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WILDHALF~奇跡の確率~

WILDHALF~奇跡の確率~

はっぴぃはっぴぃどりーみんぐ

コア・いけぶくろ(旧豊島区民センタ-)(東京都)

2014/01/09 (木) ~ 2014/01/11 (土)公演終了

満足度★★★★

原作愛あふれる作品
いやー、驚きました。
よくぞここまでイメージ通りに仕上げてきたなぁと思えるほど登場人物たちの再現度が高く、
ワイルドハーフも予想以上に忠実に表現できていたと思います。
動物状態のサルサたちをどう表現するのだろうか?と興味津々でしたが、
基本的には登場は無く、常に獣人状態での登場となっていました。

みなさん各キャラの特徴を捉えた演技をされていて、しっかり原作を読み込んでいるのだなと感じました。
原作を読んだことがある人なら思わずにやりとしてしまうような出来だったと思います。

ネタバレBOX

ストーリーはオリジナルながら原作のエピソードをうまく織り交ぜていて、
作品の世界観を壊さず、こういった話もありそうだな、と思えるようなお話でした。
クライマックスの阿部とウルフのシーンからEDまでの流れは感動的で、
何度見ても涙腺を刺激されました。

気になった点として、
回想シーン前後などの場面転換で、ここは暗転を入れた方が良かったのでは?
と思えるシーンが幾つかありました。
(阿部、ウルフの回想シーンの後は感動的な場面だっただけに特に感じました)
あと、第三者的に物語を俯瞰するストーリーテラーの役割だとは思うのですが、
リオの役所、存在がちょっと曖昧だったかなという気がします。
ある程度の教育【フリーカンパ制につき無料公演】

ある程度の教育【フリーカンパ制につき無料公演】

ポーラは嘘をついた―Paralyzed Paula―

B201 [早稲田大学学生会館](東京都)

2014/01/09 (木) ~ 2014/01/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

入った途端にやられた
開場が開演、とのメールの備考がずっと気になっていたのですが、入った途端に「ああ……」と感嘆させられました。
それから照明で舞台はここまでかっこよくなれるのかと、観劇後には半ば呆然としてしまい……すごく好きな舞台でした。

かもめ

かもめ

劇団東京乾電池

ザ・スズナリ(東京都)

2014/01/07 (火) ~ 2014/01/12 (日)公演終了

満足度★★★★

面白いなあ! 角替和枝さんの演出
登場人物たちの造形は、どれも腑に落ちる。
それによって、それぞれの人間関係がはっきりしてきて、実感できる『かもめ』になっていた。

役者への愛情が感じられる。
それに役者がうまく応えているのだ。

角替和枝さんに、また演出してほしいと願う。

ネタバレBOX

東京乾電池って、不条理劇の印象が強い。別役実さんの戯曲をよく上演したりしているし、劇団付き作家の加藤一浩さんの作品も不条理劇だし。
シェイクスピアのハムレットや真夏の夜の夢さえも、その不条理性にフォーカスされていたように感じていた。

今回はまったく違う。
角替和枝さんの演出がいいのだ。

正直言って、東京乾電池の若手役者さんの多くは、とにかく早口で台詞を言わされたり、感情を押し殺されたりということもあって、あまり上手く感じられない。なんか可哀想。
古株の役者さんたちは、雰囲気でとにかく押す。何が何でも観客を楽しませようと押してくる。
そういうイメージがある。

今回も役者のレベルには差が歴然としている。
歴然としているのだけど、それがチャームポイントに見えてくるのだ。

たぶん、不条理劇的な演出だった過去の作品の多くは、それを「笑い」に変換しようとしていたような感じがある。
そして、不発だったことが多い。
その手法は、相当上手くないと、つまり東京乾電池の古株の役者さんたちのレベルに達しないと発揮できないのだ。
それをやらせていた。
そして、演出が1人だけで大笑いしていた、という若手公演も見たことがある。

今回は、役者への愛情が感じられる。
それに役者がうまく応えている、と思った。

丁寧に登場人物を深掘りして、くきっきりと「どういう人なのか」が見えるようにしてある。
登場人物の1人ひとりが、どんな人で、自分の周囲にもいそうな人として存在しているのだ。

これは演出の力にほかならない。

トレープレフは、川崎勇人さんが演じていた。
不器用そうな人で、演技もそんなにうまくないので、最初は笑いさえ起こっていた。
しかし、懸命に演じるその姿が、ニーナへの気持ちの伝え方がぎこちなさに見えてきて、大女優アルカージナを母に持つことでの屈折さえも感じてくるようになる。
よくありがちな、青白い文学青年のトレープレフよりは、もう少ししっかりと彼の像を結ぶことができるのだ。

