入る比較的貧しい階層の人々を均し並みに扱って区別・差別をしていない。この慧眼こそ、表現者つかの最も優れた武器だろう。自らの出自が被差別者故のこの目線の如何に本質的且つ一見ハチャメチャな言語表現を真の優しさに満ち、人間的温かさで満たしていることか。学生たちの革命感が徐々に本質に迫って行き、遂にはその頂点に達することの何という美しさ、靭さだろうか。同時に機動隊員達がデモ隊を分断した後、護りを失った女子たちの下腹部に半長靴で「子供産めない体にしてやる」と喚きながら散々蹴りつける現実を隠し、鬼の4機と恐れられた機動隊隊長・猿谷と国会包囲戦で落命した樺美智子をイメージしたのが明白な神林が抜き差しならぬ恋故に殺し殺される悲恋の主役となるこの国の歪み。本気で考えた者だけが持った危機感の果ての覚悟を、自分もまた思い出した。熱い作品であると同時に活動家各々の革命感が単に闘争の為の目標だの戦略・戦術だののレベルではなく弱い者を護り、弱い者・貧しい者に惨めな想いをさせぬような社会を創るということにキチンと向けられてゆくことの本質的な正しさと普遍性を描き込めたことに今作が60年安保闘争からITの進展によって一部のテクノクラートや彼らの技術を支配に利用することで己の力を温存する輩と、他の総ての奴隷と化した人民だらけの現在の世界を、収奪に翻弄される我ら自身の社会的位置及び様態を見せることで繋いでいるのである。考えよ弱者諸君、その思考のみが君たち自身を救い、明日を夢で満たす唯一のそして最も合理的且つ平和的な解決法である。手始めに民意を活かす直接民主制を法制化しよう。我らこそ、主権者なのだから。
満足度★★★★
Footballサポーターの話だが、自分には単に3S政策に載せられた人々の狂騒と感じられた。無論、日本やアメリカ流に言えばサッカーの話だが、自分は世界中で用いられるフットボールという呼称が好みである。
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今作の表面を観るだけなら、エンターテインメントとしては楽しめるが、深く人間的な人生を映すスポーツとしてのfootballという競技の面白さには残念乍ら届いていない。
満足度★★★★
頑張っている劇団なので、敢えて少々辛めの評にしているのは、更に伸びて頂けるとの期待からである。脚本:☆5つ。役表現:全体として☆4つ。舞台美術:実に合理的、その合理性に☆5つ。華4つ☆ 追記後送
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ハンダラより若い役者さんたちへ
芝居は演じてはいけにゃい。役を生きなければ。
何とも刺激的なタイトルではないか。実際、この期待は裏切られない。今作中交差する文学作品はCamus “L’étranger”(カミユの「エトランジェ―・異邦人」)、Proust “À la recherche du temps perdu”プルーストの「失われた時を求めて」、Kafka“Die Verwandlung”(カフカの「変身」)の3作。超有名作品ばかりだからどれも既読という方が多かろう。これ以上この3作について余計な説明はしない。
冒頭、我々が現在生きるCovid-19下で人口に膾炙されたイマージュとしてのIT社会の日常が描かれると、ほぼ同時にラグビーに賭けた男の熱い念が描かれるが、無論これらは総て伏線だ。本当のことは伏線の彼方にあって思考しない者には決して見えてこない不条理が示唆される。即ちGAFA等の寡占に象徴されるIT利用によるグローバリゼーションによってIT以前とは少し変わった収奪の作法と新たな奴隷社会の到来、そのような状況の中で藻掻く社会的弱者の代表としてのLGBTQを通して描かれる我ら、自らの頭脳を用いて思考する術を持たぬ非知的階層の憐れむべき実態。即ち孤独、侘しさ、寂しさ、虚しさを梃にアイデンティティーの完全崩壊としての「変身」をLucifer(=サタン)を介して為さしめる我ら自身の愚かさ、その底に淀み蜷局を巻き蠢くコンプレックスという名の怪物と底なしの惨めさ、孤立。その悲惨! ところでLuciferはここに描かれた惨めな人々の苦悩を知る。何となれば総ての創造主である神によって彼も作られ、神の善を知らしむる為悪の権化サタンの役を負わされた存在と解釈できるからである。従って彼・サタンは掛かるが故の優しさを持つ。対する神は、無論無慈悲であり、我らの苦悩に一切関係なく超然と微笑んでいる。取り敢えずの解説はここ迄。追記は、後ほど。
何なんだ、この劇団、19日19時の回に時間を作って出掛けたがScoolは、何度扉をノックしても閉まったまま。人の時間を奪うとは! この劇団の作品自体信用できない。最悪! 評価マイナス10(2011.11.21)追記した。
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タイムテーブル 当公演は全日程上演中止とさせていただきます。
帰宅後、コリッチの「ネモフィーラ」チケプレページを再確認すると上のような
表示はあった。然し予約確定者に対してのメール連絡、電話連絡は一切事前に無く、上記も何時書き込まれたのか定かでない。このユニットのメンバー総てが或は“インフォメーションコクーン”という陥穽に陥っているのかもしれないが、年齢的には二十歳を超えていよう。演劇という総合芸術の根底にある身体性の根本の1つ、存在Aは同時に2つの場所に存在することはできない、という真理にすら気付いていないとなれば、表現する資格は無いと言わねばなるまい。明日のことどころか一寸先は闇、誰にも先のことは分からないから余り断言はしたくなかったのだが、出掛けて観察した結果を記しておくのも筋だろう。そう考え直したので追記した。
満足度★★★★★
良く、これだけ思い切ったタイトルをつけた。無論、それだけのことはある。華5つ☆ 必見!
