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See You 【観客総動員数1000人突破!】

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LIPS*S

新宿シアターモリエール(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

エネルギッシュ
若手役者たちが
ダンスあり殺陣ありアクションありで
エネルギッシュで見ごたえのある舞台でした。
ストーリーもアニメやゲーム好きな自分には
楽しめました。


かもめ

かもめ

シス・カンパニー

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2013/09/04 (水) ~ 2013/09/28 (土)公演終了

20130921
(^・ェ・^)はいけんしました!

街でジングルベルを聴く頃に、僕は初めて人を殺してしまいました。という感じのオムニバス

街でジングルベルを聴く頃に、僕は初めて人を殺してしまいました。という感じのオムニバス

トウキョウ演劇倶楽部(活動終了)

戸野廣浩司記念劇場(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★★★

オムニバス
3本のオムニバスと言うことで
それぞれ全く異なる内容で楽しめました。
個人的には追憶のドライブが好きかな。
谷桃子さんがメディアのイメージと違い演技が良かったです。
それ以外にも初舞台の齊藤奈央さんや黒須あゆ美さんなども気になりました。

『彼女が服を着た理由』

『彼女が服を着た理由』

Func A ScamperS 009

SPACE107(東京都)

2013/11/15 (金) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★

芸能界裏情報
で、なに。

ネタバレBOX

芸能界を巡るスキャンダラスな話。

ミカ・マツ・もんざエモンとでも書くのか、耳で聞くとみかまつもんざえもんというミカとマツとエモンの三人組元人気ユニットのミカが、当初は美少年が少女役をやっていて、美少年が青年になると代役を立てて、しかも歌は別人が歌っていたということをしていましたというだけの話。
ペンション百万石

ペンション百万石

SPIRAL MOON

「劇」小劇場(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★

鼻持ちならない
偉そうな大人でした。

ネタバレBOX

40代になったばかりでしょうか、もしかしたらまだ30代かもしれません、DJをしている僧侶と元暴走族の酪農家の二人は偉そうな大人でした。

僧侶が自分探しの旅を続ける若者に、大人は命を削って生きているんだなんて言っていましたが、尊大で反吐が出そうでした。そりゃ、自分探しの旅って何だとは思いますが、他人に迷惑をかけているわけでもなく、自活している若者に対して言う言葉でしょうか。

元暴走族の酪農家も、手伝ってもらっている弟に対して何とも偉そうでした。他人の役に立つことが人の道のような考えを持つことは立派ですが、高校生になった自分の息子が跡取りとしての意識を持つようになり、如何にも弟が邪魔になったという感じでした。弟も、牧場を支えていたわけでそんなに卑屈にならなくてもいいものを、しかも獣医の大学に行くことになったのですからもっと堂々としていいはずなのに、威圧的な兄のせいでこうなってしまったみたいです。

天文学研究家の長期滞在者は、地方紙の社主を父親から引き継ぐことになりました。何とも甘い新聞社です。このペンションを始めたときの共同経営者が今ではホテル王とは恐れ入った設定でした。

ところで、ここの経営者の名前が前田、このホテル王の名前が加賀ということでペンション百万石としたそうです。実際にはどこなのでしょうか、日本一星が綺麗に見える場所は結局分からずじまいでした。
地を渡る舟 -1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち-

地を渡る舟 -1945/アチック・ミューゼアムと記述者たち-

てがみ座

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

フィクションとしては
脚本・演出・演技、すべて芝居らしい芝居。
そういうものとしては、強度を持った作品だと思った。
フィクションとしては、とても良くできている。

ただ、戦争という歴史を扱っている、しかも民俗学(宮本常一)を扱っていることを考慮すると、どうしてもひっかかる点も多かった。

歴史とはそもそもフィクションであり、過去を振り返る際に都合のよいように再生産される物語のことである。そして、民俗学はその歴史記述に抗うために、その物語に回収されないものを記録し、考察するものである。

