風車〜かざぐるま〜
ものづくり計画
萬劇場(東京都)
2016/11/16 (水) ~ 2016/11/27 (日)公演終了
満足度★★★★
ふるさと三部作...完結篇面白かった!
瀬戸内海にある島...碧島(あおいじま)における過疎・活性化対策を面白可笑しく描いた物語。あくまで島民目線で見た場合で、移住してこようとする人々の気持は見えてこない。双方の視点から、それぞれの「不都合な事実」を描くという点では、納得性が弱いような気もする。それでも過疎化に悩む姿を痛々しくも滑稽に描き出す。
中盤までは誤魔化しとその綻びを繕うような緩いコメディタッチであるが、終盤に向けては、過疎化になった原因、現状、今後どうするかという展望までを一気に語る。
(上演時間2時間強 途中休憩なし)
ネタバレBOX
舞台セットは、廃屋に近い公民館の講堂らしき場所。その舞台(壇)上の中央壁面に島民をイメージした漫画絵(ポップ調)がある。上手側に自転車、下手側にBOX、そこにサッカーボール、扇風機、酒瓶が置かれている。また2階へ通じる階段が見える。
この絵に描かれている人物、風景...青い海・太陽が明るく生き生きとしている。そのタッチは優しく、ラストシーンでその絵に照明が当てられ印象強い。その余韻演出は心憎いばかりである。
梗概...離島への移住希望者への説明会。少しでも島民が多くいる、そして島の印象を良くしようと知恵を絞る。その結果、主人公・祝広貴(池田努サン)の父・恒邦(雑賀克郎サン)が亡くなったことにし、その葬儀に託けて島を離れた者を呼び戻す。ウソの情報を流し、帰島した人々が久しぶりの再会を果たす。しかしウソがばれてドタバタ騒動が...。
前半は先の嘘を誤魔化すための緩いコメディタッチであるが、後半はなぜ深刻な過疎化が進んだのか、故郷の存続の危機に晒されることになったのかが明らかになる。そして主人公・広貴が父と喧嘩し島を離れたのか、その理由も明らかになる。島の活性化のため風力発電を誘致したが、その騒音・低周波は島民に悪影響を与えた。そんな時近くの島との合併話が持ち上がる。合併による交付金や原発誘致による経済活性化、一方吸収合併でメリットがなく原発危険と反対する島民、その争いが激化する。そして東日本大震災が発生し原発問題へ繋げる。
多くの登場人物、しかし、それぞれのキャラクターは立ち上がり見事な群像劇に仕上がっていた。特に広島県・瀬戸内海という設定であり、方言での会話はその土地という臨場感を醸し出す。広島県は第二の故郷であり、多少のイントネーションの違いはあるが、懐かしさを覚えた。
碧島(あおいじま)へ移住するかもしれない...そんな若夫婦は、今までの仕事のあり方を見直し、インターネットを通じた起業も模索。また広貴はNPO法人での業務経験を生かして新たな島の活性化に取り組もうとしている。ハッピーエンドという予定調和であるが、そこには故郷への想い、そして生活や労働形態への工夫によっては過疎化・高齢化対策が考えられる、という展望が見える。ここに未来を見据える生きるメッセージが込められていたようだ。
本公演では娯楽施設もない、コンビニもないなど悲観的な説明もあったが、それでも、島は「人の心がよく聞こえる」と...。
次回公演を楽しみにしております。
酔いどれシューベルト
劇団東京イボンヌ
ムーブ町屋・ムーブホール(東京都)
2016/11/15 (火) ~ 2016/11/18 (金)公演終了
満足度★★★★★
観応えがあった!
「歌曲王」と言われ、生涯600曲ほど作曲したが、その曲が世に認められるまでの下積み生活が描かれる。劇団東京イボンヌはクラシック、演劇という独立したジャンルとは違い、その融合させるような公演スタイルである。その独特な公演はそれぞれのジャンルにおいて敷居が高いと思っている人々(観客)に楽しんでもらう、そんな試みを行っている。そこに描かれる世界...その描き方は、音楽曲だけでも、演劇の物語だけでもなく、主人公(本公演ではシューベルト)となる人物を通して見た人生、時代の背景・状況などを多重的に観せるところが魅力である。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは、段差を設け、後方上手側(この劇団の特長、オーケストラをピットではなく舞台上に配置)に8人編成の楽団。下手側にピアノ(ピアニストは、音楽監督の小松真理女史)が置かれている。上手客席側は、バー・カウンターを作り物語の展開を促す場所としての役割を担う。舞台全体は焦げた平板を組み合わせたような壁・床で、その色彩は落ち着いた雰囲気を出している。そして、場面によって印象付を強調するため、照明を両方向から照らした際、両側の壁に役者の影が映り、妖(怪)しげな陰影(悪魔イメージ)が舞台上を被うようだ。
梗概...シューベルトは恋人との結婚を望んでいるが、なかなか世に認められる曲が作れない。そんな悶々、苛立ちの中にある。一方、恋人は家族(父の医療費、妹達の生活費)のために心ならずも金持ちバロンへ嫁ぐことを決心する。シューベルトの落胆と恨み、そんな時、酒場に悪魔が現れ、美しい曲をプレゼントする代わりにシューベルトの寿命(1カ月)を縮めるという。悪魔の誘いに乗り、多くの名曲を残したが...。寿命があと1カ月になった時、恋人の真心を知り、また自分自身による作曲でないことへの絶望が切ない。
さて、もともと悪魔などは存在せず、自分の心に巣くうもの。恋人はシューベルトのため神に祈っていたが、その行為こそ神との対話であるという。神も悪魔も自分の心の中。今まで作曲したものは全て自分の力であり、まさに命を削った結晶である。
時代との関連というか...バロン(この名前から意識していることは明らか)とハプスブルク家を登場させ、金の力で名誉(男爵)が買える、貴族階級という身分制度への批判が垣間見える。音楽への純粋な取組姿勢との関係から見た時、別の意味で悪魔との取引(金の力ではないが)は苦悩と悔悟が付き纏う。ラストシーンは余韻の残る見事なもの。後世に名曲を残し、夭折したがその人生は充実したものではなかっただろうか。