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作家としては、民主主義とは何か、多数決原理は正しいのか、或は三権分立はこの「国」で機能しているのか? といったような問題意識が表れていよう。然し乍らこれら総ての根底にあるのが主権在民という根本原理ではなかったか? 即ち我々国民が1人1人自分の頭で考え、判断する自由である。この自由を行使する為には正確な情報が開示されなければならない。戦前・戦中・敗戦後、日本で一貫しているのは情報廃棄・隠匿・隠蔽・削除等である。然し乍ら、このように扱われてきた情報は誰の物か? 無論、我々国民のものである。それをたかが公僕に過ぎないキャリア官僚や国民の負託を「受けた」だけの政治屋が恰も我ら国民より偉いと勘違いして勝手に廃棄したり隠蔽することは許されない。より本質的な問いを立てればそもそも、個々人の意志を他者に付託すること自体、本来不可能なことである。己自身が、親に対して抱く総ての感情を他人に代替させることなど出来るハズもあるまい。従って実政治の在り様として原理的に正しいのは直接民主制であるが、実際問題としては総てを直接民主制にしてしまうと余りに煩瑣になり非現実的であるから、肝要なことのみを国民投票に掛けるなり、付託事項を成文化した議員達の案の認否を国民に委ねる、またある条件の下に国民が自分達で法を発議する権利を保障するなど、現在スイスで行われている直接民主制が参考になる。こんな当たり前のことが、この「国」では通らない。その原因は第1に国民自身が己の頭を使って考えないからであり、第2に権威・権力者の前では奴隷よろしく思考停止状態に陥るからである。更に下種ばかりが残っているキャリア官僚共は、エリート意識を卑しい感情と思いもせず戦前・戦中同様自分達だけは、コーヒー一杯に人生を計ってしまった、などと下らない詭弁を使って、本当は自分達の設計によって泥船となった祖国から自分たちだけは権益を盗みおいしい生活の上に胡坐をかいてゆこうとしている実態がある。政治屋共も同じ、重厚長大産業のオーナー企業・旧財閥らも同じ穴の貉である。これに対して現在の我々の生活実態とは如何なるものか? いくら朝から晩までマトモに働いても月20万程度の稼ぎでは、仮に結婚しても子供迄は持てまい。共働きが出来なくなるからである。働き疲れて思考すらままならぬ。自転車で宅配をやって1つ荷物を配送して幾らかの涙銭を受け取りカスカスの生活に追われている。一方こんな物流のシステムを作り上げた連中は殆どプラプラしていれば良い。而も給料は遥かに高い。冷暖房の効いた清潔で明るいオフィスで快適な生活をエンジョイし、総ての存在は、他の総てに対しアプリオリであることすら忘れ果てているらしい。このような状況の中で、主人公は、国民の為に生きる仕事を誇りとするまともな公務員である。戦時中から彼を頼る朋輩を物語に組み込むことで戦前・戦中・敗戦後の日本の我ら大衆の在り様、意識・民度の低さ、思考停止の様を描いた秀作。ベースにされているのは、モリカケ問題の瞞着性であり、情報公開破綻であり、我々自身の思考停止であり、そのことが単に首相であった安倍のみならず我ら自身に齎した殺人であり、我らの我ら自身による我ら自身を亡ぼすジェノサイドであり、哲学の不在である。
満足度★★★★★
スタンディングオベーション❕ タイゼツベシミル。
華5つ☆ 追記11月15日01時8分
ネタバレBOX
下敷きになっているのは、成田闘争である。北総の豊かな大地に佐藤栄作内閣は開拓農民の血と汗を踏みにじって東京第二国際空港を強制的に建設した。その人々の魂と苦労、苦悩を踏みつけて壊し遂には計画を変更せざるを得ず詫び迄入れて反対派の目指したもの・ことを一部受け入れざるを得なかった闘争の顛末。
この国の為政者というものは愚かな姿勢を全く改めようともせず、法を権力を正当化する為にのみ積極的に用い誰の為の法であるのか、何の為の法であるのかといった根本的なことを常に棚上げにし民衆を裏切り続ける方途としてのみ機能させてきた。(この点は、議員立法という法制度の欠陥である。立法とは、民衆の意見。意志の反映であるから、他人に任せることなど原理的に不可能であるにも関わらず、それを他者に任せる欺瞞其の物の制度だからである。結果、この制度によって民意は永遠に反映されることが無い。一端、議員になるや否や、下種である政治屋共は、例外なく己の利権・権力確保に走る。これを防ぐ平和的解決法は直接民主制以外に在り得まい。基本的に政治屋なる種族は下種と相場が決まっていたし、現在に於いてもその本質は一切変わらない。それどころかその愚民政策はまんまと無自覚な大衆作りに成功し、その成功後にはフェイクと詭弁、嘘を垂れ流すことにより益々増長の度合いを強めている。而も大衆は益々従順な奴隷と化し、最早真実を述べる者達に対し、寄ってたかって雑言を吐くのみならず、彼らの報じた事実を破壊しようと躍起になる始末。何をか況むや。
成田空港建設に際しても当然、政治屋共は国民をなめ切っており、金を地元議員に掴ませ上から操作すればどうにでもなると高を括っていた訳だが、保守的な農民が新左翼と組むことによって政治屋共の企みは破綻をきたした。無論、多くの農民が分断され、傷つき、闘争の過程で離れ、倒れ、傷つき脱落してもいった。支援者らも生涯不具となった者、自殺した者、人間関係を壊された者を始め、多くの犠牲を出した。
今作は、複雑な状況を見事に登場人物達に割り振り、歴史的事実とフィクションを極めて本質的な撚糸として構成してみせるのみならず、現地の自然の豊かさ美しさを痛いほど鮮烈に表現して見せた。必見の舞台である。中心になるキャラクターの描き方、各々の個性表現も素晴らしい。
満足度★★★★★
A1,D3,B2を拝見。
ネタバレBOX
3つの短編のオムニバス。3篇の何れもが、臨界状況を生きる日本民衆の姿を描いているとみて良かろう。唯、描き方としてはかなり大人しい。これではアホな政治屋、アホに連動結託する官僚共の狡猾な利権保持術の実態は中々人々には伝わるまい。もっとラディカルな表現にしても良いとは思う。
