最新の観てきた!クチコミ一覧

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ガラスの動物園

ガラスの動物園

シス・カンパニー

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2012/03/10 (土) ~ 2012/04/03 (火)公演終了

満足度★★★★

追憶の・・・
観たかった立石さんが本当に素晴らしい。
瑛太は今まで観た舞台の中でも一番良かった。
最初は違和感を感じる程過度な演技に思えた深津さんは、鈴木さんとの2幕で魅力爆発。
演出の良さと役者4人の力が余すところ無く発揮されて成立した見事な空間に引き込まれた。

それにしてもこの作品、観劇途中でほんの少し見知っている作家の背景を思い出し苦しくなる。

姉のローラの行く先を思うと本当に哀しくなってしまった。

NMSグレイテストヒッツ

NMSグレイテストヒッツ

石原正一ショー

こまばアゴラ劇場(東京都)

2012/03/21 (水) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

林檎
「幸福論」と言えば、椎名・・と思ったら、石原氏はなぜか福山と言う。
(脚本家は前者)

・・なるほど、それは化学反応して、素晴らしい作品になるわけだ(笑

福山+林檎・・?

ポップ(というほどのポップでなし?)にあまり明るくない気がする自分
(・・でも、昨夜観たRAZIKAはかなりポップ(ベルゲンの、だけど)だったなぁ・・)
でも、これはなかなか、と思ってしまう。

自分は、初演は観てないのだけど、
相方の役者さんは、自分が以前から大好きな岸潤一郎さん・・。
石原正一ショーでは、「ボーボボボ坊っちゃん」で以前出てたなぁ・・たしか。

端役とかじゃなくて、もっと堂々とした主役で、
あの味が観たくてたまらないのですが、
この2人芝居では、
岸氏の独特な雰囲気がしっかりと間近で見られて、
なかなか楽しめました。

先週観たのですが、
きょうも休みが取れたので、
これから、もう一回アゴラに観てこようかと・・。

観てきた、でかつ観たいでもあります。

脚本家の方は、以前から、暗闇の漁村の風景などを描くのが非常にうまくて
(巧み、というよりかは、パラ定に、ずっしり感があるところが、ちょっとだけ似てる気がします)
以前から気になってた方。

この風変りな男役者二人に、合わせたかの様な、
・・いや、違うな、むしろ二人が作者の世界に寄り添ったかのような。
不思議な三者三様の色が舞台の上で混じり合うのを見るのは、
なかなか素晴らしくもあり。

男子はほっておくと、軽くなって風船みたくとんでっちゃうから、
あんな重りみたいな作品で地面にくくりつけられて、

それでも風に揺れて、苦しみ、動き、ぶつかり、

やがて自分だけの世界をそこに見付けだすさまを眺めているのは、
なかなかに眩い体験でもあり・・(苦笑

季節のない街

季節のない街

Co.山田うん

J:COM北九州芸術劇場 小劇場(福岡県)

2012/03/24 (土) ~ 2012/03/25 (日)公演終了

満足度★★★★★

狂おしくも切なく
 そもそもダンスの公演を言葉にすることは普通の演劇に比べてもはるかに困難なことだが、山田うんのそのオリジナリティを、到達点の高さを、いかに表現すればよいか、考えるだに、これはもうお手上げと言わざるを得なくなる。
 山田うんのダンスは、これまでのどのダンスとも違う。過去の様々なダンスの影響を受けてはいるのだろうが、それをいったん解体し、一つの題材を表現するのに最も適切な振り付けを瞬時に選択し、組み合わせていった、そんな印象を受ける。
 緊張と解放が演劇のカタルシスを生むものならば、それが山田うんのダンスの中には凝縮されているし、常に断続的に異化作用が施され続けて一つの流れを作り出している、そんな気もしてくるのである。
 と、何とかその本質を掴まえようとしても、言葉は抽象化するばかりだ。「すばらしかった」とありきたりな一言で済ませてしまった方がよっぽどマシな気すらしてくる。