ニーナを演じるのは、松元夢子さん。彼女のニーナは、田舎娘、だけとキラキラしている。
そこに「なるほど」と感じたのだ。
田舎にいて美人で役者に憧れる少女ではなく、田舎にして輝いて見える娘、だからトリゴーリンはつい、ふらふらしてしまい、しかし都市に行ったらその輝きが失せてしまったので、捨ててしまった、ということなのだ、とまで思ってしまった。
松元夢子さんの演じるニーナは、そういう魅力に溢れているのだ。
そういう解釈のほうがすっきりする。今までそういうニーナは見たことがなかった。

(少し横に逸れるが、東京乾電池の若手の中で唯一、気になっていたのが松元夢子さんだ。彼女の持っている雰囲気は、東京乾電池の型にはまった感じとは少し違っていた。今回のニーナの役はまさに彼女にぴったりだったと思う。キラキラした希望みたいなものが滲み出てきていて、さらに疲れ切った後半の姿もいいのだ)

アルカージナ(宮田早苗さん)も、いかにも大女優然としていた。
プライドの高さを見せていた。

『かもめ』なんていう作品を上演すると、全員が大げさな雰囲気になっていたりするので、アルカージナの大女優さがイマイチ伝わってこないのだ。
しかし、東京乾電池の『かもめ』では、特殊な大作家さんのトリゴーリンと、このアルカージナ以外は、普通のどこかにいそうな人たちとして描かれているので、アルカージナの大女優感が強調されてくる。

その結果、息子であるトレープレフとの関係もくっきりしてくるし、他の登場人物との力関係もはっきりしてくる。

こうした登場人物たちの造形は、どれも腑に落ちるものだった。

トレープレフの劇中劇の演出もなかなかいい感じだった。
……トレープレフのふんどし姿に、ニーナの感情のない台詞……まさにこの劇中劇こそが東京乾電池の不条理劇だ、とまでは言わないが、1人、密かに笑ってしまった。

また、演出的には、ストーリーが停滞するときには、ヤーコフや小間使い、料理人などが通り過ぎていくというのがうまい。
しかも、それは舞台の中をまったく邪魔しないのだ。

ただ、トレープレフがニーナとのことで絶望するシーンで流れる、タイガースの曲「色つきの女でいてくれよ」は、あまりと言えばあまりだ。直接的すぎて、やり過ぎだ。
せっかくいい感じで進めてきた雰囲気を台無しにしてしまった、と感じた。

あえて古い翻訳の『かもめ』を選択して上演していて、そこで狙ったのだろうけど、狙いすぎて、狙いがあからさまで、ここまでくるとカッコ悪く見えてしまう。

まったく違う曲で突き抜けてしまったとしたら(例えば、蜷川さんが『ハムレット』で見せたこまどり姉妹ぐらい外連味で見せてくれたら)、「お!」と思ったかもしれないが、これは野暮すぎた。
これがなかったら、★はもう1つ増えた。

緞帳のように見える、段ボールで作ったセットがとてもいい。
重さと軽さがある。
トレープレフの舞台に使われた赤い幕も効果的。

また角替和枝さんに演出してほしいと願う。
【公演終了】ステロタイプテスト/パス

【公演終了】ステロタイプテスト/パス

The end of company ジエン社

d-倉庫(東京都)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/14 (火)公演終了

満足度★★★★★

書道ってわからないよなー
っていうことで、言葉を信じていない劇作家が、書道の見方に「空気」を発見して、作り上げたのがこの舞台。

ディスコミニケーションをディスコミニケーションで伝えたら、ディスコミニケーションでした、と。

でも「空気」だから、そこは察してね、と言っている。

察したので、面白がって★を多めに付けてみた。
書道を見る「先生」みたいにね。

「空気」を見せているはずなのに、観客は窒息する。
役者も、そして、作者本人も窒息する。

普通に考えると、演劇作品としては酷いもんだけどね。

(感想、またダラダラと書いてしまった)

ネタバレBOX

上演する脚本を書くときに、作者本介さんには、もやっとしたものがあったに違いない。
それを上演するための脚本にすることで、彼の中で何らかの「カタチ」になっていき、言語によって表現し、上演できる作品になっていくのではないか、という期待があっただろう。
(私の感想も、ほとんどの場合、書きながら考えていくので、最後はどうなるのか自分でもわからないのだけど……)

この脚本は、脚本を書いた作者本介さんの中で(だけ)、書いていくことで、純化されていったに違いない。
それが、演出との融合で、役者の身体になり台詞(言葉)になり、それぞれの役者たちの中(だけ)でも純化された。