音楽...シューベルトということもあり、柔らかく優しい作品、またはパートを選曲しており、そのテンポは物語にマッチしていたと思う。先にも記したが、作曲家自身を題材にしているが、当然その作曲した音楽を演奏することになる。その意味で選曲と楽団編成が重要になっているが、本公演は声楽との調整・調和から8人編成もうなずける。
最後に劇団東京イボンヌは、小劇場公演の活性化を目指しているという。東京を中心とした大都市圏だけの公演ではなく、条件があえば地方公演など演劇の底上げを期待したい。それこそ劇場に足を運んで、演劇・声楽・器楽の融合によって生の臨場感が楽しめるのだから。
次回公演を楽しみにしております。
俺んちに神様!? 2016
タッタタ探検組合
ザ・ポケット(東京都)
2016/11/09 (水) ~ 2016/11/13 (日)公演終了
満足度★★★★
味わいある芝居
神様が居候という、とんでもない笑い噺...このシチュエーションは、映画「生きる」(黒澤明監督)を思い出す。もっとも描き方や結末は違うが、自分の生き様を改めて考えさせるような…。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
余命数ヶ月と医師に宣告された青年(落語家)が味わう不思議な出来事を荒唐滑稽、脱力コメディとして描く。昭和の風情が漂うボロアパートが不思議な魅力に包まれた異界の場所へ変化していくようだ。
梗概...主人公は、落語家になりたくて親の反対を押し切って青森県から上京した青年・竹ノ条吉宗(佐々木優サン)、弟弟子にも昇進で抜かされるという覇気・気力のない流される生き方。そこへ余命宣告され...ありがちな設定であるが残された時間をどう過ごすか。それでも主人公は唯々諾々の暮らしぶり、さらには彼女・藤堂美咲(佐々木晴美サン)と思っている女性から適当にあしらわれ金だけ貢がされている。人生どん底であるが、神様は表立って助けてくれない。ただ飲み食いしているだけ。しかし、いつの間にか毎日の騒がしさに気が紛れ、死の恐怖を忘れているような可笑しみを覚える。
一方、故郷の母親の手紙を読み上げる場面はジーンときた。
舞台セットは、ボロアパートの和室...斜めに設営することで奇妙・歪な異空間をイメージさせる。押入れ・台所、隣室への戸。壁には三角ペナントが飾られている。途中で舞台が変形し宝船が出現する驚きを演出する。
登場する神々は七福神、オオノブクロノミコト(実は貧乏神)、そして座敷童・美代、河童。一時的に死神や鬼も姿を現す。余命わずかな青年の部屋に集まった神々などがそれぞれ青年を気遣い、茶化しながら好き勝手に飲み食いし喋り、実に奔放な感じである。一見、青年の悲しみとは縁遠そうな仄々とした雰囲気の中、神々は確かに其々のやり方で「死」という掴みようのない宿命に謙虚に向き合っている。もっとも神様であり「死」そのこと自体に切迫感はない。むしろ、悪者・彼女への反発の方が印象的であった。
ただ、中盤以降、暗転を多用した場面転換が少し気になった。
公演の展開は青年に寄り添うもので、語り手のようなオオノブクロノミコト(谷口 有サン)の目は柔らかく優しい。脱力系演技と滑稽な演出が相まって大らかで即興的な芝居は観応えがあった。
次回公演を楽しみにしております。
魔女と賢者と永久の薬師
劇団ゴールデンタイム!
劇場HOPE(東京都)
2016/11/10 (木) ~ 2016/11/13 (日)公演終了
満足度★★★★
物語として楽しむ
脚本の面白さを超える演技という印象であった。物語はプロローグ、エピローグへ繋げ、その間を劇中劇(回想)というオーソドックスな展開にしている。物語はダークファンタジーという謳い文句の通り人間の業(ごう)に起因した悲劇を壮大なロマン風に仕上げている。その観せ方、芝居という見世物としては面白かった。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは、中央にやや広い階段、上部は出入り口に引き幕。上手側・下手側にそれぞれ形の異なる屏風(衝立)のような仕切りがある。その壁面、上手側は剣・矛、盾が飾られ、下手側には書物(「ペン」のイメージ)が置かれている。ペンは剣より強し...という言葉を思い出す。正面左右の壁には大小のギアが飾られている。それが時計とは逆回転し回想シーンへ。
梗概...海洋暦692年 カルタグラは正体不明の疫病に苛まれていた。 勇者メディスの叛乱により、先代国王を失ったカルタグラを侵略しようとする周辺諸国。国王の娘・アンダリテが戦場で指揮を執るがカルタグラは敗走を続けている。人々は国の災いは、全て魔女の仕業とし、魔女と噂される者を処刑し心の安堵を保っていた。 今日は罪もない薬師の少女・サクリが処刑される、はずであったが彼女の前に紅蓮の魔女が現れる 魔女は少女に告げる 「この手を取りなさい」と...。
「魔女」という存在は、人間の業によって形成され、その魔女によって戦争(侵略)が起きているという皮肉。魔女狩りと称して国の不安定を人の人格に転化する。それも理由なき理不尽によるもので、その結果人々の怨念・怨嗟などの恨みの連鎖が生まれる。登場人物は次々に死んでいく、滅びの美学のような気もする。人間自身が招いた自業自得であるが、本公演ではそれも予定調和の内のようであった。
「魔女」が忌み嫌われていく過程、そこには人間の悪意がはたらき罪なき人が「魔女」に仕立て上げられる。もちろん公演はフィクションであるが、それは荒唐滑稽なことではなく、やがて来るかもしれない。架空の物語、それゆえ卑小なリアリティよりも壮大なフィクションとして楽しんで観た。ただ悪が渦巻く中、薬師だけが純真さを持ち続けるという出来すぎが白けてしまいそう。
役者は熱演...特にネスリム(井家久美子サン 「城に仕える錬金術師」)は憎々しげであり圧倒的な存在感・迫力があった。また殺陣というかアクション、それに顔面に施した妖しげなアートなどの印象付を意識したような演出は好かった。
次回公演を楽しみにしております。
つややかに焦げてゆく
Antikame?
【閉館】SPACE 雑遊(東京都)
2016/11/10 (木) ~ 2016/11/14 (月)公演終了
満足度★★★
普通の人々(女性)の心情を...