 しかし、これだけは明言できる。ダンサーたちが演じていたのは、たとえ言葉は一言も発せずとも、紛れもなく山本周五郎の原作『季節のない街』に登場するあの懐かしい人々なのだと。

ネタバレBOX

 映画監督・黒澤明は、生涯に三本の山本周五郎原作による映画を残している(『椿三十郎(原作『日日平安』)』『赤ひげ(原作『赤ひげ診療譚』)』『どですかでん(原作『季節のない街』)』)。
 山本周五郎が原作を提供するに当たって、黒澤明に語った言葉が「私の小説は映画にはならない。およしなさい」だった。
 周五郎文学は、ヒューマニズムで括られて語られることが多いが、子細に読んでいけば、そんな単純な見方ではすまないことが知れてくる。『季節のない街』の登場人物たちも、電車ばかの六ちゃんは痴呆症だし、京太は実の姪のかつ子を妊娠させてしまうし、乞食の父親は息子を死なせるし、平さんは心を壊したままだ。悲惨なエピソードも決して少なくない。よろずまとめ役のたんばさんの話ですら、「それで終わりにしていいのか」という疑念を読者に残している。
 ウィリアム・フォークナーの影響もあると指摘されている周五郎文学は、基本的に“渇いて”いるのだ。そしてそれは周五郎のリアリスティックな筆致によって生み出されているもので、確かに映像化する時に往々にして雲散霧消してしまう。『どですかでん』には“余韻”がなかった。

 黒澤明をもってしても、映像化は困難だった原作を、山田うんはいかに舞台化したか。
 ダンス・パフォーマンスであるから、もちろん台詞は殆どない。小説の台詞は一行たりとも使用していない。舞台に登場する十数人の演者たちは、よくこのようなポーズを人間が取れるものだと驚くばかりに身をくねらせ、屈伸するかと思えば反り返り、飛び上がったり床をのたうち廻ったり、一人孤独に佇むかと思えば他者とねちっこいほどに絡み合っている。
 それはまるで、自らの関節と筋肉を酷使すればするほど、何かから解放されると信じているような、奇妙だが切実なダンスだ。

 一人一人の動きを観ていると、そこに自然と「ドラマ」が浮かび上がっていることが感じられる。
 恐らくは誰かからいじめられている可哀想な子どもがいる。その子を優しく包んであげている“仲間”がいる。一人の女を取り合っている男たちがいる。女は男達を翻弄して喜んでいるようにも見えるし、逆に戸惑っているようにも見える。「ああ、ああ」と声にならぬ声を上げる“狂人”もいる。ギターを持って、フォークソングを奏でる若者もいる。鍋ややかんをちんちん叩いている連中は乞食だろうか。彼らの衣装はどれも簡素なもので、どんな人物であるかはいかようにも想像が可能だ。
 彼らの中には、『季節のない街』に登場する人物らしき人間は誰もいない。「どですかでん」の六ちゃんも、夫婦交換のカップルも、顔面神経痛の島さんも、子だくさんの父ちゃんも、それらしい人物は見かけない。しかしそこは原作通りの「奇妙な街」であり、そこにいるのは「奇妙な人々」である。肇くんとみ光子さんも、倹約家の塩山一家も、きっとどこかにいるのだろう。
 この「どこかに」、「あなたに(私に)似た人」がいると感じさせることができていることが「演劇」なのだ。
 
