ラフタリ―の丘で
劇団俳優座
俳優座スタジオ(東京都)
2023/08/29 (火) ~ 2023/09/10 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
アイルランドの演劇では最近はマクドナーの暗い土着リアリズムの作品がよく上演されてきたが、この作品もこの系列のようで、下層階級の農民の家父長の圧制下に生きる一族の暗黒の物語である。物語の軸はこの家の子供たちで18才の娘、その姉四十才、その間に知能障碍の男の子。母親は下の娘が生まれるときになくなり、同居の祖母は認知症。父はもっぱら同年の友と荒野での兎撃ち、自宅の牧草地は荒れ放題。男の子は動物同然に牛小屋で糞まみれで生活し娘たちは父親の性奴隷になっている。その下の娘に縁談が起きるのが物語のスジだが、全編、内容は今は御法度の家庭内パワハラ、セクハラのオンパレードである。もちろん、舞台で見せたりはしないが、それではこの作品を上演する意味が伝わらない。
なぜ、上品という点では他劇団を引き離して独走の俳優座がこの戯曲をやる気になったのか解らないが、これはミスキャストならぬミス劇団である。文学座が上村聡でやっても、阿佐スパが長塚圭史でやっても、若いところでは温泉ドラゴンがシライケイタでやってもこうはならない。アイルランドの僻村の農家の食堂のセットは軽井沢のコテッジのようだし、衣装化粧は男の子の汚し方は極端だが、娘の方は良家女子校の生徒の普段着の感じ。台詞も上品な訳で、俳優座の俳優だから、台詞はきれいに通す(これは唯一の見所と言って良い)がそれが一層空々しくなるという悪循環である。
俳優座は、劇場も閉めると言うし、この先のレパートリーも発表発しているが、どういうことをやりたいのか解らない。文学座や青年座は時代の難局を切り抜けて新劇ファンの期待に応えている。劇界首位にあった劇団の充実した芝居を見せてほしいものだ。かつては日生劇場で公演が打てた劇団ではないか。百人足らずの客席八分の入り。老人多くエレベーター混雑。
木ノ下歌舞伎 勧進帳
木ノ下歌舞伎
東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)
2023/09/01 (金) ~ 2023/09/24 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
滅多に同じ演目を同じ劇団(演出)で見ることはない。久しぶりに三年ぶりでキノカブの「勧進帳」を見た。細かく直した現在の時点の決定版という触れ込みである。前回の横浜では、巨体の西洋人が大阪弁で弁慶を演じるとか、ラップを使っていたり、楽器が口三味線とか、ファーストフードで宴席を開くとか、めまぐるしい趣向の数々であった。こん秋も同じ路線の改革で主なキャストは同じである。確かにそれぞれ工夫が凝らされていて細かくなったとは思うが、この、あられもない現代版を見ていると、古典の現代への通路は面白く今風だけで良いのか、という疑問もわいてくる。幕開きの富樫の部分はわずか数分だが、ダレるし、終わりの宴会は笑ってしまうがこれでは延年の舞、とは言えないだろう。大歌舞伎は戦後百回近くいろんな座組で上演しているが、すべて1時間五分から七分である。長唄の寸法だと言われるかも知れないが、その時間で完全に出来上がっているのである。キノカブも1時間五分にトライしてみたら? 完コピの稽古をすると言うから、きっと発見があると思う。(今回は1時間22分。前回より少し長くなったのではないか)
木ノ下歌舞伎の仕事は十分評価した上で、この公演をご覧になった若い方は、是非是非、歌舞伎座で、年に一回はかかる大歌舞伎の勧進帳も見ていただきたいと思う。
大歌舞伎の勧進帳はそのままでも決してわかりにくい作品ではない。一幕モノの演劇的完成度は高く、面白いし、下座や長唄などの音楽的要素と舞台の形式的美しさが渾然となって多くの人に楽しめる。
木ノ下歌舞伎の真骨頂は「合邦」「四谷怪談」「櫻姫東文章」「義経千本桜」などの、いまではキャラも背景も物語も現代から離れてしまったような歌舞伎の名作を現代劇として蘇らせるところにある。今年の櫻姫はまだ推敲が足りていないが、凝り性の岡田利規の演出で今までにない櫻姫が出来た。今回は名作一月公演で9分は入っていたから何よりである。
木ノ下・杉原コンビは、古川・日澤コンビと並んで頑張って欲しい若手(でもないか)である。
台所のエレクトラ
清流劇場
こまばアゴラ劇場(東京都)
2023/08/31 (木) ~ 2023/09/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
清流劇場という関西の始めてみる劇団だが、すでに長い上演歴を持つ。ことにギリシャ劇は7本目で、ギリシャ劇を身近なものに、とか今の生活で解るように補綴したりしている。
関西では木ノ下歌舞伎があるからこういう古典の上演法も小劇場まで行き届いているのか、とも思うが、両者の間にはかなり距離がある。ギリシャ劇は今とは遠い(当たり前だ)から解りやすいようにあらすじを前説したり、登場人物が境遇説明をしたりするが,今をなぞって通り一遍で、ただただややこしくなるだけでギリシャ劇の芝居の核心について入って行かない。木ノ下の前説では、芝居のキモを演者が出てきてやってみたりもする。説明の技術も濃度も違う。これでは下手な前説のスジ売りなどない方がすっきりする。
大阪弁で身近に,というが、もともとギリシャ劇は何千年も昔の断片で,わかりが良いものではない。それを関西弁で、シチュエーションを台所にしたくらいで身近になると思っている方が考え違いである。ギリシャ劇を現代にダブらせれば、それは完全な誤解である。この舞台を見ているとそこはよくわかる。
無理な現代解釈は,演技にもおよび、解りやすいマンガ調になってしまう。俳優の中には達者な人もいて,それはそれで面白く笑ってしまうのだが,それは一時的な笑いを呼ぶだけで、劇とはあまリ関係ない。挿入歌はうまく入っている。2時間ほど。8分のいり。やってる意味がよくわからない。