だが、この芝居では、物語を強くするために脚本ができている、ご都合主義なのではないかという部分が散見された。(時代考証が正しくないのではないかという部分もあったが、私は歴史に詳しい訳ではないので、その点は私の勘違いかもしれない。)物語内容は、当時の国家権力が学問に対して、そして庶民に対して行使した暴力に、どう対抗するか、できるのか、ということがテーマになっている。「秘密保護法案」が可決しそうな現在の日本の社会状況で、この作品を発表する批評精神には賛辞を送りたい気持ちもあるが、私には戦中の国家権力が作り出した大東亜共栄圏などの物語と、戦後に一般化した「戦争は為政者によってのみ引き起こされ、国民は弾圧された、または騙されていた」という物語は、共にコインの表裏として、フィクションとしか思えない。
権力と庶民が両輪となって、戦争への道は開かれていった。勿論、その道筋を付けたのは権力の側だったとしても。そして、その両輪によって戦争が起きたとする認識もまた別の物語であることも自明なことだが。いずれにせよ、この作品は、歴史という物語に基づいて、その物語を補填する形で創られているよに思えた。多少の複雑な設定は描き込まれてはいたものの、その主軸は、作者が言いたい、描きたいことにのみ向かっていたように思う。
問題は、歴史という物語を単純に信じないということであり、それが民俗学の基本でもあるはずだ。批評性とは、やみくもに権力を批判するということにあるのではなく、それらの構造の中に潜む力学を見据え、相対化することにあるのだと思う。

そういう意味では、残念だったが、上で書いたことを不問に付せば、素晴らしい舞台だったと思う。

宮本常一役:古河耕史さんがよかった。

ツール・ド・フランス

ツール・ド・フランス

東葛スポーツ

3331 Arts Chiyoda(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★★

ふぞろいのアップルプ・フィクション
様々な映像のマッシュアップとシンクロして演技が行われる、脱力感が心地良い作品でした。

ツール・ド・フランスが初めて開催された年と日比谷公園が開園した年が同じ(1903年)という事から、日比谷公園周辺で起きるエピソードと様々なフランス映画のワンシーンが、映画『パルプ・フィクション』のストーリーを骨格にして重ね合わされて描かれていました。
『シェルブールの雨傘』、『女は女である』、『死刑台のエレベーター』、『ふぞろいの林檎たち』、『犬神家の一族』といったドラマや映画、さらにツール・ド・フランスの記録映像やニュース番組、バラエティー番組が、台詞やストーリーや物を媒介にして巧みに繋げ合わされていて見事でした。
しかし、役者達のかなりラフな演技によってその労作が報われていないという状況が面白かったです。

雑然と置かれた椅子や脚立、壁に歪んだ形に映し出された映像、ツール・ド・フランスの選手やキャビン・アテンダントに似せた衣装、クラフトワークやユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイションの楽曲といった各要素のざっくりとした存在感が印象的でした。

今までの作品に比べて洗練された構成になっていたものの、ビートに乗せたラップや、社会や演劇界に対しての毒が少なくなっていて、開き直った感じが弱まった様に思えて残念でした。

永い遠足

永い遠足

サンプル

にしすがも創造舎 【閉館】(東京都)

2013/11/17 (日) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★★★

喜劇作家の潜在能力
 現に喜劇を書いているかどうかはともかく、喜劇を書く潜在能力を持っていそうな演劇人の作品を好んで観ていることに最近気づいたのだが、松井周の喜劇作家性が強く出た一作で、考えさせられながらも笑った場面が多々。
 一応、『オイディプス王』が劇の主要な下敷きになっています。
 母子相姦を暗喩的に示したシーンの迫力は断然!

ネタバレBOX

●ネタバレ

 その『オイディプス王』にしても、安っぽく滑稽に変奏されているのが松井周らしくて面白い。
 それだけに、原話よりもショッキングに脚色された重い結末には胸を抉られた。
 その結末はその後、ある演出によって相対化されるが、あの演出はまぁ余興的なものと見なして構うまい。
 もちろん、同作を下敷きにした物語にはサンプルらしくシェアハウス、先端医療、ネット社会など今日的なモチーフが多々ちりばめられ、松井流現代戯画の趣も。
 ただ、時事的な多くの劇が陥りがちなように、そうしたものをただネタとして消費するのでなく、それらを扱う作・演出家の手つきに“これらは他人事ではない”という切実味が感じられるのが何よりいい。そして、上に挙げたモチーフ群は大なり小なり滑稽味を強調された形で劇中に現れ、時に笑いを誘いもするが(今作はこれまで観た松井作品の中で一番笑いを取っていた)、観る者は笑いのめした当のものが己にも含まれていることに、あるいは己と密に関わるものであることに笑顔が消えた頃に気づかされ、ハッとさせられる。笑い一つとってもこのように一筋縄ではいかないところがサンプルらしさだ。
 現代的なモチーフの一つとしてシェアハウスを挙げたのは、ヒト、ネズミほか4つの生物の交合種であるネズミ人間ピーターがある場所に仲間たちと新天地を作ろうとするのが、ピーターと同じくはっきりした帰属先を持たない(なにしろピーターは4種の生物のハイブリッド!)若者たちがシェアハウスに新手のコミュニティを打ち立てようとする姿にダブって見えたから。たぶん松井周の頭の中でもピーターはシェアハウス住人と二重写しになっていたのではないか?
『永い遠足』というタイトルは初めピンとこなかったが、人生をあてどなくさまよう人々を描いたこの劇にふさわしい表題だと今になって思う。
 他、思ったこと、感じたことを以下につらつらと。