 そして舞台には、踊り狂う彼らを静かに見続けている「普通の人々」もいる。彼らはその街の「通りすがり」で、ただそこをチラ見しながら移動するか、一休みするかだ。しかし彼らが我々観客の“もう一つの目”となることで、観客は街の人々の、無数の喜びと哀しみをより切実に想像することが出来るようになっているのだ。
 そして、ベートーベンの第九交響曲「歓喜の歌」。
 フルオーケストラで演奏されるその曲が、街の人々の「魂」を歌い上げる。この歌を彼らのために歌っているのは「我々」だ。彼らの中に偉そうな上流の人々は誰もいない。どこかの小さな街の片隅で、世の中の動きとも政治とも大事件とも無関係に、歴史の流れから取り残され、細々と暮らしている庶民たちの姿であり、「我々」なのだ。
 それは原作がそもそも持っている力であるが、山田うんが、「原作から離れることで」、原作に肉薄することが出来た、稀有の手法によるものである。

 アフタートークで、山田さんの演出が、「粘菌」にたとえられていたのが面白かった。粘菌には頭脳がないが、迷路における最短距離をなぜか選択できてしまう(マンガファンは『もやしもん』参照のこと)。
 山田うんの頭の中にも、常人には分からない「粘菌ルート」があって、それがこのようなオリジナルのダンスを生み出していくのだろう。彼女の舞台に接することが出来た幸運もまた、観客の直観によるものであるとすれば、我々にも「粘菌ルート」があると思っても構わないだろうか。
まあまあだったね。

まあまあだったね。

あひるなんちゃら

OFF OFFシアター(東京都)

2012/03/02 (金) ~ 2012/03/06 (火)公演終了

看板に偽りのない駄弁芝居
喫煙所の何でもない会話を、
喫煙せずにやるというのが画期的ですね。
吸えないイライラ感もよかったです。

うれしい悲鳴

うれしい悲鳴

アマヤドリ

吉祥寺シアター(東京都)

2012/03/03 (土) ~ 2012/03/11 (日)公演終了

乱れない乱舞がきれい
20人くらいの人たちが常にあっちこっち動いているんだけど、
すごく美しかった。

演出のセンスと根気がないとやれないと思います。

吉祥寺シアターはじめてでしたけど、いいですね。

貧困と愛と世界の平和について

貧困と愛と世界の平和について

village80%

ぽんプラザホール(福岡県)

2012/02/10 (金) ~ 2012/02/11 (土)公演終了

みせる悶々
若い人達の悶々が、悶々としたまま舞台に提示されていた。
舞台上に散乱した雑多なものがいい感じ。
思春期に見たらまた感じが違うんだろうな。

魚のいない水槽

魚のいない水槽

スポンジ

サンモールスタジオ(東京都)

2012/03/23 (金) ~ 2012/03/27 (火)公演終了

満足度★★★★★

衝撃的
ごくごく普通の美容室を舞台に物語りは日常を基点として始まる。この舞台は私にとって決して忘れられない舞台だった。

正直なところ、好き嫌いが分かれる舞台だとは思う。共感可能かどうかも観客間で意見が割れるはずだ。しかし、本当に心に残る舞台というのはそういうものなのではないか。

思うに「魚のいない水槽」という舞台はじりじりと一人の人間を少しずつ追い詰め、壊してしまう恐ろしさが同居する異様な世界だ。そして極度に対比する人間関係のおぞましさは、本当に怖いのは人間なのだと主張する物語だった。

いないかもしれない 静ver.

いないかもしれない 静ver.

青年団若手自主企画 大池企画

アトリエ春風舎(東京都)

2012/03/26 (月) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★

静かな物語を魅せた60分
大池さんの作品は初めてでしたが、まるで平田オリザさんの作品を思いだすような会話劇でした。表現としてはまあまあでしたが、使い方は、ちょっと派手でしたが、大池さん特有な使い方だったのでしょうか。

ストレンジャー彼女

ストレンジャー彼女

tsumazuki no ishi

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2012/03/28 (水) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