いつぞやは【8月27日公演中止】
シス・カンパニー
シアタートラム(東京都)
2023/08/26 (土) ~ 2023/10/01 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
新しい演劇がくっきりと姿を見せた。
これまでさまざまな形で、書かれ上演されてきた加藤拓也の現代劇の今の時点での集大成のような作品である。今の時代を表現しようとするに演劇が、さまざまな面で自在に具体化されて、舞台に上がっている。うまい。面白い。涙を流さないで感動できる。
描かれるのは「今の」社会の中軸であるべきアラサーの人々の「今の」心情や生活などであるが、そこから今を生きるすべての人々の心情に広がっていくところがすごい。
主人公は小さな劇団の主宰者らしき作家(橋本淳)で、ふらりと訪ねてきた昔の仲間(平原テツ)から、自分のことを芝居に書いてくれとせがまれる。実は彼は大腸がんのステージ4で、余命宣言を受けている。
以後芝居のスジは、この仲間の青森への帰郷とそこでの生活が点綴されていくわけだが、同世代の仲間たちが男女関係や家族をつくり、仕事を進めていく中で、それとさりげなく(と見えるように)関わりながら生涯を終えるまで、なのであるが、そこが、今までの難病ものと全く違う。平原テツの快演もあるが、そこには、すべて命ある人間が必ず通っていく道、そこに人間の喜怒哀楽すべてある、とクールに(しかし冷笑的ではなく)提示されている。野田の本には必ず最後に大逆転があり、ケラには必ずフィナーレで芝居の中の人生を納得させられるが、この舞台は現代の小さな世界を素材にして、現代の姿を、ジェンダー問題から老親問題、就職問題まで幅広く自然なカタチで取り込みながらくっきりと描ききっている。
日本の現代劇のレベルを示す作品である。
数年前からこの作者と付き合ってきたシスカンパニーの見識もたいしたモノだ。パンフレットが500円だが、内容充実。これだけでもシスを評価できる。こちらも十分面白い。
1時間45分。満席。半立ち見席も混んでいるが、チケット代の安さも魅力である。
ヨーコさん
演劇集団円
吉祥寺シアター(東京都)
2023/08/26 (土) ~ 2023/09/03 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
絵本作家の佐野洋子の一代記である。佐野洋子の作品はミリオンセラーの「百万回生きたねこ」など、絵本に触れる年代がかみ合わず、その作品は読んでいないが、作者キャラはメディアで知っている。その作品群から角ひろみが音楽劇にした。
まず、原作を丁寧に読みこんで構成した角の戯曲がよくできている。一言で昭和畸人傳と言えるような中身なのだが、家族劇として普遍的な深みに達している。満州で生まれ、帰国して苦労し、一般的には規格外の父母とのそれぞれの葛藤を抱え、七人兄弟の長女として兄弟の死にも遇い、結婚生活は二度。認知症になった母を看取り、晩年ガンにかかって余命わずか、というところからの回想形式である。音楽に絡んで、踊りや影絵もあるが、ドラマはよくできた困った家族の中の長女モノである。笑ってしまうエピソードもたくさんあるが、それが家族で生きる生の哀歓につながっていく。ぶれていない。往年のよくできた井上ひさし作品のようだ。
作者の角はたしか神戸の大学演劇の出身で、もう何十年も前に新宿で小さな公演を打ったときに見た記憶がある。中身は忘れてしまったが、今時(小劇場全盛期)ずいぶん素直な作品と思った。その後、結婚して今は岡山在住という。芝居は捨てていなかったのだ。
今回の本は素材の面白さに支えられているとは言え、流行のねこという飛び道具をしっかり押さえこんで優れた家族劇に仕上げている。岸田戯曲賞を上げてもいい。
演劇につける音楽は難しいモノで、井上ひさしの宇野誠一郎のように、難しくない、素直に観客の心に入っていくのがいい劇伴だ。今回はナマのリズム楽器を使いながら、作曲は西井夕紀子。曲が独立して踊りもあるナンバーもあるが、これが、出過ぎず、俳優の歌とおどりで収まるように出来ていて秀逸だった。
主演のヨーコさんには今回就任したという劇団代表の谷川清美。母役の清水透湖は若いが大健闘。周囲もガラにもよくはまっている。当然、再演ということになるだろうが、言いたくない改善点は演出(作者の角)である。さらに踏み込んで今は団子刺しになっているエピソードを大きなダイナミックな流れに作れば劇団の財産になる市、もっと大きな劇場でも上演できる。栗山民也を連れてくるのは無理かも知れないがこの劇団出身の森新太郎なら、もっと面白くなる。劇団の柱になる作品としても期待できる。ほぼ満席。
あいつをクビにするか
ぽこぽこクラブ
新宿シアタートップス(東京都)
2023/08/17 (木) ~ 2023/08/27 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★
よくわからない芝居である。前説で、3時間あったので演出の千葉が2時間に無理矢理縮めた、というが、長くても解らないところは多々残ったと思う。
全体のスタイルとしても、社会劇を基盤にした風刺劇なのか、サイコパス患者をもった家庭劇なのか、ホラーなのか、今流行の痴漢と教育者のドラマなのか、行き来激しく腰が定まらない。(脚本の責任だが、絞っていくところがない)
大きな問題では、サイコパス。これが病気であることは今や、一般常識になっている。ヒッチコックが取り上げた時代とは時代背景が違う。病気を扱うには、患者の人権を考えることは今は常識だろう。病気の扱いが、数冊の新書版の理解以上に出ていないところが残念なところである。これで我が国は滅びの国になると言われても呆気にとられるばかりだ。
主演女子高生の磯部莉菜子は昨年の夏私鉄沿線の喫茶店劇場で三好十郎の「ストリップショー」を鐘下演出で演じたのを見た。その後、新劇系の小劇場で二本ばかり見たが、しっかり成長の跡が見える。もう少し、しっかりした座組の娘役を見てみたい。小劇場出身の苦しいところで、時間がもうあまり残っていない。