●キャスト8人が一堂に会するのが終盤の一場面だけで、それまではずっと会場の体育館、茫漠としてガランとした体育館のあちこちに1~数人ずつが点在して演技をするのが、人間、ことに現代人の哀しきモナド性を暗示しているようで身につまされた。

●館内を徘徊して移動舞台の役割も果たす街宣車(?)のスピーカーから開演直後に流れる曲がSMAP『世界に一つだけの花』なのはなぜなのか?

●稲継美保さん演じる“電気の妖精”ともいうべきキャラクターがすこぶる魅惑的! 配役も、ウエストのくびれと腰回りの豊かさが強調されたフランス人形を思わせる妖艶な赤いワンピース姿も、古風なその格好になじまないローラーブレードに乗って電子のようにスイスイと軽やかにあちこちを回遊する様も、話の鍵を握る家出少女の分身にして未熟な少女を姉のように教え導く良き話し相手でもあるという劇中での役回りも、すべてが良かった!!

●エンディング曲として戸川純『諦念プシガンガ』がかかって気持ちが上がった。
その日/比類なき明日の君へ

その日/比類なき明日の君へ

GULLCOMPANY

王子MON★STAR(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/23 (土)公演終了

満足度★★★★

演劇の新しい形かも?
土岐麻梨子さんとのご縁で観にまいりました。勿論どういう芝居なのかこいう興味もありました。そして今回、彼女のシリアスな場面の演技を初めてみましたが目の動きを効果的に使っての好演でした。

明日まで公演がありますから内容そのものは控える事としますが、若くて綺麗なかた(男性も)を揃えてのお芝居です。地下2Fに設けられた小ぶりな空間は会場の空調音以外は全く聞こえてきませんし照明設備も整っている且つては無かった環境です。オペラや昔の芝居は大きな声を必要とし、またそれを前提とした様式感と様式美を築きあげてきた訳ですが、今回のような現代の新しい小屋は、それを必要としなくなったようです。それが新しい試みを可能にしているように感じました。でもテレビドラマに近ずいたという事ではなく舞台としての新しい可能性が出て来たということだと思います。演劇のあり方も時代と共に進み続ける運命なんですね!

さらば八月の大地

さらば八月の大地

松竹

新橋演舞場(東京都)

2013/11/01 (金) ~ 2013/11/25 (月)公演終了

満足度★★

せっかくの設定を活かしきれず
脚本:鄭義信さん、演出が初めて舞台の演出を行う山田洋次さんということで、少しは期待していた。
題材が「映画」ということもあって。

ネタバレBOX

しかし、なんだろ、普通のストーリーを普通に見せただけ。
いや、そうであっても面白いものは面白いのだが、これはそうではない。
ただストーリーを見ただけ。

確かに、新橋演舞場という場での「お芝居」は、幕間にお弁当を食べ、笑ったり泣いたりして、「よかったよかった」でいいのだろうが、もう少し「何か」あってもいいのではないかと思う。

もっと違う見せ方もあったのではないと思うからだ。
終戦間際の満州・新京という設定を出してきたのだから。

たぶん同じ作品を映画で見せたのならば、それなりに面白かったのではないかと思った。

舞台は満州の首都・新京にある満映の撮影所。
作・演が、この2人だし、もっと反戦色というか厭戦色が強くなるのかと思っていたら、意外とそうでもない。
中国人からの日本人に対する想いは、満州にいたことがある、山田洋次さんの想いが反映されているのだろうか。

つまり、中国の人たちから、「日本人でも友だちになれた(日本人にもいい人がいた)」「日本よありがとう。映画を教えてくれて(日本人は大陸で悪いことばかりしてきたわけではない)」的なメッセージがあったように受け取れてしまったのだ。
戦時中に中国にいた山田洋次さん自身を含む、日本人たちの存在意義の確認というところか。

