ハンダラの観てきた!クチコミ一覧

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ケンゲキ! 宮沢賢治と演劇

ケンゲキ! 宮沢賢治と演劇

シアターオルト Theatre Ort

こまばアゴラ劇場(東京都)

2014/04/03 (木) ~ 2014/04/13 (日)公演終了

満足度★★★★

銀河鉄道の夜の謎はヴァリアントの豊富さから?
 1974年、天沢 退二朗、入沢 康夫らが中心となって行われた原典批評による宮沢 賢治全集は、徹底的なテキストクリティックによって一時期を画した。筑摩書房版である。この全集のテキストクリティックの過程で「銀河鉄道の夜」オリジナルには、大きな改稿だけで初稿に対して3回の改稿が行われたことが判明した。初稿が書かれたのは1924年と推定されるが、第4稿が書かれたのは1931年頃と推定されている。殊に、3稿迄と4稿には大きな差がある。
 今作は4稿をベースに北村 想が脚本を起こしたものだ。そして今作の特徴は、賢治が妹、トシを失った後の喪心の旅の中で書いた「青森挽歌」が挿入されていることである。

ネタバレBOX

 本編、「銀河鉄道の夜」では、カンパネルラが原作者、賢治に向かって本当のこと、本当の幸せとは何かに就いて質問を発する天がユニークである。北村の到達点としては、弱者、ジョバンニにとって、他人が総てカンパネルラであるよいうな高く遠い倫理的到達点を示したことだろう。無論、現実の中で、この決意が揺らぎ、失われてゆくことが大方のパターンである。然し乍ら、今作によってこのように高い倫理的宣言が為されたこともまた事実である。できれば、この事実を観客である我々一人一人が己のものとして実践して行きたいものである。
 因みに賢治自身、結核という業病を抱えながら、農業技術者として、また教師として農民や子供達の為に高い倫理と知を発信し続けた実践の人であった。
 蛇足ながら、賢治が教師をやっている場面で跳び撥ねたり音楽的にリズムを取り入れたりしながら授業を行うシーンがあるが、あれは実際に賢治の授業を受けた生徒達の証言を基に作られているのであろう。
 演出的にも様々な工夫が凝らされていて楽しめる。
大海原で

大海原で

ダンシ會

名曲喫茶ヴィオロン(東京都)

2014/03/26 (水) ~ 2014/04/03 (木)公演終了

満足度★★★★

アイロニー
 ムロジェックという作家は初めて出会ったが、ポーランド出身ということで、今作にある矛盾というか不条理(まさしく馬鹿げていることという意味で)は、ポーランドの分割に関わると解すると非常に面白く取れるだろう。主たる登場人物3人も無論、様々な階級、階層の象徴乃至は寓意と読むのである。(追記2014.4.7)

ネタバレBOX

 郵便局長は、ハプスブルグ家とつるんだロスチャイルドを表すかも知れない。執事も何か貴族というよりは、滅びゆく貴族体制・封建制そのものを暗示している可能性もある。旧態依然とした封建制は新時代、新状況に対応出来ずに滅びた者が居た半面、衣裳を変え、要領よく立ち回るのみならず、大衆を操作し、新興ブルジョワジーとしても覇権を握る貴族も居たのであろう。それがここに登場する伯爵タイプと解することも可能なのである。
 実際、フランス革命が起こって多くの貴族がギロチンの露と消えたフランスにあってさえ、ボールペンで有名なビックは男爵であり、ド・ビルパン元外相も貴族出身、サルトルの妻となったシモンヌ・ド・ボーボワールも貴族出身である。このように、ヨーロッパで現在実業家や政治家、知識人として活躍する人物の中にも貴族出身者は多いのが実情である。因みに、オーストリア・ハンガリー帝国を支配したハプスブルグ家は、ブルボン家などと並ぶ、ヨーロッパの名家・王家でもある。ロスチャイルドはユダヤ人として初めて男爵位をハプスブルグ家から与えられた。そして、銀行のみならず王侯貴族間の郵送を請け負い、絶大な信頼を得ていた。第一次世界大戦前と世界大戦に於いて、戦争の帰趨を制するのは、ロスチャイルド家の財力だと言われた程の大ブルジョアに成長したきっかけは無論ワーテルローの戦いでナポレオンの敗北をいち早く知ったネイサン・ロスチャイルドがロンドン市場で大儲けをしたからだ。この情報伝達のスピードは当時、世界一、正確さも世界一であったというべきであろう。情報の意味する所をネイサンは知っていたということだ。日本の馬鹿な為政者に爪の垢を煎じて飲ませたい所だ。
 おっと話が横道に逸れた。キチンと調べたわけではないから、以下に書くことは読者諸氏が検証して欲しい。
 まず、この作品の粗筋から説明しておこう。
嵐に遭って船が沈没した。逃げ延びたのは3人。筏に乗ることはできたものの、漂流している。腹が減る。確かまだグリーンピースを添えた肉の缶詰があったとある者が言うと、否、食糧は全然残っていないと強硬に主張する者があって結局、皆その前提で話を進めることになった。食べたい。そこへ先ほど、強硬な主張を通した者が「生き物を食べなければならない」と不気味な宣言をする。これは、食糧は他の生き物だという事実を指すと同時に3人のうちの誰かを指すのは、明白なWミーニングである。3人は、協議をする。希望を募ったりするが、名乗り出る馬鹿が居る訳は無い。そこで、くじ引きをすることになったが、3人しかいないのに4票投票されたと強硬な主張をしていた者が言い、無効に。そこで、文明人として投票で決めることにした。一種の選挙である。選挙である以上、其々の主張を述べ、それを基に判断し投票しようということになった。要領の最も悪い奴が餌食候補として他の2人に狙われる。要領の悪い男は、女房・子供がいるとか泣き落としエクスキューズで訴えたのに対し、次の男は、料理が上手だとアピールして見せる。次の男も上手に言い逃れをする。誰が要領が良く、誰が悪いかは、これまでの流れで分かっているから、その辺りは、自然に2対1になる。さて、2人組は、孤児で、今迄散々辛酸を嘗めたと話を合わせ、1人を追い込む。そこへ、郵便屋が泳いで郵便物を届けに来る。その後、執事がやってきて、2人組の1人に伯爵と呼び掛け、船が沈没したと聞いて、心配をしていた云々。伯爵は邪魔なので「消えろ」と命じて執事を追っ払うが、それまでの間に、最も要領の悪い男をなだめすかして死ぬ気にさせている。おまけに、実は缶詰も見付かるのだが。伯爵は、缶詰など好みではない。といった内容だ。
 当然のことながら、誰もが、泳いで人が漂流筏に辿りつくことができるなら、餓える心配等無いと考える。だが、作家がそんなバカなことを書く訳が無い。そこで、自分は、上にも少し触れたように、とんでもなくアイロニカルな作品だと解したのだ。自分はポーランドが独ソによって分割された頃の話として解釈した。
 伯爵は、上にも書いておいたような要領の良い貴族を。要領の最も悪い男は、無知蒙昧な大衆を、そして伯爵と共に、要領の悪い男を殺そうとしていたのは、右往左往しつつも何とか有利な位置を採りつつ内心忸怩たるインテリ層を表しているのではないだろうか? 岸近くを漂流しているのに、実際に、食糧難によるカニバリスムに至る状況が描かれるのは、分割されるポーランドに対し、何ら援助の手も、国際法上の正義も履行しようとしなかったヨーロッパ列強を意味しているのではあるまいか? 
deprived(仮)

