丘田ミイ子の観てきた!クチコミ一覧

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溶けたアイスのひとしずくの中にだって踊る私はいる

溶けたアイスのひとしずくの中にだって踊る私はいる

焚きびび 

JINNANHOUSE B1F diggin studio(東京都)

2024/09/13 (金) ~ 2024/09/16 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

すごろくや人生ゲームでいうところの「一回休み」、自分だけ時が止まったようなそんな時間こそがその実人生でもっとも大切なきせつだったりする。そんな極私的な記憶の蓋があき"今"と"かつて"の切なるユニゾンにいつしか私も加って、叫んで、泣いて、笑っているような。
そんな演劇だった。
ある"かつて"を巡る旅の様で、まさに目の前にある"今"へのエンパワメントの様で、多分それはどちらでもあるということ、ともにある他ないのだ、ということだったようにも思う。
だから時に希望は絶望に翻るし、しかしそれは私たちが絶望を希望に翻すことができる、というやはり希望であったりもする。

そして、それらのキャッシュやトラウマを「言葉を書くこと」、「文字で刻みつけること」で乗り越えんとする人間の姿、それでしか全うできぬ浄化を描いた物語でもあった気がして、ものを書く人間にとっては厳しく迫るものもあった。
それを書かねばここから前にはすすめない、という主題を持ちながら筆を執れずにいる自分、それとはまるで別の言葉を世の中に届け続けることで精神を保っている自分、そういう自分から自分を解放するのはやはり自分しかない。だけど、そのことに記憶や思い出の中に存る誰かが「あっちだぞ」「さあいこう」と手を差し出してくれることもある。そうしたときに、その冒険に乗る勇気を持っていたい。ラストシーンを見つめながら切にそう願った。

だからこそ蓋のあいた極私的な記憶についても綴りたい。
私は学校という小さなしかしそれが全てに思えていた世の中とうまくやれず、中2で不登校になった。その頃、丁度ロンドン留学中の姉が夏休みで一時帰国をしていて、私は姉や朝晩問わず気まぐれに訪れるその友人たちとひと夏を過ごした。
彼や彼女は一度も私に「学校に行け」とは言わなくて、その代わりに平日の湖や朝方のドライブ、夜明けまでの夜更かしに私を連れ出し、先々でする少し大人な話をきかせ、縮こまって暮らしていた私に存分な背伸びをさせてくれた。
思えば、詩を書き始めたのも、ピアスをあけたのも、古着を買ったのも、初めての恋を失ったのもあの夏だった。「一回休み」にこそ人生が詰まったような。そんな"かつて"の夏の終わり。
激しい感情を持て余すかのようにどしどし、ぺたぺたと部屋中を歩き回るエミルはまるであの夏の自分みたいで、感情移入だけを演劇の没入にしたくない、してはならない気がするという理性とは裏腹に、私には自分と重ねて観る他なかった。
幼く、隙だらけなのにすっかり覚悟を決めているエミルが書く詩を読んでみたい。
嵐のように現れ、そして去ったトキの詩もやっぱり読んでみたい。
そうも思った。

劇中唯一出てきた俗世を思わせる「浜辺美波」という固有名詞に、彼女たち、彼たちの"かつて"が"今"に繋がっている可能性を見て、それはやはり希望のように思えて、嬉しくなった。
あなたもわたしもいる。"かつて"にも"今"にも。だから、きっと、溶けたアイスのひとしずくの中にだって踊る私はいる。

『ミネムラさん』

『ミネムラさん』

劇壇ガルバ

新宿シアタートップス(東京都)

2024/09/13 (金) ~ 2024/09/23 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

開演5分前に当日券に滑り込み。
3人の劇作家による3つの物語が追憶のように混ざり合って、時に重なり、時に乱反射しながら人ひとりの存在を縁取っていくような。そして、それは特定のひとりじゃなくて、私であったりあなたであったりする。
そんな演劇でした。

タイトルから峯村リエさんの半生を辿ったりするのかしら?または、峯村さんをモデルにした物語?などと思っていたのですが、全くそうではなく。むしろ観終わったときに、きっと誰しもの近くにいるだろうミネムラさんを、自身ですらあるかもしれないミネムラさんに思いを馳せるような。そんな時間。

人って、掴みどころがないものなのだ。それはちょうど外側から見る窓の風景みたいに。私たちはいつだって互いに窓の内側にいかなくては触れることすら叶わない。山崎一さんが発したある劇中のセリフからつくづくそんなことを知らされたりもして。峯村リエさんの様々な横顔により痛感したりもして。

だけど、窓の中でも外でも人と生きていくのが人だったりもする。そういう瞬間に劇にぐっと奥行きが生まれていたような気がするし、"ミネムラさん"と人生を交える笠木泉さん、森谷ふみさんそれぞれの切実も素晴らしかったです。
窓の向こうと此方を往来しながら人ひとりの存在の奥行きと深さを噛み締める観劇でした。

バード・バーダー・バーデスト

バード・バーダー・バーデスト

南極ゴジラ

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/09/19 (木) ~ 2024/09/23 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白かった、よかったのその前に「みんなのことが大好き」と叫びたくなる演劇だった。一人一人(一頭一頭?)がぐっと愛おしく、きちんと哀しかった。ラスト、涙で霞んでゆくその風景は雲への突入を思わせるようで、空へ、もっと空へと祈るように見ていた。