無題345(12-088)
19:30の回(晴)。18:40会場着受付(整理券あり)、19:02開場。中央に四角い舞台、壁面に沿って四方が客席(椅子&ザブトン)。舞台、斜めにテーブルと小さな椅子(10脚?)。ポジションがほぼ固定されているので座る位置によって役者さんを正面から見るかどうかが決まります。奥の「上座=入り口から一番遠い」に大高さんが座ります。入って右、奥(壁に沿って1列)ですと女優陣(たぶん)、左ですと男優陣がみえます。入り口側はこの部屋への「入り口」にもなっているので背中のシーンが多くなるのではないかと思いました。私は左でしたので、亜矢乃さんは目の前でも、後ろ姿か横顔。そのかわりテーブルの向こうに座っているこどもたち「4人」の表情などはよくみえます。なお、こちら側、1列目と2列目は同じ床面にイスがあるので2列目に座ると完全に前の人に被るのでみにくいのではないかと思います。

さて、場内をみわたしますと、薄暗く、工事現場のように壁面にはパイプが組まれ、青いビニールシートで覆われ、赤いコーン、電線、足場のようなもの、放置された「跡」のような状況。四角い舞台、周囲には細い鉄骨のようなものが(人が通ることができる間隔をあけて)何本も立てられ、リングのような趣。その外側を役者が通れるようになっていて、各辺に蛍光灯...「蛍光灯にご注意を」という張り紙がありましたが点けられるわけではありませんでした。

19:33前説、19:35音楽..大きくなって、凄い騒音。亜矢乃さんつながりで見に来ました(前作も)、21:40終演

ネタバレBOX

座っている異様な人たち、テーブルの上では首をつっている男、床にだれか倒れている。ビールにコップにつまみ。寒々とした、ここは工事が中止されたタワーマンション、エレベータの中(?)、魔の区画らしい。 

さて、「ボディ・スナッチャー」か、人体(dead or alive)を借りて、地底から現れる種族(と称する霊媒者なの?)...、殺されたこども、かつての殺人鬼、殺人願望の女、洗脳されないけど共にいる女...が何をしているのか、がわかりませんでした。で、???それで???だからさ???が続きました。前作も同じといえば同じようなものだったように思うのですが、今回は、動きが少なく、視覚的に淡泊だったので、のめり込むことができなかったのだと思います。でも、面白くなかった、というのではなく...モヤモヤ...もやもやっと。

最後は、借りたボディにエネルギー補填なのかご飯とみそ汁、倒れてゆくボディ。
「説明」を読まずに書いてます…先に読んだほうがいいのか…芝居の中でチャンとわかればいいし、わからなければそういうものだということにしてます。

とみやまさん「女王の器」でしたね。
当パンをみると、仁後さん「墓場にて、竹。」とありました。「プラすマイなす」に続いてみようかなと思うので、日程があえば。
満ちる

満ちる

MODE

座・高円寺1(東京都)

2012/03/22 (木) ~ 2012/03/31 (土)公演終了

満足度★★★

なかなか良い戯曲
MODEにとって、14年ぶり(!)の新作書き下ろしということだ。

物語の展開、台詞、そういうものに込められた内容がとても素晴らしいと思った。

思ったのだが……

ネタバレBOX

思ったのだが、楽日が近いから皆さんお疲れなのかどうかはわからないが、役者間のリレーションとか、台詞の間とか、なんかそんなのがイマイチ。

ベテラン勢は別として若手の中の何人は、「台詞を言っている」にしか聞こえず、客席で唸ってしまった(いや、本当に唸ったのではないが・笑)。
初日だったら、「固いかな」と思ってしまうところだったが、もう明日は楽である。そんなはずはないのだ。

ベテラン勢の方々は、とても自然で、物語を支えていたと思うし、もし、そういう役者さんたちばかりだったら、相当面白かったのではないかと思ってしまった。

奇才と言われた老映画監督を演じたすまけいさんは、MODEのHPによると当て書きのようで、もう演技なのか、本当にそうなのかわからないほどリアルだった。
本当に言葉(台詞)が出てこないのか、演技なのかがわからないが、まさに舞台上の設定にドンピシャで、一体撮影中の映画はどうなるのだろうと思わせる。

