満足度★★★★
戦争をどう見るか~風を拝見~
靖国で会おう、という言葉・表現は、戦記物でよく見掛ける。然し、第二次世界大戦で大敗した日本の総括を殆ど誰もやっていないのではないか? というより、総括しようとする動きすら少ないように思う。それこそ、この国が負けた根本的原因ではないか? 戦争は、無論、愚かなことだ。誰しもそれは言うだろう。平時であれば。然し、戦時にそれを言うとこの国ではパージに遭う。多様性や自由、それを言う権利が最初に死刑になるからだ。恰も、情に流され、共感した振りを上手にこなし、涙を垂れていればそれで、肝心なことは総て素通りしてくれるとでも言うように、いつも誰か任せの、鵺のようなこの国の正体。
無論、近現代戦争のような社会的、経済的、技術的、組織的、且つ、人心操作的な事象を演劇化するのは並大抵のことでは無い。それをしようとすれば、今回のように、理不尽な死を強制された若者と恋に収斂させて、戦争全体ではなく限定的な死生を描くか、全体を描くのであれば、象徴乃至はアレゴリーを用いて作劇するか、或いは、ワジディー・ムアワッドのような方法を採るしか無かろう。
全体を見ようとしていない今回の作劇法は、矢張り、メンタリティーに竿を刺すという限界を含んでいるのも事実である。だが、近・現代の戦争はメンタリティーなどでは動かない。システムによって動いているのである。多くの現代戦記を舞台化しているグループのようだ。是非、自分の挙げたような方法でも舞台化を試みて欲しい。