こんなことを述べる小生の現実認識を書いておいた方が良かろう。現在日本で進行している実生活レベルの不均衡は所謂グローバリゼーションの齎した結果ではあろう。では、その結果は如何なる形で我々に襲い掛かってきているのか? 種子法に関しては殆どの都会生活者が無頓着であろう。モンサントの名を出されても、或は三菱化学・住友化学・三井化学などこれに類する企業名を上げられても、中南米に於ける収奪の凄まじい実例を挙げられても多くの日本人は唯ポカンとしているに過ぎまい。背景にTPPがあることを指摘されたら「猶更訳が分からない」とあんぐり口を開け、唯へらへらするのかも知れない。収奪する側が直ぐその裏側で薄ら笑いを浮かべているというのに。
ところで、街を歩けば外国人に遭遇する。一方、オーバーステイしたというだけで入管法に引っ掛かり強制収容された挙句死亡したり、精神や肉体を病んだり、自殺したりといったケースは後を絶たない実態があるが、殆どの日本人は見て見ぬふりだ。仮放免と言う単語をどれほどの日本人が知っているか? 仮に知っているとして、その内実をどれだけ知っているか? 更に言えば日本国内で暮らす非欧米系の人々の生活実態をどれだけの日本人が注視しているか? 安い労働力として来日させこき使うだけこき使って、税金も取るだけ取って、何時迄経っても選挙権も与えない。このような差別に対してどれだけ敏感であるか? 移民や流入外国人、歴史的な在日外国人に対するこの異様な鈍感は何処から来ているのか? 何かといえばKYだの、イケテネだの表層でうっちゃるだけのパフォーマンスをしてみせて分かったつもりになる群れ。IT、ITと訳も分からず喚く群れ! ITとは、単にプログラムによって極端に合理化され頗るつきのスピードによって人間が今迄やってきた手作業やマッチングをコンピュータとそのプログラムを用いて合理化したものに過ぎまい。ところが、このIT化は、中間的な作業から人間労働を駆逐した。今や資本主義も社会主義もその生産性のレベルに於いて、剰余価値を生み出す能力に於いてコンピュータやプログラミング技術の発展なしに生産性の向上を望めない。この事実が、人間という生き物の生存を脅かしているのだ。だからこそ、GAFAと呼ばれるような企業がここ迄のしてきた訳だ。経済面ではアメリカが戦争に次ぐ戦争でドルを垂れ流し、オイルマネー等が大量に世界を駆け回った結果運用資金のだぶつきが生じた。これら利息を払わねばならない運用資金が齎しただぶついた金をアメリカは、ILOを使ってばら撒き、南米でのデフォルトを引き起こしたことは間違いあるまい。その結果は必然的にアメリカを含む先進国をも襲う、コンピュータを使ったマネーゲームで新たな手法を編み出した者だけが生き残る現在のシステムはこのような状況下で機能している。銀行システムでは信用創造がここ迄肥大し実体経済を押しやってしまった訳だ。このような経済状況の中、自力で新たな技術開発もできない中産階級はずり落ちて行った。これから先もこのままでは現在の状況が続くことは必然だ。日本政府の対応は何から何までどうしようもない。根本的なレベルでの対応を間違えているからだ。例えばエネルギー政策、CO2 削減の為に原発を再稼働するなど愚の骨頂である。最も簡単で環境負荷も小さく而も送配電線が極端に短くて済み、施設のサイズが小さくて済むので、現在の電気代より遥かに安くできる方法に水素発電がある。無論実現する為には、現在日本で主流の重工長大産業中心の社会を根本から改めなければならない。この為には電源三法の廃止を含めた革命的ともいえる改革が必要なことは言う迄も無い。然し日本の政治屋共、官僚共は、利権が得られなくなる懸念からこの根本的改革を望まず、結果、国民が奴隷生活を強いられているのだ。エネルギー政策は環境問題と密接に絡む。必然的に農漁業や林業などの第1次産業の盛衰にも大変大きな影響を及ぼす。子供でも気付くことは、第1次産業の内実こそ、我々のみならず地球上に生きる総ての命の保持に必須の要素を産業化したものであることだ。種子法は、これらの内、主として農業を破壊する。太平洋戦争、戦後混乱期に人々が食料を求めて何を為したか、振り返ってみれば足りる。今は、スマホなりパソコンなり、タブレットなりでネット情報には簡単にアクセスできるし通信速度は桁違いに早くなり利用料金も格段に安くなった。一方人々は溢れかえる情報の奴隷と化した、更にCovid-19の猛威と対応の拙さによってその奴隷たちの歪んだメンタリティーは益々悪化・深刻化しつつある、この否応なく進捗する魂の歪みと社会行動を反映しつつ、何とか狂気に対抗しようとする作品群が今回上梓されたこれらの作品群である。心してご覧あれ。
満足度★★★★
去年拝見した「ヴェーダ」は随分すんなり入り込めたのだが、
ネタバレBOX
ギリシャ的知については作家の認識と自分の認識にかなり大きな開きがあるようだ。シュリーマンがホメーロスの叙事詩を史実として信じたような具体性と物の成り立ちの根底にアトムが存在すると分析的に考えたギリシャ哲学(未だ現在のように理科系・文科系という分け方はされていなかった)の持つ合理性は例えば変身譚等にも表れていよう。霊的存在という訳の分からないものにはならないのである。変容はするがキチンと質量を持ち、物体としての属性を持ちながら、自我や欲望の結果の因果律として事態が推移してゆくので、ただワアワア騒いだり、おちゃらけているだけでは本質を捉えられないように思うのである。
満足度★★★★★
開演前には、京王井の頭線踏切横の道路を映す映像が流れているが、直前線路工夫達が駅の傍で作業をし、電車が進入してくる際退避する様子が映される。劇団名に呼応する惨事迄連想させて若干緊張感も生まれる。
4話が、演じられるが舞台の美術空間設定は総て同じ。4x6尺程度の大きさのテーブルを空間センターに設え、長辺に沿って各2脚の椅子、テーブルクロスの色彩、材質のみが異なる。各挿話の進行によりそれが1枚ずつ剥がされてゆく。