deprived(仮)

shelf

キッド・アイラック・アート・ホール(東京都)

2014/04/03 (木) ~ 2014/04/07 (月)公演終了

満足度★★★★★

素に向き合う
 矢野氏の演出は、バイアスを排して、対象と向き合おうとすることから始まっているように思う。一口にバイアスを排するというのは、容易いが、自分の好み、育って来た環境、そこで沁みついた様々な感受性や慣習を手術台の上に載せ、切開、腑分けしてゆく作業がその内実である。而も、それを自分自身で行わなければならない。それが、どれだけ大変な作業か、自分が上に挙げたことだけで想像頂けると思う。

ネタバレBOX

 このような作業の上に、日本国憲法前文、太宰治の作品、武者小路実篤の作品などから選ばれた文言、文章がコラージュされて、演者が息を吹き込む。狭く濃密な空間内に居る観客の反応が化学反応を加える。作品が生成される。こういう舞台だ。だから、同じテキスト、同じ演者、同じ観客で日時が異なる場合、生成されるものは、微妙に異なる。その幽けき差異を愉しむことのできる舞台である。
英霊だヨ!全員集合

英霊だヨ!全員集合

劇団東京ミルクホール

SPACE107(東京都)

2014/04/02 (水) ~ 2014/04/06 (日)公演終了

満足度★★★★★

熱演また熱演 怪我しないように!!!!
 秀才って言われる奴らの中には、世間の測り方をまるっきり間違えている愚か者が実に多いのだが、お上に逆らわない根性無しの大衆は、見ざる聞かざる言わざるを決め込んで保身に走るし、頭のいい奴は大抵ずるいしスケベ根性を持っていて出世したり、金稼いで力持ったりしたがるから、まともな奴は、極めて少ない。だから“だいせんじがけだららなよさ”ってことにもなっちまう。東京ミルクホールには、こんな役者、脚本家、劇作家、演出家、スタッフが集まっているらしい。極めてマトモである。だから、こういう形でやるのは、今回が最後ってことになっちまったらしい。しいさび~~~~~~~~っ!!!!!(追記2014.4.8)