青春の終焉と世界の終末が互いを乱反射する様に立ち上がっていって、その狭間から溢れる光が眩しかった。"想像の翼"なんて言葉があるけれど、これこそまさに、という滑走をからだが、浮遊をこころが感じていた。
あのシーンを生み出したのは大袈裟でなく愛と信頼と想像なのだと本気で思った。思えた。

本当にきれいだった。
130分とあり正直身構えていたけれど、どの時間も、そしてどの記録も大切で、置き去りにして飛んでいくなんてできなくて。観終わった後にここまでタイトルが刺さる、刺さっていつまでも抜けない作品も珍しい。

俳優各々のチャームが活かされた配役も、そして音楽が物語に与えるドライブも素晴らしくて、さまざまな瞬間を忘れられそうにない。
前作に引き続き瀬安勇志さんの悪役に滲む悲哀、対極の役とをこなす力にも魅せられた。揺楽瑠香さん演じるアンテナの辛抱強い明るさが灯す解放と浄化には、人間に叶わぬ飛ぶことへの憧れと衝動が忍ばされているようでもあって。行き場のない意固地さや持て余したエネルギーを時に大胆に時に繊細に体現した端栞里さんとユガミノーマルさんも愛おしく。そしてそんなみんなを守り、そして愛され慕われる先生役の亀島一徳さんの包容力...。
賑やかな青春の中で密やかに芽生える恋心や友情の描写もかわいくて、切なくて好きでした。

前作よりもぐっと劇世界の密度があがっていてそこにも羽ばたきを感じていました。
今後の飛躍がますます楽しみです!
誰も彼もが自分の空を飛ぼうとしていることに胸を打たれた。そのことを互いに信じることができたら私たちはきっと鳥に、もっと鳥に。
『バード・バーダー・バーデスト』

許し

許し

avenir'e

新宿眼科画廊(東京都)

2024/09/14 (土) ~ 2024/09/24 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

イタリア人の劇作家であり、avenir'eのメンバーでもあるダニエーレ・レオーニさんによる新作海外戯曲。
いくつかの出来事から一家離散したある家族がミラノの町の片隅で再会、から繰り広げられる75分のノンストップバトル劇でした。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

どうしようもない父親VS捨てられた息子のバトルに始まり、かつて妹に手をあげた兄VSそれによって家を出た妹に繋がり、「そういえばあれも」「これも!」と対戦相手がどんどん錯綜してクロスバトルに転じていく。家族関係の歪みや軋轢がガシガシ、みしみしと、シリアスに迫りくる部分もありつつも、フリースタイルダンジョン顔負けの「許す/許すまじ」バトルシーンでは瞬発的に露呈する人間の情けなさや滑稽さに、こちらも瞬発的に笑ってしまう部分もあって我ながらひやっとしてしまったり。会話の積み上げによってバトルにアクセルがかかっていくのも、かと思ったら、ぽつりと長年言えなかった本音が一言溢されたことで急ブレーキがかかったりと、俳優が巧みな分だけそのドライブに相乗りせざるえない感触もあり、まさに振り落とされぬようしがみつくのみ、という感じだった。「そんな簡単には許せない」と「これさえあれば許せたのに」は表裏一体でその瀬戸際を見せられることで、観る者の感情もあちらこちらへと揺すぶられていく。どうしようもない父親を可哀想に思ってしまう一瞬も、そんな父を見限って再生しつつある兄妹の仲を清々しく思う瞬間もあって、自分の中にもたしかにある激しい感情の在処を見破られているような気がして動揺も。
そんな観客に寄り添うかの様にバトルに慌てふためく他者の存在が一人あったことも劇のうねりにおいて重要だった気がする。
文学座公演ではなかなか観られない柴田美波さんの目つきが見られたこともよかった...文字通り人が変わったようだった...!
The Human Condition

The Human Condition

人間の条件

アートスタジオアイムヒア(神奈川県)

2024/12/07 (土) ~ 2024/12/08 (日)公演終了

実演鑑賞

「いらない」と、思われたことはありますか。
「いらない」と、思ったことはありますか。
本作のキャッチコピーである。

人間の条件『The Human Condition』は相模原障害者施設殺傷事件が題材ということで観る前からきちんと受け取れるか、耐え切れるかの不安もあり、かなりの覚悟で観劇を決めた。この事件を扱う限り問題作にしかならない、ならざる/せざるをえないという気持ちがあったし、そういう意味ではやはり問題作だった。

ただ、思うところやきついことも沢山あったけど、「一人の男の思想と罪を糾弾し、許さないとすることだけではこの事件は終わらない、終わらせてはならないのではないか」、「その思想や罪と果たして自分は無関係だろうか、社会は無関係だろうか」という視点から考えて、考えて、そして応答することなしではこの先の劇作に向かえないという思いの片鱗を端々にみた。上演にあたって膨大なステイトメントが発表されていたことも影響していると思う。いつもの観劇だと、そのことは上演ではなくその周辺情報の力でともすれば劇の強度の評価は損なわれたりするのだけど、この題材を扱う本作においては全てが必要で連動しているものとして私は捉えた。

カンパニー名とタイトルが同一であることが示す通り、本作以前と以降で劇団や劇作家としての在り方も変わるのだとも感じました。

作品が与えるショックを鑑みて上演前には入退室自由のアナウンスがあり、植松死刑囚の思想や言動をなぞるシーンでは私も心身への負担から一時退室も考えたけれど、全編観た今は、少なくとも今は必要なシーンであったように思う。直接的な描写を避けた「配慮」ともとれる演出もあって、そのことを被害を受けた人や遺族に対する姿勢として受け取りつつ、それが同時に観客へ配慮でもあることから色んなことを考えさせられたりもした。

