満足度★★★★
天才たち
「別れの曲」はどのようにしてできたのか? に関して、東京イボンヌは、こう解釈した。映画でも「別れの曲」についての佳作があるが、東京イボンヌは、全く異なるシチュエイション、発想で今作を創造している。それも劇団初の「喜劇」という形だ。無論、劇団の特徴である、生演奏、声楽家の歌が劇中に鏤められる形式は、今回も健在だ。
史的には、ショパンをパリ社交界に紹介したのは、作家のジョルジュ・サンドである。恋多き女として、また、作家として当時の社交界の華であったサンドのゴシップについては、サンドについての研究書を読んで頂くとして、自分が読んだ、「愛の妖精」からの印象で述べると、かなり真っ直ぐな女性であったとは思う。然し乍ら、当時のフランスは社交界に於いてすら、まだ、ボンサンスは判断であるより、日本語に訳された時の良識に近く、堅苦しい、他所行きの、男性的価値観中心で、女性を縛るものであったことは否めない。そんな状況で、既に結婚もし、子供もありながら、様々な芸術家らと浮名を流すサンドは、格好のゴシップネタであったことも事実であろう。因みに、日本とは全然違って、ヨーロッパでは、所謂セレブのゴシップネタを専門に報じるメディアが存在するので、名門貴族や王族ともなれば、色恋の噂を立てられるのは、当たり前のことなのである。ダイアナ妃が、亡くなった時にパパラッチのことが、日本でも話題になったが、背景には、民衆が、革命を起こして王制を倒し、共和国なり立憲君主制なりを実現してきた歴史があるのは、無論のことである。
(追記後送)