ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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ひろさきのあゆみ~一人芝居版

ひろさきのあゆみ~一人芝居版

渡辺源四郎商店

ザ・スズナリ(東京都)

2013/05/03 (金) ~ 2013/05/05 (日)公演終了

満足度★★★★

熱演
 初めの一歩の延長として人生の歩みがある、という発見を通して綴られる一人の女、あゆみの歩みと弘前という街の歩みを当然重ねてタイトルがつけられているのかと思いきや、独り芝居で其処までの延長性を求めることは、酷だったようだ。あゆみ誕生から死までの誰にでも起こる典型的なエピソードを“歩く”という行為の受け渡しに纏めて書かれていた本来の脚本を、独り芝居の無援と孤立という形で舞台化し、其処に母からの視点を照射することでメタレベルの表現に昇華した。

ネタバレBOX

 シナリオに幾つものバージョンがあり、其々、演出の視点も異なるのだが、原作では、複数の役者が、上手から下手へ歩くという行為を通して、バトンを次の演者に渡し、その演者があゆみの次のエピソードを紡いで行く、という方法を採ったらしい。だが、そのコンセプトを独り芝居で演じることには、矢張り無理があったように思う。その分、母の視点から照らし出されたあゆみの姿は痛烈である。「お母さん、私、頑張ったよね」と問うあゆみの科白は秀逸だ。然し、ドラマらしいドラマツルギーが成立するのは、この場面だけと言ってよいほど、地味な展開が延々と続くので気の短い観客には、飽きられる危険性もあることも承知しておく方が良いだろう。女優は、難しい表現を熱演し、好感が持てた。
グリーンミュージカル「LADYBIRD,LADYBIRD」

グリーンミュージカル「LADYBIRD,LADYBIRD」

アリー・エンターテイメント

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2013/05/02 (木) ~ 2013/05/06 (月)公演終了

満足度★★★★

Good
 よく出来ている。少女が出演者の大部分を占めるが、このようなキャストでここまで完成度が高いのは、立派である。少女達の柔らかい感性を活かしつつ、大人が、きちんとフォローし、演技の上でも脇を固めて過不足なくプロの舞台にしている。実際、キャスティング、少女達の歌や踊り、演技の上手さも、優れたシナリオ、演出に応えた内容であった。結果、死生という重いテーマを扱いながら、決して沈んだトーンにならず、本質的でありながら質の高い抒情性を易しい表現に織り込み、希望の火のともる温かで、爽やかな舞台になった。

ネタバレBOX

 主演のテントウ虫、アンを演じた加藤 梨里香は若干荒削りではあるが、これからが楽しみな才気を感じさせ、アゲハ蝶役の古谷 梨乃もキッチリ役をこなしていた。また、蜂を演じた4人の少女たちの愛くるしさも良い。
 この少女達の謂わば陽の世界に対置されるような形で蜘蛛を演じた女優が、また素晴らしい。夜、悪、地獄と悪いイメージばかりを背負わされた役柄であったが、彼女はこの役を、ビートの効いた踊りと歌で甘美な悪と耽美な夜に変え、地獄の恐怖を従順に変化せしめたのである。そのような華を若い頃のピーターのような妖しい洒脱で演じてみせたのだ。
 これらを演出した技術も素晴らしい。虫さんと呼ばれ、彼らの飼い主でもある人間が、実際には舞台上に登場しないのも良い演出だ。惜しむらくは、カブトムシは名前からはオスであるはずなのに、女優が演じ、その角がオスのものであったことだ。カブトムシのカッコよさを表すには、この方が適当だろうが、ちょっと気になった点ではある。
 更に細かい点に難が無い訳ではないが、これからが、楽しみな劇団であり、出演者、スタッフである。
からっぽの地球儀

からっぽの地球儀

9-States

OFF OFFシアター(東京都)

2013/05/01 (水) ~ 2013/05/05 (日)公演終了

満足度★★★★

フェアであること
 最高裁など上級審へ行けば行くほど、この「国」の判断は歪む。これは、本来、下級に当たるはずの日米地位協定が、運用上、日本国憲法の上位に位置しているからである。情報公開法も笊。被植民国家、日本はヤプーの住む国であるというマゾヒスティックな茶番を見る時、この作品の提示したフェアであるか否かは重い問い掛けになり得る。
 先輩弁護士、伊藤役の小池 首領の演技が特に気に入った。

