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『灰色のカケラたち』

『灰色のカケラたち』

演劇集団SINK

シアターシャイン(東京都)

2021/03/04 (木) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

Aチームを観劇。
初見の劇団ですが、良い芝居だなぁと素直に思いました。

役者さんは熱の入った好演でテーマも1本筋が通った印象。

ネタバレBOX

前歴者等が入る更生施設を舞台としたストイックなお話。
決して綺麗とは言えないバックグラウンドを持った人物たち…灰色のカケラたちが色々頑張ったり、世間の風当たりに苦しんだりしているところを描写(その裏ではとある思惑を抱いた人物が…)。
アユタヤ

アユタヤ

MONO

あうるすぽっと(東京都)

2021/03/02 (火) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

満足度★★

独特の物言いが、はじめから終わりまでずっと慣れなくて、全然言葉が入ってこなかった。残念。。。
MONOのそういう作りは嫌いじゃないのだが、何故だろう??
登場人物の関係性も、物語の起伏も、メッセージ性も、なんだか薄く感じてしまって、ちょっと期待はずれ。

万万枚

万万枚

三輪舎

d-倉庫(東京都)

2021/03/05 (金) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

舞台の色使いが面白かったです
モヒカンの人が盛り上げてくれたり、お父さん役の人のダンスが好きでした
とてもいい香りのする舞台 ありがとうございました

#12『ピーチオンザビーチノーエスケープ』/#14『PINKの川でぬるい息』

#12『ピーチオンザビーチノーエスケープ』/#14『PINKの川でぬるい息』

オフィス上の空

シアターサンモール(東京都)

2021/02/07 (日) ~ 2021/02/14 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2021/02/12 (金) 14:00

座席K列13番

価格6,500円

【ピーチオンザビーチノーエスケープ】
事前情報もあり何人もの女性が1室に監禁(軟禁?)され1人の男の性の対象とされている状況に新藤兼人脚本・和田勉監督「完全なる飼育」(1999年)を思い出す。、
が、こちらは「何人もの女性」であるのが大きな違いで、彼女たちの記憶に同じ友人がいて、それが「幻の女」的存在として登場するのがミソ。(以下ネタバレBOXに続く)

コロナ禍により上演の順は違ってしまったが、本作の次がど真ん中の剛速球的恋愛譚(とはいえ一癖二癖はある(笑))「脳ミソぐちゃぐちゃの……(後略)」だったというのが興味深い。
片や共感し辛い、片や恋愛経験があれば程度の差こそあれ共感必至と対照的なのは「反動」?(笑)
性と愛という密接であるが同時に相反する(?)ものがテーマとも言えるのではないか?

ネタバレBOX

その「幻の女」は彼女たちに影響を及ぼす「各人の過去や考え方の象徴的なものを象徴する存在」かと推測していたが、まさか本人格で、それまでの沢山が派生した人格だったとは。
かつて観た「多重人格系」の芝居では人格が減っていくものが大半で、まさか途中で増えるものがあろうとは、というのも盲点になり、キレイに騙された快感に酔う。いかにもキ上の空論らしいトリッキーさが嬉しくもあった。

あと、終盤で被害者女性が加害者男性を憐れんでいるようにも思えて渋谷ハチ公前「ストックホルム」(2007年・2010年・2018年:2010年版には「PINK……」の岩井七世嬢もご出演)も思い出した。
ジレンマジレンマ

ジレンマジレンマ

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/03/04 (木) ~ 2021/03/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

初めて満足度5を付けた(確か..と思う)。原発事故後の福島の三つの「真相追求」の場で構成され、今や殆ど語られる事のないこの公共的な(であるべき)問題に触れられている。本作は現実のほんの断片だが、背後に横たわる福島のリアルへの推察へと導く契機となるのに十分な言及があった(これしきで言い尽くせたとは到底思えないがそれでも)。
2ステージ目だが白チームは初日(と書いたが1ステージ目だった。両チーム共通の役者も初日)。多分その事もあり最前列で感知する俳優の熱は届きすぎる程の量であったが暑苦しさがなく、これまで観ていたこの劇団の「作為と自然さ」の塩梅とはやや違った塩梅を感じたのも新鮮であった。(うまく説明できないが..芝居にとってナイスな事である)