カンパニー側からのアナウンスは丁寧にされているのですが、劇場の客席のつくり上、なかなか途中・一時退室する勇気が出しにくいかもしれない。だけど、そこは本当に誰しもに無理せずに観てほしいし、そういうことがどんどんされていくこともまたこの作品を通じて目指す社会の在り方なのではないかとも感じた。

あと、私は人間の条件の持ち味とも言えるドラスティックな劇中音楽の持ち込み方が本来はとても好きで、今回も際立っていたし、必要な箇所もあったのだけど、激しい音楽がドラマの盛り立てを手伝わざるをえない部分もあり、題材が題材だけにそのあたりのバランスはかなり悩ましいところだなという気づきもありました。
まだ全然頭も心も整理がついていないけど、観たということを残しておくべきだと感じたので、まとまらないままですが書きました。

※"ネタバレ"や"満足度"というものを本作に持ち込むことに抵抗があるため、ネタバレBOXの使用や満足度の設定は控えます。

三ノ輪の三姉妹

三ノ輪の三姉妹

かるがも団地

三鷹市芸術文化センター 星のホール(東京都)

2024/08/31 (土) ~ 2024/09/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

チラシの写真も素敵で気になっていた、かるがも団地『三ノ輪の三姉妹』。初日観劇。
登場人物たちの心の動線が丁寧に張り巡らされていて、そのことが導く風景にも奥行きがありました。独特のチャームをもった台詞回し、語りと会話の継ぎ目のシームレスさ、作家の個性、俳優の魅力を端々に感じる演劇で、観られてとてもよかった!

誰を切り取っても人物造形が丁寧で、どこか自分に似たあの人も、全然似てないその人も、其々ちがうみんなの気持ちが少しずつわかってシンパシーとエンパシーを重ねながら観ました。
自分の家族にもこう思えたらな。下町でそれぞれの暮らしを送る姉妹とも、そして、姉妹を生み育てたお母さんとも手を取り合いたい。そんな気持ちでした。

俳優さんがとにかくチャーミングで、みんな少し可笑しくて、でもその可笑しさの裏でそれぞれが何かを背負ったり抱えたりしていて、姉妹に限らずそれゆえの明るさがとても愛おしかった。生きてきた歩みや人生の見えるお芝居の数々でした。

四人姉妹に生まれ、卒論を向田邦子で書いた身としては(あくまで単なる設定という意味で)『阿修羅のごとく』を想起もしたけれど、家父長制(のようなもの)や男性性(のようなもの)についての視点を携えつつ、ただの批判や糾弾に収めないことでより人間やその関わるの複雑さがリアルに描かれているように感じました。
あと、選べない境遇の元で今を生きていく上での息苦しさを生々しく切り取っていたところにも惹かれました。明るく、温かいけれど、きちんと生々しい。そんなところに惹かれました。

グッとくるシーンたくさんあったのですが、美容室のシーン好きだったな。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

誰かに髪をなでられるときにだけ緩まる何かを私たちはこの身体にもっているような気がしていて、三姉妹にとってそういう場所があることが私はとてもうれしかった。
あと、生まれ育った環境が真逆の恋人の存在も。「わかりあえなさ」だけでなく、そこを飛び越えようとする姿までを筆と芝居が追ってくれたことに救われた。
同棲と一人暮らしについての議論も必要なシーンだったと感じました。

家族の仲の良さなんてものは本当に外からはわからないもので、それぞれの形があるけれど、不器用だけど懸命な人たちがそれぞれの場所で、たとえば商店街や海のそば、2LDKのマンションなんかでそれぞれ楽しく生きていてほしい。それから時々つながって、相変わらずのその煩わしさに嫌気がさしたり、それでもやっぱり気にしあったりしながら生きていけますように。

ちなみに私は四姉妹の三女。誰かと誰かの間に時々挟まり、おしゃれと居酒屋はとても好きで、ここだと思う職場と出会うまでに遠回りをしてきました。ちなみにちなみに、姉妹との最後のやりとりは昨晩のグループライン。ある必要に迫られて4人全員が映っている写真を送り合った。気に入る写真も夕飯に食べたいものも、いつも意見は割れるし、些細なことで揉めたりもするけど、雨が降ったら傘の中に入れてあげるし、入れてくれる人たちではあるかなあ。
"Gouche"

"Gouche"

PANCETTA

小劇場B1(東京都)

2024/07/31 (水) ~ 2024/08/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初日を6歳の息子と10歳の娘とともに観劇。
味あるキャラクターに、さらにさらにといのちの躍動を灯す様なお芝居、ゴーシュの心象風景と観客の想像力に寄り添う豊かな演奏も素晴らしく、夏休みに親子で観るぴったりの作品でした。

ゴーシュと父の在りし日の忘れえぬ触れ合いが、セロとの対話やともに奏でる音楽にシームレスに繋がっていく様子、個性あふれる動物たちとの出会いによって、自身の表現や心を磨いていく様子、シーンが重なっていく度にゴーシュの心が成長していくようでもありました。

劇場に入ると、音符と花が一つになったような小道具が観客へ配られ、そして最後には、それを観客からステージへと手渡していく。その温かな循環にもグッとくるものがありました。
歌唱そのものがものすごくハイクオリティなミュージカルというわけではないのですが、プロによる楽器演奏がしっかりとベースを支え、等身大の声色で語りかけるような歌が躍動感を持って心に伝わってきました。子どもたちも満足していた様子でした。
そして、演劇の町・下北沢での観劇では、町中でさっき観た演劇のポスター見つけてはしゃぐまでがお約束です(笑)

ミセスフィクションズのファッションウィーク

ミセスフィクションズのファッションウィーク

Mrs.fictions

駅前劇場(東京都)

2024/08/08 (木) ~ 2024/08/12 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

なかないで、毒きのこちゃんとMrs.fictionsと日本のラジオを観るんだ、3団体一緒に観るんだという強い気持ちできました。何が何でも初日に、という気持ちで。
「ファッション」をテーマに、タイプの異なる団体がやはりタイプの異なる作品を発表する、言うなれば、ファッションショーケース演劇!