ネタバレBOX

 同じ弁護士事務所に所属していた若手弁護士2人のうち、1人は自殺、1人は詐欺事件を起こした。この若手らは大学時代から旧知の間であるが、互いの相似性を表面的には嫌っている。然し、内心互いを認め合っているのである。詐欺をやった弁護士も、弁論の腕は中々のもので収入も多かった。然るに、彼は事務所を辞めたのみならず、3千万円以上を出資して1千万の詐欺事件を働く。逮捕され裁判に掛けられるが、「自分がやった」と白状したものの動機その他一切に黙秘を続けている。弁護を担当したのは、事務所の先輩弁護士であった。彼は事件の背景に何かあると睨み、被告を弁護するが、種々の捜査にも決定的な証拠は上がらず、事件は被告不利のまま結審を迎えるかい思えたが。
 ここで演劇的テクニックを用いたドンデン返しがある。無論、伏線は敷かれていた。裁判そのものの起こる場の主体が誰であるのか? 換言すれば誰かに“夢見られた”情況が裁判というものなのではないか? とか正義とは何か? などハッキリしているはずのもの・ことが、実は曖昧であることが、通奏低音のように提示され続けていたのである。サブプロットはとってつけたような内容も含み、不備を感じたが、これも夢のような雰囲気を表す為ととれないことは無い。とどのつまり、このどんでん返しで一挙に核心に迫った点は褒めておくべきだろう。
 
「ブサイクな彼女(1月11日)」「金魚と踏切(ユニットhop)」

「ブサイクな彼女(1月11日)」「金魚と踏切(ユニットhop)」

1月11日

6次元(東京都)

2013/04/29 (月) ~ 2013/04/29 (月)公演終了

満足度★★★★

ブサイクな彼女を拝見
 青天の霹靂とは当にこのこと。いくら不況とはいえ、これはないでしょ。という内容の話である。社員2人が、出社すると“ごめんなさい”の張り紙(?)と社長の失踪が明らかになった。
 こんな始まり方をする“ブサイクな彼女”リーディングを拝見。近いうちに舞台上演されるので、これ以上、内容については触れないでおくが、人情の細部に迄、配慮の行き届いた優れたシナリオを芸達者な役者陣が演じて見ごたえのあるリーディングであった。それにしても、大阪の劇団は、実力のある劇団が多いというのが、現在までの自分の認識である。殊に彼女役の山村 涼子が光った。
 大体、‘6次元’での公演と言うこと自体、センスの良さを伺わせるではないか。この店は、知る人ぞ知る、隠れ家である。一応、誤解しないよう言っておくと、一番近い東京での舞台上演は、駒場、アゴラ劇場で5月初旬“筋肉少女”というタイトルなので、詳細は、自分でチェックして欲しい。

人狼 ザ・ライブプレイングシアター

人狼 ザ・ライブプレイングシアター

セブンスキャッスル

上野ストアハウス(東京都)

2013/04/24 (水) ~ 2013/04/29 (月)公演終了

満足度★★★★

参加型ゲーム
 キャストは、基本的に毎回違う役回りになるので、科白はアドリブである。即ち、瞬時に、自分の語るべき言葉を、役柄によって守らなければならないルールに拘束され乍ら、選択を迫られる。一方、観客も、推理結果をはんていするシートを渡され、書き込むようになっているので、ゲームの参加者である。この、推理の緊張感が楽しい。
 感心させられたのは、役者たちのアドリブ脳の質である。基本的に非常に高いレベルにあるのだ。流石と言わなければなるまい。と同時に、この辺りが、アドリブの面白さなのだろうが、男女により、或いは、個々人の興味を持つジャンルや得意なジャンルの違いにより、表明される意見が、その人の極めて特殊且つ普遍的な社会的・文化的位置を晒してしまうのである。タイトな時間の中で、表現されるものの緊張感と共に、とても新鮮な発見であった。

suicide paradox

suicide paradox

拘束ピエロ

シアターブラッツ(東京都)

2013/04/27 (土) ~ 2013/04/29 (月)公演終了

満足度★★★

作家は、もっと世界に自分を開いて
 嫉妬やそれに纏わる所有を描くサスペンスということなのだろうが、テーマ自体に軽重の差が無い複数の要素が入っており、アウフヘーベンされていない点、場の転換がかなりあるにも関わらず、出捌けに関して工夫が無い点、関係性を自意識の中で組み上げている点等々で、物語として、第三者に見せる収束点を曖昧化してしまった。
 これらの諸条件が、結果的に、サスペンスそのものの、成立を困難にしている。即ち、伏線が伏線としての機能を果たさず、物語を拡散させる方向に働いてしまった。もっと、シナリオの段階で登場人物たちの声を作家は聞くべきである。ナルシシズムは、この場合、最大の敵だ。詩と同じで、劇に於いて、その登場人物は、具体的なものとして生きていなければならない。それは、シナリオレベルで、そうあらねばならぬのは、当然のことである。そうでなければ、役者がイメージを掴めまい。

カルブ・ル・アクラブ

カルブ・ル・アクラブ

箱庭コラァル

鈴ん小屋(東京都)

2013/04/27 (土) ~ 2013/04/27 (土)公演終了

満足度★★★

甘え
 独立し、アレンジされた三つの童話(赤ずきん、眠り姫、青髭)を、ヴァイオリンの生演奏、用意されたBGM、背景映像などと組み合わせたパフォーマンスだ。ヴァイオリンは、まずまず。だが、ソロコンサートで聴けるレベルではない。童話のアレンジ部分も、矛盾があったり、話の展開が、見えてしまうなど、まだまだ勉強が必要だ。更に、演者自身のポテンシャルが上がってくるまでに、開演からの時間が掛かり過ぎる。しょっぱなの朗読は、字面を唯、上手に読もうとしているだけであった。もっと、科白自体を練り、イマジネーションの発露が音声になるようなレベルで朗読に挑むべきであろう。
 また、かむシーンも多くみられた。練習不足が明らかである。何れにせよ、まだ、プロとしての認識が甘い。怪我をした話をしていたが、プロである以上、客の前で言うべきことではあるまい。

