実演鑑賞
満足度★★★★★
なんと言っても脚本がよくできている。現代の最後の晩餐である。
五年ほど前には俳小が池袋で上演したときも、前評判で完売した戯曲を演出のシライケイが自らの劇団温泉ドラゴンに持ち帰っての再演である。主演のイワイノフだけが同じジョーを演じるほかはキャストは全員変わって、レベルは大きく上がった。俳小が海外戯曲上演の枠を出なかったところを、おもいきり温泉ドラゴン的に振り切っていて、テキストレジも前回とはかなり違う。その功罪はあるが、今回はかなり手練れの客演俳優たちが、生き生きと底辺生活者の切ない物語を力演していて劇場内息をのませる迫力はある。五十嵐明の無気力、谷川清美の勝手放題、内田敦美の無知の純情など、胸をつく力演である。内田敦美は新鮮な上、技術的にも幼児性を工夫して演じていて、ここは特筆されて良い。クリスも脇に助けられた。俳優の力演が見所である。
一方、舞台は初演より、かなりダイナミックな悪党ものの作りになっていて、そこが疑問でもある。
細かいところから行くと、場面をトレーラーハウスから、廃屋ふうな一軒家にしたのが解らない。折角の絶妙の舞台設定の象徴性を捨てている。その上、客席の蹴込みに花を飾ったのはオセンチでいただけない。登場人物のキャラクターにも、アメリカの原作にはなかったに違いない日本的情念(例えば、兄の犯行への突然の変心、とか妹のヴァージン性の強調とか)が組み込まれていて、それが折角の作品独特のドライなタッチを、日本観客向けにしてしまっているようにも思う。(現戯曲の翻訳をきっちり読んでみたくもある)。
中段まではほとんど初演に沿っていると思うが、中盤の家族内の目を覆いたくなるような争いが、目に見える形で演じられていて、それはそれで舞台表現になっているが、そこまでやる必要があるかどうか。ジョーのペニスをドッテイに口淫させる魔面などは戯曲では裏にしているのではないだろうか。倉の善良な客は息をのんでみていたがやり過ぎである。
と、いろいろ言いたいことはあるが、シライケイタがこの戯曲を俳小の初演ような翻訳調(それでも十分に面白かった)でなく、温泉風に取り組んでみた成果は上がったし、良い試みだった。昼間から満席の劇場には、中年の下町の観客もいてそこも新鮮な劇場風景だった。