満足度★★★★
核拡散の時代
中心性を喪失した我々はいわばépaveの如きものである。集約点を持たないから意味を持たない。従って意味の無い時間・空間の央を彷徨う他に無い。その旅の徒然に我らは遊ぶのだ。恰もそれが、我々が人間であるということを証明する唯一の術であるかのように。人間が遊ぶ動物だと言ったのは、確かホイジンガだったと記憶するが、他にもたくさんの知識人が同じ意味のことを指摘しているだろう。日本でも、後白河法皇が編纂させた「梁塵秘抄」の一節に“遊びをせんとや生まれけむ”の有名な一行があるのは、周知の通りだ。
何れにしろ、今回、このパフォーマンスに採用されたタイトル“あ~あ”は、表現している者達が、この状況を存在の不如意と捉え、意識してのつぶやきと捉えることができよう。遊ぶ姿は、紙相撲、満員電車、だるまさんがころんだ、閉店間際のファーストフードショップで、一円が足りなくて財布をひっかきまわし、長蛇の列を作らせる男、男と女、憧れの投手にラブレターを渡そうとする女子の争い等々が、巧みな振付によって、パフォーマンス形式で演じられる。だが、核技術が制御不能、処理不能のまま、拡散し続けている以上、様々な形式で遊ぶ我々が辿りつく先は、No Mans Landかもしれない。“あ~あ”!