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第1話「パウンドケーキの味」弟 姉
弟の暮らす東京のアパートに面倒見の良い姉が高崎から訪ねて来ている。洗濯、掃除、食事の準備を週3回以上も訪ねては世話しているのだ。弟は有り難がりつつも、ウンザリしてはいる。この日は休日、弟の通う大学のサークルの後輩がパウンドケーキを作りすぎたから持参するという。姉は誰でも簡単に作れるパウンドケーキ如きで弟をたらし込もうとしている女と判断し面食いの弟に付き合うな、と余計な節介を焼くが、弟の反撃に遭う。其の反撃とは、姉の男の代替として弟を利用するな、ということであった。そのことをやり合う当にその時、パウンドケーキを持った女が訪ねてくる。
第2話「きみがわるい」
若いカップル。朝食で出てきた目玉焼きの黄身が潰れていた。調理した女の方の皿に盛られたものはまともである。男は潰れた黄身の料理を彼氏に出すのは愛情が無いからだと責める。然し女が反論するのは、男のだらしなさについてだ。取り敢えずは部屋の片隅に靴下を脱ぎっぱなしにしていたこと。女は一歩譲って皿を彼のものと取り換えて食べ始めようとするが、そういうことではない、と彼が絡む。そんなこんなで、どうでも良い些細なつまずきに腹を立て、男は出掛けようとするが彼女は何時頃帰るか連絡を入れてくれと頼むと、彼は何故そんなことをする必要があるのか絡んでくる。実は知っているのだぞ、と。彼女が浮気をしているとの嫌疑を掛けてくるのだが、2週間前に彼は現場を押さえたと言って、彼女の説明を求める。すると明らかになってきたのは、彼の同僚が2週間前「彼が最近どうしていますか」と尋ねてきた事実、然し訪ねてきた同僚が実は・・・というサスペンス。
第3話「ライフライン」
ゲームオタクの若い男の部屋に友人がライフラインになっているコーラの2Lボトルを持って訪ねてくる。訪ねてくる友人はミリタリーオタク。ライフラインを届ける度にゲーム以外には何も知ろうとせず、外に一切出ることも無い友人に外で起こっていることを知らせてくれるが、その情報が嘘かも知れないぞ、と何となく警告を発するようでもある。その情報の中には最近は町中にゾンビが出現し、その頻度が増えていること、襲われると感染してという話が入ってくる。ある日の差し入れは500mlボトルであった。引きこもりの友は足りなかったとか勝手なことを抜かしている、ミリタリーオタクは、明日は無いかも知れないという話をして帰っていった。翌日は2Lボトル。足りなくなった時、自分で買い出しに行こうかと表へ出掛けかけた引きこもりに対し、友は「明日は無い」と言いそれは「ミサイルが発射され30分後に到達するからだ」と言う。既に「住民は同盟国であるインドネシアに避難済み。残る市民は引きこもり唯1人、民兵の1人として訓練を受けた自分はお前の友人だから残った」と言い「何故、お前は自分自身で何が起こっているのか見ない」と責める。
第4話「ハンドメイド」
パン工場の休憩室、腕の良い工場長は、その腕と人格から皆に尊敬され慕われている。従業員の若い男2人が食事の為にやってくるが、1人の持参したパンが無くなった。何としてもそのパンでなくてはならない、と言い張る男に対して仲間の男が、自分も買いに行くから序に売店で買ってきてやると出て行く。直後、男の持参したパンにそっくりな形の手作りパンを持った3日も何も食べていなかった女が入って来、食べようとするが、その不格好なパンの形から男はそれは母が作ったパンだと見抜き返すよう求めるが、女は自分の飢えを満たす為、盗んだことを認めない。そこで男はそのパンには毒が仕込まれていると指摘、返すよう迫る。死を恐れて返した女だが、丁度パンを買って戻った同僚から約束のカレーパンを受け取った男は自分のパンが戻ったことから女にカレーパンを与えた。而も自分のパンが戻った男はそれを食べようともしない。実はホントにこのパンには毒が盛ってあった。工場長はこの男の母とできていた。更に彼の憧れている女性をも手に掛けているらしい。そこで彼はこれからこのパンを工場長の所へ持参して食べさせるつもりであった。ところが、彼の憧れの女性は、カレーパンを買って来てくれた同僚と結婚の約束をしていることが判明する。彼は同僚に毒入りパンを食べさせようとする。
1話から3話迄は、ストレートに現代日本の政治屋や官僚共の腐れ切った答弁の如く地に落ちた詭弁、どうでも良いことを理由とする先延ばしによって大切な問題をうっちゃろうとする人生態度の齎す結果を描いた作品と言えそうであり、4話はその結果の捻りともいえそうだが何れもビターテイストに溢れアイロニカルな作品である所がグー。
満足度★★★★★
中々、練った脚本。
ネタバレBOX
ガラテイアは海のニンフ、ネーレウスの娘でこの名は乳白の女を意味する。ピュグマリオンはキュプロス島の王、象牙で作られた女に恋しアフロディテーに象牙像に似た女を与えるよう願った。結果、象牙の女に命が吹き込まれ、女との間に子迄生まれた。
今作はこの神話上の人物達と彫刻家、オーギュスト・ロダン。その恋人でも弟子でもあったカミーユ・クローデルの関係を重ね合わせつつ、カミーユの非凡であるが故の、あの時代に天才を示した女性であるが故の居所の無い即ち余計者としての苦悩と、ロダンの内妻の位置を占めていた凡庸であるが故にアイデンティファイ可能なローズの対比が当に彼女を引き裂いた大きな原因の1つであることを示すと共に、20代後半にはロダンの子を宿しながら堕胎させられたことによるショックも大きかったに違いない点は描かず、多くの自己作品を破壊した史実をロダンが創ったガラテイア像破壊に仮託して描き、その大理石像に命が吹き込まれ、ロダンはその大理石像に恋する形になっている。何れにせよ、居場所の無いカミーユの孤立に対して安定した母のようなローズの下に帰っていったロダンの裏切り、カミーユとの愛の証であった胎児の堕胎強制、唯でさえ鋭敏な天才であるが故に気位の高いアーティスト・カミーユの感性がズタズタに切り裂かれてゆくのは必然であった。1864年12月生まれの彼女は、遂に1913年に発狂、その後は生涯を精神病院で過ごした。因みに精神が不安定をきたしたのは1905年頃からである。