作・演出の吉田康一氏の思いが溢れるような言葉...その伝え方が詩的な長台詞になって表現されている。少し観念的と思えるが、普通の人々、特に女性の心情の断片を切り取るかのように思えた。
物語はオムニバスから緩く繋がるような展開であるが、その詩的で朗々とした台詞回しが冗長に感じる。脚本は面白いが、演出によって物語の機微、面白さを失わせているかのようで勿体無かった。
(上演時間2時間20分)
ネタバレBOX
舞台は素舞台、ほぼ正方形の四隅に折りたたみ椅子があるのみ。全体的に暗く、舞台上の役者演技に集中させるかのようだ。客席はコの字でどの位置からでも均等に観えるよう工夫している。もっとも観る位置によって少し印象が異なるかもしれないが...。
高校生だった頃の家庭教師への思慕またはそれ以上の恋愛感情を秘めた女性・ともえ(大塚由祈子サン)、仕事を辞め旅に出る、自分探しのようなユリ(寺坂光恵サン)、夜景が見える駅ベンチに佇み、幸せに手が届きそうなキリコ(矢内久美子サン)、バイト先の後輩と旅行しているが、その友達以上、恋人未満のような関係を続けている女性・みふゆ(こいけサン)、自分の精神・肉体にフィットする男を求めていたが...平凡に落ち着くことになりそうな女性・みわ(野津恵サン)。そのどこにでもいそうな女性たちの心情を、日常の中に淡々と表現させる。他男性キャスト2人。
その表現は、一見瑞々(みずみず)しく繊細のように感じるが、精神先行で肉体的な面が置き去りになっているようだ。その点で淡々とした描きゆえに躍動感が弱く物語として140分を牽引するには厳しい。台詞は詩的で心象形成を意図していたようで、(若い)女性の孤独、不安、寂しさ、諦念のようなものから、相手(男)の気持に寄り添う、温もり、優しさを求める。その色々な思いの心の旅路を表現しようとしていたが、何となく整えた台詞のようで心への響きが感じられなかった。
孤独や不安を際立たせる都会の喧騒、群集の歩きをイメージさせる不規則な歩行、雨傘による寂しさ。そして役者へのスポットライト、場内全体を照らす照明の色彩など、台詞と同様に詩的なことを意識させる。
物語の構成や女性心情(オムニバス的)の描き、その坦々にして悠々とした雰囲気は好ましいが、もう少しテンポと力強さがあったら良かったと思う。
次回公演を楽しみにしております。
かもめー海に囲まれた物語ー
ノアノオモチャバコ
テアトルBONBON(東京都)
2016/11/09 (水) ~ 2016/11/14 (月)公演終了
満足度★★★★
脆く美しい人間像
A・チェーホフの「かもめ」を原案にした、寺戸隆之氏の脚本・演出による「かもめ-海に囲まれた物語」は、日本の芸能界と重ね合わせているようだ。もちろん、原作のかもめの”人生と芸術”に苦悩する者、その人物を取り巻く人々の思惑、喧騒が...。純粋で不器用な者の愛しくも狂おしいような青春が観てとれる。ただし、冒頭は少し観念的だったと思う。
その者だけではなく、人間誰もがその場所から飛び立てるのを信じているかのように。「現代日本に舞台を移した全く新しい物語に蘇らせます」は観応え十分であった。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは、中央に回転サークル、その上部はドーム型の骨組み。サークル内には上からブランコ(孤独イメージ)が吊るされており、劇中で何度か座るシーンがある。上手側は奇形なロッカー、机・PCがある。下手側にこれも奇形ベンチが置かれている。全体的な印象は奇異でありながらファンタジー的な感覚でもある。ノアノオモチャバコの特徴である油絵のような空間造形が見られる。
梗概は、芸能界の大御所を母アキコ(松倉かおりサン)に持つ青年・カワタニケンタ(成瀬清春サン)は内気な性格。最近は鬱々とし話し相手はネコ(森口美香サン)のみ。バイト先の缶詰工場で女性ロッカーを開けてしまい、それを同僚女性コミヤ(伊藤あすかサン)に見られ弱みを握られる。この女性によりバンドを組まされ、女性の作詞作曲を歌うことになる。この活動支援のため母親の力を得る。バンド活動を通じ、芸能界アイドルのベッショキヌコ(早川紗代サン)と親しくなるが、コミヤによって悲劇へ...。
さて、登場人物は大御所/アキコ、MC/マツヲ、かもめ46などTVで見かける人物造形のようだ。
物語はカワタニケンタは売れっ子バンドボーカルになるが、その曲は自身が作ったものではない(世間的には作詞作曲を手がけていることになっている)。芸術における才能とは何か。自分の世界はどこにある。コピーではなくオリジナルの世界を模索、その苦悩が伝わってくる。芸術に必要なのは”忍耐”であると...原作「かもめ」の有名な台詞。
舞台セットの中は、カワタニケンタの心の内。いや芸術に関わる者の苦悩を吐露または咆哮するかのようだ。サークル外に多くの人々が囲み賑やか、その喧騒は心情とはかけ離れた遠い存在のようだ。このサークル内外の観せ方と第三者的な視座が独特な雰囲気を漂わす。ネコの存在であり、主人公の心に寄り添って見つめている。
冒頭の音響・音楽に台詞が重なり聞き取れないシーン...それは敢えて「人生はうるさいほど賑やかで、どうしようもなく孤独だ」というテーマ性を始めに描いているようだ。ラストは、白いかもめがゆっくり舞うダンス、一方、コミヤの黒ずくめの喪服のような色彩が対照的。エピローグの死は原作どおり。
役者は熱演...劇中劇の様相を入れるためか芸能記者が登場する。特にショウジ(大久保悠依サン)は迫力があった。
だた、パーカッションとして佐藤太志朗、野良人エリヲ両氏を迎えているが、その演出は音響効果としてのみの印象。もっと劇中の心情表現に関わる部分での演出があれば、と少し勿体無いと思った。
次回公演を楽しみにしております。
月が大きく見えた日
The Stone Age ブライアント
サンモールスタジオ(東京都)
2016/11/08 (火) ~ 2016/11/13 (日)公演終了
満足度★★★★
不思議な感覚だが面白い!
現代社会の大きく深刻な問題を小さな団地の一室で表す。物語の真の中心となる人物は登場しない。観せ方は、その人物の心情というよりは、周りにいる人々にどう影響を与えるのか、その問題の広がりに軸を置いたように思う。
帰り際、夜空を見上げていた。スーパームーンが見られるのは11月14日...そう教えてくれたのは徳永梓さん。ありがとうございます。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台セットは、都心郊外の団地5階の一室。上手側には整理タンス、ダンボール箱、そして隣部屋への出入り口。下手側はキッチン、冷蔵庫と風呂・トイレへ続く廊下。さらに客席内左側はこの部屋のドアがある。中央奥は大きなガラス窓で、その外にベランダ手摺が見える。壁にはシミが浮き出ており、はり紙の跡もくっきり。
梗概...母子家庭で育った一人っ子の少年は天文学者を夢見ていたが、今は 母(亡くなったばかり)が住んでいた団地を離れ、私立中学の理科教師になっていた。何でも他人のせいにして逃げてきた性格。この教師を慕い話しかけてくる生徒がいたが、その相手をする(話を聞く)のが面倒くさく億劫になっていた。その生徒は自宅通学ではなく、学生寮に入寮していた。そして寮で苛めにあっており、耐えかねて慕う教師の自宅で飛び降り自殺をした。教師の同僚で恋人・霧矢梨子(徳永梓サン)、学年主任であろうか栗生沢先生(アフリカン寺越サン)など、学校側の対応が問われる。そして生徒の母親が登場し、学校・教師の責任を追及し出す、という典型的な展開。