しだがって、日本人に面だって楯突くのは、「麻薬中毒の老人」だけ、というのもあざとく見えてしまう。その老人だって、撮影所の人間の父なので、満映の理事長の力で助けることができそうなのだ。
台詞では「この中にも八路や国民党の手先がいるかもしれないが」とあるのだが、それが見えてこないのだ。従順な中国人映画人だけで。「映画という絆」で結ばれているからそれがないのか。  

何も自虐的な歴史観に立て、と言っているわけではない。
「満州国」という歴史の歪な産物の中で、日本人が、満人と呼ばれた中国人とどうぶつかり、どうわかり合い、あるいはわかり合えなかったのか、が物語の軸になるのではないだろう。

したがって、いつかは自分たち中国人の手で映画を撮るために、日本人の下で我慢を重ね働いている中国人助監督と、初めて満州にやってきた日本人撮影助手との関係は、とても大切な要素だと思う。
チラシにはわざわざ「国境を越えた絆で映画に夢をかけた人々」なんて文字が躍っているのだから、現実にあった「壁」をどう乗り越えていったのか、あるいは「壁」はどうなくなっていったのか、が重要だったのではないだろうか。

初めから「映画を作りたい人が集まっているから、つまり夢は同じだから、国境は越えているのだ」というのならば、別にこういう設定の演劇にしなくてもいいだろう。

にもかかわらず、中国人助監督は言葉で「我慢している」「我慢しろ」と言葉で言うだけで、葛藤が見えてこないし、日本人撮影助手から見た満州の実態は、撮影所の食堂が日本人と満人が、食事内容も差別されているということに驚くぐらいだ。

せっかく、初めて満州に来た男がどう変わるのか、あるいは中国人たちが、自分たちのアイデンティティを壊しかねない日本人監督との軋轢をどう乗り越えていったのかが、見えてこないのだ。
中国人の脚本家は、中国人としてはとても受け入れがたい変更を「いつか自分の映画を撮りたいため」に「我慢する」で乗り越えるだけ、というのも悲しい。

「いつか自分たちの映画を作りたい」という希望は、中国人助監督(中村勘九郎さん)と日本人撮影助手(今井翼さん)の2人は共有しているのだが、そこまでの道程が、単なる結果的な台詞だけ。ラストに、初めて合ったときの印象を言い合うのだが、そこまでに至った経緯が見えてこない。そんなにいい関係になったように見えない。
なので、ラストの「ぼくたちの映画に乾杯!」みたいな盛り上がりの気分には正直乗れなかった。

「暗い男」押しの笑いもたいして面白くない。

中国人女優(檀れいさん)は、この映画で有名になりたい、と思っていて、恋人だった中国人助監督から「映画に出ないでほしい」と言われ、満映の理事長に乗り換えていくのだが、そうしたせっかくの設定もあまり活きていないように感じた。
この設定ならば、中国人助監督との関係性から、もっと深みを見せることができたのではないだろうか。檀れいさんは、なんとなくぼんやりした印象。歌は聴かせたし、ネイティブな発音は知らないが、中国語の発音がとてもきれいだったが。

満映の甘粕大尉であろう、理事長の高村(木場勝己さん)も、とてもいい人のように描かれている。「満人のための映画を作りたい」という理想や、映画のためだったら、自分の力を惜しまず使うという非情さも感じられて。しかし、満州国を作り上げた男に対する中国人たちの反抗心のようなものが見えてこないのだ。
「関東大震災のときには本当に殺したのですか」みたいな台詞もさらりと出てくるのだが。

上演時間3時間以上もあるのだから、何人かの重要な登場人物を軸に描いていくことで、いろいろな設定を活かせて見せることは可能だっただろう。

演出は、映画的(演出家の頭の中ではカット割りやアップがされていて)だったように思う。だから空間もエピソードもぽっかりしてしまった。
大監督にこういうことを言うのはなんだけど、もし、また舞台の演出をすることができるのならば、もっと「今」の演劇を観て勉強すべきではないだろうか。映画の頭を捨てて。
小劇場を、とまでは言わないが、もっと刺激的で、観客の心をつかむ演劇がたくさんあるのだから。

ストーリーは、わかりやすい。
ラストは思い入れたっぷりで、長い。
若い2人の俳優は、爽やか。
映画撮影の描写はさすがだ。

それぐらいだったな。
SOU - 双・相・想 -

SOU - 双・相・想 -

演劇ユニット ランニング

ザムザ阿佐谷(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★

改めてタイトル上手い!
出演者だけでなく作家も演出家も毎回入れ替わるというユニークなユニットで
第3回という今回は2人の作家による2本立て。
同じセットを使い、全く違う2つの物語が繰り広げられる。
コンパクトで、企画と演出の面白さが味わえる舞台だった。
観終わって、改めて2つのタイトルの上手さに感心した。