モノ作りに対するこだわりと親子の微妙な関係がうまい具合にミックスされ、言わなくても伝わったり伝わらなかったりするあたりや、娘の満ちるをめぐる男性たちの感じ(老監督との血縁疑惑も含め)、老監督の人間模様も垣間見える素晴らしい戯曲だった。

台詞の感じもいいのだが、どうもタイミングなどの悪さで、本来は笑いが起こるはずであろうシーンが笑えない。空回り感がある。
そこが辛い。
もう少し腰を落ち着けてやってほしかったなあ。

観劇後は相当いい感じになれるであろう内容だけに、役者たちのあの感じは残念。

開演前に『キューポラのある街』の東野英治郎演じる父親と娘の吉永小百合のやり取りの台詞は、この舞台の内容を示唆しているようで面白かった。
ただ、映画監督ということでの、映画へのこだわりが、古き時代を懐かしむ、で止まっていたようなのがもうひとつだったかな。
老監督は過去の人になっている、という悲哀なのかもしれないが。
だから「奇才」「奇才」と周囲が連呼するのは、年老いて現役ではない監督への皮肉のようにも聞こえてしまったのだ…。

セットは、舞台の前面に映画のスクリーンを模したような枠があった。
しかしそれは「舞台の上はつくりものである」と、ずっと言われているようだったし、なにより正面の席じゃなかったから、いつも視線に入り鬱陶しい。
また、映画というテーマから、暗転のときに必ず映写機の音が入るのも、「つくりものです」と宣言しているようで、これもマイナス効果ではなかっただろうか。

それと何より、セットがここの舞台のサイズに合っていないため、左右に役者が出たり入ったりするところがやけに見えすぎで、その距離が長いのでスピーディさに欠け、役者の登場が早めにわかってしまうのも、なんだかなー、ではあった。

特に下手の2階に通じる階段は、上ってから半分は黒く塗ってあるものの、下り階段になっていて、役者が2階に上がったと思ったら、下がっていくのが見えてしまうのが、(もちろん舞台のルールとして見えてないことにはしようとするのだが)イマイチ。
だから、2階から勢いよく降りてくるシーンは、役者が舞台袖から階段まで来て、ゆったくりと黒く塗ってある階段を上ってから、やおら勢いよく降りてくるという演技になるわけなのだ。それはないよな−。
これもまた「つくりものです」と言われているようで、「舞台のウソ」が見えすぎて興が冷めてしまうのだ。

単純にその部分は隠せばよかったのではないだろうか。
セットのサイズ的にはスズナリあたりだとぴったりしそう。

戯曲がよかっただけに、そういったことはなんとかならなかったのかなー、と思った次第である。役者ではなく演出の問題かな?
掏摸―スリ―

掏摸―スリ―

サイバー∴サイコロジック

OFF OFFシアター(東京都)

2012/03/14 (水) ~ 2012/03/18 (日)公演終了

面白かった!!
ほんとに、ほんとに面白かったです!本も演出も役者さんも素敵でした!

ウェルカム・ニッポン

ウェルカム・ニッポン

大人計画

本多劇場(東京都)

2012/03/16 (金) ~ 2012/04/15 (日)公演終了

満足度★★★★★

皮肉のこもった
ヤング券で観させていただきました。
皮肉のこもった作品だったと思いました。登場人物の大半が人間のクズというさすがの人物設定であるが、不条理な内容でそこに巻き込まれていき主人公落ちていく様は滑稽でもあり面白く観ることが出来ました。大人計画ということもあり結構笑いも盛り込んでいるがメッセージ性も強く出ていたと思います。震災後の日本についてもかなり毒のある皮肉を台詞の中で発していました。ただちょっと内容を詰め込みすぎかなという感も少ししました。しかし3時間でも飽きることなく観ることが出来たのは脚本と演出、そして役者さんの凄さを感じました。
僕は結構好きでした。面白かったです。
勉強になりました。ありがとうございます。