客席9割ほど。
メルセデス・アイス MERCEDES ICE
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2023/08/11 (金) ~ 2023/08/20 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
夏休みの児童のために多くの劇団や公共劇場(商業劇場も)は興行を打つ。ほとんどが劇団四季の小型版みたいなありきたりのジャリモノで、子供たちにも歓迎されていない。そのなかで、これは、大人も子供も舞台に向き合える、手を抜いていない作品だ。
舞台の中央に白く高い高層マンションが線画で描かれている。周囲の空舞台に小さな一戸建ちの家のミニチュアを持った男女が登場して、始まる。男女はその街の市民で、皆、タワーマンションに期待してそこへ住みたいと思う。願望かなってその最上階に住むことになった二人の女性はそれぞれ同日に男の子と女の子を産む。寓話風だが、この地域(三軒茶屋)で最も高い高層ビルの劇場でやっているので、周囲のごった混ぜ菅が残っている街と相まって、現実感がある。母親は街へ出るのが面倒になって、ジャンクフードを買ってきて貰ってそれを食ってドアから出られないほど太ってしまう。男の子と女の子はお互いに意識するようになる。男の子はクール、女の子は優しい。父親はいつの間にかいなくなっている。年月はたって、高層ビルは次第に古び、黒い鳥たちの巣になる。脇役たちが、棒の先につけた黒い鳥たちを一斉に操作するところなどは、子供たちには迫力があるだろう。中央のタワーが照明かマッピングか解らないが次第に黒ずんでいくところなどうまいものだ。きれいな色の鳥を母の求めで買ってきた娘が、鳥に逃げられ、ビルの廊下を探すところは色を失った生活をくっきり顕わしていて、又、現実につながるところもあってうまい。結末にはタワーは崩れるのだが、そこで画かれていると思っていたタワーが実は段ボールを積んだモノだったことが解る。これは大人にも子供にも大いに意外なスペクタクルになった。
区立劇場らしい高層ビルの住民密着の三代記で、それが、十分大人の話なのだが、子供も一緒に見られるように作ってあるというところが味噌である。ロンドンのNTあたりの翻訳かと思ったら、絵本から白井が脚色演出したという。道理で、うまくこなれている。しばらく見なかったこう言う白井の才がよく出ている。それが証拠に小学校高学年から高校生の下あたりの児童が親と一緒にかなり来ていたが、1時間半、飽きずに見ていた。劇場がダレることはなかった。連れてきた親たちも芝居慣れしている感じである。青山円形を上手に使った白井のことだから、きっとこのタワーの二つの劇場も芸術監督としてうまく使ってくれることになる、と楽しみだ。一階はほぼ満席。
我ら宇宙の塵
EPOCH MAN〈エポックマン〉
新宿シアタートップス(東京都)
2023/08/02 (水) ~ 2023/08/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
お盆の時期にふさわしい小洒落たファンタジー(メルヘン)である。手が込んでいて、大人もませた子供も楽しめる仕上がりだ。
初めて見る劇団を選ぶときの選択手段に出演者、というのがある。今回はまだ五回目の公演というのにこれだけの顔ぶれが付き合っている。きっと幕内では評判の新人の作・演出なのだろうと観にいった。これが当たり。
いかにも、今風の作らしく登場人物たちは、今風の生活の中で、どこかなじめず、環境からか、自分からか、いつのまにか脱落していった人たちである。夫を事故で亡くし、十歳くらいの息子(小沢が操るパペット)としっかり生きたい池谷のぶえ。自立して生きることに自信はあるが周囲は自他共に信用しない異議他夏葉。発達障害から回復して社会生活が順調にいっていると信じている渡辺りょう。社会から脱落して自分のプラネタリウムを運営しているギタロー。この取り合わせが絶妙で、それぞれのキャラ付けも、台詞もメルヘンにふさわしい。新人らしからぬうまさで今日日あちこちで聞こえる会話が舞台に上げられている。
池谷の人間関係を拡げていく中で、現実からメルヘンへの道筋を作っていく。迷子になった息子をさがすところから、野中のプラネタリウムで星座に対面するところまでの物語の作り方もうまい。子供に母が聞かせた「おとーさんは星座になったの」と言うことを入り口に展開するプラネタリウムの後半は、大胆に採用したプロジェクションマッピングの巧みな技術もあって、小劇場を超えたファンタジー世界が現われる。
注文をつければ物語が甘いのではないかと言うことになるだろうが、夏場にこれだけ行き届いた作品を見せてくれれば、次に大いに期待する、ということになる。しばらく現われなかった加藤拓也の、年は若くないライバルが現われた。
ほじょせきもでて満席。
桜の園
パルコ・プロデュース
PARCO劇場(東京都)
2023/08/07 (月) ~ 2023/08/29 (火)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
桜の園は日本の新劇にとっては大当たりの狂言で太平洋戦争が終わったその年の末に、焼け跡に一軒残った帝劇で、復興大合同公演をやった時も、観客は着の身着のまま駆けつけて満員だったというから、日本はやはり桜が国花である。
以来、桜の園は、俳優座の東山千栄子を筆頭に、民芸も、文学座もやっているが、杉村春子でやった文学座は、あまりうまくいかず(たしかにパサパサでつまらなかった)、一回限りでやめてしまった。四季もやっていて、これはなかなか洒落た作りの日生劇場だったが(シェルバン演出)これはどういうわけか、結構評判も良かったのに再演していない。コロナの初めのころ、KERAがコクーンでやるというので切符も買って大いに楽しみにしていたら、ゲネプロまでやったのに流れてしまい、大いに残念だった。