明日のデートに着ていくお洋服を巡って様々な心が脳内会議を繰り広げるかわいらしいコメディで劇場内のモードをグッと温めた、なかないで、毒きのこちゃん。

ヒヤッとしたり、クスッとしたり、ホラーサスペンスともブラックコメディとも言える作風で舞台上に独特の湿度と磁場を生み出す魅惑の日本のラジオ。

そして、特撮好きの恋人とそんな彼に影響を受ける女性の物語を通じて、今と昔、変わりゆく時代と変わらないもの、その狭間で起きる心の葛藤や信念の行方を炙り出したMrs.fictions。

愛らしくて、かっこよくて、楽しくて素敵な作品群でした。
タイプの違う演劇を一気に観られるの豊かだし、1作40分強という短尺なのに見応えが濃密で各々の劇作の力を堪能。
(Tシャツを買ったので一人でお家ファッションウィークやるぞっ!)
個性豊かな3団体を一挙堪能できる、この夏限りの演劇(とファッション)のお祭り。
昨年恵比寿で観る予定だった方も、演劇が初めての方も気になったが吉日な企画だと思います。
チケットがタグなのもニクい〜!
余談ですが、幕間?に岡野さんと並ぶ俳優さんが舞監さんと知る。ランウェイまでモノにするなんて素敵!おしゃれして感想語る会ファミレスとかでやりたい。そんな作品でした。

ガチゲキ!!復活前年祭

ガチゲキ!!復活前年祭

『ガチゲキ!!』実行委員会

アトリエ春風舎(東京都)

2024/08/08 (木) ~ 2024/08/18 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ガチゲキ!! 劇団だるめしあん『#ラブイデオロギーは突然に』を観劇。

激励劇だ。あの頃の自分に言ってあげたいこと、今の自分が言われたいことがギュッと詰まった90分。ケータイ小説に生きるヒロインにも現代を生きる同世代の女性にも自分を見た。

時空を越えたシスターフッド、呪いとの対峙と決別、そして、生きることへの祝福と共にたたかう友との乾杯。私も今を憂いてばかりいられないぞ、とすごく励まされ、励ましたい人の顔も浮かびました。終演と同時に沸き立った溢れんばかりの拍手がこの演劇の必要を物語っていた。
そして、その拍手の大きさに再び励まされるような時間でした。

ファジー「ours」

ファジー「ours」

TeXi’s

STスポット(神奈川県)

2024/08/21 (水) ~ 2024/08/25 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初日をSTスポットにて観劇。
プロジェクトの中でも前作『theirs』は「男性の背負っている加害性」、今回の『ours』は「女性の背負っている加害性」を一つのテーマとしていますが、私が勝手に思い込んでいたイメージとは全然違う演劇で、そのことに多くの気づきや内省を得ました。

男女二元論、そして、「男女二元論が生み出してしまう加害性」は私の中にも確かに存在する。その事と向き合う観劇でもあった。俳優さんのリレー書簡からも。一人ひとりの眼差し、答えを一つとせず、いくつもの選択肢や可能性を"みんなで考える"シリーズだと改めて痛感しました。

男性、女性、そして全ての人が背負っている加害性を考える本プロジェクトにおいて、おそらく私は、一人の女性としてだけでなく、2人の子どもを育児する親としての視点も持ちながら見つめざるをえないと考えていますし、その必要を感じています。

歩かなくても棒に当たる

歩かなくても棒に当たる

劇団アンパサンド

新宿シアタートップス(東京都)

2024/08/07 (水) ~ 2024/08/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

今回もまた日常に生じた小さな嘘と正義、気遣いと気休めによってとんでもねえ事態が招かれ、さらに招かざる客(?!)までが招かれ、やがてとんでもねえ大事態になっていく可笑しみのトリプルアクセルを堪能。

ゴミ出しに間に合うか合わないかの話が、まさかこんな風に展開するなど誰が予想できるのか!笑いだけでなく劇構造の細部にも劇作家・安藤奎さんならではの美学が宿っている様に感じました。俳優の個性を最大に引き出す技術、予想を上回る魅力でそれに応えるキャスト陣も素晴らしく。

(麗しの!)川上友里さんのチャームと狂気が圧巻、堪能!
西出結さんの巻き込まれっぷりと悲哀も、安藤輪子さんのはみ出た真面目さも、永井若葉さんの協調と見せかけた適当さも、鄭亜美さんの番狂せな妖しさと艶も、配分・配置が絶妙で、どことどこをどう掛け合わせたら何がボムするかの見通しが全てクリーンヒットを成していて美しいほどでした。
小気味良く起きる笑いの奥に、荒唐無稽な世界の裏に、ノリや勢いでは成立しないある種の潔癖さを感じて、私はそこに芸術における秀逸さを感じたりもしました。が、今回もまたそこにさらに、お家芸とも言えるどアナログな装置が仕掛けられ新磁場が爆誕。もう呆気に取られ笑うしかない、痛快でした!