作・演出家のそれと、役者たちのそれとは完全に一致していないと思うが、ある一点においてバランスがとれた、幸福の瞬間にこの作品は誕生したと言っていいだろう。

で、作品と観客との関係で言えば、作・演と役者の関係のように、長い時間を共有しながら、さらにコミュケーションを重ねながら作り上げていったものとはほど遠く、わずか80分の共有時間の中でしか、触れることができない。

なので、同じ方向での意思がある人にとっては、彼らの「純化」に触れ、感じるものがあったかもしれない。
また、自己の中においての、何らしかの気持ちの端緒に触れて、「ああ」と感じた人もいるかもしれない。
そのような彼らは幸福だったと思う。
彼らは「素晴らしい作品だ」と言うに違いない。
かなりの少数派だとは思うが。

当パンを開演前にパラパラと見た。
「書道がわかんないんだよねー」みたいなことが書いてあった。
「ああ、なるほど、これから始まる演劇はそういうセンで来るわけか」
と身構えていたら、まさにそのとおりだった。

どう見ていいのか、という視点が定まってこない。
どこかに定まる瞬間が、普通の演劇だとあるはずなのだ。
が、それはない。それが出てこないのだ。

つまり、当パンに書いてあるような「書道のどこが面白いのか」を言ってくれる「先生」は出てこない、と思えばいい(書道の場合のように、「どこが面白いのか」を言ってくれたとしても、それがわからないのだけどね)。

ジエン社の演劇で、今まで、「実は、こうでした」とか「オチ」を見せたことは一度もないので、このままそれはずっとないものと思えば気が楽である。
だから、書道や抽象画のように、勝手に楽しめばいいのだ。
だから、「どう楽しい」のか「どう美しい」のかを自分なりの尺度で見なければならない。

舞台芸術で言えば、モダンダンスや舞踏を見るつもりで楽しむことができれば、いいのかもしれない。
しかし、今までは、ジエン社の演劇には「ストーリー」的なものは確かにあったし、「普通の演劇」的な見方でも十分対応できた。
わかりにくさは、「あえて」演出してあったが、それでも「話の筋」を「追う」ことはできた。

なので、やはり台詞が気になるし、人間関係も気になってくる。
それらを無視して、ダンスとして楽しめ、とは言わない。

つまり、「アルコールが混じった汚染水」とか「避難する」とかと言った、イマっぽいというか、それっぽい台詞を頼りにする方法もあるし、「アルコールを断つ」とか「断食」とか、あるいは「文字を書けない」に代表される「精神的にアレ」な人々という視点からの尺度もあろう。

それを踏まえて、こう見た。

まず、主人公は誰なのか、という視点から見てみると、やはり深積イリヤだろう。
キーワードは「文字(言葉)」。

明らかにいくつかの空間と時間のレイヤーが重なっている。

深積イリヤの時間経過と劇中での時間経過にはブレがある。
また、「絶食セミナー」や「断酒会(アルコールを断つ)」の要素も重なっている。
さらにそこに「断食による超能力開発」のような要素も絡む。
「アルコールを含んだ汚染水」を食い止めるための「コンクリートで何かを作る」という現場の休憩所でもあるし、汚染水の危険が及ぶ可能性がある場所でもある。

文字が書けない深積イリヤの登場で、さらに「精神的な医療施設」でもあるようだ。

「精神疾患のための医療施設」というセンで見ていくとしたら、すべてはきちんと収まってくるように思えてくる。

彼らの「断食」「断酒」は、治療の一環であり、超能力やコンクリート作業は妄想で(後半超能力は否定されるし)、深積イリヤに自分が見えてきたり、「先生」と呼ばれる榛名田うみももう1人現れる。彼ら2人は、さらにもひとりの女性としても現れてきるのだが、これを「幻覚」と見てしまえば、簡単になってくる。

そういう見方もアリだろう。

見方のポイントは足元。
「靴」「スリッパ」「裸足」の3種類の足元がある。

「靴」は「外部との関係」。つまり、この場所の外につながる人々。
「スリッパ」は「内部との関係」。つまり、この場所から出られない人々。
「裸足」は「人の内部との関係」。つまり、登場人物の中にいるので、足元には何もない。

そういう見方もあろう。

ジエン社って、いつもディスコミニケーションに怯えているように思える。
それは、作・演の作者本介さん、1人だけの劇団みたいなので、彼の感覚だろう。
それは「外」との関係をいつも強く意識しているように思える。
そして、役者たちもそこは共感できるのであろう。

ジエン社(作者本介さん)は「台詞(言葉)」自体を信じていないようだ。
というか信じられないようだ。
「言葉は相手に届いていない」ということを強く感じているのではないだろうか。

