タッキーの観てきた!クチコミ一覧

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ずれ

ずれ

m sel.プロデュース

シアターシャイン(東京都)

2023/10/12 (木) ~ 2023/10/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

東京のはずれ街にあるシェアハウスが舞台。そこで様々な事情を持った者の過去と現在を交錯させ、色々な<思い>を描いた群像劇。或る日、シェアハウスに1人の女が戻っ(現れ)たことによって不協和が…。その女の目的というか存在が肝で、それによって話の捉え方、解釈が違ってくるようだ。まさしく観る者にとっては感覚的な<ずれ>を思わせる内容だ。

繊細な演技で愁いを表し、口遊む歌(故郷<ふるさと>)と相まって郷愁ー抒情的な紡ぎ方をしているかと思えば、嫉妬や嫌味といった激情的な描きという メリハリある観せ方。登場人物の性格や思い、そして今の状況が炙り出されるような展開…ここで先に記した女の関りをどう捉えるか、なかなか手強い公演だ。

当初、シェアハウスの家族と共同生活をする人々、その二組の話を交差させた展開かと思っていたが、いつの間にか交錯し不気味な様相を呈していく。その意味ではミステリーといった雰囲気をもつ不思議な公演。出来れば人物相関図がほしいところだが、それを示すとネタバレしそうで難しいのかも。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 追記予定

ネタバレBOX

舞台美術…上手はオブジェの木(金木犀)とテーブル・椅子、下手は階段といくつかの棚板が無造作に立ててある。全体的に白と黒といった色彩で何となくスタイリッシュな印象。ここはシェアハウスのリビング、又は ある公園になる。

冒頭、公園のベンチで1人物思いに耽っている女性、この公園の名は…思い出せない そんな謎めいたシーンから始まる。
ちょんまげ手まり歌

ちょんまげ手まり歌

劇団演奏舞台

演奏舞台アトリエ/九段下GEKIBA(東京都)

2023/10/13 (金) ~ 2023/10/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

面白い、お薦め。
観た回は満席、小さい会場に鳴り響く万雷の拍手が、公演の素晴らしさを表している。
劇団創立50周年記念Ⅲ、それを旗揚げ公演「ちょんまげ手まり歌」の5回目の再演で締めくくる。時代劇でありながら現代に通じる人間の愚かさを痛烈に批判した物語。原作は上野瞭 氏の童話で、小見出しがついた いくつかの話(章)で構成されていた と記憶している。

少しネタバレするが、冒頭の歌は、童話の始めに書かれている文で、その歌詞が物語のすべてを語っている。人は<考え>だすと迷い 疑いだす。言われたまま実行していればよい。いたずらに色々なことを知ることは、視野が広がるが それだけ苦悩することも…。
やさしい殿様がいる藩…閉鎖された(封建)時代と情報過多により真偽が見定めにくい現代、時代を越えて、或る<こわさ>を描き出した秀作。その怖さこそが 物語の肝。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 追記予定

Strangerーよそ者ー

Strangerーよそ者ー

劇団 Rainbow Jam

シアター711(東京都)

2023/10/11 (水) ~ 2023/10/15 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

フランチャイズ契約スーパー・サンエー府中東店のバックヤードが舞台。説明にもあるが、コロナ禍、そして近くに大型商業施設がオープンしたことで経営は危機的状況。何とか乗り越えようと店長の息子とパート達が奮闘するが…。正社員ではなくパートという立場が妙。

公演では、コロナ禍やパワハラによって既にあった問題、すなわち経済格差(貧困)や労働問題などを揶揄する。パート(非正規雇用)が職を失ったりセクハラを糾弾した社員を経営不振の店に送り込んで といった理不尽さ。社会的弱者に対する社会の歪を面白可笑しく皮肉る。けっして挫けない、そして明るく元気に明日を迎えようとする、そんな勇気がもらえる好公演。

危機的状況を打開しようと皆で知恵を絞る。今まで言われたまま仕事をしており、<全力>で何かをしたことがない。色々な事情や葛藤を抱えたパート達、そんな彼女達が一致団結して困難に立ち向かう。その意味では登場人物の成長譚とも言える。それをミュージカル風に歌や踊りを盛り込み、現代社会の再生エンターテイメントとして観(魅)せる。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし) 【J】

ネタバレBOX

舞台セットは、中央にテーブルと丸イス、上手下手にドア 通路そしてミニ棚があるだけ。サンエー府中東店の休憩室といったところ。

物語は、この店の社長(実質は店長)が書置きを残し 突然出奔したところから動き出す。それまでは いつものように屈託のない談笑で日々を過ごしている。開店前の無駄話のような中に 各人が置かれている状況や悩みが分かってくる。将来への(老後)不安、障がい児を抱えた苦労、夫婦不仲などを盛り込み、身近にある問題を点描していく。一方社長の息子(愛称 坊ちゃん)はパートに慕われる存在だが、どこか頼りない。

サンエー本部から府中東店へ店長代理として派遣されてきた清水(Jチーム 涼花美雨サン)、勿論 タイトルにある<よそ者>である。今迄 家族のように和気藹々とした中に他人が入り込んで、波風立てるのではないかと疑心暗鬼になる坊ちゃんやパート達。一方 彼女は本部でセクハラを訴えたことで、敢えて昇格させて経営不振の店舗の立て直しを命ぜられる。体のいい厄介払い パワハラに悩んでいた。

働くとは、生きるとはといった根源的な問題、しかし それを大上段に構えず また深堀もしない。ただ夫々が<出来ること>をする、そこにはパートとか正社員といった区分を超えた関係を築く。他人がいつの間にか家族のような、そんな温かく優しい展開へ。敢えて表層的な描き方にしているようだが、それは謳い文句にある「日本の現代社会の再生エンターテイメントSDGSミュージカル」として愉しませることを優先したからか。

店再生へ色々なアイデアを出すが、株の(資産運用)相談や夜はカラオケスナックにするアイデアなど、突っ込みどころも多々ある。それでも今日・明日を頑張る人々の姿は凛々しい。50歳のパートリーダ 斎藤菊(福島宏実サン)の力強く説得力のある言葉=まだまだこれから…。
次回公演も楽しみにしております。
或る夜の

或る夜の

劇団芝居屋かいとうらんま

OFF OFFシアター(東京都)

2023/10/06 (金) ~ 2023/10/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

説明や当日パンフにも記されているが、地下鉄の最終電車を待つホームでの不思議な出来事。地上からは見えない地下鉄のホームに閉じ込められた人々の、その外見から伺えない心の「ひっかかり」が交差するシュールな物語。役者陣は、見えない心を上手く体(表)現する好演。

謎の男が一人ひとりの心に語り掛ける。人生の歩みや目標に疑問や迷いを抱き、前に進めない人々へ 厳しくそして優しく寄り添うような描き方。閉じ込められた地下鉄ホームという密室(空間)状態、そして終電から翌朝の始発迄という数時間に紡がれる濃密な会話。と いうか心内の彷徨といった内容だ。

登場人物(職業)の設定が妙。一人ひとりの心情吐露がリアルで 共感してしまう。地上から見えない地下鉄、それに準えて 外見から何を思い考えているか解らない人間の本心を炙り出す。当日パンフに敢えて 回収しない伏線もあると。すべて答え合わせをするような舞台ではなく、「楽しく思考を巡らして」ほしいとある。そう言えば、物語でも その時々で自分で考え選択をしてきている、といった旨の台詞があったなぁ。
(上演時間1時間20分 途中休憩なし) 10.9追記

ネタバレBOX

舞台美術は、地下鉄ホームを思わせる大理石風の円柱と点字(視覚障害者誘導用)ブロックというシンプルなものであるが、状況設定には十分。客席側が線路ということで、ホームに閉じ込められた人々を俯瞰するような。冒頭 薄暗い中で謎の男を中心に、それぞれの人の顔をスマホのライトで色々な角度から照らし出す。勿論 怪しげな雰囲気を漂わすこと、登場人物の心を 色々な角度から覗き見るといった比喩を重ねたよう。まさに演出の妙。