ネタバレBOX

事故から10年経った今なお生鮮食物の産地をチェックし、福島、また茨城を能う限り避け、東北各県と千葉埼玉栃木をランク付けし、茸類、根菜、米、葉物という具合に危険度ランクを設定し、肉類魚介の産地も同様に(水産は水揚げ港が産地になるので判別つきにくいが)気にする人はどの位いるだろうか。私がその一人だが周りにはまず居ない。が、実際にはスーパーではかつて危険域とされた産地と別の産地とが並んでいれば後者が先に売切れ他方が山盛りになっているのをよく見る。2つある内の「どっちが得か」や「安いのは何故」等と考えてふと思い出す、という人はまだ少なからず居るのだろう。
劇中、産地(県)の表示で米が売れない小売り業者が「取調べを受ける側」として登場するが、生産農家でなく販売店に「風評被害」に対するやるせなさを吐露させている。・・現実には、居住や産業を続けるための「都合」で放射能基準の数値を政府は事故後に上げた。検査はサンプル調査に止め(サンプル採取の数量の設定も重要だ)、危険性の高さに応じて検査密度を上げる等といった「食の安全」目線に立った細やかな対応ができる政府なら、どれ程風評被害を減らせただろうか。「判らない」「見えない」から憶測が生まれる。実態をつぶさに知らせ、公表し、何なら食品のパッケージごとに検出された放射能値を(基準値以下でも)表示する、、そのくらいの事をやって「信憑性」と「信用」を担保しなければ、真実「予断」や「風評」が無くなる事は決してないだろう。(検査を間引いて実態が見えないのはコロナそのもの。日本の役人の体質なのだろうか)
「見えない化」は忘却を助けるが、不信の種は残る。
劇中、「取調べ」に呼ばれているのは夫婦で米屋をやってる妻の方。女性調査員の前で彼女は、虚偽表示という禁忌に手を染めた事をついに認めるが、彼女の中に触法意識はあっても罪意識はない。福島産の「安全な」米が売れない事の方が理不尽なのであり、窮状を見かねた知人にその話を勧められた時、(店の存続への心配もさる事ながら)福島農家が売れない米を作らされている事への義憤が湧いた。彼女の涙は事故後の状況に向けられているが、元を質せば事故そのものに行き着く。

警察の取調べ室では、避難区域の空き家に入った二人の若者の一人。別室の相棒も後に登場するがこの相棒の人生を狂わせた出来事(震災前)に対する男の思いが終盤明かされ、利益相反ながら被災者の厳しい現実も重なる吐き出すような男の台詞が胸に刺さる。

幕開きの場面(正確にはムーブの後)でありラストに来るのが東電福島第一原発の事故後対応に当たった「副所長」と事故調査委員会(政府事故調か衆院事故調か..)の調査官。実在の人物ではないだろうし、「現職」として調査に応じているのは芝居の都合上に思われるが、事故後の具体的事実(職員らの動き)を時系列に追うドキュメントの要素もある。当時が蘇ってきた。
初演のメンバーでもあった白チームの永田氏を私は昔見ている(バブルの頃始まった深夜番組に若きSETメンバーの面々と出演していた)が、記憶と符合する片鱗を見出だせず。
この弱々しく存在する「副所長」は、最後にこの舞台の命となる言葉を言う。ある意味、人生の暗部を黙して語らず、皺の貼り付いた人間が、真情吐露する瞬間とはこういう感じかも。きっと不器用な役者なのだろうと失礼ながら思ったが、それだけに不器用に吐かれた真情が胸に来た。
ジレンマジレンマ

ジレンマジレンマ

ワンツーワークス

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/03/04 (木) ~ 2021/03/14 (日)公演終了

満足度★★★★★

白チーム初日を観劇。
3組の事情聴取状況を巧みに組み合わせた独特の緊迫感が漂う会話劇。

再演とは知らずに観に行きましたが、これはたくさんの人に見てもらいたい芝居だと思いました。

ネタバレBOX

東日本大震災のことが全体の話のベースにあるのですが、あくまでも登場人物一人一人の心象に焦点を当てた話だと理解しました。

個人的には政治的、社会的メッセージ性を強調した作品にはあまり惹かれないのですが、本作は純粋な会話劇としても良質です。

あと、ストップモーションみたいなオープニングも面白い。

罠

俳優座劇場

俳優座劇場(東京都)