だから、劇中でも台詞のやり取りが会話として成立してない場面が出てくる。
いや、会話のように、ある人が別の人に何か言ったら、言われた人はそれに対して応答しているのだが、本気で会話しているとは思えてこないのだ。

笑いこそすべてだ、的な登場人物が出てくるが、それが伝わらないというのが、それだろう。

まさに「凄い書道」の作品は、「書いてあること」自体が伝わるのではなく(何しろ何て書いてあるか読めないのだから)、その有り様が評価されるということにつながってくることと同じなのだ。

この作品では、それを「空気」と読んでいる。

つまり、言葉を信じていない劇作家が、書道の作品に「これだ」というものを発見して、作り上げた作品だ、というのは言い過ぎだろうか。

台詞や役者の肉体が、半紙の上の墨の文字のように、舞台の上に配置され、時折観客の耳に入る「言葉」や目に入る役者の動きの「配置」あるいは「空気」を楽しむというものではないか。

フライヤーにあった「手書きで文字を書いて」「どこかに貼ってみよう」というのは、「文字」を「意味から切り離す」という行為であり、観客もそれをやってみたらいい、ということであろう。
自分は(作・演の作者本介さんは)、「そういう世界にいるんだ」ということなのだ。
もちろん、演出しているから「言葉は通じている」し、「伝わっている」。しかし、本質的には「それを」「信じていない」ということなのだ。

観客とは「ディスコミニケーション」にならないように、「書道なんだよ」と言い続けているのだが、実態としては、それは伝わりづらいというのが、また、この作品の本質とかかわってきて、観客と作品とが、複雑なレイヤー構造になっていく。

ディスコミニケーションをディスコミニケーションで伝えたら、ディスコミニケーションでしたというわけ。
でも「空気」だから、そこは察してね、と言っている。
「演劇」で、舞台に上げているからね。

言葉を信じていない人の言葉は伝わらないのが当然だ。

作・演の作者本介さんは、その様子を見て「やっぱり言葉は信じられない」と思い詰めるのかもしれない。

当パンには「……何を僕は見ているのか、広い会場で、私はまるで重い水に飲み込まれたように、窒息していた」と、最後のほうに書いてあった。

深積イリヤのとまどいも、それ、だ。
文字を書けないことだけではなく、自分がどう人とかかわっているのかがわからない。
ラストに視点を変えて、榛名田うみが、この場所に深積イリヤの登場と同じにやって来る。
まったく同じ。
登場人物はすべて入れ替わる。

深積イリヤであるはずの深積イリヤは、そこで立ち尽くし、それを見ている。
自分の存在がグラグラしだす。
どこにも自分はいない。
「深積イリヤ」という言葉でしか存在しない自己は、文字が書けない深積イリヤには存在させることができないということ。

文字は意味から離れていく。

「……何を僕は見ているのか、広い会場で、私はまるで重い水に飲み込まれたように、窒息していた」。

「空気」なのにね、「窒息」している。

まさに、同じ体験を観客も、役者も、そして作・演の本人も感じていた(窒息していた)と思う。
それが、この作品の結論だ。

「ストーリー」は、それぞれの中で楽しめばいい。


ジエン社、面白いぞ。
次どうするのか? 
The Last Minute

The Last Minute

eNカンパニー

横浜赤レンガ倉庫1号館(神奈川県)

2014/01/08 (水) ~ 2014/01/09 (木)公演終了

満足度★★

少しはマシになったが
 自分の死に納得のゆかない魂がやってくる場所には、その生涯のハイライトを映す装置がある。そこで死に至る詳細を映しだされた魂の多くが、納得してあの世に旅立つという寸法だ。
 今作で実際にハイライトが映し出されるのは3組のカップル。