本公演、自殺した生徒は登場しない。苛め=本人の心情吐露などが描かれそうであるが、本公演ではその空(くう)にした設定にすることで、少年の人物像を観客に想像させる。どんな容姿、声なのか...共通して思うことは「宇宙、天文好き」で孤独なイメージではなかろうか。この現れない演出は、映画「桐島、部活やめるってよ」(2012年)を思い出す。そして最後までどんな人物だ、という興味を持たせる。本公演ではその演出効果ではなく、残された人物...気弱な教師の姿に人の一面が垣間見える。そこに「日々溜め込んだ切実な人間のマグマ」を観るような気がする。
本公演は舞台技術、特に照明は印象付けのため中央ガラス窓に時間を演出する。その照明色が時間、その経過を示す巧みさ。
登場人物はわずか5人。どの人物もキャラクターを際立たせバランスよく観(魅)せる。表層的には少し痛く、時にコミカルに演じている。だだ、会話が途切れた間(ま)が少し長い時がありテンポが緩くなるシーンが何箇所かあって勿体無かった。
次回公演を楽しみにしております。
震えた声はそこに落ちて
劇団時間制作
劇場MOMO(東京都)
2016/11/02 (水) ~ 2016/11/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
重い内容だが...【Bチーム】
加害者は信用を回復することは難しい。それ以上に被害者の苦しみが癒える事は、難しい(ない)。未成年による犯罪...その更生を見据えつつも、第二の人生はその家族をも巻き込んで...。説明にある「言葉にする事の重みと、言葉にならない思いの強さ。 直向きに幸せを追い求める圧倒的な現代劇」の謳い文句通り、素晴らしい公演であった。
敢えて明るく振舞う笑顔、しかしその顔は心底から笑っていない。そんな緊密した物語は飽きさせることなく力強く引っ張る。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台セットは、「たかまつ食堂」をしっかり作り込んでいた。中央奥にカウンター、客席側の上手・中央・下手側にテーブルセットが置かれている。この配置に誘拐・拉致監禁事件の加害者・被害者が上手・下手のテーブル席に座る。この対比構図による展開が物語を分かり易くしていたようだ。
梗概...「たかまつ食堂」には3姉妹がおり、結婚している長女が夫と経営している。誘拐されたのは次女・神崎琴子(はらみかサン)。そのショックで声が出なくなる。家族はこの事件には触れず忘れることを選択していた。そこに別事件の加害者となっている女性が現れ、どうしたら被害者(家族)から許しの言葉がもらえるのか。そして誘拐した犯人や共犯者が現れ、被害者の心情に踏み込んでくる。
本公演はドキュメンタリー風のように感じた。現実はもっと深刻であり、重たい展開にすることも出来たであろう。物語では監禁しても陵辱はしていない。犯人の誘拐動機...未成年者が逆恨みによる相手家族を困らせたい、そんな幼稚なもの。だから真に悪い事(犯罪)という認識が希薄である。もっと重たい事実を突き付けた場合、その先に見えるのは絶望。ここでは敢えて未来を見つめる方向にしている。
その見守り役が、冒頭のラジオパーソナリティ・三郷岬(真砂尚子サン)である。その立場を示すのであろうか、被害者(家族)・加害者(家族)の間に介在するかのように中央テーブルかカウンターに座る。物語のリアリティよりも人間の心情を抉り出すという展開で観(魅)せることに主眼を持たせたところに好感が持てる。そしてラストもけっしてハッピーエンド、予定調和ではなく、むしろ自分を苦しめた行為、犯罪に対する”怒り”を加害者(家族)にぶつける。
役者は熱演...登場人物のキャラクターや心情はしっかり体現しており、演技バランスもよい。また、舞台技術として照明はラストのスポットは印象付け、音響は棒説明にならないようラジオ番組を通じて興味を惹く。また食堂の出入り口を開けると外の喧騒・車の音が聞こえる。何気なく聞こえる「音」は今回テーマを意識しているのだろうか。この食堂内は事件を忘れるために立ち止まっている。その意味で非日常、対して外は日常の暮らしがイメージ出来る。とても細かいが効果的な演出であった。
次回公演を楽しみにしております。
Rock'n will~石の意志~
super Actors team The funny face of a pirate ship 快賊船
ブディストホール(東京都)
2016/11/02 (水) ~ 2016/11/06 (日)公演終了
満足度★★★★
豊かな発想、大胆な設定
最近「影の者」だった忍者が話題になっている。2015年10月には忍者ゆかりの自治体などが参加した日本忍者協議会が発足しているという。
今年は、ずばり「真田十勇士」をモチーフにした映画があった。忍者ブームは何度かあって、その当時の社会情勢が反映されてもいたらしい。そういえば、小説、漫画、映画、TVドラマなどいろいろな媒体で登場してくる。
本公演は、忍者の特長である忍術、体術それに諜報術が紹介されていたが、劇団の真骨頂...殺陣・体術が素晴らしかった。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは、アクションスぺースを確保するため、下手側に数段高くした小広い踊場のようなスペース。イメージは物見所、その下に幕が掛かる抜け穴のみ。
登場人物は、歴史...特に戦国時代に興味を持っている人ならば聞いたことがある者が多い。冒頭は本能寺の変から始まる。暗躍する忍者は真田十勇士でもおなじみ、霧隠才蔵(金村美波サン)、猿飛佐助(夏上瑛助サン)が真田家に仕えて...ではなく別の方向へ物語は進む。
忍者は眩い黄金(小判)次第で仕える先を決めていたようだが、ここでの黄金は輝く稲穂に準(なぞら)える。乱世における弱き人々への目線。そこには城の上からでは分からない。才蔵が片膝立て穂の高さになり、撫でる場面は静的である。一方アクションは動的である。この観せ方、メリハリがあり印象付けが巧い。公演全体が魅力的な観せ方になっており、そこに現代における貧富の差など格差社会への皮肉が込められている。
さて、漫画に「カムイ外伝」(白土三平)というのがあったが、そこでは抑圧され、身分制度の外に生きる者」としての忍者像があった。まさしく時代は廻り現代日本の色々な問題に対峙するような...。
役者陣の熱演...特に殺陣などのアクションシーンは観応え十分である。物語も実に発想豊かで大胆な設定の裏日本史を観ているようで面白かった。
ただラストが放り出されたようにあっさりし過ぎて、諦念のような印象を持った。もう少し余韻があっても良かったのではないか
。
次回公演も楽しみにしております。
ドラマ>リーディング『近・現代戯曲を読む』
Minami Produce
ルーサイト・ギャラリー(東京都)
2016/11/03 (木) ~ 2016/11/06 (日)公演終了
満足度★★★★
新たな試みを...【夜の部】
古民家は、日本の伝統的な建築様式や文化、そこで暮らした人(ここの家は市丸さん)のぬくもりを色濃く残している。その昔ながらの佇まいの中で演じるのは、古典的な「能」を三島由紀夫が「近代能楽集」に収められている2作品(班女」「葵上」)をドラマ/リーディングという新しい試みで演じる。その観た目はリーディングであるが、仕草(動作)もしっかり見て取れる。その作品からは、女の情念という感情が伝わってきた。
(上演時間70分)
ネタバレBOX
梗概(上演順)..