ところでカミーユを演じた女優さん、どことなく写真で見るカミーユの顔だちに似ている。また、中盤ずっと身に着けている衣装も、写真で見るカミーユの衣装に極めて近い。勝手な想像をするなら、本来カミーユに似ているハズのガラテイア像が別人の如く彼女の目に映るのも、この精神のアンバランスを表していると言えよう。ローズについては、「花飾り帽子の女の子」のモデルとしても有名だ。キュートな女性であったことは間違いあるまい。今作でもそのことがベースになった挿話が挿入されている。
満足度★★★★
初日を拝見、序盤ちょっと硬かったが中盤からほぐれ終盤には各々のキャラも立ってグンと良くなった。(華4つ☆)
ネタバレBOX
それにしても、ロパーヒンの懸命な嘆願に耳を貸すこともできず、ラネーフスカヤの浪費癖は止まぬ。習慣となったその浪費は当に第2の天性として極楽蜻蛉そのまま。アーニャにしても母の浪費癖を止める手立てはなく、養女でしっかり者のワーニャは敬虔な信徒であっても、作者チェーホフより22歳年下のヴァージニア・ウルフがフェミニズムの先駆者としてその才をジェンダーの壁を超えようとすることで示したような発想さえできず節約することと、祈ることしかできぬ、彼女のキャラ創りは、当時のロシアの先進ヨーロッパ僻地としての複合意識やそのような文化レベルを表してもいよう。いい意味でも悪い意味でもこの指摘は当て嵌まろう。その分、人間存在の不如意をその存在感の深みに於いて表現する文豪が多く生まれたのもまたロシアなのであり、革命を何とか成し遂げたのもロシアであったことは、恐らく偶然ではない。人間存在が支えを失った革命前夜へ至る過程とでも捉えたら良いかも知れぬ。その意味、日本の作品であれば、太宰の「斜陽」の直治のキャラは案外、今作の登場人物に近かろう。例えば直治程自嘲的ではないアンドレーエヴィチはグータラで、オブローモフ程では無いにせよ貴族のプライドばかりで役立たずのウツケである。万年大学生トロフィーモフは、精神の革命を目論んではいそうだが、実務面が弱そうだ。シメオーノフも金銭にだらしないし、シャルロッタは頭も良くしっかりしているものの、出身階層が不確定な弱みを持つ。ドゥニャーシャは移り気、エピホードフは絵に描いたようなミムメモ。ヤーシャは、小手先の効く軽い男、フィールスは、時の流れの残酷を己の身に刻む老婆。旅の男、物乞い等が登場するが、トドのつまり、砂上の楼閣に過ぎなかった没落貴族とその破産を懸命に食い止めようと図った元農奴の倅・ロパーヒンの、現実をしっかり見つめ対処法を示しあまつさえ無駄遣いのフォローさえもしながら、遂には旧主人の魂の痛みを最小限に抑えようとの己の救いの手が届かなかったことに対する苦い人生の苦悩が、唯現実に破産という事態に遭遇して初めて身につまされるほど愚かな旧資産家達・極楽蜻蛉に対比され、それでも尚生きて行かねばならぬ場で、それまでの人生経験で培った人間関係にそれこそ、川島雄三ではないが“さよならだけが人生だ!”と言わざるを得ないような侘しさが表現されており、当にこの点にこそ、今作が我々現代人に訴えてくる底の無い虚無に向き合う人間実存が示されているであろう。今作を選び、今上演することに大きな意味を見た。初日の硬ささえ取れれば評価は更に高くなろう。
満足度★★★★★
普段全く知らないで暮らしてきた裁判官と検察、裁判長と右陪席・左陪席との関係。恐らくこのようであろう裁判員の在り様がその所作、台詞、ストップモーション、効果的な照明や音響によって表現されており、この日本という社会の悍ましさのリアルが良く表現されている。
ネタバレBOX
日本という「国」には民主主義等無論無い。矛盾を承知で敢えて日本の政治体制を表現するのであれば、それは“奴隷民主主義”とでも名付けざるを得ないものだ。この表現の矛盾は奴隷根性を持たない者であれば即座に正解を出す類の矛盾である。そしてその根本的責任は、主権者たる我ら国民にこそ帰せられなければなるまい。今更言う迄もないことではあるが、徴用工問題や従軍慰安婦問題に対する嫌韓本やネトウヨの言説の的の外し方をみても、民主主義の根本原理の1つである三権分立を理解していないのが明らかだ。日本政府は、この問題で韓国政府に抗議をしている、等がメディアで流布されているが、この全く意味の無い表現は何なのだ! 司法が独立している以上、行政の判断と異なる場合があることは民主主義の必然であるから、行政府に抗議をしても意味が無い。そう考えるのが論理的思考というものだろう。
ところで今作は、実際に起こった音羽幼女殺人・死体遺棄事件を下敷きにしている。事件は1999年11月22日に文京区音羽で起こった。当時、自分は西アフリカから帰国したばかりであったから、日本の異様さには、酷く敏感であった。それもあって直ぐNYへ飛んだ。尤もNYは単なる旅行であったが。こうして海外を飛び回っていた間にも“公園デビュー”だの“お受験”だのという表現に込められた日本人及び日本社会の異様・異常でグロテスクな階層意識には頗る付きの悍ましさを覚えた。今作の背景にあるのは、この悍ましさを感じさせる社会の歪みのような気がしてならない。無論、忖度もその歪みの1つである。劇中何度も繰り返される裁判官の独立性については、ハッキリ言って茶番という方が多くの裁判官の実際を表しているのではないか? 実際裁判長は人事権を握っており、そのような地位に就く為にも検察の主張を基本的に正当とする判決を積み重ねることによってしかその地位が得られないのであれば、単なる秀才の選択肢は1つあるのみである。即ち検察の主張を基本的に通す判決を下すことだ。そこに正義等あろうハズも無い。或るのは出世主義と打算、名誉欲と金欲、正義とは真反対の欲望の充足のみである。こんな連中に真っ当な判断等下せる訳が無い。彼らの下す判決とは即ち詭弁によるアリバイ作りでしかない。茶番だ! だからこそ、全く実感の無い被害者の親の痛み等を根拠とすることができるのであろう。偽善の最たるものではないか!