終電を待つ人々、突然システムダウンでホームに閉じ込められてしまう。外部と連絡が取れず 不安になり右往左往する。1人の駅員が駅事務所へ連絡しているが…。人々は、週刊誌の記者2人(先輩男と後輩女)、会社員、フリーター、主婦、女経営者、劇団員、そして会社員(日替わりゲスト)と 職業も年齢も違う。

謎の男が現れ、夫々が抱える希望・諦念・悔悟や性格について話し出す。いや 謎の男の姿を借りた自分(幻影)と向き合う。謎の男は、向き合った人と関わり…例えば 会社員の学生時代の教師、女経営者のパートナー、主婦が苛めた同級生になり、思いを吐露させていく。そして時には厳しい指摘をする。週刊誌の男記者は、社会記者を目指していたが、今ではゴシップネタの記者に甘んじている。時事ネタをメモし、いつもカメラを持ち歩いている。

謎の男が凶悪犯に仕立て上げられ、縄で縛りあげられる。その様子をカメラに収めようとするがシャッターが切れない。今の仕事に甘んじ新たなスタート(シャッター)が切れないよう。他にも会社員のカフェ経営の諦め、女経営者と不適切なパートナーとの関係、虐めと悔悟、といった呪縛に囚われている。謎の男が縄から抜ける=呪縛からの解放といった描き。人は 必ずしも思い描いた通りには生きられない。また、夜中にバイトしているフリーター。時間通りに出勤しなければ という責任感(呪縛)、その柔軟性に欠けた息苦しさからの解放も…。人は いろんな思いに囚われ、それでも生きている。

SFのような雰囲気もあるが、もっと人の心の中を冷徹に見つめた心象劇といった印象だ。そして始発電車で新たなスタート(希望)が、そんな優しさが感じられる。
ちなみに 伏線回収について、システムダウンの原因は何だろう。そんな目にあったら怖い。もう1つ、日替わりゲストの会社員は、どんな役割を担っていたのだろうか。
次回公演も楽しみにしております。
「HATTORI半蔵‐零‐」

「HATTORI半蔵‐零‐」

SPIRAL CHARIOTS

シアターサンモール(東京都)

2023/09/27 (水) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
㊗20周年記念公演、物語は勿論面白いが、何といっても 見どころは殺陣・アクションのスピードと迫力。そして その緊張感を支える音響と照明、特にプロジェクションマッピングの効果的な使い方は見事。少しネタバレするが、物語に登場する忍者は〈赤目の里〉という集落で育った仲間。その仲間がアズチモモヤマ時代に群雄割拠した将ー織田・徳川・伊達・毛利・上杉・武田に夫々仕え、相見えるという。後景に里の風景を映すが、昼間は長閑な茅葺屋根の家々、夜は家の灯が美しい、そんな安らぎが感じられる。それが戦場ともなれば、一転 忍術を駆使する戦いが…。戦争と平和ならぬ蹂躙と情愛が交差する戦国絵巻といった壮大な物語。

説明にある「赤目の里で育った【忌み子】『伴左衛門(サエモン)』と、零代『ハットリ半蔵葛(カズラ)』 2人も其々大名に召し仕えられる。 「天下泰平」徳川イエヤスに仕えるカズラ。 そして「非道鬼人」織田ノブナガに仕えるサエモン」、その表裏の奥に隠された〈思い〉と〈思惑〉が肝。

公演は、途中休憩(10分)を挟み2時間45分を怒濤のように駆け抜ける といった展開である。緊張したシーンだけではなく、時々 笑いや遊び心あるシーンを挿入し、息抜きをさせるよう。そんな心遣いもあり飽きることなく観ることが出来る。また衣裳や得物といった観(魅)せ方にも工夫があり楽しませる。見た目の面白さだけではなく、登場人物のキャラクターを立ち上げ、人間いや忍者の<業>のようなものを描く。ちなみに 人間であるまえに忍者だ、という台詞に<業>の深さと哀しさが隠されており、ここも見どころの1つ。
(上演時間2時間45分 途中休憩10分) 【Bチーム】 10.9追記

ネタバレBOX

舞台美術は高さがある疑似対象、上手 下手に階段を設えているが、その向きが 真横か斜めといった違いがある。中央にも階段があり、上部は左右の引き戸(襖)になっている。正面壁は舎の字型のようで、そこにプロジェクションマッピングすることで、色々な情景を映し出す。

史実に擬えた架空の戦国時代ー倭の国 ジパングのアズチモモヤマー、群雄割拠した織田・徳川・伊達・毛利・上杉・武田に「赤目の里」で育った忍者が袂を分かって仕え、敵対することになる。しかし、副題に「己が不要になる世を夢見た零」とあることから、深読みすれば反戦ドラマのような。

見所は、史実とは異なり、織田と毛利(女将)が同盟したり、上杉(女将)と武田そして伊達が手を組むなど奇想天外な展開。そして最後は非道鬼人と恐れられた織田と天下泰平を掲げる徳川による戦(いくさ)。また赤目の里で育った【忌み子】伴左衛門(サエモン)が織田に仕え、零代 ハットリ半蔵葛(カズラ)が徳川へ、そして夫々の秘術の限りを尽くす。といっても伴左衛門(サエモン)は <恋>させることしか出来ない。

織田と徳川、サエモンとカズラは表裏の関係にある。織田は敢えて悪役を買い、自分を葬ることで徳川の天下泰平を叶える。また忌の子はカズラで サエモンは身代わりとなって、虐められないよう守っていた。人の表面(言葉や行動)だけでは、本心は解らず誤った判断をする。
また忍者の業(ごう)のような所業ー赤目の里に代々伝わる秘伝(巻物)を奪う。同じ里の忍者でありながら、仲間より強くありたいという欲望。戦国の世と忍者という、いずれも己が一番でありたいと…。特に赤目の里人は ”人間である前に忍者” という哀れ。

公演の魅力は 先にも記したが、演技ー殺陣・アクションのスピードと圧倒的な迫力。衣裳や得物でビジュアル的に観(魅)せ楽しませる。勿論 照明(プロジェクションマッピング)や音響(羽音)など臨場感溢れる舞台技術も効果的だ。そして所々に挿入する笑いの数々によって飽きさせることなく舞台に集中させる上手さ。
次回公演も楽しみにしております。
とのまわり

とのまわり

山田ジャパン

シアター・アルファ東京(東京都)

2023/10/04 (水) ~ 2023/10/08 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
余命宣告された女と男、残された時間をどのように過ごすか といった重厚テーマ。しかし 観せ方は軽妙で笑わせながら考えさせる。公演は、死と どう向き合うかといった普遍的なことを取り上げており、それを当事者だけではなく周りの人々ーー家族や病院関係者(医師・看護師・患者同士)の目も通して描く。人は誰も一人で生きているわけではない、そんな思いが込められたタイトル「(~)とのまわり」であろうか。

余命宣告されたことで家を出る決心をした女 菊池加奈子、どうして幸せな家庭を捨てて姿を消そうとしたのか。男 守屋栄一も離婚し1人になって…余命宣告された者同士の思いは共通し、幸せだったがゆえに苦悩する。その理由が物語の肝。

終末医療、緩和ケアという内容は観応えあるが、それを巧みな舞台技術で支え印象付ける。勿論 余韻も残す。死という悲しみよりは、残り少ない人生(時間)をどう納得いくように過ごすか、といった前向きな描き方だ。テーマの重たさに反して、演出も演技も明るくカラッとしている。気が滅入ることなく、人間観察として観ることが出来る。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 10.9追記

ネタバレBOX

舞台美術は上手にベット2つ、下手に遠近法を用いた衝立に窓、その傍にソファと丸テーブルと椅子。客席側に別スペースのソファ。上部には電車の つり革とランプ。窓外の景色は青空に雲。全体的にスタイリッシュな作りといった印象。
冒頭、電車内のつり革につかまり、人間観察をしている従兄弟2人。

説明…余命宣告された女 菊池加奈子が、その3日後に「彼氏をつくる」と言葉を残して忽然と姿を消してしまう。長いあいだ苦楽をともにした夫や子どもとの時間を選ばず、人が変わったように最期を謳歌する加奈子。
偶然 家族に居場所が知れるが、最期を家族と過ごすことはないと頑な。勿論 守屋栄一も…。加奈子も栄一も幸せな家庭を築いてきたが、その幸せ(思い出)を持ったまま死ぬのは怖い。その<思い>を捨てるためには別人になって世捨て人のようになりたい?