2021/03/04 (木) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

何度も上演されている舞台ミステリの傑作である。私もいつどこで観たのか、はたまた読んだのか定かではないが話が進むにつれ段々と思い出してきた。しかし先がある程度分かっていても面白さにはいささかも欠けるところはなかった。どなたも最後の最後まで楽しむことができるだろう。
昨年の公演が中止になった悔しさを吹き飛ばすような力のこもった快演であった。一度は観ておくべき古典…と煽っておいて言いにくいがチケットは完売している。

花樟の女

花樟の女

Pカンパニー

座・高円寺1(東京都)

2021/03/03 (水) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2021/03/04 (木) 14:00

台湾出身の女性作家・真杉静枝の物語。戦前から戦後にかけて、生まれ育ちや性別で差別され、貶められてきた真杉静枝の人生を描く。

冒頭。あることないこと織り交ぜて静枝をひぼうするような小説を書いた作家の元に、静枝の妹とその娘が抗議に乗り込んでくる。舞台は、妹がナビゲーターとなって静枝の半生を振り返りながら進んでいく。
女性が社会で働いてそれなりの地位を占めるようなことが当たり前になりつつある日本だが、森元総理の女性蔑視発言に象徴されるように、日本の男尊女卑のDNAはそう簡単になくならない。日本が台湾を占領していた当時は「女が男を支える」のは当然であり美徳であった。石原慎太郎元都知事の「第三国人」発言にこれもDNAとして引き継がれているように思うのだが、外国人や少数民族、アジア諸国の人たちを「劣等民族」と言わんばかりにさげすむ差別感情も当時は、当たり前のようにあった。こういう時代にあらがって、「書くべきことを書く。言いたいことを言う」という女性が生きるためにはどんなことでもやらなければならなかったのだろう。それが、時には体を預けてまで力のある男性に取り入ったりすることがあったのかもしれない。それが「恋多き女」と評された静枝の一面であった。
でも、「恋多き男」とは表現しないから、文芸作品やジャーナリズムの世界でも、男尊女卑も相当根深く残っている。休憩をはさんで3時間弱の舞台を見ながら、「女は男よりも劣っている」「日本人は優秀民族である」というDNAをどう、拭い去っていくのかを考えていた。舞台を見ながらこういう思考回路になったのは、Pカンパニーの「罪と罰」シリーズの力点であるからなのだろう。

この舞台が、森発言があったからタイムリーだとは思わない。むしろ、森発言のあるなしにかかわらず僕たちが考えなければならない「罪と罰」なのだ。

それともう一つ。冒頭に出てくる作家先生は、書かれる者の痛みを全く理解していない。面白ければ何を書いてもいいのだ、多少誇張や嘘が入っていて何が悪いのだ、という人だ。悪い奴だと思うから悪く書かれて当たり前だ、というバッシングは、現代日本に、特にSNSに巣食い続けている。自分としては、こちらの「罪と罰」の方に思いを寄せる。

「差別」は、される側でないと痛みは分からない。差別がはびこる嫌な社会から一歩でも抜け出すためには、相手の痛みを想像する力を養うことが必要だ。Pカンパニーの舞台は、そういうことに気づくヒントを与えてくれる。

ネタバレBOX

妹に語らせるモノローグでの進行だが、舞台装置を含めた演出が秀逸だった。日本家屋の障子・ふすまを想像させる木の囲いがシーンによって七変化していく。ここも見どころの一つだ。
リビング

リビング

Nana Produce

テアトルBONBON(東京都)

2021/03/03 (水) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2021/03/04 (木) 14:00

価格5,500円

寺十さん目当てで観劇。

家族とは何か。親が子どもに望む姿とは何か。
親の期待に子どもはどうすれば良いのか。正しい夫婦の形、家族の形とは何なのか。
この物語ほどではなくとも、どの家庭にも多かれ少なかれある問題を重く、時に軽やかに描いた物語だと思った。
今藤洋子さんの硬質的な佇まいが美しい。
そして、やっぱり寺十さんはすごい。

ネタバレBOX

今藤さんが「わー、嫌な女」という、憎らしいほどの硬質的な美しさが崩れるラスト。
今までの「わー、嫌な女」が、ああ!そうだったのね!そうなるよね、そうやって生きて来たから、だから「硬質的な美しさ」なんだよね!と感じたラストがいい。
断片/ペール・ギュント