ネタバレBOX

演劇部の稽古のシーンでチェルフィッチュやままごとのような動きを行なった上でインテリ受けすると皮肉をいうシーンがあり、それがとても面白くて笑ってしまった。それに対して嫌悪感を含んだ皮肉ではないというのがわかるような演出だったので素直に笑えました。
平岩紙さんがディープキスしたり後ろから突かれて喘いだりしていたのでさすが大人計画だと思いました。
村杉さんが本当にフルチンかと一瞬見えてしまってビックリしました。
遠吠岬は夕曇り【ご来場ありがとうございました!】

遠吠岬は夕曇り【ご来場ありがとうございました!】

劇団ぺブル(ペブル・グラベル)

中野スタジオあくとれ(東京都)

2012/03/30 (金) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★

ホームドラマ
 どこにでもある定食屋の、TV番組でやっても良い様な雰囲気の中に、何をどのように盛り込めるか。かなり実験的なこともやっている、力のある劇団だ。だが、実験が全然浮いていない。例えば、言語破壊すれすれのことをやって、シナリオそのものへ疑問符を投げかけているのに、、同時に、言語の背骨を外す滑稽に繋がっている為に、言語破壊は、表面上、その真の意味を隠しおおせているのである。緊密な論理と、シナリオの良さを見抜く力を持った俳優陣に支えられた結果、表現が自然で丁寧である。そのことが、わざとらしさを排除し、人生の深い所まで表現を届かせている。この劇団は、小さなもの・ことに大きな意味を込めることに成功した。いい意味で一種の型を持ちえたと言えるだろう。個々のメンバーの更なる深化と、重層化を願う。

愛、あるいは哀、それは相。※無事公演終了しました!ありがとうございました!

愛、あるいは哀、それは相。※無事公演終了しました!ありがとうございました!

TOKYOハンバーグ

ワーサルシアター(東京都)

2012/03/27 (火) ~ 2012/04/02 (月)公演終了

満足度★★★★★

招待にて
辛辣な状況を描きながらも優しい時間が流れていた。役者のすべてに好感が持てた。

ネタバレBOX

まず印象的だったのは三女の目。生まれつきなのか演技なのか分からないが、疎開先に世話になるまでの間の、いまの悲惨な現実に抗うような目つき、頑なな表情に、決して屈しないのだという“意志の力”を感じた。
それから、場面転換を完全暗転にせず、うす暗がりの中で見せながら行う転換作業が印象的だった。「人生に暗転はないんだよ」と誰かが言っていたが、どんな暗闇の中にいても人間は皆活動し生きていかなければならないというような含みをもつような印象を受けた。
次女が福島に戻るときの長女の言葉に、長女として背負うもののみならず父母の影も見えた。
答えなど出せるものではないのだと思う。ただ、一人ひとりの前向きな強さがあってこそ周りのやさしさがそこに引き寄せられるのではないかと感じた。
下賤の天 ~白浪は蒼天に咲く~

下賤の天 ~白浪は蒼天に咲く~

カラスカ

TACCS1179(東京都)

2012/03/28 (水) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★

義賊
 日本左衛門は、鼠小僧次郎吉のような義賊だ。頭脳明晰、剣もめっぽう強い。が、そんなことは、おくびにも出さぬ。
 時は元禄と行きたい所だが、そうは問屋がおろさない。元禄とは真っ向から対立する、享保である。有名な倹約政策の時代だ。将軍は、吉宗。もとは、紀州の出である。史的には四男であった彼が、五代目紀州藩主を継ぎ、更には将軍にまで上り詰めたのではあるが、親、兄弟の早世を、物語では、彼による暗殺と匂わせ、エンターテインメントの世界観に組み換えている。更に因縁浅からぬ尾張藩主、吉宗とは正反対の開放政策を取った歌舞く殿、宗春との三つ巴で描く痛快娯楽時代劇だ。史的事実をエンターテインメントに換骨奪胎し、民衆の恨み、つらみを隋所に噴出させながら、こなれた殺陣と推理小説のようにスリリングな論理展開で飽きさせない。無論、思いがけないどんでん返しも仕込んである。
 幕開きの不如意も、劇が進行する中で納得できる仕組みだ。エンターテインメント制作の手足れと言えよう。