病院(病室)内では、やりたい放題の加奈子と栄一。医師や看護師はその行動に翻弄され、また加奈子と同室の女性患者 沢田との揉め事にも頭を悩ませる。加奈子と栄一は夜な夜な密会しラヴ、沢田はエロ本を朗読し始める。死の恐怖と戦うような 飄々とした振る舞いは怖いもの知らず。ラヴとエロ本で笑わせるが、実は本音を探り合う強かなシーンでもある。

冒頭 つり革を持っているは、幸せを掴んでいるを表し、同時に人の心ー本音は知ることが出来ない、それが車内の人間観察に繋がるようだ。死=思い出の消滅ではないと思う。この物語は、余命宣告された人の観点を中心に描いているが、残された家族の<思い>はどうなるのだろう。最期に思わぬ行動をされたら、幸せだった家庭、それは幻影だったのか という疑心暗鬼になるのでは?その違和感に納得がいかないのだが。

舞台技術の巧さによって 印象的な情況と状況を浮かび上がらせる。例えば、エロ本を朗読する際には ピンク照明によって妖しさを煽り、沈痛・思考するシーンでは黄昏を連想させる橙色照明など、その効果的な演出は見事。またピアノによって落ち着きと安らぎ、その音響効果もよい。ラスト、第九交響曲第四楽章(喜びの歌)が流れる中、つり革を離(放)す加奈子と栄一の姿ーーそこに持つことが無(亡)くなるといった意を込める。見事な余韻!
次回公演も楽しみにしております。
最悪の場合は

最悪の場合は

トツゲキ倶楽部

「劇」小劇場(東京都)

2023/09/27 (水) ~ 2023/10/01 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
タイトル「最悪の場合は」は、説明の世間と宇宙、本音と建前、不正と隠蔽、そして希望と現実を表している。そして前作「星の果てまで7人で」と繋がるような物語。少しネタバレするが、日本宇宙開発機構-JSA(ジェイサ)が舞台というのが妙。表層の面白さ、その奥には職場愛と人間愛が詰まった人間関係・仕事群像活劇、観応え十分。

そこで起きたであろう不祥事にどう対処するか。初演(2018年)時は日大アメフト部が不祥事を起こしていたが、再び日大アメフト部が不祥事を起こした時期に再演する偶然。またジャニーズ事務所の性加害問題を始め不祥事に係る記者会見が開かれている。なんとタイムリーな内容(公演)であろうか。公演では、宇宙という夢と希望を担う職場における悪夢と現実(最悪)を上手く繋ぎ、勤め人(組織人)の共感を誘う。立ち位置の違いによって不祥事への対処方針が異なる、その濃密な激論が見どころの1つであろう。

前作が宇宙での出来事(地球への思い)を描いているとすれば、本作は地球(地上)において宇宙への思いを馳せる。しかし現実に目を向ければ危機回避に追われる姿。そこには不祥事をどのように収拾するかといったドタバタの裏に 生活という のっぴきならない事情を垣間見せる凄(惨)さ。

会見をする組織の内幕だけではなく、それを報道する機関の在り方にも 一石を投じる幅広さ。冒頭、社外から招聘したリスクマネージメント・コンサルタントが謝罪会見の目的などの蘊蓄を語るが、実際 謝罪会見を行うのは人であるから思惑通りにならない可笑しみが…。
(上演時間1時間50分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

舞台美術は、中央に横長テーブルと椅子があるだけ。舞台(職場)は日本宇宙開発機構という政府関係機関。そこの理事が接待 賄賂を受け取ったという疑惑がもたれ、それの釈明会見をする準備(リハーサル)をしているシーンから始まる。その担当が広報部第二課で、いかに上手く釈明会見ができるか、リスク・マネージメント・コンサルタントからアドバイスを受ける。一方、第一課は もうすぐ地球に帰還する衛星探査機マリナの記者会見準備をしている。同じ広報部でも役割分担によって陰・陽のように地味か華々しい会見内容になる。

二課の釈明会見は理事が開き直り、釈明どころか賄賂を受け取ったことを認め紛糾する。その際、内々にしていたマリナ帰還を口走ってしまう。慌てる一課と二課の騒動を通してセクト意識が顕わになり、同時に責任の擦り合いが始まる。そん時、マリナの異常(故障)が分かり、地球への帰還が危ぶまれる。いや 地球へ帰還する場合は都市部へ墜落する危険が…。広報課として、どのように情報提供するか喧々諤々の論争が始まる。そして どちらの課が担当するのか。

一課の課長は JSAのプロパー職員、一方 二課の課長は中央官庁からの出向職員という立ち位置が、その発言に表れる。一課長は、宇宙事業に携わっている自負、危機管理の観点から地球(地上)墜落を周知する、対して 二課長は、不確かな情報で国民を混乱させないため周知しない、それぞれの主張で激論する。この誰のため 何のため、その方法と効果はといった深みある議論が見所。そして 出向者という事勿れ主義、責任を負いたくないという立場が露呈する。

JSAで宇宙事業に携わっているとはいえ、生活の糧を得る職場であることに変わりはない。マリナが墜落するかも知れないという 不確実な情報で国民からのバッシング、その結果 職を失うかも そんな不安もよぎる。出向者(二課長)は、出向元の官庁へ戻り安泰という構図が<立場と責任>に重なる。そしてJSA内に東西TVディレクターが出入りしており、内部情報を独占的に得ている。その内々(秘密)情報の公開 有無の判断も気になるところ。

舞台技術、特に照明の諧調によって情況や状況を表す巧さ。壁際に 等間隔に立っている衝立への照射角度によっては鯨幕に観える。その意味ではシンプルな舞台セットながら実に効果的な造作になっている。その衝立を職場の壁に見立て、覗き 聞き耳を立てといった身近で現実味のある光景が…。
次回公演も楽しみにしております。
Letter2023

Letter2023

FREE(S)

渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール(東京都)

2023/09/28 (木) ~ 2023/09/30 (土)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

内容的には反戦物語であるが、<感情>を揺さぶるというよりは当時(昭和)の若者と現代(令和)からタイムスリップした若者の心情と状況の違いを<情報>として描いた、といった印象だ。何度も再演しており、戦争という最悪の不条理を語り継ぎ 忘れさせないといった思いは伝わる。

説明にある「太平洋戦争時代末期、特攻で散った青年たちの実際の手記をもとに描くヒューマンドラマ」といった謳い文句であるが、現代からタイムスリップした青年がいつの間にか同調圧力のように当時(特攻隊員たち)の風潮に流されていく怖さ。今から考えればバカげたことだが、その時代に生きていれば<抗う>ことの困難さも…。1945年から2023年へ届いた一通の手紙に込められた<思い>、その真が十分に伝えきれていないため、印象と余韻が弱くなったのが憾み。

戦時中と現代の違いは、タイムスリップした当初こそ感じられたが、だんだんと現代と変わらない暮らしぶりーー食事や酒などの配給不足が感じられず、表面的な衣裳等で判らせる。また特攻隊員が不自由なく家族等と会える。当時を知らないが、そのような自由な空気があったのだろうか。
特攻隊員と現代青年の意識がいつの間にか同化している。それゆえ 戦時と今の心情が同じになり、肝になる<実際の手記>の伝えたい事が鮮明にならない。もう少し状況と心情の違いを際立たせることによって、戦争と平和という世界観を描き出してほしいところ。
(上演時間2時間10分 途中休憩なし) 追記予定

A.R.P festival ~2023~

A.R.P festival ~2023~

A.R.P

小劇場B1(東京都)

2023/09/29 (金) ~ 2023/10/02 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

初めて「A.R.P festival」を観たが 面白可笑しく笑った。コメディのオムニバス6作品で 全て喫茶店が舞台になっている。ちなみにテーマは「ノーメッセージ」で、ただただ楽しんでほしいと。