断片/ペール・ギュント

劇場創造アカデミー

座・高円寺1(東京都)

2021/02/21 (日) ~ 2021/02/23 (火)公演終了

満足度★★★★

演劇人育成プログラム「劇場創造アカデミー」の修了公演というと随分前、『大いなる平和』三部作(の第3部)を観て以来のことで、二作目。アカデミーの中身も内情も全く知らないので、演目に惹かれて観るには観るが、新たな門出をする俳優たちの晴れ姿にも幾分惹かれている。もっとも「劇場創造・・」なる存在の正体もよく判らない。パンフに紹介された講師陣は所謂「演劇」での第一線の面々多数で、けっこう厚い(新国立劇場研修所には及ばないが)。座・高円寺の態様もそうだが「劇場創造」という名称からして一捻りだ。座・高円寺の指定管理者がNPO法人「劇場創造ネットワーク」と言い、ここの初代理事長、及び劇場の館長を斎藤憐がやった(この劇作家は経営手腕も秀でていたらしい)。斎藤憐亡き今は館長に広告・コンサル畑の人、NPO法人代表はマキノノゾミ。「芸術監督」の方は当初より佐藤信で、館長が変ってから氏の方が劇場の顔的存在になっている。(斎藤憐もメンバーだった)出身である所の劇団黒テントてぇのがテントや独自な地方オルグで「劇場を作る」存在であったというので、演劇=思想の実践、ようは晦渋な印象である(私が観た佐藤信作品:近年の黒テント「絶対飛行機」「亡国のダンサー」、演出舞台は座高円寺プログラムで幾つか)。
という事を踏まえつつ、また一応「俳優養成所」(的な場)の成果発表である事も踏まえつつ作品を鑑賞。演出は独特でも内容は『ペール・ギュント』であった。『断片/・・』等と命名し直さなくても『ペール・ギュント』で良いじゃん。と。(「断片」化する主体、つまり研修生の個的な何かが反映されているだろうと勝手に予想したのだが割と普通(物語叙述)であった。)そもそもこの作品がペールギュントという超変わった人の「生涯」ではあっても各エピソードは断片と言えそうであるし。
まあそれはともかく・・舞台を観ながら思いを強くしたのは、コロナ禍という現状では、舞台上のどんな営為も現実との対比が意識されてしまう事である。優れた舞台と思える舞台には実世界との接触点がある。しかしコロナ禍下においては演劇をやってる事自体が「現状へのアゲンストな接触」を含む。
「ペールギュント」という一人の人間の人生(濃密で波乱万丈なそれとして描写された)を俯瞰する物語には、人間がどんな人生もその人独自の、交換不能(従って価値換算不能)なものであるメッセージ、究極人の運命は人自身で引き受けるしかないものであるメッセージがそこはかと漂う。「自由」という語に集約されるその「人生」のありようが、現在の息苦しさとの対照として意識された。
舞台の方は数少ない俳優(4人の研修生の内俳優3人と、卒業生が加わって10名程で役をこなし、なおかつペールギュントは場面ごとに俳優が入れ替わる。若い俳優ら(年齢幅はややある模様)は動きの負荷の中で、自然らしい躍動をもって物語を支えていた。

アユタヤ

アユタヤ

MONO

あうるすぽっと(東京都)

2021/03/02 (火) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

満足度★★★★

久しぶりのMONO新作。舞台は十七世紀のタイ。アユタヤの日本人町である。当時山田長政などのリーダーのもと、南方へ進出していた日本人が、次第に追われる立場になっていたころ、アユタヤの商人兄弟を中心に、流れてきた武士、商人、労働者、現地妻などの人間模様である。この京都の劇団はかつて、ゲイの若者たちが共同生活するアパートの日常を描いた作品で、鮮烈な印象を残した。それからもう30年もたつという。確か男性だけの劇団であったがそのメンバーが今も残っていて、今回の舞台にも出ている。みな、結構おっさんになっていて、時日は残酷だなとも思う。しかし、このちょっと小味な劇団が、関西と東京で劇団のカラーのある上演を続けてきたのは、同じ京都のヨーロッパ企画と並んで、演劇界に快いアクセントをつけてくれたと思う。
今回の作品は、作者も書いているが、落ち着かない世相に足をとられてしまった。この作者で、この素材なら、もっと面白い設定や展開があるだろうが、極めておとなしい。細かさと言うならほんの一月前に秋元松代の「マニラ瑞穂記」を見ているので、どうしても比べてしまう。もちろん秋元とは別の線を狙っているのだが、うまく成功していない。もう東京での活動が多くなってしまった作者、俳優を擁する要するMONOだが、自分たちの年齢(初老の曲がり角)に見合った小劇場作品を考えてみたらどうだろうか