青春漂流記

青春漂流記

劇団鹿殺し

ABCホール (大阪府)

2012/02/10 (金) ~ 2012/02/12 (日)公演終了

満足度★★★

圧倒!
演劇のパワーを見せつけられました。いつもいつも、そう思います。

びんぼう君

びんぼう君

五反田団

袋井市 月見の里学遊館(静岡県)

2012/02/04 (土) ~ 2012/02/05 (日)公演終了

満足度★★★★

面白かった。
どうやったらああいう芝居ができるのか。

再/生

再/生

東京デスロック

富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(埼玉県)

2012/03/24 (土) ~ 2012/03/25 (日)公演終了

満足度★★★★

だんだんわかってくること
白いスクリーンのほか、何のセットも無い空間。
やがて1人の女性が客席の方から登場。
彼女が“幸せ”について短く語ったあと、録音されたその声が繰り返し流れる。
彼女に続いて5人の役者が登場、合計6人による「再/生」が繰り広げられる。
まるで「再生ボタン」を押し続けるように正確なくり返し・・・。

ネタバレBOX

日常生活を表すような淡々とした無対象の動き。
ハンドルを握ったり、テーブルを拭いたりするような動きが繰り返される。
サザンオールスターズの「TUNAMI」やビートルズが流れ、
曲が頭に戻って繰り返されると人々もまた同じ動きを始める。
人々はすれ違い、交差し、営々といとなまれる日常が繰り返されていく。

曲が変わって次第に動きが激しくなる中、人々は不意にバタン!と倒れる。
それはまるで力尽きて二度と起き上がらないかのように見える。
だがまた起き上がって続きを始める。
憑かれたように腕を振り回し、五体投地のように倒れ込み、激しく足を踏み鳴らす。
やがて音楽が止み、汗だくの人々は倒れ込んで激しく息を弾ませている。
しばらくして 起き上がってまた客席の奥へと向かって歩き出して終わる・・・。

この動きの合間に7月からのツアーの様子がリアルに語られる。
横浜、京都、袋井、ソウル、福岡、北九州、青森と、
それぞれの土地での印象や
ひとつ終わった安堵感がにじむ劇団員のリラックスした会話が再現されて思わず笑ってしまう。

説明するとこんな文章になるが、とにかく身体表現の雄弁さに圧倒される。
激しさを増しても、動きは常に同じ腕の高さ、角度、勢いを保っている。
「言葉」に頼らない表現は「言葉」の制限を持たない分自由に広がる。
身体はその最強のツールであり、
役者はそのツールを最大限に活かそうとする。
アフタートークで多田さんが語ったところによると、あのくり返される動きは
「アドリブで動いたあと、それを正確に再生している」とのこと。
何度も同じ動きをくり返すうちに、だんだんと
良い意味での慣れと安定感が生まれるのがわかる。

曲が頭に戻ると一瞬うんざりした表情を浮かべつつ、
手を抜かずにまた動き始める姿に
前に進むしかない私たちの人生を垣間見る思いがする。
そして時折静かに前へ歩み出て立ち止まり、
はるか彼方へ視線を投げかけている。
後悔か、不安か、疑問か、誰もみな幸せを求めているはずなのに
その顔はあまり幸せそうに見えない。
切羽つまったようなその表情をみていると、何だか涙がにじんで来た。