舞台セットもシンプルで、カウンターと丸テーブル・椅子のセットが2組あるだけ。カウンターの配置や テーブルに座るキャストが変わるだけで、物語がガラリと違って観える。この劇場、いつもはL字型の座席であるが、本作では一方向から観るため キャストの動きや表情を見逃すことなく楽しめる。実に表情が豊かで、時々 台本なのかアドリブなのか判らないような動作や台詞があり、笑わせ愉しませることに徹した作品群。まさに festivalである。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし) 【team B】

ネタバレBOX

6作品は次の通り。
①「アキバの中心で愛を叫ぶ」
非モテの大学時代の男友達が 婚活アプリで知り合った女性と結婚する。コスプレ研究会に所属していたこともあり、面白キャラ…中年のラムちゃん・コナン・ケンシロウ(北斗の拳)へ変身。人の優しさを笑いに込めたインパクト作。

②財布の拾い主
財布を拾った女性と落とした女性の二人芝居。善意のような拾い主だが、財布の中身を確認し、落とした女性の暮らしを詮索する。そして友人になって欲しいと。シュールで狂気じみた内容を笑い話へ。

③父親の苦悩
父46歳、娘17歳(高校生)の二人芝居。始めは娘に彼氏ができたという戸惑い。そのうち自分より年上、しかも職場の上司(部長)という驚き。父の昇進(課長)のため母と娘が仕組んだミッション。成功したら、次は役員と付合い、部長を目指すと。

④心の声、激しめ
この作品だけが内容を忘れるほど笑った。どんな内容だったかなぁ~。

⑤出来心
女友達の持ち物を拝借し、いつの間にか自分のモノにしている。それに気が付かない鈍感女の二人芝居。洋服や小物だけではなく、部屋のソファや自転車を盗られても気が付かないし 怒らない。大らかなのか寛容なのか、呆れてしまう。

⑥浮気をした夫と意趣返しで浮気をした妻を元の鞘に収めさせようとする友人たち。キャスト全員で笑いの渦へ、その手段としてタロット占いで物事を決めようとする。魔が差し 嘘と欺きの夫婦関係 、それでも愛しい人と一緒にいたい。

笑いネタを次々に繰り出すが、描かれているのは何をするにも不器用な市井の人々。その優しさと同時に 人間関係も不得意なといった孤立と孤独が垣間見えるよう。まさに人生悲喜劇だ。
次回公演も楽しみにしております。
『GUNMAN JILL 』&『GUNMAN JILL 2』

『GUNMAN JILL 』&『GUNMAN JILL 2』

チームまん○(まんまる)

萬劇場(東京都)

2019/10/03 (木) ~ 2019/10/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

下ネタで笑いを誘いつつ、根底は愛情に溢れ、ちょっぴり社会批判するような内容。当日パンフのあいさつ文の中で、チームまん〇代表の小山太郎氏が「提唱する不快感のない下ネタがきちんと構築され」と記しているが、その通りだと思う。
劇中のS&M対決を通して、人の本性を哲学的に語るが、視覚的に描かれているのは西部劇。劇中のS&Mとは意味が違うが、(S)素晴らしい(M)物語であった。
(上演時間1時間45分)「GUNMAN JILL」編

ネタバレBOX

舞台セットが物語を支えていると言っても過言ではない。上手側に車輪と樽による酒場席、中央にこの町の名「COWPER TOWN」ゲートと酒場入口、下手側は2階部を設え、1階は出入口、2階は遠距離場所イメージ。そして店入口傍にBarカウンター(ボトル棚)がある。

梗概…凄腕ガンマンのジルリキッドはこの町を守るためにやってきた。街の護衛に雇われたゴールドマン一家の早撃ちガンマン、Sのクリトスと対峙する。ジルのドMっぷりには、依頼者・市長の娘アナベラもうんざりしている。しかし逆にジルはいたぶられるほどに強くなる。そしてこの2人の勝負が始まるが…。ジルのM(マゾ)持論は、いたぶられる=ガマンすることは人間を強くする。それは拳銃の早撃ち効果だけではなく、人間としての思いやり、愛情の表れでもある。アナベラだけではなく、この店の女達にも蹴られ殴られるほど、早撃ちが出来る。ジルがドM性癖を指摘し、クリトスが自問自答する姿も滑稽だ。この遣り取りの中で、自分は3.11東日本大震災のことを思い返した。ゴールドマン一家の強欲、そのボスに拾われ育てられたクリトスに、ジルは物質的に乏しくなったことや、痛みや悲しみを忘れ豊かさだけを求めている。あの時の”我慢”をすっかり忘れてしまっている、に深く感じ入った。

公演の面白さは、スピード感、テンポの良さにある。ドMの力を発揮させるための平手打ち等に連動した拳銃さばき。400ḿ先は2階部でイメージさせ、早撃ちスタイル⇒銃声⇒命中⇒倒れるの演出・演技のタイミングも絶妙だ。また痛みを感じない薬、それによって最強一家を作ることを目論む。その危険性を鋭く批判するような啓蒙的な描き方。身近には薬物中毒、その延長線上にある軍事転用(連射銃等の武器開発を含む)の恐ろしさが伝わる。さらにBarで働く娘シリルに厳しく当たるマスターの心遣い(娼婦にさせない)など、いろいろな愛・情を盛り込んだ表層的な西部劇、根底は人間ドラマである。

この物語は、凄腕ガンマン・ジルの活躍を新聞記者とカメラマンが後に取材しているという記録と記憶の劇中劇という構成になっている。それゆえ時間というか時代の違いから、西部劇の登場人物と新聞記者は同地しないような描き方になっている。だから物語が順々に展開し分かり易く観せているところが上手い。
さて、チームまん〇は「下ネタは世界を救う」を基本理念に掲げ制作している。本作は役名や台詞で下ネタを連想させており、台詞としては喋り難いことを サラッと言い笑いを誘う。脚本はもちろんだが、この笑い台詞とアクションが公演の最大の魅力だと思う。
次回公演を楽しみにしております。
しあわせ色の青い空

しあわせ色の青い空

7どろっぷす

小劇場 てあとるらぽう(東京都)

2023/09/21 (木) ~ 2023/09/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

前作は「ムッちゃんの詩」という演目だったようだが、未見。本作は「しあわせ色の青い空」~東日本大震災とムッちゃんに捧ぐ~となっており、生きる希望が見いだせない被災者 優香がタイムスリップして 戦時中のムッちゃんの懸命に生きようとする姿を見て 再生・再起していくというヒューマンドラマ。

テーマは「生きる」。”当たり前”のように生きている、その大切さ重要さを語り継ぐような物語。多くの小学生が観劇していたが、集中して観るには1時間45分の上演時間は長かったようで、真意が伝わったかどうか。
戦争と大震災という悲しみを繋いで、それでも人は生きていくという<希望>を綴っているが、少し無理があるような。

人は慣れてしまう。どんなに悲しく惨い経験も 生きていくうちに感情がマヒしていく。そして記憶さえも薄れていく怖さ。戦後78年、戦争を知らない世代に 最悪の不条理を語り継ぐことの大切さ、その意味で このような公演を続ける意義がある。ただ、戦争と震災を同一視点で見ることは出来ない。
そして優香の前に現れた<海の精>によって被災者の心は救われるが、一方 「ムッちゃんの詩」はどのようなラストだったのだろうか。この公演は 描き切ったようで 観客に問い掛け 考えさせていない。勿論、当時 小学6年生のムッちゃんと小学1年生の町子ちゃんの悲しい出来事は分かる。しかし、戦争と災害という異質とも言える物語を繋ぐことによって「反戦」と「再生」という訴えが中途半端になったようで残念。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 【B班】 9.28追記

ネタバレBOX

段差があるだけの素舞台。海を眺めている女性 優香に声をかけたのが、海の精たち。優香は東日本大震災で両親と妹を亡くし、生きる気力もなくボーっとした日々を送っていた。海の精は、そんな彼女を戦時中(1945年)の大分県へタイムスリップさせる。