「班女」は、画家・本田実子は、自分が愛おしく思っている女性・花子が、男に恋焦がれている。その男が現れることへの不安、そして嫉妬と焦燥が狂おしい。
「葵上」は、入院して毎夜うなされ苦しむ妻・葵のもとへ、夫・若林光が見舞いに来る。そこに六条康子が生き霊となって現れる。葵を呪い殺しその夫を奪う。その激情した姿は棘(おどろ)髪を振り乱しているかのようだ。
公演では、三島の近代能に新たな息を吹き込んだようだように人物(像)が立ち上がり滋味を感じさせる。そのドラマ/リーディングは十分楽しめた。しかし、夜公演は昼公演に比べ静寂になっている分、電車の走る音が気になる。それが台詞と台詞の間に聞こえる時は、集中力が途切れる。
一方、夜景の効果として窓ガラスの向こうの灯り、それがガラスに反射し役者の姿が幻影のように映る。
役者によるドラマ/リーディングは、その力量を十分発揮し物語の醍醐味を伝えてくれた。自分が過去に聞いた公演(媒体でも聞いた)では想像力を豊かにして楽しんだが、この公演では視覚にも入ってくる。その演技が中途半端であれば白けるところであるが、ドラマとリーディングを絶妙なバランスで表現していた。
三島は、彼以前の能を自分なりに「近代能」として練り直したと思う。本公演では、それを更にドラマ/リーディングとして描いていることから、既に三島の翻訳というよりは新たな能の精神ともいうべき”心”を入れているようだ。この「人」の「心」の有り様を見事に抉り出していると思う。三島の古典に対する思いと挑戦同様、文字(言葉)一辺倒の世界から一歩踏み出してドラマを観せることにより、能の世界を楽しませてくれた(なぜ、この2作品を選択したかは分からないが)。
次回公演を楽しみにしております。
フィーリアル
発条ロールシアター
阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)
2016/11/03 (木) ~ 2016/11/06 (日)公演終了
満足度★★★★
心情の(泥棒)日記
説明文から、くだらない出来事(犯罪ではある)に必死な男の悶々を描いた性春物語かと思っていたが、作中には文学・哲学的な言葉(せりふ)が溢れている。
心の彷徨という観念的なものを、即物的なパンティ...その下着泥棒という気を引く内容にしている。しかし、その狙いが十分繋がるところまで伝えきれていないところが勿体無い。
公演の中には、多くのパロディ台詞が散りばめられ可笑しさを覚える。当日パンフには、「特に目新しいこともなく、とりたてて懐かしいこともない、信念もない、根性もないけれど、ただ目の前にあるものに向かっていくような」とあったが、謙遜であろう。
(上演時間1時間35分)
ネタバレBOX
舞台はいくつかのブース毎に紗幕で覆われている。場面展開に応じて照明によって役者(陰影)を映し出す。そこは、高層マンションの一室であり、スポーツジムである。
一見不可解な展開で混乱しそうになるが、主人公にフォーカスしてみると面白可笑しさが伝わって観えてくる。男の心情を通して運命的なもの、その抗いきれない哀れと、表層として描かれるパンティ泥棒という行為にみる歓び、その哀歓を共にするような人生。
また、元刑事と詐欺師の男2人は、普通の暮らしというよりは地べたを這いずり回るような生き方。1人は、警察という強固(規律の厳しい)な組織を退職する。もう1人は人を騙す生き方に内心不安であろうが拘束されることはない。その両者に共通するのが「自由」という言葉...その台詞に引用されたのが、サルトルの「自由と存在」の”自由という刑に処される”である。人によって捉え方が異なる抽象なこと。
それを江戸時代の腰巻泥棒と現代の下着泥棒の追・逃を人物配置の逆転で宿命・関連付ける。その場面になぜか、森鴎外の「高瀬舟」の引用。さらに、西条八十の詩「帽子」...母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうねえ...などの有名句を引用している。
現実と非現実の混沌とした世界観、宿命に翻弄される人間の哀歓。また下着泥棒の生真面目さ、元警官と詐欺師のいい加減さという人物対比も面白いが...。その描き方がもう少し分かり易ければ好かった。
最後に、チラシに「発条ロールシアターが送る、21世紀の『泥棒日記』!」とあった。この件、映画:ゴダール作品を思う。他人の映像、他人の音響、他人の言葉によって活気し引用やパロディーの手法を多用している。それゆえ「(映画)泥棒日記」と言われていたようだが、それでも評価があるのだから...。
次回公演を楽しみにしております。
『曇天プラネタリウム』
ラチェットレンチF
Geki地下Liberty(東京都)
2016/10/26 (水) ~ 2016/10/30 (日)公演終了
満足度★★★★
サスペンス・ミステリーが謳い文句であるが、犯人は早い段階で解る。特に強い警察機構や名探偵が登場し、事件を解決していく訳ではない。この劇団の物語は単に謎解きの面白さだけではなく、人間観察、心に巣食う闇のようなものを浮き彫りにするところが魅力である。
(上演時間2時間)
ネタバレBOX
舞台セットは、変形階段で段差を設け立体的な作り。そしてブロック・衝立で怪しげな雰囲気を出している。その造作イメージは、天体観測に相応しい丘の上といったところ。また客席側は平地または建屋(病院)内を連想させる。演技の上・下の動作が躍動感と心地良いテンポを生み出す。
物語は連続殺人事件が発生している地域…動画サイトにアップされ「殺人を犯す、その瞬間」、その殺害(レンチで撲殺)シーンから始まる。犯人からの宣戦布告である。衝撃的なシーンで印象付を行い、物語へ引き込む力と手法は見事である。
場面転換し、天体観測をしているアベックの仲睦まじい場面が描かれるが、そのうち女性が殺害され、そのショックで男性は記憶障害になる。この男性は事件現場にいたこともあり、犯人と思われ犯罪者扱いされる。
登場人物は元刑事とその刑事を慕う現職警官メンバー、キャリア警察官僚、スクープをものにしたいジャーナリスト(マスコミというよりは個人的な)の三つ巴のような捜査・追跡。型通りのプロファイリングでは犯人像に迫れないが…。先にも書いたが犯人は早い段階で明かされるが、その犯行動機が不明である。そこに人の深奥への探索のようなものが始まるのだが、その描きが弱いと思う。
役者陣は、登場人物の性格・役割そして立場をしっかり体現し、生き活きと動いている。その演技とバランスの良さは安定しており、感情移入もし易い。
自分は、ジャーナリストが何故あそこまで捜査に執着するのか、単にスクープ目的ではない、という言葉を劇中で喋っていたと思うが…。
次回公演を楽しみにしております。
最終回のそのあと
獏天
Geki地下Liberty(東京都)
2016/11/02 (水) ~ 2016/11/09 (水)公演終了
満足度★★★★
表層は軽量だが、中身は重量
苛烈な戦闘(跡)場の光景と個人の卑小な欲望が繋がって行く。その妙笑はまぎれもなく面白いのだが...。
子供たちのヒーロー「ウルトラマン」が登場したのが1966年だから、今から半世紀も前のこと。本公演はそのパロディ化しつつ、ウルトラマン(本公演では別の呼び名)と怪獣の戦闘後、その廃墟のような場所で暮らしている人々を通して、現代日本の姿(問題)に重ねる。表層的にはコメディであるが、その描く中身は重厚なもの。
(上演時間1時間30分)
ネタバレBOX
舞台セットはほぼ素舞台。あるとすれば上手・下手に固定された椅子2脚。上手側に2階部分を設け、別場所をイメージさせる。設定は毎週定刻に始まるウルトラマン(物語では「ウルターマン」)と怪獣の戦闘によって破壊された街の一角。南伏見第七高校の体育館、そこに避難している卒業生などの人々の会話を通して、今の日本の問題が炙り出される。
人間の身近な感情としてそこに居る男女の恋愛話が入ってくる。「国家」と「個人」の問題を往還させ、世界観をより面白く観せるところが巧み。
その問題は、(老齢)年金・(消費)税金・(平和)海外派遣など広範囲にわたる。そこには戦闘は国家責任ではない=制限的な復興支援策。一方、復興事業による大手ゼネコンが潤うという、他人の不幸は蜜という構図が見える。明らかに震災に絡めた問題の投げかけである。
特にウルターマンは世界最強の兵器として海外派兵できるか。その陰謀とともに徴兵制の姿がちらほら見え隠れするところが怖い。
元になっている「ウルトラマン」に登場する「バルタン星人」(本公演でも同じ)は、故郷の星が核実験で住めなくなり、宇宙難民になったために地球にやってくる。最初は地球人との共生を試みるが、それを断られたので...。名前の命名は、当時戦争の火薬庫であったバルカン半島に由来するらしい。
また、劇中でマイクを持ってアイドルが歌うシーンがあるが、これは「アイドルを探せ」などのヒット曲でしられる歌手シルヴィ・バルタンの名から付けたとの話があるため、挿入したのだろうか。いずれにしてもパロディという柔らかい皮で包み、中身はしっかり硬(高)質に仕上げており、観応え十分である。
さて、素舞台であるだけに役者陣の演技力が内容の良し悪しに影響する。本公演では総じて若い役者であるが、一様に大声、というか怒鳴り声のようで感情表現が単調のように感じた。もう少し状況・情景描写に配慮した演技があればよかった。その点が少し残念であった。
次回公演を楽しみにしております。
着メロはお気に召すまま!