はやくぜんぶおわってしまえ

はやくぜんぶおわってしまえ

果てとチーク

アトリエ春風舎(東京都)

2024/08/01 (木) ~ 2024/08/04 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

凄まじかった。
目に見えて人が怪我したり死ぬ出来事は起こらずとも、日常がいかに地獄かを、言葉や意識や無意識によってどれだけの見えぬ血が流れ、心が殺されていくかを60分で描き切っていました。
私も、誰もがあの教室にいた、いや、いるのだと改めて知らされた。

冒頭に高校生たちが手に取るティーン誌は私がかつて長く携わっていた雑誌で、その表紙とめくられていく誌面からぴたりと自分が担当した企画やページが見えて、その時頭上から何かを振り下ろされたかの様な気持ちになった。
少し昔にある世代を魅了したあの"カワイイ"雑誌の中にも、ポップにコーティングされながらその実鋭い刃を剥いた言葉たちが恐らくある。無関心から誰かを透明化したり、物や人への人気投票によって優劣をつけたりがある。他にも色々あった。
そして、紛れもなく私もそれを送り出してきた一人である。

だから「振り下ろされたかの様な気持ち」ではない。振り下ろした、振り下ろしていたのは自分の方なのだ。それらがこうして、ただでさえあらゆる傷を追わねばならない放課後に流通していたことを恥ずかしながら10年以上も経って痛感することになって、これはもう後世忘れてはならない感覚だと刻んだ。刻む様に血の流れ続ける放課後をみていた。

女子高を描いた演劇だけど、女子高生の問題ではない。
全ての人間があの教室の椅子にまず着席せねばならないと思った。
だからこそ、年1回位の頻度でカンパニー出費でなく公的助成や主催のもと上演されてほしい作品でした。俳優が皆痛い程に素晴らしかった。

升味加耀さんは今まさに掬い上げ、摘み取らなくてはならぬ問題に真っ向から筆を入れる劇作家の一人だと思います。それは私が観たどの作品でも揺るがない。岸田戯曲賞の選評ではその眼差しや覚悟についてがあまり言及されなかった気がしてて遅ればせながらもどこかに記したい気持ちにもなり(記し)ます。

冠婚葬祭

冠婚葬祭

エリア51

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/07/25 (木) ~ 2024/07/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ある曲とあるシーンで胸がいっぱいになって落涙しながら拍手しました。音楽と演劇の力をどちらも同じくらい感じています。空間としても、作品としても考え抜かれていました。

終演後ゲストパフォーマンス、リリセwith仲間たちのサイファー読書会もとてもとってもよかった。言葉と音楽、そしてそれを持つ心身が対等であり、平等であること。誰しもがライターにもスピーカーにもシンガーにもなれるということを信じ祈るようなパフォーマンス。
またどこかで必ず観たいと思いました。

美しく、高くなるほどに強さが光る鈴木さんのボーカル、神保さんのギターと廣戸さんのベースが刻む不可欠なビート、そして心拍のような心地よさを鳴らす中野さんねマリンバと鐘々江さんのヴィブラフォン。胎内から聞く外の音はこんなだったかもしれないななんて思っていました。

俳優の力と技も感じました。
星さんの包容力とそれでいて孤高の存在感は旅人そのもの。中嶋さんの身体は地を這うときこそ宙に浮いているかのようで、熊野さんの身体は動く度に生きる喜びと切なさが弾け出すようで、萩野さんは静かな葬いに心を燃やすようで、みんなそれぞれ一瞬身体が泣いてるようにも見えた。音楽演劇だけど、ダンスパフォーマンスももっと押し出していいくらい素晴らしかった。

そして、私が思わず涙したのは、高田さんが花瓶に花を活けるシーン。
歌詞に合わせるのではなくむしろ導くような横顔と所作に胸が溢れた。
私は応援コメントに「人生のオールタイムベストだ」と書いたけれど、こんなふうに大切な誰かにもらった花束をほどいて、一つずつ慈しむように時間をかけて活けること、そして例えば窓辺なんかに飾るようなひとときこそが冠婚葬祭に匹敵する、いや、もしかしたら勝る人生のベストタイムであったりするのかもしれない。高田さんの横顔と仕上がっていく祝福の花瓶を交互に眺めながらそんなことを思っていました。思っていたら、自分がそれを忘れていたこと、すっかり蔑ろにしていたことを一緒に思い出して、涙が出てきてしまったのです。
我が家には毎月お花の日があるのに私は多分長らくこんな顔をして活けてなかった。
花を買って帰るには時間が遅すぎたから家に帰ってまず花瓶を洗いました。

起承転結で構成された物語や演劇には慣れていても、冠婚葬祭を紡ぐ音楽と演劇にはきっとそう出会えない。案の定、祭りの後は少し寂しいけれど、それも含めての人生を眩しく描いた音楽と演劇でした。日本ならではの文化が要所要所に忍ばされているのもよかったです。
そして、照明(松田桂一さん)を堪能する作品でもありました。本当に素晴らしく空間を照らし、灯し、縁取られていました。あと、星さんが鬼のお面を手にした時は、「もしや、まだ鬼に魅せられてる?」(1年前の条件の演劇祭参照)と少し笑いました。
作・演出の神保さんにも改めて大きな拍手を。ゲストパフォーマンス含め、演劇シーン、まだまだ進化する、またひとつ素晴らしい世代が彩っていく、と確信するようなステージでした。
墨田区の人は500円で観られるそうなので、是非墨田区の人にも広く伝わりますように。
もちろんそうじゃない人にも。
すみだパーク遠いと思うかもしれないけれど、足を運んで本当によかった...。子どもたちにも見せたかった、聴かせたかったな。多分まだ感想書きますが、とにかく生きるということを最高に祝福され、労われ、激励された気持ちです。祝福し、労い、激励したい人の顔が浮かびました。