ネタバレBOX

 第一話は、リオデジャネイロと思しき場所、明日はカーニバルという日に、若く情熱的なカップルが出会い、互いに一目で恋に落ちた。然し、カーニバルの絢爛たるカップルの中でも特筆されるべきこのカップルは死神にも気に入られてしまった。この後の展開はトリスタン・イゾルデ伝説に準ずるような形だ。
 第二話は19世紀パリ、ムーランルージュ辺りが舞台だ。ロートレックに擬した、内容は余り似つかぬ貴族と、海外からやって来た貧乏小説家が、ムーランルージュの華を取り合う話である。貴族の性質は下司、自らの力を用いて華を落とそうとし、飴と鞭を使い分ける。飴はパリの一流劇場で花形女優としてのデビューと店への資金援助&保護、鞭は、彼女の惚れている小説家の殺害である。彼女は、小説家に連れない素振りを見せて振りはするが、無論、彼の命を救う為。だから、薔薇を一輪彼に投げる。彼もその意味する所に気付かぬ“みむめも”ではないから、とどの詰り、二人の恋は再燃し、という結末だ。
 第三話は、二話迄が、かなり象徴的な手法で構成されていたのに対し、パロディー形式が採られているように解釈した。然し、音楽の使い方等に、誰でもそれと分かる太いメッセージ性が無く、二話迄は、曲がりなりにも象徴的と解されなくもなかった手法では無い形式が採用された為、シナリオの不分明と相俟って中途半端な感覚を観客に与えて仕舞った。三話をパロディーではないか、と解釈したのは、チンピラ同士の喧嘩シーンがたくさんでてくるので、ウェストサイドストーリーのパロディーと解釈したわけだ。だが、そうとハッキリ認定できるようなヒントも自分には見付けられず、シナリオ自体に中途半端であった点に難があるように思われた。
 また、オープニングでは、偉くプレシオジテを感じて仕舞った。その上、ピアノの音が冗長で、とてもプロの音出しとはいえない。少なくとも自分の回りにいる音楽家達のレベルに達しておらずイライラした。この程度のピアノの腕で気取らないで欲しい。声楽はまあまあ。踊りもまあまあであった。
 舞台内容とは関係が無いが、重要なことを一つ。座席指定にするなら、ナンバーに規則性を付与するのは当然のことなのだが、それができていない。結果、とんでもなく着席に時間が掛かり、舞台が始まる前に観客は印象を物凄く悪くしている。幼稚園の子供ですら分かることだが、限られた時間内で素早く的確に観客に定位置に着いて貰う為には、一目でそれと分かる規則性のあるナンバーの振り方にすべきである。こんなことすら出来ないとは、その能力に疑いを持たれても致し方あるまい。
 舞台上は総合星三つ。客入れの要領については、星1つ。幼稚園児にも劣る。総合星2つ、以上。舞台の踊りなどは、それなりだし、プロレベルなので、お勧めにはしておく。
こぐれ塾第二回公演「誰かがドアをKnockするPart2」

こぐれ塾第二回公演「誰かがドアをKnockするPart2」

こぐれ塾

萬劇場(東京都)

2014/01/11 (土) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

満足度★★★★★

次の次かその次には、敢えて破綻か不条理を見せて
 リーフレットにあった新幹線、こぐれ修の挨拶に共感してしまった。これだけの内容。実践した者にしか書けない、揺るぎないのだ。かく言う自分も現在、つか こうへい研究会の末席を汚す者として、この挨拶文に触れ、彼らのデビュー公演への取り組みを読んで、“これでこそ”と納得がいった。開演前に期待感が湧く。

ネタバレBOX

 さっと舞台を眺めると、一見、シンプルなのだが、隙のない舞台美術、流石である。狂言廻しの女性は、人気絶頂の頃の秋川 リサを思わせる雰囲気の女子。オムニバス形式で演じられる5つの話を要領よく解説し、カジノの話題を絡めることによって不自然さを消している。この辺り、シナリオ、演出、キャスティングの冴えが見える。
 演目は5話。上演中なので詳細は省くが、殆ど、同じ舞台美術で、内容、趣向の異なる5つの戯曲が演じられる。無論、センスは抜群と言って良い。作品配列の妙にも工夫が見え、敢えて失敗と見せ掛けたアドリブなどの高等テクニックも見せてくれる。これも、修練してきた内実あってのものである。
スーホの白い馬みたいに。

スーホの白い馬みたいに。

劇団しようよ

インディペンデントシアターOji(東京都)

2014/01/11 (土) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

満足度★★★

迫力があった
演出がいいなと思った。最後の洗濯機、不気味だった。なるほどと思った。よくまとまっていてよかった。

完全即興2

完全即興2

インプロ・ワークス

小劇場 楽園(東京都)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/11 (土)公演終了

満足度★★

おもしろかった
即興は役者にとってむずかしいと思った。きっといい加減な人の方がうまくやれちゃうんじゃないかと思った。まじめな人ほどむずかしい。

幻夜

幻夜

観覧舎

OFF OFFシアター(東京都)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

満足度★★★

出口を求めよ
 その為にはSence of Wonderを入手すべし。頑張れ、応援している。少し、厳しいことを書くが、検討あれ。一所懸命チャレンジしていると信じる。