ネタバレBOX

①「パンジーな乙女達」作:井保三兎 演出:元吉庸泰

舞台は段差のある2つの空間に区切られている。
上手の一段高くなったところはラジオ局のスタジオで
落ち着いた声の女性が、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」などかけながら
リスナーからの葉書を読んだりしている。
ディレクターの男性とADの女性がブースの外で
25年も続いた番組が今日最終回を迎えたことをあれこれ話している。

一方とあるマンションには4人の女たちがメールで呼び出されて集まって来る。
「先生」と呼ばれる作家は、曜日ごとに違う女性をここへ呼んで
法外とも思える金額を渡していた。
子どもを抱えた女、親の借金を抱えた風俗嬢、いじめられている女子高生、
そして路上で詩を作る女…。
みな作家に声をかけられて週に一度
ただ食事を作るだけとか、一緒にごはんを食べるだけでお金をもらっていた。

それぞれの事情が明らかになる中、部屋の奥から作家の死体が発見される。
自分がやったと打ち明ける詩人の女。
やがてラジオではパーソナリティの女性が重大な告白を始める。
「私は夫を殺しました」
その夫とは、別居しているあの作家だった…。

作家の謎めいた行動とそれを見守る妻の心理が面白い。
よくある事情を抱えた女たちの表情もいい。
ディレクターとADの二人がマンション場面とかぶるシーンが少々わかりにくい。
場面の切り替えにもうひと工夫あれば
もっと鮮やかに2つの空間が対比されたような気がする。
登場しない作家と、その妻の深い孤独が伝わってくる舞台。
AD役の辺見のり子さん、風俗嬢の江崎香澄さんが印象的だった。
いくつかあるパンジーの花言葉が、女たちの個性を端的に表していてよかった。

②「終末の天気」 作・演出:元吉庸泰

もう何か月も前から隕石の衝突によって世界は終わる、と伝えられている。
あれこれ試したが回避は不可能で、ついに明日衝突のその日を迎える。
地方の高校の演劇部で、最後の稽古をしようと張り切る桃子だが
部員はちっとも集中しないし、変な不良にはからまれるし、
肝心の脚本は最後の2ページがまだ作家から届かない。
学校には他に行き場のない教師やOB達が集まって来ている。
そしてその時は刻々と近づいて来る…。

今実在の作家・演出家たちを短く評した台詞がおかしい。
「柿食う○は力入れて台詞言えばいい」とか笑ってしまった。
諦めと開き直りの中、ひとり奮闘する桃子(藤桃子)が健気。
作家と演出と主演、3人でてっぺんを目指そうという決意が初々しい。
遠く離れてしまった作家の星耶と“交信”する姿に信頼と情熱が伝わってくる。

ちょっと同じところをぐるぐる回っているような印象を受けたのは
似たような台詞が繰り返されるからか。
もっと劇中劇でドラマチックに語らせても良かったと思う。
最後の日に学校を掃除する西川先生(西川智弘)のキャラが面白そうだったので
もっと演劇がらみのエピソードが聞けたらより深みが増した気がする。
最後の日に演劇人が何を想って学校に集まったのか、
演劇部が舞台なのだからその理由を演劇に集中してもよかったと思う。
その結果の”屋上集結“もきっと素敵だ。
舞台版 まいっちんぐマチコ先生2

舞台版 まいっちんぐマチコ先生2

ゴブレイプロジェクト

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2013/11/19 (火) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★★

ネホリーとハホリー☆
(^0^)/
面白かったです。
ハチャメチャで、
明るくて、可愛くって、
まいっちんぐなコメディです♪
冒頭の「●●●の●●」(●のバラード)
から大爆笑☆
ヒューイ・ルイスも押さえておくべき♪
キャスト全員がそれぞれ、見せ場があります!
観劇日記をブログに書きました☆

東京へテロトピア

東京へテロトピア

Port B(ポルト・ビー)

都内各所 *ツアーキット受取所: 東京芸術劇場内1Fアトリウム特設F/Tインフォメーション(東京都)