アベンジャーズ

アベンジャーズ

カプセル兵団

ワーサルシアター(東京都)

2013/04/25 (木) ~ 2013/04/29 (月)公演終了

満足度★★★★★

男ならでは
 映画の「アベンジャーズ」は観ていないのだが、映画との引っ掛けとか。何れにせよ、アメリカのヒーローも登場し、日本のヒーローとの丁々発止が、よく出来ている。また、日本のヒーローたちも、活躍した時代毎に、往年の、中年の、若いの、と三世代の様々なタイプに分かれ、その時代の価値観、メンタリティー、行動様式迄浮き上がらせる見事なものだ。エンターテインメント形式の文明批評と言えるかも知れない。

ネタバレBOX

 それぞれの役者が、時代の衣装を、雰囲気を見事に表現している点で役者陣の演技が光る。更にヒーローの宿命、その哀歓をもしみじみ滲ませての演技、シナリオ、演出であった。ラストでは、ロートルだと引退しかけていた往年のヒーローが、次元の裂け目を見、強大な敵の力を見て、血を滾らせ戦闘に赴く、という幕切れも見事である。基本的なスタンスがドライなので、逆に、繊細なペーソスなど、人情の機微が良く出ている。
 本編の後、伝説のヒーローと銘打って、日替わりゲストを招いてのイベントがある。こちらは、ゲストによって、内容、時間など大幅に変わる模様だ。
くおんの空

くおんの空

劇団グスタフ

シアターグスタフ(東京都)

2013/04/25 (木) ~ 2013/04/28 (日)公演終了

満足度★★★★

まじめな作り
 知覧特攻基地に満州から配属された朝倉少尉以下5名の搭乗機はオシャカ寸前、整備兵からも頗る評判が悪い。修理しようにもエンジン自体に相当ガタの来ている代物なのである。「一緒に散ろう」と誓った他の満州帰りも、機体の不良で合流できないまま、出撃の日を待っている状態である。人倫に篤く隊員からの信望もある少尉の計らいで、整備班も最大の努力はしてくれるのだが、いかんせん、整備がまともにできないような機体では、沖縄どころか、奄美までも飛べるかおづか危ぶまれるのである。更に、整備不良で帰還したとなれば、精神的ダメージも大きい。死を前にそんな精神の緊張と弛緩を繰り返さざるを得ない特攻隊員たちの唯一の慰めは、慰問に訪れる女学生たちの微笑みやほのかな恋である。(追記4.28)

ネタバレBOX

 衣装、髪型、敬礼の仕方、小道具に至るまで、キチンと調べ、リアリティーのあるものになっているが、休憩を挟んで前後半に分かれた舞台の前半は、余りに真面目に、史実に忠実に作り過ぎたきらいがある。現代の観客は、ワンタッチで、面白い物、変化の激しい物に移行するのが、普通の生活感覚だろう。だが、荷車を押しているシーンは、坂あり、悪路ありで大変な状況であるにしても、少し、単調に過ぎ、長く演じ過ぎた。演出で、何かハプニングを入れるような工夫が無いと、現代の特に若い世代には、魅力的な場面にならないのではないだろうか。演出の方に、現代の余りにも多様な世界観で苦労している若者達の感性を捉える努力をして頂きたい。所謂、サブカルも含めて、時代を見る必要があるように思う。
トモダチ

トモダチ

演劇ユニットハイブリッド

阿佐ヶ谷TABASA(東京都)

2013/04/25 (木) ~ 2013/04/28 (日)公演終了

満足度★★★★

寓話
 テーマが、ハッキリしており、シナリオも明解。役者陣の演技、演出も良い。結果、友情というものの極めてデリケートな性質を炙り出すことに成功していると同時に、人の情、命の論理、倫理に対するシステムの論理の優位性を提示して見せ、この「国」で、人倫に関わる総ての論理が、システムの論理によって排斥される様を描いた。同時に、システムの論理は、ヒエラルキー上位のものに対しては従属的である構造も示すことで、終にはシステムそのものの硬直性を示唆している。