満足度★★★★★
今作は、観る側にもある程度の知的水準が無ければ評価することのできない深みがあると言っていいかも知れない。だが、その条件さえ満たすことが出来れば極めて優れた作品であることが分かるであろう。華5つ☆ 追記第1弾2020.11.8
ネタバレBOX
“あさりパクパク、時々しじみさん”ではないが、feblabo×シアター・ミラクルプロデュース公演に外れなし。今作、今までの公演とは若干毛色が違うものの、新たな地平を開く傑作。兎に角、深い。
ベトナム戦争真っ只中、学校の勉強等完全におっぽらかして遊蕩三昧、不良学生であった自分には、時折報じられるベトナム僧侶の焼身自殺の写真は、不思議なそれでいて極めてインパクトのあるイマージュであった。命を賭けるどころか自らの死を以て、人々の為に生き乍ら身を焼くという行為の凄まじさに自分の想像力も世界認識も、他者への単なる認識を超えた深く認識した知の更に向こう側に在る、普遍的愛も理解できなかったからである。
冒頭、リヒャルト・シュトラウス作曲の「ツアラツーストラかく語りき」が挿入されることからただならぬ雰囲気は掴めるハズだ。この劇的導入交響曲に反して、舞台上で表現される世界が、ダサい大学非公認文化サークルの部室のダレたシーンであることにも違和感と共に秘められた意味を感じ取れるか否かが作品評価能力の先ずは第1試験だ。まあ、序盤は、だらけた表現とは不似合いな伏線の話に気付くか否か辺りが第2の試験だ。
満足度★★★★★
シナモンの回を拝見。
ネタバレBOX
良くこんな小さなスペースでこれだけの役者を使ったな! と感心するほど役者数が多い。脚本は勘所を得て何れも秀作。殊に基本的に日常を描いているにも関わらず、現在の都会生活では大方失われてしまった他者への細かな観察力と優しい眼差しが同時に至る所で生きて働いているのが良く分かる筆力と脚本・演出の巧みとが相俟って素晴らしい。これは、出捌けの多い作品を演出も手掛ける脚本家が担っており、事情・タイミングのよく分かった作演出家が兼任している為、オムニバス形式で上演される作品の流れも良いという結果に繋がっている。因みに開演前には、野菜を刻む音と肉か魚或はハンバーグ等をソテーする音が流れているのも“食”をテーマに据えた作品らしく気が利いている。一応、「シナモン」コースのメニュを並べておこう。1:牛丼王子の昼休み 2:ぱぱのたんじょうび 3:幻のミートスポット 4:さようなら、はじめまして 5:時そば大作戦 6:怪人タベタインの6作。2では欝を患ったパパが、会社から休養を命じられ、ママと娘がパパの欝を何とかしようと協力して料理を作る話だが、そのクライマックスがパパの誕生祝いという内容だ。が、母の料理指導が素晴らしいこと、娘の如何にも幼女らしい様子が実に上手く脚本化されていること、欝という現代病の深刻さが影のように始終つきまとうことの怖さがそれとなく対比されることで、実にバランス良く現代日本の家族と家族が暮らす日本の現状が表現されている。4は、老夫婦が経営する老舗喫茶店の話。主人が幼馴染みの親友が亡くなった5年前を境にアルツハイマーを発症し、一元の客が訪れたその日に店を閉める所迄追い詰められながら尚、人として生き続ける、否生き続けようとする様を、妻の昔語りを通して描いた秀作。こちらも未だ治癒の方法が見付かっていない病をメタファーとして現代世界の深い深淵を描いて素晴らしい。6は一応ヒーロー物だが、タベタインが怪人であり、その存在自体が呪われた者の苦しみがキチンと描かれている点がグーだし、1にせよ、3にせよ如何にも現代の若者らしい感性を見事に浮き上がらせている点が素晴らしい。5は無論落語の「時そば」をベースにしているので説明するのは、野暮になろう。
ところで、締め切りを巡る脚本化と編集者との掛け合いも見所の1つと言えよう。編集者上りのライターの身としては、何れも経験のある所で身につまされるが、土産で釣ったり、食事に誘ったり(作家が男の場合は酒席も多いが)は実際に良く使う手だし、締め切りに関する攻防は実際にはもっと激しいものではあるが、その辺りの事情は知る人ぞ知る、で良かろう。何れにせよ、作家を演じた女優がパタパタ、ぺたぺた歩く様は、室内作業ばかりの作家業でなまった身体の模様を良く表している。
満足度★★★
「こととおとと 劇場版」わらかどプロデュース
劇場入口が頗る分かり難いので笑門さんが入口前に立っていてくれたのには、感謝。
ネタバレBOX
非常に感じの良い女性だとは感じたが、タイトルに「こと」ろ「おと」が入っているので「ことのは」と「おんがく」へのこだわりがあるのだろう。「文月」を拝見
「こと」は3パートに分かれ、全体としては小さな女の子の話から思春期の短期留学を通して成長してゆき結婚して、という女性の半生を描いた作品になっている。一応、構成と若干の感想を記すと共に言葉についての態度を比較したく思い、自分がかつて発表した文章も載せておくことにした。
① お父さん
結婚式の披露宴で新婦が両親への手紙を読む設定で演じられる。タイトル通り父へのメッセージが殆どで如何にも父親っこらしい娘のかなり素直な感情を表現した作品だが、詩を目指しているとすれば、単語レベルでの言葉の屹立度合いが低い。
② バーク
タイトル・バークは犬の名である。子供の頃にブリーダーから譲り受けた犬の幼少期から死迄を扱っているが、犬種の説明は無い。ただこの犬の性格や特徴に関する想いが綴られる。2作品共客観的視座は弱く言葉の屹立性に難がある。
③ スパシーバ