そこにはムッちゃんという小学6年生の少女がいた。彼女は横浜で暮らしていたが、戦災で母と弟を亡くし大分県の親戚の家へ、という事情が語られる。優香が、ムッちゃんが生きていた時代や当時の人々の状況を俯瞰しているように描く。直接 当時へ入り込んでいないため客観的でリアリティが感じられないのが残念。前作は「ムッちゃんの詩」ということで、当時(戦時中)の悲劇として紡いでいたのではないだろうか。今作は総じて若いキャストが演じており、若さゆえか戦時の悲惨さが演じ切れ(滲み出)ていない。

防空壕の中で結核に罹ったムッちゃんと親しくなった小学1年生 町子ちゃんとの交流。喉が渇いた町子ちゃんへ水筒を渡したムッちゃん、食料もなく水だけで命を支えていたが、その大切な水をあげる。しかし 2人の親交は長く続かない。結核は治らない病で、人に感染するため隔離されていた。防空壕の中でも一層劣悪な場所に幽閉されていた。やがて終戦を迎えるが、その時 ムッちゃんは…。嗚咽しそうな場面であるが、自分も優香と同じように眺めるといった感覚、それでは感情移入できない。

その様子を優香は見ているがどうすることもできない。戦時中の悲惨な状況を知ることで、優香は生きることを、といった思いを強くする。繰り返しになるが、予定調和で 俯瞰=醒めているような感じで、感情が揺さぶられない。勿論、戦争の悲惨さ、反戦の思いは伝わるが。

優香がタイムスリップした時代、大勢の若者が戦時中にも関わらず生き生きと暮らしている様子、その青春群像劇でもある。歌を手話を交えて歌い、踊る姿はいつの時代でも平和でありたいことを思わせる。それだけに、戦争と被災を交錯させたような描き方では、その思いは中途半端にしか伝わらないような。
次回公演も楽しみにしております。
AIRSWIMMING  -エアスイミング-

AIRSWIMMING -エアスイミング-

WItching Banquet

アトリエ第Q藝術(東京都)

2023/09/26 (火) ~ 2023/09/27 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、少し観念的で理解、解釈が難しい面もあるが…。
1920年代から70年代迄の約50年間、精神病院に収容された女性2人の不撓不屈の物語。
説明では、上流階級育ちのペルセポネー・ベイカーは、妻帯者の男性と恋に落ち 妊娠して婚外子を産み、父親に精神病院に入れられてしまう。そして社会の性規範に囚われず、「女らしい」ふるまいをしないことを理由に2年前に収容されたドーラ・キットソンに出会う。この2人が 空想・想像力を交え、励まし合い、笑わせ合いながら 権力の象徴とも言える精神病院内で紡ぐ会話劇。

精神異常者として身体の管理と拘束をする、その理不尽な対象を女性に絞って描いている。それは外国(イギリス)の しかも過去のことではなく、現代日本に通じる問題・課題でもあろう。それが「100年後の今… 私たちは彼女たちの声が聞こえているのか?」という問いかけに繋がる。
当時における触法精神障碍者の実話を基に、現代を生きる女性の「痛み」「苦しみ」「患う」の声をすくい上げるアウトリーチの公演になっている。それゆえ 理不尽・不平等が生じている状況を打開、端的に言えば ジェンダー格差による不利益の克服といった意も込められている。しかし、無条件(表面)に受け止めることが出来ない難しさがある。

同年代、フーコーの「監獄の誕生─監視と処罰」といった 権力を主題にした学術的な書もある。しかし、本作は 実話を基に しかも女性に対象を絞っているため、一層 問題を具体的に捉えることが出来る。ただし、演劇的には ベイカーやキットソンが精神病院に収監された事情・理由は後から描かれるため、その背景を知らないと理解が追い付かないかも…。それでも 2人の女性が励まし助け合いながら<生きようとする>その姿に心魂が揺さぶられる。公演は 主にリーディング、そして 彼女たちの思いを 色々な工夫を凝らした演出…歌やピアノ演奏等で観(魅)せ印象付ける。

閉じられた世界の2人を キャスト5人が組み合わせや役柄を入れ替えて語る。そうすることで状況の変化や時間の経過を表す。その演劇的手法を すんなりと受け入れて楽しめるか否かによって評価が異なるかも知れない。
(上演時間1時間35分 途中休憩なし) 9.29追記

ネタバレBOX

舞台セットは、上手奥にピアノ、中央に外側を向くよう(背中合わせ)に五角形のように椅子を配置し、ピアノが置かれている隅以外に椅子が1つづ置かれている。物語の登場人物は2人だが、それを5人の女優が赤い台本を持ってのリーディング。中央に集まったり、隅に座ったりすることで人物の組み合わせや役柄を変える。そうすることで約50年間という時の流れと情況の変化を表す。

ベイカーとキットソンの2人の女性は、100年前のイギリスでは社会不適合者ー性規範や道徳を逸脱ーとして収容施設に収監された。社会から孤絶した彼女たちの空想の世界が中央のサークル状(五角形)で紡がれる。女優のドリス・デイを引き合いに出しながら、夢と希望を語り<生きよう>とする姿は、どんな状況においても諦めないことを訴える。これは女性だけではなく、男性や最近ではLGBTQにおいても生きづらい世を少しずつでも変える運動へ、を連想させる。

公演で興味を惹いたのは、社会的な観点と人間的な観点とでも言うのだろうか。ベイカーは妻帯者の男性と恋に落ち婚外子を産んだ。現代の日本においても、かつて<不倫は文化>と言った俳優がいたが、今でも不倫は世間から非難を浴びるし、興味本位で騒ぎ立てられる。社会的な観点からみれば精神病院へ収監するという問題、一方 不倫された妻の人としての感情(憤り)はどうか。端的な構図はベイカーの行為は同性への裏切りのようで…。この公演は、あくまで社会体制(規範)からの自由 解放という<声>のようだ。

もう1つ。女性が貞操であらねばならない時代。今でも女らしさ男らしさ、そして<あらねばならない>という曖昧な固定観念に囚われる。しかし現代においても その不自由な観念を払拭したと言い切れるだろうか。ラスト、中央の椅子に5人が上がり泳ぐように手を横に広げる。演劇的に見れば、奈落の底から抜け出すように泳ぐーまさに空を目指したエアスイミングだ。

舞台技術が見事。ピアノの生演奏や歌は勿論、照明効果によって状況が浮かび上がる。例えば 5人が場内には入ってくる時は格子状の照明だが、これは施設の格子であり台詞にある風呂(タイル)の磨きを、また水滴の音と水玉模様の照明によって孤絶やスイミングを夫々 連想させる。そして 地味(グレー系)な色彩の衣裳で統一し、照明の角度によって人影、それは2人だけではなく多くの女性の姿・声を表す。そして赤い台本を赤子を抱くような愛しさをもって…。
次回公演も楽しみにしております。
SUN ON THE CEILING@ありがとうございました!

SUN ON THE CEILING@ありがとうございました!