さて、パルコの桜の園、イギリス人の演出で今までに見たことのない桜の園であることは間違いないが、これからは桜の園もこうなるかと思うと、さびしい。まぁこっちは死んでしまうからまぁいいか。
今までの桜の園になかったこと。
一つ。まるでロシアの感じがしない。封建領主性が崩れ、初期資本主義社会に移る19世紀末を舞台にしているが、時代も場所も抜きで、不労所得で食ってきた大地主一家が、領内の濃度上がりの小金持ちに買収されて追い出される、ということだけに絞っている。
二つ。原田美枝子はうまい上にどこか不思議な空白があって面白い俳優だ。年齢もそろそろ戯曲に書かれたラネーフスカヤ夫人の年齢に近くなったからキャスティングしたのだろうが、演出がとにかく若作りの方向にもっていく。原田も元気がいいから今までの桜の園とは全然違うことになってしまう。時代の波に飲まれて滅びていくものの哀れさは望むべくもない・
三つ。かといって、それほど戯曲をいじっているわけではなく、主なエピソードはほとんど落としていないだろう。でも、これでは、庭にお母様の亡霊が歩いているのを見たりするわけがない。有名な時代が崩壊する音が聞こえてくるくだりもあることはあるが音は聞かせない。ロパーヒンがせり落としたと意気揚々の帰ってくるところも、まるで、現代のクリスマスパーティのような大騒ぎでここだけはさすがに白けた。
で、私の総評は、へんな桜の園だった、ということになるが、落ち着いて考えれば、それは年寄りの感想で、これからは、現代のコメディという柱を立てて、こういう演出になっていくだろうとは想像できる。芝居は生ものだからそういうことになる。
客の入りは伝説通り、ウイークデーの夜なのに満席だった。
これが戦争だ
劇団俳小
ザ・ポケット(東京都)
2023/07/22 (土) ~ 2023/07/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
この劇団と演出家の組合わせでは、かつて『殺し屋ジョー』という秀作を見た。もう、初日前から前売り完売だったガ、声にならない前評判に負けない良い舞台だった。今回はそうはいかなかったようだが、それは多分、戯曲による。
今回は現代戦争の実地報告書のようなルポルタージュ劇だ。カナダの作品で、アフガニスタンでの国連軍とタリバンとの前線にかり出されたカナダの青年男女四人の戦争体験である。ルポルタージュ劇というのは半世紀ほど前のイギリスのフォークランド紛争を描いた『フォークランド・サウンド』(コズミンスキー)あたりがハシリかと思うが、戦争のような規模の大きな世界を扱うにはリアリティの保証にもなって最近ではよく使われる。
しかし、戦争の実態というならアメリカの本には数多いし、その悲惨を多くの国民が実体験した我が国だって負けていない。一頃、世界で最も暮らしやすい平和な国と言われたカナダ人の戦争体験は、外国へ行っての体験であることもあって、今ひとつ切実感がない。
戦闘の前夜の興奮で男女兵士がやってしまうとか、戦場で不意打ちを食って児童を殺してしまったとか、目前の戦闘に動転して救援へり呼び出しに失敗するとか、どうしても只のリポートになってしまう。これではならじと演出者は督励するが、現実戦場となると日本人青年にも基本、体験がない。戯曲も舞台の上もどうしてもきれい事になってしまう。まぁこの結果はやむを得ないと思われるが、その戯曲の範囲で、四人の出演者は、よく頑張っているし、演出も、同じ場面を時間をずらして視点を変えてみるという趣向を生かして面白く見せている。1時間40分。
シライケイタはこの後、座・高円寺の芸術監督を引き受けると言うから、小劇場ならではの芸術監督の新生面を切り開いて欲しい。ここ数年で大分太くなった演劇作家の意欲作を期待している。
犬と独裁者
劇団印象-indian elephant-
駅前劇場(東京都)
2023/07/21 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
初めて見る劇団だが、もう20年もやっているという。記念公演だ。主催者の鈴木アツトのカンパニーのようで公演数が少ないから見る機会がなかったのか、目立たないようにやってきたのか。作者にこれだけの力量があるなら、もっと注目されるチャンスはあっただろうにとも思う。
スターリン独裁下のソ連の劇作家・ブルガーコフの話である。鈴木アツトは時代の罠に落ち込んだ芸術家の評伝劇をいくつか書いていて、これもその一作だ。芸術家の伝記というのは数々ある名作を引くまでもなく、演劇向きの材料だ。
ソビエトの社旗主義国家という構想は今も人類の忘れがたい夢の一つで、ソ連の夢の後引きになったウクライナ戦争が泥沼化している現在、時宜を得た良い企画である。
物語は、グルジア出身のスターリンが青年時代には現地語で詩を書いていたことを梃子にしている。あの愛に満ちた詩を愛した青年が、社会主義の理想に触れて、なぜ、世紀の殺戮者になったのか。スターリンは、自分の詩を封印してしまう。
舞台では、頭角を顕しはじめたブルガーノフにスターリンの評伝劇を書くようにとモスクワ芸術座から記念公演のために注文が来る。スターリンの詩人性と、脇目も振らず全体主義国家構想への邁進したスターリンが、劇作家の中では融合していかない。作家自身の身辺の前妻と現在の妻との葛藤、飼い犬と劇作家の関係、モスクワ芸術座の見事なまでの忖度ぶりと変節が、巧みな劇作術の中で展開していく。この実話性は一部は聞いたような記憶もあるが、そこはどうでも良い。今の時代につながる現代の芸術家の当面する現代の病癖をドラマにしている。ほどよい前衛性もあって、忘れ去られている後期ソ連時代に現在の後期アメリカ資本主義が重なってくる。知的な構成で、変なキャンペーン性などまるでないところも見事である。戯曲はうまいものだ。