CAPTAIN CHIMPANZEE
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2016/11/02 (水) ~ 2016/11/06 (日)公演終了
満足度★★★★
面白いが...
物語は荒唐滑稽の展開であるが、飽きさせることなく観せる。その要因は場面の観せ方や構成が分かり易く、テンポがよかったことだと思う。その意味で丁寧な作り方であった。
物語の設定は近未来のようであり、少し時代を遡るような...時代背景や場面設定を曖昧にすることでリアリティに距離を置いている。そうすることで、ファンタジーとして(多くのツッコミ所を含め)、非現実世界であることを表している。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
素舞台...それだけに役者陣の演技力が重要になっている。梗概...家庭用ロボット販売営業所の中年女性社員・海野渚(池上映子サン)が主人公。性格・生活態度は受動的で、仕事一筋に生きてきたが、最近は後輩にも営業成績を抜かれ恋愛も仕事も思うようにならない。そんな時、誤って携帯電話を噴水に落としてしまう。そこに現れたのが少し怪しげな女神。 「お前が落としたのはこの金の携帯か銀の携帯か、それともスマホか…」 、もちろん正直に落とした電話を指すが渡してきたのが金の携帯電話である。寓話「金の斧、銀の斧」のパロディシーンである。そしていつの間にか、外国の王女の護衛をするはめになり、その婚約者の王子ともども悪の手から二人を守るような展開へ。金の携帯電話には、掛けた相手に一時的に変身でき、また相手の本心が分かるという”力”が秘められている。戸惑いながらもその”力”を駆使し...いつの間にか能動的になっている自分がいる。
公演は少し誇張かもしれないが、”メタ・フィクション”のような気がする。いわゆる劇中劇...主人公の周りの人々や出来事が彼女自身の成長へ繋がって行く。彼女の正直な気持(流される面)の表れと行動が周囲へ影響を与え次の場面へ誘う。もちろん”力”によって変身(登場人物としての役者が入れ替わる)などの演出が見られる。
彼女の成長・変化という まじめパート、ヒーローとダーティの格闘シーンにおけるドタバタパートが絶妙なバランスで成り立っている(本筋だけ追うなら不要だと思う)。そのどちらのパートもコメディという大枠の中で生き(人)活き(ロボット)と描かれていた。また携帯電話の新旧機種に準(なぞら)えた教訓的なことも垣間見える。
どこにでもいそうな(普通)人物の成長という堅い話をドタバタ騒動の中で面白可笑しく観(魅)せる。その演技...役者は熱演であったと思うが、それでも想像力をフル回転させなければ...。
次回公演を楽しみにしております。
パートタイムチィーチャー
遊々団★ヴェール
TACCS1179(東京都)
2016/11/02 (水) ~ 2016/11/06 (日)公演終了
満足度★★★★
分かり易く楽しめる!
勧善懲悪のような分かり易い物語のように思っていたが、終盤近くに公演テーマが浮き彫りになってくる秀作。少し遊び心が多いような気がするが、本筋を引き立たせていると思えば卑小なこと。
タイトルから教師が主人公であることは明らかであるが、その職業に限らず、人の素の部分を描いている。この公演、教師と生徒などの登場人物だけではなく、観客である自分自身でも考えるところがあった。
(上演時間1時間50分)
ネタバレBOX
舞台セットは教室内。下手に教壇、それ以外は生徒の机・椅子、上手・下手側に出入り口扉。舞台億は高くなっているが、廊下という設定のようだ。役者の立ち位置、特に校長はその立場において上から目線をイメージさせる。
登場人物は多いが、そのキャラを立ち上げ彩り豊かにしている。また演技のバランスもよくテンポも心地よい。
梗概...教員採用試験に合格できない女教師・武田海未(川崎香織サン)が主人公である。そんな彼女が産休中の教師に代わり教壇に立つことになった。この学校は定時制を併設している私立学校、担当はその定時制で卒業まであと半年の4年1組の担任である。就任早々4人の転校生が転入してくるが、これは今後の展開の伏線である。定時制というシチュエーションは、学校(教室)というよりは、その在校生一人ひとりの境遇・経歴に焦点が当てられる。
本公演もその王道的な観せ方を踏まえ...全日制と違い年齢や境遇の違いを面白可笑しく、時にしんみりと描き、物語に引き込んでいく。
勧善懲悪における悪者と悪事に準(なぞら)えているのは、校長が定時制の廃止を企み、その原因・責任を新任教師のせいにしようとしていること。経営的な立場から定時制の悪イメージ(全日制の生徒への暴力行為)の払拭、少子化対策として進学校への転換を図ること。私立学校としての発想、そこで校長の立場が鮮明になる。しかし、校長である前に校長”先生”であり教育者であることを諭す者が現れ...。実は校長は定時制高校出身者で、苦労した教員人生だったことが明かされる。「定時制」の存在が苦労の出発点のような。
この校長先生の表裏の意図は終盤近くに分かってくるが、それまでは教師と生徒が一丸となって定時制廃止反対(別の退学問題が契機)の示威行動。教育現場は生徒の教育だけではなく、教師にとっての成長の場でもある。問題が直面した時、その解決の糸口として自分はどうしたいのか、その本心に従って行動する。少し教訓めいているが教師に限らず人の生き様そのものではないだろうか。
公演はドタバタコメディであるが、観終わってみれば清々しい気持にさせてくれる。