劇団マリーシア兄弟

シアター711(東京都)

2023/07/29 (土) ~ 2023/08/06 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い。お薦め。
創立80年の総合病院における院長後継問題、そこで働く医者等の諸々の事情を絡めて面白可笑しく描く。しかも個々人が抱える事情に医師という職業ならではの深みと味わいを持たせている。病院の一室、次期院長を選ぶ会議迄の数時間という限られた場所と時間のワンシチュエーション、その設定が妙。話している内容は医療に関わる専門的なことから家庭事情まで幅広く、そして含みを持たせた会話に興味を惹かせる巧さ。勿論 その散りばめられた話題は丁寧に回収していくが、そこに医師という職業の厳しさと家庭人としての優しい顔が見える。

物語は夫々の人間性を巧みに描きつつ、説明にある院長の死、大物官僚の手術失敗、救急搬送された死刑囚の脱獄といった特別な出来事を絡める。これらの出来事は本筋とは別に、物語を紡ぐ上での人間模様ー親子の情を思わせる。本筋は病院=医療現場で命と向き合う医師の姿を登場する人数や考え方の違いを通して多角的に観せる。劇中で医師だけが患者のことを思っている訳ではない。医療に携わる全ての人が…そんな熱い思いを語らせる。

救急医療担当の医師は、かつて紛争地域での医療に携わっていた。人(医師や看護師等)も物資も足りない中で目の前の患者を助けたい、その強い思いで医療にあたっていたが…。紛争地域の野外テントの中であろうが、設備の整った大病院であろうが、命に向きあっていることに変わりはない。病院の後継者争いの滑稽さ、それを命の重さをもって皮肉る。さらに、点描してきた医師の家庭事情が大物官僚と研修医の関係に結びつく。この公演の魅力は、説明にある出来事が全体を包む伏線になっており、その懐の深い優しさ温かみが観客の心を揺さぶる。観応え十分。
因みに、この公演(物語)の続きを観てみたいが…。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 【晴天】

ネタバレBOX

舞台美術は、総合病院のある一室。横長のテーブルが会議用に並ぶ。そのテーブルと椅子だけの空間だが、仮眠用のベットにしたり 野外テントをイメージさせる。

長く糖尿病を患っていた院長が転落死した。それは事故か他殺か、司法解剖の結果待ちである。そんな状況下で、次期院長になるために各科の医師ー救急科、外科、心療内科、内科、麻酔科、そして研修医まで集めて自分を支持するよう裏工作をする息子。院長/父のことを知っているようで何も知らない息子、大物官僚と研修医が実は親子関係にあること。そして実の母が認知症になり、息子のことをパパと呼ぶようになる。色々な意味での親子関係が紡がれる。

どの患者にも「(人生)この景色が最期ではない」といった声掛けをする医師、その背景には戦場で多くの患者と向き合い、一人でも多くの命を救いたいとの思いが、その言葉<希望>になっている。戦場での習慣であろうか、長テーブルをベット代わりに寝ている時に現れた同僚ーそのカメオ出演が劇中夢に陰影を刻み込む。物語は大学 医学部の後輩で元医者だったジャーナリストが、客観的な立場で物事を見る。同時に尊敬していた先輩医師の死…その真相が一層<命>の尊さを強調する。脚本の面白さと 軽妙さと重厚さが入り混じった演出の妙、この調和が 劇団マリーシア兄弟の特長だろう。

院長は糖尿病にも関わらず 酒も煙草も嗜んでおり、その事実を息子は知らなかった。転落後の院長が漏らした言葉は、息子に跡目は継がせない。院長の机にも同様のことが書かれた「遺書」があるという。後継者争いの相手と思っている叔父に その気はなく、息子の一人相撲である。
それを知って、息子の態度が変わるのか否か、その後の展開…夕方から始まる院長指名会議が気になる。この公演の続きが観たいのだが…。
次回公演も楽しみにしております。
想い光芒、想われ曙光

想い光芒、想われ曙光

劇団25、6時間

萬劇場(東京都)

2023/09/06 (水) ~ 2023/09/10 (日)公演終了

実演鑑賞

人・家族の愛情と伝承というかランタンを空へ飛ばすコムローイ祭りを絡めたヒューマンドラマ。
第35回池袋演劇祭参加作品(★評価は演劇祭授賞式後)。

愛情も伝承も目に見えず、その確認が難しいという共通性があるが、それをヒロインの事情に重ねて紡ぐ。このヒロインの過去・生い立ちがドラマのカギ。人の愛や家族の幸せを求める、しかし 何が<普通の愛や幸せ>なのか説明できない。坦々とした暮らし、が 手放して初めて分かる 愛と幸せ という思い。

タイトル「想い光芒、想われ曙光」の<光>は 勿論ランタンを意味しているだろう。同時に家族の約束の意も込められている。そしてランタン祭りの夜にだけ会える水の精霊姉妹ーーまるで七夕の彦星と織姫のようなーーが人の運気を掌る。物語は 情緒と抒情といった心と光(風)景を観るような余韻あるもの。

祭りの雰囲気は、ランタンが灯り 両壁に花火の映像を映す。それを見上げる人々は着物姿という風情あるもの。舞台美術は上手 下手がほぼ対称で段差(階段)がある。その上り下りが時間と場所の変化を表し、さらにキャストの動きに躍動感ー生きている を感じさせる。
(上演時間1時間40分 途中休憩なし)【A】

ネタバレBOX

孤児院育ちの女性 明(香月美慧サン)が、そこで知り合った男性と結婚し幸せな家庭を築くはずだったが…。女性は母からのネグレクトによって、愛することが怖く いつの間にか人を愛することが出来なくなった。それでも同じ境遇(孤児院育ち)の男性 四宮遼と結婚した。 ある日 家の前に赤ん坊が捨てられており、自ら育てようと決心した。が、彼女にはもう一つ決定的に愛が確認できない理由・・人の顔が覚えられない病気(相貌失認)があった。

遼は、社会的に成功を収め 金も地位も信頼も欲しいがままにしていた。しかし、それらは彼の心を満たすものではなく、業績が上がっても 心の乾きは増していく。そして別れた妻 明と子の写真を眺め夢想に浸るばかり。ある日、街の片隅にある薄汚れた社(やしろ)を穢したことで、水の精霊の怒りをかってしまう。そして仕事に悪影響が出始める。

この2つの出来事を絡め、血の繋がりはないが<愛>と<情>を持つことが出来るという予定調和へ。大団円へ導くのは、水の妖精姉妹のお伽話…ランタン祭りの日に 姉妹は出会えるという言い伝えがあった。しかし時代と共に祭り自体も廃れて、俗にいう世知辛い世の中が浮き上がる。
場面毎に リアル+ファンタジー+ユーモラスな雰囲気を漂わせるような工夫が観てとれる。


先行き不透明で不寛容になってきた今こそ、血の繋がりのない疑似家族とも言えるような人間関係に焦点をあてる。そこには見守る友人や会社の人々の優しさ温かさが希望の光となっている。勿論 ランタンの〈灯〉に重ねていることだろう。
次回公演も楽しみにしております。
天召し -テンメシ-

天召し -テンメシ-

ラビット番長

シアターグリーン BASE THEATER(東京都)

2023/09/21 (木) ~ 2023/09/24 (日)公演終了

実演鑑賞

面白い、お薦め。
当日パンフにも記されているが、「天召し」は三回目の上演で 全てを観させてもらった。「将棋」の孤独で厳しい世界観、一方 井保三兎氏が演じる田島(棋士 森信雄)の仄々と和ませる雰囲気が重苦しく感じさせない。その絶妙なバランス感覚が良い。そして この作品にはモデルが沢山いると。賭け将棋で生計を立てた池田(新宿の殺し屋・プロ殺しなどの異名がある小池重明)、智(棋士 村山聖 追贈九段)を義理の親子として繋ぎドラマ化する。池田の破天荒・破滅型の生活、智のネフローゼ症候群に悩まされながらも、直向きにプロ棋士を目指すという二人の男の生き様ー将棋という勝負(真剣)に魅入らされた人生劇場。

モデルになった人たちはネット情報にあり、その人物像を彷彿させるような描き方だが、それらの人物をいかに関係付けて舞台化するか。自分の記憶では、この作品は「将棋シリーズ」の第1作で、以降数々の将棋を題材にした秀作を上演している。上演前から孤独で厳しい世界であることを強調したような雰囲気が漂う。他の将棋を題材にした作品は、上演前には将棋初心者向けの大盤解説をしていたが…。シリーズ第1作には色々な思いや要素が込められており 特別なのかもしれない。

時代や状況の変化は、小説家 木下(団 鬼六)がナレーションのように説明するが、それでも明確にならない。物語として時代(時間)の流れを大切にしているようだが、違和感なく展開出来ていれば木下の状況説明は省略しても良いような。
そして智だけではなく 他の弟子育成、さらに女性にも将棋を指導(女流棋士に)する田島の姿。また台詞にもあったが、将来コンピューターによって絶対負けないプログラム将棋云々、を通して時代を超越した現代性をも垣間見せる。
第35回池袋演劇祭参加作品(★評価は演劇祭授賞式後)。
(上演時間2時間 途中休憩なし) 追記予定