ネタバレBOX

 バタフライ効果など複雑系の発想を借りて来たり、随分ぺダンチックな装いだが、一体何が分かったつもりで居るのだろうか? 幻にしてしまうしかない自分達の不如意を、不如意が何処から来ているのかの追求もせず、居直っているだけのように感じられる。そもそも、複雑系が出て来た背景にあったものは、考えておく必要があったのではあるまいか? 今作の場合はカオスであるが、何れの複雑系であっても、それが系として成り立つ為には、その系が存在し、働く場が最低限仮定されなければならない。例え、思考主体がカオスの真央に在ったにしても、そして、手持ちの材料が、産まれては滅する不安定な何者かであったにしても、それらの変化が生じるに当たってその要素が認識される以上、存在を仮定してみるのが本筋、また変化する以上は、時間を仮定しなければならない。その上、時空が認識できるとすれば、それが、作動する場を措定しなければならないのは当然である。然るに、今作に於いては場の問題が総て捨象されているのだ。多少とも理屈でゆくなら、この程度のことは、フォローしてしかるべきである。而も、この点に経験など一切必要ない。必要なのは、物理と数学である。この点を押さえずに書かれたシナリオと観た。
 結果は、手垢に塗れた常套手段、夢に逃げ込んで居直っただけの陳腐な作品と言わざるを得ない。もし、上記に指摘した総ての事をした上でなら、内容はもう少し違ったハズである。そしてそのような作品を提出していたのであれば、オーソドックスな形の傑作を2~3作既にものしていなくても、アンチテアトルの作品の可能性を否定できなかったに違いない。自分が良く咀嚼したものを素材に使うことも必要である。無論、どんどん、新しいことにチャレンジし続けることは必要だが、出し方に気をつけられたい。

人狼 ザ・ライブプレイングシアター #10:WITCH 星降る庭と13人の魔女

人狼 ザ・ライブプレイングシアター #10:WITCH 星降る庭と13人の魔女

セブンスキャッスル

上野ストアハウス(東京都)

2014/01/05 (日) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

「分断プレー」で耐久戦に持ち込む



「人狼ゲーム中毒者」、とうとう、天高く登る。


なぜ、ここまで、人狼ザ・ライブプレイングシアターは、私たちの(心)を喰うのだろう。同じパーティーゲームの一種である「人生ゲーム」を舞台化した時、そこに、「議論の占有」「裏切り」「仲間集め」「不敵な笑み」は絶対、現れない。


真夜中、大自然の森で、狼に噛みつかれた元•人間、現•人狼達は、やがて、魔法世界まで侵食するに至った。これが…魔女狩る(マジョカル)裁判である。



この舞台、ネタバレOKだから、開演中であっても、スマートフォンから「人狼ゲーム中毒者」に その模様を実況中継することが可能。劇場を越え、ネット住人まで、人狼の(獣臭い)唾液が飛ぶ。
結論から示せば、激戦の末、「人狼チーム勝利」であった。残る、その獣臭い唾液を辿った先には、可愛げな服装に身を包んだデイジーが いた。この…「赤ずきんちゃん」を見抜いた観客は、一人もいなかった。
つまり、パーフェクトは おろか、人狼三匹を見抜いた観客すら、0人。
通常だと、人狼正解者は10人前後いることを考えれば、その数字は「人狼中毒者」の顔を真っ青に変える力があった。
人狼だったのは、No.4デイジー、No.6エスター、No.8キャシーの三匹だ。同チームの狂人はNo.11パンジー。


このゲームは、〈誰が本物の「予言者」「霊媒師」か?〉をみつけることが、〈誰が「人狼」「狂人」か?」を判断するー適切なー材料である。ところが、霊媒師No.12ジンジャーが「私は処刑されてもいいわ」などと不可解な言動を繰り返し、「狂人」のようなインパクトを与えてしまった。これは、人間も含めた、魔女たちの総意である。「あなたを信じてるわ」と、人狼エスターへ向かい放ったのが他ならない霊媒師ジンジャーだった。


そして、 中毒効果を上げるポイントが、「人狼は狂人を知らない」「狂人は人狼を知らない」憶測効果。
人狼エスターは予言者を名乗り、本来は狂人であるパンジーを「人狼だった!」と断罪した。果たして彼女はパンジーが狂人であることを知ったうえで告げたのかは不明だが、チームが「人狼+狂人」であり、予言者に名乗りでたことを考慮すると、人狼エスターとパンジーは敵かもしれない可能性が高まる。

観客は、処刑されたジンジャーが本物の霊媒師だというプレミアム資料、すなわち残るパンジーは人狼か狂人である情報を与えられた。この時点で、「エスター×ジンジャー ライン」が連結しつつあったから、ジンジャーが本物だとすれば、彼女エスターも本物だという認識になる。
当然ながら、彼女の 言った「パンジーは人狼だった!」も正当性をもつ。


このミス論理が、多くの観客をはめた結果、「パンジーを人狼」とする回答が占めた。その後、パンジーは処刑されている。
もう一度 付け足す。
エスターは人狼、パンジーは狂人である。
分断プレーだった。