ネタバレBOX

 サバイバルゲームに参加する為、相棒欲しさに、フレンドリーライフサポートジャパンに「トモダチ」を発注した男、だが届けられた「トモダチ」は、過去4回も返品された商品だった。返品はクーリングオフ制度や国の審査の結果である。商品審査が行われるようになったのは、この手の製品で以前、購入者と商品が組んで銀行強盗事件を起こしたり、喧嘩をして、商品が購入者を怪我させたりという事件が起こった為、このような事態を未然に防止する為、国が設けた審査基準に通らない商品は、製造元に送り返され、5回返品された商品は殺処分されることになっているのである。
 ところで、今回送られてきたトモダチは今迄4回返品されていた。男と商品、つまり一人の人間とアンドロイドの、真のサバイバルが始まる。
 審査は、商品到着後、1週間以内に実施される。審査概要は、手元に資料がある。審査は明朝9時。1人と1台は、審査をパスするために猛特訓を始めるが、アンドロイドが、廃棄処分になることをクライアントに話したことが、服務協定違反に問われ、会社側は、アンドロイドを持ちかえり、廃棄処分にする旨通達。クライアントのたっての願いを聞こうともしない。だが、スイッチを切ったはずの審査プログラムは機能し続けており、国家は、審査を続行、合格の判定を下す。会社は、服務協定違反を主張し、廃棄処分を主張するが、国家判定を覆すことはできなかった。
 意地の悪い見方をすれば、実際には、日米地位協定の下位に置かれた日本国憲法以下総ての国内法が、責任無化のシステムとしてしか機能していない、被植民国家、日本とそこに住む我々日本人を炙り出すアイロニーとしてのみならず、この被植民国家システムの硬直を示して痛烈である。
ブルーノ・シュルツ『マネキン 人形論』

ブルーノ・シュルツ『マネキン 人形論』

シアターX(カイ)

シアターX(東京都)

2013/04/25 (木) ~ 2013/04/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

彼我の差を越えて
 ポーランド人の魂に焼きついた深い傷。それは、現代においても彼らの魂の奥底に滾るマグマである。独ソ不可侵条約後、東西を分割されたポーランドは、民族の土地を奪われ、喪失していたばかりではない。彼らは殲滅戦の対象だったのである。周知の通り、ナチ以降のドイツは、分轄領内でもユダヤ人を、ソ連は、矢張り分轄領内でポーランド人を殲滅しようとしたのだ。結果、この作品で描かれているように、人は存在し続ける為に、マネキンになった。即ち、人間が、マネキン化されたのである。言い換えれば、生きている人間は、人間としての所作を剥ぎ取られ、マネキンとして生きるしか無かったという状況を表しているように思われる。そこには、故失くして存在の根拠を奪われ、自らの土地に安住することも妨げられ、存在そのものが、アポリアと化した彼らの苦悩の歴史が読みとれよう。
 然し乍ら、演出家は、俳優が単にマネキンをマネキンとして演じることを潔しとしていない。マネキン化は、演技の死を意味するだろうからである。かれは、俳優が演じるマネキンが、人格を持つことを要求する。ここが、この演出家の優れた点である。その為に俳優達に演出家が望んだのは個々の俳優自らの方法論である。再度言うが、人格を持たない存在が、人格を持つことを要求したのである。俳優達は、これに見事に応えた。
観ている自分は、始まる早々、役者が竹馬を履いているのではないか、と思うほど大きく見えて、彼らの力量を見せつけられた。(追記4.28)

ネタバレBOX

 演出家は、俳優達が、役をどう解釈するかに任せるという方法を採っており、如何にもヨーロッパの自我対世界という世界認識をベースにした方法だとは思ったが、現代の日本人は、アジア的な汎主体性と欧米流の自我主体性の差異を見分けることのできる個人も増えてきているだろう。とは言っても、まだまだ、文化レベルの差異は大きいので、充分に理解したという納得感を持てる人はそこそこに留まる、歴史も歴史認識も異なる。カントールを想起させるような工夫が凝らされているので、日本の和歌の伝統にある、本歌取りなどのような輻輳化も見られる。言語の差も大きい。ポーランド語以外に、ラテン語、ドイツ語、ロシア語等も使われているので、ヨーロッパで、ヨーロッパ人に立ち混じって暮らした経験を持たない日本人には、難しい点が多々ある作品ではあろう。
 だが、彼我の差を埋める、舞台上に用いられている物にも注目したい。これらは、無機的なオブジェでは無い。様々な意味を仮託され、我々の死後も存在し続ける、不変の実体である。このことの不気味と救済のイマージュをも受け取って欲しい。そして、一つの物に仮託された複数のイマージュや意味も考えて欲しいのだ。そうすることによっても、この作品に込められた別の一面が、見えてこよう。
 今作は、我々の認識に応じて、様々な壁を越え、尚訴えかけてくる根本的なものを持つヴィヴィッドな作品である。例えば、ラストに近い所で再三登場する鳥のイマージュにも注目。何を意味するか、明らかであろう。同じ物が、別の事を意味していることもある。例を挙げれば、受話器だ。これは、鳥のイマージュ、烏のイマージュ、更には、共産党幹部の机上にいつもデンとして置かれた、電話でもある。その会話によって誰が、いつ、どんな形で粛清されたかも、当然のことながら想起させるのだ。また、今でも、米兵やイスラエル兵が、其々の占領地域で同じことをやっている、壁に書き込まれた、“ポーランド人が居ない・居る”、“ユダヤ人が居ない・居る”の表示の非人間性を暴くと同時に、「ユダヤ人が居る」と叫び、壁にその旨書き込んだ、ポーランド人を通して、絶滅の危機に立たされた人間一般についても、その想像力を働かせて観て欲しい。
 その想像力を働かせるに相応しい、濃密で深い舞台である。
で・あること