『ピーチの果て、ビーチのアビス、つまりはノーサイド』R-18

『ピーチの果て、ビーチのアビス、つまりはノーサイド』R-18

キ上の空論

サンモールスタジオ(東京都)

2022/12/15 (木) ~ 2022/12/21 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。と言っても万人受けするかは別。
師走の時期、心温まる内容を欲するところであるが、この物語は真逆と言っていい、典型的なノワール劇である。

狂愛と再生の三部作、その第三弾と銘打っているが、一般的な男女における恋愛とは違い、主人公の生い立ち、その童貞いや道程を切ないほど描いた愛憎劇である。そう身近にいる女といえば「母」である。その愛情が十分に受けられず、その結果 裏返しの感情…憎悪が芽生える。
成人し女性遍歴を重ねることで自分本位で歪んだ愛情表現と性癖が…。表層的には救いの無いような展開であるが、実は身近(バイトの後輩で後に正社員になり立場が逆転)なところで愛を育み幸せを築いている、そんな光景を隣り合わせに観せる巧さ。それによって、物語のような「愛情表現」は皆無ではなく、むしろ特別な偏愛としてあり得るという存在感を観せつける。

この公演は、けっして後味がよいとは言えないが、逆にそれだけ心に強い興奮と刺激、そして印象に残る作品になっている。ぜひ その衝撃を小劇場で…。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし)【Bチーム】

ネタバレBOX

全体的に妖しい雰囲気、それは いくつかある台座のようなモノの天板部分が赤色、組み合わせによってベットになり刺激的な行為を演じる。また幾体かのマネキン、それを過激に弄ることで苛め虐待を表現する。ハイヒールが一足。上演前は波の音、心の漣のようにも思える。

物語は、日本人の父とフィリピン人の母の子・山越陣(鈴木研サン)が主人公。今は地方でバイト生活をしている。幼い頃、父は働かず、母は夜の仕事へ。父の日常的な虐待、母はそれを見て見ぬふり 育児放棄同然の暮らし。
冒頭、地方でバイトをしているが、どこか無目的で怠惰な様子、そして後輩との談笑に小さな優越感に浸っているような。25歳の時、SNSで東京に住んでいる女子大生と知り合い、たまに上京してデートをする。当初は純粋に付き合っていたが、だんだんと彼女を束縛し始める。彼女は何不自由なく生きており、陣は 環境や境遇の違いに苛立ちを覚える。いつの間にか自分と同じような惨めで不幸な思いをさせることで得られる快感に喜びを見出しているような。

また 泡嬢、不倫している女との関係など、爛れた情景を描くことで愛と欲の多情性を観せる。必ずしも相思相愛などではなく、どこか歪んで危険な匂いがする。そこに男の滅びの美学ならぬ爛れた美学が跋扈しているようだ。苛立ち、不安、焦燥といった表現し難い感情を実に上手く表現する。貧乏ゆすり、床を踏み鳴らす、大声で怒鳴るなど、直接 肌に伝わる。そのリアルな情況が圧倒的な存在感となって立ち上がる。
🔞ゆえ舞台としては過激な性描写であるが、そこには鬱屈した男であり1人の人間の本能が剥き出しになっている。境遇の違い、幸せすぎる相手を自分側の世界に引き込む身勝手さ、理屈では許されないだろうが、偽りなき感情(本音)として迫ってくる。何となく痛々しくも瑞々しい感性と圧倒的な構成力と演技力に観入ってしまう。役者陣は文字通り体当たりの熱演で、ダークで魅惑的な世界へグイグイと誘う。

歪んだ愛ゆえの結末、欲望の果てに得たモノはなんだったのか。ラスト、性行為の中で叫ぶ女性、異常な体験に歓喜する姿に本性が垣間見えたような気がした。そう異常の中に普段得られない高揚感、満足感が潜んでいるのだと。肉体のぶつかり合いというか交わり(愛)合いで、記憶に残る青春残酷物語を観たよう。
次回公演も楽しみにしております。
短編劇集「新江古田のワケマエ」

短編劇集「新江古田のワケマエ」

劇団二畳

FOYER ekoda(ホワイエ江古田)(東京都)

2022/10/29 (土) ~ 2022/11/03 (木)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

【A】「そう言われると今年一番はあの日かな」【B】「咲良を待ちながら」観劇   

江古田にある古民家を改造した会場。劇団名からも明らかなように、二畳分のスペースと最小限の音響・照明効果だけで公演を行う。公演は、約30分の2短編の上演だが、実に味わい深い内容であった。
もしかしたら遭遇する、若しくは経験するかもしれない、そんな奇妙な感覚にさせられる作品。現実から少し離れた設定だが、皆無とは言えない微妙なリアルさが面白い。同時に、会場が面している千川通りの車騒が、絶えず日常を意識させるから、何とも不思議な気分になる。

勿論、素舞台で役者の演技力だけで観せることになるが、両作品の出演者とも見事な表現力であった。共通して言えるのは、「間の取り方」 その空白(無言)のような時間の使い方が上手い。何となく隙間は埋めたくなるが、敢えて話(筋)をピーンと張らないで、逆に弛めることで物語に込めたテーマらしきものを表現する。当日パンフにあった「日常とは違う時間の流れを感じて」は十分に伝わった。
(上演時間1時間10分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

【A】「そう言われると今年一番はあの日かな」 
場所は埼玉県飯能市、劇中でも言っていたがムーミンのテーマパーク「メッツァ」があるところ。サバイバルゲーム施設にゲームをするために来ていた砧三二六(中込博樹サン)は、尿意をもよおし、サバイバルゲームのフィールドを外れ山道へ。そこで自殺?首に縄を巻き付け、片方の靴が脱げている籾田桜那(丸山小百合サン)に出会う。少し酒に酔っているようで呂律が怪しい。2人が話していると、1日2杯のデリバリーコーヒー、行商人風の滝沢つばさ(たきざわちえ象サン)がやって来る。桜那はブラック企業に勤めているようで、労働条件は劣悪、辞めたいと呟く。しかし辛抱・我慢が足りないと思われるのが癪に障る。周りの評価も気になるが、つばさ は簡単に辞めちゃいなという。命があるから後悔出来る。要は命あっての物種だ。話の内容は重いが、雰囲気は柔らかい。コーヒー1杯2,000円、屋外にも関わらず本格的に豆を挽く。コポッコポッという音が聞こえるだけで、沈黙の時間が流れる。張り詰めた気持ちを和らげる、そんな優しい情景になってくる。

中込さんは会場外から現れ、尿意をもよおしているわりには落ち着いている。二階から縄、それを手繰り寄せると 丸山さんがよろよろと階段から下りてくる。その首に縄が巻き付いている。片手にアルコールの3~4Lペットを持ち千鳥足である。2人の演技は珍妙であるが、観入るほど巧い。ほどなく会場外から たきざわ さんが荷物を背負い入ってくるが、その飄々とした演技が仄々とした雰囲気を漂わす。三者三様の演技は柔らかいが、観る者の心をつかんで離さない研ぎ澄まされた感性 表現力に感心する。

【B】「咲良を待ちながら」   
タイトルから「ゴドーを待ちながら」を連想するが、けっして不条理劇ではない。
場所は江古田にある田中家、高校の卒業式の夕方。母 田中和子(五十嵐ミナ サン)、兄 武尊(吉岡圭介サン)が卒業祝いに寿司の出前の話をしているところへ牧田竜也(長谷川浩輝サン)がやって来る。高島平に住んでいる竜也は、三年間片想いの相手・咲良へその想いを伝えたい。しかし、咲良は友人とカラオケに行っており帰宅していない。仕方なく、その家族と共に帰りを待つことになる。そこへ父 正博(小泉匠久サン)も帰宅し事情を聞く。思わず缶ビール2本をたて続けに飲み、気を落ち着かせようとする。暫し無言、その何とも言えない気まずさ 微妙な空気が流れる。結局 咲良は帰ってこず、竜也の帰り際、父は一瞬彼の袖口を掴む。そこには在りし日の自分の姿を見たのかも知れない。父・母も高校の同級生で、母の(義)父からは帰れ!と言われた経験があるよう。そんな懐かしい気持ちになったかのよう。