しかし、この作品を生かすには、表面に立つ、演出・演技が戯曲に遠く遙かに及ばない。それでも、一応満席になっていたのはひとえに戯曲の力である。そのほかの点は一つ一つ悪口を言うのは止めるが、この本を、文学座のアトリエで今、旬の女性演出家の手で見られなかったのは残念というしかない。30歳代の若い作家たちはかつての新劇の運動性とは無縁である。劇団運営も演出も得意ではないだろう。この惨憺たる俳優陣にもどう言えば良いか解らなかったのではないだろうか。戯曲を他者に渡すという共同作業が出来るオープンな場を積極的に作ることがこれからの日本演劇の課題だろう。
ストレイト・ライン・クレイジー
燐光群
ザ・スズナリ(東京都)
2023/07/14 (金) ~ 2023/07/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
内容的には燐光群の今までの演目のような社会問題を扱っているイギリスの作家の翻訳劇である。燐光群40周年の記念公演という。もうそんなに年月がたったのかと感慨もある。
いつもの正邪明白、立場明白の戯曲ではなくて、一頃よく上演されていたインフォメーションドラマ、のタッチである。そういえば、坂手の初期の作品は、よく考え抜いたこの手の作品があったな、ト思い出す。「天皇と接吻」「海の沸点」、多作の作者だからすぐには思い出せないが、フレッシュな視点から現実に発言するドラマだった。しかも見ていて面白い。
今回の作品も、演劇激戦区の英米市場の作品だけに、都市開発問題を扱っていてもなかなか手が込んでいる。ニューヨークの都市計画を強引に推し進めた官僚の功罪を問うドラマである。1920年代後半、大恐慌の前、この官僚(大西孝洋)が、利用できる政治家(川中健次郎)や腹心の部下(秘書、技師・((竹山尚史)大健闘)を、自己の構想のママ使い倒して、平民の幸福のために自動車社会をスムースに実現できるよう近代的な都市計画を実現していく。ここまでが前半で、後半はそれから30年(1950年代後半)。官僚は、下町改革に取り組むが、ヴィレッジの多様な住民の反対に遭って挫折し、腹心たちも離れていく。
関東大震災後の後藤新平の改革はどうだったかと問うようなもので、大都市の住民にはどこでも共通する問題をうまくすくい上げている。最後に、ヴィレッジは現在NYで住むには最高級住宅地になっている、というオチがついている。
大都市住民とその環境整備の公と私を巡って、現在も大きな問題を抱えた都市問題を多角的に扱っており、一つ一つの論点を巡っても、限りない議論が生まれる。そこをあまり一方的な視点に落ちず、また、日本ではよくある人情話に落とし込まず、2時間20分、休憩なしで押し切った。多面的な情報を仕組んだ戯曲のうまさが第一の見所である。
燐光群の俳優たちも初期からの人たちも多くこう言うドラマには慣れていて、ソツはない。しかし、いつも感じることだが、役が見物が楽しめるように膨らまない。必要ないと思っているのかも知れないが、秘書の役なんかもっと面白くやれるのに、と思ってしまう。せっかく森尾舞という技術、ガラ抜群の女優を呼んできているのに、これでは勿体ない。
丹下左膳'23
椿組
新宿花園神社境内特設ステージ(東京都)
2023/07/11 (火) ~ 2023/07/23 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
おなじみの椿組の夏芝居。今年は酷暑の日に見ることになった。
「丹下左膳」はかつて見た、と思っていたら、なんと四回目の十八番だった。ほとんど過去公演は忘れていたが、今回は大幅に手を入れたらしく一層祝祭劇的なはじけ方だ。忠臣蔵を枠取りに使い、山椒太夫や民間伝説などを組み込んだ丹下左膳物語だが、芝居を見ているだけでは、筋立てはわかりにくく、それよりも、五十人にも及ぶ出演者が、舞台の土間を大きく横切って組まれた太鼓橋の上下で、繰り広げる、大殺陣をうちわを使いながら呆然とみるという結果になった。そこが、年中行事化したこの芝居の値打ちでもある。
チノハテ
Nana Produce
赤坂RED/THEATER(東京都)
2023/07/06 (木) ~ 2023/07/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
江戸時代には巷の事件を元に歌舞伎劇の舞台化が行われたときくが、これはまさに昨今話題のフィリッピン根城の悪党団摘発を芝居にしたキワモノ。なかなかよくできている。
田村孝裕は劇団ONEOR8(いちかばちか)を主宰してもう三十年近い。もう、岸田戯曲賞はとっくに取っていてもおかしくない実績なのだが、小ぶりな素材で変にうまいところがネックになっているのかも知れない。今回は同じような出の寺十吾が俳優として出ている。初めて見るプロデュース集団の製作である。
日本ではみ出した浮浪者(寺十吾)にいい加減な暮らしの女(鶴田真由)を父母に、行き場のない若者三人(松島庄汰 池岡亮介 竹内夢)が兄弟の疑似家族となって、フィリッピンらしき某国山中の抑留所のような小屋(このなんだか解らぬセットはうまい)で、時々見回りに来る現地人(依田啓司、後で実は日本人と解る)の目を盗んで、犯罪団の手先(渋谷康幸)の言うままに違法薬品の運び屋の中継点のような仕事をして辛うじて食っている。危険な仕事で地元住民との軋轢もあるが、一応は家族らしく暮らしている。前半のこの構造が解るまでの、なにやら不思議なチノハテの小屋の生活が、なかば現在の張りのない日々の日常生活と重なるところもあって面白い。後半は、身元が発覚しそうになり逃亡しようとなって、それぞれの身元が明らかになり対立しながらも外部とも戦わなければならなくなり、そこでお互いの本音が明らかになり、結局全員が自滅していく。
スジを書けばこういうことなのだが、この作者らしくその間のどうしようもない人間たちの荒唐無稽に見えるくらしぶりがリアリティを持ってくるところが見所か。
パンフレットを買えば製作意図や作者の意図ももっと明白になるかも知れないが、パンフレットを買えば一万円を超す。それはちょっと高い見物料だ。休憩なしの1時間50分。
入りは平日の昼8割近かった。
ダ・ポンテ
東宝
東京建物 Brillia HALL(東京都)
