花樟の女 公演情報 Pカンパニー「花樟の女」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2021/03/04 (木) 14:00

    台湾出身の女性作家・真杉静枝の物語。戦前から戦後にかけて、生まれ育ちや性別で差別され、貶められてきた真杉静枝の人生を描く。

    冒頭。あることないこと織り交ぜて静枝をひぼうするような小説を書いた作家の元に、静枝の妹とその娘が抗議に乗り込んでくる。舞台は、妹がナビゲーターとなって静枝の半生を振り返りながら進んでいく。
    女性が社会で働いてそれなりの地位を占めるようなことが当たり前になりつつある日本だが、森元総理の女性蔑視発言に象徴されるように、日本の男尊女卑のDNAはそう簡単になくならない。日本が台湾を占領していた当時は「女が男を支える」のは当然であり美徳であった。石原慎太郎元都知事の「第三国人」発言にこれもDNAとして引き継がれているように思うのだが、外国人や少数民族、アジア諸国の人たちを「劣等民族」と言わんばかりにさげすむ差別感情も当時は、当たり前のようにあった。こういう時代にあらがって、「書くべきことを書く。言いたいことを言う」という女性が生きるためにはどんなことでもやらなければならなかったのだろう。それが、時には体を預けてまで力のある男性に取り入ったりすることがあったのかもしれない。それが「恋多き女」と評された静枝の一面であった。
    でも、「恋多き男」とは表現しないから、文芸作品やジャーナリズムの世界でも、男尊女卑も相当根深く残っている。休憩をはさんで3時間弱の舞台を見ながら、「女は男よりも劣っている」「日本人は優秀民族である」というDNAをどう、拭い去っていくのかを考えていた。舞台を見ながらこういう思考回路になったのは、Pカンパニーの「罪と罰」シリーズの力点であるからなのだろう。

    この舞台が、森発言があったからタイムリーだとは思わない。むしろ、森発言のあるなしにかかわらず僕たちが考えなければならない「罪と罰」なのだ。

    それともう一つ。冒頭に出てくる作家先生は、書かれる者の痛みを全く理解していない。面白ければ何を書いてもいいのだ、多少誇張や嘘が入っていて何が悪いのだ、という人だ。悪い奴だと思うから悪く書かれて当たり前だ、というバッシングは、現代日本に、特にSNSに巣食い続けている。自分としては、こちらの「罪と罰」の方に思いを寄せる。

    「差別」は、される側でないと痛みは分からない。差別がはびこる嫌な社会から一歩でも抜け出すためには、相手の痛みを想像する力を養うことが必要だ。Pカンパニーの舞台は、そういうことに気づくヒントを与えてくれる。

    ネタバレBOX

    妹に語らせるモノローグでの進行だが、舞台装置を含めた演出が秀逸だった。日本家屋の障子・ふすまを想像させる木の囲いがシーンによって七変化していく。ここも見どころの一つだ。

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    2021/03/04 20:55

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