ネタバレBOX

。最後は、日本人同士の葛藤も持ちながら、新天地を求めて、ルソンにわたって出発するところで終わっているが、これでは、どこまで行っても日本人、という以上の終わりにはならない。なにか突き抜けた未来を持たせるつもりで書き始めたのだろうが。
このヨツボシは劇団35年お祝いと、今の演劇環境を考慮した長年のファンの花束もの。芝居としてはスト――リーや人物の展開に行き届いたところがなく、この作者とは思えない不手際である。この特殊な場所設定がまるで生きていない。
先の綻び

先の綻び

劇団水中ランナー

サンモールスタジオ(東京都)

2021/02/17 (水) ~ 2021/02/23 (火)公演終了

実演鑑賞

ちょっと大林テイストを感じました。
大林といっても元バレーボール選手の2メートル女優ではない。

ネタバレBOX

宣彦監督です。
幽霊と生身の人間の関わりあいとか対話とか。
誤解 Le Malentendu

誤解 Le Malentendu

コズミックシアター

未来ワークスタジオ(大阪府)

2021/03/03 (水) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

満足度★★★★★

仕事でヘロヘロだったけど、疲れが吹き飛ぶくらい迫力ある演技と、私の置かれた環境も相まって、観いってしまった❗もう一度見たいくらいです‼️

ポー、大鴉の夜、あるいは私達の犯罪

ポー、大鴉の夜、あるいは私達の犯罪

劇団キンダースペース

シアターX(東京都)

2021/02/24 (水) ~ 2021/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★

鑑賞日2021/02/28 (日) 14:00

「大鴉」という詩がどのようなものか知らないので、この舞台の土器にその影響を見るのかわからない。「Never More」という言葉に表された、ポーの絶望感を意味しているのか。
「べレニス」「アッシャー家の崩壊」「ウィリアム・ウィルソン」「黒猫」
愛する者が死にゆく過程で、それへの禍根と後悔、生きているはずだと思い込む偏執的な愛情とその感情の吐露。または、文学への限りない探求と、人への猜疑心。または自分ではどうしようもない自分の性癖・悪意・自己顕示欲への嫌悪と愛情、そんなないまぜのポー自身を死に至る走馬灯のような回想で振り返る舞台。2人のポー。それは呵責と自尊心。
 アトリエで観るキンダースペースから、シアターXに来ると、何ともセットも大掛かりに感じるし、今回はゴシック調に冷たい石のイメージが、ポーらしさを盛り上げる。快作。
でも、2人のポーが健康体過ぎるかな。

暗君

暗君

劇団パラノワール(旧Voyantroupe)

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2021/02/26 (金) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

満足度★★

鑑賞日2021/03/01 (月) 14:00

いつものパラノイア短編集に比べると、かなりライトな仕上がり。
2つの政治課題を、神の力を持って解決してしまうという作品なのだけれど、「少子高齢化」対策に至っては驚くほど、政策としてツボを得ていて、今の政府もこうしたいんじゃないか、とまじに思ったりする。いつまで経っても少子高齢化担当大臣の仕事が、保育所の増設でしかないとなれば。とにかく種付けを強制するしかない。子供が養えないなら、いっそのこと国が面倒見ましょう。高齢者は貴重な票田として大事に大事に、生かさず殺さず。高齢者が蓄えた資産は、子育てに積極的に流用してもらう。ならば、高麗者にはサービス、サービス。
まあ、できあがったのは、立派なデストピア。結局、1つの理念の極端な完成形は、共産主義社会を見るまでもなく、人間性の喪失を前提とする者だということ。(それほど、個人的には共産主義がマイナスな理想とは思っていないけれど)
 性の搾取対策においては、これデストピアというよりも、個人の痴呆化、家族・国家等々社会そのものの崩壊と、経済の停止(バイト生活者が労働者の大半を占めるだろう)、まあ、人間は生存権そのものを放棄するのでしょう。
とてもじゃないけれど、国が統制を取り切れない(溢れる犯罪者とその管理が追い付かない、というか、世の中で普通に闊歩できる男性なんていなくなるだろうし。きっとイケメン証明書の所有はリンチの対象になるんだろうな)
 左右の痴漢冤罪のところ、井口ジョージのキレのよい演技が全体通して、唯一の清涼剤かな。かっこいいし。冤罪をかけた女子に謝れと言うのは、冤罪をかけられた男子の人格を重んじれば当然。だけれど、なぜにあの女官僚は女性保護のみ訴えかけるのだろうか、不思議にならない、まあ、この女性が、上下でも右左でも、極端な要望を神に出して、その実現を持って世を滅ぼすのだけれどね。
 「カリギュラエフェクト」というサブタイトルに、もっと殺伐とした従来の作風を期待したけれど、毒も衝撃もかなり不足がち。まあ再見はないな。