ダダルズのサル

ダダルズのサル

ダダルズ

SCOOL(東京都)

2024/07/22 (月) ~ 2024/07/24 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

ダダルズを初めて観た日から今後二度と見逃すものか、それもできたら初日にと心に誓い、今回も類に漏れず待望の観劇。脳や内臓を揺すぶられる様な体感は健在だけど、今回はこれまでより主題が明確で、そのことによりさらに思考の深淵へと臨んでいく様に感じました。

自転車の蛇行という記憶の風景を語りながら、それがいくつもの物事と接着や剥離を繰り返し、やがて部屋の湾曲に繋がっていく。物理的な意味合いでも精神的な意味合いでも人間の心身に発生する歪みや揺らぎ、つまりカーブ。同じことを体験したわけでもないのに痛くなるのは、同じではなくとも確かに自分の中にも、あるいはその部屋にも存在するそのカーブに触れられたからなのだと感じたり。そして、そのカーブは例えば老いゆく母の背骨や日々刻まれていく自分の皺を彷彿させ、やるせ無さがさらに募る。
人が生きていく上で抱えざるをえないトラウマとかやるせない気持ち。そういう個人的な「どうしようもなさ」にどこまでもどこまでも対峙して、今回もまたあんなにも溢れながら「渇き」を開示する大石さんに魅せられ、知らされました。

町や職場に見る"行き場のないオバハン"に母や自分の姿を重ねるときに湧き出る哀しみや怒り。「どうしようもなさ」にジタバタしてもがき、されどもジタバタしてもがくことを決してやめない大石さんの姿はやっぱり理屈とか理性とかを超越した何かを私の心身に残していく。
小5娘をチャリ後ろに乗せて帰宅してから観るにはあまりに痛切な主題だった。忘れない。
次回は10月。これも忘れない!

ダダルズのサル余談。初日は終盤ゲリラ雷雨に見舞われ終演後がそのピークに。
劇場ビルの入口で観客間で今後の雨足や最寄りコンビニを共有したりしつつ少しの間を過ごした。演劇の圧倒と雷雨の圧倒が少しシンクロする様な時間だった。
自分より先に雷雨の中を走り抜ける人の背に大石さんを重ねたりした。

かなかぬち

かなかぬち

椿組

新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)

2024/07/10 (水) ~ 2024/07/23 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

椿組、39年続いた花園神社での公演にピリオドを。もう観られない名残惜しさを感じつつ、だったらば!と子ども(6歳と10歳)を連れて観劇しました。

拐われた母を探す姉弟の物語をかつて母乳を生成したこの身体で、しかもそれによって育んだ姉弟を視界に見切らせつつ観るのだから、母の心で見つめざるをえなかった。女が強い物語は清々しいな!と思っていた矢先にその強さの原料が哀しみや諦めであることを知る居た堪れなさよ。
(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

散り散りになった母と子を往来する中で、主に母から母乳や授乳への言及がある作品だった。(少なくとも私はそこに打たれるものがあったのでした)

離れていても(我が子でない)赤子の泣き声を町できくと、その声が呼び水?いや呼び乳の様になり胸が張ったり、乳が溢れたりした経験からは、なんというか、へその緒が切られても尚ある母子の同機の様なものを感じて、すごく強烈な体験だった。劇中でも度々母がそんな胸の疼きや痛み、吸われる時の体感を口にするんですけど、それが何とも言えない表情で印象深くて・・・。勿論それだけではないけれど、私はどうしても母に、今なお子どもと繋がっているように錯覚する乳房を持つ母にシンクロする様な気持ちで見つめていました。
最後の花園神社公演に立ち会えてよかった。嵐の夜のお祭でした。
ちなみに椿組デビューの子どもたちは、USJに行ったばかりの6歳が「もしかしてお芝居のアトラクションなんじゃない?」と言い、唐組大ファンの10歳が「いろんなテント(芝居)があるとわかった」と言っていました。
もう花園では観られないのだから最後に新世代の子どもたちを連れて行けてよかった!
そういう後世に与える影響も含めた意味で満足度は星5つです。
Deep in the woods

Deep in the woods

終のすみか

調布市せんがわ劇場(東京都)

2024/05/24 (金) ~ 2024/05/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

東京を離れ、地方の林間部へと移住した旧友のもとを同級生の男女二人が訪ねる。祖父の別荘のあるこの森に一人で住んでいるのは、フリーランスのアニメーション作家と思しきシノダ(武田知久)だ。その幼稚園時代からの友人であるサトウ(高橋あずさ)とアオキ(串尾一輝)はともに既婚者で、アオキには2歳の子どもがいる。シノダの移住からは1年だが、3人が再会するのは4、5年ぶり。そのまま明け透けに懐かしい夜は明けてゆく。
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ネタバレBOX