ネタバレBOX

 極めてまともな人々なので、タブーに切り込んだ。靖国問題である。対比して千鳥ヶ淵戦没者墓苑である。靖国は、極めて差別的且つ非民主的、国家神道の総本山であるから、人倫に反することを平気でやるし、やってきたし、やっている。自分の従兄子が祀られている話は随分以前に、コリッチの別のコーナーに書いたから詳しくは触れないが、その弟や親族が、合祀から外して欲しいと何度願い出ても、答えはノンである。而も、裕仁の親族は分祀されているのである。そもそも、親族の許しも得ないで一方的に祀ること自体おかしいのだが、それをしないことには、国家神道という神話は成立しない。靖国の論理というのはその程度のものだとの証拠であろう。中味が無いから形式に拘るというのは、阿保で融通のきかない為政者とその犬が使う手である。
 難を言えば、印籠よろしく裕仁が、その名を明かした途端、安倍を揶揄したあばらとマトモな人々が共に平伏してしまうのは、ちと承服しかねる。というのも大日本帝国憲法下に於ける唯一の主権者こそ、天皇であったからだ。具体的には、裕仁である。従って法理論が真っ当に適応されれば、真っ先に戦争責任を問われるのは、天皇、裕仁であった。深読みすれば、東京裁判は、裕仁の罪を問わぬ為に仕組まれたアメリカを中心とした連合国の茶番だったのではないか? ということだ。「菊と刀」のみならず、アメリカは日本を占領するに当たって可能な限りキチンと調べていた。そして占領に当たる自軍の損失を最小限にすべく努めていたのである。日本の阿保な為政者と違って、彼らは少なくとも合理的精神を持っている。その為にこそ、裕仁の戦争責任を問わなかったのだ。これが合理的に考えた結果得られる合理的結論である。
 一方、裕仁の我ら国民に対する戦争責任は明らかである。裕仁自身、大東亜戦争中に、「もう少し持ちこたえれば事態は好転するのではないか」と述べ、徒に戦争を長引かせた。こんなことさえなければ、広島、長崎への原爆投下は、無かった可能性もあるのである。
 閑話休題。だが、まあ喜劇であり、肝心の安倍、石破など現在の癌中枢はキチンと批判し、虚仮にしているのだから、良しとしておこう。それに貧乏人であり民衆である我々こそ、戦地へ赴いて殺したくも無い現地の人々を殺し、怪我を負わせて不具にし、糧秣を収奪し、娘たちをレイプしてきたのだから。無論、当たり前のように、殺され襤褸雑巾のように遺体も人間の遺体の扱いを受けず損壊される場合もあっただろう。それも当然のことだ、そうされて当然のことをやったのだから。攻め込まれた側にとって攻め込んで来た敵は唾棄すべき対象でしかないのだから。言って置くが、他人の土地に土足で上がり込み蹂躙したのだ。何をされても文句の言えたギリではない。だが、戦争の常として、最上層部は、生き残り易い。殊に、この「国」に於いて。唯一の主権者であった裕仁が一切の演奏責任を負わず、他の多くの将軍、高級士官、高級官僚らは、負けた責任の一切を下に押し付け、手前らはノウノウとでかい面をしくさっているのだ。吉田 茂、岸 信介(晋三の祖父)らは、皆敗戦でアメリカに寝返った変節者である。正力 松太郎も然り。こんな下司共が、この「国」を牛耳り、その末裔がまた、大手を振って好き放題しているのが、この国、否、植民地である。安倍が現在行っている格差拡大政策もちょっと深読みすれば、貧乏人は兵士になるしか、這い上がる術が無い社会を目指しているからだろう、ということが見えてくる。
硝子の方舟

硝子の方舟

形態ZERO

サブテレニアン(東京都)

2014/03/28 (金) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

満足度★★★★

どこからきて どこへゆくのか 生きる意味は?
 何故、明るさや豊かさがこれ程哀しいのか? 我らは何処から来て、何処へ行くのか? 我らの生きる意味は? そも、意味など我らが生き続ける為に編み出した虚妄に過ぎないのではないか? 

ネタバレBOX

 余程愚かでない限り、ヒトたる者これらの自問を必ず経験して来たであろう。答えが出せないと、大抵ヒトは、追求することをではなく、問うことを止めてしまう。そして、何も無かったかのように、日常に埋もれてしまうのだ。然し、ここに問いを立てた者が居た。
 女は、彼との暮らしには何かが足りないと思い、男は、彼女を引き止められなかった理由を問うた。同じ屋根の下で、同じ時を過ごし、魂だけがこんなにも離れていた。問いは、残酷にもその理由を問うたのであった。
 いつかそれは、テーゼの形をして現れた。精神を縛るものとしての肉体を否定した。そしてそれは否定したまま、身体を持つ理由、即ち行為への関与については、口と頭を閉ざした。実際には、肉体を抱えたまま、それは出家という形を採らせ、修行という名の罠を伴わせた。
 実際、行われたことは、密室での洗脳であった。グルの沸騰の論理を、愚かな秀才達は、自分達に飛び越えられなかった壁を易々と越える高翔と見た。グルは、狡猾にも、既にこの時点で、己のオーダーに疑念を差し挟むだけの合理的・批判的精神を不純な心性として排除していた。
 この為、グルの精神の奥底に蠢いていた復讐心や世界に対する怯えが、肥大する自己肯定によって転倒。肥大し逆転した自己は、世界を滅することを正義に転化、終にテロ事件を起こすに至った。世間は殺人を含むこのテロ事件をテロであるとの報道や殺人という禍々しい報道から指弾した。
 然し、この作品のモデルになった事件は、そういった側面だけでは済まされない。何故なら、少なくとも宗教の仮面をつけているからである。無神論者の自分にとって、宗教は思想の取る一つの形である。そして、あらゆる思想は、そのオーダーを決めて仕舞った後は、唯一の展開として尖鋭化のみをそのベクトルとして本質を為し、論理のみでこれを負うならば、必ず死をものともせぬ潮流が現れる。「臨済録」でも仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、初めて解脱を得ん という表現が出てくるが、これを字義通り単純に読む愚か極まりない手合が出てくる可能性だってあるのである。まあ、臨済は無事の人に到達しようとして格闘した人だから、それが分かっていれば読み間違える気遣いは低いだろうが、零ではない。それが、ことばであり、論理であるからこそ、臨済録の中の別の個所では、言葉の限界を示してもいるのである。だが、この作品のモデルになった新興宗教のグルの到達点は、レベルの遥かに劣るものであった。出家信者達も、超越だの、肉体を滅して精神を追求するだのという初歩的な罠に掛かる程、愚かであったのも事実であろう。その点をキチンと指摘し得たシナリオである。
美しいヒポリタ

美しいヒポリタ

世田谷シルク

吉祥寺シアター(東京都)

2014/03/27 (木) ~ 2014/03/31 (月)公演終了

満足度★★★★

ミクスチュアの妙味
 社内恋愛禁止のアプリ開発企業で働く女子社員・パートと僅か3人の男性社員。その中には社長も含まれる。社長は現在妻と余り上手く行っていないとはいえ結婚しており、今年新入社員として入社した樺山は、お茶も満足に淹れられない、仕事は推して知るべしである。従って消去法で相手として選ばれる男性社員は、立枝一人。
 

