各団体の採点
「ここがわからないと物語の流れが分からない」部分がすべて外されたジェンガのような作品。観終わっても、フラストレーションが解消されずにもやもやが残る。でも、実社会でも、どう考えても不倫しているけど証拠だけがないとか、付き合っていたことをおくびにも出さずある日突然社内結婚して周囲の度肝を抜くカップルとか、なぜかものすごい嗅覚を持っていてみんなの秘密を全部知ってる地味系女子がいたりする。それくらい、人間のエロティックな部分は謎に満ちていて、明かされない。だから、この物語のあらすじが全部わからないのは、ある意味で当たり前なのだ。官能は想像すること。もっと知りたいと思うこと。わからなくてじれったいと思うこと。それこそが、喜安浩平のつくりたかった世界なのではないか。そう考えると、この『スケベの話?オトナのおもちゃ編?』は、きわめていやらしい遊び心に満ちた、タイトルどおりの作品だったように思う。
しかし節度を感じたのは女優陣の品の良さである。色っぽさを全面に押し出す場合、いやらしさが鼻について興ざめすることがあるのだけれど、そうならないギリギリの、まさに果物のいちばんおいしい部分だけを並べたような、ため息が出るほど美しく制御された演技だった。
舞台はいつの時代か、どこの国かもわからない軍隊の上層部の話。軍の中での駆け引きは、忍び寄ってくる戦争のため……? そんな時でも愛欲を捨てられない人間のどうしようもなさ。ナンセンスなコメディに見せかけて、実は人間の業の深い深いところに、タッチしようとした作品ではないだろうか。
直接的な表現をせず、あくまでいやらしい妄想をかき立てる会話や言葉を駆使して<スケベな話>を展開させるという、大人の趣向に満ちた戯曲/セリフ術が職人的で好きでした。その<微妙さ>を表現する役者陣の力量も高いと感じましたし、チャーミング。特に、出演場面できっちり笑いを取った永井幸子さんが印象に残りました。そういった曖昧さを愛でるシャレた作品だけに、上演時間が長く、冗長に感じました。
劇場入り口側と奥の2方向から舞台を挟む対面式客席で、舞台はとある豪華なお屋敷の中庭。敷き詰められた緑の芝が目を引きます。アクティングエリアが小さく見えて、閉じられた世界の遊戯を覗き見するような気分になれました。
セリフは明晰に発語されるし、演技の方向も明快なので、会話の内容は理解できます。ただ、起こる事象には裏があり、それが隅々まで明らかになることがありません。パンフレットにも書かれていたように「曖昧であること」をテーマにした作劇方法だったようです。出来事の真相にあたる部分を敢えてそぎ落とし、謎を抱えたまま物事が進む群像劇でした。
登場するのは軍人とその妻や家族、そして使用人などで、服装や態度で上下関係がはっきり示されます。タイトルで一目瞭然ですが、私の予想を上回る卑猥さで、そこまで露骨に性的な描写をする意図は何なんだろう…と考えたりもしました。でも、散りばめられ、明かされない謎たちのおかげで、好色を指すスケベ(助平)なこと以外の、色んな可能性を考える時間にもなりました。
出演者は17人と多い目で、そのうち客演は4人です。ほとんど劇団員で構成された座組みですが、演技の質感や作り出される空気に一貫性は感じませんでした。たとえば、敢えて空けた間(ま)なのか、ミスで時間が経ったのかが判別できないなど、私にとってはバラバラと言っていい印象でした。有料パンフレットによると、脚本中心にして統制を取るよりも、俳優それぞれの体のあり方を重視されたとのこと。集約より拡散を狙ったのかもしれません。
サルマン中佐(喜安浩平)の白髪の母親サーシャ役の永井幸子さんは、ドキっとするような際どいセリフを、とぼけた演技でスコーンと真っ直ぐ伝えてくださるのが痛快。声も小気味よく響きました。
シェパード少佐役の西山宏幸さんはさすがに歌がお上手で、耳に嬉しい歌声を聴かせてくださいました。
喜安浩平さんが長いセリフを一人で静かに語る場面があり、堂々としている割に内容が支離滅裂で可笑しかったです。喜安さんはどんな空気を作ろうとしているのかが、体と声からはっきり伝わる演技をされるので、存在感も大きいです。作・演出を担当されているせいもあるかもしれません。他の俳優との差が気になりました。
上質というか、少しシュールな世界観が堪能できて面白かった。描きすぎず想像させる部分もそうだが、なによりセリフの精度が素晴らしかった。
初心者には内容を理解するのは少し難しかったですですが、きれいな女優さんが多い華やかな劇団で楽しかったです。