ネタバレBOX

「観てきた」感想が少ないのは、やはり期待外れだったからではないかな。
暗君

暗君

劇団パラノワール(旧Voyantroupe)

シアターKASSAI【閉館】(東京都)

2021/02/26 (金) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

満足度★★★

上下を観劇。
少子高齢化を解決するために行われた非人道的改革後の日本を描いたブラックなお話。

倒錯した世界観といい、振り切った一部登場人物といい、観客を選びそうな芝居です。

ネタバレBOX

個人的には上下だけでお腹いっぱいといった感じですが…。

コメディ性とか政治的メッセージ性の強い作品という印象ではなく、あくまで不条理かつブラックな世界観に浸りたい人向けかと。
帰還不能点【3/13・14@AI・HALL】

帰還不能点【3/13・14@AI・HALL】

劇団チョコレートケーキ

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2021/02/19 (金) ~ 2021/02/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

鑑賞日2021/02/26 (金) 13:00

「全員を助けられないことは、一人を助けない理由にはならない」回想中の山崎が言う言葉。
確かに総力研の力では、日米開戦は避けられなかったかもしれない、でもその被害を1割でも2割でも減らすことはできなかったのか。すべては全か0かなのか。
 彼らは、自らの無力さに耽溺し、全てをあきらめてしまったのではないだろうか。もう少し頑張って抵抗していれば、今1つの命だけでも救えていたかもしれない。そんな悔恨の情が、ラスト舞台を漂う。久米首相、久米首相、ご判断を!
ただただ泣いた。過不足のない役者の配置とセリフ配分、そして淀みなく綴られる劇中回想劇。ほぼ居酒屋と言うほぼ一幕劇で、あの大陸の血なまぐさい空気と官邸内での策謀と傲慢、そして登場人物個々が抱える現在の自分への不安や贖罪意識、よくも描き切ったと思う。

ネタバレBOX

アフターアクトは西尾さん、何か精神科で診療を受けているようだけれどと思い、、、、
で、笑った笑った。あの立派な投げやりさは痛快だったな。
断片/ペール・ギュント

断片/ペール・ギュント

劇場創造アカデミー

座・高円寺1(東京都)

2021/02/21 (日) ~ 2021/02/23 (火)公演終了

満足度★★

鑑賞日2021/02/23 (火) 14:00

劇場創造アカデミーの修了上演となると、「戦争戯曲」定番のところ、最近は別作品を演る様になった。今回は、ある意味王道イプセンの「ペール・ギュント」とはいえこの作品、主人公の荒唐無稽さ、物語展開の奇想天外さで魅せる、初見者には予測・予断を許さない破天荒作品で、演出意図がとても絞りづらい(と思う)。その上「戦争戯曲」も3部すべて上演となるとかなりの長丁場なのだけれど、「ペール・ギュント」もとにかく長い。だから、著名な割にあまり上演されない(気がする)。
今回、「断片」とあるように、(上演時間1時間半と聞いて驚いた)やはりと言えばやはり、場面場面を切り取り再構成した作品であった。これ、何が何だかわからない。いや、そもそも何が何だか分からないところが、この作品の魅力であるにもかかわらず、その魅力を味わえない。おおまかな話を把握しているつもりな私でも、開演からしばらく暗中模索。冒頭ペール親子の会話から場面は判るし、会話の内容も推測できるけれど、全く楽しめない。
舞台装置には凝りに凝ったり、なのだけれど役者が活きていないなあ。次々と役者が変わるペール・ギュント、これでは唯一といえる物語のアイデンテティ―さえも骨抜きで、これ楽しめた観客の方いるのだろうか。完全なプロデユース側の目論見違い、独りよがり、自意識過剰?
 