そういえば、校長は新任教師を陥れようとしたり、生徒の弱みに付け込んでスパイ行為をさせているが...その責任はどうなったのだろうか。
次回公演を楽しみにしております。
ドラマ>リーディング『近・現代戯曲を読む』
Minami Produce
ルーサイト・ギャラリー(東京都)
2016/11/03 (木) ~ 2016/11/06 (日)公演終了
満足度★★★★★
早く書かずにはいられない公演【昼の部】
会場は、浅草橋にある古民家ルーサイト・ギャラリー 、自分は初めて訪れた。隅田川沿いにあり、対岸には旧安田庭園、両国国技館がある。上演後、ベランダに出るとスカイツリーも見える。そんな風景を借景するような演出が巧み。
(上演時間70分)
ネタバレBOX
ドラマとリーディングで中途半端な演出になるかと思ったが、動作は最低限に抑え、台詞(言葉)による感情表現に力が入る。それゆえ、観客の想像力を刺激してくる。それだけ役者の表現力が素晴らしいということ。
さて演目は昼・夜で異なる。
昼の部
【星にリボン(作・荻原伸次)】
真夜中。あるビルの屋上に一人佇む若い女が死神と語らう。夜空に飛び出す覚悟を決めた女に、死神は手をさしのばす。しかし踏ん切りがつかず...。私の存在、そして生きている世界はどこなの。そんな自問自答の末に死神から言われた言葉...この死神、天死(天使)のような。
【日射し-家族の歴史-第一部のみ(作・長堀博士)】
目を瞑るとまばゆい日射し。ひび割れた大地を水のタンクを運ぶイメージの旅。三姉妹には兄(名は「太陽」)がいたが、長女が生まれる前に亡くなってしまった。しかし、いつも家族の中にその存在を感じていた。母と父の馴れ初め、三人姉妹の成長と現在の姿。そして亡き母の思い出が回想される。
二部は、父が芸者と懇ろになり、てんやわんらの騒動になるとの紹介が...。実に興味を惹かせる。そういえば、この会場の住所は柳橋一丁目、芸者が多くいた場所(花街)ではないか。
「星にリボン」は、もちろん夜の話で、場内は雨戸を閉めたまま。「日射し」は一転、日(陽)を感じる物語であるから、雨戸を開け太陽光を取り入れる。そして後景は隅田川、JR総武線が走るのが見える。この二話の間には休憩がなく、一気に暗・明の転換するような印象付けをする。
そして、欄間の木枠から橙色の柔らかく優しい(間接)照明が...。
とても素晴らしいドラマ>リーディングであった。
次回公演を楽しみにしております。
ちなみに、夜の部は次の二作品である。
・班女(作・三島由紀夫)
・葵上(作・三島由紀夫)
ホテル・ミラクル4
feblaboプロデュース
新宿シアター・ミラクル(東京都)
2016/10/28 (金) ~ 2016/11/07 (月)公演終了
満足度★★★★
ラブホテル・ミラクルでの一夜
ラブホテルのイメージは、欲望と情念のようなジュクジュクした感情が滲み出てくるもの。本公演は、その陰湿・猥雑よりは、どちらかと言えばカラッと乾いた印象である。
短編5本はどれも面白いが、それは単純にギャク的なことではなく物語...男女の距離感をしっかり表現している。
上演時間2時間、それは新宿ラブホテルの一般的な休憩時間をイメージさせるもので、観客がソッと隙間から覗いている気分にさせる。
ネタバレBOX
客席はL字型ひな壇で、ホテル室内の肢体・痴態を覗いている。
薄暗い部屋...ダブルベットとサイドテーブル、ソファー、テーブルと椅子2脚。出入り口近くにスモークガラスのシャワールーム。ベットにそうように黒ソファーがあったが、芝居で使用することはなかった。帰り際に聞いたところ、客席だったようだが、誰も座らなかった。
梗概(5編)は次のとおり。
1.「ホンバンの前に4」
前説を兼ねており、特に携帯電話の電源OFF。
2.「メキシコ」
冴えない童貞男とかわいい女の訳あり一夜。女は彼氏を殺し警察の捜査から逃げている。そのために童貞男とラブホヘ逃避行?
3.「楽しい家族計画」
男が家族のために部屋を改装したい、その相談事をラブホで行う。男・女(建築士)とも既婚者で、改装相談が、いつの間にか男女の人格・性癖へ話が逸れて...。男はこのラブホの経営者で、この部屋を改装したいと。
4.「後戻り出来ない女(まもる 2016年版)」
出会い系サイトで知り合った年の差カップル。女性は独身キャリアウーマン、ミラクル4ならぬアラフォー。男性は24歳。ホテルへ入ったはいいが、年の差で話題やカラオケの選曲が合わない。この2人は特別な関係であり、それを解き明かす第三の男が登場する。
5.「グリーブランド」
酔い潰れた女とラブホで一夜を過ごすが...。ヤるチャンスがあったのに行為をしない男に向って女は、明日遠くへ行くという。それはグリーブランド...それってどこにある国なの。女の誘惑にも優柔不断な態度の男。女が部屋から出たところで...一言。
どの物語にもクスッと笑えるオチがある。全作品にラブホという少し妖しげな雰囲気の中で、男女の距離感が伸び縮みする。または話を適度にねじり、巧みに流れに渦を作り掻き回す。室内の濃密な関係が、軽快なテンポで繰り広げられる。このアンバランスのような演出がたまらない。
シャワーを浴び、バスローブ姿の女優陣がエロティックでドキドキ、そして展開にハラハラして楽しめる。
最後に、薄明かりの中で次作品のベットメイキングをしているが、出来れば女優陣(ラブホのベットメイキング=女性のイメージ)のほうが艶めかしいかも。
次回公演を楽しみにしております。
『みんなしねばいいのに』
うさぎストライプ
アトリエ春風舎(東京都)
2016/10/23 (日) ~ 2016/11/05 (土)公演終了
満足度★★★
室内が騒がしく面白いが...