くり返される日常の中に、時に大波小波が訪れ、
私たちは翻弄され流されながら暮らしている。
その素朴な幸せの手触りを確かめるのは皮肉にも
望まない力によって日常が分断された時だ。
何度も音を立てて倒れ込む人々の姿にその衝撃と絶望が重なる。
今度は立ち上がれないだろうと思っていると、また立ち上がるのだ。
それはまるでゾンビのようで、たくましさと同時にしかし痛々しさも感じさせる。
私たちの暮らしはまさにこんな風に「再生」と「/(分断)」のくり返しだ。
そしてこの日常が暴力的に損なわれることを
私たちは今、ひどく怖れている。

多田さんが
「ツアー中、東と西とでは震災の受け止め方に違いを感じた」と言っていたが
そうした地域性や風土をも、ライブで演劇の中に取り込む手法に
ダイナミックさを感じる。

私の好きな夏目慎也さんが今回もまた修行のように肉体を酷使していた。
お疲れ様でした、夏目さん。
「再/生」は、役者の痩せるようなストイックさで出来ている。
いないかもしれない 静ver.

いないかもしれない 静ver.

青年団若手自主企画 大池企画

アトリエ春風舎(東京都)

2012/03/26 (月) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★

過去と現在
非常に整った、お手本のような物語。テーマがあって、葛藤があって、驚きがあって、共感がある。演出も効果的で、ラストもまとまっている。1時間弱の中にとてもうまく盛り込まれている。ただ、ひっかかりがない。ツルンと磨かれた物語の先にある、ガサガサした触感が欲しいなと思ってしまう。動バージョンも今からとても楽しみだ。

ネタバレBOX

誰もが当事者になることを恐れて傍観して、消極的な加害者であるいじめの問題は、生き辛い現代を表す一端だと思う。

小学校の同窓会に久し振りに集まった日の帰り道に、2次会として仲間の一人が切り盛りするカフェバーに集まる男女。そこには、当時のいじめっこといじめられっこが同席している。認知症の家族に頭を悩ませる元いじめっこ。いじめられていた当時を払拭すべく、明るく振舞う元いじめられっこ。卒業文集に書いた将来の夢を追い続けることの困難さを、まざまざと実感する年になって改めて振り返る当時のアレコレには微妙な緊張が走っている。同時に、その場にいる誰もが名前を思い出せない女も登場する。女は誰よりも当時の記憶を鮮明に覚えているが、誰なのかわからない。そして次第に明かになる、元いじめっこの怪我の真相。

舞台上は、「静バージョン」にふさわしく、開演から終演まで音はかすかなものばかり。聞こえるのは、店の出入り口のドアベルの「カランコロン」と、実際に舞台上で飲食している音と、雨音くらい。ビーフンを食べる音が、こんなにはっきり聞こえるとは(笑)無音が、困惑した空気や緊張感を増長させる。

また、物語の終盤ずっと観客に背を向けながら自身の思いを訴える元いじめられっこの姿。そこにどんな表情が浮かんでいるかは想像するしかない。

無音と背中はとても効果的なのだが、その意図が明示されてしまうと何だか味気なく感じてしまう。また、ザビエルや絵本の「いないかもしれない」やビッキーなどの、何気ない会話の中に出てきた事が終盤一気に収束していくのは快感なのだが、まとまりが良すぎるなとも感じてしまう。

多分、一定レベルの秀作はコンスタントに創作出来てしまう作演出家なのだろうと感じた。だからこそ、創作を重ねて進化していく物語を、観劇という形で応援したいと思う。
ストレンジャー彼女

ストレンジャー彼女

tsumazuki no ishi

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2012/03/28 (水) ~ 2012/04/01 (日)公演終了

満足度★★★★★

絶対にオススメです
ぐいぐいひきこまれるシュールな設定と同時に、絶妙な演技でリアリティを感じさせながら、人を殺すことによって生まれるコミュニケーションという挑戦的なテーマを、おちゃらけることなく真っ正面からがっぷり四つに取り組んだ、とても考えさせられる作品だと思います。大高洋子さんの舞台にいるだけで放たれる圧倒的な存在感に感動しました。素晴らしいです。

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