異変は翌日の昼頃に起きる。あと数時間で二人が帰るとなった頃に、息も切れ切れ、会話の応答もままならないシノダの異変に二人は気づく。そこでシノダが心を病んでいることをようやく、はっきりと悟るのである。
心を病んだシノダに「大丈夫?」と数回尋ねた後にサトウが「何かできることある?」と質問を変えるシーンが印象的だった。そこには小さな変化の中に他者に寄り添う気持ちが忍ばされていた。そして、シノダは二人に「また来てくれる?」とたずね、二人は「もちろん」と応える。

人は他者の心の異変にどこまで気づくことができるのか。
本作を通じてそんな命題を問われたように感じた人は多かったかもしれない。
しかし私が本作で最も強く感じたのは、人一人の存在が与える影響の大きさであった。私たちは、あなたたちは、私も、あなたも、存在しているだけでいい。それだけで誰かの今を少し救っているのかもしれない。たとえばこんな風にふらっと久しぶりに旧友に会いに来ることなんかで。それを戸惑いながらも迎え入れることなんかで。この「会う」ということのエネルギーの大きさを、孤独の沈黙を一つ破るだけで変わる風景もまたあるのかもしれないということを感じることのできる演劇だった。「大丈夫?」を「何かできることある?」に変えることでようやく聞こえるSOSがあるのだということも。
心の声など聞こえるか

心の声など聞こえるか

範宙遊泳

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2024/07/06 (土) ~ 2024/07/14 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

私には幼少期から夢にまで見る恐れてる事があって、私の身体はすっかりと、それ=世界の終わりとサジェストされている。それこそが心の声がきこえてしまうこと。だけど、私は今もしかしたら終わらないかも、愛によって終わらないかもと思っている。
『心の声など聞こえるか』という演劇に出会って。
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ネタバレBOX

サトラレという漫画・ドラマが流行ってた頃はとくに毎日怖かった。自分の心の声の全部がはずかしくておそろしくて、「思うことをやめたい」ということばかりを思って過ごしていた。絶対に嫌われるし、嫌いになっちゃう。それが世界規模で起きたらもうそこらじゅうが戦争で世界はじき終わっちゃう。そんなトラウマは尾鰭背鰭をつけて私の中を長く漂っていた。
だから、劇中で喧騒から逸れた妻たちが心の声を飛び越えて小さくも壮大な耳打ちをしていたとき、そのあと宴席に戻って心の声を介さなければ通じ合うはずない合図で交信をしたとき、次から次から涙が出てきた。その涙でやっとわかった。私がこわかったのは心の声がきこえることじゃない。それで世界が終わることじゃない。人を信じていないこと、信じられないことなんだと。30年以上かかってようやくわかった。浄化だった。範宙遊泳に、山本卓卓という劇作家に、この作品に出会えてなければこのままずっとわからなかったかもしれない。

目の前の人が言っていることを、隣の人が信じていることを自分はどれだけ剥き身で受け取れるだろう。心の片隅でどれだけ微細にも馬鹿にせず、呆れず、その声のままを受け取ることができるだろうか。それはとてもむずかしい。でも、信じたいし受け取りたい。そう思うことからでも何か変わるかな、そう思うことも愛ってよんでもいいのかな。

自分と圧倒的に違う他者やその声を異質と排することで守られる世界があるとしても、そんな世界に守れるものなんてたかがしれてるのだろう。
妄想とたたかうこと。他者が差し出す声を信じようとすること。隣人への愛を全うした妻が「しあわせ」と言ったことおめかしして選挙へ出かけたその夜に誓う様に飛び立ったこと。喜びも哀しみも抱えたいくつもの風景を多分この先もずっと思い出す。信じる力が小さくなるたびにこの演劇に、この演劇を心の底から信じた自分に、その心の声の在処に何度も触れるのだと思う。

「この演劇信じられる」と思うことも「この作家や俳優信じられる」と思うこともあるけれど、「この演劇に、作家に、俳優に、観客じゃなく人間としての自分が信じられている」と思う経験は多くない。そんな演劇だった。目の前の俳優が素晴らしすぎての落涙もあった。
逃奔政走

逃奔政走

フジテレビジョン

三越劇場(東京都)

2024/07/05 (金) ~ 2024/07/16 (火)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

都知事選投開票前後のこの時期に政治家1年目の女性候補者の街宣から幕が上がる舞台がやっている。議員の汚職を取り上げた舞台がやっている。そのことももっと知られてほしい。当確が出てからの3年半、県知事の彼女が何から逃げて何に向かって走っていたか。清さも濁りも描かれてます。

エンタメにコメディにパッケージしながら県政や国政をしっかりと作品に持ち込み、そして観客を通じて作品の外、社会へと運び出していく。そのスタイルは劇団公演と何も変わらない。どの劇場だって、誰とだって、いつだって、アガリスクエンターテイメントはやっていることが変わらない。そのことにどれだけ痺れ、励まされたことか。そのことがどれだけ難しいかを知っているからなおのこと。(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

主演の鈴木保奈美さんが家庭や仲間と政界での自分のギャップに誰より自身が戸惑う姿を等身大に演じられていて、公人も個人であるという当然を改めて痛感した。そこにメスを入れ、否、ラケットを切る寺西拓人さんの鋭い分だけ実は高温なポリシー。そのブレなさ、痛快さ。相島一之さんの配役がにくいことはもちろん、舞台上には描かれてはいない私生活やバックボーンに裏打ちされた人間の可笑しみや情けなさが背中や横顔に映し出されるようでした。表情や声色の緩急がシーンのうねりとなってより笑いましたし呆れました(そういう役柄なのです!笑)