2013/11/09 (土) ~ 2013/12/08 (日)公演終了

満足度★★★★★

演劇という概念の拡張:観客自身がドラマを創り出す
※全箇所廻っていないので、途中の感想です。

地図をもらい、そこに書かれた場所(都内各所)に、好きな日時に行き、そこでラジオを聞くという芝居。役者はいない。演出家の仕掛けがあるだけ。

Port Bの作品ではいつも、歴史という縦軸と、現代社会という横軸の重なった地点に自分が立っているということを自覚させられる。

今作でも、土地と記憶との関係を深く考えさせられた。
見えていながら見ていない他者(歴史、外国人、マイノリティ、、)の問題なども考えさせられた。

また、今作では、今までの作品以上に、観客の自由度が増した。
それは、一方で、あまりにも演出の仕掛けが無いことに不満も残ったが、
もう一方で、その点こそがこれまでの作品に対して私が持っていた不満(観客と世界との間に直接的な関係性が生じないこと。傍観でしかないこと。)を解消する契機にもなっていた。

「不満があるのならば、自分でその壁を壊せばよい。観客よ、演出家を撃て。」というように、
観客が自から劇を創造していく自由が与えられている。
そうは言っても、これは高山明氏が意図した事ではないように思う。おそらく自由度を高めたことによって生まれた副産物だろう。勿論、派生的な副産物を生じさせようということに関しては、かなり意識的だったと思うが。

いずれせよ、私はその自由を利用し、積極的に劇体験を豊かにしようと努めた。
指定の場所で、その場と関係の深い人と会話をしたり。
そこで出会った別の観客と飲みに行ったり。
そのような関わりの中にこそ、作家が創る物語よりも、遥かに豊かなドラマがある。

それでも、今作には仕掛けが無さ過ぎるとは思う。
中野成樹・長島確『四谷雑談集』の評でも書いたことに近いが、
確かに演出家の方向付けを弱くすれば、自由が増し、その体験は無限に広がるようにも思える。
だが、そうすればする程、それを「演劇」と呼ぶ意味はなくなってしまう。現実と劇との境が溶解し、すべてが現実に飲み込まれてしまう。
上で私が素晴らしいと書いた点はすべて、本を片手に自分で街へ出ることで得られる体験でしかないのだから。

勿論、ラジオの仕掛けはある。
だが、ラジオというイヤホンを耳にさし自分の内部に意識を向かわせながら外界を見るという体験は、これまでのPort Bの作品では、「世界に対して、人は傍観しかできない」ということを自覚させるられる装置として強い問いかけをもった演出だと感じていたが、観客が自らの意志で世界へ接続できる場に放たれた時、ラジオから聞こえてくる言葉は、ただのテキスト(文字・意味)としか私には感じられなくなってしまった。勿論、文字・意味としては、意義深い内容だとは思うが、それ以上のものとしての機能を果たしていなかったのように感じる。本来は「声」として聞かせることを意図しているのだと思うが、生身の人間の声とも、主体を持たない土地の(記憶の)声とも聞こえなかった。

そうは言っても、意図か、結果としてそうなっただけかはわからないが、
観客が積極的に劇体験を掴み取る場を用意したということは画期的なことだと思う。

※ひとつひとつの場所での体験は、後日、ネタバレに書きます。行ったら順次書き足していきます。)

WHO IS SUNDAYMAN

WHO IS SUNDAYMAN

万本桜企画

千本桜ホール(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

お笑い芸人の人達って
凄いなあと感じました。

シンデレラ

シンデレラ

いるかHotel

元町プチシアター(兵庫県)

2013/11/08 (金) ~ 2013/11/10 (日)公演終了

満足度★★★★

てんこ盛りなお芝居
3つの時間でそれぞれの物語は進む 面白い。 とても長い芝居ですが、あっと言うま てんこ盛りな お芝居でした 役者の魅力がとても良く出た芝居。
ダリの時計も印象的