ロシア語で“有難う”を表す言葉だが、高3の時にスペインへの短期留学を果たし、大学の寮で相部屋になった同年輩のロシア人優等女学生との交流を通じて著しい成長を遂げる日本の女子高生の物語。それ迄休日となれば部屋で1日中ゴロゴロして過ごしていた怠い女子から、世界への目を開かれ、外から日本を見ることも覚え、柔らかい感性を持った女性へと脱皮してゆく姿を描く。
ラストに「こととおとと」というタイトルの歌が1曲入ってステージ終了。
朗読上演中の効果音及びラストの伴奏は電子ピアノで表現されるが、紹介の際にピアノ演奏という言い方だったのにはショックを受けてしまった。自分は、作曲家の友人が居たり芝居を観に行っても使われているピアノは3千万円程度はするグランドピアノで、ショパンなどのピアノ曲は好みでもあるから、電子ピアノをピアノと呼ぶ感覚は、ショックなのである。
そんなこんなで自分は音楽の専門家ではないが、多少言葉にはこだわりのある者の1人として、ジャンルは全く異なるが自分がイラク戦争直前に小さな新聞に書いた記事を載せておく。言葉を用いるなら、この程度の的確さが欲しい。
スコット・リッターからの提言
イラク攻撃を中止せよ!
新帝国主義を国連査察で隠す米英豪
イラク情勢が緊迫感を増しつつある。米英豪を中心とする軍隊は、日に日に、イラク包囲網を拡大強化しており、戦争まで、あと一歩。その危機感が、戦争反対の国際世論を盛り上げているのも事実だ。一方、イラクのジレンマは、大量破壊兵器を持っていない、と言えば、嘘だと叩かれ、また、持っている、と言えば、これまた、隠していた、と叩かれることにある。
しかし、戦争が始まってしまえば、被害を被るのは、一般市民である。まして、この戦争は、米英のエネルギー支配や、軍需産業を活性化させる為に行われるとしたら、これは、国際法違反どころではない。単に、新帝国主義化した米英豪による、新植民地主義と言わねばならない。
●東大駒場で元国連査察官が講演
元国連大量破壊兵器査察官、スコット・リッター氏のシンポジウムが、二月六日東京大学駒場キャンパスで開催された。リッター氏は、二月三日に来日。国会議員との院内集会、外国人記者クラブでの記者会見などを精力的にこなし、離日前日に、最大のイベントとして、この会場に姿を現した。会場に詰め掛けた聴衆は、満杯の七〇〇人。入りきれなかった人が五〇〇人という盛況であった。
一九六一年生まれのスコット・リッター氏は、四一歳のパトリオットである。彼は、彼の生まれた米国を愛するがゆえに、現在、ブッシュ政権下で行われている、ネオコンサーバティブな政策を容認することができない。
旧ソ連の軍縮時には、海兵隊員として軍縮査察に関わり、その後、湾岸戦争に情報将校として従軍。一九九一年から九八年までは、イラクの査察現場で、最も優秀な主任査察官として活躍した。事実を丹念に追い、客観的に評価するリアリストでもある。
当日のプログラムは二部構成。第一部は、リッター氏が、イラクでのUNSCOM(国連大量破壊兵器査察特別委員会)主任査察官として、活動してきた経験を基に、イラク攻撃の不当性について講演。第二部では、講演を受けて、パネリストが公開討論を行った。その後、会場に集まったマスコミ各社から、未明のパウエル報告に対する意見を求められ、緊急記者会見が行われた。
●査察成功の三条件は守られているか
査察を成功させる鍵は、以下の三つである。一に被査察国の協力。二に国連安全保障理事会のバックアップ。三に、査察国、被査察国双方が法の枠組みに従うこと。
然るに、米国は、イラクの大量破壊兵器を解除するという名目で、査察を濫用し、安保理とイラクとの合意を無視。国際法上も問題になるような枠組み破壊行為をして、サダム・フセイン追い落としを図っている。
ブッシュ政権が、どんな詭弁を弄しても、これは、アメリカの戦争挑発行為である。しかも、UNMOVIC(国連大量破壊兵器監視検証査察委員会)のブリクス委員長による、一月二七日提出の査察報告書は、ワシントンを意識した意図的偏見に満ちている。これでは、情報操作の謗りを免れない。
この報告では、「イラクが炭素菌を廃棄したというが、その証拠が示されていない」などと言いがかりをつけている。しかし、UNSCOM(国連大量破壊兵器査察特別委員会)が、炭素菌の製造施設を破壊したことも、また、イラクの開発した炭素菌は、最大限三年で効力が失われる事実、培地が五年で無効になる事実も取り上げられていない。
● パウエル報告に嘘はないか
リッター氏は、パウエル国務長官が、五日、国連安保理で行った報告について、以下のような具体例を挙げながら、確たる事実ではなく、空疎な言葉を連ねただけだ。疑われた総てのことについては、検証されるべきことであって、証拠ではない、と述べた。
公開された盗聴記録についてだが、これだけでは、何も言えない。いつ、どこで、誰が、何について語った会話なのか、前後関係が全くわからないからである。前後関係を無視すれば、白を黒と言いくるめることも、逆に黒を白と言い募ることもたやすい。
イラクが保有しているとされる生物化学兵器製造用トラックが18台あるという話も、疑わしい。何故なら、写真もなく、ただ、絵を見せたに過ぎないからである。実際、リッター氏は、以前、同様の疑いをアメリカ政府から提示され、実際に二台のトラックを調査したが、ただの食品用トラックであった。