ネタバレBOX

 さて、社内女子は、キャラクターデザインを担当している柊が、外注プログラマーの上杉と結婚するというので、盛り上がっている。皆で披露宴の演し物を検討するが、中々良いアイデアは出ない。そこで、皆に祝われて結婚し、自分も祝ってもらった経験を持つ、育児休暇中の柳田が案を練ることになった。社内恋愛禁止となれば、逆に燃え上がるのは、人の常。ホントを言えば、社長もバイトの子と浮気をしているとの噂だし、立枝を狙う女子は多い。そこに、社内恋愛禁止の原因となった、広告代理店を経営する社長の弟が絡み、恋愛文様は更に複雑に。
 ところで、この所、携帯の電波が殆ど届かない状態が続いているのだが、この状態は、新企画、占いアプリ担当の占い師には、頗る都合が良い。というのも彼女の占いは、良く当たると評判なのだが、その霊力は、ITと無縁の環境にあるらしい。彼女自身、電磁波に弱く頭痛を起こしたりするので、電磁波が届かない状態は頗る望ましいのである。
 このような状態は、妖精たちにも好まれるらしい。披露宴での演目が、A Midsummer Night’s Dreamに決まり、オーベロンとタイテーニアの夫婦喧嘩に絡んだ滑稽な話が、社内恋愛や多角関係と無い混ぜになって展開する。シェイクスピアの他の作品とのミクスチュアも前半出てくるが、中・後半は、このMidsummerである。で、結論的には、このミクスチュアが最も成功している。シェイクスピアのみならず、長科白の多い作家は、はなから受け付けない手合いが増えたようであるが、そうでない人には、この、現代と古のコラボは、可也上手く行っているとみえよう。
遙かなるカトマンズ

遙かなるカトマンズ

暴走乙女ライン

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2014/03/28 (金) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

満足度★★★

女子のホンネ
 暴走する乙女は、蕎麦と結婚した後、冴えなかった人生にさよならしようとするが、偶々、首に縄を掛けた瞬間、客としてやってきた五郎に救われるという形になった。

ネタバレBOX

 彼女は運命の人を待ちわびて37年もの間生きて来たのであり、運命の人の子を産みたかったのである。その運命の人は結果的に命を救ってくれた五郎ということになるのだが、これがとんでもない女たらし。彼女の同級生や、蕎麦屋のアルバイト大学生、五郎の妻や子供を巻き込んでクスリとさせられたりユルイ笑いを誘われたり、女子が男子に求めるものをホンネでちらりと示したり、と笑わせてくれる。五郎の妻が離婚届に判を押させに来た時、五郎の息子が、リコーダーを吹くのだが、曲がグリーングリーンである所が憎い。
 ちょっとだけ、大人の話をしておく。女子の望むものが、ラストの落ちに表れている。これホンネだろう。
 因みにタイトルにカトマンズが入っているのは、この店のそば粉は、ヒマラヤ産のそば粉を使っている為である。彼女が蕎麦修行をしている間に気に入ってこのそば粉で手打ち蕎麦を作り、供しているわけだ。
遠雷にも似た

遠雷にも似た

くロひげ

STスポット(神奈川県)

2014/03/28 (金) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

満足度★★★

老婆心
 子供の形態模写が良い。何より自然に子供に寄り添っている普段の姿が想像できるような確かな観察を基にしていることが一目瞭然だ。

ネタバレBOX

 ただ、ノラのようなタイプの女性ではなく、世間から期待される女性の範疇に留まって居る気はする。それが良いことか悪いことか一概には言えないが、それが合う人にとっては、それで良いのだとは思う。
 人は赤ん坊で生まれて幼児期に至り、子供時代、青春時代を過ごして大人になる。こんな当たり前のことの中に、多くの人は、忙しさ、しがらみ、数々の為すべきことに忙殺されて、何かを置いてきてしまったことを忘れる。
 好きだった音楽が何故、嫌になったか? ピアニカを鳴らす為の吹き口ホースにお母さんが名前を書いてくれるって言ってたのに、赤ちゃんができて忙しかったから、うっかり忘れちゃった! お母さん。それで、吹き口持っていかなかったら、いやな先生に、「吹き口が無かったら、演奏できないでしょ」って怒られて立たされて泣いた。でも、僕は、お兄ちゃんになるんだから、ちゃんとしなくちゃいけない。そう、何時も思っていると、学校に出掛ける時にお腹が痛くなる、小さかった頃のお父さん。山の一学年、三人の学校に通っていたお父さんが大好きだった先生は、音楽準備室で煙草を吸っていた。絵を描いていた。出来の悪い、でもチャンとしたい小さかったお父さんを、この先生は余り叱らなかった。遅刻した時も。きっと小さかったお父さんと同じで職員室が嫌いだったから。
 こんな感じで、誰もが忘れかけていた、幼い頃の思い出を湧きあがらせてくれる舞台だ。
 気掛かりは一点、F1事故で示されたように、この国の為政者に、現実を在りのままに評価し対応する能力は無い。逆に嘘で塗り固めて、再度、類似の事故を準備する有り様である。若狭湾の原発銀座などでも何十年も前から、大事故が懸念され、反対運動が続いているのだが、マスメディアで報じられることはない。F1事故を経験した我ら日本人で、現実を真正面から見る目を持った人々は、現在、未だ薄氷の上で大事故を免れている残りの原発群の周囲の命を恰も「末期の目」で見るように見ている。滅びを目前に見ている故に、其処に遊ぶ小さな命は、更に愛しく、最後の煌めきを放っているようにも見える。なぜなら原発が「止まって」いる。というのも本当は正確ではない。商業発電していないだけのことである。一度、点火された核燃料は、途中で消すことなどできはしない。制御棒を燃料棒の隙間に差し込んで反応を制御しているだけのことである。余り正確な比喩ではないが、車でいえば、アイドリングしている状態とでも考えて頂けると分かり易い。この状態で車のエンジンが止まっていると誰が言うだろうか? さらに、原発は、定期点検中であっても燃料棒は崩壊熱を出し続けるので水に漬けて燃料棒の熱を制御しなければならない。これができなくなれば忽ち、メルトダウンである。こんなに危険な核施設が日本中、至る所に作られてしまった。今、廃炉が決定されても、その作業にはなお数十年を要し、核廃棄物を何処に捨てるのかさえ決められない。誰が、こんな危険な塵を喜んで受け入れるものか! 
 ところで、ソ連が、チェルノブイリ事故後、一切の立ち入りを禁じた区域には、日本政府が、立ち入りを許したり、帰らせようとしている区域より線量が低い箇所がいくらもある。日本という国の為政者は、国民の命など歯牙にもかけないという事実は、何も今に始まったことではないことを、これ迄散々学んできたハズである。少しは、この阿保で、一切の倫理が欠如した下司共の正体を見、指弾すべきである。子供が傷つき、亡くなって最も傷つくのは母親である。そうなる前に、この「国」で何が起こっているのか、正確に見切る目を持って貰いたい。この柔らかい感性を持つ彼女達が、傷つき、後悔に苛まれることの無いよう、ちょっと厳しいかも知れないが、先に生きて来た者にしかできない予防注射である。
気狂い輪舞曲(ロンド)