ネタバレBOX

 舞台は、ドア ちゃぶ台 小さな棚 上に時計
舞台 奥左 壁に 1mぐらいのゾウリムシの様な一色の模様3個
 前説 劇団の若手 シンデレラの説明 ケント紙にマンガで、カーン カーン 魔法が解ける ウエンツに戻る  どん どん どん ドアを蹴破る 食べ物暖かい 自立したかった 自活と違う 旅に出た 哲子は、神隠し? 私5歳の頃に遭った 特殊な誘拐? 第2第3のてっちゃんが出ない様に 映画ディズニーのシンデレラ 不思議 日記が座布団の下から見つかる 読む 魔法が使えなくなった 大魔王様 泥棒が大家さんちへ孝子腹へった 食べる タクワン もう一回 糠床 ラジオからミステリアスな音 TVミステリアス ぬかの釘を抜いたね、3人の黒い姿の仮面の女 元に戻りたければ 糠床から抜いた釘を戻せ  誰 読んだでしょ私よ 私私 ちがう 合の子もてっちゃん 赤いバラ 似てるから違う 探さないで さがす 出来るかい ハハハ――・・・ // 大家さん 電気付かない // シンデレラ シンデレラ 赤 緑 黄色 のドレスの女 シンデレラが床を磨く その音は?私はここに居ると 音がする あの子が居なくなったら あの子にも私たちが必要 何処へも行かない だれだって 床を磨いているんだから 床を磨く てっちゃん みんな探しているよ 私はシンデレラです。 楽しそう、見てたの 時々 気晴らしに 何を待っているのか 忘れた。 誰かが私を探しに来たらどうしよう。 こうこ 魔法使い糠床の釘を探してた シンデレラ 私はコウコの 姉 母 床を拭く音が 呼んだ コウコ 予感していた3人 // カエル ゴムヒレの靴 人間の靴 触った 触る勇気試しの様 魔法の靴 ほんとに 糠床のクは ヘーロンンの城 こんクに合う(熊本弁?) 探す このク 合う?// 夢の中へ行ってみたいと思いませんか? もう一回 もう一っ回 ダンス くりかえすヘロヘロ // 5人の刑事かくし芸 何で聞く やぶにらみ 捜査一課の得意技 動物1っ本勝負 半沢のネタ オウコウチ 最後の切り札 靴が入るか キツ!! 誰かを探す パスタ一家 食べたいか 思い出すんだ 明太子 思い出せ いただきまーす。
帰る 大家 刑事 シンデレラ このパスタを拭いて 思い出して 私は模倣使いだったの シンデレラ思い出したの? 伝えなければ、忘れるのは 時間だけじゃない 長い間待っていた気がする。 元が何か忘れた 靴の魔法が消えない。 片方は戻った あんまりだ だから・・・・言いたくなかった だれにも探されないシンデレラ 失敗した魔法使いは、1っ回だけ使える 12時が過ぎて釘を抜く 大魔王の好きな物を用意 全てが元に戻る シンデレラ ぶたいセットは、ダリの時計でした 照明で時計になる。 オルゴール 3人の姉母は踊る てっちゃんどこへ行ってたの ぬか漬け 大根買ってきた 釘を渡す これ探していた そうだっけ このぬかどこは何十年 百年 生きている 糠を要って唐辛子 生姜 干し魚の骨 生きる繰り返す ドンドン 白いドレスに変わる 黒服の4人 ガラスの靴を履こうとする。
 白いドレスはウエディング? 黒のスパッツは、ダメですよ。 客席からは、しっかりとわかります。
3つの時間でそれぞれの物語は進む 面白い。 とても長い芝居ですが、あっと言うま てんこ盛りな お芝居でした 役者の魅力がとても良く出た芝居。 
いのうえシェイクスピア「鉈切り丸」~W.シェイクスピア<リチャード三世>より

いのうえシェイクスピア「鉈切り丸」~W.シェイクスピア<リチャード三世>より

パルコ・プロデュース

東急シアターオーブ(東京都)

2013/11/08 (金) ~ 2013/11/30 (土)公演終了

満足度★★★★★

セットとか衣装とかの凄さに
まずビビりました。出演者の熱演が心に刺さります。

See You 【観客総動員数1000人突破!】

See You 【観客総動員数1000人突破!】

LIPS*S

新宿シアターモリエール(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

面白かった。
インナースペース・アンドロイドなど、ちょっとSFっぽいのですが、ストーリーは分かり易いし、素敵なセリフもたくさんあってじんわりしちゃいました。
ダンスや殺陣・アクションも満載。
殺陣のスピード感と迫力、特に段差を利用したアクションはすごかったし見ごたえがありました。
楽しい2時間でした。
お花の名前なのですが、キャラクターイメージに合っているなぁ・・と、思いました。

ネタバレBOX

ダンスやアクションが合間に入るので、気分が変わり最後まで楽しく見まっしたが、人口心臓移植にアンドロイドの世界・両親の離婚問題・友人たちの関係・本人の恋愛問題・・・・自己完結にそこからの解放・・・いろいろ盛り込みすぎていて、まどろっこしく感じた部分もちょっぴりあったかも。
もう少しすっきりできたんじゃないかなぁ。。と、感じる部分もありました。
青い童話と黒い音楽