で・あること

明治大学実験劇場

明治大学和泉キャンパス・第一校舎005教室(東京都)

2013/04/24 (水) ~ 2013/04/27 (土)公演終了

満足度★★★★

示唆的
 所謂“人間らしさ”なるものが失われ、システムが、幅を利かせる時代になってかなりの時が経った。このような社会の激変に対し、人々が皆上手く対応しているとは言い難い。結果、多くの人々は、その存在感の喪失に悩み、自らの立ち位置を失くし、ただ、漂うのみである。そう言って過言ではあるまい。作品に語られている女子大生監禁事件は、実際に起きた事件だということだが、その背景に在るのは、存在感喪失の不如意ではないだろうか? その辺りの事情を若く鋭い感性が掬いあげているのではないだろうか。(追記完了4.25)

ネタバレBOX

 東電、F1の人災事故を今更挙げる迄も無かろうが、存在感の喪失と嘘でずぶずぶの不信の時代に、論理や倫理で如何に立ち向かうか。否、立ち向かい得るか? その試行錯誤の涯に辿りついたのは一種の存在論であった。それが、究極的にはゴジラという形を取るのは謂わば必然である。意味の成立し得ない時代、人々が、根拠づけることのできる唯一の位置こそ、我らに残された唯一の自然、身体そのものであるだろう。無論、既に、この身体は、核汚染によって痛く傷つけられている。そのような身体以外に我らは持ち得ていない。それは、第五福竜丸被ばく事件の時代、当時の農林省、厚生省が実施した公式記録だけでも992艘の鮪延縄漁船が被ばくしている実態を見、日本全土を覆った死の灰の拡散データを記録した、アメリカによる定点観測結果からも明らかである。(因みにアメリカは、自国の地上核実験によって生じた死の灰拡散についても日本全国、朝鮮半島など、自らの力の及ぶ範囲に定点観測所を設け計測していた。即ち、我々日本人は、総てモルモットにされていたのである。)
 今更ながらのことをもう一つ。我らヒトは地球上では食物連鎖の最上位に位置する。その我々が、作り出した核兵器に被ばくして生まれたのが、ゴジラである。(ゴジラ第一作を見よ)ゴジラ同様、ヒトの作り出した爆弾と“形の異なる”原子力。それが、原発だ。どちらもヒトが作り出した原子力であるが、それが制御を失って暴走し始めたのが、F1人災である。ところでそれを推進した自民党と推進諸勢力は、アメリカに恥を忘れて追随している。日本を潜在的核基地にしておくことがアメリカ並びに自民党の意思であるとき、我々、日本の庶民は、声を挙げて、核廃絶に向かうので無い限り、最後に再登場する豚の群れのように放射能まみれで生きる家畜同然である。
あ〜あ

あ〜あ

泥棒対策ライト

多目的スペース・キチム(東京都)

2013/04/24 (水) ~ 2013/04/26 (金)公演終了

満足度★★★★

核拡散の時代
 中心性を喪失した我々はいわばépaveの如きものである。集約点を持たないから意味を持たない。従って意味の無い時間・空間の央を彷徨う他に無い。その旅の徒然に我らは遊ぶのだ。恰もそれが、我々が人間であるということを証明する唯一の術であるかのように。人間が遊ぶ動物だと言ったのは、確かホイジンガだったと記憶するが、他にもたくさんの知識人が同じ意味のことを指摘しているだろう。日本でも、後白河法皇が編纂させた「梁塵秘抄」の一節に“遊びをせんとや生まれけむ”の有名な一行があるのは、周知の通りだ。
 何れにしろ、今回、このパフォーマンスに採用されたタイトル“あ~あ”は、表現している者達が、この状況を存在の不如意と捉え、意識してのつぶやきと捉えることができよう。遊ぶ姿は、紙相撲、満員電車、だるまさんがころんだ、閉店間際のファーストフードショップで、一円が足りなくて財布をひっかきまわし、長蛇の列を作らせる男、男と女、憧れの投手にラブレターを渡そうとする女子の争い等々が、巧みな振付によって、パフォーマンス形式で演じられる。だが、核技術が制御不能、処理不能のまま、拡散し続けている以上、様々な形式で遊ぶ我々が辿りつく先は、No Mans Landかもしれない。“あ~あ”!