気狂い輪舞曲(ロンド)

高襟〜HAIKARA〜

d-倉庫(東京都)

2014/03/28 (金) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

満足度★★★

構成にもう少し知的工夫が欲しい
 基本的にはダンスパフォーマンスグループということだろう。圧倒的に女性が多い。今回、2名の男性が、瀟洒なテーブルを前に腰掛けアンニュイな雰囲気を漂わせる深見 章代に飲食のサービスをしている。舞台客席側の緞帳の位置には紗が掛けられ、舞台奥の天井近くからダンサーが舞台に落ちてきては、転がっている。
(基本的に力はあると思うので、ちょっと厳しい評価をしておくが、指摘に納得したら克服して更に上を目指して欲しい)

ネタバレBOX

 この後、激しい動きが始まると同時に紗は下ろされ、ダンスパフフォーマンスが始まるが、この時、ダンサーの履いていた赤い靴が、センターを中心にしてシンメトリカルに並べられ、其々、一本の赤い線になっている所がお洒落である。ファロスのような筋を感じないでもないが、寧ろ、ストーリーよりは視覚的パフォーマンスを重視した動きと見た方が正解だろう。面白く感じたのは、ワイングラスに注いだワインを其々のダンサーが一口含んでは、シャンパンクーラーに吐き出すパフォーマンスである。その前に、イタリア語だろうか? の歌が歌われたので、ローマを意図したのであれば、ヴォトミラーを用意して美食に酔ったローマ市民を想起することもできよう。
 話が前後して恐縮だが、このパフォーマンスの前に歌われたシャンソンの歌い手、歌唱力は中々のもの。但し、フランス語をもう少し勉強して欲しい。動詞の語尾が無音になるのは、おかしい。eは、無声化する音ではあるが、その前にある子音は、キチンと発音するので、完全に音が消滅するわけではない。外国人である以上なるべく正確な発音を心がけるべきであろう。
 ワインパフォーマンスのインパクトが強烈だったので、その後のパフォーマンスには余程の強度が無いと、舞台が弛緩してしまう。例えば、マルキ・ド・サドの徹底した論理性を以て舞台を構成すべきであろう。別にパフォーマンスとしてSM的な演し物を演る必要は感じないが。強度を保つ為には、各要素のバランスを知的に配する必要があるのは必然である。
 出演ダンサーが皆踊りを楽しんでいるようであったことは、清々しくて良い。
人皮の本と舞い天狗

人皮の本と舞い天狗

劇団回転磁石

シアターシャイン(東京都)

2014/03/28 (金) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

満足度★★★

熱は感じる
 取り敢えず、時空の定かならぬ場という設定である。「奇病」が流行っているが、罹患者は誰もそれと気付かない。だが、その病に罹ると、目が霞み、口がきけなくなり、気短かになって陽光を嫌うようになるという。

ネタバレBOX

 たまねき博士の下にこんな話を持って来たのは頼朝と名乗る男。弟、牛若丸が罹患しているので診察して欲しい、と頼みに来たのだ。彼は、病をウツロと呼んだ。
 だが、どうやらウツロは、相当に流行っているらしい。そして、この病に掛かる者達に共通していたことは、総ての罹患者がある種の本に影響を受けているらしい、ということであった。そして、その本を入手した者には、一種の導師が、ゲーム感覚で洗脳を施すのだ。洗脳された人々は、内実を失い、形態だけを保つ皮膚のような存在になりながら、その内実を空虚な導師のプロパガンダに支配されるのだ。そして、自分達とは異質の実体を伴う者を見付けてはそれを異形の者と見做して排除しようとする。詰り、殺そうとするのである。彼らは、異形の者を天狗と呼び、天狗と呼ばれていたのは、牛若丸であった。
 ところで、頼朝が、成人してからの名であるのに対して、弟が牛若丸、と幼年の名であることは、恐らく、鞍馬山で修行したとされるその幼少年期の史伝の影響で天狗が出てくるのは、無論、牛若に教えた大天狗を表していよう。牛若は弟子筋であるから烏天狗なのである。
 まあ、この辺りのパズルは解けるのだが、たまねき博士と玉葱の関係、人の臭いと生命の系を為す象徴としての女性性というものの連携が普遍的な所で見えてこない。従って、牛若との関係も表層に留まる。役者陣、関係者の熱は感じたが、もう少し、民族の古層に分け入り、鋭いメスを揮って欲しい。
無惨なメデイアの詩