2023/07/09 (日) ~ 2023/07/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
予習をしていかなかったので、翻訳ミュージカルだとばかり思っていた。しかも、池袋でやるからには内容だけで買ってきた二流の作品ではないかと。
ところが、これは純国産、しかも謙虚にも音楽劇と振っているが、世界的な素材で国産ミュージカルを作ろうという東宝らしい野心のあるトライアウトだった。スタッフ・キャストは東宝が長く目をつけていたスタッフに、東宝ミュージカルを支えてきた優れた若手の実力あるミュージカルの俳優たち(東宝なのにタカラヅカや東宝演劇で看板になる名優をを外している)である。
内容はモーツアルト外伝。松竹の『アマデウス』があるだけにずいぶん損な題材で、しかも才人同士による葛藤というところも似ている。こちらは、劇作家・詩人と作曲家だから、作曲家同士のアマデウスとは異なるが、やはり、モーツアルトあっての素材だから取り上げるには社内でも抵抗があったに違いない。それを押して上演するだけの情熱を感じさせる公演だった。客の勘は鋭い、平日夜の公演でブリリアの一階席ほぼ、満席。
順に行くと。
内容は、イタリアのユダヤ人詩人・作家・ダ・ポンテが当時の芸術の都ウイーンでモーツアルトのオペラの台本を書く『フィガロの結婚、『魔笛』最後に『コシファントッテ』。ほぼ数年だけの交流の中に、ものを書く天才と、作曲する天才との宮廷に生きる男と彼らを巡る女たちとの葛藤が描かれる。モッツアルとはこの後すぐ死んでしまうがダ・ポンテは零落してアメリカへ渡り古書店主で長い余生を生きる。彼の晩年の回想が枠になっている。
作・演出は青木豪。小劇場グリングから出発してそろそろ三十年か、商業演劇も、音楽を使った劇も経験があるはずだが、今回はよく期待に応えている。現代ミュージカルらしい音楽を巧みに使った話の進め方。技術的には音楽から台詞に入るところ。二人の才人のそれぞれのドラマの重ね方など説明的にならずにテンポよく進めていく。残念なところは、肝心の言葉と音楽という二大テーマの葛藤について良いシーンも曲も見つからなかったこと。説明的な群舞のシーンがおざなりになっていること(最初のなくもがなのニューヨークの群舞で、これはいかんのではないかと思った)。原作がテレビ作家だから仕方がないと諦めずにそこは共同で考えてでも良い本ガ出来れば良いのだ。欧米のミュージカルの作者クレジットにはいやになるほど人名が並んでいることがある。作者同士の内輪もめ(があったかどうかは知らないが)は製作者にとっては全くウンザリなのはよく理解できるが、そこは皆大人になって話し合って。この素材を生かして欲しいものだ。ミュージカルの場合は映画と同じで黒沢方式が有効だと思う。
作品の骨格は出来ているのだから、再演ごとに直せば良い。東宝もうまく作れば帝劇でも出来るかも知れないし、輸出も出来るかも知れない。『ベルばら』は西欧では上演できない現実も、今は具体的に考えられる時代になっている。後でも書くが、あまり日本の客ばかりを考えるのでなく世界基準で考えて貰いたい。
小劇場作家をうまく使うのは松竹も同じで、扉座の横内謙介を歌舞伎で使って成功した。想像で言えば、初めて書いたときは横内も歌舞伎など、ろくに見たこともなかったはずだ。金銭的に豊かになった2/5次元でも最近はよく小劇場の作家を起用するが、あまり成功したという話は聞かない。古い歴史のある興行会社には何か独特の勘のようなものと、少しは辛抱するところがあるのだろう。青木もせっかくの機会なのだからここはじっくり取り組んで欲しい。
音楽・笠松泰洋。モーッツアルトがあるのだから苦戦なのは同情するが、健闘している。良い曲と、かつての東宝ミュージカルを引きずったような曲が混在している。ここも、再演出来れば、できるだけ洗って欲しい。古めかしい歌詞に昭和を引きずるようなメロディ進行が重なるところが数カ所あって、そこでかなりゲンナリする。オケはたった六人でやっているとは思わなかった。カーテンコールで解ったが、最近の打ち込み音楽はすごい。
美術は三段重ねのノーセットで奥にオーケストラという布陣。これも少し道具をスライドで出すだけで処理しきっている。衣装は西洋時代物の定番だ。
俳優は海宝直人と平間壮一のモーツアルトとダポンテ。二人とも実力十分、これからのミュージカルを背負う俳優たちである。脇を隙なく固めた助演俳優陣も言うことなしであった。東宝は時に、さらに外れの1010でトライアウトをやるが、このブリリアもつまらない新新作貸し館よりと対アウトを看板にしてはどうだろう。
海戦2023
理性的な変人たち
アルネ543(東京都)
2023/07/05 (水) ~ 2023/07/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
珍しい企画の上演なので、梅雨の合間の炎天下、西武池袋線に乗って富士見台のビル地下室まで出かけた。異色の点。まず、百年前の築地小劇場初期のオール男性の役の作品を全員女性の俳優で上演する。その女性俳優は、すべて、東京芸術大学で、演劇、音楽、絵画、映像、デザイン、伝統芸能などを学んだ卒業生。だが、現在俳優(演劇)専業者はいない。演出だけは文学座の中堅の生田みゆき、ここのところ良い演出作品が続いている演出のプロ。彼女も芸大大学院の卒業生。グループの名前が「理性的な変人たち」第三回の公演である。
いまも、芸大は日本国中から芸術の抜きん出た才能のある若者が集まる学園であることは誰も否定しないだろう。その若者グループが芸術分野の垣根を越えて演劇をやる。うーむ、なんか面白そう。
「海戦」はもう築地の初演を見た者は生きていないが、記録はある。初演はきっと、第一次大戦時の戦争ヒロイズムに彩られた戦艦の砲塔内の砲手たちの戦場リアリズム劇だったのだろう。今このテキストを選んだのは、いま戦争が世界各地で起こり、日本も無縁ではなくなった時勢に合わせたのだろう。一方、戦闘員(兵)が全員男子だった頃に書かれた本を、現代日本の女性がやる。思い切ったトンガリようだ。これが「理性的な変人たち」の企画か?