流れる雲よ2013 ~海~

流れる雲よ2013 ~海~

演劇集団アトリエッジ

笹塚ファクトリー(東京都)

2013/04/19 (金) ~ 2013/04/28 (日)公演終了

満足度★★★★

戦争をどう見るか~風を拝見~
 靖国で会おう、という言葉・表現は、戦記物でよく見掛ける。然し、第二次世界大戦で大敗した日本の総括を殆ど誰もやっていないのではないか? というより、総括しようとする動きすら少ないように思う。それこそ、この国が負けた根本的原因ではないか? 戦争は、無論、愚かなことだ。誰しもそれは言うだろう。平時であれば。然し、戦時にそれを言うとこの国ではパージに遭う。多様性や自由、それを言う権利が最初に死刑になるからだ。恰も、情に流され、共感した振りを上手にこなし、涙を垂れていればそれで、肝心なことは総て素通りしてくれるとでも言うように、いつも誰か任せの、鵺のようなこの国の正体。
 無論、近現代戦争のような社会的、経済的、技術的、組織的、且つ、人心操作的な事象を演劇化するのは並大抵のことでは無い。それをしようとすれば、今回のように、理不尽な死を強制された若者と恋に収斂させて、戦争全体ではなく限定的な死生を描くか、全体を描くのであれば、象徴乃至はアレゴリーを用いて作劇するか、或いは、ワジディー・ムアワッドのような方法を採るしか無かろう。
 全体を見ようとしていない今回の作劇法は、矢張り、メンタリティーに竿を刺すという限界を含んでいるのも事実である。だが、近・現代の戦争はメンタリティーなどでは動かない。システムによって動いているのである。多くの現代戦記を舞台化しているグループのようだ。是非、自分の挙げたような方法でも舞台化を試みて欲しい。

ウェルカム・ホーム

ウェルカム・ホーム

天才劇団バカバッカ

テアトルBONBON(東京都)

2013/04/18 (木) ~ 2013/04/29 (月)公演終了

満足度★★★★

アメリカナイズされてはいるがおもろい
 藤田家は大家族、子供10人、父、母、祖母を加えて13人家族なのだ。13年前、この一家は、TV番組の取材を受けた。ディレクターは、敏腕な松村。(追記4.24)シナリオもしっかりしており、力のある劇団と見た。

ネタバレBOX

 だが、彼が、この番組を受け継いだ頃には、やらせが定着しており、而も、藤田家の母親は、自らやらせを頼んでもきていた。松村の前任者は視聴率を下げており、松村は視聴率アップの為、嘱望されての配属であったから、視聴率回復の為にはエッジの立つようなシャープな構成と画面にするしかなかった。それもあって、松村は母の提案に乗ったのである。視聴率は上がり、番組は活気を取り戻したが、やらせ疑惑で頓挫。松村はしょぼいグルメ番組に左遷され仕事をやる気も無くしていた。ところでこの番組には、矢張り、誤解からスキャンダル騒ぎになって左遷されて来た市川と、市川にホノ字の郁美が部下としてついている。
 一方、藤田家では、その後、やらせ疑惑の件が出演した家族に重くのしかかっていた。学校で苛めに遭う。馬鹿にされる等々で、学校に行けなくなる子すら出る始末であった。而も、父は早く亡くなって金銭的にも追い詰められていた。番組放送から13年が経って、TV局、藤田家双方にとって、新たにその後の藤田家を撮ってみよう、出演しようとの機運が高まる。そこで、今回は、フェイクドキュメンタリーというコンセプトで撮影する運びとなった。フェイクだから、本当で無くとも言い訳が立つ。松村も藤田家の大黒柱、二男の充も各々、内々の計画を練っている。アットホームなバラエティー番組仕立てで出発したはずの番組だったが、そこは、フェイクドキュメンタリーという逃げがうってある。つまり、何をやっても許される、という次第だ。充は、このコンセプトを利用して、初回の撮影で受けた傷への意趣返しを狙ったのである。各々が、自分の言いたいことを言う。が、充のコンセプトだ。このコンセプトに沿って、家族一人一人が全員、自分の言いたいことを述べる。結果、本音から見えて来たことは、この国に住む我々観客にも無縁で無いどころか、抱え込んでいる問題そのものを提起してくる。
 而も、この撮影時に充を訪ねて刑事がやってくる。参考人として事情を訊きたい、と任意出頭を求めてきたのである。容疑は偽装倒産と背任横領であった。充は、刑事に従うが、容疑の件については、黙秘していた。彼は、完全に白だったにも拘わらず。その理由とは、こうだ。充は、藤田家の在り様が嫌で、独立した。いわば独立して、会社を持つことは、彼にとって新たな家族を作ることであった。自分が白であることは、彼自身よく分かっていたのだが、新しくできた家族でもある。それを悪しざまに言ったり、告発することを潔しとしなかったのである。
La Vie en Rose エディット・ピアフと八人の男の話

La Vie en Rose エディット・ピアフと八人の男の話

川崎インキュベーター

ラゾーナ川崎プラザソル(神奈川県)