無惨なメデイアの詩

一般社団法人 日本演出者協会

タイニイアリス(東京都)

2014/03/27 (木) ~ 2014/03/30 (日)公演終了

満足度★★★★★

メディア
 は無論、エウリピデスの「王女メディア」である。当然、誰に理解されることも無く己の信じる道を歩む。舞台美術が物語の本質を捉えて実に巧みに象徴的に作られており、字幕の位置も、よく考えられ読みやすい。今まで、タイニイアリスで観たどの舞台の字幕より読みやすく、文字サイズも適当であった。シナリオ、演技、演出、美術、音響、照明どれも素晴らしいの一言。必見の舞台である。(追記後送)

あやしい、人たち

あやしい、人たち

劇団ハッピータイム

阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(東京都)

2014/03/21 (金) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★

細かい点に整合性を持たせて欲しい
 詩人は、大抵宇宙人である。有名な所では李白。彼の母は、太白(金星)を夢見て懐妊したと言われている。デビッド・ボーイが真正な詩人と言えるかどうかは疑わしい所だが、彼も自分は宇宙人だと言って話題になったことがあった。因みに自分は、無論、宇宙人である。
 地球人の振りをしているが、本当は宇宙人という者が結構、地球上には暮らしているというのが、この話の前提である、かどうか。

ネタバレBOX

 兎に角、気付くと、病院に居た大地は、ライトノベルの作家であり、1カ月もの間、昏倒していたのだという。医師の診察過程で、大地の失われていた記憶が徐々に蘇ってくるが。彼の症状は薬物依存であり、それもかなり酷い状態であった。然し、彼に、麻薬をやった意識は無い。だが、彼の吸っていた電子煙草には、脱法ドラッグが仕込まれていたのである。脱法ドラッグは、化学的には、麻薬に近いものの、僅かに成分が異なる為、法的には、麻薬指定されていない。その為、麻薬の代替物として出回っているが、どのような結果を齎すかハッキリしないケースが殆どである。それもそのはず。麻薬の場合は、その製造に国家が関与することも結構あり、散々、今迄の症例があるから、凡その結果予測はつくのだが、脱法ドラッグの場合は、無論、治験データがあるはずもなく、症例といっても正確な因果関係を把握できるようなデータが追えるとは限らない。現実には殆ど、無理であろう。
 ところで、大地の住まいには、ワームホールの出入口があった。彼の父は、研究者で、終にワープの原理を発見したのだが、実験中に誤って土星へ移動してしまったのである。妻と娘ともども。大地が、家に帰った時には、父母、妹は跡かたも無く消え、今迄其処に居た、という痕跡があるばかりだった。13年前のことである。
 だが、暫く前から、この住処も賑やかになっていた。火星、土星、天王星などから宇宙人がやって来たからである。いつの間にか、妹も戻っていた。おまけに大地は近いうちに結婚するつもりである。相手は、矢張り宇宙人! だが、地球で生まれ、或る程度の年齢迄は地球で暮らしていた。家事等をしてくれているが、結婚までは、清い関係でいよう、と聖人のような誓いを守っている。
 こんな暮らしも、脱法ドラッグの治療中に、偽装が剥がれて真実を表してくるが。妹ルナは、実は、土星のストリートチルドレンの一員で、警察に追われて逃亡しこのワームホールから出て来たのであり、土星人の中には、暗示によって、相手に自分の思い通りの暗示を掛けることができる能力をもった者がいる。ルナはそのような少女であった。で、大地に暗示を掛けたのである。婚約者、サリナも土星から犯罪者を追って来た公務員で、彼女こそ、大地の本当の妹であることが暗示される。火星人は、実は、土星の麻薬取締官。天王星人は、矢張り、土星の悪徳警官等々、話は一気に、刑事物的な要素を帯びる。
スリアのにくの鏡

スリアのにくの鏡

UDATSU

小劇場 楽園(東京都)

2014/03/20 (木) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★

不思議とドグラマグラ 直接的な関係なし
 マッド ハ ッターは、「不思議の国のアリス」に登場する帽子屋を原型に持つ。原作をドッジソンが書いた頃のイギリスでは、帽子を作るフェルトを加工する工程で水銀を使っていた。帽子屋は、その際、気化した水銀を吸い込んで、脳の収縮など水俣病に似た症状を持つ者が多く、奇矯な行動をとる者も多かった為、マッドパーティーに出席する資格を与えられているのである。三月兎は、野兎の雄で、春、発情期の兎だからマッドパーティーに参加している。今作では四月兎になっていて、女性が演じているが。原型は、無論、マッドパーティー参加の三月兎である。で、このマッドパーティー組が、狂言回しをしているわけだ。

ネタバレBOX

 ハ ッターは、”シュレディンガーの猫”を簡略化した説明で、量子力学の問題を一種の不可知論に転化して、その後の催眠誘導の導入を容易なものにしている。
 催眠を掛けた後には、術に掛かったことを前提に物語が進んで行く。内容的には、玩具による世界制覇を目論む玩具メーカー社長が悪魔の力を借り、息子の仮面ライダー隆起をも利用して、アリスや支援者達が、壊し掛けた計画を遂行しようとするが、アリスと13年前に失踪してスリアになっていた姉、テレスは、黒魔術を使う黒山羊から、別の悪魔の力を得、社長と対決。彼に勝利する、といった他愛ないものだ。
 ハ ッター役の安見 謙一郎の演技は光るが、若手は力不足。客演している役者は、そこそこの力を出しているが、人数をもう少し絞って若手に実力派を起用すると、更に良くなろう。
部屋の中