先の綻び

先の綻び

劇団水中ランナー

サンモールスタジオ(東京都)

2021/02/17 (水) ~ 2021/02/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

犯罪被害者または加害者の観点から描いた物語は観たことがあるし、稀に両方の観点(立場)から描いたものもあった。この公演は単純に被害者・加害者という観せ方ではなく、犯罪の行為そのものに対する憤り、しかし直接的に感情をぶつける相手がいないことへの苛立ちが悲哀となって迫ってくる。
空洞のような家族の空気感と心象を見事に切り取り繊細に描いた秀作。観応え十分!
(上演時間1時間40分)

ネタバレBOX

舞台セットは、郊外にある小山家のリビング。そこは家族団欒の場所であり、家庭の雰囲気を表すのに最適な空間。物語は小山家の人々の日常生活を淡々と描くが、何かが変である。当日パンフに「とある郊外の一軒家、ある男性がもたらした、今そこにある少し不思議な共同生活」とある。ある男とは小山家の長男・信太である。先に書いてしまうが、この男は既に亡くなっている。が、たびたび登場して物語を傍観しながらも牽引する不思議な存在である。家族_兄弟姉妹と言っても性格が違うように、家族内での役割のようなものをそれぞれ担っている。信太亡き後、家族内の揉め事はなかなか収まらないことから、長男として調整役というか緩衝的役割を果たしていたようだ。それを回想的に描くことによって、幸福だった家族に突然襲いかかった不幸への落差として観せる。

なぜこの男が亡くなったのか、その原因、亡くなって気付く人柄を通して、犯罪の理不尽さを浮き彫りにしていく。暴漢に襲われていた女性を助けるため、自分が犠牲になってしまった。物語に犯人は登場せず、助けた女性のほうが現れる。犯罪(ここでは被害者視点)は被害者本人だけではなく、家族や周りの人々に影響を与える。切々と語られる思い出、その滋味溢れる描き方がこの物語を強く印象付ける。

事件から数年経過しているが、いまだに取材を続けている記者(後にその理由が分かる)、その人物を通しても被害者家族が語られる。信太にしても助けられた女性にしても被害者という立場であるが、小山家の人々にとっては微妙な感情を抱く。一方 助けられた女性も心苦しい思いを抱き続けるという不幸。割り切れない気持ち、その思いの捌け口が見い出せない光景として描く。しかし時が少しづつ心をほぐし、ラストには救いの光がさすような心温まる、そして後味の良い公演としている。

パンフには「思い出と共に訪問してくる人々。繰り返しながらも変化していく」とも書かれている。ゆれる心、流される情、微妙に変化していく気持を実に繊細に演じる役者陣。照明は、水面に波紋を広げるような紋様で、表現し難い内面を効果的に表しており見事。
次回公演も楽しみにしております。
真冬のバーレスク~ボードビル3部作~

真冬のバーレスク~ボードビル3部作~

まつもと市民芸術館

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2021/02/26 (金) ~ 2021/03/02 (火)公演終了

満足度★★★★

ネタばれ

ネタバレBOX

『真冬のバーレスク〜ボードビル3部作』を観劇。

短編集ながら、昔に書かれた戯曲を串田和美流にアレンジしている。
描かれる作中の登場人物たちは、戦時中、暗黒街のシカゴと時代が危険を要している傍ら己の人生を謳歌しているが、世間は決して許そうとはしない。
重い粗筋ながら、串田和美が描くとそこには歌や踊りが交わり、一瞬ながらも人生の華やかさが感じられる。だがそんな眩しい人生も瞬間で終わってしまうが、その先には一体何があるのだろうか?
その答えをクライマックスに持ってくるのがアングラ演劇人・串田和美の真骨頂なのである。
派手で眩しい様に見えるが、何とも言えない気分をラストシーンに感じてしまう観客は私だけではないと思うのだが…。

バーレスクとはボードビル、バリエテ、キャバレーそして寄席芸などとほとんど同義語の19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパに広まった大衆芸能でありながら、当時の既成の権威的芸術をぶち壊そうとした大勢の芸術家たちが参加した運動(ホームページにて)

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