さらに、その壁建設は続く。



予言者である立場ゆえ求められたのは、「人狼疑惑の魔女を診ろ」だった。同じチームの人狼キャシーを総意として指名されたたのもかかわらず、あえて「人間だった」とは発表しなかった。
逆に、No.3モーラを「人間だった」と本当の発表をした。
2人の自称予言者が「人間判定」したため、モーラは唯一、「人間」として振る舞うことができた。ちなみに彼女は能力者であり、狩人だった。
しかし、分割された形の人狼キャシーは、「多数決の空気を占有する力」に傾き、(前日に処刑された)「私はエスターを信じるわ!」と語ったことで連携を疑われ、処刑された。人狼エスターが処刑されたのは、あえて分断プレーを強行し、「なぜ占わなかったか?」の疑惑が響いたからだった。
夜、人狼から喰われないことも一因だった。


私が「狩人」に選んだのは、人狼デイジーである。傍観的であり、決して当事者にならない。人間から「あなたは人間的だ!」と押されている。
これは「逆クリスパターン」だろう。議論を指揮して「多数派獲得」に動くのではなく、控え目に待つ戦法だ。残り5人の段階になると、彼女はNo.9ナタリー(人間)へ ピッタリくっつき、追随するアプローチに出た。


ただ、7名の段階から、二匹連続で人狼を処刑したことは、人間チームの快挙だろう。このような議論を進めたのがNo.10ドリス(人間)であった。
仮に その当日、人間を処刑していたら、人狼チームの勝利は決まっている。
三票という団体票を集め、残り1名の人間を惑わすと、それが可能だった。しかし、人狼エスターが予言者ではない事実は ほぼ明らかになっていたので、分断プレーを試みたのだろう。一匹は「私は信じるわ」を言い、一匹は人間チーム側に。
この枝分かれこそ、分断プレーである。


マジョカル裁判は衣装も煌びやか。
一方、女装魔女が 早々、処刑されるのは どうしてなのだろう。議論の中身より、「やりにくいわ!」という感情が そうさせたのか。


天に登りつめた人狼と魔女が、キュートな顔して魔法をかけてくれる。「人狼ゲーム」という魔法を。





























































黎明浪漫譚-れいめいロマンティック-

黎明浪漫譚-れいめいロマンティック-

エムキチビート

吉祥寺シアター(東京都)

2014/01/07 (火) ~ 2014/01/12 (日)公演終了

満足度★★★★★

安心して見られました
こちらの劇団の公演を見たのはこれで3回目。
今回も期待を裏切らない素敵な作品でした。

序盤の段階でラストの読めるお話でしたが、最後が予測できているだけにそれまでの過程を楽しむことができました。
最後まで飽きることなく楽しめました。

また、未原さんの持っている独特の空気がいい意味で目立っていて、気がついたら目で追っていた、という場面が多々ありました。
また、若宮さんの台詞回しもとても好きでした。

次回の公演も楽しみです!

夢も希望もなく。

夢も希望もなく。

月刊「根本宗子」

駅前劇場(東京都)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

月刊「根本宗子」初観劇
過去の自分と現在の自分が舞台上に並行し、時にはシンクロしながら進む舞台。幼ななじみの友人の忠告通り、過去の自分の決断は結果的に、夢も希望もないという、タイトル通りの現在の自分へつながるのだが、しかし、そうして生きる自分とその生を、エンディングのサークルオブライフとともに、許し、力強く肯定する。脚本演出役者共にとても良くできた、面白い舞台でした。

女王の盲景

女王の盲景

空想組曲

シアター風姿花伝(東京都)

2014/01/08 (水) ~ 2014/01/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

空想の新境地
確かにコレは番外!
妄想と現実が入り混じる世界を描く空想組曲の新たなる到達点。

大枠はあくまで現実路線のはずなのに、観客に現実と妄想の曖昧さを疑わせるストーリーテリングと演出はさすがの一言。
設定は複雑ながら、これ以上なら説明過多、これ以下なら置いてけぼりをくらうという絶妙なラインで描き、まるで純文学のような肌触り。

ネタバレBOX

キャストは全員適材適所。特に小玉久仁子さんの演じ分けは圧巻。

ラストの暗闇の中に、台詞でも語られた「孤独と豊かさと祈りに満ちた風景」が劇場空間を越えて広がった気がしました。
アフタートークがある回にすれば良かったとそれだけ後悔。
幻夜

幻夜

観覧舎

OFF OFFシアター(東京都)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

満足度★★★

三位一体ならぬ
一位三体。自由は幻ということ?まぁ、他人の夢の話って、あんまり面白くないことが多いよね。

WWW

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劇団お座敷コブラ

カフェレストランメルヘン(神奈川県)