部屋の中

梅パン

遊空間がざびぃ(東京都)

2014/03/20 (木) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★

鵺と八分
 ホテル火災時に閉じ込められた客を救出して英雄になった男を通して、表層では、ヒーローのイメージと理想のヒーローとは何か? その役割は? を問うた作品。
 人の役割という外部規制を、個人を構成する主体的イデオロギーの上位概念として置くことによって、個人の主体性とその責任を無化し、集団の鵺的価値観によって他人を裁く、村八分の構造を描いた日本的作品ととると非常に面白い。(追記後送)

パラノイアショー op.143

パラノイアショー op.143

hi-pine company

非公開(集合場所:中野駅南口)(東京都)

2014/03/20 (木) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★

奇を衒っても
 パフォーマンス、科白、シナリオ、全体の構成等のレベルは低い。滑舌は悪いし、間の取り方やギャグセンスも、とってつけたような不自然さが目立つ。計算してやっているとは思えない。闇。見ている外側の というサブタイトルだか、劇団コンセプトだか、グループ名だかよく分からない表記も、明暗の加減で調整して見せるだけで、何ら新規なコンセプトも無ければ発明、発見も無い。とってつけたような闇に対する命名があるにはあったが、中途半端である。できれば、強い光を見続けた結果の闇、のような鋭い切り込みが欲しいが、そのような鋭さは、何処にも無かった。

ネタバレBOX

 凡庸。
男の60分 -2014-

男の60分 -2014-

ゲキバカ

王子小劇場(東京都)

2014/03/19 (水) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★★

タイトルは60分だけど80分くらいはあるよ
 母の通夜、久しぶりに劇作家は故郷に帰る。変わったことと変わらなかったこと。弟が、母の棺に入れようと思う、と纏めた母の荷物の中から、小学校6年の時に書いた作文が出てくる。母は、長男の作文をとっておいてくれた。その作文を読み返すうち、作家は、小学校時代に戻っている。

ネタバレBOX

  大阪の小学校へ転校する迄、兄弟は東京で暮らしていた。移ったばかりの兄弟は、山の上に広く平らなスペースがあるのを見付けてキャッチボールをしていたが、地元の、此処を根城にしているグループと喧嘩になる。だが、互いによく戦い、仲良くなった。兄と弟のクロ、秘密基地リーダーのもじゃお、泳ぎが一番の河童、トタン屋根の家に住んでカッパライをやっているトッタン、焼肉屋の息子、コチュジャン、スポーツ一家に生まれながら、どういうわけか一向に芽の出ないケーの7人だ。
 様々な遊びをするが、問題も起きる。コチュジャンと遊んじゃいけない、という親が居て、訳を問い質すとチョンだからだ、との答え。言っている本人も、皆もその意味が分からない。分かったのは、コチュジャンだけだった。彼は、「言うなよ」と念押しして、自分は在日朝鮮人だと明かす。だが、仲間にはどういうことを意味しているのか分からなかった。然し、コチジャンが、辛い物が嫌いで本当は、この綽名も好きではない、ということを告げると、皆で新しい綽名を考える。この辺り、在日少年のアイデンティティーの問題と差別の問題が絡んで実に見事である。兄弟の母の対応も素晴らしい。コチュジャン改まりカルビクッパの話を聞いた母は、日本食も韓国料理も好きだ、と言い、「カルビクッパと一番仲の良い友達になるのよ」と兄弟に諭すのだ。
 また、時化の日、近くを流れる糞川が氾濫を起こしそうになっているのに、泳ぎに自身のある河童は、皆の制止を振り切って飛び込んだ。向こう岸に近付いた所で流れて来た流木に当たって流される。子供達は必死に救助し九死に一生を得たが、河童は足に大怪我をして、オリンピックを目指すどころでは無くなってしまった。彼の母は、遊び仲間の所為だと言いふらし、子供達の親の下にも捻じ込んできた。おまけに、河童には、それまでの仲間とは遊んではいけない、と命令したのだった。その為、河童は女の子達とままごとをするようになり、仲間を見掛けると逃げるようになってしまったが、本当は、仲間と遊びたかったのだ。皆と遊べなかった理由を聞いた仲間は、河童も仲間になって遊べるケンケケンパ等をして遊ぶ。
 ケーの話もあるが、これは、伏せておこう。観てのお楽しみである。何れにせよ、差別だの、アクシデントだのと実際、子供達の暮らしの中で起こる深刻な問題を、キチンと織り込んで真正面から適確に捉え乍ら、勘所を掴んで正確に見据え、その後の子供達の人生展開の中にも、子供時代の体験をキチンと納得の出来る形で織り込み乍ら、人の世の暖かさもさりげない科白で見事に表現している。
 役者陣の鍛錬された体、そこから生まれる爽やかでスピーディーな演技も美しい。

Gangster Report

Gangster Report

劇団スクランブル

「劇」小劇場(東京都)

2014/03/19 (水) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★

意味なしの意味
 敢えて人間臭さを排除しているようにも思える突っ張りは、単に若気の至りという気もする。ホントにツッパルなら、酸いも甘いも噛み分けた上で、ダンディーであって欲しいものだ。