五十嵐さんは、娘への想いを告げに来たことを素早く察知する、自然体の母親を見事に体現する。小泉さんは、逆にどう対応すればよいのか戸惑う姿が 父親らしい。思わずアルコールに手を出すところは、その心境を上手く表現している。吉岡さんは妹のどんなところが好きなのか興味津々といった兄らしい感情を表す。ある意味 主人公の長谷川さんは、おどおどした落ち着きのなさ、そして ぎこちなくも真摯に接しようとする。それぞれの表情や仕草から溢れ出す感情表現、その場の少し軋んだ音が聞こえそうなほど上手い。
次回公演も楽しみにしております。
ナビゲーション in 池袋

ナビゲーション in 池袋

タルトプロデュース

シアターKASSAI(東京都)

2023/08/30 (水) ~ 2023/09/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
脚本・演出は、設定の妙と惹き込む力、そして演技のメリハリ…演劇の魅力を凝縮したような公演。タイトルからロードムービー的な展開を想像させるが、実はハートフルな物語である。
まず 主人公 横山凪紗は傷害罪で執行猶予中、そして同僚の遺体を山形まで車で運ぶ途中で当たり屋と思われる女を乗せるハメに…この途中で乗せた女が物語の肝。この話は実話をベースに江頭美智留さんが脚本にしたもの。勿論 遺体を運ぶことには抵抗(報酬を得ているから違法か)があるが、無理を承知で実行したことで 凪紗の心に変化が…。

東京公演には大阪公演を観た観客が多数来ており、人気の程がうかがえる。勿論 キャスト目当てもあろうが、作品の魅力…ミステリー サスペンス調の仕掛け、抒情を感じさせる挿入歌など、観せる力・聴かせる力が 再び劇場へ、となるのではなかろうか。
(上演時間1時間45分 途中休憩なし) 

ネタバレBOX

中央に車一台。勿論ドアもなければ窓もなく、その開け閉めはパントマイムで行う。
横山凪紗(22歳)は5歳の時に母と死に別れ、父は その3年後に再婚した。母が亡くなり17回忌法要を行うと父から連絡があったが、継母との関係が気まずく出席しないと決めていた。

そんな時、職場の上司で身元引受人の佐々木陽子から急死した同僚の遺体を山形まで運ぶよう頼まれる。渋々引き受けて出発するが、途中 奇妙な女が飛び出してくる。孤独に凝り固まる横山凪紗を演じる NMB48の佐月愛果さんは、実にキュートだ。他人と関わることが苦手、それが旅を通して人との触れ合いに温かさを感じ始める。そんな繊細な難役を見事に表現していた。また出番は少ないが、佐々木陽子を演じる 桐さと実さんは見守るという包容力を観せる。

単に遺体を運ぶだけではなく、途中で凶悪犯と思しき人物を乗車させたり といったサスペンス ミステリー風な展開へ。ハラハラドキドキするような場面を挿入することで、観客の集中力・緊張感を逸らさない。一方、車内で凪紗と途中で乗せた謎の女 菅原陽向子(村崎真彩サン)が歌う曲が切なく心に沁みる。
因みに謎の女の正体は、ぜひ劇場で確かめて。

他人と密な関係を築かず生きることが当たり前のような現代、しかし<築く>ではなく<気づく>ことがなかった人の優しさ温かさを知ることになったロードドラマ。孤独と孤立に凍った心が解けていくような、そんな心温まる秀作。
次回公演も楽しみにしております。
名前を呼んで、もう一度

名前を呼んで、もう一度

ブルー・ビー

銀座タクト(東京都)

2023/09/12 (火) ~ 2023/09/13 (水)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

面白い、お薦め。
サスペンス ミステリィを思わせる説明で興味を惹くが、 自分には微妙な印象。と言うのもシチュエーションやエピソード(高齢者施設への入所、両親の離婚等)が最近観た演劇に似ており、新鮮味に欠けたからである。結末は異なるが、それだけ この問題の深刻さを表しているとも言えるのだが…。

アコーディオン(DANサン)の生演奏、劇中で歌う曲(うちにかえろう)に手話を交えるなど、多くの人に観てほしいとの気持が伝わる。また銀座TACTという雰囲気がある会場(ライブハウス)、天井のミラーボールが回転し煌びやかな光彩を放つ。観(魅)せることに 力 を入れた演出だ。
(上演時間1時間)【きゃんどる】 

ネタバレBOX

朗読劇。スタンドマイク 台本を持った役者。後景にはアニメーション動画のような映像を映す。

物語は、動物界におけるヒエラルキーを描いた問題作。同時に見守る人の苦悩を描いた心象劇とも言える。最近観たー劇団龍門第20回公演「桃太郎の大冒険」と同じ内容で、驚いた。
燦々

燦々

U-33project

王子小劇場(東京都)

2023/08/16 (水) ~ 2023/08/20 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

テーマは同じような、若い女性の<暗澹>たる気持、それでも<燦々>と生きようとする姿を描いた3短編。最近の公演は若い女優陣で紡いでおり、本作も例外ではないが 内容は性別に関係なく、人が抱える葛藤であり苦悩である。しかし 重苦しくせず、どちらかと言えば 打開しようと奮闘する様子を明るく描く。表層の面白可笑しさ、その奥に隠れた心の傷が痛いようだ。

短編のタイトルは 上演順(キャスト)に「謝ったら死ぬ病」(6名)、「ワンダフルな人生」(4名)、「意味不明」(2名)で 何となく群像から二人芝居へ。この構成は良かったが、作品の出来に差があり 全体としてみたとき 心に響かないのが惜しい。

舞台は斜めに設え 二段菱形状のよう。それに対し 客席は2方向に配置しているが 観やすさは変わらないだろう。印象に残ったのは、最近の(U-33project)公演に比べ<心情と情景>の違い、それを照明の諧調によって表現しており巧い。
(上演時間1時間35分) 

ネタバレBOX

「謝ったら死ぬ病」
すぐに謝ってしまう少女、診察した結果「謝フィラキシーショック症」らしい。このまま謝り続けると死んでしまう。そして「怒」「泣」といったフィラキシーショック症候群に悩む少女たちと出会い、悩みの共有と打開策を練る。まずは食生活の改善を試みるが失敗。心の問題は自分自身に向き合うこと。謝る・怒る・泣く といった感情を過度に意識しない平静さが大切。自信の無さ、対人恐怖といったアリがちな心の悩みを明るく描いた短編。それまでの物語を ラジオの人生相談に語っているかのような。

「ワンダフルな人生」
<隣の芝は青い>または<王子と乞食(差別用語か?)>といった、他人の暮らしを羨むような。劇中 「私より辛い人生の人はいない!断言出来る!」とあるが、その辛さが伝わらないため共感が得られない。人の身なりや姿形に惑わされず その本質を見ることや、周りに流されない意思をもつことの大切さ、といった寓話を思わせる。物語では橋本環奈の暮らしに憧れ、神様がその願いを叶えてくれるが…。その暮らし 体験してみれば、思った以上にハードで過密スケジュールに悲鳴を上げる。そして予定調和の結末へ。

「意味不明」
「エンターテイメント」をキーワードにした心象劇のよう。私とあなた という二人称でありながら自分への自問自答のような気もする。人々を楽しませるだけで、自分は楽しまないのか。人の心を魅了して離さないためには 自分自身が楽しんで、その気持を伝えることが必要なのでは…そんな2人の遣り取りというか(1人)心の葛藤。人の心にある表裏をエンタメの原義に絡めたドラマのよう。この物語では何を伝えようとしているのか?作者(結城ケン三氏)=登場人物 わたし のエンタメに対する思いを語っているのであろうか?まさに<意味不明>のような。

若い女性の葛藤や憧憬のような心の様(サマ)を淡く揺れるような照明で表す。全体としては 淡色照明で明るくすることで、重苦しい雰囲気にしない。またシーンによっては 朱紙(セロハン)吹雪+照明効果で気持ちを吐き出させるような。この演出はU-33projectの特徴のようだ。
次回公演も楽しみにしております。

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