2013/04/19 (金) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★★

ピアフの実存
 ピアフの生きざまに感激。だが、内容的にはピアフにおんぶにだっこであった。(追記4.22)星4つはあくまでピアフへの評価があってのこと。

ネタバレBOX

 ピアフに助けられた親子の話が出てくるが、赤子を捨てようとした母親は、ピアフから貰った100万フランで生活を立て直し、まっとうな人生を歩んだようだ。その娘は、名をエディットという。無論、母が、ピアフの名をつけたのだ。それで、娘が、ピアフと関係の深かった8人の男にピアフの人物像を尋ねる、という設定になっている。
 素人とはいえ、社会的に成功している人達ばかりが、出演しているので、若干、かむシーンのあった人が居るとはいえ、無難にこなしている。だが、芸術をなめてはいけない。アーティストは、別に良い子ではないのだ。誰一人、己を曝け出していなかったではないか! そんなレベルでピアフを演ろうなど、彼女に失礼である。
 特に、最後に歌われた曲は、Non je ne regrette rien.だろう。日本のシャンソン事情は知らないが、自分の指摘が正しければ、あんな訳にはならないのではないか。何も後悔しない、という凄まじく強い歌なのだから。この点でも、ピアフのみならず、フランス文化移入に問題があるように思う。
 ただ、救いと言えば、ピアフの凄さが、伝わってきたことであった。
マリー・ボドニック

マリー・ボドニック

ロデオ★座★ヘヴン

劇場MOMO(東京都)

2013/04/18 (木) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★★

魔都上海
 時は1937年。上海の日本租界の一角。イエュイは、武勇の誉れ高い貴族の愛娘、男子に恵まれなかったこの家の長女である。年頃になったが顔にコンプレックスがあって何時もベールをつけている。彼女の身の回りを世話するのは下僕、ラン・ティエン。目は悪いが、忠実な下僕で彼女の為なら命も投げ出すほどである。
 そんな彼女は、父の葬儀で出会った日本人外交官、甲斐に一目惚れしてしまうが、甲斐は、彼女のベールを剥いだ途端、悲鳴を上げて逃げ出してしまった。彼女は深く傷つき、その時以来、武器取引、暗殺などを生業とし黒世界で暗躍するウーの下で働くようになる。(ネタに追加4.22)

ネタバレBOX

 暗殺もするスパイとして。そんな折も折、甲斐は、毛沢東率いる共産軍や蒋介石率いる国民党軍部との戦いに備え、もう一つの顔、軍特務機関員として武器の調達を画策する。 
当然、国民党特務機関は甲斐の命をつけ狙い、殺害を目論むが、ウーから甲斐殺害を申し渡されていたイエュイは、ターゲットが、甲斐であることに気付き彼を殺しに行った先で国民党特務機関の手先と思われる者からの襲撃を撃退し、逆に助けてしまう。因みに、武器調達を図った甲斐の取引相手とは、ウーの右腕である。
当時、魔都と呼ばれた上海を舞台に、日中スパイ合戦とイエュイのひたむきな愛、二つのテーマを描いているのだが、ラストへ持ってゆく際、アウフヘーベンの手際が良くない。作家の傾向なのかも知れないが、演劇的効果の面から考えれば、イエュイの恋を前面に描くのではなく、逆だろう。翻弄されて亡くなることを強調すべきである。本当に恋を純粋に描きたいのであれば。他人を散々殺めてきただけでも大変な罪なのだから、それをしも浄化する程の恋を観客に理解させるには、今回の終わり方では甘い。
魔法使いとストレイシープ~Apology~

魔法使いとストレイシープ~Apology~

劇団ヒラガナ( )

アドリブ小劇場(東京都)

2013/04/19 (金) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★

役者
 舞台に上がったら、一番大切なことは演技だ。これは、言うまでもあるまい。この点で、残念ながら力不足が、目立った。歌にしても、音感レベルからきちんとしないといけない。絶対音感が無いなら、完全な音痴に徹すべきである。歌のうまさは、聴衆を沈黙させるが、極端な音痴は、大笑いさせる。舞台に上がる以上どちらかであろう。
 シナリオも哲学的な浅さが、難点だ。観客にとって伝わらない言語を用いるなら、それが、作品の中で、何らかの痛烈なメッセージを持つべきである。一つだけ例をあげておく。「夕鶴」の与ひょうとつうの会話で、欲に目の眩んだ与ひょうの言葉に対し「分からない。あんたのいうことがなんいにもわからない。云々」という、つうの科白の何と言う痛烈。こういう言葉を目指すべきだろう。

おい、小島!

おい、小島!

タッタタ探検組合

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2013/04/17 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★★★

タッタタ探検組合流ミステリー
 いつも質の高い喜劇作品を演じ続けてきたタッタタ探検組合が、今回挑むのは、ミステリー。無論、いつもの笑いは健在だ。而も泣かせ所、鋭い風刺、謎解き等々盛りだくさんの内容だ。
 発端は3年前、ヤクザと黒い噂のあった町長が、鉄パイプで殴り殺された事件だった。容疑者として手配されたのは、小島という名の組員である。一度、警察は彼を追い詰めたことがあったが、すんでの所で逃げられてしまった。ところが、その小島が出頭してきた。3年間、何処に、どのように潜んでいたのか。若い署員が尋問するが、小島は、話をはぐらかして一向に答えない。退官間際の鬼刑事に尋問者が変わると、刑事の物語り意識に感応したかのように、小島は事件後の顛末について語りだす。その内容は、極めて特異なものだった。
 (追記4.23)