また、米国は、U2を使った査察をイラクが拒否した、と非難した。この拒否も、理由のあることなのである。一九九八年十二月一七日。バクダッド現地時間の零時四九分。米軍は、ペルシャ湾沖から、アメリカのスパイ問題で、査察拒否を続けるイラクへの空爆、“砂漠の狐作戦を開始。攻撃ポイントとしてマーキングされた個所、九七箇所のうち八七箇所が、フセイン関連の施設だった。即ち、以前にも、国連の名を冠してU2は盛んに使われたのだが、その主たる目的は、サダム・フセイン殺害の為、彼の居所を突き止めるために使われたのであり、大量破壊兵器関連施設発見のためではなかったのである。この点でも、大量破壊兵器廃絶を唱えるアメリカの嘘は、明らかである。
現在、イラクは、射程百五〇km迄のミサイルしか保有を許されていないが、米は、イラクが、射程千二百kmのミサイルを持とうとしている、と非難する。しかし長距離ミサイルともなれば、実用化するためには、試射が必要なことは、言うまでもない。そして、試射をすれば、現在の監視体制で、はっきり開発が感知できるのである。だが、試射が感知されたことはない。
最後にリッター氏は、アメリカの諺を紹介して、講演を終えた。曰く、“本当の友人は、友人が酔って運転しようとするときには、それを止めるものである。”
今、アメリカという車は、酔っ払いに運転されている。これを諌めるのが友邦としての日本の役割だ、と。
●アメリカによる情報操作
しかし、「友人」に忠告するためにも、戦略は必要である。戦略を練る為には正しい情報を入手し、活用しなければならない。
「湾岸戦争」において、アメリカが、油まみれになった海鳥を、いかに上手にプロパガンダに用いていたかを思い出そう。我々は、何故アメリカが、情報操作したいのか、を考える必要がある。また、アメリカは、体制転覆を狙いたがる。何故か?
カルザイがそうであるように、アメリカの傀儡をトップに置くことによって、エネルギー資源を確保しよう、との狙いが、透けて見える。事実、カルザイが、暫定政権を樹立した二千二年五月末、トルクメニスタンからのパイプラインの話は、本決まりになった。一方、アメリカにとって不都合な情報には緘口令が布かれている。バンカーバスターなどによって撒き散らされた千トンにも及ぶ劣化ウランは、アフガニスタン住民の間に急速に白血病、癌、奇形児などの放射線障害と疑われる症状を多発させている。
アメリカは、イラクの民主化や、大量破壊兵器の廃絶を目指していない。単に自国の利益を追求しているに過ぎないということが分かろう。
●テロに対する戦争
また、ブッシュの言う、「テロに対する戦争」いう言い方も奇妙である。ブッシュが、こんな奇天烈な言い方を始める前、テロに対しては、刑事・警察機構が対応するのが常であった。被害は、かなり大きなものであったにしても、対国家に対して行われる戦争と異なり、テロ組織にアタックする為の武器にかける費用、また種類等においても、戦争にかけるそれとは、雲泥の差があったのである。
ところが、ブッシュ政権は、この垣根を取り払ってしまった。しかも、アルカイーダを殲滅すると言って、実際にやったことは、タリバーンが実効支配していたアフガニスタンを攻撃することであり、これは、「国家」に対する戦争であった。軍需産業を潤わす為に奇妙な捩れが存在していると言わねばなるまい。
●戦争回避の為に
しかし、米政府への様々な反証にも関わらず、リッター氏に弱点が無いわけではない。彼は、現在査察官をしているわけではない、という事実である。前回査察が、中断されてから、既に四年の月日が流れた。この間、イラクが、どのように自国軍を維持し、防衛を考えてきたのか? については、不分明な点があるのも、また本当のことなのだ。だが、戦争が始まって、いつも一番つらい目に遭うのが、女性、子供、老人であることを考え合わせて欲しい。戦争は、避けるべきである。戦争が起こってしまえば、その損失は、経済的損失や人命だけに止まらない。環境破壊もまた深刻である。
査察を継続することで、このような損失を未然に防ぐことができるとすれば、それを推し進めることが肝要である。我々は、我々の頭で、目で、事態の推移を冷静に見つめ、判断してゆかなければならない。未来は、世界に冠たる平和憲法を持つ、我々の双肩に懸っている。
満足度★★★★★
オムニバス形式で7つの昔話が上演された。パンデミック・Covid-19に揺れるというより、無能極まるこの「国」の政治勢力に翻弄される人々の不安を何とかしようと、アマビエとカナシが案内役を勤める。
ネタバレBOX
昔話といっても記紀をベースにしたものから座敷童、オシラサマ、河童、狐、河童と狐の間に生まれた子供の話や、浦島ベースの話等々様々な民潭をミックスした上で再構成してあったり、未来に舞台を設定した昔話というアクロバティックな発想を取り入れた作品、地蔵菩薩に纏わる縁起譚等バラエティーに富んだ構成だ。演じるのは一人なので着替えやら、琵琶演奏(琵琶演奏に関しては演奏者が別に出演する)も入って雰囲気を盛り上げる。然しこの琵琶、琵琶演奏については詳しくないので評価はできないが今迄映画や演劇で聴いてきた演奏のしっかりした音作りとはかけ離れた演奏であった。但し楽器そのものの特性は活きているという類の演奏で、この女優さんの養成所出身の役者さんの演技のような方法的演技ではなく、一見アナーキーで而も肝心な所で上手くエネルギーを最大限に発揮すると同時に、周辺領域に生きる弱者の持たざるを得ない怨嗟のような感覚を実に良く効果的に表現し得ている点には感心した。実際の身体演技の他に映像や仮面を用いたミクスチャーな構成もグー。何となく可愛らしい印象を齎す点は、何より弱いものたちに寄り添おうとする彼女の選択が、作品全体の重石になりながら同時に優しさを感じさせるからであろう。