そして、なんといってもアガリスクメンバー(常連客演含む)が本当に魅力的。まじの一人残らず全員がバチっと役にハマりつつも想定以上の魅力を見せつけるようでもあり、かっこよくて、なんというかすごく清々しかった。いわゆる小劇場でやってきたこと、やっていることをある意味でリサイズせず、それでいて三越劇場を全く持て余すことなく、むしろ可能性を拡張すらする様に走り抜いていることが。
私は熊谷有芳さん(今作で久々の舞台復帰)演じるアクティビストに共感したけど観る人によって様々な人にシンパシーあるいはエンパシーを抱けるような、全員にきちんとドラマがあること、それらが手をつなぎ合って作品そのものの源流となっていること。人間の悲喜交々が出発点になった冨坂さんの劇作に私はやはりとても惹かれます。
この公演を面白いと思って、ホームであるアガリスクエンターテイメントの作品を観たことない人は是非劇団公演も観てみてほしいなあ、なんて思いました。きっと楽しんでもらえると思います(違いではないけど、劇団公演の方がやや屁理屈濃いめ背脂ありって感じ!笑)
木のこと The TREE

木のこと The TREE

東京文化会館

東京文化会館 小ホール(東京都)

2024/07/12 (金) ~ 2024/07/13 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

南果歩さんの少女の瞳が物語る痛ましさと切実。古澤裕介さんや金子清文さんの個性が手渡す生命の存在感。ピアノ、ギター、コントラバス、チェロが奏でる豊かで、あたたかく、しかし、それだけではない、時におどろおどろしい音楽。
時代を横断してもなお変わらないもの、それらを込めた祈りのような言葉の数々。そして、音楽と言葉に呼応する我妻恵美子さんの生命の躍動と枯渇を体現する踊りは木々の悠然、力強さ、戸惑い、憂い、そのものだった。
その全てにぎゅっと縁取られるような70分。
木を抱きしめ、抱きしめられる時の様な静寂なのに濃密な、時や世界の果てしなさを五感で感じる時間でした。

私は子どもたちの名前は木からとっている。
一人はある神話で人類の始まりに深く関わりのある、葉っぱが四方八方に広がっているのが特徴の木で、小さな手の平からまさに葉っぱが広がるように生まれてきた命を見た瞬間にその名は決まった。もう一人は夏に花をつけ、秋に実を落とす木で多くの生き物のみならず、防風林になるなど人間の暮らしをも守っている。
そんな風に子どもに木の名を命名した私は、人よりも木々の名前を口にすることが多いはずなのだ。だけど、知っていたつもりになっていた。木の記憶の本当の果てしなさ、痛ましさを。そんなことを思いながら劇場からの帰路につき、その道中でまたいくつもの木々に迎え、見送られ、そして今日も今日とて木の名前を呼び続けている。

流れんな

流れんな

iaku

ザ・スズナリ(東京都)

2024/07/11 (木) ~ 2024/07/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

過疎化、海洋汚染、出生前診断や移植における倫理的問題、不同意性交、そして、母の不在によって家事、家業、妹の育児を一手に担い、進学を諦めた姉の姿にはヤングケアラー問題の側面も色濃く映写されていた。初期作品とあり、調べたら初演は10年以上前。その段階でこんなにも多くの喫緊の題材が扱われていたことに驚くとともに、自分の鈍さを痛感もした。そして、未だそれらほとんどに解決や正解が見当たらないことを改めて目の当たりにするようで目眩を覚える。あらゆる考えが乱立する社会で一つのことを定義する難しさよ。  

そして、iakuの作品を観るといつもその前提に必ず人間の野性があることを思い知らされる。本能というよりも野性。涼しい顔をしたり、知らないふりをしたり、いろんな理性でふたをして生きている人間の中にされども絶えずある野性。ひとたび流れ出したら途轍もなく早く、止まらぬ激しい野性。

必要以上の負担と責任を負わざるをえない状況にある姉と否応なくその恩恵を受けるしかない状況にあった妹。いずれものどこにも流せぬ思いが濁流の如く押し寄せて決壊を迎えるシーンでは、その水圧に流されぬようにと流木を掴むような思いだった。もちろん掴む木などはないので掌を握る他なかった。痛くなるほど握っていた。田舎で生まれ育ち、姉と妹をもつ。そんな自分としては、知っている景色やいつか知る景色を見せられている様でもあり、耐えきれないほど解像度の高い衝突だった。

そして、本作なんといっても俳優・異儀田夏葉さん が凄まじい。どのシーンをとっても圧巻だった。(以下ネタバレBOXへ)

ネタバレBOX

田舎の漁港町で自分を犠牲にして生きてきた、生きてきてしまった、生きてこさせられてしまった女性の叫び、えもいわれぬ孤立や喪失感。それらが笑顔の時にこそドバドバと滴り溢れ落ちてくるようだった。そこに流れないもの、流せぬものを見た。見えた。だからこそ、これは本当に思うのだけど、懸命に生きる女性が消費され消耗されて終わるだけの物語じゃ辛すぎるから、劇中のセリフを借りれば、"そういう物語の主人公になって生きるしかなかった人生"なんて居た堪れなさすぎるから、投げつけるものは投げつけて欲しいしそのシーンがあったことが救いだった。一緒に叫び出しそうな気持ちをギリギリ保てた感じがあった。お願いだからあの後絶対幸せになってほしい。むっちゃんと私、2歳しか変わらない。同世代なんだ。だからって訳じゃないけど誰にどんなもの投げつけても、どこにどんなもの吐き出してもいいからってトイレに駆け込むラストシーン見て強く思った。あのシーンも必要だった。

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