劇場のアルネ543は舞台を中に正面と下手に80ほどの客席があるL型の劇場である。ほぼ正方形の狭い舞台を工事現場の金属骨組みで囲んで戦艦の砲塔。囲まれた中は骨組みの間から透けてみえるつくり。四角の窓らしき者がぶら下がっていて、ここから海上や敵情が見える。長い筒で砲を示したり、軍服は着ていないが白い実験室の服を着ていて、それを脱ぎ捨てると戦死したことになる。衣装・小道具を含め現代演劇の小劇場の美術だが、センス良くまとまっていて、さすが芸大の俊英たちの舞台である。
戯曲は戦艦の砲塔の砲手五人の戦闘開始の前夜から、どうやら引き分けに終わったと見える戦闘の終わりまで。それぞれ普通の社会の思い出やら、家族やら、今の砲塔の中の友情とか、このあたりは百年前の本だから、今となればありきたりで、今回は多分大幅にテキストレジして、現代の小劇場作品に仕上げている。幕開き、戦闘前の眠れない夜にちょっと歌ったりする曲が、難しそうなメロディなのに、軽々と歌ったり、見慣れない楽器をちょっといじって聞き慣れないが良い劇伴にするところなど、ここは音楽専攻の芸大生の腕前である。演出は狭い空間に芝居とダンスと混ぜたような複雑な動きと台詞を俳優たちに要求しているが、これも難なくこなしている。台詞も、あまり表現に難しい言葉は少ないが、うまいものだ。リーダー格の砲兵を演じるなど俳優としても十分通用する。
新しい小劇場の上演としても、ユニークなタカラズカとしても、立派にサマになっているのだが、この公演を女性だけでやった意味はよく伝わってこない。ジェンダーをテーマにしているのはうかがえるが、性差をなくせ!というのか、意識するな!というのか、もっと女性の地位を上げろ!といっているのか解らない。それは性差が最もよくわかるセックスのシーンに現われていて、セックスが話題になると、途端にみな男役として役を演じてしまう。
芸大の俊英たちの意味も、表面的にはよく見とれるが、積極的な座組に生きていない。
レパートリーも今までを知らないからなんとも言えないが、いかにも表面的な「海戦」を選んだのは「理性的な変人」とは思えない。もと身近にこのテーマに明確に迫れる作品。例えば、昨年生田が演出した「建築家とアッシリア皇帝」(アラバール)とか、芸術をネタにするなら三好十郎の「炎の人」とかやってみたらどうだろう。
と、書いてもみるが、才能の氾濫を見るのは、良かれ悪しかれ楽しいもので、是非頑張ってほしいものである。
或る女
演劇企画集団THE・ガジラ
シアター風姿花伝(東京都)
2023/06/30 (金) ~ 2023/07/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
戦前の現代文学はほとんど漱石独り占め、宮沢賢治少々、という状況だが、こんな何度も映画化された素晴らしいファムファタール・モノがあることをすっかり忘れていた。鐘下辰男の脚本は実にうまい。複雑なスジを男(千葉哲也)と女(守屋百子)の流転の悪女モノにまとめ切った。例によって、観客を真っ暗な劇場の別世界へ連れて行き、ドカンドカンと大音響、良いところで宗教音楽で泣かせる、という演出も健在で、二幕3時間。夜の公演だったらバスもなくなって、目白まで歩き、さらにその先は銘々観客のご勝手だが、それでも、芝居好きには是非おすすめの舞台である。客席たった35席。珍しく中年を主に男性客の方が多い。
こう言う劇場環境で、よく千葉哲也付き合った。こういうところはやはり昔のガジラでの縁が生きていた。ガジラには女優がいなかったのがこう言う場合に致命傷になる。
女は三時間ほぼ出ずっぱり、妖婦の多面性を演じるのは誰がやっても難しい。よく頑張り抜いたこの女優さんには酷だけど、ここは、芝居好きはそれぞれご贔屓の女優を思い浮かべて楽しめば良い。それほど、芝居になっているのである(私なら、秋山奈津子)。
原作は五十年ほど前、読んだ記憶があって、文学全集を引っ張り出してみたら、やはり、古色騒然の戦前文学である。芝居で生き返ったのである。こういう戦前文学は大衆文学は時折昼メロの原作になるが、一応文学とされている作品にも今劇化して面白い作品があるかも知れない。ここは鐘下の慧眼に★。後は、こう言う芝居せめて俳優座クラスの劇場公演にグレードアップしてみてみたいモノである。
ブラウン管より愛をこめて-宇宙人と異邦人-(7/29、30 愛知公演)
劇団チョコレートケーキ
シアタートラム(東京都)
2023/06/29 (木) ~ 2023/07/16 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
いつもは制球の良いチョコレートケーキだが、今回は少しフォームを変えて初めての球を投げてみた。残念!大きく球はスライドしてボールだが、いつもストライクとは行かないのが芝居だからがっかりすることはない。斉藤憐はかつて、劇作家は打率1割五分でプロだと言ったがこれはホントだと思う。チョコレートケーキは6割は打っている。
失敗の原因。