2014/01/08 (水) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

満足度★★★★★

とにかくすごかったです!!
カフェレストランでの公演ということで、想像していた以上に役者さんたちとの距離が近く、とてもよかったです!笑える場面がたくさんあるのはもちろん、心にグッとくる場面もあり、良いものでした♪座る席によって見え方が異なるため、話の捉え方がポジション一つで変わってくることも、魅力的だと感じました。だから、何度も足を運びたくなるような気持ちになれたのだと思います。素敵なお話でした。

カナガワ リ・古典 プロジェクト 2014紅葉ヶ丘【プログラムB】邦楽×弦楽オーケストラ

カナガワ リ・古典 プロジェクト 2014紅葉ヶ丘【プログラムB】邦楽×弦楽オーケストラ

かながわの伝統文化の継承と創造プロジェクト実行委員会

神奈川県立音楽堂(神奈川県)

2014/01/11 (土) ~ 2014/01/11 (土)公演終了

満足度★★★

思ったよりは楽しめました♪
尺八/藤原道山さん(渋い!衣装もカッコ良かったです)の
オリジナル曲での長い音出しが素敵でした♪

第1部が1時間 第2部が1時間20分ほど 休憩が20分

第2部の能はイメージ的に言うならばネットの動画サイトみたいでした。
オリジナルの動画に別の似合う音を重ねるような感じです。
(ミラーボールの反射光2つを重ねた雪の降る表現は幻想的で良かった)


25弦の琴が驚きでありました

アクアリウム

アクアリウム

DULL-COLORED POP

ぽんプラザホール(福岡県)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/12 (日)公演終了

とても面白かった!
よく練られたセリフ、きっちり計算された演出、優秀なスタッフワーク・・・役者さんたちもみな達者。観ながらものすごくどきどきしたし、ぎゅーっと締め付けられる感じがしました。

ネタバレBOX

何よりも、社会と自分たちの立ち位置を計ろうともがいている感じがいい。過去の方々と自分、動物と自分、同世代の友達と自分、いろんな”他者”を置いて、”自分(たち)”を模索している感じが個人的にとても好きでした。
夢も希望もなく。

夢も希望もなく。

月刊「根本宗子」

駅前劇場(東京都)

2014/01/10 (金) ~ 2014/01/19 (日)公演終了

満足度★★★★★

これをずっと待っていた。
素晴らしかった。感動した。生きていて良かった。もう一回観に行きたい。つづきはネタバレBOX。

ネタバレBOX

根本さん書くものの良さはラストのひっくり返しのひっくり返しにあると改めて感じた。「わたしはわたしなんだ」と根本さんが言い切ってくる、その最後の最後のところに魂が震える。僕は「今、出来る、精一杯。」と同様、根本さんが演じている役を、だから「夢も希望もなく。」では絵津子を中心に観たいし、絵津子が絵津子自身を信じて抱きしめ合った、そこに根本さんでないと書けないものの魅力があると思っている。その意味で、急遽片桐さんが必要になったのも肯けるし、確かに片桐さんであるべきだった。

とマジレスした上で、今回の10年後(あるいは10年前)を並列させる試みは大変面白かった。話を立体的に構成する推進力になっていたし、なにより同一人物を演じる両演者のシンクロは見応えがあった。
黎明浪漫譚-れいめいロマンティック-

黎明浪漫譚-れいめいロマンティック-

エムキチビート

吉祥寺シアター(東京都)

2014/01/07 (火) ~ 2014/01/12 (日)公演終了

満足度★★★★

優しい気持ちになる
夢と現実が交錯して、不思議な感覚。使われている楽曲がかっこよく、クスっと笑えるところもあって、テンポのある展開。後半は、心にじんじん響いて、涙が溢れ、そして、家族のことを思い出させてくれる。優しい空気に包まれた、良いお芝居でした。役者陣も、多役を演じ分け、多くの場面を駆けまわり、叫び、パワーの要るハードな舞台ながら、熱演。どちらかと言うと、苦手なカテゴリーだったけど、観てよかったと思えた作品。

人狼 ザ・ライブプレイングシアター #09:VILLAGE V 冬霧に冴ゆる村

人狼 ザ・ライブプレイングシアター #09:VILLAGE V 冬霧に冴ゆる村

セブンスキャッスル

上野ストアハウス(東京都)

2014/01/04 (土) ~ 2014/01/13 (月)公演終了

満足度★★★

人狼勝利!
残念ながら、最後の人狼見破れず、パーフェクト逃しましたが、要領は掴めましたので楽しめました。

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