青い童話と黒い音楽

ロデオ★座★ヘヴン

【閉館】SPACE 雑遊(東京都)

2013/11/20 (水) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

観るものの心を捉える独自の物語観が描かれた作品
 本当の音楽を極限的に追い求め続けた者の姿の苦悩を描いた「夜鷹無限上昇」、星と深海の世界をうまく呼応させて描いた「深海のカンパネルラ」共に宮沢賢治の原作をモチーフにしながらも作者ならではの、観るものの心を強く惹きつける独自の物語観が形成されていました。演出面も脚本のイメージをうまく膨らませるような工夫が凝らされており、中でも、第一話と第二話のなめらかな接続や陰影の使い方の冴えが際立っていた印象を受けました。役者の方々も、がっぷりとこの作品に取り組んできたことがひしひしと伝わってくるなかなかよい演技をされていたと思います。

ネタバレBOX

 次は、「マリー・ボドニック」の中井さんの作品ということで、またどのように趣向のかわった作品をみせていただけるのか、今からとても楽しみです。
『四谷雑談集』+『四家の怪談』

『四谷雑談集』+『四家の怪談』

フェスティバル/トーキョー実行委員会

四谷エリア〈四谷雑談集〉 北千住・五反野エリア〈四家の怪談〉(東京都)

2013/11/09 (土) ~ 2013/11/24 (日)公演終了

満足度★★★★

「四谷雑談集」:演劇という概念の拡張、それは限界か、可能性か。
「四谷雑談集」を巡るツアー演劇。
ちょろっとだけ役者も出てはくるが、それはイベントごとに過ぎず、基本的にはテキストとガイド(演出家、ドラマトゥルク)の解説を元に、観客自身が四谷の地を歩き、その認識を更新するというもの。
演劇という概念を拡張しているという意味では、一定の意義がある公演だと思う。
「四谷怪談」は有名だが、その元になった「四谷雑談集」はそれほど一般的に知られている訳ではない。
「四谷雑談集」は、当時の噂話や都市伝説のようなものをまとめたものであり、フィクションではあるのだが、現実的な手触りはこちらの話の方がはるかに残っている。その昔話の中にある現実感を、今現在の四谷を歩く中で、感じ、考える。
時間を経ても変わらないもの、変わってしまったもの、残っているもの、残っていないもの。観客は、土地を移動しながらも、同時に過去と現在との距離、時間をも旅する。
そこから見えてくるものは、観客の数だけ存在する。

そういう意味では、有意義な時間を過ごすことができた。
だが、これではただの観光ツアーと変わらない。
ちょっと知的な観光ツアー。

これを演劇と名指す意味は見出せなかった。
もはや表現と現実との壁は溶解し、芸術というものを特権化する意味などないというならば、わからなくもないが、その場合、それは「そもそも芸術など必要なのか」という自身の表現行為をも相対化するものにもなってしまい、自家撞着に陥ってしまう。

以前、東京デスロックの『シンポジウム』という公演を観た時も、同じような感想を持ったが、その作品の場合は、単なるシンポジウムでしかなくても、それが「演劇公演」と名指され、フレーミングされることによって、そのシンポジウムを演劇を観るような注意力で観るという現象が生まれていた。語られる言葉の意味ではなく、登壇者の所作や反応を凝視するという態度が。

この作品でも、これは演劇なのだからと、ただの観光以上に意識的に街を凝視はしたが、それ以上のものとは感じられなかった。

ただ、肯定的に見れば、ギリギリ垣間見える作者の問いかけの中に、ただの観光ツアーとは異質のものがあると言えないこともないが。

ネタバレBOX

「四谷雑談集」には、罪悪感や、そこから生まれる疑心暗鬼などによって、人は祟りなどを信じてしまい、自分で自分を追い込むような物語を作ってしまうということが語られているのだと私は思う。
それは、科学が進歩した現在でも、全く変わっていない。それどころか、ネット社会になって、その問題はかつてよりも深刻になっているのではないかとさえ感じる。

そのことを、この作品は問うているのか、、、作者の意図はわからないが、私はそのことを考えながら、ツアーを廻った。
イーハトーボの劇列車

イーハトーボの劇列車

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2013/10/06 (日) ~ 2013/11/17 (日)公演終了

満足度★★★★★

胸を打つ言葉たち
井上ひさしさんの言葉は、優しい。
心に響く。

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