ひとつ。もう十分に手慣れたメタシアターの作りにしているが、枠(特撮プロの作り手)も中身(彼らが作る特撮のヒーローモノ)もあやふやすぎて耐久力がない。今まではどちらかに厳然とした公知の歴史的事実があるからどちらへ振っても手応えがあったが、一部のマニアしか知らない子供向けのドラマを軸にしたためにフラフラして、差別というテーマに絞っていけない。
ふたつ。差別という難題にもいろいろあるが、生活感のある民族差別とか、職場差別とか、
こう言う問題は個々のケーススタディになるから軸が定まらない。結局枠もズブズブで、最後に突然監督も差別の一因という意外な条件が出てくるが、ここまで引っ張るのはいかがか、苦し紛れが観客に見えてしまう。なんだかこれでは中都留ドラマだ。
三つ。個人情報は知らぬ顔の時代になったが、古川―日澤のコンビは学生劇団(それもほとんど知られていない大学の)から仲良く続いて秀作を連打してきた珍しいコンビだが、お互いに独立して商業劇場でも仕事も出来るようになった。芝居で食うためには当然の成り行きなのだが、自分の劇団ではもっとこじんまりと、焦らずにやってみてはどうか。
かつて、宮本研も木下順二も、あの秋元松代ですら、結構放送ドラマ(ラジオ・テレビ)をこじんまりとまとめて、それで放送界では大きな賞をて大作家扱いされていた。古川も山本五十六のロンドンなどという難しい材料(中身がなにもなかった)ではなく、日澤も商業劇場の演出では、自己トレーニングになるような仕事をしてみたらどうだろう。組んでいると、やむなく「アルキメデスの大戦」をやらなければならず、これでは休めない。
この作品の監督と作者のようなことにならないように難しい中年期を切り抜けて面白い作品を見せて欲しい。
ある馬の物語
世田谷パブリックシアター
世田谷パブリックシアター(東京都)
2023/06/21 (水) ~ 2023/07/09 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
コロナ初期に上演予定だった作品が上演されることになった。演出の白井晃はこの間に世界はずいぶん変わってしまったと述べている。要約すれば、この作品で扱っている大きなテーマは経済格差、人種間の偏見と差別。他者への不寛容。確かに白井の言うとおり、三年前よりそれらは顕在化して今こそ上演の好機とも言えようが、観客側もこれらの問題への受け取り方がより深刻になっている。つまり、芝居を見てる場合じゃないよ。
舞台はびっくりするほどよく出来た音楽劇である。この国立でも、都立でもない「区立」の案配の良い劇場にふさわしいしっかりまとまった舞台である。出演者が良い。成河が主演のまだら馬を熱演し、別所の役立たずの侯爵がそれを受ける。他の出演者も皆歌えるし体もよく動く。工事現場のような作りの美術、金管四本のナマの音楽がいかにも白井らしい舞台の作りで、芸術監督が替わったことを実感させる。舞台と観客の間の緊張感もあって、隅々まで、こうでなくっちゃ、という良い芝居見物になった。しかも、チケットは一万円をかなり割る。休憩20分入りで2時間半。ほぼ満席。
兎、波を走る
NODA・MAP
東京芸術劇場 プレイハウス(東京都)
2023/06/17 (土) ~ 2023/07/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
野田秀樹二年ぶりの新作はいかにも野田らしい不条理劇だが、劇場の空気はむなしい。
素材は北朝鮮の拉致問題。拉致は日本だけでなく、紛争地域でも、極貧国でも、先進国の一部でも現実にある普遍的問題で、現実の社会問題に伴う雑音に臆することなく演劇の素材に選んだのは、さすが日本を代表する劇作家の見識である。かつて木下順二が果たした役割を担おうとしている。ここは本当に偉い!というしかない。たいしたものである。
作りは不条理劇。その点ではすでにピンターが四十年も前に拉致を素材に『バースディ・パーティ』という作品を書いている。ピンターに比すれば、野田は解りやすくこの問題に入っていく。野田演劇らしいメタシアター作りで、こちらの素材は、不思議の国のアリス。母親(松たか子)アリス(多部未華子)物語の入り口の作者に野田秀樹。物語の受け手側に秋山奈津子と大倉孝二。このあたりの布陣は完璧と言って良い当て書きで、この重苦しい物語がずいぶん見やすくなった。こうして物語の中の兎(高橋一生)や母親の不思議な国でのアリス探しと拉致問題を重ねていく。
タイトルから物語を発想したと野田が言っているが、無垢と無知のウサギが、波に乗るというイメージが不条理劇的でもあって成功している。いつもの言葉遊びも控えめながら健在で『妄想』と『もうそう』なるしかない、を掛けたところなどうまい。
しかし、この作家の久しぶりの現実を直接背景にした全力投球も、作者が言うように『作家の無力をこれほど感じることはない』結果になっている。現実には、場合によっては国家間戦争になりかねない問題が、これほど明らかに提示されても観客には伝わらなかった。一夜のスター俳優を並べた大入りの公演の一つとして二十代の女性を主とした観客のお芝居見物にしかならなかったのは「あーあ」というしかないだろう。
いつもは、最後に何度もカーテンコールで嬉々としてみせる野田も、女性客が立ち上がり拍手しているのに今回は数回で出てこなかった。