ネタバレBOX

 事件後、間もなく小島は、月光荘という名の、築40年、敷金、礼金無し、家賃は半年10万円、風呂なし、角部屋、陽当たり良しで、不動産屋も通さない安アパートを100万前払いして、借りたのである。今では、他の部屋の住人もおらず、大家の話では、幽霊が出る、と噂の立っているこのアパートは、追われている彼にとって都合が良かった。
 ところが、住み始めると直ぐ、夜中に飲めや歌えの大騒ぎが聞こえる。寝惚け眼をこすって電気をつけると誰の姿も無い。そんな事を数回繰り返すが、矢張り、騒々しさは消えない。そうこうしているうちに電気をつけても彼らは消えなくなった。当然、互いに誰なのか、人定質問を始める。分かったことは、彼ら8人が、このアパートの先住者だったこと。約3年前、小島が越してくるちょっと前に、一酸化炭素中毒で全員が亡くなっていたことだった。だが、何故、彼らは成仏できずにいたのか。その理由は、もう一人の正体不明者によって、明かされる。幽霊たちから見てさえ異界の者である、この存在は、悪魔とも死神とも解すことはできる。然し、解は最後まで謎である。衣装は白、但し、矢印形の尻尾が生えている。人の言葉を話すが、話し方は異様である。だが、謎の存在は、失踪した小島が、元属していた組織、竜泉会の若頭と幹部に住処を突き止められ、窮地に陥った時に、小島を8人の幽霊と共に救う大活躍を見せる。さて、この時、小島事件の詳細も、何故、彼が竜泉会から狙われるのかも明らかになる。小島は、町長殺しの真犯人ではなかった。殺ったのは、若頭である。小島は、薬中だったが、組長に拾われてヤクザになっていた。その小島には、聾唖者の娘が一人いた。小島は、大層娘を可愛がり、自分でも手話を覚えて話していたが、何かと言えば、タイガーマスクが出てくるので、娘が父の言う前に、手話でタイガーマスクを表現する有り様であった。そんな娘思いの小島は、木偶の坊で粗暴な若頭の身代わりに服役することを潔しとせず、組の金4000万を奪って逃げたのである。だが、組も黙ってはいなかった。交通事故に見せかけて娘を轢き殺したのである。犯人は幹部、藤堂である。小島は復讐を誓って潜伏していたというわけだ。幽霊達の助けを借りて、銃を小島が手にした時、娘がそれを望んでいるか、と助けてくれた者から言われた小島は、手を下さずにいたが、仲間割れの同志撃ちでやくざ二人はこと切れる。
 と、不思議な存在は、幽霊達に束縛から逃れる術を示唆し、呪縛から救って次のステップ、未知なる世界へ旅立つ手助けをするのであった。一人、また一人と幽霊達は、部屋の結界を破って新しい世界へ出てゆく。こんな経過を辿って小島は出頭してきたのであった。
 鬼刑事の尋問終了時、取材の入っているこの事件で、「記者達の所へ小島を連れて来るように」との課長からの電話に答えた若い刑事が、「想定外の云々」という科白を吐くが、無論、3.11.3.12以降、原発推進派、及び地震・津波に関して非常識な論戦を張っていた御用学者達、官僚、議員、裁判官ら、人災について罪を負うべき連中が口を揃えて言っていた“想定外”への痛烈なアイロニーであることは言うをまたない。
 ところで、大家が、小島の越してきた時にも、鬼刑事が大家を訪ねるシーンでも、約半年後に月光荘は取り壊しになる、と話していることも、単純に考えると矛盾と捉えそうだが、事件の3年後に自首して来た小島が、話し終わると忽然と消え、而も、近隣の山中で白骨化した、死後2年以上とみられる死体から見付かった免許証が小島の物であったことを梃子に考え、更に小島が現れた頃、施設に3900万円入りのバックが置かれており、プレゼンターの名がタイガーマスクとなっていたことも考えるならば、大家の話の時間的齟齬も別の様相を見せるのである。この謎を含めてのミステリーではないだろうか?
 
一筆入魂~締切追う者、追われるもの~

一筆入魂~締切追う者、追われるもの~

劇団熱血天使

ワーサルシアター(東京都)

2013/04/17 (水) ~ 2013/04/21 (日)公演終了

満足度★★★★

創造する者と享受する者
 創作に纏わる者の遭遇する諸問題を挙げ、それに関わる人間達の関係や在り様、理想等を織り交ぜているので主張がハッキリしている。それもそのはず。「新思潮」に集った芥川、菊池、久米、松岡らを中心として描いた作品だからだ。劇中、創作者と普通の人々との関係をザックリ描いている点も良い。また、創作の源泉が、大方日常の中に在ることも、作品は創作者を本質に於いて越えるものだという基本認識も正しい。

ネタバレBOX

 三角関係を織り込んだりすることで、漱石のいくつかの作品と通底させると同時に、自意識と嫉妬、自死などを含めて自我の問題を提起してもいる。構成としては四部構成と言ってよかろう。実際、創作している者や編集者として関わっている者にとっては、内心ほくそ笑むよいな部分や苦笑いする部分も多い作品で楽しめる。

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