ハロウィン、万聖節(11月1日)の前夜祭、悪霊を追う払う日...子供たちが仮装しカボチャに目鼻を刳り抜いたおばけランタンを持って家々を回る。
本公演は、女性専用のマンションに住んでいる私の室にも本物の幽霊がいる。この私の室以外に2部屋の住人が錯綜するように登場し、不条理ならぬ理不尽な振る舞いが...みんな死ねばいいのに。
場面ごとの面白さと全体を通してみた時の平凡さのギャップというか落差が勿体無い。同時に、上演時間75分にも関わらず、気になることが...。
ネタバレBOX
舞台セットは、中央にマンションの部屋...その奥壁は中央が窓、それ以外は飾り棚。そのBOXには ぬいぐるみ などの小物が置かれている。またいくつかのBOXはランタンイメージの照明が配置されている。そして上手側にテーブル・イス、下手側にベットが置かれている。若い女性が住んでいるイメージ。その部屋の周りは街路。またミラーボールがいくつか吊るされている。
3部屋は同じ間取りという設定、住んでいる住人が登場することで、誰の部屋か区別できる。その演出は分かり易く巧み。
女性専用のマンションに何故か男が出入りしている。マンションの私の部屋以外に上階とその隣室の住人が絡んでくる。外はハロウィンに浮かれているという設定であるが、その騒動は感じられない。逆にこの3部屋での出来事のほうが騒がしい。3組の女性が体験する厄介で迷惑な話々。
当日パンフの劇団紹介では、不条理を描くようなことが記載されていたが、この公演では、その道理というよりは不可解な印象のほうが強い。男の闖入してきた状況は理解の範囲であるが、半同棲のような状況はどうしてか。各室内の騒動は気味悪く、少し怖い雰囲気が漂う。この不可解な状況も含め、物語全体が仮想(装)の中に溶け込んでいるようだ。
さて気になるのは、上演時間75分という比較的短い物語において、カラオケで歌うシーンが多いこと、角(ツノ)男が窓から落ちて再生してくるリターンが多く話の展開が足踏みしているように感じる。不条理というよりも理不尽という印象であるが、その居直り的な不気味さ、不思議さは公演を面白可笑しくしているだけに繰り返しの多さが勿体無い。
次回公演を楽しみにしております。
愛よりも青い海
斧頭会
シアターグリーン BASE THEATER(東京都)
2016/09/14 (水) ~ 2016/09/19 (月)公演終了
満足度★★★
もう少し捻りが...
確かに、「二つの物語が同時進行し交錯するハートフルコメディー」であるが、どこかで観たことがあるような...新鮮味が感じられず、少し残念であった。
ネタバレBOX
梗概...マンションの一室で、男は幽霊と同居しており、その友人達とともに幽霊を成仏させる為に奮闘する。別の一室では、病状の妹の世話で長期休暇している男を職場復帰させようと同僚達が奮闘する。
実は、人見知りの女性が参加した小旅行時、交通事故が起きて彼女だけ生き残った。その事実を受け入れられない女性の心情、亡くなった人々からの想いで間接的にその事実を伝える。この過程を面白可笑しく展開する。
亡くなったことを意識している「霊」と、生きていることを自覚できない「魂」が交錯する、そんな不思議で少し悲しい物語である。誰が生きているのか、亡くなっているのか、その表現方法は登場人物の衣装に電飾または蛍光を取り付け、暗転することで姿(外形)を浮き上がらせる。そのシーンが多く、印象付けを意識した芝居のようであるが、現世・来世であろうと役者の表情や動作は観ておきたい。
芝居では、亡くなった人々がさも生きており、生き残った女性が死んだと思い込んでいる。その逆転したような脚本・演出は、どこかで観たような表現方法であり、新鮮味が感じられなかったのが残念である。優しくゆったりとしたテンポで心地よいが、話の見せ場(核)となる意外性の種明かしも早い段階で分かってしまう。もう少し物語に驚き・インパクト、さらに余韻が感じられれば魅力ある公演になったと思う。
次回公演を楽しみにしております。
永遠の一秒
インヘリット東京
川崎市産業振興会館(神奈川県)
2016/10/20 (木) ~ 2016/10/22 (土)公演終了
満足度★★★★
命の繋がり
本公演は、第27回(2015年)池袋演劇祭優秀賞受賞作品で昨年観たかったが、都合が合わず観ていなかった。今年も東京公演はスケジュールが合わず諦めかけていたが、神奈川の千穐楽・最終公演回を観ることが出来た。
この公演、カーテンコールで脚本・演出の畠山貴憲氏から「命の繋がり」がテーマである旨、挨拶があった。当日パンフにも「永遠の一秒」は特攻隊をモチーフに、命の繋がりを描いていると。
とても面白く感動していたが、終盤近くにその余韻を損なうような演出があり、少し勿体なく残念でもあった。
(上演時間1時間45分)
ネタバレBOX
舞台セットは、紗幕・縦長の木枠が3つ。まるで棺桶のような感じでもあるが、そこを爆撃機「銀河」の操縦席に見立てたり、1945年と2016年を繋ぐ橋のようなイメージにも受け取れる。
梗概...1945年-海軍宮崎赤江基地
特攻隊員である3人の若者が、怪我を負い出撃できなくなった仲間の原口に遺言を託し、爆撃機「銀河」に乗り込み、敵艦へ特攻した。そして21年という短い生涯を終えた…はずであったが。
目覚めた彼らがいた場所は、戦後70有余年を過ぎた現代の日本。状況を理解できず、現代を「死後の世界」(六道の一つ)と思い込む。そのうち就職・家探しを通じていつの間にか、原口の残した子や孫を通じて本人(原口)の元へと導かれていく...。
一度出撃すれば、二度と生きて戻れない、まさしく人間爆弾である。爆撃機「銀河」に見立てた箱、その狭い空間の中で悔しい自分の死を嘆くこともできない。本公演では、その極限状態を描き、単に表層の平和のみを主張した作品とは違う。特攻兵を現代へ呼び戻し、戦時と現代を対比させながら、観客一人ひとりに考えさせる。ヒロイズムや救いのなさ、生き残る者の感傷もないような...。原口は出撃できず生き残ってしまった、この老人の死んでいた戦友の亡霊とともにのみ生き延びてきた。その最期を看取るかのように現れた3人との魂の共鳴が感動的である。
現代の平和...そこには戦時を生き残り、命を繋いだ人々の苦しみ痛みの上にある、ということを忘れてはならない。この忘れてはならない記憶、それを直接知る世代が少なくなっている。体験を次世代に伝えるのが戦争体験者の責任だ、といわれる。それでは戦争を知らない者はどうすべきか。
戦争・戦後の混乱の記憶も今は風化しつつ、年表の記載に閉じ込められそうである。様々な思い出を抱えた世代は、どう対応するのだろうか。語るべきか、それとも心中に黙するのか。戦争(後)を知らない世代は、その未体験をどう受け取り、次世代へ語り繋ぐか、それが問題だ。
さて、気になるところ...終盤に紗幕に記録映像(実写)を映写していたが、あまりに直裁的であり、芝居らしい余韻が興醒めしてしまう。
物語は、原口の死期が近くなり、3人が迎えに来た。または原口の走馬灯のような回顧録であったかもしれない。どちらにしても夢か現か幻か...、映像よりは役者の息遣いに、今を生きていると感じていたかった。
そして音楽...クラシック、宗教音楽、軍歌などが挿入されているが、場当たり的な印象を受けたのが残念。
次回公演を楽しみにしております。