ネタバレBOX

 舞台の作りにも上で指摘したことが見て取れた。凄惨な内容であるにも拘らず、細部を構築できるような構えも無ければ、覚悟・姿勢も無い為、特殊メイクなどのクリエイターが、本物を見て気付かないなどという、まるでリアリティーの無いことを、それも、話の中心になるべき証拠物件に関して平気でシナリオ化してしまう。これは鈍感を通り越して、唯のまやかしだ。内容的に薄いので、笑って観ていられるということはあるが、ちょっと寂しい。
ショパンの馬鹿!!!~別れの夜~

ショパンの馬鹿!!!~別れの夜~

劇団東京イボンヌ

ワーサルシアター(東京都)

2014/03/18 (火) ~ 2014/03/23 (日)公演終了

満足度★★★★

天才たち
「別れの曲」はどのようにしてできたのか? に関して、東京イボンヌは、こう解釈した。映画でも「別れの曲」についての佳作があるが、東京イボンヌは、全く異なるシチュエイション、発想で今作を創造している。それも劇団初の「喜劇」という形だ。無論、劇団の特徴である、生演奏、声楽家の歌が劇中に鏤められる形式は、今回も健在だ。
 史的には、ショパンをパリ社交界に紹介したのは、作家のジョルジュ・サンドである。恋多き女として、また、作家として当時の社交界の華であったサンドのゴシップについては、サンドについての研究書を読んで頂くとして、自分が読んだ、「愛の妖精」からの印象で述べると、かなり真っ直ぐな女性であったとは思う。然し乍ら、当時のフランスは社交界に於いてすら、まだ、ボンサンスは判断であるより、日本語に訳された時の良識に近く、堅苦しい、他所行きの、男性的価値観中心で、女性を縛るものであったことは否めない。そんな状況で、既に結婚もし、子供もありながら、様々な芸術家らと浮名を流すサンドは、格好のゴシップネタであったことも事実であろう。因みに、日本とは全然違って、ヨーロッパでは、所謂セレブのゴシップネタを専門に報じるメディアが存在するので、名門貴族や王族ともなれば、色恋の噂を立てられるのは、当たり前のことなのである。ダイアナ妃が、亡くなった時にパパラッチのことが、日本でも話題になったが、背景には、民衆が、革命を起こして王制を倒し、共和国なり立憲君主制なりを実現してきた歴史があるのは、無論のことである。
(追記後送)

現代能楽集 初めてなのに知っていた

現代能楽集 初めてなのに知っていた

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2014/03/16 (日) ~ 2014/03/31 (月)公演終了

満足度★★★★★

能と無意識の冒険による身体の存在感
 燐光群の作品は、ハシムラ東郷以来十作以上を拝見しているのだが、無意識を敢えて舞台化した今作、最も、能に相応しい舞台になっているのではあるまいか? 能を良くご存じの方々には、教科書的と見られる部分があるかも知れないが、現在、小劇場演劇を観る観客の多くは、能や歌舞伎の舞台を殆ど観ていないのが実情である。無論、小劇場でも数多く演じられる、三島 由紀夫の近代能楽集のうちの何本かは演劇ファンの多くが観ていようが、本格的な能を観ている観客は、矢張り少ない。
当然、前提となる知識が不充分という実情がある。歌舞伎にせよ、能にせよ、前提となる知識なしに分かる程単純な芸能でもあるまい。第一、科白の言葉や表現法が違う。舞台の様式も異なれば、表現に対して、観る側の反応もまるで異なる。能では、終演後、拍手などは一切しない。唯、観客は現実に戻るだけである。元々、其々の芸能の生まれた状況、も社会システムも異なるのだから、そんなに簡単に分かるわけも無い。一方、優れた芸術作品というものは、その根底に深い人間への洞察が必ずある。その深さや鋭さが普遍性と呼ばれるものの正体だろう。何れにせよ、本作は、無意識の分かり難さを追求する中で、演じている役者個々人が、何かを体得してゆくような、身体のリアルが秀逸である。その為、妻が夫に言う科白、「ちゃんと迷ってください。ほんとうにご自分を見失ってみないと私を見つけることはできません」という言葉が生きてくるのだ。ところが、この夫は、死んでいるハズなのである。更に、デジャビュに対する差別と癩に対する差別が重なってくる。その差別の中で、見えなくされてきたものを、今作は掘り返している。その掘り返し作業が、何処ともハッキリはせぬ、瀬戸内海の小島、歴史的に其処に閉じ込められ、断種手術迄強制された歴史と実際には、其処までの差別はなかったであろうが、その能力の程度次第では、軍事に利用されかねないエスパーとしての恒常的デジャビュ体験者を重ねることで、想像・創造される世界を、能の持つ結界によって可視化した身体運動として提示した所に、この舞台の凄さがある。

流れゆく庭-あるいは方舟-

流れゆく庭-あるいは方舟-

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2014/03/06 (木) ~ 2014/03/12 (水)公演終了

満足度★★★★★

「植民地」為政者の裏切りと阿る馬鹿
 水から少しずつ熱を加えられて茹で上がってしまうカエルの話があるが、基本的にはアレ。どんなにカシコぶった所で所詮、一般的な人間の頭脳など、その程度のもの。F1事故の3年前に初演という作品で、或る意味予感していたような部分がある。だが、この「国」の為政者の無能は今に始まったことではない。無能という表記はこと為政者に限っては間違いで無脳と書いた方が現実を映している。ハッキリ言ってそういうレベルだからだ。パニックを恐れて云々抜かす前に、己を知れ、と言いたいが無脳な相手にそれを言っても意味が無い。まあ、そういう連中を「お上」と押し頂いて自らの主体性を誤魔化すことに夢中な大衆も無論、悪い。天災は、そのことを気付かせる為に起こったのかも知れない。だとすれば、この作品は、この後起こった人災に対する天才的な警告だったわけである。
 色々な意味で面白い。

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